午前3時台に起きて高市総理の答弁準備を思うなど/「福音派」:期待を裏切ったカーターとハルマゲドンを説いたリンゼイ/松本市の道路事情/「2.5次元の誘惑」の明日はどっちだ

Posted at 25/11/08

11月8日(土)晴れ

今日は遠出するので4時に起きようと思い昨夜は11時過ぎに寝たのだが目が覚めたら2時で流石に短いと思い何度か寝ようと試みたがまあこういう時の寝ようとする努力はなかなか難しいのでとりあえずトイレに行ってから寝床の中で横になっていた。起き出したのは3時45分くらいでなんだか高市さん並みだなと思ったりもしたが、まあ比べるのは申し訳ない。昨日の報道ステーションでも取り上げられていたが、そんなことに文句言う暇があったら他の話題をやれと思ったのだけど、これで国会開会中、特に予算委員会の開催時の官邸スタッフや省庁の役人たちの忙しさみたいなものが少しは楽になると良いとは思う。まあ野党の対応次第なのだけど。

質問内容というのは結構詳細について事前に伝えられるのかと思ったらそうではなく、大雑把な質問内容だけが伝えられるから細かくは何を聞かれるかわからないのでいろいろな場合を想定して臨むので準備が大変なのだという。答弁の不備を突こうというのが野党側の戦略になるのだと思うが、そうなると政府側も準備を入念にしたいということになるわけで、まあある意味いたちごっこではある。最も建設的な落とし所が見つかると良いのだがとは思う。

昨日は午前中母を病院に連れていき、他の通院との兼ね合いなどの話をしたのだが、まあ一応良い感じで話がまとまって良かった。母を施設に送り届けた後、西友でお昼の買い物をして帰った。

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松本の方の病院に連れて行くのに、南松本駅の南側の踏切を使っているのだが、その踏切が10月末で閉鎖されて立体交差にするための工事のために10年通れない、というのをTwitterで読んで驚愕。とりあえずの迂回路は見当がついたがどうも結構混雑するらしく、参ったなと思う。松本市の道路行政についてはネットを見てもいろいろ批判が上がっていたが、もともと長野県は民主党ー立憲民主党系が強い土地柄なので(昭和から社会党や共産党の当選者が出る上に、1993年の自民党分裂で羽田孜元首相が自民党を離れたことも大きい)、道路行政的には不利なのだ、ということを地元の自民党系の地方議員の人がこぼしていた。他地域から行くと高速のインターの近くは便利なのだが市内に入るにはどこから入っても渋滞はある。最近になって結構整備は行われているが、そのために余計渋滞がひどくなっているということもあり、少しでも進捗してもらえると良いと思うが、まあ時間はかかるのだろうなあと思う。

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「福音派」は第1章まで読み終えた。52/291ページ。第1章では1950年代から70年代にかけての主な福音派の人物について取り上げている。第1節では昨日も書いたように「アメリカの牧師」ビリー・グラハムについて。第2節ではこの本の冒頭でも取り上げられているジミー・カーター大統領。第3節では終末論を説いた「今は亡き大いなる地球」というベストセラー書籍を書いたハル・リンゼイである。ただ、グラハムが17ページにわたって書かれているのに対してカーターは8ページ、リンゼイは5ページなので重点は明らかにグラハムに置かれているし、グラハムという日本ではあまり知られていないがアメリカ史においてはかなり重要だろう人物について知れたのは良かったと思う。

グラハムもキング牧師もカーターもビル・クリントンも南部バプテスト連盟の信者で、カーターの時代にはかなり多様性があったようだが、後に彼は脱退しているようで、現在では福音派の勢力がかなり強くなっているようである。

カーターは回心を体験してそれを立候補の際に表明していたので福音派の人々も彼に大きな期待をかけたのだが、彼は原理主義的傾向も持っていたが強く影響を受けたのはラインホールド・ニーバーという政治的リアリズム路線を主張した自由主義傾向の強い神学者だったということで、そうしたことが明らかになるについれて福音派の支持は離れていき、反リンカーンの伝統があった南部の保守的な民主党支持者たちも離れていった、ということのようだ。

Wikipediaで見るとニーバーの思想は

「正義を取り扱うことのできる人間の能力が民主主義を可能にする。しかし、不正義に陥りがちな人間の傾向が民主主義を必要とする。」

ということだそうで、つまり「古き良きアメリカ」よりも「民主主義」に神の意思を見出す方向性なのかなと思ったが、いずれにしてもカーターは福音派にとっては期待外れだったということのようだ。

リンゼイはディスペンセーション主義の中心地である「ダラス神学校」の卒業で、ディスペンセーション主義に基づく終末論を説いてそれが全米でヒットし、日本でも「地球最後の日」という題で1973年にキリスト教系の「いのちのことば社」から翻訳出版されたようだが、今では絶版になっているそうである。

ただ、ハルマゲドンということばが日本で知られるようになったきっかけの一つは彼の書だったといい、オウム真理教にも影響を与えたという説もあるのだそうだ。日本で終末論というと「ノストラダムスの大予言」が有名だが、日本には基本的にキリスト教的な土壌はないので黙示録的な終末論よりオカルトの方が流行ったということなのだろう。

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今日は車で遠出するので今朝はこのくらいで。それにしても今朝更新の「2.5次元の誘惑(リリサ)」は思いがけない展開だった。どうなるんだろうこれ。完結まで後3話とのことなのだが。

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「福音派」を読んでいる:共産主義の脅威と核戦争の恐怖の中で戦後アメリカの市民宗教を確立しアイゼンハワー擁立など政治にも大きな影響を与えたビリー・グラハムという存在/目の疲れ

Posted at 25/11/07

11月7日(金)晴れ

昨日は午前中に松本に整体に出かける。普段は10時に予約しているのだが昨日は10時半だったので30分余裕ができ、道路もやや空いていた。ただ余裕ができると余計なことを突っ込んでしまうので結局忙しなかったことに違いはないのだが。高速も相変わらず反対車線は混んでいる箇所があり、工事はまだ続いているのだなと思う。明日はその渋滞区間を少し通ることになるから、どんなものか。ある程度は早朝なので影響が少ないと良いのだけどなあ、とは思う。

整体では頭がざわざわしていること、お腹の具合は目の疲れの影響があるということなど聞いて、やはり目は休めないといけないなあと思う。暇ができるとスマホを見てしまう現代人としてはなかなか実行できないのが困ったところではあるが。

帰りがけにデリシア(スーパー)で買い物をし、少しショートカットルートを通って帰ってきた。帰りは一般道だが峠の辺りまでは順調でかなり早く帰れるのでは?と思ったが地元近くになって車が混んでいて、結局50分くらいだった。それでも普段よりは10分ほど短縮されているのだが。

帰る途中で当日発売のコミックスがあることに気づき、今寄って行こうかとも思ったがまず帰ってご飯を食べて出直そうと思って帰ってご飯を食べた。

2時半過ぎに出かけて銀行に寄ってツタヤに「パリピ孔明」23巻を買いに行ったのだが無く、時間が厳しかったのだがとりあえず違う書店まで走ったらあったので買ってすぐ引き返してきた。間に合ったのでよかったが、最近ツタヤのマンガの品揃えがイマイチになってきたのはちょっと困る。

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「福音派」読んでいる。第1章の第1節「原理主義者と福音派のはざまで」は戦中から戦後にかけてアメリカ社会に大きな影響力を与えた宗教者・ビリー・グラハム(1918-2018)について書かれているのだが、なんというかこの人についてはどうもよくわからないという印象が強くて、少し考えていたのだが、日本で言えば創価学会の池田大作氏のようなものというより、例えば安岡正篤氏のような存在、と言えばいいのかなという気がした。あるいは思想的な面での松下幸之助氏のようなものというか。アメリカの大衆社会への影響力の強さというのが際立っているが、私のような異国人にとってはどうも捉えにくい人物である。

原理主義から出て福音派を名乗るようになった宗教者・説教師がラジオなどを通じて全米に影響力を持つ、という構造自体が理屈ではわかってもなんか魂が受け入れを拒否すると言ったら変だが、まあそれがアメリカというもので、こちらにとってアメリカというものを受け入れにくい部分の一つだ、ということなのかもしれない。

彼を押し立てた一人が新聞王ウィリアム・ハーストであり、グラハムを原理主義者としてというよりは反共の信念を終末論的に昇華する神のメッセンジャーとすることだったのだという。ハーストが支援した1949年9月から始まる「ロサンゼルス広域のためのキリスト」というイベントがあったが、ちょうどその二日前にソ連の核実験成功をホワイトハウスが伝え、イベント期間中には中国に共産党政権が成立して、全米が共産主義の脅威に動揺していたまさにその時期だった、という歴史感覚は理解できる。

グラハムは「共産主義は単に経済的な理解にとどまらない。共産主義は宗教である。それは全能の神に戦いを挑んだ悪魔自身によって鼓舞され、指導され、動機付けられた宗教なのだ」と演説し、アメリカ国内ではキリスト教や道徳は軽んじられ、国外では無神論的な悪魔の操る共産主義が跋扈している。だから人々はキリストの福音を受け入れ、悪魔との最終戦争に備えなければいけない、という論理である。

まあ我々から見たら荒唐無稽な陰謀論のように見えるが、このイベントは合計35万人が参加し、3000人が信仰を告白し、ハーストの尽力によりタイム・ライフ・ニューズウィーク・ニューヨークタイムズなどに大々的に取り上げられ、グラハムの名声は不動なものになったのだという。

戦後のアメリカ人の危機感、つまり共産主義の脅威と核戦争への不安はアポカリプスや終末論に現実味を与えていたということは、1962年生まれの日本人の私にも理解できるが、それがグラハムの成功に寄与したといわれると理解しやすいかなとは思った。日本では共産主義はともかく核戦争への危機感はあったし、「ノストラダムスの大予言」のようなオカルト的な形でそうした世界の終わりは意識されていたが、そこに宗教がからまずオカルトやスピリチュアルに流れたのが日本の特徴なのかもしれない。この当時に日本の新宗教団体などがこの辺りに関してどういう発言をしていたのかなども気になるところではあるが。

ただ私は子供だったからより核戦争を強く感じたが、日本でも主流の保守的な生活感覚を持った人たちは共産主義の脅威を感じていた人は多かっただろうとは思う。しかし日本ではアメリカと違って共産党が非合法化はされず、公安調査庁の監視対象になったくらいで済んでいるのは、日本がその対立のある種境目あたりに位置したことと関係はあるのだろうと思う。

一つ大きいと思ったのはグラハムなどの主張は宗教的なアイデンティティという点で古き良きアメリカの伝統を守るという「アメリカの市民宗教」の形成に寄与した、ということだろう。日本にも日本教とも呼ばれるある種の市民宗教はあるとは思うが、そういう感じのアナロジーとしては理解しやすい面がある気がした。

グラハムが特に深く関わったのがアイゼンハワー大統領の擁立と宗教面からの支持だ、というのは結構へえっと思ったのだけど、私もアイゼンハワーという人には結構関心を持って調べようと思ったことがあったのでこれは面白い事実だなと思った。アイゼンハワーという人は宗教心はあるのだが特定の教会に意志的には属していないというちょっと変わった人ではあるから、グラハムのようなタイプと相性が良かったのかなという気はした。

この政権下で国旗への誓いの文句にUnder Godという言葉が付け加えられ、紙幣にIn God We Trustという言葉が印刷されるようになり、大統領や上下両院の議員が参加する全米祈祷朝食会が始まった、というのはへえっと思った。

そういう意味ではグラハムは福音派独自の存在にとどまらず、「共産主義の脅威に対する汎プロテスタント的な市民宗教の重要な一部」であるというのはよくわかるし、彼が「アメリカの牧師」と言われ市民宗教の大祭司とみなされた、というのは納得できるものがあると思った。

ということで今日はここまで。33/291ページ。

熊をめぐる動き:メガソーラー・朝鮮半島での分布・熊保護派の執念/「福音派」を読む:原理主義とディスペンセーション主義/三角コーンと靴墨/高市政権と参政党支持層/Fly me to the Moon

Posted at 25/11/06

11月6日(木)薄曇り

昨日は午前中家でいろいろやった後昼前に出かけて銀行で記帳したり、ドラッグストアで洗剤を買ったりして帰ってきて残り物で昼食を済ませ、午後はご近所の方の葬儀に出かけてご挨拶をしてきた。これから先のご商売のことなども気にはなるが、うまくいっていただけると良いなと思う。

今朝は割合よく眠れたことは眠れたのだが朝うとうと段階に入ってから頭の一点が緊張しているところがあって、もう少し寝たい気がしたがトイレに行きたくなったので下に降りてトイレに行き、居間に入ると時計がとんでもない時間をさしていた。この時計は電波時計で、時々正確な時間を受信し損なうのか、起きがけに見ると4時15分とか5時15分とかで止まっていることはよくあるのだが、普通はしばらくしたら回復して正確な時間になる。今朝は回復しないまま1時12分くらいで動いていたので、電池を抜いてしばらく経ってから入れ直してサッシのすぐそばの電波を受信しやすそうなところにおいてしばらく別の仕事をしていたら、4時40分頃を指していた。起きた時に確認した他の時計の時間は4時ちょうどくらいだったから、回復したのだなと。

証券会社のサイトを確認したり、作業場に行って古雑誌をまとめたり、いろいろやってからヤンジャンを買いに出かけ、ついでにコーヒーも買って帰ってきたのだが、淹れてから水素焙煎が出ていることに気がついて、それにすればよかったと思った。他のセブンでは見ていたのだがそこのセブンでは初めて見たので、今度買ってみようと思う。

帰ってネットを見ていたら職場でやろうと思っていたことを忘れていたことに気がついて職場に出た。駐車場に勝手に止める車がいるので止めていない時には三角コーンを置いているのだが、昨日の帰りにそれを移動しようとしたらカラスのフンがついていたので明るくなってからそれを拭き取ろうと思っていたのである。しょぼい用事だが、今朝は事務の人が来て車を止めるのでその前にと思っていたのを忘れていたのだった。行ってみるとついていたのはほんのわずかでアルコールで拭き取っておいた。駐車場の上を電線が通っているのでそこに止まっている鳩やカラスが下の車に落とし物をするのである。うちの車は結構被害を受けているのだが他の車に落ちているのを見たことがないのだけど、私が気が付かないだけなのだろうか。それから職場に行ってパソコンを持って帰ってきて、資源ゴミを出しに行き、帰りに作業場によって靴墨を持って実家に戻った。

昨日は葬儀に出たので靴を磨いたのだけど、靴墨が乾燥して硬くなっているので使いにくく、ググってみたらコタツであっためるか湯煎したら柔らかくなる、とあったので、こたつは使ってないが風呂の湯で湯煎してみることにしたのである。まだ温め中だが後で確認したい。

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車の中でNHK-FMを聞いていたら、ボサノバアレンジの「Fly me to the moon」が流れていて、そういえば「新世紀エヴァンゲリオン」のオンエア版で、一番好きだったのはこの曲が流れるエンディングだったかもしれないなあと思ったりした。あまり話題になっているのをみたことがないのだけど。

この曲は歌詞がよくできてるなと思う。「私を月まで連れてって」と言ってからIn other words「言い換えれば」と繰り返して「手を取って」「キスして」「素直でいて」最後にI love youで締めるというの、love song そうあれかしという感じがする。元々の題は「In other words」だったというから、それもなるほどと思う。

原曲が有名になったのは1960年のペギー・リーの録音だそうだから、私が生まれる少し前、ビートルズが出る前の時代。この辺りの曲が私にとって「古い曲」と感じられる。「いそしぎ The shadow of your smile」は1965年だが、これなどもそんな感じである。

逆に、ビートルズ以降、特にツェッペリンとかジャニス・ジョプリンあたりになると「懐かしい曲」というイメージ。友人とハードロックカフェとかに行くと、「古い曲」というより「懐かし〜!」となる。私が中高生だったのは1975年から1981年なのでつまりは70年代後半で、時代としては少し前の曲なのだが、すでに出てきていたパンクやメタルより少し前のハードロック系の方が自分たちの時代の音楽という感じがするのは、「新しい音楽」よりも「少し年上の人たちの聞いている曲」に対して憧れがあったのかなという気はする。大学に入ってからも好きだったのは戸川純やユーズリズミックスなどだったから、ちょっとハスに構えた感じのものを聞いてたんだよなと思う。

などということを思い出したり考えたりした。

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大日本猟友会が熊駆除に関する聞き取りを受けた内容が記事になっていた。

https://x.com/Sankei_news/status/1986001309246591253

指摘内容としては

①ナラなど実のなる木の不作

②イノシシの増加で、クマが好物の栗やドングリをイノシシが食べ尽くしている

③クマの楽園であるはずの国有林で、スギやヒノキの造林のため、ブナやミズナラといった実のなる樹木が伐採されてしまった

④これまでは生肉を食べていなかったツキノワグマの食性が変わり、わなにかかったシカを食べるようになった

⑤人の生活圏と、クマの生息域があいまいになった

⑥中山間地域で空き家が増え、クマはそこを冬眠場所に利用している

⑦メガソーラー(大規模太陽光発電施設)の開発が広範囲で進み、里山が崩壊したこと

が挙げられていて、現場にいる人の意見として貴重だなと思ったのだが、特にメガソーラーの開発と里山崩壊についての見解はネットでもよく話題になっているだけに、現場の意見としてもやはりメガソーラーとの関連性はあるという意見は強いのだなと思った。

メガソーラーで発電できる電力量と山が禿山になるマイナスとでは明らかに後者の方が大きいと思うので私は強い反対意見を持っているのだが、熊の跋扈に関しても影響はやはりあるのだろうとは思った。メガソーラー自体が被害を受けているという話はまだ聞いたことがないが、その辺はどうなのだろうかと思ったり。

いずれにしても総合的にこの辺りのことは研究して被害が少なくなるように、かと言って朝鮮半島のように絶滅の危機に晒されたりはしないくらいの感じでやってもらえたらと思う。まあ、九州はもう絶滅しているわけだが。

朝鮮半島の熊の分布についてもちょっと気になったので調べてみた。

https://www.japanbear.org/cms/pdf/asiabear21.pdf

朝鮮半島にはヒグマもツキノワグマもいるということだが、ヒグマは北朝鮮の北東部にいて、ツキノワグマは北朝鮮の北部あたりから韓国の南部当たりの山間部に分布しているようだ。ただ、韓国のクマの棲息数は数十頭という単位のようで、つまりは絶滅寸前ということのようだ。

朝鮮半島の熊は日本支配時代から密猟や駆除などによって減少したのと、オンドルなどの使うために山の木が切られて禿山が多いこと、朝鮮戦争の影響で熊の棲息地が減ってしまったことが大きいということのようだ。

ただ、朝鮮の伝説的な君主である檀君は神と女人化した熊の子だとされているので、建国神話上熊はかなり重要な動物だということになる。保護活動が進められているのもそういう理由もあるのだろう。

https://x.com/nvWU8cUBcgNZZio/status/1985861607143149752

しかし日本で熊の保護を訴える人たちのあの熱情はどこから出てくるのかはよくわからない。熊に対する何らかの信仰があるのではないかという気もするのだけど、どういうことなのだろうか。

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ネットを見ていると「自民党から参政党や国民民主党に流れた層など、自民党は切るべきだ」という意見の人というのは時々いる。それはつまり、「右派嫌い」ということなのだろうと思うのだけど、「自民党は保守」であることは変わらないし、参政党ができて自民に対する批判票をより右に投票できるようになったからこそ参政党が得票を増やしたわけだから、自民党としては批判票として離れた部分を取り戻すために動くのは当然すべきだと私は思う。石破政権で離れた層も高市政権ではかなり戻ってくると思われるし、高市さんの政策自体も安倍政権時よりものによってはより精細になっている部分もあると思うので、より長期の政権を目指すためにもより右派的な層の支持はこれからも必要だと私は思っている。

まあこの辺は自民党支持者の間でも「安倍路線支持派」と「岸田路線支持派」でかなり異なる点だろうとは思うのだけど。

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「福音派」序章まで読んだ。現在26/291ページ。まだ1割も読んでないが、福音派に対する認識はかなり改められた感がある。

福音派が彼ら自身としては「19世紀のアメリカキリスト教会の歴史を引き継ぐもの」であると認識しているのは結構大事なことだと思う。つまり、客観的には別のものと考えるべきなのだが、彼ら自身の中では正統的なアメリカの信仰の後継者であると考えているということである。

実際のところ20世紀の初頭のアメリカでは一部を除いて聖書は神の言葉であると信じられていたのだが、すでに東部のアカデミズムの世界ではその考えは科学的に正しくないという考えが広がっていた。

そうした近代科学の側からの最大の衝撃は1859年に出版されたダーウィンの「種の起源」、つまり進化論と自然淘汰説によって齎された打撃であり、それを受け入れるならば人間は自然淘汰のプロセスの中で生き残った種の一つに過ぎないということになるわけで、聖書の物語は「神の言葉」という唯一性・真実性を失ってオリエントの多くの神話の一つに過ぎない、ということになるわけである。

また、高等批評と言われる聖書の本文についての文献学的研究が進むにつれて、聖書を誤りなき神の言葉と見做すのはほぼ不可能という見解が有力になった。つまりこれは「神学におけるモダニズムの到来」だというわけである。

こうした科学の側からのキリスト教信仰の脱神話化の潮流に対し、立ち上がったのが原理主義者と呼ばれる人たちで、彼らは1910年から15年の間に「ザ・ファンダメンタルズ」という書籍を12巻発行した。それは彼らのプロテスタント神学の集成だった。彼らが「ファンダメンタリスト=原理主義者」と呼ばれるのは、この書籍の名称からきているのだという。これがキリスト教原理主義の起源であり、現在ではイスラムや仏教などに対しても原理主義者という言葉が派生的に使われているわけだが、ある意味ではそれはアナロジーだということになる。

彼らが「高等批評」に対抗するための武器として持ち出してきたのが「ディスペンセーション主義」という考え方に基づく「終末論の展開」なのだという。ディスペンセーション主義とはできるだけ聖書の解釈を文字通りの意味で読もうとする解釈の方法だということであり、重要な一例を挙げると、彼らは旧約聖書はキリスト教徒への予言であると捉える従来の捉え方を否定し、歴史に基づいてユダヤ人への予言であると捉えていて、だから最後の審判ではユダヤ人も神の約束にあずかれる、と考えているわけである。この辺りが彼らのユダヤ教国家であるイスラエルへのコミットの大きな理由になっているというわけだ。

こういう説明は今までも読んできてはいたのだが、どうも荒唐無稽に思われてどこまで本当なのか信じられずにいたのだけど、こうした歴史過程の中から聖書への深いこだわりが生まれ、その結果出てきた思想だと考えると彼らの「信仰の危機を認識し近代化と戦う」という動機に由来した信念として理解できる部分はあるなと思った。

こうした彼らの信念の一部が実現したと考えられたのが「バルフォア宣言」によるユダヤ人国家の樹立への期待で、ディスペンセーション主義者には聖書の予言の部分的な成就と捉えられたというのはなるほどと思うし、バルフォア自身もこうした思想の影響を受けていたらしいこともなるほどと思った。

まあ正直言ってかなり奇天烈に感じられる信仰内容なのだけど、彼ら自身としては信仰を守るためにとった止むに止まれぬ聖書の読み方から来ているわけだし、「聖書」というものが古代から受け継がれてきているから何度もその古典に帰って様々に再解釈されていくのだなということは理解はできる。儒教にしてもそうだし、カント哲学にしても素直に読んだのとはかなりかけ離れた影響が現代に及んでいたりはするわけで、思想や信仰というものの怖さと面白さが表れていると考えるべきなのだろうと思った。


高市総理を推す「サナ活」ブームは十分理由のある現象である/「カッコウの許嫁」のキスシーンにみるこの物語の複雑性と「歴史」性/「地経学とは何か」と「教育安全保障」の必要性/晩秋の夜明け前

Posted at 25/11/05

11月5日(水)薄曇り

昨日の朝は車に乗ろうとしたらフロントガラスが凍結していて少し出るのに時間がかかったが、今朝は凍っていなかった。昨日の最低気温は1.2度で今朝は今のところ3.9度。昨日は多分放射冷却があってかなり寒かった。昨夜も帰りには結構寒さを感じたが、今朝はそれほどではなかったという感じ。ただ、今朝は4時過ぎに目が覚めたのだけど、寝床の中で少し寒く感じた気がする。布団の掛け方とかを少し変えたほうがいいのかもしれない。

5時半頃はまだ暗かったが少し用事があって駅に行ったのだが、ロータリーででかい声で喋る人たちがいて、その横を通ったら誰かと間違えられたらしく声をかけられそうになって、「違うわ」とか言ってスルーされたのだが、まあ夜明け前はまだそういう人たちがいる時間なのだよなと思ったり。職場でちょっと確認をしてそのまま少し離れたセブンまで行き、マガジンをパラパラっと見てサンデーとカフェラテを買う。レジには南アジア系の店員が二人いて後ろを向いて話をしているのですみませんと声をかけたらでかくて日本語がやたら流暢な人がテキパキと相手をしてくれたのだが、初めてみた人だったので少しびっくりした。他の店からの応援だったのだろうか。

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マガジンで読んだ「カッコウの許嫁」に凪とエリカのキスシーンが回想で出てきたので少しえっと思って帰ってから検索してみると「キスシーンまとめ」ができるくらいにはキスシーンがあるらしく、108-109話が回想された場面だったようなのでマガポケで単話買いして読んでみたのだが、そういえばあったような気もする、という感じだった。エリカは基本的に何を考えているのかわからないキャラなのでキスシーンの発動も何かのゴールというよりはある種のハプニングとして起こっているように読めたから、そんなに印象に残らなかったのだろうと思った。

https://pocket.shonenmagazine.com/title/01061/episode/345645

この作品は主人公の海野凪に取り違え子で許嫁の天野エリカ、元カノの瀬川ひろ、幼馴染で売れっ子芸能人の望月あい、とり違われたので血が繋がっていない妹の海野幸の4人とそれぞれやりとりがあるある種のハーレムものではあるのだが、エリカには血が繋がっていない兄の宗助、ひろには元許嫁の寿乃、幸には言い寄る男子がいたりと、それぞれライバル的な男子もいたりして、「君のことが大大大大大好きな100人の彼女」のようなストレートなハーレム物ではなく、また女子同士が仲良くして凪をはぶったりということもよく起こる。また彼らは一人一人自分の将来と向き合っているので、それとの関わりもあって関係も揺れ動くし、凪も彼女たちも一人一人に対してそれぞれ誠実に振る舞っているので、ある意味全体的にわかりにくい話なのだが、だからこそ常にどんなことが起こってもおかしくないという話になり、そうやって起こったこと自体が凪と彼女たちの歴史として刻まれていく、みたいなあまり読んだことがない話なのだよなと思う。

この作品は実は第一話からマガジンで読んでいるのだが単行本は買ってなくて、今はマガジン自体も買ってないのだけど気になる作品として時々マガポケで単話買いする感じになっている。以前はなんとなく読む作品だったのだが最近は結構気になってきてはいるのだが、今月に30巻が出るというのはすでに購入に躊躇するボリュームではあるなと思う。

ただそういう距離感なので今回のように読んでいても印象に残っていない場面とかがある。アニメの方は全部録画してあるのでそちらで見ることも出来る、というのはあるのだけど。さてさて。

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https://news.livedoor.com/article/detail/29888352/

若い女性の間に高市早苗総理に推しを見出そうというか、あやかろうというのか、高市さんの持っているバッグや使っているボールペンなどが大人気という状態になっているらしく、ネットでは「サナ活」と言われているのだという。

https://x.com/C4Dbeginner/status/1984289237819351070

電通などの広告代理店が仕掛けているのではないかという説もネットでは見るのだが、実際に中高生女子のあいだではこの言葉はバズっている、という話もある。

https://x.com/TNK_KNCH/status/1985330182895657040

実際のところ、高市総理は鮮やかな青いスーツで普通にカッコいいし、ふるまいが若々しいから、中高生女子が自分たちの味方だ、と感じるのはわかるなと思うし、憧れると思う。

トランプ大統領と横須賀の空母に飛んで、大歓声の中ぴょんぴょん飛び跳ねて見せるというのはアメリカ人にもウケるだろうけど、女子高生とかにとっても「スゲー」「やってみたい」と思わせているのではないだろうか。

高市総理は昨年からあと一歩のところまで来ながら総裁選で石破前総理に逆転負けし、文字通り雌伏しながらこの秋の総裁選で前評判をくつがえして当選し、鈴木貴子さんなど若手女性を抜擢したかと思ったら公明党が離反して苦労しながらなんとか維新と連立を取り付けて総理大臣になるなど、若い子から見てもすごいと思われるのは当然だろうと思う。

そしてこれまたかっこいい女性閣僚を起用したり、外交の舞台で活躍したりして見事に「やれるじゃないか」という印象を持たせ、「女性は要求ばかり」という印象を覆して静かなリーダーシップを取っているところは男女ともから見て普通にかっこいいだろうと思う。

また出てくるエピソードも夫の介護をしているのはともかく若い頃にドラムを叩いたりバイクに乗っていたりスープラに乗っていたりなど、かっこいい写真がどんどん出てくる。これで憧れる女子が出なかったらおかしいと思う感じである。

麻生元首相や小泉防衛大臣など、男性でもファッション的に優れていると見える存在はいるけれども、やはり女性の首相ということでファッションリーダー的なカリスマ性は女性に対する影響力は非常に強いだろうと思う。まだそういう試みはなされていないとは思うが、彼女が首相になったことによるファッションや小物などの経済効果はそれなりにあるのではないかと思う。

やはり女性から見ても要求ばかりして責任を取らない「わきまえない女たち=フェミニスト」よりも、わきまえた上でトップに立ち、リーダーとしてテキパキと男女の区別など意識の外にある感じで指示を出していく地に足のついたトップリーダーの方がカッコよく見えるのは当然なのではないかと思った。

高市さんが総裁・総理に就任する頃から、あるいはその前からフェミニストや左翼の足の引っ張り方は酷かったし、それもかなりがセクシズム絡みの醜悪なものであったのは彼らの評判をどんどん落としているし、彼らこそが実はガラスの天井の強固な一部だったと認識され始めている。

高市さんの最近の国会答弁などを見ていても、だんだん自信に満ち溢れてきているように思えるし、どんどん「いい顔」になってきているように思われる。やはり政治家というのはトップに立ってナンボ、というところはあるのだなと思うし、彼女が目標にしていたサッチャー元英首相のようなカリスマ性も徐々に身についてきているように思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6498c463188fa604145ccdbfeb41e43e0385458a

まあそういうことを考えれば「サナ活」という現象が起こるのもなんらおかしくはないように思うし、それは電通の仕掛けかどうかはわからないけど、「ラブブ」のような作られたブームだけで終わる現象ではないように思う。彼女を見習って若い女性たちがどんどん政治の世界に進出してくると良いと思うし、それが蓮舫さんや伊東市長のような「わきまえない女」路線ではなく、高市路線で出てくると良いなと思っている。

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昨日は鈴木一人「地経学とは何か」(新潮選書、2025)の「はじめに」を読んだのだけど、経済のグローバル化が新しい段階に入り、経済を武器に使う「エコミックステイトクラフト」という現象が起きてきていて、単なる「国境を越えた経済活動の活発化」を目指す段階から地政学的な安全保障の観念と合わせて経済を考えていく「地経学」とも言われる分野が起こってきた、という話だった。

それと一見無関係に見えるかもしれないが、こういう話も読んだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/84f0d414f449d0ef71ca85e650b2bd242ad3ae3f

https://x.com/smasuda/status/1985303800274731243

国立大学が減らされる傾向にあり、予算も減少しているということがあるわけだけど、これは中国が教育に力を入れて国力を伸ばしていこうというのと正反対の方向で、やはり懸念を感じるところはある。

経済と安全保障に関して「経済安全保障」という新しい観念を導入する必要がある、というのが地経学の一つのポイントなわけだが、これは経済だけに限る話ではなくて、「食糧安全保障」という視点も必要だし、上に述べたような観点から言えば「教育安全保障」というものもまた考えるべきなのではないかと思った。

今は教育は個人が利益を受けるもの、という視点が強くなりすぎているのと、マイノリティ重視のような運動家の考える望ましい国民性みたいなものを育成しようという姿勢が悪魔合体している感じになっているのだけど、より国益の観点からどういう教育が必要なのかを考えていく立場が出てくるべきだと思っている。

これは「産業界が必要としている人材」みたいな短絡的な視点だけではなくて、より世界観や国家観を持った個人を育てることが将来の国家的に有為な人材を育成することにもつながるという視点を、ある意味明治国家の教育の原点に立ち戻って見直す必要があるのだと思う。

戦後レジームの総決算などということが語られてきたが、現実にはまだまだ教育は戦後レジームの中にあるわけで、その辺のところをしっかり立て直していくことはこれからの急務だと思う。高市政権に期待したい部分でもある。

***

「福音派」も読んではいるが、まだまとめて批評したり感想を書いたりするほどではないのでまた後ほど。

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