年の瀬に仕事を片付けたり仕事が増えたり/最近の専門家批判について考えた/「和歌は出世に結びつかない」とか「香港民主派は親日とは限らない」とか

Posted at 25/12/27

12月27日(土)晴れ

今日は冷え込んでいる。最低気温の予想でマイナス9度が出ているが、5時20分現在の気温はマイナス6.9度。それでも今季最も寒いのではないだろうか。二日続けて雨が降り、昨日は雪がちらついて、今日は低音。注意報が出ているが濃霧注意報か。さてどんな感じなんだろうか。

昨日は母を松本の病院に連れていく。雪の予報だったので戦々兢々としていたが、実際には降りはしたが積もりはせず、特に問題なかった。今回も新しいスマートインターから乗って長野道に入り、塩尻北で降りて行ったが、下道もあまり混んでなくてよかった。割合早めについてトイレに行ったりしたが、中の構造がエレベーターがトイレに遠く、何度も往復するのが大変だというのはあるが、イオンの3階屋内の駐車場についてエレベーターから直行ということ自体は楽でいい。天気が気にならないのがありがたい。

診察・処置後に店内を見て回って母のスケジュール帳を買ったりお供えを買ったり、私のお昼ご飯を買ったり。途中で母がゴタゴタいうのでつい大声になったりしてしまったが、帰りの車の中で「今年はありがとう」と何回も言うのでちょっと申し訳ない気持ちになった。母としてもこちらに負担をかけている気持ちはあるのは伝わってくるので、まあやれやれとは思うのだけど、年末である。

帰ってきて昼食後、ツタヤに出かけてコミックゼロサムと「ミワさんなりすます」15巻と「フットボールネーション」20巻を買った。多分これで今年もマンガの買い納めだろう。今年もよく買いました。忙しくてちゃんと読めてないものもある気がする。じっくりマンガに耽溺できる時はいつになるのか、ちょっとわからない。まずなんとかしないといけない、ということが多いなあと。

ここまで書いて5時半を過ぎたので車のエンジンをかけて暖房を入れ、フロントガラスを解凍して、上座敷においてある雑誌をスポーツバッグに詰めて、車で出かけた。雑誌は基本的には作業場に置いてあるのだが、最近忙しくてなかなか作業場に行けないので、買ってきて読んだものを上座敷に積んであるのがもうだいぶ溜まっているから、最新号を除いてなるべく作業場に持っていこうと思って運んだわけである。今回はジャンプとヤンマガとスピリッツとサンデーを運んだが、まだかなり残っている。

作業場では父の蔵書を移した部屋で「日中外交秘録」に出てきた「大東亜戦争の総括」を探してみたのだが、見つからない。父なら買っていそうだと思って探しているのだが、ない。自分が見た覚えがないのであまり期待はできないが、著者陣を見たらいかにも父が買いそうな著者が多いので、ちょっと期待してみたのだが、やはりないかもしれない。帰ってきてから自宅の父の本が置いてある部屋も探したが、やはり見つからなかった。amazonでも品切れのようだしマケプレでもとんでもない値段がつけられているから、図書館で探すしかないかもしれない。

職場に出て少し準備をし、国道を飛ばして隣町のセブン併設のガソリンスタンドへ行く。途中で母から電話がかかってきて、何度目かに繋がったので話を聞いていたら歯が抜けたという。こんな年末になって言われても困るので年明けに行くよ、ということを伝えたが、通っている歯科医のサイトを見ても年末年始の予定が分からないので困った。こういうのは個人医院だと書いてないことはままあるので、後で電話か直接聞いてみようと思う。ガソリンを入れてパンを買って帰ってきた。

***

学者批判というと、左翼の人たちによる政府に関わる仕事をしている学者に対する「御用学者批判」というのがあったり、偽科学的なものの看板になっている学者に対する批判みたいなものがあったりするわけだけど、最近は「専門家」に対する批判が結構強くなってきている。

これは昔から、専門バカという言葉があって、専門は詳しいけれども他のことは世間知がないので学者のいうことはあまり間に受けない方がいい、みたいなことは以前から言われていた。しかし逆に言えばそういう人でも専門は侮れない、というふうには思われていたわけである。

その辺りについても切り込んだのは西部邁さんだったかと思う。「学者 この喜劇的なるもの」でそのあたりに切り込み、学者たちの生態について批判し、それ以降、知のあり方について基本的に保守の立場から大衆への迎合の問題を主に論じておられたと思う。

最近の専門家に対する不満というのは、與那覇潤さんがよくnoteで話題にしている。私は基本的にnoteで読むだけで動画や雑誌記事についてはあまり熱心には拝見していないから見当違いのところもあるかもしれないのだが、特に強く批判しているのはコロナ対策に関する疫学者の西浦博氏やウクライナ戦争の東野敦子氏であるかなと思う。

私は與那覇さんの著作もそれなりには読んではいるのだが、最も読んで面白く勉強になったと思ったのはオープンレターの問題に対するフェミニストの学者たちへの批判で、これはほぼ同意という感じだった。ただその他の著作についてはピンとくる部分とピンとこない部分があり、最近の「センモンカ」批判についても同意できるところと同意できないところがあるし、何よりなぜこんなに熱心に「センモンカ」批判をしているのかが見当がつかないところがあった。

最近いろいろ見たり読んだりして思ったのは、それは與那覇さんが基本的に左翼リベラルだからではないか、と思い出した。これは私の感覚だが、昔から左翼が政府の仕事をする学者を御用学者として批判するのと同様、「体制側」の「専門家」たちをいわば「新たなる御用学者」として批判しているのではないかという感じである。

ただ、体制側と言っても数十年前とは違い、フェミニストやLGBT運動家のような過激な運動家も体制にかなり食い込んできている。だから、フェミニストやその応援団のようないわば極左言論弾圧集団の「専門家たち」に対して強い批判を持つのは私も共有できるが、そうでない「体制側の専門家」たちの批判についてはそれはどうかな、と感じることが多いということなんだろうと思う。

そもそも、「専門家」と言えるということはそれが権威として認められているということであり、そういう意味で言えばフェミニズムなどもかなり権力側の公認思想になってきているわけで、そういう意味では強く体制的であるわけである。だから快刀乱麻を断つような與那覇さんの批判が目覚ましく保守側にも映るということはあるわけである。

しかし例えば、コロナの専門家たち、疫学的な根拠に基づく人流の制限の提案などは、まあ学者としてはそれによって起こるさまざまなリスクを考慮してもやむを得ないんじゃないかと思うし、その様々なリスクを勘案して政策として打ち出すのは本来政治家の役割だから、専門家を矢面に立たせるのは酷なんじゃないかと思っている。私は基本的に日本のコロナ政策は少なくとも感染症の流行に対してはうまくいったという立場だということもあるが、あまりちょっとその批判には乗れないなとは思う。もちろん、これから学際的に政権側からも対策全体を批判も含めて総括していくべきだとは思うが、現時点ではあまり乗れない。

これはまた、ウクライナ戦争に関してもそうである。最近、垂秀夫氏の言説が取り上げられる中で、「中国やロシアのいうナラティブに乗せられては行けない」というものがあり、私も当然そう思うが、一方で「アメリカやウクライナのいうこともまたナラティブではないか」という批判もある。私もそれ自体はそう思うのだけど、私自身としては、アメリカやウクライナのいう「自由主義世界を守る」というナラティブには、日本としては乗るべきだと思っているわけである。

とは言えアメリカはトランプへの政権交代によって必ずしもゼレンスキー政権の完全な味方ではなくなったから、そのナラティブ自体が成立が少し危うくなってきたところもあるのだけど、極東において中国やロシアに対峙していく上では、「自由主義世界を守るためにウクライナを支援する」ということ自体に意味はあると思う保守リベラルは多いのではないかと思う。

私も立場を言えば右派から保守だが表現の自由の問題などもあり、やはりリベラル要素はかなり強いと思う。だから半分は仮の立場として保守リベラルと言っておけばいいかと思うが、つまりは本来のリベラルの部分で極左フェミニスト批判に対しては乗れるが、保守と左翼の体制観の違いによって與那覇さんの言説には乗れない部分が多いのだろうなと考えるようになったわけである。

この辺りは、西部さんの学者批判と與那覇さんの専門家批判がどこがどう同じでどこがどう違うのかについてはもっと考えてみたいと思った。西部さんは自分が保守だというのは明言し保守の思想家についての著作も多いので拠って立つところはわかりやすいのだが、與那覇さんの思想的バックボーンは加藤典洋さんに共感するということは分かったがその先がまだよくわからないところがあり、また読んでいければと思った。

***

昨日は「謎の平安前期」も「日中外交秘録」もそれなりに読んだのだが時間がないので少しだけ書いておくと、平安前期は漢詩文の才能によって出世することはできた、それはつまり漢文が公式文書である律令制においてそれはプロの学習であり仕事であったのだが、和歌の才能によって出世することはできなかった、つまりそれは知識がなくても誰でもわかるアマチュアの趣味に過ぎなかった、という話である。確かに歌学の最高峰である紀貫之でさえ、同じ紀氏の紀長谷雄のような出世はできず従五位の土佐国司が限界だったわけで、他の歌人たちも和歌の才能は認められても身分は低かった。それは、平安時代の終わりに権中納言などの官位に上った藤原定家らが和歌の権威になった時代とは違うわけである。

「日中外交秘録」では、香港の民主派というのは周庭さんらのように親日だと思われがちだが、大きな勢力である香港民主党は反大陸ではあるが反日でもある、という指摘は大事だと思った。自由と民主主義を守る香港民主党=親日=応援しなければ、みたいなのもまあもちろんナラティブなわけであり、そこら辺はしっかり認識しないといけないが、ナラティブであったら乗ってはいけないということはないわけで、そこは自覚的な選択だなと思ったわけである。

対中ODAの戦略的な使い方:「日中外交秘録」/年の瀬の忙しさ/藤原北家の家系の荘厳と「源氏物語」の世界:「謎の平安前期」

Posted at 25/12/26

12月26日(金)雪が降ったり止んだり

昨日は午前中に外でいろいろ済ませようと思っていたのだけど9時ごろにはブログを書き終えていたのだけど結局出かけたのは11時くらいになり、銀行に出す書類を書きに職場に行ったら事務の人と話し込んでしまい、結局書類を書き終えて出たのが12時半くらいになってしまって、それから銀行に行って書類を提出したり資金を補充したり。昨日はビッグガンガンの発売日だったので少し離れた書店まで車を走らせたが、いつも通る道が工事中で通れなくて違うルートを通ることになったり、そもそもあまり適当でない道を通ったりしてしまって、なんだかあまり調子が出ていない感じである。書店でビッグガンガンと「綺麗にしてもらえますか」11巻を買い、車に戻ってイオンまで走って三菱UFJ銀行の口座に資金を補充。お昼の買い物をして郵便局に行こうと思ったが、もう1時半近くになっていたのと通帳を忘れていたこともあって後にすることにし、家に帰った。年の瀬だからか車が多く、思ったより時間がかった。

お昼を食べてから少し休んだらもう出かける時間で、目的地についてから郵便局に行き忘れたことを思い出して通帳を持って郵便局まで歩いて往復した。切手を買おうかと言う気持ちもあったが入金する通帳とお金しかなかったのでまたの機会にした。

まあこうして買いてみると忙しくて疲れているのか結構判断が鈍ってるなと思う。今日は雪だけど松本の病院に母を連れていくので気をつけていくようにしたいと思う。

昨夜は12時前には寝たが目が覚めたのが4時前で、もう少し寝ようかと思ったが寒いので寝室のストーブをつけたがあまり寝付けなかったので4時半前には起きた。居間のファンヒーターの灯油が切れていて、赤タンクから補給しようとしたら赤タンクにもない。昨日給油しようと思って忘れていたことを思い出した。暗い中懐中電灯をつけて外のタンクで赤タンクに給油。雪の予報だったがまだ星が出ていた。家の中に戻ってファンヒーターのタンクに給油。いろいろと手間はかかるが仕方がない。

いろいろやっていたら時計を見たら5時半で、ゴミを捨てに出かける。外に出たら雪が降り始めていて、車にもうっすら積もっていた。セブンへ行って週刊漫画Timesを買い、職場に出てゴミを処理し、お城の近くのファミマまで行ってスペリオールを買って帰ってきた。まだ暗くても6時を過ぎていたので歩いている人がいて、注意しないと危ないなと思いながらゆっくり走った。

***

https://amzn.to/494H3F5

「謎の平安前期」171/273ページ。今まで読んできて思ったのは、平安時代というと一般には藤原氏(北家)が娘を天皇の妻にして天皇の子供を産ませ、祖父(外戚)として権力を握る、と言う構図が語られているけれども、それだけではないのだなと言うことである。逆に、藤原北家は天皇や皇族の娘を妻に迎え、それによって家系を荘厳していると言うことも大きいなと思ったのである。

例えば藤原良房の正室は嵯峨天皇の娘の源潔姫なのだが、天皇の娘、特に内親王は基本的に皇族の妻になることになっていて、例えば幕末の有栖川宮と和宮の婚約などのような感じであるわけである。しかし実際には内親王は結婚しない例がだんだん増えていたのだけど、良房の場合は天皇の娘を妻にしているわけで、これは一応源氏に臣籍降下したから、と言うことのようだ。しかしそのために他に妻を持たなかったので、娘が一人しかいなくて甥の基経を後継者にし、またその妹の高子を清和天皇の中宮にすることになったのだという。

基経は仁明天皇皇子の人康親王の娘を妻にしているが、名前はわからないようだが二世皇族なので立場としては女王ということだろう。そしてその間に生まれたのが時平・忠平の兄弟であり、ここから初期摂関家が皇室の血(仁明天皇曾孫)を引くことになる。忠平の妻で師輔の母は文徳天皇の子源能有の娘昭子で、師輔は文徳天皇の曾孫でもあることになる。師輔は醍醐天皇の三人の内親王を妻にするという当時としても破格の婚姻関係なのだが、摂関家を最終的に継承する兼家の母は藤原氏だが、後に三清雅家の祖となる公季の母は康子内親王で、公季は醍醐天皇の孫ということになるわけである。

兼家も正室は藤原氏の娘だが、その子道長は妻は二人とも源氏であり、正室の倫子は宇多天皇三世の孫、明子は失脚した醍醐天皇皇子の源高明の娘なので二世の孫ということになる。倫子の子の頼通の正室は村上天皇の孫の降姫女王である。

読んでいてへえっと思ったのは内親王が結婚しにくいという話で、源氏物語でもその辺が反映されていて、内親王として出てくるのは藤壺中宮と女三宮の二人であり、二人とも不義の恋に悩むという話になっているというわけである。兵部卿宮の娘の紫の上は女王ということになり、また常陸宮の娘の末摘花も女王ということになるのだろう。これは調べてなるほど思ったのだが、常陸宮の父の帝が誰だかは書いてないようだが、藤壺中宮や兵部卿宮の父の「先帝」は桐壺帝以降の当時の皇統とは別の流れという感じで描かれているといい、そう考えるとこの「先帝」というのは光孝天皇即位以後主流から外された陽成天皇的な立ち位置と考えるとわかりやすいようには思った。

***

https://amzn.to/4qtg39n

「日中外交秘録」162ページまで。昨日読んだところで印象に残ったのは、対中ODAの使い方について。垂さんによると、対中ODAはただ単に中国側に利用されていたわでではなくて、戦略的に活用した例もある、とのことである。

中国共産党においては省や市などの地方の幹部がのちに党中央で出世の階段を登ることが多いというのは江沢民にしても胡錦濤にしても習近平にしてもそうだったわけだけど、地方都市の幹部は日本からのODAを歓迎しているので全人代で北京に来るとき、日本大使館に来てもらって大使と会食するという形で関係を形成していったのだという。これはなるほどと思ったのだが、中央政府同士の関係で二進も三進も行かなくなることが日中関係にはよくあるわけだけど、そうしたより若手との、あるいは若手同士の関係がそれなりに形成されていくことは結構重要だろうなと思った。またそういう資金を使って若手幹部を日本に留学させたりもしていたようで、そういう形で日本通を作るということ自体は悪くないだろうなとは思った。現在のようにこれだけ日本に来る中国人が増えてくると別の問題は起こってくるわけだが。

***

今日は母を松本の病院に連れていくのでここまでで。

「生理痛疑似体験電気ショック」問題を考える/中国海軍の東京近海進出と国民への警告/日本の「おわび外交」の転換点でもある「反日」江沢民の1998年の訪日:「日中外交秘録」/日本史研究の飛躍的進展

Posted at 25/12/25

12月25日(木)小雨

今日はクリスマスだが、雨の朝。昨日の夜からも降ったり止んだり。予報を見ると、午前中は晴れていて午後は雨、明日は雪が降りそうだということで、母を少し遠い病院に連れていく予定なのでちょっと困ったなと思ったり。ただまあ、今考えても仕方がないのでとにかく安全に行って帰ってこられればいいなと思う。

昨日はブログ/noteを書いた後雨の中車で出かけて銀行に行ってから、渡そうと思っていたお歳暮の品を忘れたことに気づき、家に戻ったがもう12時になるのでお昼ご飯を食べてから出かけることにした。家で少し必要な連絡をしてご飯を食べて一休みしていたら2時前になり、慌てて出かけてお歳暮を届け、書店に行って「ガクサン」13巻を探したがなく、逆に見落としていた「整う音」を見つけてそれだけ買ってから、スーパーに行って牛乳と本だしとバターと和菓子を買って、図書館に行って「たとえば自由はリバティか」を返却した。この本はとてもよかったので結局自分で買ったのだが、図書館で借りてしっかり読めるというのは本当にありがたいなと思う。

せっかく来たので何か平安時代に関するものを借りたいと思って探したがいいのがなく、とりあえず玉井力「平安時代の貴族と天皇」(岩波書店、2000)を借りた。それからツタヤに回って「ガクサン」を探したが無く、結局Amazonでポチることにした。結構時間が忙しくなってしまったが、雨は降り続いていて、強くなったり弱くなったり。暮れに天気が荒れるのは珍しいことではないにしても、クリスマスのあたりは降るなら雪だったのだが、やはりなんだかちょっと地球が変わりつつあるのかもしれないなとも思ったり。

借りてきた本を少し読んだが、わずか25年前の本であるにも関わらず、やはり最新の研究動向と比べると少し前の時代のものだなという印象を免れない。それだけ研究が飛躍的に進展しているのだなと思うのだが、内容ももちろん読むべきところはあると思うが研究史的な読み方もしたほうがいいのだろうなという気はした。

***

https://x.com/wildriverpeace/status/1999352583270580534

私は小学6年生の頃、ずっと頭痛に悩まされていて、いろいろ病院も回って脳波の検査をしたりしたが原因がわからず、小さい頃に中耳炎をやっていたと母が言うので耳鼻科に行ってみてもらったら、実は副鼻腔炎(当時は蓄膿と言った)であることがわかり、しばらくその治療をしたのだが、そうやって鼻が通ってみると嘘のように頭痛が消え、「他の人たちはこんなスッキリした頭で生きていたのか」と感動するとともに、羨ましいと言うか妬ましい気持ちも起こったことがあった。

もちろん、自分が苦しいからと言って他の人も苦しければいい、と思うのは間違っているのだけど、人間にはそう言う気持ちもあるだろうなとは思う。友人と話していて、メンタルがあまり調子の良くないことが多い人に、共通の友人が鬱になったらしいと言う話をしたら、「自分だけじゃないと思ってすごく気が楽になった」と言われたことがあった。自分は大変なんだ、と言う気持ちが強いと、どうしてもそう言う気持ちが起こると言う部分もまた、人間にはあるのだろうと思う。

東京都が男性幹部職員に電気ショックを与えて生理痛体験をさせると言う話について考えていて、自分や友人のそう言う経験のことについて思い出していたのだけど、やはりそれは何かおかしい。ネットを読んでいると、男子生徒に生理痛体験をさせると言う試みも広がっているそうで、これはちょっと早めに中止すべきだと思った。基本的に痛みのない人に痛みを与えると言うのは傷害である。それは一時的なものかもしれないが、痛みというのは後遺症的に残ることがあり、実際のところペインクリニックなどでも痛みの原因というのは千差万別だからさまざまな治療を試みていくしかなく、また消えるとは限らない、厄介な症状であるらしい。

というのは、私の母がおそらくは脊柱管狭窄症や変形性膝関節症などが原因で痛みを抱えていて、もう10年以上痛み治療に通っているのだが、緩和はすることはあってもなくなることは無い。整体に通って話を聞いたり読んだりしていても、痛みがなくなるということは必ずしも良いことではなく、生きている以上は痛みは感じると思っていた方がいい、という部分もあるという話も聞いた。痛み治療については母を連れて病院にいくつも通った経験上、いろいろなことを勉強したが、私の副鼻腔炎によるものなど原因がはっきりしていれば治療すれば治るけれども、その原因が除去されてもそれが脳に記憶として残っていて、原因がないのに痛みを感じることも多いのだそうだ。それを考えると、不必要な痛みを与えるということがいかに合理的でないか、非科学的であるかがわかるかと思う。

「ひとは他人の痛みを感じることはできない」とよくいうが、これは精神的なことだけでなく、生理的・物理的にフィジカルな面でもそうである。痛みを科学的に客観的に測定することはできない。ただその人の訴えを聞いて対処するだけである。痛みにしても、他のことに集中しているときは感じなくなったりすることもよくあることである。痛みで動けないと言っていたおばあさんが地震が来たら真っ先に走って逃げ出した、などという話もあるが、それだけ痛みは個人的なもので、他人にはわからない領域なのである。

だから、人工的に痛みを与えて「同じ痛みを経験させる」などということは、全く非科学的なことであるわけである。「同じ痛み」など無いからだ。これは単なる加害行為に過ぎず、人権上の問題は多すぎる。それが体罰や暴力が強く禁止されている学校現場で行われるというのは全く見当違いも甚だしい。

こうした発想が起こってくるのは、おそらくは障害者の不便を知るために車椅子での生活を体験してみる、というようなことからの類推だろう。もちろん、車椅子の体験をしてどこや何が不便であるとかを把握し、それをバリアフリー化に活かすということはあってもいいだろう。特にその事業の担当者が実際にやってみるということに意味はあるだろうと思う。

しかし、車椅子で生活をすることで障害者の生活に理解が深めるということをしても、何か傷として残るということはまず無いだろう。外傷も痛みも与えられるわけではない。女性の苦しみを感じさせるために人工的に擬似的な生理痛を体験させる、というのとは根本的に違う。人権上も刑法上も科学的にも医学的にも第一に倫理的にも問題がありすぎる。

生理痛は生理がある時期の女性しか経験しないことだが、それなら男性が圧倒的に多い工事現場での事故などを女性に擬似体験させるべきかと言ったら、そんなことを肯定する人はいないだろう。運転免許更新の教習で交通事故の恐ろしさをこれでもかと映像を見せるのがあるが、まあ逆に言えばあれで耐えられないようなメンタルの人は免許を持つべきではないという割り切り方もできる。

この辺りのところは、実際には家庭教育や学校教育でも互いに対する思いやりという範疇の話として行われるべきことであり、それが人間としての最低限の倫理だろうと思う。こうしたことは間違っている、という認識が広く広がり、こうした試みがなるべく早く中止されるようにしてもらいたいと思う。

***

権利の平等という点で今現在最も問題があるのは女子枠問題だが、苦痛と不利益の平等、ないし分担という点で将来問題になり得るのは兵役つまり徴兵制の問題だろう。イスラエルのように男女とも兵役が課されている国ならその点で問題はないが、韓国は日本以上にフェミニズムが猖獗を極めている(日本フェミニズムも韓国の影響下にある部分もあるようである)のだが、韓国では男子のみに兵役が課されているわけで、男女間の対立は日本よりはるかに強くなっていて、その結果かどうかは一概には言えないが少子化は日本以上に進んでいる。というか東アジアでは日本が最も少子化の進行の抑制に成功している国だという話もある。

それはともかく、兵役が問題になるのは、現在のところ中国の脅威の問題が一番大きい。垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいても習近平政権になってからの中国の社会的な締め付けや経済的帝国主義的傾向、軍事的拡張政策の進展はかなり深刻なレベルになってきているようだ。

https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003648786376327517

今年の6月7日に空母遼寧と新型空母が南鳥島付近で発着訓練を行ったというのだが、これはもちろん日本の経済水域の中で、しかも東京から1900キロしか離れていない。東京に空襲にやってきた米軍の飛行機はサイパン島からきたわけだが、2400キロである。B29の航続距離を考えてサイパンを奪取し空襲が行われるようになったわけだが、現在の兵器の性能から言って1900キロというのは目と鼻の先だろう。

アメリカは在韓米軍の烏山基地を自由に使えるように韓国側と交渉していてそれは北京から940キロという距離になるので中国は猛反発しているわけである。南鳥島は日本の最東端であるから中国のいう第二列島線よりもさらに東になるが、この海域で中国はレアアースの採掘を狙っているとのことで、この中国の動きは首都防衛の観点からも資源確保の意味からも非常に敵対的な行動であることは確かである。

空母遼寧の艦載機が自衛隊のスクランブル機にレーダー照射したというのもこういう状況の延長線上で把握すれば彼らがいかに侵略的であり威嚇に出ているかも理解できる。

https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003775074554576898

その後米海軍の空母ジョージワシントンがオーストラリアから北上し、遼寧も新型空母も海域から撤退したが、こうした軍事情勢の緊迫はもっと報道されるべきだと思うし、防衛省自衛隊側ももっと広報しても良いことだろうと思う。小泉進次郎氏が防衛相がになって明らかに政治家として覚醒し、頼もしい感じになっているのも、こうした危機の状況が役職に対するブリーフィングによってより明確に認識したということが大きいのだろうと思う。

東シナ海の油田開発で日中中間線より日本寄りのところを掠めていくくらいならまだ小狡いで済む(済まない)が、明らかに日本のみの経済水域にある資源を狙ってくるというのは侵略的と言っても過言ではないだろう。

問題はこうした行為が石破政権下では全く問題視されなかったということにあるわけで、この辺りは石破政権への流れを作った岸田氏も後悔したのではないかと思われる。今回の高市氏の選出に反対はしたが選出後は牽制するような発言にとどまっているのも、石破政権のやらかしに対する見方も含まれているのではないかと思う。

結局のところ、高市氏の台湾有事への言及に関しても、こうした中国の台湾だけでなく東アジア全体、特に日本の領域に関する進出(侵略)を図っているという前提があってのことであり、そうしたことはもっと起きらかにしてもらえると良いなと思った。

https://x.com/JAMSTEC_PR/status/2003616616765079919

https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003781956228763840

高市首相は代表質問に答える形で南鳥島近海のレアアースの開発をアメリカと協力して進めることを表明したが、これはトランプと利益を共有するということであるだけでなく、歴史的文脈もあることを踏まえておけば良いと思うのだが、日本が日露戦争に勝利して南満洲鉄道を手に入れたとき、アメリカの鉄道王ハリマンが共同経営を持ちかけてきたことがあった。元老には同意する動きもあったが、元老たちのような帝国主義国の怖さを身に染みて知っている世代ではない、新世代の小村寿太郎が断固拒否して流れたという経緯があった。彼らの外交観は日本を世界の大国の一員とすることを目指すということで、それ自体は悪くはないが、大国と利益をシェアすることで利益だけでなく防衛や責任もシェアできるということを軽視してしまったということだと思う。

もし南満洲鉄道がアメリカ側との共同経営になっていたら、満洲事変は起こらなかっただろうし、また満洲の経営についても実際の歴史とは全く違ったものになっていただろう。日本が血を流して勝利したのだから利益を独占するべきだという形の国粋主義が必ずしも良い結果をもたらさない。日露戦争の「勝利」もセオドア・ルーズベルトの調停あってこそというのは小村も理解していたはずなのだが、その辺りは後知恵なのでなんとも言い難い。

https://diamond.jp/articles/-/376014?page=4

同じようなことは戦後もあり、GHQに接収された富士製鐵の広畑製鉄所をめぐり、イギリスのジャーディン・マセソンとの合弁を主張した白洲次郎と富士製鐵の永野重雄が対立し、殴り合いになるという事件があった。これは経済的ナショナリズムの立場の永野と利益共有によるイギリスの後ろ盾を得ることを構想した白洲との対立で結局は永野の側が勝ったのだが、同じようなことだと言えるだろう。

もちろん、ハリマンやジャーディン・マセソンと共同経営をした方が本当に成功したかということについてはわからない。アメリカにしろイギリスにしろ、今のトランプ外交を見ていればわかるように日本と中国とは常に天秤にかけているし、またアメリカ人には伝統的になぜか「中国の巨大市場」という幻想があって(これも何か古典的な書物に書いてあるのではないかという気がする)、日本の頭越しに直接交渉して日本が蚊帳の外に置かれ、後で対応に苦慮することがあるからである。典型的なのはキッシンジャー外交で、日本の頭越しに、特に佐藤栄作内閣の時に福田赳夫外務大臣が入院中に米中会談が行われて国交回復に向かい、日本が対応に苦慮したということがあった。その後創価学会の池田大作氏やいわゆる右翼の大物の笹川良一氏らの中国への働きかけもあり(「日中外交秘録」で読んだ)田中内閣で日中共同声明を出して国交は回復することになるが、日本が後手に回ったことは否めない。

だから南鳥島沖のレアアースの日米共同開発もどうなるかはわからないが、ここにアメリカを一枚噛ませることで中国の進出を抑止できることは確かであり、そうした状況全体の中におけるピースとしての高市首相の台湾有事発言であり、尾上定正総理大臣補佐官の核所有発言であったことは押さえておく必要はあるだろう。

こうした発言は中国の虚偽の「日本の軍国主義の復活」というナラティブに有利に働くことは事実なのだが、国民に中国の危険性への警鐘を鳴らすという意味では大きな意味はあるだろう。オフレコ問題も実際にはちゃんと明確なルールを設けるべきだとは思うが、日本の左翼リベラルや報道機関が中国のナラティブに易々と乗せられている現状は変えていかなければならないだろうと思う。

***

https://amzn.to/4qtg39n

垂秀夫「日中外交秘録」、今156/538ページ。第三章「情報と人脈」の第四節、「前例にとらわれない知恵と戦略」の民主党政権時の尖閣沖漁船衝突事件のあたりのところを読んでいるが、印象に残ったところを少し書いておきたい。

それは第三節の「中国共産党の大物たち」に出てくる曾慶紅と野中広務の関係を説明する中でのことで、1998年の江沢民来日の際に小渕首相との間で「日中共同宣言」を出すことを中国側が求め、それを1972年の「日中共同声明」と1978年の「日中平和友好条約」に続く「第3の政治文書」にしようという意図があったのだという。

この直前に結ばれた金大中韓国大統領との間での日韓共同宣言では歴史問題として「心からのおわび」の文言があったのだという。これは、今考えると「なんだそれは」と思うが、1993年の宮澤内閣河野官房長官による河野談話や細川首相の「侵略戦争」発言、1995年の村山談話という流れを思い出すと、日本との因縁も深い金大中との間に「金大中拉致事件」をめぐる日本側への感謝表明と引き換えにそうした文言を入れた、ということはまあ当時は許容範囲だったのだろうなと思う。調べてみるとまだ当選2回の新人議員だった安倍晋三元首相が強く反対していたのだが、そんな力は持ち得なかったのだろうなと思う。

で、結局中国側は結ばれるべき新たな「日中共同宣言」に「心からのおわび」の文言を入れるように強く求めてきたが、政府内では日中間の歴史問題は決着済みという立場であり、最後までこの文言を入れることを拒否したため、江沢民は国賓として招かれながら日本で歴史問題を強調してばかりいて、天皇陛下の御前の宮中晩餐会ですら「日本軍国主義は大概侵略拡張の誤った道を歩み中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けました」とスピーチしたため、日本国内で一気に反中感情が高まり、江沢民は反日であると強く印象づけることになったわけである。日中共同宣言は形の上では出されたが両首脳の署名もない失敗した文書になったわけである。

これは逆に言えば日本が、というか小渕首相がよく踏みとどまった、ということになるが、韓国との関係もその後日韓W杯で嫌韓感情が高まったり、本質的な対立はやはり「植民地支配」のナラティブが無くならない限り解消し得ないものだなと思うし、中国も共産党の正当性を騙る「対日戦争の勝利」という蒋介石の業績の簒奪によるナラティブ(というか日本は実際にはアメリカに負けたのであって中国に負けたわけではない)をやめない限り、本質的にフラットな関係に立つことは難しいだろうと思う。

しかし江沢民時代というのは日中対立が激しくなった印象があるが、今の習近平時代に比べればまだ遥かに牧歌的で、それは中国がまだ経済建設の最中だったからということはあるだろう。2000年ごろに中国のロボット技術について「先行者」が話題になったことがあるが、当時は日本はすでに「アイボ」が販売されていて、技術の差は明らかだったのである。

「日中外交秘録」はとても面白いしスリリングな記述が多いのだが、90年台の江沢民時代の次が2009年以降の民主党政権の話に富んでいる印象があり、小泉政権や安倍・福田・麻生政権の時代が今のところパスされている印象がある。垂さんもWikipediaを読むと2003年から2011年の間は本省勤務のようなので中国との直接的な交渉については書きにくかったり機密に触れることが多いのかもしれないとは思うが、まだ先を読んだら出てくるのかもしれない。

***

歴史というものは本を読まないとわからないわけだが、自分が生きている現代のことについても、報道などを見ているだけでは全然わからないことが本当に多いのだなとこういう本を読んでいると改めて思う。報道というのは客観的にやるべきものだし、また政治的に色がついていないことが重要なわけだが、ある意味皆外野な訳で、当事者の話というのは全然迫力が違うわけである。当然ながら当事者には立場があるからそこを客観的に見ていかなければならないが、読者の側にも立場はあるわけで、日本国を愛するという立場が共通しているということもあって垂さんの本は読んでいて血湧き肉躍る的な部分があるのだろうと思う。生きた現代史を理解し、この先のことを考えていくためにも、もっと本を読んでいかなければならないなと改めて思っている。

「謎の平安前期」を読みながら、「謎の10世紀」についていろいろ考える : 日本史の地殻変動の時代なのではないか

Posted at 25/12/24

12月24日(水)雨

今日はいわゆるクリスマスイブだが、雨が降っている。この時期に長野県で雨が降るということは全体的にかなり気温が高いということだろう。山下達郎の「クリスマス・イブ」では「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」と歌われているが、予報では明日も雨である。しかしクリスマスが本来イエスの誕生日であることを考えると、イエスが生まれたベツレヘム(パレスチナ)で雪が降るということもあまりないだろうから、ホワイト・クリスマスという良い慣わしも雪が降るヨーロッパ北部で始まったものだということなのだろう。

今朝は起きたら5時半ごろで比較的よく寝たという感じ。少し懸案になっていたことがなんとかなりそうなのと、昨日は母を病院に連れていったのだが、それが比較的順調に済んだ(結構時間はかかったが)ことでホッとしたということも大きかったと思う。年の瀬になって忙しいだけでなくいろいろな対応もあるのでなかなか気が抜けない感じではある。今日明日外でやる用事を考えているので、なんとか雨が止んでもらえるといいなと思うのだが。

https://amzn.to/494H3F5

平安前期のことを色々考えながら「謎の平安前期」を読んでいるのだが、宇多天皇・醍醐天皇の初期の藤原時平が太政官を主導していた時代には律令制の再興が図られた最後の時期だとされていて、延喜格式や六国史の最後の「三代実録」の編纂などにそれが現れているとされているわけだけど、それは時期としては時平が死ぬ909年まで、ということになる。「謎の10世紀」の最初期である。学者官僚のトップであった菅原道真が失脚するのが901年だから、この辺りで「漢学(儒学だけでなく律令制など中国の政治思想体系全般も含めて)の時代」の取り敢えずの終わり、と考えていいかとも思う。もちろん貴族の基本教養が漢学であることはその後もしばらくは変わらないわけであるけれども。

時平の弟の忠平は賢明で温厚であったとされ、菅原道真の祟りも忠平にも及ばなかったとされる。彼は949年、村上天皇の初期まで生きて「貞信公記」という日記も残している。この間には935年から941年にかけての承平天慶の乱や出羽俘囚の反乱など全国的に騒乱が起こっているわけだが、周知の通り関東等に土着した軍事貴族の軍事力が主に用いられて反乱が鎮められていくということになる。これがいわゆる武士の起こりとされているわけだが、つまりはそういう変化もまた10世紀だということになる。

藤原利仁、藤原秀郷、源経基・満仲・頼光、平高望と四人の息子たち、そして孫の貞盛・将門なども皆10世紀の人で、やはりこの時代は日本史の地殻変動の時代であったことは間違いないようには思う。謎の4世紀に大和朝廷の胎動期があったのと同じである。

いろいろ読んでいて思ったのは、「漢意(からごころ)」の時代が時平まで、忠平以降が急進的な変化を求める中国思想の導入を抑えた「大和心(やまとごころ、やまとだましい)」の時代になった、と捉えるのが良いかなと思った。この辺りは何度も書いているが「源氏物語」の「少女」の巻で貴公子であるのに大学に入学させられる光源氏の長男・夕霧について源氏が教育論を展開しているのが知られている。一方で学者たちはどうでも良さそうなことで喧喧諤々の議論を繰り広げる様を戯画的に描かれていて、これは道真をはじめとした学者たちが超自然的な力を持つに至ったように描かれたことと同じく、実際面での力を失いつつあることの表れだと考えて良いのだろうと思う。

「平安前期」は158ページまで読み、第六章の斎王、今は賀茂の斎院についてのところを読んでいるが、第三章・第五章・第六章が宮中や皇族・貴族の女性たちについての記述になっていて、これだけ大きくページが割かれているのは「女性」についての研究が進展したからで、そういう意味では意味があったとは思う。面白いと思ったのは藤原師輔についての話である。

師輔は947年に村上天皇が即位し、父・忠平が病になった年に右大臣となり、960年に53歳で右大臣を辞し死去しているが、娘の安子が村上天皇の中宮となり冷泉・円融両天皇を生んでいるので、現在の皇室の祖先の一人でもある。摂政・関白にはならず、970年まで生きた兄の実頼(関白太政大臣)に官位では劣るが、兄に負けない影響力を内廷的には持っていたわけである。

彼もまたまさに10世紀の人なのだが、彼が特筆すべきことは、正妻の藤原盛子(父は藤原南家の経邦、従五位武蔵守という受領階級だが、裕福であったと考えられ、兄に対抗する財力を持つ必要があったためと指摘されている)に加え、三人の内親王(醍醐天皇の娘)を妻に迎えていることである。

師輔の後継者である伊尹や兼家、また両天皇を産んだ安子は盛子の子なのだが、康子内親王は閑院流の祖である藤原公季を産んでいる。彼は幼くして母を亡くすが姉の中宮安子に引き取られ、宮中で皇子たちと共に育てられたといい、997年には内大臣に上り、1017年には右大臣、1021年には太政大臣になっている。摂関家の嫡流でないのにこの地位に登ったのは母が内親王であったというのが大きい、とこの本では指摘されていて、後に三条・西園寺・徳大寺の清華三家の祖になり明治維新にも影響を与えているが西園寺家は特に院政時代に大きな権力を振るったわけで、ある意味摂関家を没落させる原因にもなった、と指摘している。

師輔が内親王を三人妻にできたのは実質的な権力者だったから、ということしか書いてないのだけど、それが10世紀という時代にのみ可能なことであったということではないか、という気もして、その辺りのところもちょっと考えていければなと思った。

実頼の死後は師輔の長男・伊尹が太政官を主導するが972年に亡くなり、そのあとは兼通・兼家の争いが977年まで、小野宮家との争いが986年まで続き、そのあとは兼家とその子道隆の政権が995年まで続くが、公卿八人が亡くなり一条天皇も罹患した天然痘の流行で道隆が死ぬと、その子伊周との争いに勝った道長がより安定した政権を築いていく、という展開になる。謎の10世紀は疫病と「源氏物語の時代」の開幕で終わるわけである。

逆に言えば、源氏物語が舞台にしている宮中の様子は10世紀のことであると考えられる部分が大きいわけで、そこからも10世紀について考察することは可能なのだろうと思ったりもする。

そんなことを調べながら考えていたらあっという間に時間が経ってしまった。こういう時間をもっととっていくようにしたい。

***

こういうことをやっていると時事的なことを見る余裕がなくなるわけだが、まあそういうことを「浮世離れ」と呼ぶのだろうなとか。まあ普段いろいろ大変だからそんなわけでもないのではあるが。

こちらもよろしく

文化系ブログ
アート、小説、音楽、そして映画NEW

史読む月日
歴史のこと、歴史に関わる現代のことなどNEW

個人的な感想です(FC2版)

個人的な感想です(ameblo版)
漫画・アニメの感想などNEW

私のジブリ・ノート
ジブリ作品の感想・考察などNEW

生きている気がするように生きること
自己啓発、事業、ガジェットメモ、服装メモなどNEW

Feel in my bones
心のこと、身体のこと、その他のこと、そしてつぶやきNEW

スタジオみなみ
小説作品サイト

少女タイラント(仮)
小説の断片ブログ

本探し.net

本探しブログ

本を読む生活

読書案内ブログ

プロフィール

author:kous37
sex:male


電子書籍のご案内
KOBOストアで買う

最近のエントリー

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

2025年12月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
 今日の点取り占い  点取り占いブログパーツ
kous37
携帯百景 - kous37
携帯百景

Powered by ついめ〜じ

電子書籍のお知らせ

リンク

blogram投票ボタン
にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ


以下はamazonインスタント
ストアを利用しています。
詩の本のお店
2007年に取り上げた本
面白そうだな、読みたいな
アンジェラ・アキ ストア
玉姫伝説
白洲正子コレクション
小林秀雄コレクション
村上春樹の森
プーシキンを読もう!

モーニングページ、アーチストデートなどはこの本で。
野口整体について、入門的な内容を網羅しています。


ブログパーツ
全順位
ブログパーツ

全順位
あわせて読みたい

フィードメーター - Feel in my bones
total
since 13/04/2009
today
yesterday