「冬至の高速道路」と「荷物を取りに行く」など/古代の出自のわからない「王」たち/

Posted at 25/12/23

12月23日(火)晴れ

今日は上皇陛下の誕生日。平成の天皇誕生日である。92歳。譲位されてもう6年半。お元気、とは言えないまでも日常生活を送られ、軽井沢に静養に行かれたり御所で賓客にお会いになったりはしているようで、お年よりはお元気でお過ごしのように見受けられる。天皇陛下も来年2月には66歳になられるし、譲位されたのは賢明なご選択であったなと思う。穏やかに日々を過ごしていただければと思う。

昨日は冬至。2時半に家を出て車で帰郷したのだが、5時過ぎにはもう真っ暗になっていて、流石に冬至だなと思った。中央道の途中で西日が真正面からさし、左手でしばらく遮ったりしていた。日の沈む方角は季節によって変わるから、最も南寄りに出る冬至の日にあのあたりが見にくくなるのだなと確認。一年でこの時期にしか使えない知識だが。

昨日は午前中、9時過ぎにバスで郵便局に出かけ、不在票の入っていた荷物を受け取る。1枚は更新されたETCカードで、もう1枚はドコモの携帯の手続き関係の書類だった。もう機種変更は済んでいるのだが部署間の連絡がうまくいっていないということか。大企業というのはそういうことがよくある。仕事による割り振りではなく顧客ごとに担当がつけばいいと思うのだが、もうそういう余裕もないということだろうか。まあ大企業だからそれでもやっていけるということでもあるようには思うけれども。

大きい荷物だと思って用心して出かけたのだが思いのほか小さかったので帰りは歩いて帰った。途中でモールの横を通ったので除いていこうかと思ったら入り口に人がたむろしている。時計を見ると9時55分で、開店待ちだということがわかった。他のスーパーは8時か9時には開店しているから、ある意味殿様商売だなと思ったのだが、専門店の開店に合わせているということなのだろうなと思ったり。

家に帰ってから一休みして、また歩いて図書館に行く。郵便局まではバス停にして5個分、図書館まではバス停2個分。普段歩く駅はバス停3個だからまだ近いとは言えるが、東京だとやはり結構歩くなと思う。車で出てもいいのだが東京の駐車場は時間貸しに止めているので出入りしたら最大料金が2度発生するのであまり使えない。シューベルトのCDを返却して帰りに和菓子屋さんで塩サバ弁当を買って帰宅。昨日は出歩いたのは地元だけで、「謎の平安前期」と「日中外交秘録」を読んでいた。

ゴミをまとめて出したり洗濯したりして2時半過ぎに家を出、駐車場から車を出したのは2時台だったのだが、昨日はずいぶん道が混んでいて、近くのローソン併設のスタンドへ行って給油して出るときに時計を見たら3時15分だった。ローソンでコーヒーを買ったり、出ようと思っていた時に電話がかかってきて対応したりしたということもあるのだが。ガソリンはリットル148円で、ついに140円台で給油でき、郷里から自宅への片道で13.5リットルで2000円を切った。こういうことがあると少し嬉しい。

ローソンを出てから高速に乗るまでの下道も結構混んでいてインターに乗る交差点で2度信号待ち。首都高はメチャ込みというほどでもないが渋滞はしていて、竹橋ジャンクションで今までにないくらい時間がかかった気がする。それでも高井戸を過ぎたあたりで流れは良くなった。都心環状線を走っている時に日本橋道路元標という表示があり、ああいま日本橋の上を通過したのか、と思った。石川PAについたのが4時半近くになっていたので、やはり混んでいたなと思う。

そのあとは境川PAでトイレに行き、地元のインターで降りて書店で少し本を見てスーパーに行って夕食を買い、荷物を取りにヤマトの営業所に行って帰着したら7時前だったのだが不在票が入っていて、いろいろあったが結局8時半ごろ届けてもらった。年末は何かと忙しい。

今回は読む時間があったら読もうと思って岩波文庫の「原文対照 古典のことばー岩波文庫からー」(1995)という本を持っていった。史記列伝の引用として「非知之難也、処知則難矣」という言葉があり、いいなと思って調べたらこれは「韓非子」からの引用だった。岩波文庫では1994年に「韓非子」が出ているのでこれから引用すればいいのにと思ったが、編集段階で混乱があったのかもしれない。パラパラと見た感じ。

逆に自宅から実家の方へ3冊ほど持ってきた。遠藤慶太「六国史」(中公新書)、中村修也「平安京の暮らしと行政」(山川出版社日本史リブレット)、モーリス・デュヴェルジェ「フランス憲法史」(みすず書房)。2冊は平安前期関係、1冊は「たとえば自由はリバティか」の関連で少し考えてみたいと思ったので。読む時間がどれだけあるかはわからないが、今読んでいるのを読み終わったら読もうと思う。

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榎村寛之「謎の平安前期」第五章139ページあたりまで。面白いと思ったことは、現在は氏姓がないのは皇室=天皇家だけになっているが、大伴氏や物部氏などの氏名(うじな)を豪族集団が持つようになったのは6世紀らしいとのこと。その例証として稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文が挙げられているのだが、そうなると雄略天皇の時代には氏名がなかったことになり、日本書紀の葛城襲津彦などの氏はどういうことになるのかなどと思ったのだが、この辺はもう少し調べてみないとわからないかなと思った。

また天皇の子孫の「王」というのも上古は明確な決まりはなかったようだが、数代を経て賜姓され貴族になるというのが多治比真人の例などを挙げられていて、8世紀には橘宿禰→橘朝臣の例、9世紀になると天皇の子女が朝臣の賜姓をされるケースが出てくる。これはもともと天皇の与党としての貴族を太政官に増やすという意図があったと分析されていたが、醍醐源氏の源高明のあたりから、摂関家の一員としての要素が強まる、と分析されている。9世紀の後半には太政官から藤原氏と源氏以外の貴族がほとんど姿を消し、「古代貴族の終焉」と言われるようになる、という経緯を辿るのだと。

平将門の乱を読んでいても「興世王」という人物が出てくるが、この人の出自は不明で、仮にも「王」を名乗る人の出自がわからないというのはちょっと驚くのだが、天智天皇や天武天皇の恋人だったとされる額田王もやはり系図がわからない人で、案外そういう「王」は多かったのかなという気もする。ただ、飛鳥時代にはともかく平安時代になってもそういう人がいたというのはちょっと驚くのだが、興世王自身が「謎の10世紀」の人なので、記録の散逸ということなのかなとは思う。歴史というのはちょっと掘り下げるとえっと思うことが多い、というかこちらの常識とか類推とかでは捉えきれないことはやはり多いなと思う。

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「日中外交秘録」は138ページ。第三章「情報と人脈ー裏チャンネルに真髄がある」の第三節「中国共産党の大物たち」のところ。表題の通り、中国政府の「裏チャンネル」を張り巡らし、正式ルートを飛び越えて李鵬首相と佐藤大使の面会を実現した話などは面白いなと思った。もちろん外交官だから「書けない話」は山のようにあるだろうけど、書ける話だけでもかなりたくさんあるというのはやはり活躍されていたのだなと思う。

その他なるほどと思ったのは、現在の習近平体制の状況は毛沢東時代の末期に似ているということ。つまり後継者がいない、という状態だということだ。毛沢東の後は華国鋒が継承したが、毛沢東が主要な人材をほとんど粛清していたのでかなり小粒な人しかおらず中国の不安定化が懸念されたが、失脚していた鄧小平が復活し、主導権を握ったことで安定した、というわけである。鄧小平は「凡人でも安定した政権を維持できる」集団指導体制を作り、胡耀邦の死で混乱した天安門事件の後に江沢民、その後に胡錦濤という「普通の指導者」が後を継いだわけだが、習近平は集団指導体制を廃して独裁を強めていて、そのために後継になり得る人がいなくなってしまったというわけである。

毛沢東の死後はたまたま鄧小平が野に降る形で残っていたからまだなんとかなったが、今回はそういう存在もいないということで、習近平没後の中国の混乱に備えなければならないという提言はなるほどと思った。

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読み返してみるとなんだか文章がごちゃごちゃしているのだが、頭の中もちょっとごちゃごちゃしているのだけど、今日は母を病院に連れていったり他にもやることがあるのでこの辺りで。


垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる:「毛沢東、レーニン、キッシンジャーを読め」という極めて実践的なアドバイスに唸る/おたくの熱気に当てられる/東京は守りに入ると生きにくい

Posted at 25/12/22

12月22日(月)小雨

昨日は出るのが少し遅くなり、10時20分ごろに実家を出て、セブンでミルクティーを買う。少しジグザグな経路をたどって国道経由で地元のインターで高速に乗り、八ヶ岳PAまで走ってトイレ休憩。そのあと釈迦堂PAまで走ってお昼を買う。いつもは焼き肉弁当などを買うのだが昨日は腹具合が少し心配で少し高めの甲州弁当を買った。そのあと石川まで走るつもりだったがトイレに行きたくなり、藤野PAで休憩。そのあとは家まで走るつもりだったが、調布あたりでやはりトイレに行きたくなって、永福PAによってトイレに行った。結構駐車場が混んでいてもし入れなかったら代々木まで行くかと思っていたが、一番はしっこに一つだけあいていたのでやれやれとそこに入れる。そのあとは首都高も順調に流れて自宅横の駐車場も一つだけ空いていたのでちょうどよくそこに入れた。全体にこのくらいがトイレ休憩としてのペースとしていい感じかもと思った。

自宅に帰着して昼食。お弁当は美味しかった。しばらくいろいろやって、郵便局の荷物の不在票が2枚入っていたのでどうしようかと考えたが、外出して7時までに戻るという制限をつけない方がいいなと思い、翌朝取りに行くことにして出かけた。東西線に乗って茅場町で乗り換え、秋葉原へ。ラジオ会館へ行こうと思ったのだが、行ってみたら日比谷線からはかなり遠く、これは銀座線神田駅の方がよかったなと後で思う。というか秋葉原に行き慣れていた頃なら当然そういう選択をしたのだがなあと後で思った。

ラジオ会館というのは初めて、かまたは数十年ぶりなので、いまはあんなおたくの殿堂みたいになっているということは知らなくて、ちょっと当てられた感じがした。4階のあみあみのふつうの軽音部のショップが出ているので行ったのだけど、小さいスペースだった。運転している最中からなんだか右足が痛くて歩くのが面倒になっていたのだけど、結局はとっちのアクキーだけ買って外に出た。さてどうしようかと考えたのだが、脚は痛かったが神保町まで歩いた。

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「たとえば自由はリバティか」を買おうと思って小川町の三省堂仮店舗に入ったのだが無くて、結局神保町まで行った。画材屋の喫茶室に入ろうかと思ったが混んでいてやめて、東京堂によったり書泉グランデによったりして結局何も買わずに半蔵門線で大手町に出て、丸善で本を買って東西線で地元の駅まで帰り、西友で夕食の買い物をして家に戻ったら6時過ぎだった。

買ってきたもので夕食を済ませ、うたた寝をしてしまったので11時ごろ布団に入った。2時半ごろ目が覚めてしまい、寝付けなくなって起きたり寝たり。4時過ぎに起きだして入浴したり。どうもいろいろペースが悪いのだが、ちょっといろいろ疲れがたまってきてはいるのだろうと思う。

今近くのローソンにジャンプとヤンマガ、スピリッツと朝食を買いに行ってつらつら考えていたのだが、つまりはこの世というのは、特に東京というのは守りに入ると生きにくいのだよなと思う。やりたいことをやる、というのは攻めの姿勢だからその方が生きやすい。やりたくないこと、経験したくないことを避ける、という姿勢はどうもどんどんそういうものを呼び込むなと思った。

昨日どうも必ずしも充実しなかった大きな原因は、ラジオ会館で若いおたくのエネルギーに圧倒されてしまったことにあるのだなと思った。もちろん、そういうところだと思って行ったわけではないので不意打ち的なものがあったのだけど、すげえなと感心してすぐ切り替えてじゃあ自分はどうするか、という方向に行けばよかったのだなと思う。まあ前向きに考えよう。

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垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる。いま102ページまで。垂さんは1961年生まれで私より1学年上なのだが、釜ヶ崎の小中学校を出て府立の名門・天王寺高校に進み、一浪して京大法学部という経歴。私は高校2年生まで関西にいたので、近くにいたのだなと思う。私は1年間実家の方の高校に通って現役で東大に合格したが、垂さんは共通一次試験で満点近くを取ったので京大に志望を変えたのだそうだ。私は8割強で東大でも足切りを心配するくらいだったし、合格したのは幸運だったが、垂さんはさすが順当な進路だ、とは思うが、兄弟ではラクビーと麻雀に打ち込み高坂正尭ゼミにもほとんど出席しなかったそうで、豪傑タイプの大学生である。私も芝居と美術館通いばかりである意味似たようなものだったが、垂さんはラグビーをしながらも外交官試験の勉強をしてストレートで合格しているところが違う。あの当時そんな明確な志を持っていたらまた違う人生だっただろうなとも思うが、ラグビーと芝居では人生に身につくものが違うからさてどんなものかなとは思うが。

興味深いことはいろいろあるが、外交官試験の面接で何でもラグビーに結び付けて応えていたら「ラグビー以外に何かないのかね」と聞かれて答えに窮したとか、二次試験後に外務省の職員が自宅訪問して父君が「外交官は名家出身でないとなれないから西成釜ヶ崎では無理だ」と反対したが合格したとか、当時でもなおそんな習慣があったのかというのはちょっと驚いた。

昨日今日読んだところで一番印象に残ったのは入省後に世話になったという浅井基文氏の話だった。土曜の半ドン後によく神保町に連れて行かれ、「中国を理解するには、中国共産党を知らなければならない。その論理を知るためには毛沢東を読み込むことだ。外交の要諦はまず相手の内在論理を把握することから始まる」というのは、今ならよくわかるが、自分が新人だったらどんなふうに思ったかなと思う。そこで「毛沢東選集」全5巻を買ったが代金は浅井氏が払ってくれたとか、次に大事なのは共産党という組織の本質を理解することで、そのためにはレーニンを読み込まなければいけない、といわれて「レーニン十巻選集」を探したがそれも浅井氏が払ってくれたのだという。

日本の官僚や会社などでの先輩後輩関係はいろいろ言われているが、何というか活躍する人にはいい先輩がいてちゃんと面倒を見てくれるというのは美風だなと思った。今でもそんなことがあるのかは知らないが。

そして三つ目に大事なのはキッシンジャーで、対中戦略や対中外交を学ぶためにはキッシンジャーから戦略的思考を徹底的に学んだ方がいい、と言われ、古本屋にはなかったので外務省の図書館でコピーして読んだのだという。浅井氏は英語の原書の「キッシンジャー秘録」を自分が読んだ後にくれたのだそうだ。

そして何でも勉強すればいいというものではなく、「マルクスは読む必要がありますか?」と聞いたら「マルクスまでは読む必要はないです」と答え、また孫文については「余裕があれば読んだ方がいいけど、大変だろうからそこまではいいです」と答えたのだそうで、そのへんが何でも読まないと気が済まない学者タイプとは違う、理にかなった効率的な中国理解の手段だったということで、まさに実務家の外交官の勉強というものだなと思ったのだった。

浅井氏は共産党の不破議長と共著を出すような思想の人だそうだが、その関係を堂々と公開されるというのもやはり垂さんも豪傑だなという感じがした。

それにしても、「毛沢東、レーニン、キッシンジャーは徹底的に読め。マルクスや孫文はまあ読まなくてもいい」というアドバイスは本当に実践的だなと改めて思う。中国共産党は革命政党であり、その実践をした毛沢東と共産党政権をつくった元祖であるレーニン、そして彼らと渡り合って成果を上げたキッシンジャーという3人の選択は本当に理に適っているなと思う。人にアドバイスをするならこういうアドバイスをしたいものである。もちろん、それにこたえられるだけの力量が垂さんにあったということも大きいわけだが。

最後に一つ付け加えると、初めて北京で鄧小平を見たときの、圧倒的なオーラの描写が凄いと思った。そして「鄧小平以外の人物にオーラを感じたことがない」ということも忘れずに付け加えている。つまり、習近平も「鄧小平以外の人物」であるということである。この辺のレトリックはさすが外交官だと思うが、そこに日本の勝ち筋も見出せればとは思うのだった。

「オフレコ破り」は倫理的にも問題だが何よりマスコミ自身の首を絞める/やっていくこと/「謎の平安前期」:女官の権力を奪って発展した藤原氏のことなど

Posted at 25/12/21

12月21日(日)曇り

ぐずついた天気。昨日から雨が降ったり止んだり。最低気温が3.7度なのでかなり暖かい。気象衛星画像を見ると、日本の北西側と東南側に前線の雲が見える。南から暖かい空気が入ってきているということだろうか。12月の最初はかなり寒かったのに季節が逆戻りした感じ。北日本でも豪雪の後に雨が降ったり、結構始末に困るだろうなと思う。熊もまだ出るようだし、「12月はこうだからこう」みたいなことがあまり通用しない感じになってきた。

とは言え年中行事が変わるわけでもないし、母を病院に連れていく用事なども変わるわけでもない。年賀状はとりあえず母に書いてもらう分以外は昨日投函したので、とりあえずは終わり。あと年末の仕事で残っているのは大掃除関係とお歳暮配り。ただ今日明日は帰京していろいろやりたいこともある。

「たとえば自由はリバティか」を読んで、自分の中でやるべきことというか、こういうことをやっていこうということがだいぶ見通しが良くなってきた感じはする。ただ、まだはっきりと、とか見えてきた、というところまでは行ってないので、この暮れの間にその辺をもう少しはっきりさせていきたいと思う。政治とか経済とか法とか結構避けてきたものが実は自分にとって大事なものだったとわかってくるのは面白いと言えば面白いが、人生があまりに自分の思い通りにならなくてこんちくしょう、という感じでもある。ただ今生のうちに何かを掴んでそれを形にしないととは思うので、それが実現できたら良いなと思っている。実現はさせたい。というか実現させる、と断言しておいた方がいいかなとは思う。という感じ。

昨日からなんとなく腹具合が変な感じはするのだが、決定的に変というわけでもなく、まあ日常行動の中で少し気をつけるかなという感じ。適度にコントロールしながらなんとかしよう。徹底的に寒くないのはありがたいと言えばありがたいのだが、そのせいで気持ち悪いということもなくはない。まあ痛し痒しの似たり寄ったりである。

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「謎の平安前期」は読めば読むほど面白くて、第二章は9世紀が地方出身者でも学者として出世が可能な時期だったのが、だんだんそれも家系的に独占されていく、中世的な「家の業」みたいなものが成立していく感じがあり、元々は藤原氏以外がそれをきっかけに伸びてきていたのが、10世紀の終わりになると藤原氏の傍流の中にも学者の家系が出てきて、それがたとえば紫式部の父の藤原為時だったりするというのも面白いと思った。

菅原道真の父の菅原是善が大学で学ぶために設けた「菅家廊下」や、菅原氏や大江氏が教育機関として関わっていた文章院に対して藤原氏が勧学院を設けるなども藤原氏の傍流の救済策の側面があったらしいというのもなるほどと思う。しかし藤原為時は菅原道真の孫の菅原文時に学んだとあるので、もっと融通のきく話だったのかも知れない。

第三章は女官の話なのだが、奈良時代は女帝の時代だという認識はあったが、平安初期まで女官の時代でもあった、というのはきちんと認識できていなかった。というか、この時代の女官研究は今飛躍的に進んでいるのだそうで、おそらくはフェミニズム的なものと関係はあるのだろうけれども、そんなことを考えなくても非常に面白いなと思った。

奈良時代は橘氏の祖である県犬養三千代をはじめ多くの女性が出てくるなという認識はあったが、彼女らは律令制の中でちゃんとした役職を持った女官であり、天皇の秘書的な役割や物品管理、文書や天皇の意思の伝達の役割を果たしていたというのは認識はしていなかったわけではないが、改めて考えるとなるほどと思った。そういう形で女性が行政に深く関わり、職場恋愛で皇族や藤原氏の妻になることもあり、また逆に妻の職能的な力が優れていたために夫が出世したりなどもあった。宮中の女官というと平安後期以降の天皇のお手つき的なイメージが強いけれども、平安初期まではむしろ実務的な力が買われていたというのは面白かった。

そしてその状況が変化したのが薬子の変であったと。藤原薬子も尚侍(ないしのかみ)であり、女官としての権力と平城天皇の寵愛という男女関係もあり一族で権力を壟断したとみなされたというわけである。そしてそうした女官たちに代わって天皇近侍として権力を掌握していったのが令外官である蔵人であったと。つまりは藤原冬嗣が嵯峨天皇の蔵人頭になることによって女官の持っていた権力を蔵人が奪った、という指摘は非常に面白かった。

また聖武天皇の娘であり光仁天皇の后であった井上内親王が横死せざるを得なかったのも、権力争いもあるが井上内親王自身が女帝になる可能性もあったから、というのはちょっと目から鱗だった。考えてみれば彼女の姉は孝謙・称徳天皇であり、彼女自身が天皇になっても何らおかしくなかったという指摘は頭が平安朝になっていると見落としがちなことだなと思った。

第四章では天皇をめぐる「護送船団」の話になるが、奈良時代には天皇に権力が集中していたかというとそんなことはなく、太政天皇(上皇)も同じように権力を行使することができた、という指摘はなるほどと思った。文武天皇の時は祖母の持統上皇が、聖武天皇の時には叔母の元正上皇が、孝謙天皇の時には父の聖武天皇がいて、また「皇親政治」と言われるように多くの皇族がさまざまな形で天皇をサポートしていた、という指摘も割と目新しかった。だから桓武天皇がライバルになる皇族を排除していって独裁的な力を奮ったのはかなり例外的な状況だったというわけである。

この天皇の「護送船団」は嵯峨天皇の時に再び組織されていき、太政官において他氏族と対立しがちな天皇を近臣としてサポートする臣籍降下した皇族たち、つまり嵯峨源氏の源信や源融などが高官に登って天皇をサポートし、太政天皇の地位は薬子の変ののちは天皇に及ばないものにされたが、「天皇の父」としての家父長的権力は行使できる仕組みを作り、また藤原良房を娘(源潔姫)婿にして取り込み、嵯峨天皇の系統に皇位を独占させることに成功したが、次代の仁明天皇は病弱、文徳天皇は幼帝ということで嵯峨天皇没後は良房が後釜として皇親的権力の中心になることに成功した、という図解もわかりやすかった。摂政や関白という地位も少なくとも当初はそうした皇室との濃い血縁関係があってこそのものだというのは大変わかりやすかった。

たとえば藤原時平・忠平兄弟の父は藤原基経だが母は仁明天皇皇子の人康親王の娘であり、彼らは仁明天皇の曾孫ということになる。忠平の妻は宇多天皇の娘、文徳天皇の孫など皇族や賜姓源氏であり、摂関家は皇族の子孫としてもその家系の尊貴性を高めていったのだというのはあまり認識していなかったがそうなのだなと思った。のちの荘園の本家となれるのは院や女院、それに摂関家や鎌倉殿に限られるわけだが、一応皇親であり実質的な最高権力者である鎌倉殿だけでなく院政ののちは実質的には最高権力者で亡くなった摂関家がなぜ特別扱いなのかという疑問もあったのだが、そうした形で尊貴性が十分に高かったのだなと納得したりした。

いろいろと読んでいてつながってくることが多く、大変面白い。

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時事的なことで一つだけ書いておくと、高市政権の高官が言ったとされるオフレコでの「核保有」発言についてだけど、これはまさにそうだなと思った指摘があったので引用しておきたい。

https://x.com/azabu_food/status/2002372027345412349

「大谷選手がマスコミを信用できないからSNSで家族の写真を発信したこと、各政党がマスコミを信用できないからSNSで自ら説明するようになったこと、任天堂がマスコミが飛ばし記事を連発するからニンテンドーダイレクトという仕組みをつくったこと、全部マスコミがゴミだから起こったことなんだよね。」

これは全くその通りの指摘だと思う。大谷選手にしろ、自民党をはじめとした各政党にしろ、トヨタイムズにしろ、ニンテンドーにしろ、結局は「マスコミは信用できない」と思われるようになったから彼らは直接発信を始めたわけである。特に、SNSの時代になったために、個人の発信能力は格段に伸長した。

そんな中で、「オフレコ」という約束で語られたことが「公益性があるから」という彼らの独善的な判断で報道されるというようなことは、「マスコミは信用できない」ということをさらに強めるだけではないだろうか。自分で自分の首を絞め、マスコミの居場所をどんどん無くしているのではないかという気がする。

また別の観点から言えば、オフレコ発言を取り上げて騒ぐというのは、鍵アカのツイートをバラして新進気鋭の歴史学者を地獄に陥れ、その研究を何年にもわたって妨害した「オープンレター」事件と同じ構造だということになる。この事件では左翼的な学者たちやフェミニスト学者などが署名してデジタルタトゥーになっているわけだが、今マスコミのやってることは全く同じだろう。簡単に言えば同じ日本人として、或いは人間として恥ずかしいと思ってもらう必要があるように思う。

https://x.com/KomoriYoshihisa/status/2001937348125437984

上のツイートでも指摘されているように、オフレコに関しては英語圏ではより厳密な規定があるようなのだが、どこで見たのか見つからなかった。日本でも、よりその辺をはっきり明文化させて、「複数社よんどいてオフレコのつもりになってるのはモグリww」みたいな事態が起こらないようにしたほうが良いのではないかと思った。

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「ふつうの軽音部」91話や「日中外交秘録」などに関しても書きたいことはあるのだが、今日はこの辺りで。


金利引き上げと円安・人民元高/台北の通り魔事件と中国の影/「謎の平安前期」の出世する学者たち/年賀状/「冬嵐記」と戦国時代前半の家系成長戦略

Posted at 25/12/20

12月20日(土)曇りのち雨

今朝は曇りというか少し雨が降ったらしく、外に出てみると路面が濡れていた。起きたのは6時前で、最近からすると少し遅めなのだが昨夜はうたた寝をしてしまい、ソファで起き上がって時計を見たら1時半だったから、布団の中にいたのは4時間半くらいだということになる。少し洗い物をしたりご飯を仕掛けたりし、6時30分頃に出て隣町にガソリンを入れに行った。今日は154円で140円台には届かない感じだが、この辺りでも多分もっと安いところはあるのだろうなとは思う。丘の上のデイリーに回って塩パンを買って帰ってきた。

昨日は午前中母を病院に連れていき、印刷した年賀状を一枚一枚見せて、誰に出すかを確認していたのだが、ほとんどの人が誰だかわかったようで、最近はいろいろ記憶が怪しいところが多いとは思っていたが、そういう点では記憶は割合しっかりしているのだなと思ってそう言ったら、そりゃそうでしょという感じの反応だったのでまあそんなことで褒められても嬉しくないわね、みたいな感じでおかしかった。まあ頭がしっかりしている方がもちろんこちらとしてはありがたいわけだが。

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西友で買い物をしてから母を施設に送り届けたあと、ツタヤに走って「チャンピオンRED」2月号を買う。目当ては「絢爛たるグランドセーヌ」で、ウィーンでの代役の舞台に成功したカナデのもたらしたバレエ仲間たちへの波紋、という回だったが、一番強くライバル視しているさくらの反応が相変わらずで、共に育っていく仲間たちという感じが良かったなあと思う。

今回はちらっと読んだ「冬嵐記 福島勝千代一代記」という作品が面白く、まだ4話だったのでバックナンバーで11月号の1話から読み直してみたのだが、へえっという感じで面白かった。この作品は「小説家になろう」で話題になり単行本化された作品のコミカライズということのようだけど、福島勝千代=北條綱成という実在の戦国武将を主人公にしているのだけど、実は現代の43歳の男が死後転生して6歳の勝千代になったという設定になっているわけである。だから「6歳とは思えないような」落ち着いた果断な振る舞いで危機を乗り越えていくという話になっているのだが、1話から4話まではピンチの連続で、1話冒頭の今川家当主・氏親(実の父)との対面の場面に行くまでは気が抜けない感じになっている。

彼を守ろうとするヨネや段蔵、弥太郎のキャラもいいし、時々ご都合主義だなと思うところはあるにしても、実際のところこのように振る舞わなければ生き残れなかっただろうなとも思うので、そういう意味では事実と整合性のある物語になっていると思った。

氏親との対面が1519年だから、氏親の叔父であり「新九郎奔る!」の主人公である伊勢新九郎盛時(北条早雲)が亡くなった年ということになり、氏親の嫡子である義元が生まれた年でもあり、武田信玄が生まれるのが2年後の1521年なので、戦国時代前半の話ということになる。のちに早雲の子の氏綱に迎えられて娘婿になり、後北条氏の一族・玉縄北條氏を継ぐようなのだが、今後の展開の楽しみもあるのでまだあまり調べないようにしようと思う。

それにしても、当時の武将たちが割合簡単に養子をもらっているのもちょっと面白いなと思った。上杉謙信の後継争いの一人になる上杉景虎は北条氏康の七男であり、後継者になる景勝(謙信の姉の子)の姉を妻としているわけだが、割と奇異に思っていたのだが、他氏から一族に迎えられる例が他にもあることを知っていくとそういうものだったのかというふうな気はしてくる。今後の展開も楽しみにしたい。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/eda63e12a7badc833ec4ad8b7645620f1639436b

昨日の出来事で印象が深かったのが二つ。一つは、日銀の政策決定会合で政策金利が0.75%に引き上げられたにもかかわらず円安が進んだということ。これは高市政権の積極財政政策への懸念というものが円安傾向をもたらしていたのが、実際に金利が引き上げられるともう織り込み済みにされてしまった、ということだという解説があった。この辺りは投資家の思惑というものが左右するからなんとも言えないのだが、0.75%は30年ぶりだと言ってもその数年前には数%の金利があるのが常態だったわけだから、それに比べればまだ金利はかなり安い。ただ、金利が実質ない時代が続いたので、国民の間での対応が戸惑いが起こるのは仕方ないかなという気はする。金利高・円安というのはまあいい状況ではないから、早く経済の回復を堅調にすることが大事だろうと思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/2892581b74e161644b675b8d05a78b5be36d1e42

最近の傾向で気になるのは、人民元に対しても円安が進んでいるということで、これは中国政府の思惑はどうなのかと思ったのだが、中国政府は基本的に元高をあまり歓迎はしていないようなので、現在の傾向は中国政府がそんなには関係していないのかなとは思う。ただこの辺はまだあまり研究されてない感じはするので観察していく必要はあるのではないかと思った。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/1e49e764c03bf5715ee78c006111b84bf89c563c

もう一つ気になったのは台北における無差別殺人事件。犯人は兵役逃れで指名手配中の27歳だったというから、対中関係の緊張の中で起こった事件と考えて良いのだろうと思う。彼が本省人なのか外省人なのかなど、背景はよくわからないのでまだなんとも言いにくい面はあるが、台湾の人々の受け止めもまだ出ていないのでその辺もまだよくわからない。

https://www.rti.org.tw/jp/news?uid=3&pid=181991

事件が起こったのは台北駅と中山駅の周辺とのことだが、報道ステーションで後者を日本語で「なかやまえき」と読んでいたのが気になったのだけど、電車内の車内アナウンスでは日本語放送は「なかやま」と読んでいるらしく、へえっと思った。

当然ながらこの中山の名前は中華民国の建国者である孫文の号である「中山」に由来しているわけだが、元々この号も孫文が日本亡命時代に名乗っていた「中山樵(なかやま・きこり)」という偽名に由来しているところがいろいろとややこしい。東アジアの歴史を象徴するような名前ではあるなと思った。

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「謎の平安前期」69ページまで。春澄善縄という学問を修めたことで参議・従三位の公卿にまで成り上がり、「続日本後紀」の編纂にも携わった人物についての話が面白かった。彼は渡来系で伊勢の員弁郡に定着した氏族の出身で、郡司の家系だったという。そうした地方出身の人物が藤原良房ら藤原北家が勢力を強めていた時代に学問の力で成り上がり、モノホンの貴族にまで成り上がったというのはやはりすごいことで、中央の学問家系である菅原氏などに比べても特異な例だろうと思う。

これは著者が三重県の研究機関にいたから見つけられたことでもあるようなのだが、逆に言えばこの時代の郡司層はまだ財力を傾けてこうした秀才を教育するだけの力があったということになるわけでもある。彼は怪異のようなものを好んで記録したようで、それは陰陽的な考え方からそうした兆しを見つけることを政治に反映させようとしたのであるらしく、ある意味伝説や民話を収集した柳田國男などにも通じるものがあるように思ったが、逆に言えば彼の怪異趣味というかオカルト趣味みたいなものが平安貴族の迷信深さにつながったという指摘もしていて、歴史への影響の残し方もいろいろあるものだなと思ったりした。

こういう学者たちが「源氏物語」の少女の巻あたりでは笑い物にされたりしているわけで、この間の王朝における彼らの地位についてもいろいろ考えるところはあるが、その辺りはまたこの本を読んでから考えたいとも思った。

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