「ふつうの軽音部」70話「照準を定める」を読んだ:ライバルは通じ合うが相入れない/マンガの上手さと歌詞との響きが生み出す表現の幅

Posted at 25/06/15

6月15日(日)雨

今朝は暗いうちから、というか昨日の午後からずっと雨が降っていて、特に午前3時台から5時台くらいが強く降っていた。昨夜は夕食を食べながらブラタモリを見た後、うたた寝をしてしまって10時ごろ改めて布団で寝たのだが、ずっと考え事をしていたせいか2時半ごろに目が覚めてしまい、あまり寝付けない感じだったので入浴して温まってもう一度寝床に入り、少しは寝られたと思うが眠りは浅かった。起きたのは5時前後か。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567266456453373

読むかどうか迷っていた「ふつうの軽音部」70話「照準を定める」をこの時点で読んだのだが、鳩野たちの「はーとぶれいく」と鷹見たちの「protocol.」の勝負、プロトコルの最後の曲の「インフェルノ」を聴きながら「私の中でははっきりと答えが出た。この勝負は私たちの負けだ。・・・私と鷹見の実力差がありすぎる」と思いながら、「どうしても認めたくない。努力しているとか情熱があるとかそんなの関係ない。私はお前が私よりギターうまいのが許せない」とすごい顔で睨みつける荒々しい描線の顔がカッコ良すぎて、思わずトイレに行った。

鳩野はそう思いながらも先輩たちがどう判定を下すかが気になっていたわけだけど、いざ発表となったら喜田とたまきの二人が「投票先を変えたい」と言い出し、より混沌としてくる。喜田は最初ははーとぶれいくに入れていたのが思い直してprotocol.に投票したのだが、鳩野は喜田と鷹見が仲がいいことを知っていたのでむしろ「最初ははーとぶれいくって書いてくれたことが意外」と思う。その理由をくどくど説明し始めて、鳩野は「ほんとに誠実だな」と思うが、鷹見は「大志さん話長いっす」と一刀両断して喜田の投票の行方が決まった。二票目はたまきなのだが、またこれも一筋縄ではいかなそう、となるところで「次回、第71話「勝敗を分かつ」は6月22日(日)配信予定!!」となった。

鳩野はやはり、「憧れのたまき先輩」にどう評価されるか、というのがとても気になっているわけで、玉木が投票先を変えたというのがどういうことなのか、という説明もとても気になり、「めちゃくちゃ気になってご飯も半分しか食べられません」というほどらしい。このセリフのセンスはめちゃくちゃおかしいのでこういうのをライブ中のMCでも入れていけばいいと思うが、大阪では受けないだろうか。それとも何か元ネタがあるのかな。

集合場面でプロトコルの男子たちの髪や服装がライブ直後の乱れが出ているとか、鳩野がチラッと恋する乙女の表情で水尾の方を見るとか、それをみて厘が不思議そうな顔をするとか、相変わらず芸がいろいろ細かいなと思うのだが、ライブ後にプロトコルをうちわを持って応援していた三人組が滂沱の涙でぐしゃぐしゃの表情をしているだけでなく、鷹見ファンの女子が鼻血まで出してるとかやりすぎてていいなと思った。また、田口が観客に手を振り、鷹見があごの汗を拭っているのに、遠野はいつもの表情に戻り、水尾に至ってはさっさと出て行っているのが性格が現れていてこういうのもうまいなと思った。こういうのを実際、「マンガが上手い」というのだろうなと思う。

それにしても前回の鳩野が「鷹見、なんか言ってる・・・?」と鷹見の歌に何かを感じた描写から、通じ合うものがあるのか、二人は歩み寄るんだろうか、みたいな感じが少しあったのに、今回はもう闘志を燃やしているのでこのギャップはすごいなと思った。ライバルだからこそ通じ合うものがある、のか、通じ合うものはあってもやはり相入れないライバルだ、ということか。ジャンプである。

前話の69話の話だが、9ページ目の兄弟の別れの場面で「兄貴には食っていけるほどの才能はないねんて!」と叫んだ鷹見は、「お前はずっとそんなふうに思っとったんか」と言われて、「周りの人もそう言ってたから・・・」と言ってしまい、「他人の言葉の陰から兄を痛烈に批判した」みたいになった自分に動揺したわけだが、それが「岩屋の陰に潜みあなたの痛みも知らず」という歌詞になっているのだということに今更気づいて、「自分ではすごいと思ってる大好きな兄」の「予想されてしまう失敗」を恐れるあまり、他人の言葉で兄を撃った自分を「のろまな山椒魚」だと言ってるのだ、という解釈に至った。

小説ももちろんそうだけど、マンガは特に絵だけで示すことでミスリードさせることもあれば多様な解釈を許容する場合もあり、またその中どの解釈が正しいのかは後になってわかる、というようなことも多いのだけど、「ふつうの軽音部」のライブ場面では特にもう一つ、歌われる「邦ロックの歌詞」という要素が絡まってさらに読みを複雑にする、ということがある。そしてそういう想像に任せる部分(ただし正解がないとは限らない)が漫画というものの魅力をさらに増しているんだなと思う。絵とセリフと歌詞が響き合うポリフォニー、と言ったらかっこつけすぎか。

***

この文章を書いている途中で電話が入り、ここ数日いろいろ考えあぐねていた話がなくなったので、なんだかホッとしたりちょっと残念だなと思ったり。まあ複雑な心境だが、いろいろ考えさせられたことが良かったかなとは思った。自分自身がこれから本当には何をやりたいのか、この機会にもう少し踏み込んで考えないといけないなと思う。自分一人でそれについて考えるにはやはりそんなには自分を追い込めないので、追い込んだ状況で答えをどう出すかを考えるにはいい機会だったなということにした。

雨は止まないが、時間も押してきたのでそろそろ出かけようと思う。

マンガにおける異種交配:「寝坊する男」「ドリブルヌッコあーしちゃん」と「キルアオ」

Posted at 25/06/14

6月14日(土)曇り時々雨

昨日ちょっとーいろいろと考えなければいけないことがあって、まあそのせいもあって今朝は早く起きてしまったのだが、4時ごろに起きていろいろやってから5時15分ごろ出かけてガソリンを入れに行った。信号のところでふと横を見るとスズメがいて、なんだか最近見てなかったよなと思ったら2羽のスズメが車の前に出てきたので追い払った。強く生きてほしい。

隣町に行ってガソリンを入れたが、172円でアプリのクーポンで7円引きだったから165円。まあこのくらいで落ち着いてくれるといいのだけど、イランとイスラエルの戦争も始まりそうなのが懸念材料ではある。なんとかエスカレートしないでもらえると良いのだが。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567266456453190

今朝読んだマンガでは「寝坊する男」がよかった。人間の善性についてのかなりシリアスなやり取りの中に、ちょくちょくギャグを挟む手法がいい。ギャグが挟まれてもその問い自体の深刻性は消えないのだが、やはりギャグによって浄化されるものはある。浄化、というのもある種の救済なのだろう。

この作品は恋愛コメディ的な要素(ラブコメというにはちょっとシリアスな気もする)とアクション的な要素が最初から含まれているのだけど、前者を好む読者は後者の要素を嫌い、後者を好む読者が前者の要素を嫌う、という現象がコメント欄などを見るとあった。これは「ドリブルヌッコあーしちゃん」でも、スポーツ漫画の側面についてあれこれ言う人と健康なエロス的な部分に苦情を言う人の声が初期の感想欄には溢れすぎていたけれども、そう言う人たちがさった後に「あーしちゃんポエム」の言語感覚を愛でる人が残った感じなのだが、すでにもう物語がたたみにかかられていて、ちょっとこれは残念に思った。

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ラブコメ×アクションとかラブコメ×スポーツ×ポエム(文芸)とかのジャンルの異種格闘技戦というか異種交配というのはマンガでは常に試みられているし、そこでうまく幅を広げられると良いのだけどファン層の融合があまりうまくいかない場合もままあるわけで、作者さんも編集者の方もどちらを向いて作品を作ればいいのか迷っているのかな、と感じさせられる場合が結構みられて、可能性のある作品がうまく結実しなくて残念だな、と思うことは多い。

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成功している作品を見るとそれがうまく行っているというか、最初から自然な形で融合していることが多いわけだけど、最近すごいなと思っているのは「キルアオ」で、殺し屋×学園ラブコメ×ミステリーみたいなふつううまくいく感じのないものが「中年の殺し屋の主人公が何らかの薬の作用で中学生に」という設定を生かすことで成り立つというのが面白い。また自分が中学生になったことで「学ぶ意欲」が改めて起こったり、ヒロインのノレンに対する感情も「本当は中年の自分が中学生のノレンとそういうことになるわけにはいかない」というポリコレ的な意識がうまく物語にはまっているというのがいいと思った。

こういうポリコレ的な要素は基本的に物語や作品全体をつまらなくすることが多いけれども、「それもまた一つの設定」としてうまくこなしている感じがして、そういうのならいいな、というふうには思った。そして実はノレン自体もまた主人公と同じように薬で若返らされている可能性も示唆されているから、この関係が恋愛として成就する可能性もあるというのもまたいいなと思う。

この作者さんの「黒子のバスケ」は読んでいないからわからないけれどもキャラクターに執着する女性が事件など起こしたという話は読んだことがあり、そのくらいファンを熱狂させる手腕はあるわけで、やはりフィクションを書く人、特にマンガ家はすごいなと改めて思う。

「れんげとなると!」の長崎デート/「マロニエ王国の七人の騎士」10巻:コマの揃った政治劇に放り込まれる神話的要素/学術会議問題に対する東大教授たちのスタンスと新自由主義

Posted at 25/06/13

6月13日(金)晴れ

梅雨入りしてからのほうが天気が良くなった感じだが、今朝は晴れている。朝ゴミ捨てと雑誌を買いに出かけようとした時、ツバメが飛んでいるのを見た。裏山にはキジがいたりもするのだけど街中ではカラスが基本的には多いが名前の知らない小鳥が飛んでいることがある。というか、最近カラスをあまり見ない気がする。どこか別のところに行っているのだろうか。

少し離れたセブンまで行って週刊漫画Timesとカフェラテを買い、車を走らせてお城の近くのファミマへ行ってスペリオールを買い、職場に行ってゴミをまとめて捨てた。帰ってきて週漫とスペリオールを読む。「スペリオール」、「トリリオンゲーム」がついに大詰めという感じになってきた。「らーめん再遊記」もなるほどという展開。「永世乙女の戦い方」「味いちもんめ」も面白かったが、今回特に良かったのは「れんげとなると!」だったなと思う。

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なるとが初めてれんげと「デート」をするのだが、れんげがいつものツインのお団子ではなく髪を下ろしているのがかなりいい感じ。二人は長崎の街で60年前に住んでいた家を探しているお婆さんに出会い、れんげの提案で二人で階段の上のその家に案内するという展開。昔好きだった人に何も伝えられなかった後悔を語るおばあさんに、れんげとなるとは背中を押されるのかと思いきや、れんげはさらにその人に会いに行こうと斜め上の提案。これはいいなと思った。

私はこの作品はずっと読んでいて、何がいいのかいまいちまだ言葉に仕切れないのだが、やはりこのれんげの実行力のあるキャラはいいなと思う。これで二人の仲が進展するのかはまだわからないけど、幸せになってほしい二人である。

***

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昨日は午前中にnote/ブログを書いた後、いろいろ見ていたら過去の「マロニエ王国の7人の騎士」について取り上げたnoteのアクセスが伸びているのを見て、昨日調べていた時にすでに10日に10巻が発売されてたことを思い出し、蔦屋に出かけて買った。帰ってきて昼食を取ってから読み始めたら前のとの繋がりがよくわからなかったので作業場に行って9巻を少し読むと「ハラペコ」たちの「食べ物が豊富な国」での話が42話でほぼ終わり、42話のラストから「博愛」たちの「好色の国」に行く話が始まっていて、9巻の半分以上は「好色の国」へ行く話になっていた。

そこから10巻の終わりまでを読んだ。面白いことは面白いのだけど、ハラペコとコレットの話のようなワクワク感とはちょっと違った大人の話、みたいなのが多く、43話では初めてマロニエ王国の国王・ライオネルが出てきたり、博愛と一緒に好色の国へ行く騎士長補佐が宰相のヒューゴだったり、今までの話の展開とかなり趣が違う。

そんな「大人の話」を引っ掻き回すのが「チビ」、8歳の少女に見えるが実は生き物の国の巨大な鳥・フラカンの卵に350年いた魔女と、好色の国の商人アブドゥルの関係で、キャラ的にはこの「チビ」が好きだったのだが、これらとやりあう砂漠の国である好色の国の女王とか、得体の知れない商人組合長のラムジとかのキャラもなんというかカフカス中東系のキャラといえばいいのか、世界観がもう一つ掴みきれないところもあった。

話の展開についてはこれ以上は書かないけれども、「チビ」がアブドゥルを奪われて10代くらいの姿の魔女・スパルナとして現れるのだけど、この先のことも含めて11巻で何かが大きく動く感じではある。

兄弟たちの父・ペルナグリスは宰相ヒューゴに何らかの力を渡していて、それが何だかはよくわからないのだけど、コマが揃った政治劇のなかにそういう神話的な要素がちょくちょく放り込まれていることをどういうふうに捉えると良いのか、まだ答えが見つかっていない感じだ、というのが正直な感想だろうか。

***

https://www.todaishimbun.org/scisciencecouncil_20250612/

時間がなくて、またネットの接続が悪かったりしてまだちゃんと読めていないのだが、学術会議に関する東大の教授の方々に対するアンケートを東大の学生新聞である東大新聞が行ったものがネットに掲載されて、話題になっている。「学術会議を守れ」というのは日本の学者の総意であるように語られてきていたが、実はそうでもない、ということが明らかにされているのがなるほどと思う。

学術会議に関しては「共産党に支配されている」とか「政治的な動きをしすぎだ」とか「役になっていない」とか「一部の者が学者の総意のように語っているのはおかしい」といった意見もかなり多くて、擁護派の旗色は芳しくないようだ。

これを読んで思ったのは、女子や性的少数者の有能な人たちを産業界に取り込みたい経団連などの新自由主義的な動きに合致した動きはいわゆるリベラル左翼の主張がどんどん通っていく傾向があるが、「福島原発の処理水」問題に代表される左翼的な政治イシューについては経済界の賛同は得られるはずがないので、学術会議の側も共産党などの党派性がもろに出てしまっていたから全体としても支持が得られていないのだろうなと思う。またアンケート内容をもう少し読んでから考えたい。

「江藤淳と加藤典洋」:左翼的な戦後史と国民再統合の戦後史/今日発売・更新のマンガが面白い:「宇宙兄弟」「POLE STAR」「キングダム」「忘却バッテリー」/救済と解放・原理主義と修正主義・リベラル左翼の企図する「実質的な革命」

Posted at 25/06/12

6月12日(木)晴れ

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昨日の午後から雨が上がり、少しひんやりしたのか、今朝外に出たらなんとなく寒いかなと思ったのだけど、気温は15度あって、もうこの時期になるとそれくらいで寒く感じるのかなと思ったり。今朝読んだ漫画はどれも面白いのが多く、特にDモーニングの「POLE STAR」と「宇宙兄弟」が良かった。「POLE STAR」の方が、ポールダンスの初めてのジュニア向けコンクールの舞台で、才能を開花させる様子。「宇宙兄弟」は宇宙空間を漂流してしまった六太を月周回軌道を一周したところで日々人が捕まえた後の、緊張が緩んでいく様子。どちらもとても良かった。

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ヤングジャンプでは特に「キングダム」での韓の降伏の際の混乱の中、それを鎮めるために血気盛んな将兵を導いて脱出させ、城内を平穏にしようという韓の将軍・洛亜完の行動。それに先んじての韓の公主・寧の捨て身の説得。お膳立ては十分できていたけれども、この見せ場でそれぞれのキャラクターが最も盛り上がる展開に動くというのはやはり熟練の技だなと思う。

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木曜日のジャンプ+では個人的にインディーズの「気になる来見さん」と「姫死んじゃった」も好きなのだが、やはり今日は「忘却バッテリー」が良かった。「恥将」と「智将」の二重人格になっている要が、本来の人格のバカの「恥将」の方が眠ってしまい、クールな「智将」が甲子園出場をかけた東京大会決勝戦を戦っているのだが、一年生投手の瀧が打たれたことを引きずりながら打席に立ってしまう。結局サードゴロを打つが、瀧のために少しでも頑張りたいという思いがファーストへのヘッドスライディングという本来やるはずのない非合理的な行動として現れ、それが周りを盛り上げる。この胸熱の場面に混ぜるギャグの匙加減がやはり天才を思わせると常に言われていたが、今回も本当にその通りだった。

***

今朝は昨日うまく行ったパターンで先に「救済について」をテーマにした文章を書こうと思ってメモなどしていたのだけど、身体的な救済みたいなところから性的な救済、イメージとしては戦場で生死を彷徨った兵士が後方に戻ってきて売春宿で性的なサービスを受けることで身も心も救われる、みたいなイメージがあるのだけど、これはもちろん自分が経験したことのないことなのでやや観念的ではあるなとは思った。

そこからいろいろ考えているうちに「性」によって救済される、というのが習慣化すると「性依存症」になる恐れがあるよなということを考え始め、そうなるとつまり「救済」というものには常に「救済依存症」みたいなものが付き纏う可能性はあるなということを考えたりした。多分本来の宗教的な救済においても救済観念への依存みたいなものはおそらくあって、例えばオウム真理教の信者が地下鉄サリン事件の実行役になった時、ある種彼らの説く「救済」に依存することで自分のやっていることを正面から見ないようにしていたのではないか、というようなことを考えたりした。

また「性による救済」みたいなことを考えると、同時に「性的な解放」というもの、つまり第二次フェミニズムだろうか、のあたりが唱えた「性の革命」みたいなものがある、つまり、「救済と解放はどう違うか」みたいなことを考え始めたりもした。

「解放」というものは自ら勝ち取るイメージがあり、革命的・左翼的な感じがするが、「救済」は神やある種の上位者によって「与えられる」、宗教的なもの権威的なものというイメージがあるといえばある。「子供の笑顔に救われる」というのも、もちろん自分の子供だからということもあるだろうが、子供という普遍の存在とその向こうに感じられる神とか人類とか世界とか宇宙みたいなものとのつながりが感じられるから、ということもあるだろう。だから「救済」には「この世の中にすでに定められた」秩序感があり、もともと世界というOSの中にインストールされたアプリのように感じる部分があって、そういう意味で保守的なイメージに繋がるのかもしれないなとも思った。

逆にいえば最も左翼であるはずの「共産主義思想」が左翼的であるのに権威主義化しやすいのは、それが往々にして「逆らいがたい存在を中心とした「救済」的宗教の似姿」であるからなのかもしれないと思った。

共産主義革命が永久革命として一刻にとどまらず世界に拡散していくものだとするなら、権威の構築よりも解放された自由闊達さが重要度が高いのでその正確に「解放」的側面が強いが、永久革命をやめて一国社会主義の方向へ「修正」されてスターリニズムや毛沢東主義になってしまうと、絶対的権威の構築にかかり、その恩恵としての資源の分配や名誉の分配といった形で萎びた「救済」が配布されるようになるのかもしれないと思った。

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この辺りは昨日読んでいた呉智英「吉本隆明という共同幻想」の第3章の中で「原理主義」と「修正主義」についての議論があり、本来共産主義は世界革命を目指すのだからトロツキーの方が原理主義的であり、スターリンの方がいわば「修正主義」なのだ、という指摘があって、これは割とすんなりと腹に落ちるものがあった。

トロツキーが人気があるのは彼が知性派であり、芸術にも造詣が深く、彼が権力を持っていた時代には「ロシア・アヴァンギャルド」の前衛的な芸術が栄えたということもあるのだが、そのトロツキーは反面原理主義者であって、この辺りはキューバ一国の革命で終わらせたカストロと中南米全体の革命を目指したチェ・ゲバラの相似形にも見え、ゲバラが人気のある所以とも重なる。

https://x.com/ganrim_/status/1932787387001942137

ネットで読んでいる山内雁琳さんの議論でも、今の左翼は冷戦崩壊以降リベラルに食い込んできていわゆる「リベラル左翼」として市民派を称しているが、実はいまだに革命を諦めていないのだ、ということを言っていたけれども物分かりの良さそうな顔をして文化を重視するタイプのリベラル左翼というのは実は原理主義的な思想を持っていることが多い、ということはありそうな気はする、というか選択的夫婦別姓を唱えるフェミニズムや同性婚を合法化しようとするLGBT運動、そのほか外国人参政権運動など、その他の形で従来の秩序を大きく変えていこうとしている人々は確固とした思想を持ってやっているという点で本来リアリズム的側面が強いリベラリストとは全く違うということは確認しておいた方が良いと思った。

彼らが目指しているものは「解放=革命」であるのに、国家からの支援という形での「救済=恩恵」を利用しようとしているわけで、その辺のところはもう少し整理された方がいい感じはするなと思った。

というわけで救済論を考えているうちに性や宗教や政治の方に脱線していて、というか救済とか解放というものは本来的にそういうものを含んでいるのだということを改めて認識した、ということなのだろうと思う。

***

そのほか「近代イタリアの歴史」、與那覇潤「江藤淳と加藤典洋」、伊藤剛「テヅカ・イズ・デッド」を並行して読んでいる。「近代イタリアの歴史」では18世紀啓蒙主義の時代はイタリアでは経済学が盛んになってそれが19世紀のリソルジメントを用意したとか、「テヅカ・イズ・デッド」では「NANA」について、「キャラクターは立っているがキャラは立っていない」という議論についてとかいろいろ興味深い部分はあったのだがとりあえずメモにとどめておきたい。

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「江藤淳と加藤典洋」については、読んでいて非常に「左翼から見た戦後史」という感じがしたのだが、これはいわゆる「天皇の人間宣言」に関連して「元共産党員」の太宰治「斜陽」を取り上げ、新憲法下での最初の内閣が片山哲の社会党連立政権になったことに関連してこれも元共産党員である椎名麟三「永遠なる序章」を取り上げていることなどから、やはり「左翼」とか「転向者」から見た「敗戦」と「戦後改革」という感じが強いなと思ったこともある。まだ読んでいる途中なので「そういう感じがした」とだけ書いておきたい。

例えば私が戦後史というものを文学批評的な視点から書くとしたら、藤原てい「流れる星は生きている」は絶対入ると思うのだが、読んだ限りでは「満洲からの引き揚げ」という国民的な動きについて触れていないように思う。沖縄返還については「限りなく透明に近いブルー」に関連して触れているようだ(まだ読んでいない)が、作品の内容を考えても(「限りなく透明に近いブルー」は中学生の頃割と同時代で読んだ・当時はなんだかよくわからなかったが)、「バラバラにされた国民の再統合の物語」としての「沖縄本土復帰」ではないだろうなと思う。

ということを考えているうちに、つまりは私が同趣旨のものを書くとしたら、敗戦によってバラバラにされた国民、例えば「軍部と一般国民」とか「戦場で捕虜になったりシベリアに抑留された人々と本土で復興に勤しんだ人々」とか、「沖縄県民と本土の国民」とか、「天皇と国民」とか、そうした一旦バラバラにされたものがどうやって再統合されていったのか、みたいな記録として文学その他を使って描き出す、みたいなことをやったらいいんじゃないかという気がした。

国民的再統合はおそらくは高度経済成長があって国民総中流化と言われた時代がいわばピークで、それから新自由主義の導入による格差社会化やフェミニズムなどの解放=革命思想の風靡によって再度解体が始まっているというのが現状であるような気がする。

「国民的歴史」というのはそういうものであるべきだと思うのだが、まだあまりそういうものは読んだことがないなとは思う。この世にないのなら自分が書くしかない、ということなのかもしれないが。


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