「もう社会的には死んだようなものですから」/フランス革命から始まる遊山対象としての美術館/トランプとイスラエルの考えるイラン戦争の落とし所/イスラエルの核とアメリカとの特別な関係

Posted at 26/03/07

3月7日(土)晴れ

今朝起きた時は雨が降っていたのだが、8時を過ぎて晴れてきた。だから6時半に更新していれば天気については雨と書いたのだが、今はまあ、雨上がりと書いてもいいか。気温は最低気温が5.1度で今は6度。そんなに寒くはない。

昨日は午前中に竹藪をそれなりに切った後、軽く出かけて銀行と西友とツタヤに行くつもりだったのだが、銀行を出たあたりで車に問題が生じ、慌てて急遽ディーラーまで走って車を点検してもらった。1時間以上かかると言われたが結局45分くらいで済んだのだが、結論としては点検のためにいろいろ動かしてみたら不具合が回復してしまい、原因が特定できなかったとのこと。同じことが走っている途中にいきなり起こると困ることは困るのだが、まあ仕方ない。どうも機械というのはそういうことがある。大体2007年製の車なので来年で20年である。買い換える資金がない方が問題だとも言えるのだが。

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ディーラーでの待ち時間に近くの書店に歩いて行って買うつもりだった「妹は知っている」6巻と「冬嵐記 福島勝千代一代記」1巻を買った。前者はヤンマガ連載、後者はチャンピオンRED連載である。前者は割と最近知られてきたが、後者は知っている人が少ないだろうなと思う。四十男が戦国時代の遠江に転生し、6歳の国人領主の息子(実は今川氏親の実子)に転生するという話で、そういうわけで史実に忠実ではないが、かなり考えられて書かれていて面白い。

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ディーラーを出た後スーパーに寄ってお昼等の買い物をし、家に帰ったら12時を少し過ぎていたが、不具合が発覚した時はどうなるかと思っていたのでまあそれよりマシだと思うなど。昼食を食べて一休みをし、いろいろ持っていくものを用意して、母の入所している施設に面会に出かけた。主に姪の結婚式の話などし、あっという間に時間が過ぎて辞去した。昨日は仕事はそれなりに忙しかった。

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帰りにセブンで週刊文春を買い、「常人仮面」作者の件についての記事を読んだのだが、やはり文春というものは典型的なオールドメディアの一つなのだなと思う。興味本位で、問題意識は「性犯罪の炙り出し」だけで、今回の問題の裏テーマである「犯罪者の社会復帰」については何も考えられていない感じである。ネットではこの問題についてそれなりに議論されているが、被害者感情との兼ね合いで難しいところはあるだろうと思う。

ただ、日本は法治国家であり、近代民主主義国家であるから、基本的人権は「犯罪者」にもある。表現の自由や経済活動の自由は基本的人権であり、それを制限するには法的な根拠が必要である。もちろん、雑誌を出す出版社は文化の担い手であると同時に営利企業でもあるから、読者のニーズや反発を考慮して作家の起用を決める部分は当然あるわけだが、人権については当然配慮されなければならない。

週刊文春の記事は一方的に被害者(とされている)側の発言によってできているわけだけど、加害者(とされている)側の言い分も取材はされていて、ただ「言い分はなくはない」と「振り返って後悔は?」という質問に「そこも含めて、もう社会的には死んだようなものですから、いろいろ言いたいことはあるんですけど。まあでも、弁護士さんに止められているので」とだけ記され、ラストは「山本からも小学館からも、いまだAさんへの謝罪はない」で締められている。

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で、あれ?と思って確認してみたら、ウェブ版のマンガワンの「お詫び」には「何よりも被害に遭われた方に対し、心よりお詫び申し上げます」と書いてある。文春の記事より後に出たものかもしれないが、少なくとも小学館は現時点ではお詫びは出している。

山本氏の発言としては、「もう社会的には死んだようなものですから」という部分に彼の心情が現れているわけだが、被害者の証言としても「法廷で大笑いしたこともあった」というのがあるから、まあ相当変わった方だという印象と、あとは被害者側に対する「それは違うだろう」というような気持ちがあるのだろうとは思う。いずれにしても一般論としては昨日のブログ/noteに書いたし、基本的には男女間の痴情のもつれの最たるものだと思うが、男の方が自分の性癖を全開にしてそれを未成年の相手に押し付けたということに関しては少なくとも配慮が足りなかったことは間違いないわけで、少なくとも相手のセックスに関するスタンス等も大事にすべきだったことは確かであるし、一定の謝罪と賠償はした方がいいとは思う。マンガワンの編集者のやり方は流石に良くなかったと思うしそちらの方が問題ではあるが、いずれにしても「社会的に死んだようなもの」にならないで済むためには主に最初の持ち掛け方の問題ではあるがもっといろいろできたのではないかという気はするけれども、そのあたりは当事者にしかわからない部分だろうと思うのでそれ以上は言えない。

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https://x.com/konoy541/status/1802515701518966890

フランス革命の時にルーブル宮殿が美術館になったのもそういうことからなので、これはその通り。王政廃止1周年の1793年8月10日に正式開館したが、その時にはすでにルイ16世は処刑されていた。ジャコバン独裁が進み、マラーが暗殺された後。その後は一度相殺政府時代に閉館しているが、ナポレオン時代にまた開館し、以降は復古王政など王政時代を通じても貪欲に収蔵品が追加されていった。まさに国力の象徴なので、低廉な料金で見られないと国家にとっても意味がないわけである。日本の博物館にはそこまで国威が発揚できる収蔵品がないのもある意味弱点なんだろうと思う。

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アメリカとイスラエルのイランに対する戦争がいろいろ波紋を広げているわけだけど、トランプの考える落とし所が二転三転していて、最初は「民主化する」「帝政を復活させる」みたいなノリもあったのに「現政権でもかまわない」になりかけたら決まりかけた指導者をイスラエルが爆撃して殺す、みたいな繰り返しになってきたので今では「アメリカとイスラエルと協調するなら民主化しなくても構わない」みたいな言い方になってきて、かと思ったら「イランとの取引は無条件降伏しかあり得ない」と言ったり。もともと私は「トランプをバカだと考えると危ない」という考えだったのだが、流石にバカなんじゃないかという気がしてきた。

アメリカあるいはトランプとしては本音として民主化された方が付き合いやすいし望ましいと考えているのだと思うが、イスラエルは必ずしもそうではなく、できれば分裂して弱体であってほしいという感じなのだと思う。これは日本が中国やロシアに対して潜在的に思っていることと同じで、強烈な統一王朝・政権ができると中国やロシアは必ず周囲を侵略し始めるから、五胡十六国とか五代十国、近代で言えば軍閥時代のように分裂していてくれた方がありがたいという気持ちが、イスラエルにもあるのだろうと思う。シリアがトルコの支援で思った以上にまとまってしまった今ではましてそうだろうと思う。

https://x.com/Mitsuki_dabos/status/2029937505462800561

しかし隣接した国々としてはイランの革命防衛隊みたいな勢力がイエメンのフーシ派やソマリアの海賊のように周囲に対して掠奪や襲撃を繰り返す、みたいになってもらっても困るし、国家権力が弱体化しない方がまだマシだという考えの国もあるだろう。今でさえ中国で成り上がれなかった人たちがマフィア化してカンボジアやミャンマーで犯罪組織を作ったりしているわけで、大国の隣接国としては一定強い方がいいという感覚もあるだろうと思う。もちろんウイグル人や(南)モンゴル人、チベット人としては中国が弱体化して自分たちの独立が回復した方がいいという考えは当然あるだろうけれども。イランの場合は湾岸諸国やアゼルバイジャンがそれにあたり、おそらくは革命防衛隊の暴走で政府の抑えが効いていないのだと思うが、分裂すればいいというものではないと思っているだろう。

おそらくアメリカやイスラエルが納得できる落とし所としては、革命防衛隊を解体した上で政体は形の上で維持し、「最高指導者」を空席にした合議制の共和体制にして、妥当な民主的な選挙によって新たな政体を目指す、くらいになると思うのだが、革命防衛隊の排除というのはそう簡単にはいかなから、しばらくは戦争は終わらないだろうなという気はする。イラン政府の指導力をそれなりに確保しておかないとイスラエルは次にトルコに対して敵対を始めてもっと大変なことになるだろうから、イランのある程度の潜在的な国力は残しておくべきだとアメリカは考えるのではないか。

ただその辺のところを実際にトランプがどう考えているのかはよくわからない。

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「アメリカとイスラエルの特別な関係」というものについての文章をTwitter経由で読んだのだが、見つからない。結構網羅的に押さえてあったので良いと思ったのだがどこかへ行ってしまった。

基本的に私はその特別な関係が始まったのはケネディ政権だったと思うのだけど、その辺りについては書いてない。なぜそう思うのかというと、1956年の第二次中東戦争、いわゆるスエズ戦争の時に、英仏軍とともにシナイ半島に侵攻したイスラエルにアメリカは同意せず、最終的には「核兵器による威嚇」まで行ったわけである。この時のアメリカの大統領はアイゼンハワーで、ケネディから、というのはそういう意味である。

ケネディも基本的にはイスラエルの核保有に反対したし、暗殺された理由として挙げる説もあるのだけど、1966−7年ごろ、つまりアメリカがベトナム戦争に忙しい時期に開発に成功したと言われていて、それ以降はアメリカはイスラエル一辺倒になってしまっているので、その辺りのことも関係あるかもしれない。

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「オールドメディアはなぜオールドなのか」とか「男尊女卑体制が壊滅していくにつれ、その僅かな残留物により過敏に反応するようになる」というようなことについても書きたいと思うのだが、また改めて。


斜陽産業としての人文系/「日本」の価値の再評価無くして文化事業の再興なし/アート周りによくある男と女の事件

Posted at 26/03/06

3月6日(金)晴れ

昨日は午前中いろいろやってから銀行に行って入金や記帳、それから西友に行ってパンと豆腐など買い、帰って昼食を食べた後、少し竹を刈ったりしていた。

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https://note.com/wakari_te/n/n94d23e4885a0?magazine_key=ma189261f42a7

「常人仮面」作者の関わる当時16歳少女との事件について小山さんが書いていて、それからその追記に記されたposfileも読んでみて、自分なりにこの事件の全体像が大体掴めた感じがあった。小山さんの提示するこの一連のツイート群が確かに本人のものかは断定はできないのだけれども、小山さんがいうようにその可能性はかなり高いと思う。とはいえ完全ではないということから、私としてもそれを前提として何かを考えても「憶測」ということになってしまうから、とりあえず憶測の範囲として言えそうな当たり障りのないことを少し書いてみたいと思う。

簡単に言えば、この事件は基本的にはアートとかマンガ、あるいは演劇とか映画や写真など、そういう「表現界隈」とでもいうところではよくある話の一つなのだと思う。それがこの作者がそれなりに知られた漫画家だったということと、この女性の個性によってかなり強くクローズアップされた過程があったのだろう。文春の記事も読んだのだが、マンガ関係者ないしは芸術高校の講師として未成年の女性に近づき親しい関係を築いておそらくは依存させ、関係を迫っても断れない、嫌われたくないという状況を作ったということ自体は確かだろうと思う。そういう意味では程度の差異や同意の有無はあれ、よくあることではあるようには思う。

さまざまなものを読むにつけ、両者ともかなり強烈な個性の持ち主であったことはおそらく確かで、そういう意味であまり近づきたくないと私などは思うけれども、そう人だからこそ魅力的だと思う人は男女とも必ずいて、ハンドルネームらしきもので検索してみると、それなりにこの女性のファンもいたようではある。

まあそういう意味での、あまりよくない意味で「さわれば火傷する」感じの二人の関係だが、成人同士であればともかく片方が未成年だったことで相当心象が悪くなることは現代においては事実だろうと思う。基本的に山本氏の方も言いたいことはあるだろうになぜ発言が出てこないのかなとは思っていたのだけど、どうも弁護士に止められているようで、確かにまだ係争中なのだから裁判で不利になるような発言は控えるということなのだろう。

あとはまあ本当に憶測になるし一般論的なところから踏み込んでしまうので書くのは控えるが、この手のアート界隈の事件は結構最近は多くて、園子音監督がよく取り上げられるが、写真家の荒木経惟さんなどもモデル女性に告発されて表から消えてしまっている。こういう男女関係絡みのスキャンダル的なものは社会的な地位、あるいは憧れの対象である男性にワナビーだったり野心を持った女性が近づいて、というパターンが多いけれども承認欲求なりなんなり満たされないものを持った女性がそうした男性と関係を持つことによって自分を承認できるようになる、ということはあるのだろう。ただそれは本当の自信ではないし本当の信頼関係ではないから、何か不満なことが出てきたりあるいはそういう自分の地位に無意識にせよ自己嫌悪が出てきたら「自分はそんなんじゃない」と思い始め、男性の方を憎んで告発に至る、ということはあるだろうなあとは思う。

昭和の文壇でも多くの男性作家と浮名を流した女性というのはいたし、佐藤春夫と谷崎潤一郎なんかの話もあるが、昭和ならそういうことで男性の側が地位を失うということもなかったのだろうけど、今は良くも悪くもそういうわけには行かなくなっているということだろうと思うし、告発する女性の方が不当に有利な状況さえ生まれているというのが現況なんだろうと思う。

まあ男性は基本的に女性モテたいわけで、そのために金を稼いだり体を鍛えたり知性を磨いたり(あるいは知識を蓄積して)社会貢献をしたり政府を批判したりして(笑)、女性にとって魅力的であるように思われたいから努力するという面もあるわけであるし、それが社会を発展させてきたという面もあるだろう。

「モテたいためのロックンローラー あなた動機が不純なんだわ カッコカッコカッコカッコばかり先走り」

というのは阿木燿子作詞の「ロックンロール・ウィドウ」だが、まあロックやお笑いをやる人たちもそういう動機の人たちは多いだろう。

私も文学部(歴史学)出身なので広義の人文系なのだが、最近流行りのハスに構えて政府や愚民を批判するタイプの社会学者系の人文イメージが広がっていて迷惑だとは思っているが、私は特にそういうことを考えたわけでなく自分が好きだから歴史学に進んだのだけれども、1980年代にそういう方面に進んでみて思ったのは、「人文系、特にアートっぽい方面はモテる」ということだった。まあモテるからと言って好きでもないことをやりたいとは思わなかった(天文に行きたい気持ちもあったが最終的にはより面白そうだと当時感じた方向に進んだ)し、まあできないだろうと思っていたけれども、進んでみたらどうも「モテる」感じがする、と思い出したら、まあそれを利用しようという気持ちがなくもないのは凡人の悲しさというものだろうとは思う。

まあそういう意味では若い時期には楽しい時代を過ごした(もちろん痛い目にも相当遭ったが)し、まあそういうイメージみたいなものも自分なりには利用していたところもあるだろうし、そういう雰囲気みたいなものを自分でも保つようにしている傾向は今でもあるようには思う。まあぶっちゃければ、であるが。

まあそれはそれとして、近年の著しい人文系の価値の凋落である。自分は特に意識はしていなかったけれども、特にそういうこととは関係なく、政治状況を見ていてリベラルや左翼というものに失望して、保守とか右翼という方面を自分なりに研究し、こういう方向であるべきなんじゃないか、ということを考えながら自分なりの考え方を形成してはいたけれども、当然ながら自然に身についた人文的な価値観というものは全てが消えるわけではないし、図書館や博物館、美術館などは価値あるものだと思っているし、そういうものの営利化にはそれなりに問題があると思ってはいるけれども、Twitter世論みたいなのをみているとその辺に批判的な人たちも多いわけで、改めて自分の考えを参照し、より広い範囲からそういうものを考えたりしているというのが現況である。

まあ今や人文系に進んでもろくに就職がない感じになっているし、そんなにモテる分野でもなくなりつつある感じもするし(どうなんだろう)、そういう意味では戦後の活況を見て石炭産業や繊維産業に就職した人たちが後に勃興した自動車や銀行、マスコミなどの華々しさに歯噛みしたというような状況を、昔人文系に進んだ人たちは今持ってるかもしれないなという気もする。

「今AIとかで浮かれている連中おそのうち時代遅れになるのさ、へっ」と捨て台詞とかを言っている人たちはそういう人が多いような気もしなくはない。

いずれにしても虚業より実業の方が重んじられる社会は健全だとは思うが、とは言え人間には象徴的消費行動というものがあるし、衒示的消費というものはより希少性の高いもの、つまりは歴史的経緯を経た希少なものの方に進むという一般性はあるから、そういう文化的な産業が消え去ることはないだろう。

今現在の世界はトランプの剛腕ぶりが目立っているから軍事力や経済力、情報力その他実利的なパワーが万能のような雰囲気は出てきているけれども、いつまでもそれであるわけには行かない。日本はソフトパワーであるべきだという主張は昔からあるが、どうもそういう方向にいかないのはやはり歴史的断絶というか「歴史的日本」を誇るのは悪しきナショナリズムであり「日本すごい」は許さない、という人文界隈自体の「歴史性否定」が、大衆にとって図書館や博物館や美術館の歴史性を軽んじることにつながっているのだろうと思う。人文系自体が日本の価値を再評価できるようにならないと、こうした事業に投資する国民的正当性は復活しないだろうと思う。

いずれにしても日本も女性の都知事や女性の党代表だけでなく、女性の総理大臣と女性の財務大臣が同時に誕生する時代になり、かなり局面は変わってきた感じで、「常人仮面」の人の事件ももうある意味一時代前のことと感じさせるところもある。フェミニズムにいいようにやられてきたネット論壇も最近ははっきりそれに反対する勢力が起こってきているし、実際の論壇やアカデミア、司法や報道の場においてはまだまだこれから(というか旧型左翼さえ生き残っている)ではあるのだけど、よりバランスの取れた公正な思想状況が生まれると良いなとは思っている。

スノビッシュな左翼インテリのものだった「冷笑」はなぜ「ネトウヨ」のものになったか/「世間様に笑われないように」/国立博物館は日本の国力を反映した「スゴい」文化の殿堂であるべき

Posted at 26/03/05

3月5日(木)晴れ

いろいろとやることが多く、毎日が光陰のように過ぎ去っていく感じがあるが、いろいろ立て直さなければならないことも多いのだけど、その辺はどうにかなっていたりなっていなかったりである。

腕はまだ痛いのだが、整体で「減食」を言われてから、間食を一切やめて甘いものが食べたくても食事の時に少しにし、ご飯は茶碗に一杯、おかずは少なめ、としているのだけど、こうなると結構食べる時は夢中で食べるし、つい手を伸ばしたくなるのを抑えているので、「我慢している」感が強い。しかし減食をしている時にいつも気になるのは通じがあまり良くなくなることで、苦労することがある。なるべく水は飲むようにしようと思う。

昨日は4日だったのでツタヤにジャンプコミックスを買いに行こうと思い、その前に仕事として銀行に行って資金を調達したりしていたら、お金を移す口座の通帳を一つ間違えて持ってきていたことに気づき、慌てて取りに帰ったら順番が過ぎていたのだが、割と早めに対応してもらえて助かった。そのあとツタヤに行ってジャンプコミックスを探す。巻数の多い順に書くと「ONE PIECE」114、「SAKAMOTO DAYS」26、「ウィッチウォッチ」25、「逃げ上手の若君」24、「ふつうの軽音部」10、「ルリドラゴン」5、「サンキューピッチ」5、「野球・文明・エイリアン」3、「さむわんへるつ」2の合わせて10冊、特典のカード類がついてきたのは6冊7枚。「さむわんへるつ」が2枚であとはSAKAMOTO、ウィッチ、軽音部、ルリドラのカードとサンキューピッチのシールである。最近は本誌の作品よりジャンプラの作品の方が多くなっていたのだけど今回は5対5で、もともと本誌連載だったルリドラゴンもあるので今回は本誌優勢な感じではある。

それにしてもワンピはともかく、次に連載が長いのが「SAKAMOTO DAYS」だと思うと驚くが、連載が始まったのが2020年秋なのでもう5年半になるわけで、ちょっと驚く。ジャンプの最近のバトルものは割とすぐ読むのをやめてしまっているのだけど、「さむわんへるつ」みたいな作品がもっと増えればいいのにと思うのだがなかなかそうはいかないのだろうか。

そのあとスーパーに回って昼ごはんなどを買って帰ってきて、昼食。午後は竹藪を刈ったりしていた。今朝は起きたら5時前で、資源ゴミの日なのでいろいろ準備をし、特に雑誌をまとめて出そうと思ってまとめて出したのだが、保存しておくべきものを勘違いしてヤンジャンをかなり最近のものまで出してしまい、しまったと思ったがまあ仕方がないかと思った。バックナンバーを取ってあるのは単行本を買っている作品の未収録部分を読むためなのだが、最近は大体アプリでも課金すれば読めるので、そんなに拘らなくてもいいかなという気がするのと、バックナンバーを遡って読むほどマンガに集中できる時間がほとんど取れないので、気持ち的にもやや緩くなってしまっているところはないでもない。ヤンジャンを出してからヤンジャンの最新号を買いに行くのもまあ変な気はするが、仕方がない。

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https://x.com/terrakei07/status/2029045979027259540

そういえば「冷笑」というのはもともとそういう「スノビズム的知的エリートサヨク」仕草だったな、ということを思い出していた。つまり、ものを知らない一知半解の若者や部外者をせせら笑う業界人・関係者・学者仕草だったと思うし、もちろんそういうのは今でもあるのだけど、それもまた意味がないわけではなく、笑われた人は恥入ってよりしっかり学習するようにし、大成する、ということがある種の王道ではあった時代には、それは有効だったわけである。

つまり、「世間様に笑われないようにしなさい」というのが日本人の教えだった時代が長いわけで、「冷笑」というのもまた特に学問や専門性などにおいては「世間様」が代表してこちらの不足を指摘してくる、というようなものだったわけである。

もちろんそれはある種の「昭和しぐさ」の一つだといえなくはないけれども、それ自体はおそらく日本だけの話でなく、世界でもそういう冷笑というものはある種の通過儀礼的な重要な要素を持っていて、笑われないように振る舞うということは「成り上がろうとする人」にとって必要条件だったわけである。

しかしそれは一方で階級性や人種差別的性格を、また排外性をもったりすることも当然あるので、最近では嫌われるようにはなってきた。特に「世間さまに笑われない」という倫理においては、若年であることや身体に障害があることなどのハンデを抱えた人たちへの差別に見える行動がむしろ倫理違反と見做されるようになってきたから、おそらく家庭でもそうした言い方はされないようになってきているのではないかという気はする。その結果、Twitterでバカを晒して笑い物にされている人が増えたのはまあ当然の帰結と言えばそうなのだが、「私を笑ったわね?親にも笑われたことないのに!」みたいな感じになってより業が深くなっている感もあり、「世間さまに笑われない振る舞い」というのは少なくとも個人的な倫理としては気をつけた方がいいのではないかという気はした。

ところでその左翼エリート的冷笑しぐさがいつの間にか「右派=ネトウヨ」のものと誤認され流ようになってきたのは何故なんだろうな、とこのツイートを見て疑問に思ったのだけど、考えてみたら彼らはとにかく「平和」に関してはかなりお花畑的に純朴なフリをしなければならないように強制されているわけで、その辺がリアリストや「ネトウヨ」から批判てされているからその言い方に「冷笑的だ」と言い返しているのだよなということがわかる。

つまり、人文知的な知識や左翼的な常識においてパンピーを笑ってきた人たちが、リアリズム外交や安全保障論においてはもはや完全にアナクロニズムになっている「ママ戦争止めてくるわ」などのバカげたコピーを笑われているのが彼らのプライドにかけて我慢ならないということなのだろうと思う。

この辺はまず「日本が戦争を始める」というすでにあり得ない前提を捨てることから始めてもらわないといけない、というか少なくともその概念を相対化してもらわなければいけないのだが、その点においてしか権力を批判できないところに左派人文的な人たちの限界はあるのだろうと思う。

https://x.com/Yomiuri_Online/status/2028963551533269290

この上のツイートはもともとこの記事に対する反発を論評したものなのだけど、私も日本文化は守らないといけないと思うけれども、確かに左翼人文インテリしぐさの人たちが「日本すごい!」という素朴な大衆のナショナリズムを冷笑してきたから、「じゃあ日本の文化とか伝統の文化財とかも大したことないんだな」と守る気を失ってきている、という指摘はなるほどな、とは思う。

https://x.com/terrakei07/status/2029045979027259540

「日本すごい!」は当然ながら「日本の歴史すごい!」「日本の文化財すごい!」ということと本質的に繋がっているのだから、人文インテリはそんな大事なメンタリティを頭から否定してはダメなのだが、少しでもナショナリズムの匂いがすると殲滅的な火炎を放射する人ばかりなので、「それならこんなものいらねーだろ」になってしまうことも避けにくいわけである。

だから、そういうものを守り維持していくためには人文アカデミアにも一定数以上の右派、特に保守派がいなければならないのだが、党派的にそうした人々をアカデミアから排除してきたから学界に護り手がいなくなっているわけである。そういう意味でも左翼アカデミアというものは亡国的であり、反文化的なものだということはしっかり認識しておかないといけない。より大きく言えば、「反知性主義の方が文化的であることもある」のである。その「知性」というものの内容が実際には「左翼リベラル的知性」であることが多いからである。

https://x.com/cynanyc/status/2029022370661531686

この件については上の指摘も参考になるのだけど、日本人は企画展には行くが常設展には行かない、ということは大きい。当然ながら、海外の美術館に行くときに我々が見るものはほぼ常設展である。ピカソのゲルニカをプラドに見に行ったり、モナリザを見にルーブルに行ったりするのは、それは当たり前だが企画展ではない。逆に言えば常設展でそれだけの集客能力があるわけである。

私も東京国立博物館に行くときには宋磁の傑作と言われる「馬蝗絆」を必ず見に行くのだが、これは奈良や京都の博物館に行くときも同様だろう。そういう意味では東京の博物館や美術館には、常設展に目玉と言えるものが少ない、というのが問題なのだろうと思う。だから常に何か企画展をして、観客の好奇心を刺激しないと客を呼べないという体質になっているわけである。アメリカなどでもクリーブランドの美術館とかに行ったときに特になんの説明もなくムリーリョの「無原罪聖母像」などが展示されていてビビったことがあるが、まあその作品を見るためだけにそこに行ってもいいと思うような作品をより多く所蔵するべきなのだとは思う。

後発の帝国主義国であった日本にとっては大英博物館やルーブル美術館のような所蔵を持つのはある意味難しいし、金に糸目をつけないメトロポリタン美術館のような所蔵も困難だろうとは思うが、やはり国立の博物館や美術館というのはある意味国家権力の象徴的存在でなければならないところはあると思うので、ちょっと頑張ってもらいたいなと思うところはないではない。これは福澤諭吉が「帝室論」で言っていることとも重なることだと思う。

「マンガワンを潰すこと」がゴールではない/作家は作品で評価すべき/イラン・イスラム体制とソ連やナチスとの共通点と相違点/イスラエルの斬首作戦の凄まじさ/「前科者」の「排除」と「社会復帰」

Posted at 26/03/04

3月4日(水)曇り

昨日は午前中に松本に整体に出かける。余裕を持って出かけたはずなのだが結局結構時間が押してしまったのだけど、高速を降りて下道に入ってからはゆっくり走ることができたし、ショートカットの道がしばらく工事で通れなかったのが通れるようになっていたので、ほぼ時間通りに着くことができた。腕は相変わらず痛く、操法を受けている間もじっとしていられなくて何度も姿勢を変えていたのだが、対応としては「減食」ということを言われて、これはそうかもと思った。しばらく少なめに食べて体調を見ようと思う。

というわけで昼食に追加で買うことはやめて家にあるものだけを食べることにし、実家に直帰した。いつもはお昼を過ぎるのだが昨日は昼前に着くことができて、ゆっくり昼食を食べることができた。言われて気がついてみると、手持ち無沙汰になるとすぐ菓子類に手を伸ばしていたことがはっきりわかり、食事の量を減らすだけではなくて間食を断つ必要があるなと思うなどした。昨日は雨が降っていたので午後も特にいろいろやらず、早めに準備して出かけた。

今朝は5時前に起きた。やはり腕が痛くて起きるというパターンは続いているが、それなりにはちゃんと深く眠れたと思う。何度も寝床の中で体勢を変えていたので布団も毛布もベッドからずり落ちてしまっていたが。起きて少しネットを見て出かけ、セブンまで車で走ってサンデーを買い、職場に出て忘れ物を取って帰ってきた。

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https://jp.reuters.com/world/us/LTL4HUGAIJIEJPXIYFFC3FCNYA-2026-03-03/

イランとイスラエル・アメリカ、それに周辺諸国とのミサイルやドローンの応酬を中心とした戦闘が続いているが、最高指導者のハメネイ師を殺害されたイランは次の最高指導者の選出まで、ペゼシュキアン大統領らによる暫定指導者評議会が国政を領導しているようなのだが、その一員を出す専門家会議が聖地コムで行われていたのをイスラエルが空爆し、破壊されたようで、ネットの情報によるとここにはイスラム法学者88人が集まっていたといい、これは最高指導者選出を妨害しようということでもあるだろうが、イスラム共和国体制を支える法学者たちを一網打尽にしたという意味もあるのではないかとは思う。この情報収集能力やきっちり敵を倒していく様はゲーム実況を見ているようにさえ感じるが、ナチスの戦犯を地球の果てまで追いかけて裁判にかけた執念と同質のものが今回にも見られるなと思った。

これを見ているとユダヤ教のイスラエルとイスラム教シーア派のある種の宗教戦争でもあるなとは思うが、宗教がバックボーンにある国家体制という点でこの二国はある意味にているわけで、だからこそ相手の弱点がわかるということもあるのだろうとは思う。

イランの体制については今まであまりちゃんと調べたり考えたりしたことがなかったのだが、ここ数日のイラン中枢部へのアメリカやイスラエルの攻撃を見て、彼らの考えていることはわかりやすいというか、教科書通りに上から順番に潰して行っているのだなと思う。イランが核兵器を持っていたらこんなことはできなかったわけで、体制維持のためにはやはり核所有が必要だという認識はより強まるだろうなとは思う。

イランの最高権力者は「最高指導者」であり、これになれるのは「イスラム法学者」に限られていて、大統領以下の政府はその指導に従うという形になっているから、これはつまりは中国共産党が中国政府を指導する、というプロレタリア独裁体制というか「党が国家を指導する」社会主義体制を雛形とした体制といっていいのではないかという気がしてきている。「イスラム法学者集団」が「国家の前衛たる共産党」にあたるわけだが、共産党の理論ほどは明確ではないけれども、この仕組みが「イスラム共和国体制=ヴェラーヤテ・ファギーフ」ということなのだろうと思う。ソ連や中国は党の指導者(主席・総書記)が国家の指導者(国家主席)を兼任することが多いが、最高指導者は大統領にはならない。というかむしろハメネイがホメイニ体制下で大統領を務めていたように、イスラム法学者にとっては最高指導者への道でもあるのかもしれない。

ただ、大統領は外交官の接受や、派遣する大公使の信任状への署名、条約の締結、勲章の授与など国家元首としての機能も持っているので、完全に格下ということでもない。またハメネイ師は外国の指導者と会見することは少なかったようで、安倍元首相との会見が今でもよく引っ張り出されてきているから、最高指導者はむしろ奥の院というか、日本史上で言えば「上皇=院=治天の君」のような存在だと考えても良いのかもしれない。

で、こういう政府の体制とその内閣、国会、軍との関係などについて調べようと思ったが日本語の資料が少なく英語のものまで渉猟している時間がないので、国軍と大統領がどういう関係にあるのかがはっきりしなかったが、国軍の最高司令官は最高指導者ということになっているようだ。しかしイラン国軍は基本的に帝政時代の軍を引き継いだもので、軍の編成などはパーレビ朝時代に導入された英米的な組織になっているのだという。そういうこともあり、イスラム法学者からは不信の目で見られることもあって、国軍とは別に「革命防衛隊」が組織され、そちらは本来国軍を牽制する目的だったわけだが、むしろこちらの方が突出して他国への工作を行ったり、軍産複合体として強大な権力や莫大な利権を持つようになり、最高指導者の子飼いの勢力みたいになっているらしく、この辺も院に仕える北面武士の軍事力が朝廷の動員できる軍事力を上回る、みたいな雰囲気もあるなと思った。

この辺を考えると、ソ連共産党の場合は新たに共産党独自の軍を作るのではなく、帝政時代以来の国軍に「政治局員」を派遣して政治的指導を行うという形で軍を統制していたわけで、その辺は長征を行った紅軍だけでなく軍閥の軍を吸収して行って人民解放軍を組織した中国共産党などとも違い、むしろドイツ国軍とは別に「SA=突撃隊」「SS=親衛隊」を組織したナチス政権的な軍の編成だったと考えて良いのかなと思った。ドイツは近代民主主義国家だったから政府は乗っ取ることができたが軍は乗っ取れなかったのだろうとか。

いずれにしてもハメネイ師をはじめトップに空爆を行って斬首作戦を遂行していくイスラエルとアメリカの情報力は半端なものではないということがよくわかるし、イラン側も指導者の会合は地下壕でやるとかイントラネットのオンラインでやるとか工夫すればいいのに多くの人が集まって一網打尽にされるということを繰り返しているのは何かそれがイスラム法で定められているのかもしれないからなんとも言えないけれども、ある種の組織としての硬直性があるのは確かだなとは思った。

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マンガワン関連でいくつか。マンガワンに関してはだんだん雰囲気が人民裁判か文化大革命みたいになってきて、あちこちでベテランとか巨匠と言われるような人たちが吊し上げにあったり赤い三角帽子を被せられて背中に「走資派」と張り紙されてる雰囲気になっている。そういう行動を取っている人たちは特に女性に多く、女性が性被害や性加害に神経を尖らせるのはもちろんわからなくはないが、暴走し始めるとどこまで転がっていくかわからないところがあり、まさに草津町長を虚偽の性被害で告発した下町議を応援したりオープンレターで将来を嘱望された日本史学者をキャンセルしたりした時の暗い情熱がより大規模に爆発している感じがある。

今回の状況を見ていて思ったのは、日本のマンガ界は相当な部分が女性に支えられているということ。古くはうる星やつらの高橋留美子さんから、近年では鬼滅の刃の吾峠呼世晴さん、そのほか少年マンガの世界でもいちいち上げていくのが恥ずかしくなるくらいの数の人たちが書いているわけである。その中には当然ながらフェミニズム的な意識の高い人たちもいて、そういう人たちが主導する形でマンガワンをボイコットする動きが起こり、今度はマンガワンに残る人たちに対して攻撃を加えるとか、明後日の方向の破壊活動が行われているのは、一度冷静になった方がいいと思う。

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マンガ「重版出来!」(これも女性作家で小学館の作品だ)でも描かれていたが、一度立ち上がった雑誌が潰れるということは、雑誌関係者だけでなくそこで描いていたマンガ家やその家族はもちろん、そのアシスタントや多くの読者たちにも非常に大きな影響が出ることなのである。マンガワンは小学館の主力のマンガアプリの一つだから、破壊活動を扇動する人たちの今の目標は「マンガワンを潰す」ということが目標になっているように見えるが、それで大きな犠牲を強いられる人たちのことを考えているとは思えない。もちろんそんなことを考慮に入れていたら破壊活動などできないが。

BL作家たちが男性向けエロ漫画の描写について表現規制を言い始めたときに過激な描写の多いBLマンガを批判する人たちに対してBLは愛があるからうんたらとか言い始めたように、かなり一方的な論理で自分の趣味を擁護し他者の趣味を批判する人が多い傾向もあるのだが、表現規制反対に動く政治家の人たちもBL作家たちの表現規制主張に対して強くそれを批判しなかったりしたのは、逆に言えばマンガ界においてそれなりの勢力が彼女らにあるということはあるのだろうと思う。その辺りのことも今回の動きで再度確認した感じがある。

マンガワンは独自のコンテンツもあるが、小学館の他の作品をそこで閲覧したり購入したりする窓口にもなっているわけで、今回作品を引き上げた作家たちの多くは独自コンテンツの作者ではなく販売窓口としてのマンガワンに作品を提供していた人たちなのである。独自コンテンツとして作品を発表している人たちの中にもそれに引きずられたということもあるのだろう、更新停止などの措置を要求している例も多いようで、編集部の方もそうした要望は基本的には受け入れているようである。まあ、あれだけ失態が明らかになったら止めるのも難しいということもあるだろうとは思うが。

マンガワンがブランドとして生まれ変わるということ自体はしてもいいとは思うが、一度完全に更地にしてしまえみたいなことを言う人が出てくるのは容易に予想できるが、現実の出版業というものはゲームのリセットマラソンとは違って一度パーにしてしまえば本当に多くのものが失われるのである。初期に作品を引き上げた人たちはおそらくそこまで考えてなかったのではないかと思うのだが、「角を矯めて牛を殺す」という故事に近いことが現在行われようとしているように見えて、憂慮に耐えない。私自身としては、これからどうにかしていかなければならないところはあるだろうが、「とりあえず潰す」という方向性には強く反対したいと思う。

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二つ目は犯罪を犯して法の裁きを受け、社会に復帰しようとしている人たち、いわゆる「前科者の社会復帰」の面。「常人仮面」の方は明らかにプロセスに相当な問題があったようなので、批判は免れないと思うのだが、これに関連して明らかになったマツキタツヤ氏のケースに関しては、かなり慎重にことを運んでいるということもあり、これは受け入れるべきケースではないかということ。

https://manga-one.com/manga/27160/chapter/300175

悪いことはしない方がいいのは当たり前だが、人間だから道を踏み外してしまう人は必ずいる。これは現代のような資本主義的競争社会だからというだけでなく、封建的な固定された社会でもそうだった。そういう人たちを社会から排除して仕舞えば、彼らは闇の世界にしか行くところがなくなる。それが闇の世界を活性化させ、一般社会を脅かすことになるわけで、彼らもできる限り我々の世界に引き留めなくてはいけないのだと思う。いろいろな困難はあるけれども、思考停止せずに社会復帰の道を考えるのは必要なことだろう。

ただ、もちろんこの社会、ある場所から排除しなければいけないということはあり、それは小児性加害の前科のある人を小学校教諭など現実に子供に接する仕事に就かせないということなどは必要だろうと思う。また、この社会に激烈な損害を加えるような行為をした人に司法プロセスを経て死刑や無期懲役の刑罰が下ることも現実にはそうした執行の一つだろうと思う。法を犯した外国人を国外追放し、再入国を拒否するということなども同じことである。社会やその構成員はそうした人たちから守られなければならないからである。

その線をどう引くかは法治国家である以上ある程度のルールは必要なのだが、今回の事例などを見ていると個別の事情がありすぎるわけで、現在のところ結局は司法判断を基準にするしかないというところはあり、それに対しての不満はおそらく常にあると思う。ただ、人民裁判でこうした人たちを排除する、つまり感情によって人を罰するというのは近代的な法治国家においてはやってはいけないことだと考えるべきだと思う。ちゃんとした法的プロセスを踏まない私的制裁は民主主義の根幹である正当な手続きプロセスから外れるからである。というか、そうした定められたプロセス自体が権力の恣意や民衆の感情の暴走を抑止するためのものであるわけだが。

マツキさんの「星霜の心理士」に関しては、書いているように私は公開されているすべての範囲を昨日課金して読んだのだが、大変いいと思っている。作家は作品で評価されるべきだと思うというのは大前提としてある。

https://app.manga-one.com/webview/v3/web_pages?id=3993

マツキさんがこの性加害事件に関連してカウンセリングを受け、それに感銘を受けて小説を書き、それが今回原作者として起用されたことにつながっている、ということを批判している人もいる。そこは私は違うと思っていて、私はこれは罪を悔いてキリスト教に改宗した人が神の恩寵を語るようになる、というのと同じことだと私は捉えている。そうであるならそれを止めることは誰にもできないしペテロもパウロもアウグスティヌスも否定することになる。

そのカウンセリング体験が彼にとって今書いたような意味での精神的に本当に深い経験だったのか、ネタにすぎないのかは他者からは判断できないが、作品を全部読んだ限りでは前者であるように私は思っている。先に書いたように私としては作品で作家を評価したいと思っているから、この評価されるべき作品は、中断されずに最後まで続いてほしいと思っている。

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