地域インフラとしての訪問介護事業/私とnoteの付き合いの歴史/銀行に行ったり本を借りたり
Posted at 25/12/03
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12月3日(水)曇り
今朝の最低気温は2.6度、8時50分で7度を超えているので結構暖かいかなという感じ。4時に起きてnoteの過去ログとかを読んだり自分とnoteとの付き合い方みたいなのがどうなってるかなど考えたり。
5時になったので車で出かけ、少し離れたセブンでサンデーとBOSSのカフェオレを買って帰ってくる。そおあともnoteのことなど自分の中で整理しながらいろいろ考えたり。
https://note.com/kous37/n/nc42f7e7280a6
これがnoteで最初に書いた文章。noteにはつぶやき機能というのもあって、私は2014年にこのサービスが始まった当初から使っていたのだけど、最初の頃はつぶやきの方を主に使っていたので最初は長い文章を書くつもりはなかった。今もTwitterで長いのを書くのはあまり好きではないのと同じような感覚があったとということだろう。ただ、noteの方が明らかに過去の文章を検索しやすいので、そのうち書くようになったわけだけど、ブログの方も自分のサイトも含めブログサービスのものもいくつか書いていたのでそちらをメインだと考えていたからnoteはあまり積極的ではなかった。
https://note.com/kous37/n/nb4cc082a7b75
こが最初に自分としてはそれなりにバズった文章で、今でもアクセスは伸びている。いいねはそんなにいただけないのだけど、「ぼくらのへんたい」という作品の感想の中ではかなり上位で検索に反映されるようで、「暗殺教室」や最近の「少年のアビス」などでも感想としてGoogleで出てくるから読んでいただけている、ということはあるのだろうと思う。
流石に「進撃の巨人」クラスになると考察ブログや感想ブログは山のようにあるのでなかなかその中で読んでいただけるものはそう多くはないが、「進撃」にしても「鬼滅の刃」にしても自分のブログの中では上位に上がってくるものもあり、やはり有名マンガ作品の感想は強いが、また「(決して少なくはない)刺さる人には刺さる」タイプの作品について書くのが私のnoteの中では上位に来る、という感じになっている。
ただ書きたいことはマンガについてだけではないのでいろいろなことを書くわけだけど、書籍の感想や考えたこと、社会について、政治的な問題、国際問題などについて書いているとある程度の閲覧数やいいねがいただけるということもある。自分のnoteの中では左翼リベラルの人たちの言動に対する懐疑とか、ポリティカルコレクトネスやDEIに対する批判的なことがいいね数では上位に来るものもあるのだが、とはいえこういうものは政治的立場が近い人には受けても反対の人にはもらえないので、ある程度限界はあるとは思う。
最近では、高市首相の就任とともに政治的な内容のものが多くなり、最近では台湾有事発言をめぐる中国側の動きやさまざまな人たちの意見などに対しての批判について書いていると結構アクセスをいただいている。
先月(2025年11月)に最もいいねをいただいた記事は22いいね、最も少ない記事が2いいね。10以上の記事が15で未満の記事が15なので拮抗している。総数が309なので平均10.3。少しずれるがここ30日のビュー数は18017、平均600.6。いいね数は383なので過去記事へいいねをいただいているのが2割くらいということか。ありがたいことではある。
露出数が上がると過去ログも読んでいただけるということで好循環になるから、バズった方がいいのだが、今の所3桁のいいねをいただいた文章はまだないのでまだまだ頑張らないといけないと思うし、共感していただける人にどう届けるかという問題はこれからも続くなと思う。
本当に雑駁かつ表面についてのまとめだが、中身についてはまあ考え中である。
***
昨日はブログ/noteを書いた後出かけて職場で少し銀行書類を書く。やっているうちに大きな仕事のし忘れに気づいて夜片付けることにする。銀行に書類を出しに行って記帳などし、またスーパーで昼の買い物をしてから宅急便の配送所に行って荷物を引き取り、その後図書館まで走って渡辺浩「例えば自由はリバティか」(岩波書店、2025)を借りる。日本で使われている政治学の用語が、元々の西欧的な文脈でのそれとどう同じでどう違うのか、というのはかなり本質的な問題になる可能性があることだなと思う。帰ってきて昼食、済ませてから再度出かけ、農協で記帳したり郵便局で切手を買ったりした。
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https://digital.asahi.com/articles/ASTD23PPMTD2ULLI00KM.html
訪問介護サービスの、特に小規模な事業者の倒産が多くなり、特に地方では訪問介護の事業者のない市町村が100以上あるということなので、かなり大変な状況だと思う。私も母の介護は今は施設に入居してもらって医者に連れていくときなどが主な関わりになっているが、家にいるときはデイサービスや訪問介護にいろいろとお世話になっていた。基本的には家の中のこととしてお願いしていたのは掃除だけなのだが、それでもやってもらえると全然違う。うちの場合は私がいるからまだいいが、一人暮らしのお年寄りの多い地域などでは訪問介護が命綱という人は結構いるのではないかと思う。
また、彼らは地域に密着した仕事なので、大分の佐賀関の大火の時も、お年寄りを救出するのに訪問介護やデイサービスの人たちの協力があって奇跡的な犠牲者の少なさで済んだということもあった。そういう意味である意味地域インフラでもあるわけだから、その辺りのところにもう少しお金をかけていくことは必要なのではないかという気はした。
浜崎あゆみさんの無人ステージの熱唱と中国の一人相撲/大きな書店に行くことの意味は書棚の背表紙を見ながらものを考えることにある
Posted at 25/12/02
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12月2日(火)晴れ
昨日は午前中ブログを書いたりし、気分転換に散歩して近所の和菓子屋さんに弁当を買いに行き、帰ってきていろいろやっているうちにお昼になったのでお弁当を食べた。日曜日の飲み会の時は「若いんだから」とか言われてだいぶ食べさせられたが、なんだか知らないがたくさん食べられた。確実に食べ過ぎではあるのだがどうも胃が丈夫だった。しばらく少なめに食べるようにしたいと思う。お腹が空かないうちに次のご飯になるという感じになるのはどうもあまりよくないなとは思う。
昼食後、出かけて地下鉄の駅まで歩き、東西線で大手町に出て丸の内丸善へ。大きな書店に行くのは何も買わなくても行くだけで意味があるといつも感じるのだが、それがどういうことなのかを言語化できていなかったのだけど、昨日は少しわかった気がした。
大きな書店に行くということは、書棚の背表紙を見たり中身をパラ見したりしながらものを考えることにあるのだと思う。今日は社会学の棚を見ながら結構いろいろ考えた。社会学というとジェンダーとかフェミニズムとか一方的な左派言論などが思いついて「学問と言えるのか」みたいな極論も出てくるわけだけど、書棚を見ていると数量的な社会分析の方法論とかウェーバー以来の社会学的な立場からの事物の考察などの本が並び、こういうことは勉強する意味はあるよなあとは感じる。
それなら本屋ではなく図書館でもいいのではないかという考えもあるとは思うのだけど、図書館の書棚というのは基本的に日本十進分類の順番に並んでいるわけで、そういう意味ではあまり有機的な連関が意識されていない。書店の書棚はこの本を読んでみようと思うとその隣の本も手に取ってみたくなるというような並べ方をしてあるから、知的好奇心が適度に刺激されるようになっているということが一つ。
もう一つは、書店の書棚にあるということは今「現役で」売られている、市場に出ている言説だということで、「お蔵入り」はされていない、リアルタイムに市場に出ている言説であるということもある。最近の本の入れ替わりのサイクルの速さを考えると、ある程度大規模な書店でなければ一定期間その本が書棚にあるということを確保できないわけで、だからこそ大きな書店に行くことでよりリアルなその分野の現在を感じられるということがあるわけである。
昨日見ていたのは社会学の棚田が、社会科学というものは社会・政治・経済と言った研究対象が実際どういう状態なのか、それぞれどうなるのがいいのか、どうしたらそうなるのかということを検討し提言するものなので、どういう社会や政治、経済が良いのかという前提となる考え方が違えば全く違う体系になる。
当然ながら日本の政治学者と中国の政治学者とでは共有できない部分は大きいし、その社会の実情をどう解釈するか、あるいはその処方箋に何が適当なのかというのは国内においても流行り廃りはある。また昨日見た丸の内の丸善などでは基本的に「まともな本」が並んでいたが、学説的に偏った本があることは仕方ないけれども根拠の薄い本も歴史や宗教その他の分野では多い。
丸の内の丸善が良いと思うのはオフィス街にあるということで、そういう意味で実務者の人たちにとって手に取る価値のあるものが多いということがあるのだと思う。新宿の紀伊國屋などだと学生向けに偏っている感じがあり、ジェンダーその他「意識高い系」のものが多くてちょっと最近は敬遠がちになっている。アカデミズムにより近くまた地に足がついた感じだと池袋のジュンク堂がいいなと最近は思っているのだけど、池袋は遠いのでなかなか行けない。神保町の三省堂が間も無く新装開店するので楽しみなのだが、売り場面積はかなり減らしたということで、そのあたりは残念である。紙の本は確かに厳しいのだろうとは思うのだが、大規模書店には大規模書店にしかない良さと役割があると思うので、頑張っていただければなあと思うわけである。
2時前に地元の地下鉄駅から歩いて帰ったのだが、団地の中の道が工事中で普段と違う道を通って帰った。緑道公園を今年から来年にかけて工事するらしく、どういう雰囲気になるのかわからないけれども、道も傷んできた感じがあったからより利用しやすい形で整備するのは良いかもとは思った。普通に通り道なので遠回りにはなるが。
うちに帰ってきて洗濯物を干したりゴミをまとめたり。来週も東京に帰る用事ができたのでいろいろ忙しい。前回の帰京の時には牛乳をチンしたまま取り出すのを忘れていたので大変なことになっていたが、今回は家を出る前にそういうこともチェックしたから大丈夫だろうとは思う。3時半過ぎに家を出て駐車場から出発し、近くのローソン併設のスタンドでガソリンを入れる。158円なのでだいぶ安くなってきた。まあコロナの最安の頃に比べればまだまだ高いけれども。コーヒーを買って出発。道は少し混み始めていた。
首都高も最初はスイスイだったが三宅坂の手前、竹橋ジャンクションの合流でかなり渋滞。三宅坂でもちょっと渋滞し、西新宿の合流ではかなり長大な渋滞。抜けてやれやれと思ったら事故で一車線に規制されていて、それで混んでいたのかと理解するなど。石川PAに着いた時には5時を超えていたので、本当は帰ってから夕食にするつもりだったが八王子ラーメンを食べる。なぜかかなり空いていて、私が入った時は二、三人しかいなかったが、食べ終えて出た時には私だけになっていた。
また八王子ジャンクションの手前で工事をしていてここでもそれなりに渋滞。石川から藤野までのタイムを測ろうと思っていたのだが、渋滞していたので30分以上かかってしまい、ノーカンに。そのあとは基本的に順調。境川に着いた時には6時半ごろになった。トイレ休憩だけしてあとは地元のインターまで休憩なしで走り、インター近くの書店でカレンダーと日めくりを買い、スーパーで朝の買い物などしてから帰ったら8時ごろになっていて、少し休んでいる間に疲れが出てきてうたた寝をしてしまったが、10時ごろなんとか起きて寝る支度をして寝た。
***
https://news.yahoo.co.jp/articles/f903b7757c9a01d12641aaba915b32e880fc8cca
浜崎あゆみさんが中止を前日に命じられた公演で、準備に奔走してくれたスタッフたちのために無人の会場でアンコール予定曲まで全曲歌ったという話は、やはりすごいなと思ったし、普段と同じパフォーマンスをし、上海に何度も呼びかけていたというのは感動的な話だと思った。これは公演中止の憤懣を高市政権にぶつける底の浅い反体制をきどるミュージシャンなどに比べて格が違う感じで、表現の自由とか表現弾圧との戦いというものはこういう形でもできるのだなと思わせてくれた。こうした公演を許さない習近平政権の度量の狭さというものを世界に訴えた形になったのは、現在の中国の歪さというものをはっきりと示すものになったと思う。
中国側は相変わらず手を替え品を替え日本を非難しているが、彼らの言ってることは結局は「日本は敗戦国としての分を弁えろ、大人しく中国様の理不尽に従え」ということなので、それを事実として凌駕するためには「次は勝つ」しかないということになる。しかし日本側はそんなことは微塵も考えてはいないのだけど、彼らの中では軍事的に手を出すように挑発しているわけだから、何か言論で反発すると、すぐ「軍国主義の復活だ!」と騒ぐ。つまり彼らの妄想の中で一人相撲をとっているに過ぎないわけである。
しかし彼らの度を失した騒ぎぶりを見ていると、彼らは実は「次も勝つ自信」は本当はあまりないのではないかと思う。狂ったように軍拡してなんとか自我を保とうとしているが、戦争は数値だけでは決まらない、ということは彼らはよくわかっている。むしろ軍事音痴の日本左派が恐慌を起こしているが、彼らの日本に対する恐怖はいまだにかなり強いと感じさせられる。「そろそろ左派は軍事(実務的に)を語ろう」ではある。
彼らはことあるごとに小日本とか日本鬼子などというが、これは戦前の日本で「アメちゃんは資本主義に毒されて戦う精神を失ってるから弱い」と嘲笑したり、「鬼畜米英!」と叫んで「彼らは道徳的に劣っている」ということにしようとしたのと割と似てる感じはある。精神的勝利法である。
彼らが追い込まれてるなと感じるのは、軍に対して、あるいは軍の内部で粛清が始まるという現象が観測されるからというのもある。スターリンも軍に対して大規模な粛清を行なったし、ヒトラーもレームなど突撃隊を排除したりした。日本でも皇道派と統制派が対立し、クーデターに発展さえした。現代中国でもかなり軍の内部は習近平にやられている。実際の軍の内部の士気はどうなっているのか、不明なところが大きい。
現実問題としてはトランプがあまり同盟国のために戦争をやることに積極的ではないので、習近平はトランプを懐柔しようという作戦に出ているようだが、中国の内実はどのようなものなのか、注視していくべき部分はあるのだろうと思う。
サンフランシスコ平和条約にいちゃもんをつけカイロ宣言を持ち出す中国の意図/帰京と元職場の飲み会/朝の木星
Posted at 25/12/01
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12月1日(月)晴れ
2025年もあと1か月になった。いろいろあった年だったなあと思う。あと一か月、良い月日になるとよいのだが。
昨日は朝のうちにブログ/noteを書いた後、7時ごろに出発して帰京。普段は3回ほど途中休憩するが、昨日は2回だけだった。境川で20分ほど休憩し、藤野でトイレに行って、自宅に着いたのは10時過ぎ。少し郵便物など見て10時半には出発し、11時半に下北沢。30年ほど前の同じ職場の人たちと昼食会。集まったのは7人ほどで、だいぶみなさんお年を召して出かけるのが大変になってきた感じはあった。お昼をゆっくり食べて飲んで、二次会に参加したのは5人。居酒屋でいろいろ食べたがこちらも美味しかった。下北を出たのはまだ明るかったが、地元の駅に着いたときには暗くなっていて、だいぶ飲んだなという感じ。地元の西友で夕食と朝食の買い物をし、これだけ食べたから夕飯はいらないかなあと思ったが全部食べた。この食欲はどこから。
夜は早めに休み、起きたら4時前。とはいえ、飲み終えてからもう11時間ほどは経っていたわけだから酒は抜けている。5時頃まだ暗かったが出かけて少し散歩をした。東京とは言えさすがに12月、ダウンを着て出て正解だった。電飾の首輪をした犬を散歩させている人がいたが、流行っているのだろうか。空を見上げると明るい星があり、木星かなと思ったら木星だった。木星には何か守られている感じがするのだが、獅子座の守護惑星は太陽だとのこと。まあ、とにかく空を見上げると木星が出ていることが多い。明るい星である。帰りにローソンによってジャンプとヤンマガとスピリッツを買ったが、レジの前にエビアンのリットルサイズのボトルが置いてあり、値段を聞いたら手ごろだと思ったのでそれも買った。
***
最近知って、というか知ってはいたけどそんなに大きい問題ではないと思っていた日中間の問題が、今回クローズアップされてきたので割とへえっと思っているのだけど、それは中国が「サンフランシスコ平和条約」を認めていないということ。これはもちろん、日本が第二次大戦後主権を回復する際の条約で、戦後の日本を取り巻く国際体制を規定した重要な条約であるわけだが、講和会議には中華民国・中華人民共和国・大韓民国・北朝鮮・インド・ビルマが参加せず、インドネシアは署名したが批准せず、ソビエト社会主義共和国連邦は署名しなかった。その後日本は中華民国・インド・インドネシア・ビルマと個別に講和条約を結び、旧植民地の大韓民国と日韓基本条約を結んだが、これらはサンフランシスコ講和条約と同じ体系上にあると言ってよいのだろうと思う。
中国に関しては1972年に日中共同宣言が出されて国交が出来るとともに台湾を承認しないということになり、1978年に日中平和友好条約が締結された。
もともと中華人民共和国は交戦国ではないのだが、戦後の国共内戦によって大陸側を支配した共産党政権との国交樹立が、キッシンジャー外交によって日本でも問題になったため1970年代に交渉が進められたわけである。
今回の日中対立の根幹は、台湾の地位にあるということなのだろう。
ただ、考えてみればサンフランシスコ平和条約というのは変な条約である。日本は日清戦争後の下関条約によって台湾を清国から割譲され、日露戦争後のポーツマス条約によって樺太南部を割譲された。これらははっきりと二国間で領土が移動したわけだけど、サンフランシスコ平和条約では以下のように領土を「放棄」している。
1.台湾(フォルモサ)・澎湖諸島(ペスカドレス)の権利、権限及び請求権の放棄(第2条(b))
2.朝鮮の独立を承認。済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対する全ての権利、権原及び請求権の放棄(第2条(a))
3.千島列島・南樺太(南サハリン)の権利、権限及び請求権の放棄(第2条(c))
4・国際連盟からの委任統治領であった南洋諸島の権利、権限及び請求権の放棄。同諸島を国際連合の信託統治領とする1947年4月2日の国際連合安全保障理事会決議を承認(第2条(d))
5・南極(大和雪原など)の権利、権限及び請求権の放棄(第2条(e))
6・新南群島(スプラトリー諸島)・西沙群島(パラセル諸島)の権利、権原及び請求権の放棄(第2条(f))
7・南西諸島(北緯29度以南。琉球諸島・大東諸島など)・南方諸島(孀婦岩より南。小笠原諸島(ボニン諸島)・西之島(ロサリオ島)・火山列島)・沖ノ鳥島・南鳥島(マーカス島)をアメリカ合衆国の信託統治領とする同国の提案があればこれに同意(第3条)
となっている。このうち7番目に関してはアメリカとの交渉により現在は日本に復帰している。6番目はいま中国の進出が問題になっている南シナ海の初頭の問題だし、5番目の南極に関しては南極条約によって各国の領有権の主張は凍結されていることになっている。
4番目の南洋諸島についてはアメリカの信託統治領になった後、アメリカの準州になっているところと独立を果たしたところがある。
2番の朝鮮半島に関しては独立を認め領土を放棄しているがどの国家を承認するかは明言していないし竹島に関してはかかれていないため紛争になっているわけである。3番目の千島樺太に関しては「千島がどこまでか」という問題が解決していないので北方領土問題になっている。
そして1番が今回の日中対立の原因の一つになりつつあるわけだが、これは他の項目もそうなのだけど、日本は特定の国に対して領土を譲渡するとはどこも認めていないわけで、ただ「放棄する」となっているわけである。
だから高市総理は台湾に関し、「サンフランシスコ平和条約で台湾の領有権は放棄したため日本が領有権について何か言うことはない」としたわけだけど、中国側はそこに噛みついたわけである。
日中間における台湾の地位については1972年の日中共同声明が基本になるわけだが、ここでは
1、日本国政府は、中華人民共和国政府(共産党政権)が中国の唯一の合法政府であることを承認する。
2.中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。
ということになる。ここでも重要なのは「中国」という枠組みの中で唯一の合法政権は中共政権であると認めることが一つ、したがって国民党の「中華民国政府」は承認しないということである。
ポツダム宣言第8項の立場というのは
八 「カイロ」宣言ノ條項ハ履行セラルベク又日本國ノ主權ハ本州、北海道、九州及四國竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ
ということなのだが、要はサンフランシスコ平和条約による領土の放棄と同じ内容を指すと考えるのが普通だろう。
カイロ宣言は以下の通り。(三大同盟国とはアメリカ、イギリス、中華民国をさす)
「各軍事使節日本國ニ對スル將来ノ軍事行動ヲ協定セリ
三大同盟國ハ海路、陸路オヨビ空路ニヨリソノ野蠻ナル敵國ニ假借ナキ彈壓ヲ加フルノ決意ヲ表明セリ右彈壓ハ旣ニ增大シツツアリ
三大同盟國ハ日本國ノ侵略ヲ制止シ且コレヲ罰スル爲今次ノ戰爭ヲ爲シツツアルモノナリ
右同盟國ハ自國ノタメニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ズ又領土擴張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ズ
右同盟國ノ目的ハ日本國ヨリ千九百十四年ノ第一次世界戰爭ノ開始以後ニ於テ日本國ガ奪取シ又ハ占領シタル太平洋ニ於ケル一切ノ島嶼ヲ剥奪スルコト竝ニ滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國ガ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ
日本國ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本國ガ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ驅逐セラルベシ
前記三大國ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス
右ノ目的ヲ以テ右三同盟國ハ同盟諸國中日本國ト交戰中ナル諸國ト協調シ日本國ノ無條件降伏ヲ齎スニ必要ナル重大且長期ノ行動ヲ續行スベシ」
この中で中国と関係あることは「滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國ガ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコト」ということだが、つまりは日本は台湾を「放棄」するのは認められず、中華民国に「返還」せよということになるわけだが、日本側の立場としては台湾放棄ののち1952年の日華平和条約で「中華民国」に事実上返還しているわけで、そこから先は日本は関知しない、というのは当然のことになるだろう。
だから日本としては現状の対応において全く問題はないのだけど、上に述べたようにサンフランシスコ平和条約は「領土を返還・割譲する」という文言は一切なく、日本は放棄するだけになっているところが不思議な条約であるということなわけである。それは実際のところ、1951年の時点においてどの国家・政権が当該の地域の恒久的な支配者になるのかが不明の状態だったからで、戦争前の国に返還するというにはそれぞれの地域での支配政権が変化しすぎているということもあるけれども、実際のところは放棄後の領土の返還に関してはアメリカとアメリカの影響力が強い国連に任せるというような意図が条約締結の場ではあったのだろうとは思う。その結果が現在にも継続して問題になっている中韓露との領土問題になっているわけだが。
だから中国としてはサンフランシスコ平和条約を認めず、ポツダム宣言とカイロ宣言を蒸し返して「台湾は中国=自分たち共産党政権」に「返還した」と「言え」、と強要しているのが今の状態ということになるだろう。
そこにはほかの意図も感じるのは、ポツダム宣言はより現実的な路線になっているけれども、カイロ宣言は徹底的な反日家のF・D・ルーズベルト(彼は事実上の多選禁止を無視して大統領として4選し結果的に終身大統領になったという意味でも習近平並にヤバいと思う)の意図が反映しているということであり、「日本国の無条件降伏」が盛り込まれていることにあるだろう。ポツダム宣言は「日本国軍隊の無条件降伏」となっているわけで、ここにはかなりの譲歩がある。つまり、ドイツのようには日本国政府は解体させられずまた天皇制(皇室制度)も存続できたのはこの違いがあったからなわけだ。日中共同声明にないカイロ宣言をわざわざ持ち出すのはより「日本は中国に屈服したのだからこちらの要求に従え」ということを強調する意図があると考えるのが妥当だろう。
まあ長くなったが、要はいろいろ中国が屁理屈をつけているのは日本に対する陽動であり、動揺した野党政治家や良心的な市民たち、つまりマスコミや学者たちが中国に有利な言説を述べて日本の世論が分断されることを狙っていることは明らかだろう。
日本は動揺せず高市首相の所信を今後も繰り返していけばよいだけなのだが、せっかく彼らが手の内を晒してくれているので、それらも研究して行けばよいのだと思う。
満天の星の朝/「ふつうの軽音部」88話「春浅き日々を降りる」:純の「ふつうの転落」と冷めてるように見える鷹見の熱さ/中国のあからさまな文化弾圧と権威主義下での文化/東京高裁の妥当な判断
Posted at 25/11/30
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11月30日(日)晴れ
今朝は昼前に下北沢に行く予定があり、東京の家からは1時間以上は見る必要があるので早めに東京に行こうと思っていて、起きたのは3時半だった。洗い物をしたり準備をしたりしながらブログを書いているが、こういう時に限ってファンヒーターの石油が切れたりするので真っ暗な中、外のタンクに給油に行ったのだが、思ったよりいっぱいに入れてしまって玄関でタンクを置いた時に少しこぼれてしまった。床を拭いたりしてさらに仕事が増えたが、逆に言えばそれだけ満タンにできたのでよかった、ということにしようかと。
というくらいに入れてしまったのは実は暗いのでライトをつけようと思ってiPhoneを持って外に行き、iPhoneのライトで照らして操作したのだが、入れている間に少し「ふつうの軽音部」の更新を読んでいたからで、まあ真っ暗な0度の屋外で読むものでもないのだが、内容的にはなかなか辛い展開になっていた。タンクを運んでいる時に空を見上げたら満天の星で、オリオンが西に傾いていた。
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912394187229
「ふつうの軽音部」88話「春浅き日々を降りる」を読んだ。以下完全ネタバレなので気になる方はまず上のリンクから作品をお読みいただければと思います。
水尾の目の前で交通事故に遭い、足を骨折してリハビリに励む純。レイハと水尾の前では気丈に振る舞うが、大変なリハビリと部活復帰の難しさ、それに「レイハは水尾を好きなのではないか」という思いの中でどんよりとしていく。この辺りの描写が、本当にあるだろうなあこういうことは、という展開。
その隙をついてくるのが「中学の悪い先輩」だというのも本当にありがちなことで、そこでつい手に取ってしまったタバコを運悪く薄々純のことを嫌っていた同級生に写真を取られてしまい、SNSに上げられてしまう。地元のヤバい噂を上げる系のSNSの名前を忘れてしまったのだが、そういうものがあった気がするが、そういうことだろうか。それによって純の悪い噂が一気に校内に広まり、レイハはそういう噂をしている「弱い人たち」に対して強烈な悪い印象を持つようになる。そしてバレてしまった純は開き直ってしまい、自分からタバコを吸うようになって「そんな弱い人じゃなかったのに」というレイハに心ないことを言ってレイハを傷つける。
そんなことをプロトコルの他の3人の前で告白する水尾は、純がついに犯罪を犯して逮捕されたという話をレイハに聞かされて(これは前話)、指が震えてギターが持てない状態になってしまったわけである。
前話までの展開で、この合同ライブ編の話の出演順はレイハたちの「ギャルを囲む会」の後鷹見・水尾たちのプロコトルがあり、最後に水尾のことを好きな主人公・鳩野たちのはーとぶれいくという順番なので、前話を読んだ段階では鳩野が心配して出演順を自分たちと代わろう、というのではないかと思っていたのだが、そうではなく鷹見が「3人でライブをやるからそれを水尾に見てほしい」ということになって、コメント欄でも鷹見の株が急上昇する展開になっていた。
田口の不運に続いて水尾の離脱という危機の中で、水尾を労り出場を辞退しようという遠野に対してあえてリードギターなしで演奏しようという鷹見が何を水尾に、そしてレイハに、あるいは谷九軽音部に、そして七道軽音部に示したいのか、その辺が一気に興味深くなってきたわけである。
華やかな女子であるけれども「弱い人たち」に軽侮の念があり、それゆえだろうクラスからも浮きがちなレイハと、母親が水商売で自分自身は明るく振る舞い、お節介なくらい水尾にも関わってくるが故にある意味クラスで疎んじられてしまうところもある純、それにイケメンだが内気で家も裕福とは言えず友達も少ない水尾の3人が仲良くなったのは、ある意味「孤立しがち」なところがあったかもしれないなと思ったり、またある種の逆境にあっても明るく振る舞っているが故に心に暗い部分を抱えていた純の苦しみを、わかってやれなかったということに気づいてどんどん落ち込む水尾と、逆に順に心ないことを言われたからこそ余計「弱い人たち」を憎むようになったレイハという造形がこれだけの端的に明確にされたのはなんというか神業に近い気がした。
そして前話でトゲトゲピーナッツの演奏をレイハにディスられ、谷九軽音部の名誉?のためにレイハを見返してやろうという意図を持っていた鷹見が、今度は「水尾の心に届けるために」演奏をすると言い切るわけで、この辺は「白けているように見えるが実は熱い男」である鷹見の真骨頂が現れていて、かなり感動する。あとは文字通り演奏の競い合いになるのだろうと思うが、先の展開が楽しみである。
***
昨日の出来事で画期的というか、時代を表していると感じられたことが二つ。一つは同性婚を認めていない民法の規定は違法だとする訴えを、合憲判断をして退けた東京高裁判決。
https://x.com/ishizakinyaoon/status/1994725089032769917
まず憲法二十四条における「両性」は男女を指しているという常識的な判断が下り、よかったと思うと同時に少し意外の念があった。というのは憲法学者の間でも実務者の間でもそういう判断は主流ではなくなった、という話を読んだことがあったからだ。しかし私自身、もしそこを変えるなら憲法を改正すべきだと思っていたので、これは良い判断だったと思う。
これから最高裁の判断ということになるだろうけど、この東京高裁判断はしっかり踏まえてもらいたいものだなと思う。
***
もう一つは上海の日本人の公演における演奏中止・退去事件。
https://x.com/DrewPavlou/status/1994583129324245120
https://x.com/zuoyeben/status/1994433784989761914
https://x.com/Cait_Sith_co/status/1994631371189620954
中国は反日姿勢を強めているが、上海での公演で演奏中に日本人歌手を退去させるということまでやったのは世界に衝撃を広げているように思う。当然ながら演奏内容に問題があったわけではないから、日本人歌手だから、というだけの理由だろう。こういう全体主義国・権威主義国における文化というのは常に弾圧との戦いであるということがよくわかる出来事だった。
一方で、日本製フォトレジストの禁輸が中国の半導体産業に打撃を与えているという話。
https://x.com/superwangbadan/status/1994433356613013896
https://x.com/nthusharon/status/1991800179897585972
こういうことがあるから素材産業のような基礎的な産業は大切にしないといけないのだなと思う。
しかしそのような日中対立の中、あるいは全体主義的体制の中にも文化はある、という話。
https://x.com/yaoshunshyo/status/1993702476554571819
こういう話はよくわかるし、日本にだって表現弾圧がないわけではない、特に今はポリコレ権力方面からの弾圧は酷いので、文化というものを大事にすること自体は大事だと思う。
ただ安全保障問題と絡んでくると、文化交流といって日本にやってくる中国人の一部には当局の意図を含んでくる人たちも当然いるわけで、そのあたりからの精神的懐柔みたいなことも当然起こる。そういうことはゾルゲ事件などの経緯を見ても、完全に防げるわけではない。
これはある意味自由主義国の構造的な弱点だとも言えるわけだけれども、なんというか弱いところがあるからこそ生きているものは美しい、みたいな話もあるわけで、そういうものに対処する法律等をしっかり整えた上でより文化の花を開かせ、またできれば交流も深めていくという難しいことに挑戦していかなければならない時代なのだなということは改めて思った。
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- 地域インフラとしての訪問介護事業/私とnoteの付き合いの歴史/銀行に行ったり本を借りたり
- 浜崎あゆみさんの無人ステージの熱唱と中国の一人相撲/大きな書店に行くことの意味は書棚の背表紙を見ながらものを考えることにある
- サンフランシスコ平和条約にいちゃもんをつけカイロ宣言を持ち出す中国の意図/帰京と元職場の飲み会/朝の木星
- 満天の星の朝/「ふつうの軽音部」88話「春浅き日々を降りる」:純の「ふつうの転落」と冷めてるように見える鷹見の熱さ/中国のあからさまな文化弾圧と権威主義下での文化/東京高裁の妥当な判断
- 日中関係と習近平批判/「まど☆マギ」の凄さと「鬼滅の刃」/「人口の2%に伝える」という考え方/仮説を過度に一般化し政策化するマッチポンプの大きな弊害/寝床にお寺の鐘を聞く
- 晩秋の不安定な気候と朝の忙しさ/「ジェンダー学は学問か」論争をめぐって/宇宙の最大の謎の一つ「ダークマター」解明の糸口になるか
- 「人間性の破壊が深刻なレベルにまで及んでいる中国」とどう付き合っていくのか/「武装中立」の夢を見る韓国と「台湾の次」を警戒する日本/晩秋と初冬の境目
- 北大入試と嵐のライブ:仕事(就学)と趣味をめぐる諸問題/「ブルーピリオド」:「美術は仕事か趣味か」と「アーチストにとっての恋愛」/寒くてじめじめした朝
- 現代の日中関係の始まりは天安門事件と江沢民政権と考えるべきではないか/東京から戻る
- 中国動画ミームの隆盛と「高市政権ルネサンス」/京都の歴史的繁栄を地球科学で解く/火の用心の確認漏れによる帰宅とワイヤレスイヤホンの紛失未遂
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