横谷加奈子:孤独な少年の密やかな性的嗜好/土曜日のジャンプ+/エプスタイン・性的少数者運動・正義の味方の裏の顔/危機と人間性の本質/高市勝利に心乱される人たち/金メダリストと天安門と代理母
Posted at 26/02/21
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2月21日(土)晴れ
昨日は疲れて寝てしまったのでいろいろできないことがあり、ブログの方の更新ができなかったので先ほどしたのだが、昨日はnoteだけ書いて時間がなくなってしまい、下書きでアップして先に母を施設に迎えにいって病院に連れていき、母が点滴の治療を受けている最中に待合の廊下で更新した。これは今までやったことがなかったが、noteのシステムならそれができるのでやはり便利だなと思う。ただ、こんなギリギリまで忙しいようにはあまりしたくは無いのだが。
治療が終わって母を施設に送り、その足でツタヤにコミックスを買いに行ったのだが、欲しかった講談社コミックスの新刊6冊のうち3冊しかなく、「だんドーン」10巻、「ガクサン」14巻、「天国大魔境」13巻を買った。車を回してもう一つの書店に走り、探したら残り2冊はあって、「紛争でしたら八田まで」19巻と「織田ちゃんと明智くん」6巻、それに加えて「遠い日の陽 横谷加奈子短編集」があったのでそれも買った。
横谷加奈子さんの作品を初めて読んだのは「ふつうの軽音部」作画の出内テツオさんのツイートで見つけて読みにいって衝撃を受けた「葬式帰り」だったのだが、これは収録されてなかった。多分、1970年代だったら十分単行本化されたと思うのだが、やはりハードルが高いのかなとは思ったりした。孤独な少年たちの一風変わった性的指向をテーマにした作品が多い、と言っていいのだと思うのだけど、これがますむらひろしとかのガロ的な作画というかそういうものによって表現されていて、ある種の耽美性が癖になる感じの作品群である。少し前にモーニングに掲載されていた「麻子の恋人」が所収されていたのはよかった。こういうのが面白いのは、自分の中にある暗い部分に、思いも掛けない方向から光が当たることなのだろうと思う。そういうものばかりも読んではいられないのだが。少し前にどこかで読んだ少年しか愛せない女性の話も何か単行本にならないかなとは思う。
で、結局一冊は買えてないのだが、それが「宙飛ぶバイオリン」3巻である。作者の三原和人さんの作品は「はじめアルゴリズム」以来「ワールドイズダンシング」、そしてこの「宙飛ぶバイオリン」と全て買っているし、「ワールドイズダンシング」は今年の夏に放映されるアニメ化も決まっていてPVなどを見てもかなり良さそうなのだが、それでも結構部数を削られるのは残念だなと思う。
https://sh-anime.shochiku.co.jp/worldisdancing-anime/
まあ、数々の賞を取り、私は連載開始の時から「絶対面白い」と思い続けていた「ありす、宇宙までも」も最初の1、2巻は地元の書店で買えなかったから、出版不況の深刻さはコミックスにまで及んできているのかなとは思う。最近はジャンプコミックスでさえ初日に買えないことがある。甥たちの話を聞いていても漫画はアプリで読むことが多いようなので、まあそういう時代なのだろうなとは思うが、アプリはいずれ読めなくなる可能性があるから読み返したい時にどうするのかなとも思うし、自分が子供の頃読んで面白かったマンガはだいたい友達のうちに行って読み漁ったジャンプやサンデーに載っていて今はもう読み返せないものがほとんどだから、そういう作品との付き合い方も後でどう思うようになるのかなとは思うのだけど。
なんか漫画の話になり始めてしまったが、土曜日のジャンプ+が思いがけず充実し始めている。最近気になっている作品の一つ、「ハーレム勇者伝説」を最初に読み、二つ目に「ニシトーキョーメタルブラザーズ」。メタルマンガは実は今まで読んできて無いのだが、今回はそういう「メタルとアニメの歴史」みたいなものを扱っていてかなり面白かった。クセの強い担任の教師が出てきてが本当に癖が強くて笑った。このままかまし続けてくれるといいのだが。次に読んだのが「野球・文明・エイリアン」だが今回はイラスト会ということで油断して読んだのだが、次回最終回とのこと。面白かったのだが、多少読む人を選ぶところがあったのがあれだったのかなあと思ったり。
マンガワンで連載されている高校演劇漫画の王道傑作になりそうだった「Change the World」も次次巻が最終巻とのことだし、以前は紙の雑誌は割と打ち切られがちだがウェブならのんびり長期連載のうちに人気が出てくる、みたいな感じがあったのだけど最近はウェブでも競争が激しくなってるということなのかなあと思う。
次に読んだ「生活マン」もかなり面白かった。というか、今までで一番「面白い」と言えば面白い回だった気がする。アキヤマのキャラがかなりいい。最近は曜日によって読む漫画の数がかなり違ってきているのだけど、先日取り上げた日曜日の「こころの一番暗い部屋」のように読んでなかったのを最終回で初めて読んで、初回から一気読みしてみたらめちゃくちゃよかったということもあり、やはり漫画というものは侮れないものだなとは思う。
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これは少し考えていただけなのだが、1990年代には性的少数者の運動の中には小児性愛者や動物性愛者も加わっていたのが、LGBTの運動と宗教的保守派との折り合いをつける動きの中で特に宗教的保守派の忌避感が強かった小児性愛者と動物性愛者の運動を排除して合法化の動きができた、という話があり、そういう意味で現在の性的少数者の運動にとって小児性愛者が加わっていたことは黒歴史であり、そこを突かれると過剰に反応するということがあるわけなのだが、今回のエプスタイン・ファイルの問題をみていると、つまりは小児性愛者は運動に関わったわけではない多くの西洋人・白人の間でもともとかなり幅広く根強い嗜好者がいて、まともに運動をするような階級の人たちは排除されたが、上層階級の人たちの間の秘密クラブのような形で「エプスタイン島」が存在したのだなと整理することはできるなと思った。
そう考えるとエプスタインという人物もなんというか性的倒錯性という要素と性的搾取者という要素の二つがあり、その二つの要素が上流階級に食い込んでいく上で何らかの武器になったのだろうし、実際のところそれなりの人数の女性たちもそれに加わってはいたわけだから、男性だけの問題でも無いのだろうと思う。エプスタインが1990年代に何をしていたのかとか調べたことはないからわからないのだが、性的少数者の運動とどういう関わりがあったのかとか、その辺も開けてはいけない扉のようなものが存在するのかなという気もする。フェミニズムやゲイの市民世界での承認の過程の中で何となく西欧近代社会の中に薄闇のように存在した性的嗜好の倒錯のうち市民性が認められたものと認められなかったものの間で亀裂が起こり、後者がより悪魔化されていったわけなのだけど、そういう闇を共有する人たちは少なからず、特に社会的上層階級の中にも、また特にリベラルと言われる人たちの中にいた、というところがある種興味深くはある。
私は元高校教員をやっていたということもあり、親子関係の軋轢の起こりやすい家庭として「教員・警察官・僧侶」がある、ということはよく言われていたのだけど、つまりはそれらは「正義」ないし「建前」で動かなければいけない、人を「指導」し導くことを仕事としているという共通点がある。子供がそういう親に共感すれば良いが、それに着いていけなくてグレてしまうという場合もあるだろうし、親が外で言っていることと家庭内で見せる顔が違うということに衝撃を受けて道を外してしまう、ということもあるかなと思う。今回エプスタインとの関連で逮捕されたり辞職したりした人の中には、英国王の弟であるアンドルー元王子や労働党内閣の元アメリカ大使、マイクロソフトの創業者だが慈善団体の運営者でもあるビル・ゲイツ氏など、「世の中に見せる「正しい」顔」の向こうにそうした闇があったということで糾弾されているというのは、そういうことと共通点が感じられるなとは思った。
今回の衆議院選挙の大敗北によってリベラルの人たちが「高市鬱」などと鬱病者差別的な描写を平気でしたり、暴力を否定してきたはずのリベラル勢力が暴力的な選挙妨害を公言したりなど「リベラルの劣化」が言われているけれども、実際のところは彼ら自身が抱えていた闇がこうした大敗北という危機の中ではしなくも露呈してしまっただけなのではないかという気もする。
それは、日本が戦争に敗れたときに、多くの人たちが狼狽えて昨日まで無敵皇軍と言っていた人が衣替えしていきなり民主主義を説き始めたりするのと同じことで、「リベラル敗戦」の危機と惨状の中でどのように行動するかということで本来の人格が露呈しているというふうに考えるべきなんじゃないかとも思う。
エプスタイン関連で名前が上がった人たちが何も言わずさっと辞職して身を引いているのはある種の出処進退ではあり、彼らに言いたいことがあればもっと主張しようとしてもいい気はするが、しないのはつまりは彼らがそれを「悪」と認識しながらやっていたと考えたのか、あるいは少なくとも「理解されることはない」と考えたことの表れでもあるだろうから、まあこれをきっかけに小児性愛の合法化が唱えられるとかいう方向にはいかないだろう。
現代世界において小児性愛が強く否定されるのは、近代民主主義社会というのは「健全な常識を持った大人」が支える社会であるという共通理念があるからであり、それに当てはまらない子供や精神病者は責任を免除されることになっている。そこに少年法や「責任能力」の問題が生じてくるわけだが、それが民主主義社会の建前に関わることだからなかなかそこは市民の不満を越えるのが難しいわけだし、小児性愛が否定されるのも責任能力のない子供を性的対象にすること自体が虐待であるという観念が特に近年強まっているからでもあり、その流れを逆にしようという動きは今のところあまりない。表現問題でもこの辺りはセンシティブな部分であり、極端な論者になると日本の漫画アニメはほとんど倫理的にダメ、みたいな方向性もないわけではないので、あまり対岸の火事視しているのもどうかというところはなくはない。
リベラルの人たちの総選挙後の醜態は戦後のある種の人々の醜態と重なるわけだが、そうではない行動を取った人たちもいる。戦時中皇国史観の主導者であった平泉澄は玉音放送を聞いてその日のうちに東大国史学教室を引き払ったという話がある。彼は日本の敗戦を「自分自身の敗戦」であるとよく自覚していたということだろう。
また、急に元気になった共産党支持者や社会主義者たちに対して、小林秀雄は「自分は馬鹿だから反省なぞしない。利口な奴らはたんと反省でもするがいいさ」と言い放ち、こうした騒ぎの中でも多くの日本人は自分の身を「黙って処した」と書いていた。
昨日も書いているけれども、天皇や日本国家というものを信じすぎていた人たちが天皇や日本国家に裏切られたと感じてもそれはある意味仕方がないし、それが現在まで尾を引いていて「天皇制否定」や「日本死ね」のような反国家主義につながるルサンチマンの源流になっていると思うのだけど、それはそれで理解できないことはもちろんないのだが、自分はその立場には立たないなとは思う。
終戦時の色々な勢力の中には、降伏したら自らの解体が必至だと認識していた戦争遂行にこだわる軍部や、政党政治の復活を窺う議員勢力、はっきりとした動きが見えない、ということは目の前のことに懸命だっただろう官僚勢力、そういう意味では多くの国民もそうだっただろうとは思うが、また一部には戦争に対して否定的な考えを持っていた人もいただろうとは思うが、それは終戦後に事後に諸葛孔明の如く「俺はこの戦争は負けると思っていた」としたり顔で言った人たちよりはずっと少なかっただろうと思う。そして何とか日本の敗戦を最小限度に食い止めたいと思っていたいわゆる「重臣ブロック」の人たちがいて、自分が感じとして一番近いのはこの人たちだなと思っている。
彼らの中心になるのはと内大臣の木戸幸一、元内大臣の牧野伸顕、侍従長から総理大臣になっていた鈴木貫太郎といったところだろうか。そして何よりも彼らは昭和天皇の側近としての性格が強く、立憲君主制的な理想をもともと持っていた昭和天皇の意をていして動いた部分が大きかっただろう。彼らと近く戦後のGHQとの交渉の中心になったのが吉田茂であり、彼は知られているように牧野伸顕の娘婿である。
その吉田が敗戦の際に言ったと言われているのが「戦争で負けて外交で勝った歴史がある」という言葉であり、日本国憲法のGHQ草案を訳したりGHQとの連絡役を担ったのがイギリス大使時代から友人であった白洲次郎であったが、彼は高飛車に出てくるGHQに対しても常に対等の姿勢を取り続け、「我々は戦争に負けただけであって奴隷になったわけではない」と言ったというが、このような言葉を真の危機の時に吐けるのが本当のかっこよさだといつも思う。
これも何度も書いているけれども、「ナルニア国物語」で挿話的な「馬と少年」の中で、実はアーケン国の王子だったカロールメンの孤児の少年シャスタに対して父のアーケン国・リューン王がいった言葉、「王というものは危機の時には誰よりも少なく食べ、誰よりも立派に着飾って大声で笑っているものだ」という言葉を思い出す。
それに比べると一敗地に塗れたリベラル勢が「高市鬱」などと差別的で攻撃性の高い言葉を使って傷を舐め合っているというのは本当にみっともないとしか思えないわけで、ここでかっこいいところを見せてくれる人間は誰もいないのか、と思ってしまうのだが、残念ながら誰もいないのかもしれないな、とも思う。
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トランプ症候群ならぬ高市症候群というブルームバーグの記事。この辺りについて書くつもりだったのだけど今日は時間もなくなってきたのでまたあらためて。そういえば高市鬱という言葉もこのあたりが元なんだろうか。自分たちは錯乱してるんじゃない、鬱なだけだ、みたいな。そんなところで格好をつけようとするからよりカッコ悪いのにと思うが。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2026-02-06/TA0ESWT96OSL00
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昨日は銅メダルの中井亜美選手について書いたが、それに関連して読んでいてかなり驚いたのがオリンピック女子フィギュア金メダルのアリサ・リュウ選手の経歴。父親が天安門事件で中国を去った人物だったというのはドラマだなと思ったが、彼が卵子提供と代理母を使って五人の子供を作り、その長女がアリサ選手だったという話。
https://x.com/wshngknshji1/status/2024677629664932055
彼女の才能を見出した父親は何億円も投資して彼女をトップレベルの選手に育て上げたが中国共産党の影がちらついたりステージパパへの反抗もあってか一時スケートをやめUCLAに進学していたのを、父の影響力を排除して再びトライするようになって掴んだ金メダルというあたりで、なんというかもう自分の想像力を超えたところで様々な人生ドラマが生まれているのだなと思ったのだった。
エプスタインファイルの問題もそうだが、日本のちまちましたリベラルの壊滅などの話と違って「人間とは何か」レベルの問いかけが既に社会のトップレベルにまで及んでいるアメリカという国のある種の人工性と闇の深さ、それゆえの超越性などについて改めて考えさせられてしまった。こんな状態にあるとトランプもイランを攻撃したくなるよなという気もするが、まあなるべく平和にやってもらったほうがいいだろうとは思う。この辺の問題も考察する機会があったら考察してみたい。
中井亜美選手の銅メダルとか「絢爛たるグランドセーヌ」とか/フランスや人文系の魅力低下/国際結婚の障害/「天皇」や「日本国家」に対する「崇敬」と「不信」
Posted at 26/02/20
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2月20日(金)晴れ
朝は少し冷え込んでいる。先ほど見た気温はマイナス7度、昼間はそれなりに暖かくなってきたが、晴れた日の朝はやはり寒い。しかし「枕草子」に「冬はつとめて」というように、早朝のりんとした空気というのは気が引き締まる感じはある。空気が澄んでいるので遠くまで見えて、この辺りで言えば見える場所に行けば富士山が見えるのだが、これはこの時期のものである。もう立春も過ぎたので、というか昨日は雨水で旧暦でも今日は1月4日、平安時代の感覚では一応春である。まだ「春はあけぼの」というようなうららかさとは程遠いけれども。
昨日は午前中少し作業した後買い物に出てホムセンでスリッパを買ったりスーパーでお昼の買い物をしたり。それから書店へ行って「チャンピオンRED」の4月号を買った。「絢爛たるグランドセーヌ」の中でもコロナ禍が終わろうとしていていろいろ動きが慌ただしくなってきている中、日本でのバレエスクールの生意気系後輩男子がロンドンに来ていて一緒に買い物をしたりするなどの動きもあり、「バレエ漬け」とは少し違う華やかさもあった。先輩のファビオラに出会ったのが今後の展開では楽しみなのだが、プロのバレエ団の練習に参加したりしてまた違う雰囲気の場面が興味深いなと思う。
フィギュア女子中井亜美選手の演技をリアルタイムで見たが、ショートに比べると余裕がない感じで最後は首を傾げていたが、フリーの順位は9位で銅メダルだったようだ。残念だが、まだこれからの伸び代というようなものを強く感じる演技だったので、今後また頑張ってほしいと思う。坂本選手は銀メダルで金メダルはアメリカの選手だったようだ。
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大学においてフランス語の履修者が減っているという話なのだが、デリダ・フーコーの時代から90年代くらいまでは哲学の最先端はフランスだという意識があったし、フランス映画や革命の歴史への意識もあったのだけど、そういう社会的な要請が薄くなってきたことが、学生たちから見てフランスに対する評価の低下につながっているのだろうなと思う。私が今考えてもフランスそのものの重要性というよりは、核保有国でありEUの中心国家の一つ、みたいなところから考え始めてしまうので、以前のような革命と民主主義の母国とかそういうイメージは消えてきてるなと思う。政治的にも新しいものをどんどん生み出していた時代は過ぎ去り、極端な世俗主義やイスラム移民たちの報われなさ、wokeの横行、極右の台頭など、ヨーロッパとフランスに対する幻滅が広がっていることも大きいなと思う。私も修士課程でフランス革命を専攻しているのでそれなりの残念さは感じてはいる。
アメリカなどを見ていると、文化的にフランスに対してコンプレックスがあるように感じることが多いのだけど、日本には英米人のようにそういう根源的なフランス・コンプレックスがないので、全般に欧州の衰退を感じるなとは思う。
また、中国に対しても昔は、特に日清戦争に勝つまでは中華コンプレックスがかなりあったと思うし、戦後も贖罪意識と共にやはり中国はすごいという意識が復活し、シルクロードなどへの憧れが私も子供の頃にはあったのだが、中国共産党の支配が続き、特に習近平体制になってからの国としての「余裕のなさ」のようなものを見ていると、「国としての魅力」みたいなものもあまり感じなくなってきているなと思う。そういうものはまだ米英には感じる部分がかなりあるから、やはりアメリカとの関係は大事にしていくべきではと思うところもある。
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日本人の中には海外に移住する人がそれなりにいて、SNSで発信が多い、あるいは多く感じられるのは女性の方だなと思うし、特に「海外出羽守」と言われる人たちの多くが女性で、男性でも学者が多いなと思う。海外にいる男性の多くは地元の仕事などでいろいろ苦労していてその国のひどいところやいいところを客観的に発信する人が多い印象だが、最近では女性でもその国のひどいところを発信する人が増えてきた感じはある。
その中でも「国際結婚」の数が増えているが、よく言われるのは開発途上国の女性が先進国の男性と結婚する、いわば性的搾取的な方向での議論が時々あるわけだが、今後日本人女性の国際結婚は減っていくのではないかという指摘があり、それが日本女性には「子供の連れ去り」のリスクがあるから、というのはそうかもなあ、とは思った。
https://x.com/kasiwa_kuma/status/2023465633716056395
なぜこういうことが起こるかというと、日本国内でも離婚調停では母親が親権を取ることが多く、それと同じ感覚で海外でもやってしまうということなのだと思うけれども、日本でも共同親権が4月から施行されるからその辺は変わっていくかもしれない。連れ去られた父親側の悲劇や、親権を取った母親が養育費が送られてくるのにそれを子供でなく自分のために使う、などの例をよく聞くのでそれは良いことだと思う。
ただ、日本における母と子の関係というのは世界的に見ても特殊なくらい強いのではないかという気が少しした。無責任な母親が子供を捨てて父と子だけが残される、みたいな話ももちろんあるのだが、「母子もの」の方が圧倒的に多いような気がする。それがどのような文化を背景にしているのか、というのは最近の研究だとどうしてもフェミニズム絡みになりそうで読む気がしないのだけど、昔の研究でそういうのもある気もするので読んでみてもいいかなとは思った。
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若手研究者の恵まれなさ、みたいなことがよく言われるが、若手研究者の大変さというのは昔からそういうものだろうという気もするのだが、特に人文系は段々先細りの傾向があるから厳しいことは確かだろうなと思う。
https://x.com/KuwaharaTabito/status/2023948081415245863
ただ、人文系学問が衰退しつつある最大の原因は、学問のwoke化(もっと広く左翼リベラル化と言っても良い)にあると思う。人文学の魅力というのは、自分の知らない人文知の広大な世界に触れ、世界に畏敬を感じ、その世界の系譜に自分自身もまた位置付けていくことにあったと思う。もちろんそれは世界を変えることにつながる可能性があることではあるのだけど、今の人文学と称するものは学問自体がwoke的な価値観に基づいて小手先で世界を変えようとするための小道具に堕してしまっているようにしか見えない。wokeの手から学問を取り戻さなければ、人文学の未来はこれからも先細っていくばかりだと思う。
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今は割とシンプルに「皇室を崇敬するのは保守・右翼」と考えられていると思うのだけど、かつて「天皇は左翼」というネット上の「迷言」があったように、その辺りの関係は実はそんなにシンプルではない。
https://x.com/accentdeverite/status/2024047521618940219
60年安保期に深沢七郎『風流夢譚』や大江健三郎「セヴンティーン」連作や三島由紀夫『憂国』など、作家たちが「天皇」の存在に問題意識を持って書いていた、という話を読んで、まあこれは確かにそうなのだよなと思った。
私は演劇をやっていたし、大学のクラス演劇で別役実の「アイアムアリス」、自主公演で「不思議の国のアリス」をやったことがあるので、別役の戯曲はそれなりに読んだのだが、その中にも「マッチ売りの少女」という作品があった。
http://www.misawa-ac.jp/drama/works/w_08.html
この作品の概要は上記を読んで貰えば大体わかると思うのだが、これが天皇制をテーマにしている、ということがどのくらいの人に理解できるか、ということは今になると思う。
つまり老夫婦の側が天皇制とその国家の普通の市民たちであり、過去に様々なことがあったことを、もう忘れてしまっている。女は「自分は老夫婦の子供だ」と称しているが、要は「国民は天皇の赤子である」という言葉がそこでキーになるわけである。「マッチ売りの少女」が売っていたものはもちろん童話ではマッチなのだが、実は少女はマッチを擦ってその間に自分のスカートを捲り上げてそれを見せる、というある種の売春行為であった、という話があって、それが国民の一部の戦中ないし戦後体験のアナロジーにもなっているし、一部の人たちにとっては「従軍慰安婦」や「パンパン」などの性的な被搾取の象徴と読めるようにもなっているわけである。
「弟の卑しさ」は迷惑をかけたアジアの国民をよそに経済的繁栄を享受する国民の後ろめたさの象徴でもあるだろうし、そういう意味でいうと1966年、高度成長の始まった時期のある種の国民意識をよく反映した作品だと思う。
戦中から戦後の歴史の中で、多くの人々が「国家≒天皇から見捨てられた」という思いをもっただろうと思う。それは満洲において侵攻してきたソ連軍の暴虐にさらされ、守るべき関東軍が先に撤退してしまった、という経験からくる人もいるだろうし、ガダルカナル島やインパール作戦のように補給が杜絶し凄絶なサバイバル状態になったとう意味での「見捨てられ」でもあり、また「天皇のために決起した」青年将校を「無慈悲に」処刑させた二・二六事件に関してでもあり、小学校の教室で昨日まで信じていた内容を墨塗りで消された体験でもあり、そうした多くの「見捨てられ」の物語の中で例えば寺山修司の「霧深しつかぬ間海にマッチ擦る身捨つるほどの祖国はありや」の祖国に対する不信の念や、今でも左翼系の多くの人々の持つ国家や天皇への不信に結びついていることは間違い無いだろうと思う。
そういう意味で「天皇」への不信というものは左翼だけでなく右翼にもある部分で共有されるものでもあり、三島由紀夫がこだわったのもそういう部分だったわけである。
もちろん多くの国民はそれを自分たちの努力で乗り越え、わりない思いもあったとしてもやはり天皇が国民の中心にいてくれると安心する、と思い直して戦後の象徴天皇制を支持していったわけで、そうした普通の人々、「マッチ売りの少女」で言えば「老夫婦」の側にも、そうした意味での物語は確実に存在したわけである。
私も元々は左翼リベラル傾向の両親のもとで育っているのでこういう感覚はそれなりにわかるのだが、父も80年代以降はどちらかというとスタンスが保守の方向に傾き(それでも多分最後まで自民党には投票しなかったと思う)渡部昇一や小室直樹をよく読んでいて、私も子供の頃からそういうものを読んでもいたので、右の感覚も左の感覚もそれなりにわかる。
だからそういうものを踏まえた上で今は保守のスタンスを取っている、例えば二二六をめぐる様々な言説の中では、自分としては重臣ブロックというか昭和天皇の怒りに最も共鳴する部分があると思うし、しかしなぜその方向に日本が行かなかったのかについてはもっと深めないといけないと思ってもいるわけである。
日本の左右についてはそのくらいの深さでは考えていかないといけないと思うのだが、どうも最近の左翼リベラルの発言は言葉が軽い気がして、もっと勉強した方がいいのでは無いかと思う部分が多い。
沖縄リベラルメディアの「台湾は沖縄に迷惑をかけるな」発言/自民党に高市・石破の水と油が共存できるのは安全保障=憲法改正の大義があるから/フィギュア中井選手の素晴らしい演技とフェリーニの「道」
Posted at 26/02/19
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2月19日(木)晴れ
昨日は午前中出かけて松本の整体へ。早めに出ようといろいろ備えていたのだが、腹具合との相談で出るのが予定よりは遅れた。ただ、車の流れが順調だったので地元の下道も高速も特に問題なく走り、塩尻で降りてからもそんなに焦らずに走れて、時間より少し早めに着いた。
腕が痛いということを言ってうつ伏せに寝ると左腕に激痛が走り、思ったより痛かったのだなと自覚。左腕の位置を探りながら操法を受けたが、終わる時には痛みはおさまっていた。基本的には疲れによるものだろうとのこと。腕の疲れもあるが全身の疲れということもあるのだろう。偏り疲労を無くすためにいろいろ心がけようと思うが、今も考えながらブログ/noteを書いていると痛いので、頭を休めることがまず第一だなとは思う。なかなか難しいが。
帰りは近くのスーパーでお昼の買い物をし、下道をゆっくり走って塩尻で高速に乗って岡谷に出たが、法面の伐採をやっていて車線規制の影響で少し時間がかかった。岡谷で降りてレイクウォークの隣の書店に行き、サンデーのコミックスを2冊買おうと思ったが「ふたりバス」1巻は買えたがもう1冊がなく、仕方ないので湖畔を走って上川河口橋から遡り、ツタヤへ行って探したら「かくかまた」3巻があったので買うことができて、実家に帰って昼食。
昼食後少し横になったら熟睡してしまったのでやはり疲れてるんだなとは思った。それから裏山の竹藪の作業を少しやったが、やはり腕が疲れてあまり長くはできなかった。
***
最近いろいろなことを考えるのだが、世情においても高市政権の圧勝はやはりある種の作戦勝ちのところがあり、自民党政治が続く中で積極的に政策を実現していくにはまず政局を勝ち抜く必要があるわけで、昨年の総裁選ではそれをうまく乗り切り、今回の衆院総選挙でも国民の大多数を味方につけることに成功して戦後最多の議席を獲得したわけである。
一方で石破政権下の選挙ではほぼ敵失によって勢力拡大に成功した立憲民主党が、高市政権を嫌って連立を抜けた公明党と組んだ中道改革連合が惨敗し、特にリベラル勢力の壊滅的退潮がさまざまに語られるようになっている。
彼らの高市政権に対する批判を読んでいると、それ自体が彼ら、つまり左翼ないし「リベラル」の抱えている問題の現れであると思われることが多く、そういう意味で彼ら自身を分析するための重要な資料になっているように思われる。
例えば、「高市政権になると大々的に軍拡を行い徴兵制も復活するから「ママ戦争止めてくるわ」」という発想につながっていたわけだが、その辺りのところも彼らを分析するヒントになるだろう。
彼らはTwitterに「召集令状=赤紙」の写真を載せてこのままではこういうのがいきなり来るぞ、というわけだが解像度が低すぎるわけである。2026年の現在で80年前と同じことが行われると考える方がいろいろな意味でどうかしているわけだが、国民を軍隊に召集するためにはまず徴兵検査を行わなければいけないし、そこで甲種合格したら2年間とかの兵役になり、終わったら予備役になる。徴兵されなかった人たちも訓練等はあるし、召集というのは要するにそれら予備役の人たちを改めて軍隊に呼ぶことであるから、まずは全国的な徴兵システムを再構築する必要がある。
それだけで志願兵システムの現在の状況とは比べ物にならない予算が必要になるわけで、しかもそれは産業の発展に寄与しないだけでなく、ただでさえ人手不足の現状をさらに悪化させるわけで、そんな余裕は現在の日本にはないわけである。
徴兵が必要になるとしたらまさに日本自体が存亡の危機に陥ったときで、西から中国が、北からロシアが本土に攻め込んできて国土防衛のために国民を動員せざるを得ないという時だし、根本的にそんなことにならないようにするのが先決問題である。そのためには侵略性向を強めている中国やロシアに対して強い態度で望んでおかないとどんどん不利な状況に追い込まれる。日米同盟の強化や「自由で開かれたインド太平洋」外交でオーストラリアやインドネシア、あるいはインドやフィリピンなどとも相互協力を深めることで抑止し、中国に対しては「対話の扉は日本からは閉じない」という態度で望むのがベストだろうと思う。
*
しかしそういう状況において、特に微妙になってきているのが沖縄の政治情勢のようだ。
https://x.com/Ryudai_Jinsha/status/1624735253251395585
この一連のスレッドを読んで沖縄の左翼メディアの酷さと言論空間の閉鎖性について改めて慨嘆させられたが、それで済む問題ではないなと思った。
要は台湾統一に向けて武力による威嚇を強める中国という存在があり、彼らの言動からは明らかに「台湾の次は沖縄」という狙いがある(これは先日読み始めた佐々木れな「自滅する米中」にも書かれていた)ことから、高市首相の台湾有事発言などもあり、その辺りで台湾と沖縄の双方の相互の意思疎通を図ろうという趣旨で開かれたシンポジウムだったようだ。
https://x.com/LIU_Yen_Fu/status/1624752646790971393
特に驚いたのが沖縄タイムスの編集局長が「台湾は日本や沖縄に迷惑をかけないようにちゃんとした世論を構築してほしい」と放言したという話で、これは沖縄の左翼ならこれくらいのことは言いそうだが、いくらなんでも外国である台湾に対してこんなことを言うとはと呆れたわけである。
結局沖縄の左翼は県内の閉鎖的な言論空間で主導権を握り、政府に対して注文をつけるだけの役割に安住して反米軍・親中国の姿勢で臨んでおり、そこに「台湾」と言うファクターが今までなかったと言うことなのだろうと思う。だからこんな上から目線の失礼な言い方ができるのだろう。
https://x.com/Ryudai_Jinsha/status/1624946524504596480
これは沖縄の左翼の深刻な問題ではあるけれども、沖縄だけでなく日本の左翼の深刻な問題でもあるだろう。反自民・反米の姿勢をこじらせすぎて中露から情報を取るようになっているが、これはどう考えても情報戦を展開する中露の思うツボであり、その手駒にされているとしか言いようがない。中露がハイブリッド戦争を行なっていることはもはや世界的な常識であるのに、それらを退け陰謀論にハマってしまっている人が多いのが日本の左翼全般の情勢で、だからこそ「ウクライナは早くロシアに降伏しろ」などと言うことになるわけである。ウクライナの次が日本でないと言う保証はないのにである。
そしてこの局長の発言にある「台湾は沖縄を巻き込むな」と言うのは「ウクライナは日本を巻き込むな」と言う主張と同じであって、自分たちさえ良ければ良いと言う話になる。台湾やウクライナが自由主義世界の最前線で権威主義諸国と対峙しているのだという事実が理解されないのは、現実を見ないことで勢力を保とうとする戦略であり、そのような戦略が破綻したのが今回の総選挙だったわけだが、その反省が全くないのも残念なことだと思う。
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https://x.com/Perfect_Insider/status/2023387842781790306
https://x.com/Perfect_Insider/status/2023388553330446639
こうなったのにも理由があって、もともと戦争直後の保守多党化の時代に、「経済政策という小異」を捨てて「安全保障という大同」を取るという旗印のもとで1955年に自民党が結成されたことに始まるわけである。
戦前の二大政党制は民政党が井上準之助の緊縮財政、政友会が高橋是清の積極財政という欧米の他の国と同じような経済政策の対立に由来するものだったのだが、世界恐慌への対応に失敗し政府や財閥への批判や暗殺事件の続発で政党に依拠しない中間内閣に移行し、それがブロック経済化と相伴って統制経済を強めることになり、経済的自由主義と思想的自由主義がともに逼塞することになってしまったわけである。
戦後は特に吉田茂の自由党と鳩山一郎の民主党に代表される二大保守政党の対立に戻ろうとしていたわけだが、米ソ対立の冷戦が深刻化する中で社会党や共産党の勢力も強まり、下手をすれば革命すら起きかけないという状況の中で、社会党を中心に非武装中立の主張が強いこともあり、安全保障に大きな弊害が予想されたために三木武吉らの手によって保守合同がなされ、「憲法九条改正」を党是とし安全保障政策を確立することを根本理念とする自民党が結成されたわけである。自民党はその後も岸内閣での安保改正に成功し、日米同盟という大きな保証を手に入れたわけである。もちろん引き換えにしたものもあったわけだが。
つまり、戦後日本の二大政党制は経済政策の対立が主眼ではなく、安全保障政策の対立が大きくなった。ということは結局は社会党が政権を取るためには自民党の安全保障政策を批判するしかなくなるわけで、安保批判や護憲、原水爆禁止などの平和運動が左翼運動の中心になったわけで、それが現在までおを引いているわけである。
戦前の日本や欧米の政党政治と違い自民党内では経済政策は決定的な対立点にならなかったので、積極財政の池田勇人や田中角栄と、財政健全化を唱える佐藤栄作や福田赳夫が同じ党内にいるということになったわけである。慎重な佐藤内閣下で高度経済成長を成し遂げたためにその後の田中内閣は「日本列島改造」を唱えて超積極財政を行おうとしたがオイルショックなどもあり狂乱物化を招いて福田赳夫を大蔵大臣にして緊縮を図る、などということが可能だったわけである。
しかし自民党の悲願である憲法改正は何十年経っても達成されず、それが故に自民党が解党することもなく、社会党はますます護憲平和のみにこだわるようになっていき、アップデートされなくなっていったわけである。
ただ、その状況のもとでレーガン政権・ブッシュ政権の圧力とソ連自体のペレストロイカ政策などもありソ連が崩壊し、安全保障面での懸念が消えたように思われた。そのために1993年に小沢一郎が仕掛けたのが自民党分裂であり、それが現在の民主党・立憲民主党・中道改革連合の流れにつながっていくわけだ。
しかし冷戦崩壊による平和到来というのは一時の幻想に過ぎず、21世紀になるとテロとの戦いの本格化、また2022年に始まったロシアによるウクライナ戦争によってまた安全保障が喫緊の課題になる時代に戻ってしまったのである。この状況下において護憲平和の伝統芸しかできない左翼リベラルが全く支持を失い、安全保障政策を第一に掲げ中国に対して対峙する姿勢をとる高市内閣が支持されたのは当たり前すぎるほど当たり前だということができるだろう。
逆に言えばこの課題を解決でき、安全保障に対する国民的な合意形成ができれば自民党は巨大与党である必要はなくなるから、水と油のような高市と石破が同じ政党にいるという状況も解消されるだろうと思われる。そういう意味では憲法改正は日本が次の段階に進むために必要な一歩であることは間違い無いと思う。
**
書きたいことは他にいくつかあるのだが、時間がなくなってきたことと腕が痛いこともあるので後一つだけ書こうと思う。
昨日のオリンピックの女子フィギュアのショートプログラムで1位になった中井亜美さんの演技である。
これは、私が今まで見たフィギュアスケートの演技の中で最も良いものであったと思った。もちろん私の好みもあるが。
私は今回のオリンピックにほとんど興味がなくて全然見ていなかったのだが、ニュースで映った中井さんがボーダーの衣装を着ているのが気になり、少し調べてみたらフェリーニの映画・「道」の主人公であるジュリエッタ・マシーナが演じる「ジェルソミーナ」をイメージしたものであることを知って仰天したのである。
私はフェリーニの映画が好きなのだが、「道」はあまりに古典的なヒューマニズム映画であるということもあり、そんなにすごく好きでも無いと思っていたのだが、イタリアでのオリンピックで日本人の17歳の少女が演技をするのに無垢なジェルソミーナというモチーフはこれ以上ないものだというところに非常に感心させられたわけである。
もちろんそんな作戦だけでなく、中井さんの弾けるような演技も素晴らしいし、京都の舞妓さんを思わせる顔立ちとメイクに大きく口を開けて嬉しそうに笑う表現が非常に映えていて、得点を見て喜びを爆発させた時の身振りなども本当に高校生らしく、こんなに全てがマッチして最上の結果をもたらした滑りは本当に初めて見たと思ったのである。
フリーの演技がまだ残っているから気は早いのだが、ぜひフリーでも頑張って良い演技をし、良い結果を収めてもらいたいものだと心から思ったのだった。やはりスポーツは侮れないし、イタリアを舞台にこのモチーフを選択できるチームの力量もまた素晴らしいと思ったのだった。
「リベラルな若者」の「リベラル拒絶」は当然の結果か/左翼という上部構造の崩壊は出版業という下部構造の凋落の結果か/天皇の自由意志/日常の緊張感/ロバとキリスト/「ふつうの軽音部」8話/竹を切る
Posted at 26/02/18
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2月18日(水)晴れ
昨日は午前中ブログ/noteを書いた後、裏山の竹が道を塞いでいるところを切り開くためにどこから手をつけたらいいか探りながら作業をしていた。まず切った竹の置き場を作らないと作業が進められないなと思いそのスペースを作れそうなところから手をつけ、要領を見出していく。畑の反対側の端のところに入る道から入ってみたが相当な藪になっていてそこにスペースを作るのは後にしたほうがいいことがわかったので手前の方から手をつけた。二月ももう中盤だから早めに動かないと山もすぐ春の成長期に入るので、余計手がつけられなくなっていく。午前中は零下だったが少し作業するとすぐ暑くなる。
腕も痛いしまだ作業に慣れていないのであまり無理はしないようにし、午前中は早めに上がって入浴して着替え、銀行回りなど。資金を移したり記帳したり。近くのファミマへ行って電気代と水道代を払った。それから西友に行って出汁の素と梅干しと豆腐を買って帰宅。昼食後少し休んでまた裏山で作業。だいぶ要領がわかってきたし午後は気温も上がってきたので作業はしやすい。ただ、竹は本当に小さな枝が多くて気がつかないうちに引っかかる。蔓草が太くなったのが竹に絡んでいて上の方が引っかかっていて倒せなかったり、ややこしいことは多い。冬でこれだから夏はもうジャングルである。まだどのくらいかかるか見当はつかないが、地道に少しずつやっていこうと思う。健康にも良さそうだ。早く腕を治したい。
夜はニュースを見ていたが最近はオリンピックばかりやっているのであまり見ないのだが、それにしてもフィギュアペアの金メダルはすごい。私のような関心がないものでもショートプログラムで失敗したことは知っていたから、それを逆転で金を掴んだというのは本当にすごいことだと思う。ミスした男子の方が「今まで支えてくれたから」と女子の気丈さに支えられて難関を乗り切ったというのもなんだかジンとしてしまった。スポーツはこういうのがいいんだよなと思う。フェミニズムのいやらしさと違って、とか書くと嫌味だが。
https://shonenjumpplus.com/episode/11990162089564828460
夜は「ふつうの軽音部」の単行本を読み返していたのだが、改めてこの作品はすごいなと思う。1巻の何度も読み返したようなところも、8話で鳩野が視聴覚室で一人で「Everything is my guitar」を爆唱するところの歌詞と場面の配置が実はめちゃくちゃスピーディーで、BPM131ながらめちゃくちゃ早口の歌詞の1番のうちに全ての展開が終わっているというのはすごいと思った。その中に鳩野の両親の離婚、大阪の中学への転校、友達とカラオケに行って声をバカにされたトラウマ、そんなものを振り払って歌う現在、仲良くなったたまき先輩への想い、この先に対する期待感が高まる描写が水際立っていて、でもその全てがわずか40秒ほどの歌詞の中で表現されている。後になると読むスピードに合わせて歌詞が配置されるのだが、だからもしアニメになった時にこの場面がどう表現されるのかと思ったりするが、むしろ走馬灯的なものとして考えると納得できるところもあり、読む時も逆にそういうものとして読むといいのかもしれないと思った。そういう意味では走馬灯的な早い展開のところをスローにしてみているという逆説的な読み方もできる気がした。5巻のそのたまき先輩の後夜祭ライブの場面あたりを読み終えたところで寝落ちした。まあ物語的にもここで一段落ではあるのだが。それにしても楽曲の理解が深まるとマンガが一段と面白くなるという構造も改めて新しいなと思った。
***
朝起きたのは5時前で、やはりまだ腕は痛いのだが、寝床の中で腹を探ると腹が硬くなっているのに気付いて、ああこれが腕が痛い一つの原因かなとは思った。今日は整体に行く予定なので痛みが軽減できるとありがたいとは思うのだが。気温はマイナス3度ほど。外に出ると車のフロントが凍っていたのでエンジンをかけて暖機し、その間に少しブログを書き始めたが、10分弱で解凍されていたので車に乗って出かける。少し離れたセブンまで行ってサンデーと午後の紅茶のチャイを買う。だんだん夜が明けてきたので少し遠回りして富士山の見える道を走り、振り返ると朝焼けの中に富士山が見えた。そのまま走って職場に出て少し準備をした後帰宅。
https://www.nhk.jp/p/kogaku/rs/NWYPY4N3WW/episode/re/K8NNV5XR92/
その間に聞いていた「古楽の楽しみ」で中世の民衆劇が取り上げられていて、今回取り上げられたのが「愚者の祭り」として知られる「ロバの祭り」だった。なんとなく聞いていると、ロバというのはヨーロッパでは昔から愚者の象徴であるのだけど、(ウマ娘(リアル?)など読んでいても頭の悪そうな馬がロバっぽく描かれていたりする)、実は聖書に最もよく出てくる動物の一つで、聖書的な動物でもあるのだ、というのは初めて知った。民衆の乗り物でもあるロバは民衆に寄り添うキリストの象徴でもあり、馬小屋で生まれたイエスも近くにロバがいただろうとか、そういう話を聞いていろいろと今までの疑問が解ける部分があるような気がした。愚者=無力の象徴だと思っていたロバが割と大きな働きをする、まあそれは民衆劇的な転倒の論理なのかなと思っていたのが、キリストの象徴でもあると言われると見方が変わるなと思った。音楽も、以前よく聞いていたルネサンス時代の音楽、民衆の音楽みたいな感じで、懐かしいなと思った。
***
なんだか音楽の話が続いたが、出かける前に仏壇にご飯と水を供えてマッチを擦り、線香に火をつけて香炉にさし、鈴(りん)をチーンとやって手を合わせ他のだが、その「マッチを擦って閃光に火をつける」という作業の緊張感が、何かに似ているなと思って最近よく聞いているあいみょんの「君はロックを聞かない」の歌詞を思い出した。
埃まみれのドーナツ盤には あの日の夢が踊る
真面目に針を落とす 息を止めすぎたぜ
さあお腰を下ろしてよ
という部分である。レコードを聞いていた世代にとっては、レコードをジャケットの中から取り出し、ターンテーブルに乗せ、オートであれマニュアルであれ針を落とす時の緊張感というのは、懐かしいものだと思う。仏壇に向かって線香に火をつけて香炉に立てるという一連の行為もまたその儀式性と「火」という危険物を扱う緊張感が伴うことに意味があると思うのだが、そうした緊張感が現代ではなくなってきているなと思うなどした。
***
日本の政治の根幹には天皇制があるわけだが、考えてみると自分の存在が国家の基本法である憲法に書き込まれていて、自分の生き方のシステムが全て定められているというのは考えてみると相当なプレッシャーだろうなと思う。
天皇に自由意志はあるのか、という問題について考えてみると、出処進退という肝心な部分において天皇には選択権がないわけである。それを考えてみると上皇陛下が譲位という憲法にも皇室典範にもない選択をお気持ちという形で表明され、譲位が現実のものになったというのはすごいことなわけで、譲位自体が閑院宮家から皇位を傍系相続した光格天皇以来のことであり、日本国憲法体制の中で様々な行事への象徴的な参加という公務に従事される負担を考えると、上皇陛下が傘寿を超えてなおご健在であり、また天皇陛下も還暦を超えられていることを考えると結果的に大変妥当だったと思うのだが、「天皇の自由意志の表現」の先例として日本国憲法体制の中でどの程度妥当だったのかはまだわからないような気もする。
結果的には天皇陛下には皇位という運命を自らの意思で引き受けていただいたと考えるしかないわけなのだけど、陛下には日本という国のためにご負担を引き受けていただいているということは国民として理解しておかないといけないことだなとは思う。
***
総選挙での自民大勝・「リベラル」惨敗について、noteでこういう内容のコメントをいただいた。
https://note.com/kous37/n/nb4f7f05d9d08?from=notice&scrollpos=comment&c=nc4a8550bbc828
「リベラリズムは「自由」から「構造の平等」へと意味が上書きされました。その結果、「正しい不平等是正」を掲げる現代リベラリズムが道徳的優位を独占し、それ自体が異論を封殺する巨大な権威として機能する逆転現象が起きています。
ここで何が起きたかというと、かつて国家による支配からの自由を求めてリベラリズム(自由)が生まれたように、現代のその道徳的権威への反発という形でリベラリズム(自由)が再度生まれつつあるのではないか、という考察です。」
「構造の平等」というのが自分が使わない言葉なので最初よく意味が掴めなかったのだが、要は「構造的差別を是正することこそが正義」という意味での平等観、ということなのだと理解した。
その「構造」というものが本当に存在するのか、ということをむしろ私は疑問に思うし否定的なところが多いからそういう思考自体にあまり慣れていないのだけど、つまりは男女関係で言えば「家父長制」とか外国人の受け入れで言えば「民族的純粋主義」みたいなものが「構造」ということになるのだろうか。日本のいわゆる家父長制や民族主義みたいなものは国際的に比較すればその名前で呼ぶべきものなのかという疑問は常に感じるのだが、確かにアカデミアにおける「女子枠」推進の世論であるとか、外国人が起こす様々な問題に対する警察などの腰のひけた態度、そのほかそういうものを「絶対的正義」とする主張に従来制度を守ってきた人たちが洗脳されたり恫喝されたりしている現状はあると思うので、それらからの解放という形での自由こそが若者が求めているのだ、というのはわかると思った。
***
後もう一つ論点として面白いと思ったのが、左翼リベラルが蟠踞し逆に言えば強く依存してきた出版業が凋落しつつあることが、左翼リベラルの全体的な転落に結果しているという主張である。
https://x.com/motok_saikai/status/2023685669789593793
https://x.com/ganrim_/status/2023713267689169084
「「岩波・朝日」的なものの終焉は、人文系の凋落とも完全に重なって」いて、その出版業の衰退こそが全体的な構造変化を招いているというのはそういうこともあるかもしれないと思った。
この話の面白いところは、スレ主の方もレスでつけているが、左翼思想の凋落がまさにマルクスの言うところの「下部構造の壊滅が上部構造も壊滅させた」と言うことなわけで、まあ日本的なマルクス主義の転落がマルクスによって予言された感じになったいるところだろうと思う。
同じスレには韓国の左翼が生き残っているのはある種貴族化しているからだ、と言う指摘もあり、その辺りはいわゆる日本の「世田谷自然左翼」みたいなものと同じ傾向はあるし、いわゆる「公金チューチュー」の社会政策の「官から民へ、コンクリートから人へ」の流れの中で利権化したNPO団体の問題なども出てくるだろう。まさに構造的な問題ではあるのだが。
出版業というのははっきり言えば「マンガやラノベの売上で固い学術書や文学書の出版を支えている」という構造なわけで、その上部構造の方がマンガやラノベを低俗だ、出版禁止にしろ、などと叫んでいるのはまさにタコが自分の足をぶった斬ろうとしているのに近い。構造的理解というものはまさにこういう局面で必要になるものだと思うのだが、彼らがそれを恬として恥じないのは自分たちを根拠なく正義の特権階級であると思い込んでいるからだという面があり、その面でも確かに「構造的差別という主張によってもたらされている構造的差別」の問題は大きいなとは思った。
日本の出版業は「マンガやラノベという足腰」がしっかりしているからまだ大丈夫だとは思うのだが、変な表現規制をしないことこそが自分たちの延命のためにも重要だという視点は出版業や執筆に関わる人たちには理解してもらいたいところだとは思う。
逆に言えばマンガの書き手たちは自分たちのあげた利益で自分たちを攻撃する変な学者や運動家たちを養っているとも言えるわけで、まあそれこそ「誰が食わせてやってるんだ!」と声を大にしていってもいいのではないかという気はした。
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