「権利=正義」という概念の手強さと中国が非難される理由:「たとえば「自由」はリバティか」を読んでいる/年末の忙しさ
Posted at 25/12/07
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12月7日(日)薄曇り
水曜日にタイヤ交換をしガソリンを入れに行って、木曜日に整体で松本へ、金曜日にも病院で母を松本に連れて行って、昨日はクリーニングを出しに行ってタイヤの増し締めをしてもらったり、とりあえずやろうと思ったことはやっているが、年末の仕事はあと年賀状を書くこととお歳暮を配ることがあり、あとは人に依頼している仕事と、今日は東京の自宅に新しい携帯が届いているはずなのでそれを取りにいくこと、などがある。
新しい携帯というのは、私が使っているガラケーが3Gなので期限が切れると使えなくなるから、新しい機種に交換したのが届くということである。最近はしばらくの間電話をかけるたびに2回に1回の割合でNTTドコモからのメッセージが流れるという異様に使いにくい状態になっていたし、かなり前からモバイルSuica機能も使えなくなっていたりと交換する理由は結構あったのだがいろいろと面倒だったので交換しないでいた。交換したと言ってもxi機種なのでまたしばらくしたら使えなくなる可能性もあるが、まあ折り畳みガラケーという伝統機種をもうしばらく使おうとは思っている。嵩張らないのがいい。
「たとえば自由はリバティか」はやはり考えさせられることが多い。なんというか、原語(西ヨーロッパ語)と翻訳語のズレという割とニッチな話題だと思って読み始めたのだけど、かなり本質的な問題が多いということが読みながらわかってきた。私は西洋史を専攻していたのだが、最終的に、文献や研究書を読んでいても彼らの価値観が結局あまりよくわからないという感じになり、これは無理かなあと思ったのが大学での研究を修士課程までで続けなかった理由の一つなのだけど、この本を読んでいて彼我の考え方の違いのようなものがだいぶはっきりわかってきた感じがある。
自由という概念は「奴隷でないこと」が中心的なもので最も重要だ、という話からこの本は始まるわけだけど、日本語にもともとある「自由気まま」とか「囚われなく自由自在」「思い通りになる」「カラスの勝手でしょ」という意味とは大きく離れるわけで、つまり西欧的な意味で「自由であること」というのは「高貴であること」、という意味が伴い、つまりは「奴隷的状態にある人に対する蔑視」が含まれている貴族主義的、もっと言えば差別主義的なニュアンスさえあるわけである。「高貴な貴族主義」も「偏見なく人と接することができる」みたいな平等的視点が入っていたら多少鼻持ちならなくてもまだいいが、「奴隷や元奴隷なんかと一緒にされない」みたいな方が強くなると自由の概念も結構扱いが難しくなる感じはあるわけである。
要するに、彼らにとって人間にとって一番大事なことが「自由であること=高貴であること」なのだということは押さえておかなければいけないということで、それはそういうふうな意味の方向に、西欧思想全体がバイアスがかかっている、ということなわけである。仏教、特に日本仏教では「草木国土悉皆成仏」であって、人間だけでなく全ての存在が仏になりうる、みたいな平等観が強く、また「諸行無常」的な意味で人間存在というのも儚いものである、というのが基本にあるから、その辺から見るとこうした「人間の高貴さ」みたいな考え方はある種の観念複合体に過ぎない、ということになるわけである。
しかし「自由という観念」に出会った時の日本人たちがそうは受け止めなかったのは、その「高貴さ」というものを理解できる人たち、つまり「武士たち」が政権や教養の中心にいた、ということが大きいだろう。彼らは「自由」という観念の重要さを正当に評価することができた、ということになる。また観念体型として公式的に認められていた朱子学の力は限定的で、より実践能力を重視し、人間一人一人の役割を重視するような「御威光=武力による支配」が貫徹していたために、その拠って立つ根拠を「将軍の軍事指揮権による与えられた役割」から「天賦人権」、「天から一人一人に与えられた自由であること」に置き換えることが可能だったということがあるのではないかと思う。
この辺はもう少し詳細に検討すべきことだとは思うけれども、自由という観念を日本人が受け入れることができたのは本書に書かれている「自由自在・自由気ままという観念の魅力」だけではないだろうと思う。歴史的経緯の中で発達した日本社会における人間というものに対する考え方に、こうした西欧思想に対する親和性がもともとビルトインされていた部分があったのだろうと思う。それが偶然なのか、ある種の並行進化なのかはまだ結論は出せないが、よく言われるように近代化の段階で全く異種の文明体系の諸国諸民族のうち、日本だけがその初期に大きな成功を収めたことの理由はその辺りにあると思う。資本主義化の成功については前近代にかなりの発達があったからということは以前からよく言われているけれども、政治の西欧近代化の成功についても、そういう部分はあったのだろうと思う。
で、自由のところを読み終えて二つ目の「権利」のところを読んでいるわけだが、これもまたかなり手強い。私は権利とは「やっていいこと(やらなくてもいい)」であり義務とは「やらなければいけないこと」である、というくらいの理解だったから「権利」について掘り下げてしっかりと考えたことがあまりなかったことに読んでいて気が付いた。
もともと英語における権利=right、フランス語におけるdroitに「正しい」「正義」という意味があることは理解はしていたが、それが「権利」という概念とどう関係があるのかはなんというか考えるのが面倒くさいと思っていた部分があるなと思った。この本では、日本語で「権利」と訳されているrightの本来の意味は、「法的あるいは道徳的に正当な要求」ということだと解説されている。つまり「権利の要求」には本来「正当な正義の実現の主張」という部分が含まれているということになる。
しかしまあ、ここで「正義」が絡んでくると、ややこしくなる部分がある。つまり、「何が正義かは人それぞれ」という部分が出てくるからである。この本でその議論を回避しようとしているのは、その正義というのは人それぞれの「信念としての正義」ではなく、「公平としての正義」、つまり日本で言えば「道理」としての正義、「筋としての正義」みたいな感じだと説明されている。その辺りを考えると、権利rightを筋(すじ)と訳すと「権利を主張すること=筋を通すこと」となり、日本語としてわりと分かりやすい感じがするなと思った。
ただ、ここでは議論は回避されているが、「人権外交」などに現れるように、「信念としての正義」と「権利」という概念は割と親和性が高いことも事実だろうと思う。「女性も人間なのだから男性と公平に扱われるべき」という主張は「公平としての正義」に属するから正当性は強く広範囲に認められると思うが、「女性は「弱い(そのほかネガティブな状況)」から権利をより多く与えられるべき」になると公平性原則から外れるので「信念としての正義」の領域に入るだろう。この辺りが混同されているからフェミニズムその他マイノリティと称する人たちの運動が批判されているのだろうと思う。
また、「権利」特に「人権」は正義であるから、それが不当に奪われたり弾圧されたりすることはあってはならないことであり、そうされたらそれを回復しようとしないことは正義ではない、ということも指摘されている。この辺りもこれが「公平としての正義」に限定されていればともかく「信念としての正義」に適用されるとかなり大変なことになるのは自明だなと思う。
私も駒場寮に住んでいた学生時代に革マル派の人と議論したことがあるが、三里塚で闘争に加わることは義務だ、みたいに主張されて行きたくないから行かない、とめちゃくちゃ反論したことがあった。彼らの主張は主張として理解はできるとは言ったが賛同できるとは言っていないのだけど理解したなら行動すべきだみたいな議論であったような気がする。まあ昔のことであるが。
現代に近い時代のことで言えば、天安門事件によって西側諸国から排除されていた中国との交渉を最初に回復したのは日本だったわけだけど、これもまた西欧諸国からは日本は「信念のない国」だと思われたのではないかという危惧はいまだに感じている。あれは明らかに国家による明確な国民に対する弾圧であって、近代国家であってはならないことだが、そうした国が国際連合で常任理事国という地位にあることは、当然ながら公平としての正義にも信念としての正義にも反することだろう。それをとりあえずは政治的協調と経済的互恵という屁理屈をつけて容認してきたのが今までの時代であったわけだが、今回の台湾有事をめぐる中国側の狂乱というのは今までのそうした国際的な対中国政策が正しかったのかどうかを疑問視させる部分はあるだろうなと思った。
まあそういう意味で、「権利」という概念は相当怖い概念だなと改めて思ったわけである。まだこの章は読んでいる途中だが、自分の中でいろいろ整理しながら読む必要があるなと思った。
***
そのほかマンガの感想についてもいろいろあるが、また改めて。今日の更新の「ふつうの軽音部」89話「春浅き日々に泣く」、かなり良かった。泣くだろこんなの。
日本的な「自由」の可能性と課題:「たとえば「自由」はリバティか」を読んでいる/「シテの花」ウェブ移籍、「2.5次元の誘惑(リリサ)」クライマックス、ビートルズ/マイナス5.8度の朝
Posted at 25/12/06
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12月6日(土)晴れ
昨夜はうたた寝からなんとか立ち上がって着替えて歯を磨き、2階で寝床に入る際にオイルヒーティングをつけてから寝たのだが、布団の外の空気をそんなに寒く感じなかったのでつけて良かったのかなと思って下に降りて時計を見たら5時。ああ結構寝た感じがあるなと思い、ちょっと寒いなと思ってスマホで気温を調べたらマイナス4.9度。いきなり「来た!」と言う感じである。氷点下も1度くらいならまあ寒いよなですむが5度レベルになるとやはり本格的に寒い。家の中を寒く感じたのは正解にしても、これはついに本格的な冬到来だなと思った。最低気温はマイナス5.8度だったようだ。
昨日は午前中母を松本の病院に連れていく。8時半に迎えに行き、木曜日に松本に行った時に高速の車線規制が解除されているのは知っていたので、昨日は試しにSAのスマートインターから高速に乗るルートを試してみた。地元の道も街の中を抜けるわけではないので空いているし、高速に乗った後も順調に流れていい感じだった。母を乗せているのでスピードは控えめだったが、順調に塩尻北まで走って降りて、19号もまあまあ空いていたので、予定よりも相当早く病院のあるモールに到着した。立体駐車場の3階に入り、そのままエレベータで降りればすぐである。時間的に余裕を持って到着できたので母をトイレに連れて行ってから受付し、先に次回の診察の予約をして、まだ時間があったので1階の食料品売り場に行って母の欲しいものや自分のお昼を買って戻ってきてから診察を受けた。
診察・処置も順調で、その間借りてきた渡辺浩「たとえば「自由」はリバティか」(岩波書店、2025)を読んでいた。これはかなり面白いのであとで書く。診察が終わり会計を済ませて、トイレに連れて行ってまだ11時前だったのでこれなら母にもあまり負担にならなくて良かったなと思う。母に負担にならないと言うことは自分にも負担にならないと言うことでもある。帰りは19号を通って塩尻北インターまで走ったが、結構渋滞していた。この時間になると返って混むのだなと思ったが、どうにもならないと言うほどでもなく、インターで乗ってあとは順調。SAのスマートインターで降りて湖畔の道を通って施設に送り届け、到着はお昼前だった。ほっとした。
一安心して近くのファミマまで行き、エビアンを買って、そのまま車をツタヤに走らせ、「妹は知っている」5巻を買って、家に帰ってきて昼食。ご飯を食べた後横になったらどっと疲れが出てきた。物事が順調に進んでいる時にはうまく行っていると言う気持ちと「このまま行け」と言う気持ちがあるから、そう言う意味で緊張感が続いているのだなと思う。トラブルがあるとそれを乗り越えるために気合を掘り起こしたり対応策をいろいろ考えたり、あまりしたくない種類の決断を何度もしたりしてストレスを感じて疲れると言うことはあるが、順調にいくと順調に言ったなりの疲れがあるのだなと思った。苦労性というものだろうか。まあストレスは少なかったとは思うが。
***
「たとえば「自由」はリバティか」。幕末以降日本に輸入されたさまざまなヨーロッパの政治的概念と、日本語に訳されたそれらの概念、つまり日本で現在一般的に用いられている概念とのズレのようなものを考察し論証した内容で、読んでいるうちにどんどん面白くなってきた。
ヨーロッパの元の言語でのlibertyとかfreedomというのはより正確に訳し、また中心概念を取り上げると「奴隷でないこと」ということになる、というのはこれはもちろん読む以前から知っていたが、それがどういうふうにこの概念の決定的な重要性を生むのか、ということについてはあまりよくわかっていなかった。
自分としての率直な感想を言えば、つまりはヨーロッパというのは身分制社会、階級社会だったということである。「奴隷」でないということはいわゆる「自由民」であるということで、逆に言えば「奴隷でない」という「否定形」によってしかlibertyというものは定義できない。奴隷である、ということは主人がいるということであり、自分の意思によって動くことができない存在であるということである。その「奴隷である」ということに対して、ヨーロッパ人は強く否定的であり、また率直に言えば「軽蔑の念」を持っている。「自分は奴隷とは違う、高貴な自由民なんだ」というのが「自由の価値」であるわけである。
ヨーロッパの政治思想といえば「自由と平等」だし、「奴隷だって人間だから人間としては平等なんだ」みたいに日本人は考えがちだが、そうではないんだなと思った。奴隷でないことが自由なのだから奴隷であるということは人間的な価値がないということになるわけである。だから絶対王政には否定的なわけだし、絶対王政を否定して、「全ての人間は自由である=奴隷ではない」ということを達成したことに、非常に崇高な意味があるということになるわけである。
奴隷制度というのは逆にいえば彼らにとっては「自分たちが自由であり高貴であるという自覚」を持つための契機になっているわけで、自由の価値を重んずればこそアメリカでは明治維新の頃まで奴隷制度があったということもできる。逆にいえば現代に続く黒人差別問題の根底には、「昨日まで奴隷だった奴らと同等にされた」という憤懣が背景にある、ということも言えるわけである。
現代のヨーロッパ諸国がロシアや中国、あるいは非民主主義的なイスラム諸国に対して取る軽んじるような態度の背景にもやはり「国民が十分に自由でない」ことが大きいわけで、「価値観を共有していない」というのはそういうことなのだなと再確認した。逆にいえば日本は、ある意味過度なまでに自由なわけで、「価値観を共有している」ということは強くアピールして行ってもいいと思う。戦前日本も1920年代まではそういうアピールにかなり成功していたと思うが、1930年代からの統制かから軍国主義のイメージを必要以上に強く持たれてしまったことは失敗だったなと思う。
で、一方では現代の日本における「自由」の概念には、「奴隷でない誇り」みたいなものはそんなに強くはない、というか「自由でないこと=奴隷であること」だとはあまり考えられていないわけである。自由でない、ということはたとえば手元不如意だという意味になったり、体に障害が起こって思い通りに動かせない、ということになる。つまり、日本において「自由である」ということの意味は、「自分の思い通りに動ける、できる、なる」という部分が強いということなわけである。
そして、ヨーロッパにおけるlibertyの意味には、こういう意味での用法はない、という指摘も大変わかりやすく説明されていた。「お金がないということは不自由ではあるがリベラルではないという意味ではない」わけである。このなんとなく曖昧にされがちな「自由とリバティの違い」というものをきちんと理解することはかなり重要なことだと思ったし、少なくともヨーロッパ人たちと議論する上で踏まえておいた方がいい前提ではあると思った。
日本においての自由はつまり「思い通りになる」ことで、「自由自在」とかもそうだし、通俗的な意味では「勝手きまま」という意味で「そんなの俺の自由じゃん!!」となるわけである。しかしこの意味での「自由」の用法には「俺は奴隷ではない高貴な自由民だ!」みたいな高らかな宣言という要素はないわけで、ガキが屁理屈で覚えたての手前勝手な理屈を振り回しているだけ、ということになるから、日本では必ずしも「自由」というものを「無条件で良いもの」とは捉えてこなかったわけもここにあるわけである。1930年代に自由という概念に対して否定的になってしまったのも、西洋的なlibetyを否定したのではなくて「手前勝手な自由」が否定されたという面は強かったと思う。
もう一つ日本で大きな「自由」の意味は、宗教的というか仏教的・神道的な意味合いで「とらわれのない清らかな心」みたいな意味がある。この辺は「自由自在」というのも元々はそういう意味で、かなり高い境地を意味しているわけである。しかしこういうある意味「解脱」に近いような境地に比べると、西洋的な「高貴な自由」はもっと生々しいものである。「奴隷でない」という否定形にその根拠があるというのがその理由であり、まあ仏教的な意味での「自由」は、すでに「奴隷というものはない」のだから話の拠って立つところが全く違う。
西洋的な意味で、たとえば依存症になっている状態は、その依存しているものに対して奴隷になっていると解釈されるから、自由ではないわけである。何者にも囚われないというのとの違いは、「奴隷でない」ことと「そもそも私を縛るものは本来存在しない」ということの違いがある、ということも押さえておいた方がいいと思う。
で、多くの政治思想を説く論者は西洋のlibertyの本義を解き、日本での自由の理解の浅さを指摘して「日本人は遅れている」となるのが普通だったから、より出羽守チックで嫌がられていたわけだけど、このようにフラットに説明されるとなるほど日本人の自由概念の理解にも弱点はあるなとは思うし、そこは本書の意としていることなのだと思うけれども、それだけではなく、日本人には日本人的な「自由」概念の理解があり、そこにはある種の限界や問題もあるかもしれないが、だからこその可能性もあるのではないかと思ったわけである。
つまり、たとえば現在、表現規制において世界で一番自由なのは日本だと言っていいだろう。それは日本的な自由理解の中に「何をしても俺の自由じゃん!」という理解があるからだ、と言って良いと思う。西欧で性表現の規制が厳しくなっているのは、いわば「性表現を緩めると欲望の奴隷になる」という感覚があるからで、その欲望から子供と女性を守る、みたいなのがこうしたポリコレ的なフェミニズムの論拠だろう。
しかし実際には性犯罪は表現規制の厳しい地域ほど多い、というのは日本ではよく論じられることで、日本もフェミニズムの勢いの強さによってだんだん規制が加えられつつあるのはいい方向には行ってないと思うけれども、ある意味「性犯罪発生の実態」を無視した「概念の暴走」によってこういうことは起こっているわけである。
しかし日本では自由とは手前勝手な自由もありまた宗教的な自由自在さも肯定される部分が文化的に概念に含まれているので、だからこそ自由で多様な表現が可能になっているのだ、とプラスに見ることもできるな、と思ったわけである。
これらの違いという点においては、すでに福澤諭吉が「西洋事情」で述べていて、リバティという概念をうまく日本語に訳せる言葉がない、ということは言っている。その翻訳の試行錯誤についても本書では詳しいのだが、福澤自身が「西洋事情」の続編ではすでに「自由」という訳語を採用しているので、まいっかという感じになったのだな、と思った覚えがあった。この辺のところは本書でも指摘されていて、政治思想史の碩学が指摘するようなことを自分がすでに気がついていたということはちょっと嬉しく感じたりもした。
それはともかく、西欧と日本とのそうした概念の違いを踏まえた上で、日本的な自由の価値についても守っていきたいし、その可能性を広げていきたいと思ったわけである。52/335。
***
https://www.sunday-webry.com/episode/2551460909895023201
「シテの花」最新話、サンデーうぇぶりで連載再開。面白かった。本誌からウェブに映ったのはちょっとショックだったが、新天地でさらに勢いを増して欲しい。楽しみにしたい。
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912579002911
ジャンププラス、「2.5次元の誘惑(リリサ)」超クライマックス。今回で終わりかと思っていたが、2週間後に「200+1話」があって、それが本当の最終回になるとのこと。この作品は読み始めてからずっと思い入れがあって、肩入れしすぎて展開が自分の望んでる方向と違ってきたときにとても落胆したのだが、なんかそういうふうに振り回されたのもいい思い出、という感じになってきた。199-200話の展開には本当に納得感しかない、という感じ。リリエルは2次元、リリサは2.5次元で本当に「誘惑」で、本当の恋人に出会えるまでの道を導いた「天使」だったのだなという感じ。200話ラストのコマでリリエルが雲の彼方に飛び去っていくのを見て、本当にじんわりした。最後まで楽しみに読みたい。
ガソリンを入れに行って帰ってくる途中、FMでビートルズがかかっていたのだけど、一つ一つの楽器の音が綺麗で、こういうふうには弾けないなあと改めて思う。曲作りのアイデアも豊富で、やはりビートルズは現代ポップスの原点だなと改めて思った。
まあいろいろ忙しくて解決していかなければいけないことも多いのだけど、今日の2作品とビートルズは本当にご褒美をもらったという感じだった。マンガも音楽もやはりいい。
台湾問題と中国:フランスは公式には台湾に言及せず/リンゴを送る/人間関係の面倒臭さの質の違い/ジャンプコミックスを12冊買う
Posted at 25/12/05
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12月5日(金)薄曇り
今の天気を書くために外に出てみたのだが、東の方は曇っていて西の方は割と晴れていて、星も見える。北西の方に月が見えて、薄曇りに隠れてはいるのだが、帰って雲全体に光が広がって、明るい。暦(歳時記カレンダー)を見ると今日は旧暦10月16日だが月齢は14.8で満月。どうりで明るいわけだ。5時10分。
起きたのは4時前だったのだが寝床に入ったのが1時過ぎだったので(例によってソファでうたた寝していた)もう少し寝ようかなと思ってトイレに行って水を飲んだ後もう一度布団に入ったが、どうもあまり寝付けない。まあ時間は短かったけど割とちゃんと寝た感じがあったので無理に寝ることもないかと思い直して30分くらいで起き出した。2階で寝ている部屋が寒いので眠りにくいのかなと思ってオイルヒーティングをつけてみたが、本当にじんわり暖かくなる感じなので木造で窓が広くて熱が逃げやすい部屋ではあまり意味がないかなとか。そろそろ本当に冬だし、寝やすい工夫はしたほうがいいかなとも思う。
昨日は午前中松本に出かけて整体で体をみてもらう。少し早めに出られた感じで、思ったより早めに着いた。いつもこのくらい時間の余裕があると良いのだが。少し気持ち的に吹っ切れた部分があるのでそれは身体にも多分良い影響が出ているようで、割といいのではないかという感じだった。昨日は割とあっさりと終わったので車に戻ってからこれからの段取りを考えたが、結果的にはまず塩尻の農協の専売所に行ってりんごを送ることにした。ナビで検索しても出てこないので近くの大学を入力してそれを目指して行ったのだが、結構いいルートが出てきて大学まではすんなりいくことができたが専売所と大学の関係を位置関係を忘れていて、少し通り過ぎてから戻ることになった。まあそんなにロスはなかったと思うが。
専売所でリンゴを二箱選び、中の人に頼んで配送伝票をもらって記入。リンゴ自体も昨年より上がっているが2件とも九州なので送料も結構高くて、考えていたよりは高くなった。依頼した後専売所の中を見て周り、リンゴと味噌を買った。その後、昔松本に通っていた時のルートを通って19号から20号が分岐する交差点まで走り、角のスーパーによる。ここは整体の近くにあるのと同じスーパーなのだが、客の数が格段に少なく売り場も小さく、またセルフレジもない。以前はここでも買い物をよくしていたのでずいぶん違うんだなと思ったり。トイレットペーパーほか必要なものとお昼を買った。
整体に行ったときに先日関西に行った話をしたのだが、関西と信州の「人間関係の面倒くささの質の違い」みたいな話をした。私の感覚なので一般的にそう感じられるかはわからないが、関西の人の方がよりメンツとか体面とかいうものを気にするというか、そういうものが人間関係の基本にある感じがする。「親切さ」を演出するよりは「自分はこういう人間だ」という部分を大事にしてある意味壁を立てて自分が侵食されないように人と接する、と言えばいいか。だから地雷を踏むと面倒くさい。その人のこだわりを理解した上で謝らないといけないからである。一方で他人に対して結構批判的に見ていて、だから誰かを、特にリーダーを育てようという雰囲気が少ない気がする。まあこれは関西全般のことではないかもしれないのだけど。
ある意味自分のキャラクターというものをしっかり立ててこういう人間として付き合うべし、ということを周りに要求している感じといえばいいのだろうか。まあこの辺りのことはもう少し考えたり観察したり、記憶を思い出したりした方がいい感じはするのだが。
と言うようなことをつらつら考えたりしながら塩尻で高速に乗る。少し前までは岡谷インターと岡谷ジャンクションの間で工事をしていてそこを抜けるのに時間がかかったから下道を走っていたのだけど、昨日は息に反対車線が全くスイスイ動いていたので検索してみたら工事は終わったと言うことがわかったので、乗ることにしたわけだ。ジャンクションより少し先のSAにできたスマートICで降りて地元のツタヤまで走る。ジャンプコミックスを12冊買った。本誌連載が「キルアオ」13巻(最終巻)、「アオのハコ」23巻、「SAKAMOTO DAYS」25巻、「Witch Watch」24巻、「逃げ上手の若君」23巻。「キルアオ」は終わってしまったのは残念なのだがアニメ化もある。ジャンププラスでは「エクソシストを堕とせない」13巻、「サンキューピッチ」4巻、「セイレーンは君に歌わない」4巻(最終巻)、「恋人以上友人未満」10巻(最終巻)、「野球・文明・エイリアン」2巻、「ラーメン赤猫」13巻。それに「ふつうの軽音部」9巻である。
感想はいろいろあるがまたの機会に。
昨日は父の命日だったので帰ってきて昼食を食べた後墓参りに出かけた。風が強く線香があまり火がつかず、メインの墓だけに供えた。江戸時代からの墓碑などいろいろあるので普段は全てに線香を供えているのだが、昨日は代表して供えて南無妙法蓮華経を3回唱えた。もう16年。
***
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-12-04/T6Q2XTT96OSQ00
フランス・マクロン大統領の中国訪問と習近平国家主席との会談の内容。台湾有事問題に直接触れた発言がないのは、日本に対する配慮だろうし、またイギリスやアメリカからもそれなりにメッセージがあったのではないかと言う気がする。そう言う意味では日本としては一安心というところだろうか。
中国がフランスに対して求める第一は台湾問題での自国サイドに立ってもらうということかなとは思ったが、ウクライナ戦争での対ロシア支援はやめないということを承認させるということはあるかもしれない。フランスが求めているのはウクライナ戦争での中国の支援の停止もあるが、貿易赤字の悪化で支持率が下がっていることの方が問題で、中国に対する二国間の貿易赤字がかなり大きくなっているということもあり中国からの直接投資を呼びかけたいということが大きかったのではないかと思う。習近平側もフランスからの輸入拡大については約束したようだ。
https://www.jiji.com/jc/article?k=2025120400155&g=int
「中国は引き続き危機に対して建設的な役割を果たすとした上で、「無責任で差別的な非難にも断固反対する」と述べたものの、詳細には触れなかった。」というのは、ヨーロッパ各国からの対ロシア非難に対する牽制ではあるだろう。
台湾問題に関しては今までより踏み込んだ立場の発言はマクロン側からは引き出せなかったようだ。まあ当然だろうと思うけれども。
中国としては西側諸国にありながらも英米とは独立した姿勢を示すことが多いフランスを経済政策などを通じて取り込みたいということはあるのだろうけど、中国自体が経済的にヤバいのであまりそう言う余裕はなく、この辺はメルケル時代のドイツのようにはいかない感じである。国際関係は複雑なピースの組み合わせではあるが、フランスと中国の関係が発火点になって何かが動いていくと言うことはなさそうだなとは感じた。
台湾問題においてはイギリスが「安全保障の真の脅威」と中国を名指ししたり、アメリカも台湾との関係を準公式化するような法案にトランプ大統領が署名したりと中国側に不利に推移しているようには感じる。中国も台湾問題をすぐに動かせないなら国内問題を解決していかなければならないわけで、西側との関係悪化には踏み切れないだろう。1960年代の中国は核開発だの文化大革命だのいろいろめちゃくちゃやっていて、ある意味「無敵の人」の怖さがあったが、現代の中国は一定の金持ちになっているので不必要な喧嘩はしない感じのところもある。台湾侵攻とそのための軍事増強もいろいろ言っているがある意味金持ちの道楽的な雰囲気もあって、条件が揃ったらやるか、みたいな感じなので台湾・日本・アメリカその他の側としては「条件を揃わせない」ことが重要なのだと思う。
「真の国家安全保障上の脅威」というイギリスの中国観とアメリカ・フランスの対中国の動き/地方勢収入の東京一極集中/年末は物入り/父の命日
Posted at 25/12/04
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12月4日(木)晴れ
今日は父の命日。先日、母の卒寿と合わせて子供たちと孫たちで父を偲び、墓参りにも行ったのだが、今日は私一人なので、花を買うことにした。
起きたのは4時だったが昨日の片付けをしたり資源物の回収に出すものをまとめたり、新聞を縛ったりして、5時過ぎに車で出て作業場にいき、マンガ雑誌を縛って資源物置き場に二往復。車に戻って西友まで走り、花を買ってからガソリンがちょっと不安であることに気づく。近めのスタンドまで走る途中のファミマでトイレを借りてヤンジャンと甘桃ティーラテを買い、スタンドまで走って給油。5円引きで159円だが結構減っていて20リットル近く入れたので3000円は超えた。今日明日松本まで2往復なのでどのくらい使うかよくわからないが、とりあえず満タンにしておいた。
昨日もなんだかやることが多くて、銀行へ行って資金を補充した後、冬用タイヤの交換に行く。かなり摩耗していたのは知っていたから交換になるのは仕方ないと思っていたが、5万円を超えたので高くなったなと。混んでると思っていたらガラガラで私しか客はいなくて、来週から水曜はお休みになるとのことだったから、やはり皆11月中に交換するのだなと思った。私も今日の朝は雪が怪しいと思ったから昨日急いで交換に行ったのだけど、この時期なら空いていると分かったことは収穫だった。西友に走って少し食品を買って帰り、昼食。その後郵便局へ行って年賀状を買う。200枚で17000円とは。かなり大枚叩いた気になった。その後ノジマ電機に行ってBD-REを買う。昨日今日とバンバン金を使っている、まあほぼ必要経費だから仕方ないのだが、年末は物入りとはこういうことだなと思った。
***
https://digital.asahi.com/articles/ASTD33FRTTD3ULFA01HM.html
地方税収入が東京都に集中し、他の府道県との間にかなりの格差がある問題。これは法人事業税や法人住民税が本社所在地に納入することと東京の地価が圧倒的に高く固定資産税収入が多いことによるわけだけど、実情に応じて支社や工場が存在するところにも配分されるというのは理にかなっているとは思う。私は都民だが確かに東京都の住民サービスは手厚い(偏りはあるなとは思うが)ようには感じるところはあるからまあわからなくはないのだが、東京都から税収を取り上げて地方に分配するのが良いのか、地方税体系をそのものをより偏りがないようにするのかというところはちょっと難しいなとは思う。人口や企業が集中しているからこその支出というものも東京都にはあるわけだから、削れば良いということでは済まないのが難しいところだろう。
***
https://www.afpbb.com/articles/-/3611913
イギリスによる中国への問題提起はいくつもある。中国が台湾問題で国連に対し日本非難を繰り返していることから、同じ常任理事国のイギリスが中国に釘を刺した形ということか。
一つ目は、中国によるスパイ問題。「真の国家安全保障上の脅威」というのはかなり強い表現で、間接的に高市首相の台湾に対するスタンスを支持したものと考えて良いようには思う。「英国内の情報収集を担う情報局保安部(MI5)は11月、中国がヘッドハンターを装ったスパイを使ってオンラインで国会議員を標的にしていると警告した。」とあり、かなり工作が活発になっている党いうことはあるようで、「ロンドンに建設が提案されている広大な新中国大使館も、安全保障と人権問題をめぐる懸念を引き起こしている。」ということなので中国が新たにロンドンを工作の中心にしようという意図は感じられる。一方で「中国のためにスパイ行為をしたとされる容疑者2人に対する政治的にデリケートな訴訟が取り下げられた。」とあり、何らかの取引が今も進行中ということなのだろう。
また「スターマー氏はさらに、英国は「香港における自由の制限」を含む人権問題について、引き続き中国政府に問題提起していくと述べた。」とあり、旧イギリス植民地であり返還後の約束を中国が遵守しているとは言えない香港をめぐる問題も大きいだろう。
https://jp.reuters.com/world/taiwan/EK6VGHJ6QBOIXHQOSSPOAYEUAQ-2025-12-03/
また一方でアメリカのトランプ大統領は台湾との「公的な交流に関する指針を定期的に見直し、更新することを義務付ける「台湾保証実施法案」に署名」したとのことで、つまりは公的な関係を維持し、また定期的に交渉する関係を築き上げるということでもある。これは台湾を外交相手と見做し、中国の「武力による現状変更」要求を牽制するものであるのは間違い無いだろう。
中国は台湾問題に対しロシアの支持を取り付けたが、英米は一貫して中国を牽制する姿勢は変えず、後一国のフランスノマクロン大統領が今日から北京を訪問するというタイミングである。
https://www.bloomberg.com/jp/news/articles/2025-12-03/T6NZVDT9NJLT00
フランスにとっての喫緊の問題はヨーロッパ情勢、特にウクライナ戦争の問題だから、中国がロシアへの輸出を止めると明言すればどういう対応になるかという気はするが、基本的にプーチンを支持している中国がリップサービス以上のことをするという感じはしない。ただキャスティングボートを握っているかのように振る舞うのはドゴールの頃からのフランスの行き方ではあるので中途半端な対応をする気もしなくはない。
https://japanese.joins.com/JArticle/335218
G7で高市さんがメローニ首相に駆け寄った時に見せたマクロン大統領の複雑な表情も話題になっていたが、この二人は対立関係にあるようで、それがマクロンの今回の訪中にどう影響するのか、みたいなことはどうなのかなとは思う。
日本にとっては日中関係は二国関係ではあるが、台湾有事はアメリカとの関係も出てくるし、さらには国際間の関係の枠組みの中で見てもかなり大きな問題であることは間違いない。今のところはまだ外交案件で済んでいるわけで、武力行使に至らないように今後も中国を牽制していくことは重要だろうなとは思った。
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