「全体状況」は視点により変わる/「知」への偏りと「情・意」との付き合い方/「身口意」と呼吸:介在するもの/「ふつうの軽音部」「正反対な君と僕」「豊臣兄弟」/総選挙雑観:高市首相と大阪の自維対立

Posted at 26/01/26

1月26日(月)晴れ

今朝も冷え込んでいるが、雪は降っていない。ただ昨日が結局真冬日だったので、雪かきがなされているところは雪はないがなされていないところで日が当たらないところはそのまま残っている。今朝の最低気温は今のところマイナス9.4度だが、まだ下がる可能性はあるだろう。

朝一度起きたのは4時前だったが、トイレに行ってからもう一度床に入り、頭や目に行気をして少し休め、起きたのは5時ごろだった。それから少し支度して出かけ、ジャンプ・ヤンマガ・スピリッツとボスのカフェオレを近くのセブンで買い、職場にものを取りに行って帰ってきた。

頭の中の整理ができていないなと思ってまず全体状況の把握から、と言うようなことを考えていたのだけど、全体状況というのはとりあえずは今自分を取り巻く「全体」というか、自分がやりたいこと、その他守備範囲のことを捉えるということになるが、その中には世界の全体状況を考える、みたいなこともあるわけで、その意味では「全体状況」と言っても何をテーマに、そしてどこを中心に考えるかによって何が全体かというのが変わってくる。自分の関心領域という意味では関心領域全体の中で世界の全体状況は個別状況になるわけで、その辺をきちんと整理することが大事だなと思う。

自分を取り巻く状況というのを考えても、自分の人生の全体状況と個別状況という問題設定と、自分の今日の全体状況と個別状況というのでは捉え方が変わってくるわけである。この辺は実は自分の中で結構混同されてきたことなので、ちゃんと整理しておかなければならないと思う。

これは例えば日本を主体に考えれば、世界の全体状況というのはある意味個別状況であり、日本の社会問題とある意味並列的に取り扱われる部分がある。もちろん世界の全体状況を主体的に考えれば日本の状況は個別状況になるわけだけど、そこもまた我々は日本にいる日本人なので、それに重点が置かれるのはある意味当然であって、アメリカにいるアメリカ人が考える状況とはもちろん重なる部分は多いにしても違う部分も多くなってくる。世界がデフォルトで存在するわけではある意味なくて、そこにはある意味での自然科学でいう「観測者問題」が起こってくるわけである。

だから当然ながら西欧人が構想する世界史と日本人が構想する世界史は大きく異なってくるし、これは極端に言えば個人によって捉え方が変わることもある意味当然なわけである。そこを共有していくことで世界史の全体像が形作られては行くが、そういう意味で「完璧な世界史」というものは存在しないということになる。

だから自分なりの世界観というものは当然あるわけだけど、それがどの程度客観性があるかとか、他人と共有可能であるかとか、異文化の人と共有し合えるかとかは、そう簡単なことではない。それこそ造物主がこの世界を作ったという世界観と自然発生したという世界観は根本で対立するわけだから、そこにおける「ルール」の考え方もまた変わってくるだろう。その辺はおそらく「例えば自由はリバティか」に書かれているような問題とつながってくるのだろうと思う。

まあ、頭がごちゃごちゃするから現在の自分の全体状況を考えて、ということを考えているうちに全体状況と言っても色々だよなと考え始めてそんなことを考えていた。まあそこはそれなりに整理はできたが、自分の今の全体状況の把握はこれからである。

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で、自分自身の問題を考えているときに、最近思ったことで割と頭で考えると妥当かどうかかなり迷うことでもこれはこうすべきだ、ないしこうするのが正しいというのが客観的にはわからないが主観的にはそうだ、みたいなことを迷いながら実行してみて結果的にその方向もありになりそうだ、ということがあった。自分は割と知性偏重というか考えて正しいとかこれだと思うことについても、他の面から考えるとこういう可能性もあるしああいう可能性もある、となってしまって踏ん切りが遅い、という部分があったのだが、見切り発車せざるを得ない状況で動いてみた、ということがあり、知性と意思の葛藤、みたいなものだなと思ったわけである。

それで、そういえば「知情意」という言葉があったのを思い出し、知、つまり考えていることと情、つまりそれに対する気持ち、それから意、つまりやりたいこと、というのが一致していると行動はしやすいな、ということを思ったわけである。知情意の一致とでもいえばいいか。

そしてこれは人間のタイプにも当てはまるなと思って、エニアグラムや野口整体の体癖のことなどを思い出していたのだが、例えば知情意のうち知=考えが強いタイプはいろいろ考えて決断が遅れがちになるし、情=気持ちが先に立つタイプは決断が歪みがちになるし、意=やりたいことが先に立つタイプは決断が拙速になったりフェイルセーフが見落とされていたりしがちになる、みたいなことはあるなと思った。

同時に、考えてもよくわからないけどここはやるべきだ、と思ったり、気持ちとしてはやりたくないけどやろう、となったり、やる気は出ないけど合理的に考えたらやるしかない、みたいになったり、知性的には無駄な気はするけど気持ち的にはこれがいいのでは、と思って動いたり、それぞれの判断のバランスが結構ときによって変わったりすることもあるわけである。それは自分の中だけでなく人によって動かされることも多いわけで、そこに人間の社会性というものが関わってくるのだろう。

やりたいと思うことにしても、「あいつには絶対負けたくない」とか「面白いことはやりたいがつまらないことはやりたくない」とか、なるべく平和で穏便な方向性を選びたいとか、面倒くさいからいろいろ考えたくない、考えずに行動したい、みたいないろいろなことがもちろん人間のタイプにもよるけど一人の人間の中でもいろいろ起こるわけである。

そのようなそれぞれの「考え・気持ち・やりたいこと」の方向性によってタイプに分けるのがエニアグラムだが、まあ理想的には考えと気持ちとやる気が一致して行動するのが一番迷いがなく理想ではあるわけである。というか逆にいえば迷いというのは一つの領域の中だけでなくて魂の全体的な不協和音みたいなものとして現れるわけで、迷いながらも実行する、ということ、わからないけどやってみる、ということはまああるわけである。そこに例えば「信頼」あの人の言うことだから、と言うことがあったり、「占い」みたいな超自然のものに対する信頼というか依存というかというものもあったりするわけで、最終的には知情意それぞれを超えたところの「勘」みたいなものが人間にとって重要だったりするわけである。

まあこういう心ないし魂の構造というのは遡ればプラトンの思想に至るのだが、プラトンはこの魂の三分法を「統治者=知性」「防衛者=意志」「生産者=感情」という国家構造から発想したということのようで、あまりそういうふうに考えたことがなかったのでAIというものは整理が上手いなと思った。

それが発展してカントの純粋理性=知性、実践理性=意志、判断力=感情という三つの批判書の哲学に発展したということだから、知情意というのは実際西洋哲学の王道的な考え方なのだなと改めて思った。この辺は知識としてはあったにしてもあまり腑に落ちていなかったので今回考えて調べてみてかなり納得できた感じはある。

で、これはやはり西欧的なものだから、例えば仏教ではこの辺をどう考えていたのかと思って検索してみたら、「身口意」という概念があり、身体的な行動、言葉、心という三分法になっていて、「知情意」の方は結局は心の働きのみについて考えているわけだからつまりは「霊肉二分論」、身体=肉体は心の働きに従うもの、という考え方が強いことがより納得できたりするわけである。

ここで仏教が優れているというか面白いなと思うのは、身体と精神=心の間に口=言葉を入れていることで、つまりこの「言葉」が身体と心を介在するものということになるのだろうと思う。ヨーロッパ的なロゴスというものは介在者というよりはむしろ絶対的な神の言葉みたいなイメージが強いが、仏教的には介在者であり、ということはつまり状況によって変化する方便ということになるわけだから、言葉よりも行動や心根を把握する方が大事だということになり、この辺は日本でもそういう傾向は強いのではないかという気はした。

これは仏教ないしインド的な(つまりヨーガ)修行法においても「呼吸」を重視することが多いわけで、これはつまり呼吸というのは基本的には不随意運動(身体の領域)であるのに意志的にもある程度コントロールできる(心の領域)ということから身体と心の懸け橋になるからだ。心のありようをコントロールするために身体、つまり呼吸を使って整えることができ、また呼吸をうまく整えることで身体のできる領域を広げる、というような介在者としての大きな重要性を持っているということだろう。

おそらくは仏教の無常観とか縁起説、全てのものは実在ではなく関係としてそこにある、みたいな考え方もまた呼吸という介在者を重視することと通底する部分はあるのだろうと思う。

まあAIというのは実際、大まかに大体のことを示すのは結構得意なんだなと思った。40年前にあったらこういう学問に勘が悪い自分であってももっと理解が進んでいただろうなと思うとちょっと残念ではある。まあこれは最初に書いたように自分が「知」に傾きすぎていて、「情」や「意」に関わる問題にうまく対処できないでずっと来ていて、かなりの歳月の間にようやくだんだん少しは掴めてきた、ということが大きくて、勘の悪さを長年の生きてきた過程の中でようやく少しは補えたかな、という感じではあるので、40年前に言葉だけ知っていてもどこまで理解できたかはわからないかも、とは思ったのだが。

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昨日読んだ「ふつうの軽音部」96話、アニメ「正反対な君と僕」3話、「豊臣兄弟!」第4回についてもいろいろ感想を書きたいのだが、少しずつ簡単に。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913779623046

「ふつうの軽音部」96話「大嘘を歌う」はついに主人公鳩野たちのバンド「はーとぶれいく」のライブ場面なのだが、とても良かった。感想欄に「歌うたびに最高を更新してくる」というのがあったけど、本当にそうだと思った。歌われたのは「忘れらんねえよ」というバンドの「あいらぶ言う」と言う曲だったのだが、MVを見るとドルオタの男たちが推しをニコニコしながら語る場面から始まり、人を好きになると言うのがどう言うことなのか、男があまりニコニコしすぎるのは気持ち悪い、みたいな感じもやはり本質であって、それでも思い余って男が泣いてしまうくらいの気持ちというのが恋なんだな、最高で最低だな、と思うわけである。

https://www.youtube.com/watch?v=uU-Ui0aPT3c

歌唱の場面は圧巻なのだが、そう言う意味で「恋するキモい男の代表例」みたいなヨンスの表情がすごく良かった。歌を聞かせたい相手としてはまず第一に片思いをしている水尾と、呼び止めてまで聞いてもらっているレイハなのだが、はーとぶれいくのメンバーもその歌声をすごいと感じていて、軽音部の他のメンバー、特にトゲトゲピーナッツのメンツに届いている感じがよく、鶴先輩と七道の凄腕ベーシスト二楷堂まわりに届いているのも良かった。ラストはメンバー二人の反応がキモなのだが、それは読んでのお楽しみということだろうか。七道高校の上手そうなメンツや鶴先輩に引き止められた彩目に絡んできた草壁がどういう反応をするのかは来週のお楽しみということだろう。

https://sh-anime.shochiku.co.jp/seihantai_anime/

「正反対な君と僕」では平が中心の原作4話と図書館での二人を描いた原作5話だった。両方ともかなりモノローグが長いのだけど、割とうまく処理していたと思う。「ふつうの軽音部」でもそうだけど、最初はモブだと思っていたキャラクターが後になると彼らが中心の話が作られていく群像劇的な描き方が良いなと思う。私は絡んでくるようになったネアカな山田と常に変な想像をしている図書委員の西さんが好きなので、彼らの絡みも早くみたいなと思う。

https://www.nhk.jp/g/ts/P52L88MYXY/blog/bl/pwWYoeNnb2/bp/pzn4lv1Jl0/

「豊臣兄弟!」では桶狭間回だったが、普通なら信長の妻・濃姫とのやりとりになりそうなところに
妹の市がいるのが割と不思議だったのだが、実は史実の上ではこの時期には濃姫が生存していたのかどうかさえ不明確なのだそうで、彼女は子供は産んでいないと思われるので子供の出生年代からも特定できないということのようだ。そう考えてみると秀吉の姉や妹がどういう人だったのかかなり詳しい記録が残っているのはすごいことで、もちろん彼が天下人になったからこそではある。逆に彼や秀長(小一郎)が誰の息子だったのかは研究史的には不確かなようで、今回の大河では弥右衛門=筑阿弥説(つまり母なか=大政所は再婚していない)をとっているようだ。先日読んでいた新書では父方の親戚から秀吉の家来になった人も結構いるようなので、この時代の兄弟夫婦関係というのも興味深いなとは思った。

あと、桶狭間の後、計略を実行した家来を労った後、畳に大の字になって「勝った」と何度も繰り返す信長が描かれていて、この大河は基本的には怪物は出てこない(というか一番怪物っぽいのは秀吉だが)、要は「人間ドラマ」としての大河なんだなと思った。

そうそう、書き忘れていたが、桶狭間の殺陣はよかったなと思う。こういうのが丁寧に描かれていると楽しい。ただ刀より槍の方が実際には多く使われていたのではないかという気はするけれども。

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国民民主党の玉木さん、政策について語っているときはかっこいいのに政局になるとグラグラして残念な感じになる、というツイートを見たのだが、まあそうだなと思う。この辺は旧民主党から希望の党、国民民主党の流れがあるからある意味仕方ないのかもしれないが、今回の選挙で議席を伸ばしてより主体的に連合などに対しての主導権を取るような存在になってくれると良いなと思う。

参政党は「高市さんを応援したかったら参政党へ」などとちょっとこすい手を使っていてどうかと思うし、今回は私のタイムラインの右寄りの人たちも参政党を見限った人たちが多いように思う。とはいえ、中道改革連合や参政党の力が侮れないものがあるのは確かなので、高市さんには頑張ってもらいたいと思う。

https://mainichi.jp/articles/20260125/k00/00m/010/167000c

ただ、今回の解散後の土日には街頭演説に立たなかったようで、ちょっとその辺はどうなのという気はする。何をやっていたのか明らかになると良いとは思うが、選挙戦術の分析をしていたのか、それとも引っ越しの片付けなどをしていたということなんだろうか。

https://mainichi.jp/articles/20260123/k00/00m/010/064000c

また、一つ問題になるのは維新と連立したことで、自民党が維新に惨敗している大阪でどう応援演説の日程を入れるかということが問題だということがある。お互いに今回は選挙協力はしない、ということで話がついたらしいが、他の都道府県はともかく大阪に関しては維新と自民は激突するわけだから自民候補側も高市さんの応援は欲しいだろうし、維新側も高市さんが自民議員の応援に入ったら感情的なしこりは残る可能性はある。その辺をどううまくやるか、差配が必要だという気はするがどうなるか。


「パンダの切れ目は日中友好の切れ目」か/カナダの安楽死とイラン情勢の深刻さ/「ミドルパワー連合」と「三国同盟」/出生率とマイルドヤンキー/司法の暴走を止めるためには/積雪/他

Posted at 26/01/25

1月25日(日)晴れ

今日は午前中はブログ/noteを書く気にならず、もう午後1時半を過ぎた。久しぶりに日差しが降り注いで、家の中にいると暖かいのだけど、外気温はマイナス1.9度。今のところの最高気温はマイナス1.1度。これから次第だけど、今日は真冬日になる可能性が高い気がする。

https://www.web.nhk/tv/pl/series-tep-P1124VMJ6R/list?mediaAction=watch

昨夜はなんだか疲れが出て、7時のニュースを見ながらご飯を食べていたが、次に始まった新プロジェクトXの北陸新幹線飯山トンネルの話がかなり良くて、その工事の困難さに想いを馳せながらじっくり見てしまった。その跡少し横になったら爆睡してしまい、10時半ごろ一度意識を取り戻したのだがまた眠ってしまって、起きたら2時だった。ストーブが灯油が切れていて寒い。入浴してから2階に上がって寝室でストーブをつけて、寝床に入ったがうまく寝付けない。気がついたら寝室のストーブも消えていて、中途半端な眠たさと目の冴えで仕方がないので起き出して、灯油を外のタンクからポリタンクに入れようと玄関から出てみたら銀世界だった。

積もっていたのは5センチ弱だから新潟や東北のようなことはないのだが、今季では一番降ったような気がする。フロントとリアのワイパーを立てて雪をかきおろし、それからタンクのところへ行って給油して、廊下に戻ってストーブのタンク二つに灯油を入れ、それから家の前を簡単に雪かき。雪はほぼ上がっていた。それから居間に戻って「ふつうの軽音部」96話「大嘘を歌う」を読んだ。内容はまさに神回であったのだが、これはまた書く気になってからにしたい。今日の半分はこの不規則な睡眠とこの作品への感動のせいでほぼ潰れた。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913779623046

午前中は何度も読み返しながらTwitterには書き込んでいたのだが、noteを書く気が起きない。ご飯は炊いたがお昼の買い物にも行く気にならなくて、ストックを見たら「モツカレー」のレトルトがあったのでこれで済ませることにした。気がつくと妹たちが正月に買ったらしき沢庵が残っているのに気づき、梅干しと沢庵を薬味がわりにして紅茶を淹れて昼ご飯を済ませた。

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今日は中国に返還されるパンダの最後の観覧日とのことだが、パンダが中国との友好に関して結構とっかかりになっている人は多かった気がする。最初にパンダがやってきたのは日中共同宣言、つまり日中国交回復の直後だから、パンダの歴史はそのまま「日中友好」の歴史であったことになる。その象徴的なパンダが日本からいなくなるということが、多くの日本人の気持ちにとって、中国に対する最後の親しみの要素が消えることになるのではないかという懸念はある。なんとなく、「パンダの切れ目が縁の切れ目」で日中友好最後の日にならないと良いのだが、という気はするのだが、そこまで中国側が考えているのかはよくわからない。

中国側も安倍政権の頃までは日本の出方や世論を慎重に見極めながら日本に対処していた感じがあるのだが、最近はすっかり「小国に対する大国の態度」みたいに高飛車な、あまり考えているとは思えないような対応をするようになってきているから、その辺の機微はもう無視しているのではないかという気がする。対中感情が日本で悪化することの意味を軽く考えるようになった政権と付き合うのは、日本のようなナイーブな大衆感情が政治を左右する民主主義国への接し方としてはあまり得策ではないのだが、やはりこの辺りもウクライナ戦争を境にしたロシアの大国主義的な態度に強く影響され出している感じがするし、トランプのアメリカもそうした態度になってきていて、ただ日本の場合は対中国の前線だということと、そして多少は「シンゾーとの友情」の要素も残っているからか、ヨーロッパに対してほどギリギリ締め上げては来ていない感じはある。まあ、どこまでそれが続くかは楽観しないほうがいいようには思うが。

中国も中央軍事委員会のメンバー、つまり人民解放軍トップの粛清が続き、ついには習近平プラス一人になってしまったようで、よくわからないがスターリンやヒトラー、近くはプーチンもそうだったけど、重要な局面で意に沿わない有能な軍人を排除するという挙に出ていて、これが独裁者の猜疑心の現れなのか、中国の皇帝の伝統なのか、さまざまな反応がTwitterでもみられる。太平天国に例えたものまで出ている。日本の戦前のような「統帥権の独立」があればそういうことは起こらないわけだが、もちろん別の弊害もあるので難しいところである。

https://x.com/TheresaAFallon/status/2015100775081329126

https://x.com/Yaita_Akio/status/2015086076373950620

しかし中国の皇帝であっても、有能な将軍の粛清は平定が終わったとのことがふつうであって、項羽を滅ぼした後に韓信が「狡兎死して走狗煮らる」の故事が典型なのだが、これから台湾侵攻という彼にとっての大一番の前に軍令の要になる人物を排除するというのは意味がよくわからない。逆に言えば軍部は台湾侵攻には慎重だから、それを有無を言わせず実行するためには排除が必要だったと解釈するしかないのだが、おそらくは専門家が無理だという以上は無理なので、習近平体制それ自体に綻びが出てくる可能性は高いような気はする。しかしだからと言って台湾侵攻がないというわけではないだろうから、日本としてはできる範囲で牽制していくしかないだろうと思う。

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カナダの首相がミドルパワーの連帯で大国に対抗しよう、という演説を行って日本では感銘を受けている人が多いようだったが、その国内では日本ではなかなか考えにくいことが起きているらしい。

https://x.com/TheresaAFallon/status/2015100775081329126

なんと、全死亡の5%が今は「安楽死」になっているのだそうだ。日本の死亡原因は1位が癌で24%、2位が心疾患で14%、3位が老衰で13%、4位が脳血管疾患で6%、5位が肺炎で5%とのことだから、肺炎で死ぬくらいの割合で安楽死が行われていることになる。ちなみに日本の自殺の割合は死因の10位に入っていないので、10位のアルツハイマー病の1.6%より少ないということのようだ。

https://x.com/Sz73B/status/2015205590067535902

なぜこんなに安楽死が多いのかと思ったら、身体障害者の場合、手続き的に「保護の継続の延長申請」には膨大な書類が必要だが安楽死の申請は書類一枚で済むそうで、この辺りはある意味「闇」の世界という感じになる。日本のように弱者保護ビジネスが盛んすぎるのもどうかと思うが、本人の意思がそうしたバイアスのない形で反映される仕組みは必要だろうと思う。

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イランについては全く情報が出て来なくなったが、かなり深刻な状況であることは推察される。

https://x.com/Vnourozi/status/2015175376235024775

このレポートによると死者は4万3千人に上っているというが、アメリカはほとんど関心を失っていて、もっぱら関心はグリーンランドということのようだが、今後のイランの統治について本当に持つのかという気はする。

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日本の出生率は以前に比べれば下がっているわけだが、韓国や中国、台湾などに比べてまだ比較的高い。Z世代では上位3割しか子供を持つべきではないと言われている、というような話はあるが、それはどうなのかなという気がする。子供を育てるのに多くの資本が必要な都会のエリート層は一部を除いて子供の数を極端に減らす傾向があるとは思うが、いわゆるマイルドヤンキーと言われる層は今でもそうではないように思う。日本はおそらく、東アジアの諸国の中で最もこのマイルドヤンキーと言われる層が厚いのではないかと思うし、逆に言えば学校教育の洗脳というか汚染のようなものが通らない不透水層みたいなものがあって、それが逆に少子化を押しとどめているのではないかという気がする。東京一極集中を避けて地方でもある程度豊かに生活できるようにすることは、いろいろな意味で少子化を食い止めることにつながるのではないかと思う。

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「ミドルパワーの連合」というアイデアについて。

https://x.com/KS_1013/status/2015115031126618122

https://x.com/chutoislam/status/2014941949199851669

「ルールに基づいた国際社会は終わった」という話自体、今までだっていうほどそうだったか?とは思ってしまうのだが、ヨーロッパやカナダがこういうことを言い始めたというのはつまりはグリーンランド問題だろう。エルドアンのトルコなどはウクライナ戦争に関してもロシアにもウクライナにも話ができる立場を生かしていた(特に黒海の喉元のボスフォラス海峡の通行許可権を握っていることが大きい)し、シリア情勢などでもイニシアティブを取り、イスラエルにも対抗できる立場を保持していて、まあ典型的な「NATOに加盟しているが独立したミドルパワー」としての外交を展開してきた。それもヨーロッパやNATO諸国、湾岸諸国、対立はしていてもイランやイスラエルとの外交ができる立場を確保しているからこそな訳だろう。

デンマークが世界最大の島であり北極海の要石の位置にあるグリーンランドを帝国主義時代が遥かに過ぎ去った後も所有していることの正当性は「武力による現状変更は認めない」という国際ルールだけだし、先住民の数が少なく独立運動も規模が小さいからそれが保たれているだけだろう。トランプがグリーンランドの領有権の正当性を主張するのは抗議のモンロー主義に基づくものしかないとは思うが、その理屈が通るなら中国の沖縄領有の主張も通りそうな感じになってしまう。ただデンマークの領有権の主張もポストコロニアリズム的に考えればそんなに強いものではなくなるという部分もあるし、「西半球はアメリカが仕切る」というモンロー主義の極北の(まさに極北だが)主張でもあるので、そう簡単には引っ込めない気もする。ヨーロッパも「植民地領有の継続」にこだわることの世界的な危険にどれくらい気づいているのかという気もしなくはないのだが、まあかと言ってアメリカの領有を正当化する理屈もアメリカ人以外に通用しそうなものはないからデンマークの方に理があるように見えるだけなのではないかとは思う。

アメリカやロシア、中国などの大国(スーパーパワー)の横暴に対抗するためにはミドルパワーの国々が連帯すべきだ、というのは、第二次世界大戦前の米英のような「持てる国」に対抗するためには「持たざる国」であるドイツやイタリアや日本が協力し合うべきだ、という主張みを感じるところもあり、あまり変な方向に引かれない方がいいような気はしなくはない。中国古代で言えば「合従策(中小国連合)」か「連衡策(大国との同盟)」か、みたいな話になるわけだが、古代中国の場合は唯一の超大国・秦に飲み込まれてしまったわけだが現代世界には対抗するスーパーパワーが現状三国あるわけで、特に周辺に同格な同盟をするに足る国があるわけではない日本においては、日米同盟を守ることが現状は一番マシだとは思う。現在の状況を考えればいずれにしても国防費・安全保障費は積み増しせざるを得ないのは確かだから、アメリカが要求するのならばそれなりに防衛体制を高めていくというのは少なくとも今のところは得策だと思う。

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衆議院解散の際に万歳を三唱するという風習の意味をあまりよく理解していなかったのだが、これは明治時代の末からのことで、帝国議会が成立したのち、選挙大干渉が行われた第二回衆議院総選挙の前の解散の際には特にそういう記述はなかったようだ。始まったのは日露戦争より後だったようだから、議会が政府批判だけでなく隈板内閣を経験して政府の一員ともなるという意識を持つようになった後、「天皇の権威」というものをより意識するようになったのちに「解散の詔書煥発」という天皇の今でいう国事行為の執行に対して御稜威を称えるという趣旨で万歳を三唱するようになった、という話は説得力があるように思った。

もともと万歳三唱という行為や「万歳」を「バンザイ」と読むようになったのは帝国憲法発布式典(1889年2月11日)での奉賀が始まりだったというからまだ新しい習慣だったわけで、どういう時にやるべきかという模索の中で詔書煥発という状況に対して行われるようになったということなのだろう。まあ「解散を喜んだ」わけではないわけだけど、解散というのは即総選挙ということなので議員たちも気合を入れるのにはちょうど良い行為だから定着したということもあるのではないかという気はする。

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一般道での時速194キロ走行で起こした事故が危険運転致死罪が適用されなかったという話はかなり波紋を呼んでいるが、これは現行法の法解釈の判例としてそのようになっているということのようだった。

他にも術後譫妄状態の患者の証言が取り上げられて医師が有罪になったり、明らかな選挙妨害が表現の自由として許容されたりなどのおかしな判決がかなり出ている中で、司法の判断に対する不振が広がっているように思う。

こうした判決のおかしさの是正というのは司法内部の取り組みでは難しいことも多いように思うが、そのあたりは司法権の独立という理屈によって是正がされないままになっているわけで、その辺は改めていくべきところがあるのではないかという気はする。

司法は法律と憲法に基づいて判断を下すわけだが、国民が直接その信任不信任を決めることは形骸化している最高裁判所判事の国民審査以外できないわけで、人事的な方向での解決は難しい面が多いだろう。

ということは国民の側からできることは国民の代表者として選任される国会議員とその中から選ばれる内閣によって提出される立法措置によって、つまり法律自体を変えることによっておかしな判例を克服していくしかないということになるのではないだろうか。

その辺りのことについてはあまり詳しくはないのだが、そうした主張を候補者がするようになったら、支持したいという気持ちはある。司法の暴走はそろそろ止めなければならないように思うところがある。

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今日はなんというか小ネタの羅列になったが、いろいろ注目したいことが多いということでもある。いずれにしてもどの件も良い方に向かえばいいのだがとは思う。

アニメ「葬送のフリーレン」の戦闘シーンの良さ/絶対に譲れないもの/「自分からは死なない」/「評論家」が最終的に目指すもの/餅を食べる/「健康で文化的な最低限度の生活」と保守vsリベラル

Posted at 26/01/24

1月24日(土)晴れ

このところ朝食に餅を食べているのだが、これは特に理由があるというほどでもなく、スーパーで売っているプラスチックのお供えの中身が切り餅で、特に他に食べる機会がないので、パンを買い忘れた時に食べてみたら意外と腹持ちも良く、ちょっといいかもと思って食べていたわけである。

今朝は土曜日でいつも隣町のデイリーにパンを買いに行く日なので今日はパンを食べたが、餅もまだ結構残っているので適当に割振りながら食べていこうと思う。

昨日は午前中に母を松本の病院に連れて行ったのだが、途中でトイレによっていたりしたら思ったよりも時間がかかり、診察時間に間に合わせるために高速をちょっと飛ばしたら母が両手で力を入れて座席で踏ん張っていたことがわかり、それで手が痛くなってしまったようで、これは参ったなと思った。自分が一人で走る時はそういうことは全然気にしていなかったのだけど、高齢者を乗せている時はそういうこともあるのだなと思い、気をつけようと思った。帰りはゆっくりめのスピードで走り、どんどん周りの車に抜かれて行ったが、思ったより時間はかからなかったのでもう少し時間に余裕を持とうと思う。

とは言え実家に帰った時刻は思ったよりも遅くなり、昼食を取ってから昼食前にやろうと思っていたことをやることにはなったのだが、ちょっとゆっくりしていたら気がついたら時間ギリギリになって、少し離れた書店まで走ってビッグガンガンと「スーパーの裏でヤニ吸うふたり」8巻を買った。

https://frieren-anime.jp

夜は帰ってきてからご飯を食べて、「葬送のフリーレン」を見てから寝た。「南の勇者」の話と剣の魔族の話、7巻の63話と64話でまあ小ネタに属するエピソードだが、二期最初の戦闘シーンもあり、やはりかっこよかった。私はこの作品自体に最初は興味がなかったのだが、アニメの一期8話くらいだったと思うが、原作でいえば2巻ラストの17話で、グラナト伯爵を救いにきたシュタルクの応援に現れたフェルンが窓の外からガラスを割って登場する場面。たまたまみたのだがこの映像はすごいと思い、見るようになったのである。原作では結構地味だし、その後にフリーレンが戦うのがこの作品の魔族でも人気ベストワンの「断頭台のアウラ」なのでそちらの方に注目が集まるのは致し方ないのだが、フェルンの登場の場面が魔族リュグナーのフリーレン回想の場面と重なり、心を奪われた感じだったわけである。

だからこの作品の戦闘シーンには常に期待はあって、一期で他に例えば1級魔術師試験でのフリーレンの複製と戦う場面など、本当に目の覚めるような感じがあった。今季もまたそういう場面が見られることを期待したいと思う。

今朝は起きたら6時半を過ぎていた。自分としてはかなりの寝坊だが、どうもそれは寝る時に長袖のTシャツをパジャマの下に来ていたので腕が冷えなかったことが大きかったのだなと思った。寝坊というのはスケジュール的には困るが頭も体も休まったということなので、それを考えに入れておくと良いなと思った。時間がある時にしまむらかユニクロで長袖Tを2枚くらい買おうと思う。少し遅くなったが隣町にガソリンを入れにいき、塩パンとフルーツケーキの切り落としを買って帰ってきたら8時前になっていた。

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入浴してから続きを書いているが、今朝は出かけている間に何を描こうかいろいろなことを考えていたのだけど、テーマとしてはふたつだろうか。一つは「絶対に譲れないもの」は何か、あるいはそういうものがあるかないか、ということで、深掘りして行った時にそういうものが全くない、という人はものすごく節操がない人か逆にものすごい悟りを開いた人、ということになると思うのだが、大抵はそういうものがどこかにはあるだろうと思う。ただそれが深いところにあり過ぎて見えない、ないしは見えにくいということはあると思うし、私はどちらかというそういう人間だなと思うので、そういうものがないと言って悩んでいる人には同情的な部分がある。ただこれは自分がそう思っているだけで、周りからは割とわかりやすいプライドを持っているように見える場合もあるし、多分周りの人間やこういう文章を読んでいる人からはこんな人だろうというイメージは持たれていることも多いんじゃないかとは思う。

自分が絶対譲れない、というか心に決めていることというのではっきりしているのは、「自分からは死なない」ということで、つまりは自殺や自殺的な行為はしない、ということで、当たり前と言えば当たり前なのだが、例えば山上被告とかがやっているのはある種の精神的自殺であるわけだから、ああいうことはしない、ということである。これは当たり前のように見えて、そういうところがやばい人は実は結構いるし、実を言えば自分自身もある種相当短気なところはあるのでそういう自分自身に対する決め事というのはリーズナブルという点でも持っていると良い感じはする。

ただそんな決め事だけで生きていけるわけではないからじゃあどうやって生きていけばいいのか、という話になるわけだけど、しばらく前によって心に残っていたのが麻生太郎「自由と繁栄の弧(文庫版)」の36ページにあった「自らの生存と安定、それに繁栄という国益の三大目的」という言葉で、要はつまりは個人にとってもこの三つは大事だなと思ったいたわけである。

つまりまずは「生存」、生き残ることが大事であって、これは普通は金銭的なことを指すことが多いけれども、例えばいじめの対象になっているような場合は毎日が「生存」を達成するための戦いの日々になるわにあで、それが戦いきれなければ「自分から死ぬ」ないし「相手を巻き込んで死ぬ」みたいな行動になるわけである。だから豊かな現代社会においても「生存」というのはそんなに簡単な問題ではないわけで、いじめる人やパワハラをかます人というのはそうやって人を生存レベルの葛藤に追い込むことで主導権を取れるということを本能的に理解している、ということになるのだろうと思う。

私はまあ、子供時代はそれなりに生き残ることが大変な状況の時が長かったのでだからこそ「自分からは死なない」なんてことを決めたのだが、大人になってからは自分で状況を選べるようになったことでかなり楽になったことは確かである。

次は安定ということになるが、普通の、というか一般の人にとっては就職ということになり、それで安定してくるとさらにその上のステップを求めるか、みたいな話になる。もちろんこれもまた「譲れないものがある」、例えばオタクの人たちにとっては子供の頃からそれに執心し、就職したりしてもさらにその趣味に邁進したりするわけで、ある意味自分に忠実に生きられているわけだからすごいと思う。

あまりはっきりとそういうものがない場合、あるいは生存をかけてそれをやるというほどではない時に、安定というのが大事になるが、そのライフスタイルは生物である以上一般的にはつがいをつくり子孫を残すことが標準になるわけだけど、そこが多様化しているのが現代なのだろう。ただ一般には結婚して子供を持ち、年齢が長じては孫をもちひ孫に相好を崩す、というのが一番安定感がある「安定」だという気はする。まあそこまで行くと子宝、長寿、一族繁栄という感じで第三段階の「繁栄」に入るという判断もあるわけだが。

自分の人生はどうもそういう方向にいかなかったのでその辺が多少残念な感はあるしそういうものを諦めたわけでもないのだが、やはり何かを生きているうちに成し遂げるということに対するこだわりはあり、そういうものが考えてみたら「譲れないもの」なんだろうなとは思った。

昨日出たスペリオールの「らーめん再遊記」で有栖が「おそらく僕ら評論家は魅了されたジャンルについての思考が「自分とは何か」「他者とは何か」「そして人間とは何か」という問いかけにつながり、最終的には世界の謎を解明したいと思っている」ということを言うのだけど、これはすごくわかる気がした。と言うか、自分が漠然と「やりたいこと」と言うのはおそらくそう言うことだろうと思っている。有栖はラーメン評論家なのでラーメンを切り口に幅広い文化論から人間論に至る、というサブカルからの攻めになるわけだが、文芸評論家なら文学を切り口にして芸術論から人間論に広がったするわけで、小林秀雄などはそう言うことだろう。

なんというか、同じ評論家でも文芸評論家や政治評論家は格上でラーメン評論家やサブカル評論家は格下、みたいな感じは世間的にあるが、「世界の謎を解明する」と言う究極の目的を考えるとそれは実はそんなに違わない、と言うことになるのだろうと思う。

私などは結局そう言う観点から聖から俗へ、歴史から現代へ、世界から日本へ、東京から地域へ、マンガからネットへ、音楽からアートへ、日常からアニメへ、と言った具合で次から次に対象が転変して行ってしまうのでなかなかまとまったものが書けない感じになっているわけで、ラーメンならラーメンと対象を切り取ってそこから見える世界を見る、と言う方がよりまとまったものを作りやすいことは確かだと思う。

ただまあそう言うことを考えているうちに「何を考えていたか」をリストアップしていたつもりだったのが実際に考えながら書くようになってきてしまっていたり、まとめるには「枠」をしっかり決めて書いた方が書きやすいなといつも思う。しかし、枠にはまっているものを作るのもあまり面白くないなと思ってしまったりもするので、こう言う形で思考の跡を記述するようになったりもするわけである。

***

「生存」というと憲法の「健康で文化的な最低限度の生活」と言うフレーズを思い出すわけだが、「どこまで健康で文化的か」によってそれが憲法によって保障される「生存」の範囲なのか、それを超えた自分で目指すべき「安定」に入るのかと言うのは難しいところがあるよなと思う。ただ本来は、と言うか自然界では基本的にその「生存」自体も誰かに保障されるものではなくて自分で勝ち取らないといけないものでもあるわけで、そこら辺をどう考えるかと言うのが考え方としてのリベラルと右派の境目でもあるなとは思う。

日本の現実社会においては「女性枠」などのように過度に社会によって保障されすぎているケースもあれば、「いじめ」のように取り上げらることさえ困難で動画に晒すと言うような「自力救済」をせざるを得ないケースもあるわけで、その辺がアンバランスなのはある意味社会が未成熟であるからこそだなとは思う。

その辺のところが安定してくると良いなと言うのがある意味自分の意見であり、それは本来は保守とかリベラルとかの次元ではない常識の範疇だとは思うのだけど、それが「保守」に色分けされるのが現代だと思うし、そう言う意味では別に「保守」と言うことに抵抗はないなとは思う。まあ蛇足だろうか。

***

評論、と言うとこう言うふうに自分の考えや考察をある意味書き連ねることになり、それは「需要」があるかどうかと言えばよくわからないわけで、そう言う意味で言えばどうしても「需要」がある、注目されやすいジャンルについて書くことになりがちではあるのだけど、「らーめん再遊記」の有栖のように、作品論として優れたものを描いても社会的には評価されない、みたいなことはあるわけで、まあそう言う探究と社会の需要というのは違う論理で動いているから当然なのだけど、いつかその需要に引っかかる可能性もあるなと思って取り組むしかないという面は確かにある。ただそこで一度評価されておかないと先が大変だとおいうこともあるから、なんとか引っかかりたいということもあるわけで、まあ色々頑張らないといけないわけである。


考えごと/情状酌量/アフタヌーン

Posted at 26/01/23

1月23日(金)晴れ

今朝は冷え込んでいる。最低気温の予想はマイナス10度だが、いまのところの最低気温はマイナス8.8度。一度目が覚めたのは3時で流石にもう一度寝床に戻り、一度入眠したが4時20分頃には意識が戻った気がする。居間に降りてファンヒーターをつけてからトイレに行ってもう一度布団に戻り、いろいろ考え事をしているうちに起き出してストーブを消して居間に降りた。もう一つのストーブをつけたが、寒い。

5時15分ごろに車のエンジンをかけ、車内気温の向上ととフロントガラスの解凍を図る。いろいろやりながら5時半になったのでゴミをまとめて出かけた。最初にセブンに寄るつもりだったのを忘れて職場の方向へ行ったので、先に職場で燃えるゴミをまとめて出した。それからお城のそばのファミマに行ってスペリオールとボスのカフェオレと、それからアフタヌーンが出ていたのでそれも買った。

その後実家の近くのセブンに戻ろうかと思ったが他のセブンが週刊漫画Timesを置いていたことを思い出してそこに行ってスイカをチャージし、買って帰ってきた。まだ寒い。

***

安倍首相暗殺事件の山上被告に対して、一部の声として「生い立ち等を考慮し、情状酌量して減刑すべきだ」という声がある。これは今の裁判で子供を殺した母親に対しても執行猶予をつけるような行き過ぎた(と思われる)情状酌量を基準にしているのだろうなと思う。社会が彼に冷たかったから犯罪を起こしたのだから、という論理がつくわけだけど、これはツイートで見かけた(今見つけられない)「社会が原因でない犯罪などあるだろうか」という呉智英氏の言を考えると、濫用すべき論理ではないように思われる。

情状酌量というのはつまり「お上のお情け」、「大岡さばき」みたいなものなわけだが、それが変に制度化してしまって(判例主義だから当然と言えば当然なのだが)あまり多くの人が納得できない変な理屈をつけてくるとかつけろと要求するようになってきたというのはあるのではないか。法学には当然「情状酌量」についての研究もあるとは思うのだが、より多くの人が納得できるような判断がされると良いとは思う。

***

「アフタヌーン」、「ブルーピリオド」とか「スキップとローファー」とかちょっと考えさせられる話が続いてたのだが、今朝は母を松本の病院に連れていくので時間がなく、また改めて。

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