散歩/ロレンス・福田恒存「黙示録論」:魂の救済者か復讐者か/ナイジェリアで進む「キリスト教離れ」
Posted at 25/04/30
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4月30日(水)晴れ
昨夜は1時前に寝たのだが、起きたら5時でもう明るく、もう一度寝るのもアレだなという気がしたので起き出して、車でどこかへ出ようかとも思ったのだがそういえば最近あまり散歩をしてないなと思い、歩くことにした。ゆるい坂道を下って国道を横切り、街中の細い小路を縫うように歩いていくと途中でいくつかの堀川を渡り、車では通れない細い道をお城の方に歩いて、市役所の近くにあるファミリーマートで飲み物を買って、Suicaにチャージした。
それからお城の方に歩くと、枝垂れ桜はもうほとんど終わっていて、歩道橋を渡ってお城の中に入ると八重桜が満開だった。護国神社にお参りし、永田鉄山像に拝礼してから藤棚を見に行ったが、満開にはもう少しという感じだった。冠木門を出て街に戻り、家の方に戻ろうとすると朝日が眩しくて、あまり正面に朝日を直視しないでいいようにジグザグに道を歩いて帰宅した。気温は2度から5度くらい、起きた時にはあまり寒く感じなかったが帰ってきて家の中でいろいろやっていたらなんだか寒さを感じてきた。
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昨日はDHロレンス・福田恒存訳「黙示録論 現代人は愛し得るか」(ちくま学芸文庫、2004)を読み始めたのだが、福音書における魂の救済者としてのイエスのあり方と全く違う黙示録における復讐者としての「人の子」のあり方のギャップがなぜ生まれたのか、みたいなことを考えたり、あるいは仏教や神道においてそのようなあり方の経典はあるのかというようなことを考えたりしていたのだが、あるとしたら大乗仏典の中にあるのだろうなとは思うのだが、観音経の「念彼観音力」が繰り返される下りなどがなんとなく想像されたが、あれは仏の力を述べているのだけど、確かにこの世を作りこの世を破壊するのも神の力には違いなく、黙示録というのも形は怖いけど神の力について述べているものだということはわかるなとは思った。
キリスト教カルトというものは大抵はこの黙示録の解釈から出ているというということは言われているが、イスラエル国家を支持するキリスト教シオニズムというものを理解するのに黙示録の理解は必要だなと思ったのでこの本を読み始めたのだけど、まだ最初の福田恒存による「ロレンスの黙示録論」の半分くらいまでしか読めていない。
ということでロレンスの方も少し読んでみたのだが、いきなりキリスト教に対する憎悪から話が始まっていてかなり拗らせた人だというのはよくわかった。当時のキリスト教社会において聖書は毎日毎日有無を言わさず注ぎ込まれているものであり、忘れ去っていても少し読み始めたら何が買いてあったか吐き気を催すほどに思い知らされる、というのはなかなか私たちには想像しにくいものだなと思った。
おそらくこれは彼が嫌いな聖書の中の、最も嫌いであろう黙示録について論じたもので、そしてそれを福田恒存が重視してそれについて論じていること自体がある種文明論的な重要性を感じさせるなと思った。
まあ感想というほどのものには全然なってないが読み始めのメモ程度のものとして。
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アフリカのナイジェリアでキリスト教信仰から伝統宗教に戻る人が増えているというアルジャジーラの記事。
ナイジェリアは北部のイスラム教徒と南部のキリスト教徒が対立している地域なので、「キリスト教離れ」についてイスラム世界の報道機関であるアルジャジーラがレポートし論じるというのはやや政治的なものを感じなくはないが、「一神教的なもの」自体から離れようとしている動きがある、という指摘はより客観性を感じるところはある。
もともとキリスト教徒と言っても伝統宗教の呪術師のような人たちとも繋がりを持つのが普通らしいのである種のナショナリズムや民族意識のようなものが高まるとそういうこともあるかなという気はするのだが、統制の厳しそうな北部のイスラム教世界ではなくより市場化され自由化された南部のキリスト教世界でそれが起こっているというのは西欧化への反発などもあるのだろうと思った。wokeについては書いていないが、そういうこともあるかもしれないとは思う。
この記事も興味深いが、読んでいると私はナイジェリアについて何も知らないなという気がしてきたので、少し勉強しようかと明石書店のエリアスタディーズを調べてみたらナイジェリアについてはまだ出ていないようだった。中公新書で「物語ナイジェリアの歴史」は出てるようなので、その辺から調べてみるのがいいかなと思った。
これもこういうことに関心を持った、というきっかけの記録としてくらいにしかならないのだが。
松本パルコの跡地と東京事変のDVD/日本は「怪しい国」だったのか、今はそうでないのか
Posted at 25/04/29
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4月29日(火・昭和の日)晴れ
昨日は連休中の平日。今週は東京に帰らなかったので、昨日は午後松本に出かけた。銀行の仕事が少しあったので途中で小さな街の銀行に寄ったらATMの数が少なく行列になっていて失敗したなと思ったが、まあとりあえずやるべきことは済ませられた。そのまま下道を走るが結構県外車が多い。やはり連休だなと思う。高速に乗り、久々に松本インターまで行く。高速も松本の市街まで出る道も比較的空いていて、よかったとは思った。
立体駐車場に止めて丸善に行って本を探し、DHロレンス・福田恒存訳「黙示録論」(ちくま学芸文庫、2004)と「こうの史代短編集・ヒシヤマさん 星の音 森のうた」(コアミックス、2025)を買った。そのほかマンガの整理をしたときに「パリピ孔明」が20巻だけ抜けてたのでどうしようかと思っていたのだが、一度支出記録を確認してから買うことにして、それはやめた。あと「コミックZERO-SUM」の6月号を探したのだがなかったのでMIDORI(駅ビル)の改造社書店まで歩く。雑誌はすぐに見つかったので買った。隣のジュピターという店でグァバジュースを買い、車に戻って荷物を置いてから散歩に行った。
以前は整体が松本インターのすぐ近くだったので松本市街は時々行っていたのだが、場所が変わって最近は塩尻インターで降りて下道を行くようになったので市街にあまり出なくなり、パルコが3月末で閉店したのは知っていたが今年に入ってから言ってなかった気がする。跡地がどうなったのか見てみたいと思って傘をさして歩いていったのだが、ただ閉店しただけで工事をする気配もなく、巨大な空きビルが残っているだけという殺風景な感じになっていた。パルコの周囲にパルコの客を当て込んだと思われる店がいくつかあってこれは苦しいだろうなと思ったり。自分が時々行く靴屋もどうしてるかと思って行ってみたが、自分の記憶と場所が違っていたけどちゃんとあったのでよかった。よく行く和菓子屋も自分の記憶と場所が違っていて、なんだか当てにならないなと思う。
パルコに入っていたヴィレヴァンとアニメイトはどうなったのかなと思って調べてみると、ヴィレヴァンもアニメイトもイオンモールで展開しているらしく、一応松本のサブカル・オタク文化の灯は消えずに残っているようでよかった。
駅前のバスターミナルのビルまで戻ってブックオフを覗くことにし、アートの本などあるかと思って探したけどいいのがないのでCDを探した。椎名林檎か東京事変のものがないかと思って探すとライブ盤のCDがあり、1100円で少し高いなとは思ったが買うことにした。そのあと地下のデリシアで少し買い物をしたが1000円行かなかったので今日は駐車券は無しだなと思ったのだが、考えてみたらブックオフで1100円使ったので駐車券もらえたなと今になって気づいた。
駐車場に戻って事前精算すると1時間26分でギリギリ450円。2時間はいたと思ったので意外だが、まあよかったと思って駐車場を出る。帰りは高速ではなくあがたの森の前に出て山麓の道を帰ろうと思ったのだが、間違えて右折車線に入ってしまい決めていた道に戻るのに苦労した。松本の道は碁盤目に見えて途中でいきなり左折のみ可になったり一方通行が多く、いきなり正面に神社が出てきたりして結構難しい。徒歩のみの時代は特に問題なかったのだろうと思うが、古い城下町がこれがあるのは上諏訪と似たところがあるなと思った。なんだか時間がかかり信号待ちなども多い。
まあせっかく買ったのだから東京事変を聞こうと思いナビのCDプレイヤーに入れるが、鳴らない。プレイヤーが壊れたかと思って他のCDを入れたら鳴るので中古だから変なのをつかまされたかとちょっとがっかりしてケースを確認したら、CDではなくDVDだった。棚がCDでDVDは別棚だったから全然疑わずに買ったのだが。まあとりあえず騙されたのではないことがわかり、家に帰って視聴することにした。それにしても毎日一度はなんか変な失敗をするなと思う。とりあえずあがたの森の前の道に出て、そのまま南下する。
これは15年以上前には母の運転でよく通った道なのだが流石に細かいことは忘れていて、薄川を渡ったところに筑摩神社があってそこを左折するとかもそういえばそうだったなと思いながら走ったり。調べてみると筑摩神社は794年に岩清水八幡宮を勧請した神社で、国府八幡とも呼ばれたとのこと。南北朝時代の信濃守護は清和源氏の小笠原氏なので祖先神として崇敬されたとのことだった。諏訪大社とのせめぎ合いもあったのだろうなと思ったり。
そのまま道を南下していくと最近整体に通っている道に出たので、ああここで繋がるのかと思う。あとは普段通りの道を走って塩尻で高速に乗って帰った。高速でまっすぐ松本に行くと大体40分で行けるのだが、帰りは2時間近くかかった。まあ連休中というのと帰宅時間というのが重なったということもあったとは思うのだが。
東京事変のライブDVD、知っている曲が「閃光少女」しかないのでとっつきにくい感じはしたが、音楽の漢字としてはなんだこういうのをやっていたのかという感じで、結構好きなのが多いなとは思った。
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https://x.com/calpistime/status/1552261370477170688
この一連のツイートややり取りを読んでいてなるほどと思った部分はいろいろあったのだが、「日本は怪しい国だったのか」「今はそうではないのか」についてちょっと思ったことを書こうと思う。
この場合の「怪しさ」というのは国家や国民の振る舞いとしてルールを守る国なのか、変な勢力に乗っ取られてはいないのか、ということで、中南米の独裁国家やアフリカの2年に一度はクーデタが起こるような国とか変な権威主義や妄想に乗っ取られていないかとかまあそういうこと全般ということなのだけど、もはやロシアやアメリカもちょっとどうなってるのという感じになっているので日本が相対的にまともに見えるということは確かだろうなとは思う。
それはともかく、日本は尊攘志士や雄藩幹部、下級公家らがクーデタと内戦で前代の政府である徳川幕府を滅ぼして成立した明治政府から始まっているわけで、彼らは急速な近代化を進めるために「政商」の存在を必要とし、たびたびスキャンダルを起こしているのは周知の事実である。
特に日露戦争に勝利して関東州を支配して以降は、満洲がある種利権の巣窟になったのではないかと思う。この辺りは精密に調べたわけではないので概略を推し量って書いているのだけど、台湾や朝鮮はリターンよりもむしろ投下資本の方が多かった気がするが、満洲は田中義一なんかにしても莫大な機密費を持って帰って政友会総裁に収まっているわけで、かなりの利権があったのではないかという感じがある。
大正末から昭和初期の「日本の変質」みたいなものが関東州・満鉄支配がもたらした利益や人脈から来ているのではないかという気がするのだが、特に満洲国成立後は岸信介とかそこでの経験を日本政界に逆輸入している感がある。これはイギリスにおいて一つの出世コースであったインド官僚みたいな感じである。彼らはインド赴任中に利益をあげ、イギリスに帰ると腐敗選挙区の議席を買い、下院議員になった。田中義一もスケールや立場は違うがそういうコースを感じる。
まあそういう意味でいえば、「政治に裏から影響力を与える人たちがいる」という意味では「日本は怪しい国だった」というのは、ある程度はまあ正しいだろう。「銀と金」みたいな世界も昭和の終わりにはあったわけで、莫大な資金力と政治とのコネクションで政治を裏から動かすブローカーみたいな人たちはいただろうと思う。
そういう人たちの中には満洲とか大陸浪人上がりみたいな人が多分いて、だからそういう人たちは「国士」を気取っていたのだと思うが、世代交代していって多分資金源もだんだん失っていったのではないか。
日本は東西冷戦構造の中でかなり得をしていたという指摘は事実だと思うけど、その中で中途半端な立ち位置は持っていて、中国やアジアに対して特殊な思い入れを持っている人たちもいた。その辺がロッキードなどで叩かれて、だんだん「西側の優等生」に矯正されて行ったということもあると思う。明治生まれの人たちはまだアメリカに対して是々非々だった。あれだけやられてるんだから当然だとは思うが。
「オウム真理教事件とその処断をきっかけに日本の怪しさが一掃された」、というのはなるほどと思うところもあるしそうかなと思うところもあるのだけど、「浄化」が進んだということはあるかなと思う。あれで一気に「宗教」は「怪しいもの」のハコに入れられた。サブカル系のスピとかはある意味知識人にとっても地続きのものだったけど、恐れて手を出しにくいものになった。
一方で思うのは、「怪しさ」はともかく、あの辺で「戦後」が終わった感はあった。私が左翼進歩思想に疑義を抱き右翼や保守の思想を勉強し始めたのもオウム真理教事件がきっかけだった。
1995年に私が社会主義はダメだ、少なくとも日本の社会主義政党はダメだと思ったのは、阪神大震災やオウム真理教事件に全く碌な対処ができなかったことだ。逆に天皇は被災地を訪れて膝をついて被災者と語り合い、いかに天皇がこの日本において紐帯として重要な存在かを知らしめた。村山首相はダメだった。自衛隊も警察も動かせず、オウム真理教事件の捜査を内閣を叱咤しつつ仕切ったのは自民党の国家公安委員長、野中広務だった。あれで自民党を見直した。
しかし自民党もクリントン政権の日本いじめには為すところなく敗れ、経済敗戦の30年になり、自民党自体もたびたび下野することになった。小泉政権で郵政をはじめとする自民党の利権構造・集票構造はぶっ壊され、今のような「金のない保守議員」が爆誕することになった。
一方で左翼運動家層には潤沢な資金が「官から民へ」「コンクリートから人へ」のスローガンの下、どんどん公的な形で流れ込むようになり、左翼勢力が停滞する中で資金的には潤沢という歪みが生まれた。イーロン・マスクが暴露したようなUSAIDの資金がどれくらい日本に入っていたのかはわからないが、キリスト教系の組織や反差別を唱える破壊集団など資金源の分からない団体が増えたのもまたこの頃だったように思う。
だから日本は「怪しい」国ではなくなったという意見はそれなりに分からないでもないが、違う方向から怪しい国になってしまっているというのもまた事実ではないかと思う。アメリカがトランプ政権やその後継政権の間にその辺の闇や膿をなるべく摘出できたらと思うが、左傾した政権が続くとその辺が温存されそうなのが問題かなと思う。
自分が世界に存在することに対する「軽さ」と「不安」:「ドリブルヌッコあーしちゃん」の涼と「Change the World」の藤沢
Posted at 25/04/28
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4月28日(月)曇り
昨日は9時ごろ寝て、朝起きたら4時ごろだった。二度寝しようとしたが寝床の中で伸びなどしていたら割と活発になってきて、起き出してコンビニにジャンプを買いに行った。帰ってきても色々なんだかんだとやっていたらブログを書き始めるきっかけが掴めなくて遅くなってしまった。最近どうもそういう傾向が強い。
「存在の軽さ」というようなことがマンガのテーマになることが時々あるけれども、今朝更新のウェブ漫画でそういうのが二つあった。
一つはジャンプ+の「ドリブルヌッコあーしちゃん」。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106567265435705971
ここに出てくる「秤涼」というサッカーの天才キャラが、サッカーを辞めようとしてボールを捨てようとしたら主人公の桜野あしなに拾われ、ドリブル勝負をすることになるが、あしなの言葉の熱さに「重てえなあ」と拒絶感を示す。今度はあしなに注目していた新堂(涼とは同じチームだった)に勝負しようと言われ、「どいつもこいつも重てえなあ」というわけである。
しかし、その涼が実は「自分の存在の軽さ」について悩んでいた、というのが明らかにされた。今回は「俺の人生は軽い。それはもちろん悪い意味での軽さだ」というモノローグから始まる。自分が誰かにとって重要な、つまり「重い」存在になること、最初は母親だったのがだんだんそうは感じられなくなり、中学に入ってサッカーをやめて彼女を作り、そこに「重さ」を見出そうとするのだが、陰で「重い」と言われているのを聞いてしまう。そこで偶然出会ったあしなが「現代サッカーにおける個の軽さ」という本を読んでいるのに驚いて、自分でも読んでみるが、「誰しもが代わりの聞かない存在になりたい」ということに共感して涙を流す。
涼は新堂とあしなに「3人でボールを蹴らない?」と誘われ承諾するのだが、「俺の人生は軽い。でも俺にそう思わせないようにしてくる奴らもいる。それは俺の人生に重く関わってくる奴らだ。でもその重さはもちろんいい意味での居心地の良い重さだ」と思う。
どちらかというと文学的な意味での「人生の軽さ/重さ」という感じである。
もう一つはマンガワンの「Change the World」。
https://manga-one.com/viewer/289666
こちらは有料なのだけど、とてもよかった。(2週間後に無料)
この作品は作演出の浜野と女優の村岡を中心とした高校演劇のマンガなのだが、もう1人演技は素人だが浜野の熱さに共鳴した藤沢という男子が出てくる。地域の大会で浜野と村岡は高く評価され、東京での合同公演によばれるが藤沢は選に洩れ、すぐに審査員にどこがいけないのか聞きにいくのだが、「体幹ができていない」と指摘をされる。
そこで浜野に相談すると鈴木忠志のメソッドを紹介され、また演技の見本として野田秀樹が紹介される。前々回には別役実の言葉も出てきたが、80年代に演劇をやっていた私としては誰も懐かしい存在だった。
で、藤沢は鈴木メソッドで体幹をよくする稽古を1人で自主練するわけだが、その甲斐あって試験期間の部活禁止期間の終了後にはただ立っているだけで浜野に「いい演技するなよ」と言われるようになる。また藤沢は再び審査員のところへ行って演技を見てもらい、「合同公演に出たい」と直訴する。その結果は描かれてはいないのだけれども。
藤沢もまた自分の存在を確かめられない悩みを抱えていた。これは私自身にもわかる気がするが、舞台に立っているときにどのように舞台にいればいいのか、ということが舞台経験のない人間にはわからない。これは感覚とか体の持ち方とかそういう話なのだけど、体幹をしっかりさせる、という方法論は一つあると思う。私はどちらかというと東洋体育系の方法論の劇団だったからその感じを思い出すのだが、いずれにしてもある種腰を落とすというか、能や歌舞伎の方法論みたいなものが日本人の身体には適している感じはある。まあそれを新劇では欧米的に体幹という言い方をするのかなと思うが、これはスポーツでいう体幹の重要性とは少し違うと思う。
私の実感として、大学生の頃の自分というのはどういうふうに世界にあればいいのか迷っている、悩んでいる感じがあったが、舞台上で立てるようになるとそういう感じが消えていったのを思い出す。その辺を体得した藤沢が「舞台に立つってことは、世界に立つってことなんだな」と言っているが、この感覚を掴めると、実際世界でも生きていけるようになるんだよな、と思った。
「居心地の良い重さ」とは、「自分が世界に存在していいという感じ」だと言い換えられるだろうし、「悪い意味での軽さ」というのは「自分が世界に存在することが許されるのかという不安」だと言い換えられるだろう。
藤沢が感じたような実感としての感覚は理解できるが、涼が感じたような文学的な意味での軽さみたいなものはどちらかという観念的な感じはするが、理解はできなくはない。まあ少年マンガとしてはそれを表現する方が王道だろうとは思うけれども、演劇ではそれだけでは軽くなってしまう。
久しぶりにそんなことを考えたなと思った。
「ふつうの軽音部」64話「プロトコル始まる」を読んだ:観客の需要に応えるステージングと「退屈な演奏」/ニヤケ顔の向こうの怒りと屈託/バチカン大聖堂での異端(トランプ)と異教徒(ゼレンスキー)の膝詰め会話
Posted at 25/04/27
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4月27日(日)晴れ
今日は東京に帰らず実家の方にいるのでつい気持ち的にゆっくりしてしまい、深夜0時の更新を待って「ふつうの軽音部」64話「プロトコルはじまる」を読んだ。その前に予習しようと思い数回前から読み直していたのだが、「Tシャツを作る」が割引になっていることに気づいて何か作ろうと思い、最終的には53話の扉絵の鳩野と鷹見が並んで立っているカラー絵をTシャツにすることにし、地は黒を選んだ。
https://x.com/honnokinomori/status/1916139099704201275
割引期間が26日までと書いてあったので急いだのだが、よく見てみたら5月26日までということで、トホホである。まあいつかは作りたいと思っていたのでいいのだが。ジャンプラTシャツは【推しの子】でアクアとルビーが踊っている図柄のものを作って以来だが、あれもカラー絵だった。今回は62話の8ページ目の転んでギターソロを弾き切った鳩野が立ち上がって最後のサビを歌い始めるページとどちらをとるか迷ったのだが、最終邸にカラーにした。本当は次の9ページ目の鳩野が歌っている絵がいいのだが、歌詞が載っているとTシャツにできない(著作権の関係だろう)ようなのでいい場面がTシャツにできないのが残念なのだよなとは思う。
https://shonenjumpplus.com/episode/17106567265233237277
今日更新の64話は鷹見の家での父との会話、「成績は落とさない。ちゃんとした大学に進学して普通に就職する。バンドやるのは軽音部の中だけで外では活動せん。それでええやろ?高校3年間軽音部で遊ぶだけやから父さんが心配するようなことにはならんよ」というセリフが鷹見が抱えている屈託を表現しているわけだろう。
鳩野たち「はーとぶれいく」のステージと違い、プロトコルのステージは軽音部以外の生徒も詰めかけ、最前列には強火ファンらしい手製のうちわを持った集団までいる。プロトコルが全員お揃いの黒のスーツで現れると会場から嬌声が上がり、鳩野たちは「あまりにスカした衣装」に共感性羞恥で顔を歪めるが鷹見のうちわを持っている生徒は「あまりのカッコよさ」にすでに泣き出している。
そして普段は緩いテンションの鷹見が今回に限って「今日どのバンドより良い演奏するから、ついて来い!」と煽り系の強いMCをして、鳩野たちは思わず顔を見合わせる。曲は「夜の本気ダンス」の「Crazy Dancer」。
私は正直言ってどちらが曲名でどちらがバンド名なのかわからなかったのだが、どうも「夜の本気ダンス」がバンド名で「Crazy Dancer」が曲名らしい。
このバンドはもともと銀杏Boyzのコピーなどをやってたアマチュアバンドだったらしいのだが、ダンスパフォーマンスもするロックバンドとして2016年にこの曲を出しているようだ。比較的新しいバンドだということになる。
曲の歌詞の感じは文化祭で演奏したEveの「ドラマツルギー」に通じる感じがあり、どちらかというと恵まれた家庭の高校生とかが感じる「出口がない」という屈託が歌われている印象があるのだが、これは鷹見の置かれている環境、なんでもできるし不自由のない生活はしているが将来は縛られている、今も完全に好きなことができるわけではない、という状況が背景にあるように感じた。
彩目が「あたしがいた時あんなファンおらんかったぞ・・」というと桃が「プロトコルって彩目が抜けてからどかっと人気出たよな〜」と煽り、「ケンカ売っとんか?」と答えたりしているが、これは鶴先輩が文化祭の時に言っていたように、「彩目が抜けて水尾が加入し、わかりやすく推しやすいバンドになった」ということなわけである。
男女混合バンドだと技術的なものがキーになるが、ガールズバンド・ボーイズバンドになると「推し」の要素、アイドル的な要素が出てきて、彩目が鳩野の弾き語りを聞きながら考えたように「うちの高校なんかミーハーの集まりなんやから、わかりやすく歌うまくておまけに顔も良いようなそんなやつらだけが持て囃されんねん」ということそのまま、演奏もうまくてビジュアルも良い、というプロトコルの特徴をとことんまで打ち出し、それにただうまいだけでない熱い感情的なものまで込めたボーカルを加えて「ライバルとしてのプロトコル」が「ついに本気を出した」わけだ。サブタイの「プロトコルはじまる」も「終わった」の逆であり、ここからが本気なんだ、という「強敵に初めて本気を出させた」少年マンガの王道展開である。
遠野のドラムだけ気にしている桃、これははーとぶれいくの演奏で鳩野を支える彩目のギターに注目していたことに重なる職人的な感覚を見せていて、厘は「退屈な演奏・・・」と一刀両断である。その「退屈さの理由」はまだわからないが、おそらくは「聴衆の需要に徹底して合わせている演奏」であり、「彼らが何をやろうとしているかが見えてこない、顔の見えない演奏」ということなのではないかという気がする。それはつまり、「鷹見が自分の屈託を超えられないその限界」みたいなものを見ているのではないか、という気がした。
この2人はプロトコルの演奏を客観的にかなり引いた立場で聴いているが、鳩野と彩目は違う。鳩野は「何これ。ライブが始まったばかりなのに視聴覚室の空気が変わった。まだ盛り上がるサビの前なのに、観客の期待感がこっちまで伝わってくる」と目を見張っている。つまり鳩野は自分のボーカルとギター演奏にだけ集中してステージを作り上げてきたけれども、すでにプロトコルはステージングの段階、ライブの見せ方まで計算して、観客の方もプロトコルは自分たちをどう盛り上げてくれるか、という期待を最初から持って集まっているということに驚いているわけである。
しかし彩目はどうだろうか。「おいおい・・・ちょっと待てやほんまに・・・」という心の声と驚いている表情だけが描かれていて、一体何に驚いているのかはまだわからない。しかしおそらくは、鷹見がここまで感情を乗せたボーカルを歌うなんて、というその後の鳩野のリアクションと同じことを感じているのだろう。彩目は夏休み段階まで鷹見と付き合っていて同じバンドで演奏していたのだからその戸惑いは尚更だろう。
鳩野は「変わった声で荒削りな迫力のあるボーカル」だが、鷹見は「誰が聴いても一声で上手いと思うボーカル」であるようで、その上で一歩引いて自分の思いをニヤけた薄笑いの下に隠してきたタイプだから、その変貌に鳩野と彩目が驚かされているのも当然だろうと思う。これは振られたことへの彩目の反発、「生理的になんかムカつく」という鳩野の2人の鷹見に対する反発があってこその、「鷹見の知らない面を見てしまった」ことに対する反応なのだろうと思う。
歌っている鷹見の描写は度々鷹見自身が鳩野のボーカルを聞いて思い出していた鷹見の兄の歌い方によく似ていて、そこに鷹見自身の本当の願いみたいなものが込められているのだろう。
鷹見が「人の心がわからない」とか「モテて言い寄られるのに女性に対する扱いが雑」とか見られるのはおそらくは彼の抱えている屈託からくるもの、つまり彼が時折見せる暗い冷たい目は彼の根底にある「怒り」の発現であって、自由に全力が発揮できる兄や鳩野とは違って、自分は抑えなければいけないという思いが「お前は違うやろ」という自分に対する冷たい発言につながったのだろう、と思った。
64話についてこんなに書くつもりはなかったのだが、自分の中でもずいぶん考えさせられたのだなと思った。
***
https://x.com/jacksurfleet/status/1916222010369171544
フランシスコ教皇の葬儀のためにバチカンを訪れたトランプとゼレンスキーがバチカンの聖堂のキリストの絵の前で椅子を二つだけ出して膝詰めで話をしている写真は、かなりインパクトがあった。カトリックの聖堂でローマ教会からすれば異端であるプロテスタントのトランプと異教徒であるユダヤ人のゼレンスキーが話し合っているというのはある意味クリスチャンにとっては激萌えの図ではないかと思った。その2人の話し合いが今後の世界を左右しそうだという点でも、確かにこの出来事は教皇フランシスコが起こした奇跡の一つなのかもしれないという気はした。まあ、そういう演出が彼らは上手いなとは思うのだが。
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