「統帥権の独立」を読んでいる/周りが勝手に神格化する日本人の推し文化と「ふつうの軽音部」の幸山厘/女性らしい華が開いてきた高市首相

Posted at 26/02/06

2月6日(金)晴れ

今天気を確認するために外に出たら月が綺麗だった。今日は旧暦12月19日。19日の月は、満月を過ぎて少し欠け始めたところだが、十分明るい。当地は1日晴れの予報で最高気温の予想は10度でかなり暖かいが、4時50分現在でマイナス1.8度。最近にしては高めだが、もちろん暖かいわけではない。それでもまだ旧暦だということは、「年のうちに春は来にけり」なんだなと思う。古今集の時代からこれは変わらない。

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昨日は手嶋泰伸「統帥権の独立」(中公選書、2024)を読み始めて、いろいろ考えた。考えてみると、日本の近代軍隊について起源からちゃんと考えたことはなかったかもしれない。いやもちろん、考えたり読んだりしてないわけではないが、その時々に軍隊の抱えていた課題みたいなものを意識して来なかったなと読みながら思ったということである。まだ16ページ/200ページなのだが、「軍の持つ専門性の評価」というのは特に成立の時代においては「武士」という軍事と政治を専門の職能とする階級=身分があった前近代の日本という国の特殊性から近代軍を作ることの難しさということは考えさせられた。

江戸時代における武士という身分におけるその職能=役割は番方(軍事=武官)、役方(政務=文官)、近侍役(主君の側近)とされていたから、主君に仕える武士はそれらをそれぞれ経験しながら出世するものだったわけで、そういう意味で文官と武官の明確な区分はなかったわけである。だから佐賀の乱などでは内務卿すなわち文官のトップである大久保利通が鎮圧の全権を握り陸軍卿の山縣有朋はそれに不満を持ちながらも従うしかないということになったという記述はなるほどと思った。

ヨーロッパの貴族階級もまた政治にも軍事にも関わったわけだが、伝統的な貴族たちは領地を持つ帯剣貴族でありいわば軍事と領地支配が本業であり、文官は法服貴族と呼ばれる市民階級から叙爵された人たちが中心になっていたので、おそらくは日本ほどその職能の分化に強い関心を持たずに済んだのではないかと思う。古い時期から大学が発達し、法学を学ぶという専門性がヨーロッパの文官の間で発達していたということも大きかっただろうと思う。

また、もう一つ大事なことは、ヨーロッパの王政諸国のように貴族が士官で兵士が雇用ないし徴募された平民という軍隊ではなく、フランス革命に始まる近代的徴兵制によって兵士を農民や町人から徴兵するだけではなく、士官学校も平民でも受験が可能にすることによってより国民的一体感のある軍隊を作ろうとしたということも大きいだろう。現実には士官学校やさらにエリートを養成する幼年学校を志願する者は士族が多かったとは思われるし、それが軍の雰囲気に与えた影響は多いだろうと思うが、奇兵隊以来の長州の平民ありの軍隊を経験してきている山縣有朋らには、士族意識を外すということの意味は大きかっただろうなと思った。

細かいこと(細かくはないが)で言うと、「長の陸軍、薩の海軍」とよく言われるのはなぜかと思っていたのだが、陸軍編成の中心になったのが大村益次郎・山縣有朋だったのはもとより、各藩の兵士を融合していく過程で薩摩のみがそれを拒否し西南の役につながったことが一つ。

それから薩英戦争を経験した薩摩が元治慶応年間に蒸気船を大量購入し、幕末には幕府の8隻に対し16隻とはるかに凌駕するほどだったことが明治後期まで影響してくるというのはなるほどと思った。坂本龍馬の亀山社中や海援隊も薩摩の力を背景にしていた部分が大きいわけだしと思ったり。

台湾出兵が最終的には事実上西郷従道の独断で行われたのならある意味満洲事変の先例だなと思ったり。これは台湾出兵が政治的な不平士族の主張に動かされ、正院内閣までも影響されて動揺したために山縣らは「軍の非政治化」を図ることになり、それが「統帥の独立」につながっていったと。不平士族がそれだけ政府に影響する力が大きかったということか。

文官が武官になることを禁止されるのは1888年、明治21年で憲法発布の前年か。軍人勅諭が1882年、士族出身の「政治的軍人」への戒めか。これも後世考えられるような原理的なものというより、士族的な政治意識を軍に持ち込まないということが主眼だったと考えるとなるほどと思う。

そういう統帥権の独立という課題が「政治と軍事の分離=軍から政治的な士族意識を排除する」「文官が士族意識から軍を指揮するという事態を排除し、軍人の専門性を確立する」ということに由来するというのはあまり考えたことがなかったが、ヨーロッパでも多かれ少なかれ軍事に口を出す文官貴族というのはいたと思うのだけどその辺が日本と比べてどうだったのかは調べてみると良いかもと思った。少なくとも統帥権の独立は軍事的な指揮のレベルで政治の介入を排除するということが主眼であって、軍が政治を無視して勝手に行動することを肯定するためのものではなかったことは確かだろう。

この辺は明治国家の国家システムの問題だが、私が考えたのはもう一つある。

日本の戦前の失敗は「統帥権の独立」と軌を一にする、つまり「軍人に政治的意識を持たせない」ために「軍人を純粋培養」したことによって、いろいろな政治的見方に免疫を持てずに、返って偏った政治的意見を強くもち、政府を軽んじるような軍人を多く輩出するようになってしまったことがあるのではないかと思った。これは長野県で起こった「教員赤化事件」と似たところがあり、師範学校という閉鎖された場で純粋培養された訓導たちがマルクス主義の影響を強く受けてしまった事件で、内容は違っても「純粋培養の危険性」という点では共通するように思った。

また士族出身の軍人が多かったということが、武士の主従観を現実の天皇に投影し、人間としての天皇自身が持つ意識とはかなりかけ離れた天皇像を持つようになった、つまり「天皇に忠誠を誓う軍人」という構図が現実の天皇を超えた「理想の天皇像」を作り上げて、それに合致しない現実の天皇以下の政府を軽視するような構図が生まれたのではないかと思う。「天皇の赤子」であるとか、万葉集の時代の現実に天皇自身が軍を率いていた時代の天皇像が投影された神格化がもたらした歪みといえばいいか。

天皇権力の強化と軍の存在意義の強化のために天皇の神格化が行われ、神格化された当人がそれについていけないという構図が生まれたということだろう。昭和天皇が「天皇機関説でいいではないか」と言ったような話である。

世界の独裁者が神格化に成功するとどんどん無慈悲に弾圧を行っていくのに日本の場合はそうはならないのが面白いと思った。むしろ神格化された側が自分の意思と違うと苦慮し始める。その結果八月十八日の政変や二・二六事件が起こる。

この「周囲が勝手に神格化する」という現象はマンガ「ふつうの軽音部」でも取り上げられていて、ベースの幸山厘がギターボーカルの鳩野ちひろを勝手に神格化して鳩野が迷惑がったりするわけだが、同じジャンププラスのマンガ「気になる来見さん」では、クールな美少女の「来見さん」が外見はしれっとしながら内実はめちゃくちゃ「藤森君」(陰キャ)に執着して藤森に関する物を収集し、それが藤森君にバレてドン引きされるみたいなことと似ていると思った。幸山は神聖視を公言してるから逆に尾を引かず、ギャグとして成立している、みたいな感じ。

で、考えているうちに「周囲がある人間存在を勝手に神格化する」というのはある意味日本人の特性である気がしてきたわけである。「推し」とかもそのバリエーションではないか。日本でアイドル文化が他国に比べて盛んなのもその辺があるのではないかという気がしたわけである。

つまり「勝手に神格化」≒「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」(三島由紀夫「英霊の聲」)なのではないか。ここはかなり日本人の神聖観・死生観=エロスとタナトスにかなり関わる。そうなるとギャグみたいな幸山厘の存在も日本人の「俗すなわち聖、聖すなわち俗」みたいなところと深く関わるかもしれないと思う。

「あの暗い世に、一つかみの老臣どものほかには友とてなく、たつたお孤りで、あらゆる辛苦をお忍びになりつつ、陛下は人間であらせられた。清らかに、小さく光る人間であらせられた。それはよい。誰が陛下をお咎めすることができよう。」≒「はとちゃんは普通の女の子。それはとても普通でありふれたこと。だからはとちゃんは唯一無二の神なんだね」

「国民は天皇の赤子」という表現を修辞ととらえるか真実ととらえるかでその意義は全く変わってきてしまうのだが、やはり普通は修辞ととらえると思うのだけど、軍人という生命を賭す職分にあっては、それは文字通りのものと捉えられてもおかしくはない、ということもあるだろう。

「二・二六事件」などを書いた河野司によれば三島へのインタビューで「蹶起将校一同は全員自決を決意し、自決に際しては、せめて勅使の差遣を仰ぎたい旨の懇願を、本庄侍従武官長を通じて奏上した。この最後の願いに対する陛下のお言葉は、「陛下には非常なる御不満にて、自殺するなら勝手に為すべく此の如きものに勅使など以ての外なりと仰せられ」と、「本庄日記」にある。これは私達が天皇に抱く不抜の信念からは、どうしても理解ができない。」と言っているのだが、私は「本庄繁日記」に出てくる昭和天皇の発言というのはどうもあんまり「本当か?」という気持ちがある。

何というか書き手の悪意が感じられると言えばいいか。私は永田鉄山について調べていた時期があり、本庄日記も読んだのだが、永田が暗殺された日に当時の昭和天皇は水練をしていたようなのだが侍従武官長の本庄に「今日は水練に行っていいだろうか」と尋ね、本庄がまとめて言えば「いいと思います」と答えているくだりを読んで永田への書き手の悪意を感じた覚えがあるからなのだが、つまりあまりに党派性が感情に現れ過ぎていて、それが昭和天皇の言動の描写に反映ているのではないかという感じが拭えないと言えばいいだろうか。(以上Wikipediaの「英霊の聲」の項を参照)

「統帥権の独立」が弊害をもたらした背景には「天皇の過度の神聖化」があり、その背景には日本人の「神聖なるものを現実存在として必要とする死生観」みたいなものがある、という風に考えればよいか。「神聖なるものそれ自体」よりも「神聖なるものを祭り上げていくことに熱狂する日本人の民族的心性」みたいなものというか。その中心にあるものはある種台風の目のような空虚であることも多い。これは「司令官よりも参謀になりたがる国民性」みたいなものにも通じるか。など。

この辺、白洲正子が確か「かくれ里」で書いていた、「日本の神は信仰されることによってしかその身を保つことができない脆弱な神だ」ということにも通じるのだよなと思う。

つまりは、少なくとも日本人の場合は、「信仰」の世俗化した形が「推し」だと言っていいのではないかと思う。この辺りはまた別に考えた方が良いかもしれないが。

ただ、現実存在を神として崇める思想が世俗化して「推し」になり国民的人気を集める一方で、同じ存在がアンチキリスト視される反転も生み、「アベシネ」現象や戦後左翼による天皇否定などにつながりもしたのだろうとは思う。安倍元首相暗殺事件も山上被告自身の問題というより、その背景にある安倍シネ現象の方がより根が深いということになるかもしれない。

昭和陸軍の暴走は、参謀総長が閣議に参加するような制度にしていたら問題は起こらなかったのではという気はする。ただ閣議に毎回天皇が出席しなければならなくなり、そうなると御前会議的なものが常設となってしまうのでそれも難しいかと考えたり。

まあまだ少ししか読んでないのにいろいろ考えたので後もいろいろ出てきそうだが、とりあえずこの件に関しては今日はこのくらいで。

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高市首相は「女」を前面に出していないところが好感が持てるし、逆に言えばフェミニストにはそれが気に入らない、ということはあるだろうと思った。

https://x.com/ueno_wan/status/2018669113011576918

https://x.com/kingbiscuitSIU/status/2019199122272890925

一方で、高市首相は印象の強い青いスーツを着て、メローニ首相とハグしたり、キムタクとかにミーハーっぽいところを見せたりなど、現代女性っぽい雰囲気をうまく見せていると思う。首相になってからずいぶん「華」が出てきた。ホクホクとか「失言」はあっても小池都知事みたいに「よけいなこと」を言わないのもいい。

去年から今年にかけて生まれた女の子、「サナエ」という音の名前の子がどれだけ増えるか。日本人の国民性にはほんと「推し活」がある気がする。

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今日は母を松本の病院に連れていくのでこの辺で。


「笑顔の日」/疲労と疲労感/「中道」のゆくえ/アイコンを変更してみた

Posted at 26/02/05

2月5日(木)晴れ

今日は2月5日、「笑顔の日」だそうだ。「2・5」で「ニコッ」ということのようだ。

とはいえ、昨日は午前中松本の整体に行き、目の疲労が全身の疲れにもつながっている、と言われたり。確かに最近目が疲れるだけでなく小さい字が見えづらいとかが亢進している感じはある。暗い画面が見にくいので今書いているMacBookAirの画面の輝度を上げてみたり。確かに、両目を摘んでみるとこんなに疲れているのかというくらいの疲労感が全身から湧き上がる感じがあり、目も身体も疲れているなあと思う。今日は午前中に取り立てて用事がないのでなるべくゆっくりしようと思うのだが、考えてみると母を連れて行っている医者やいつも使っているクリーニング屋さんなども木曜休みのところが増えていて、週の中でも一休みしたい日なんだなと思ったり。実家の地元では昔から水曜日が定休日なのだが、最近は必ずしもそうでもなくなってきた。

昨日は時間に余裕を持って出るはずだったのがちょっと読み間違えてギリギリになり、スマートインターの方に走ってみたがこの時間は遅い車が多くて結局かなり時間を食い、塩尻インターで降りて走っている頃には間に合いそうな感じだったのだが、近道が工事中で通れなくて遠回りになり、さらにその道も工事をしていて交互通行になっていて、結局少し遅れてしまった。年度末の工事には気をつけないといけない。

帰りは近くのスーパーで昼の買い物などし、普段と違う道を通ってみて迷い込んでしまったのだが、あまり傷が深くならないうちに通った記憶のある道に出たのでなんとかなった。帰りはスマートインターまで行こうか迷ったが手前で降りて下道を行くことにしたのだが、思ったより車が多くて時間がかかってしまった。そのまま地元の蔦屋へ行ってジャンプコミックスを5冊買って帰った。

家に帰って新しいコミックスを記録につけていたらいくつかつけ忘れがあるのに気づいて再記入したり。で、後で見たらまだつけ忘れがあった、というか12月4日発売のジャンプ+のコミックスが全く記録してなかったことに気がついて、今朝マンガ雑誌を資源回収に出した時に作業場に行って再確認したりした。こういうことを一つ一つちゃんとやれてると満足感があったりする。

昨夜は整体に行ったせいかうたた寝で爆睡して1時半ごろ起きて入浴して就寝し、5時半に起きていろいろ作業。資源ごみをまとめたりヤンジャンを買いに行ったり資源ごみを出したり少し漫画を読んだりしていたら8時になってしまい、ご飯を食べてから書き始めたが、どうも疲れているという描写が多い。なんというか客観的に見ているから意識としてはそれほどでもないのだが。疲労はあるが疲労感はそれほどでもないというか。微妙である。

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https://digital.asahi.com/articles/ASV233F51V23UTFK00BM.html

総選挙、投票日まで後3日だが、基本的には自民党優勢、中道改革連合不利という分析が強いようだ。これは当初私が感じたことに近いのだけど、自民党側としては創価学会の組織票の力を知っているだけにかなり悲観的な見通しが出ていたので、やや意外だった。

現状出ている情勢調査の結果は自分の感じに近く、立憲民主党の支持者は公明党のために1票を投じるのが不満で、公明党の支持者は今までの自民党との縁を急には断ち切れず、数十年にわたって対立してきた立憲の候補者に入れることに抵抗感が強いようだ。また、立憲の候補者たちが公明主導の政策について一夜にして政策を変更したことへの不信感も広がっているし、また公明の側も立憲の候補者たちが自分たちの票だけとって選挙が終わったらまた左派的な主張を展開するのではないかという不信感もあるようである。

自民党の側は「比例は公明」と言わなくて良くなってせいせいした、という意見もあるが当然ながら今までの公明票が離れたことが情勢調査と当日の結果にどう違いが出てくるかはまだわからないし、公明の側はそういう自民党の言い草に対して自分たちが尽くしたのに、という思いもあるようだ。ただこれは自民党と連立を組んでるから公明党が政府の役職をはじめ自民党が譲って政策を実現できていたことも多いわけで、別れた夫婦がお互いに対して自分の方がより持ち出しがあった、みたいに言っている感じで人の世というものは常にそういうものだとは思う。

私としては自民党に勝ってもらいたいとは思うが、当日は大雪という予報もあり、それがどういう影響を及ぼすかはまだよくわからない。最後まで油断せず頑張っていただきたいと思う。「選挙は油断した方が負けだ」という安倍元首相の言葉をよくタイムラインで見るようになり、安倍さんが選挙の神様みたいになっているのが可笑しかったが、確かに第二次政権以降は本当に選挙に強かったなと思う。安倍さんが吉田茂以来戦後二人目の総理復帰を果たしたように、日本もまた豊かで活力ある経済と静かで落ち着いた生活を取り戻せるといいのだけれどと思う。

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そういえばアイコンを変えてみたのだが、どんなものか。拡大するとちょっと面白いと思うのだが、普通は拡大しないだろうからこういうネタみたいなアイコンはあまり良くないのかもしれないなと思ったり。結構選択が難しいなといつも思う。


世界を揺るがしている「エプスタイン・スキャンダル」とアートの原罪探しとグリーンランド要求恫喝とオーストラリアの11歳の少年の「真実の愛」と

Posted at 26/02/04

2月4日(水)晴れ

今日は立春。暖かくなるとのことだが、今(5時20分)の気温はマイナス7.0度。外に出たら、車が2台ともフロントガラスが凍っていて、今出かける方の軽のエンジンをかけて解凍している。冷え込みは強いが、夕方がだんだん日が長くなるのは感じられていて、季節は移っているなと思う。今日明日は気温が上昇し、週末はまた下がるとのことだから、これが最後の冷え込みということになるのだろうか。青森の雪はテレビで見ていても大変そうだが、当地はありがたいことにあまり降っていなくて、雪かきも数えるほどだし、そんなに過重な感じがしない。この辺りは年によって違うのだけど。

昨日は銀行に行ってお金をおろした後西友に行ってお昼の買い物をするついでに恵方巻きを買って、母が食べたがっていたので施設に届けた。それから帰ってきてお昼を食べたのだが、なんだかわからないが変な集中があり、解けないためか疲れが残っていて、少し横になったら動きにくくなった。母から電話があったのだが通じず、施設にかけてみたら恵方巻きが美味しかったという話をしたかったようだった。歯磨き粉がない、という話もしていたので、出かけた時にドラッグストアに寄って歯磨きを買って届けた。

そういう感じなので本を読めずにいて、あと若者に届く言葉、みたいなことを考えていて考えはするがアイデアも出てこないしまとまらない、という感じの状況。ネットで少し地域振興についての議論をしたり。

5時40分を過ぎたので出かけてサンデーを買ってきた。今日は4日なのでジャンプコミックスの発売日だから、後でツタヤに行ってにごリリ、サネカ、チェンソーマン、アオハコ、メゾンの5冊を買ってこようと思う。ずっと買っていたが最近あまり読まなくなった作品もあるので、それはとりあえず今回は買わないでおこうと思う。後で買うこともできるし。

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昨日はTwitterのタイムライン上ではエプスタインファイルの話で持ちきりだったのだが、一般にはまだほとんど出てない、というか報道ステーションなどでも取り上げられていなかったように思う。途中で消したからいくつもフラッシュ的に取り上げるところで出てきていたかもしれないのだが。

この話は欧米のセレブたちがいわば「人買い」であるエプスタインが島に集めた少女たち(だけなのか知らないが)に対して性的虐待を繰り返していた、という陰謀論じみた、しかし実際に行われていたらしき話で、ヨーロッパの王室や政治家、アメリカのテック企業の大物まで名前が出てきていて、ただ女性の名前はファイルから消されたという話もあり、日本女性が東南アジアで少年買いをしているという話もあるから、そういうことも本当はあったかもしれないとも思うのだけど、まあとにかくそういう類のある意味とんでもないスキャンダルであって、久しぶりにそういう話題でクリントン元大統領夫妻まで召喚されたとか、すごい話になってきている。

これらの話はフェミニズムが仕掛けたmetooのようなキャンセルカルチャーの系統の話というよりは、カトリック教会の少年虐待みたいな西欧キリスト教文明に根付いた性的抑圧の強い社会におけるある種の風土病のような気はするのだが、90年代に私が毎年アメリカに行っていた時も行くたびに「モニカ・ルインスキー事件」や「ジョンベネ事件」みたいなものの話を聞いてうんざりしていたので何年経ってもこういうものは変わらないなと改めて思う部分もあった。

モニカ・ルインスキーの件に関してはビル・クリントンの性癖の問題でもあるが、ルインスキー自身が自分の成功のために仕掛けたという部分も感じられて、そういう意味ではいわゆる枕営業というか売る側の主体性も関わる部分もあり、ある意味どっちもどっちという感じではあったが、ジョンベネ事件はどうも陰惨な部分があり、あまり調べる気にならなかった。これは両親も関わる問題であったと記憶しているが、今回の話はそうした陰惨さだけではなく、その規模であるとか社会的影響力の大きい人たちが関わっているという点で大きく騒がれているということだろうと思う。

今のところ、自分が名前を見た限りでは王室の人たちを除けばイギリスの労働党議員であるとかクリントンであるとかいわゆる左派リベラル勢力の有力者の名前が上がっているように見えるし、そういう意味では性的に保守的な姿勢を示すトランプ政権が左派に仕掛けた爆弾という面はあるような気がする。

私は、性的なものはある意味人間関係の奥義といえばいいか、人間性の深いところに関わる問題だという意味である種神聖なものだと思っているので、あまりこういうことを消費的に扱いたくはないし、またそういう話題を出すこと自体がある種の冒涜であるという思いもあり、なかなかこういうことは扱いづらいのだが、こういうことを権力関係であるとか支配欲であるとか暴力性であるとかそういうものだけで片付けようとするフェミニズムが嫌いなのも同じ理由ではあるのだなとこの件に関して考えていて思った。

この性の神聖性という問題も変に拗らすとセックス教団みたいな話にもなってしまうし、日本でもそうだがリベラル左派の男性の方がこの手の問題を起こしやすいことからもある種の理念的抑圧性みたいなものが暴走しやすい領域であるような気はする。すっかり左翼として名前を上げている元文部事務次官がガールズバーに貧困調査に行ったりもしていたがそれも似たような話なのだろう。また性の問題は基本的には非常の個人的な問題でもあるし、そこにどこまで法や社会が踏み込むべきかは文化によってかなり異なる。また、種の再生産という問題にも関わるから、人口減少社会において大きな問題でもあるのだが、踏み込み過ぎても踏み込むのを躊躇しても社会そのものの維持に関わるような問題でもあるわけである。

まあこれはスキャンダルであることは間違いないし、これを暴露した人たちも一体どのように収拾をつける気があるのかよくわからないのだが、こういう陰謀論的に見えたことが実在したというショックもある種あるのだろうと思う。

エプスタインがトランスジェンダーの運動にも関わっていたというような話もあるし、こうした左派リベラルやwokeの問題としてもみていくべきところはあるのかもしれない。

https://x.com/MyLordBebo/status/2017919554886729850

https://x.com/lmvle/status/2018032185689968948

性の神聖性みたいな話についてももう少し書きたいのだがどうも何をどう書けばいいのかあまりまとまってないのでこの辺はまた書きたいと思うが、上にも書いたようにこれは自分のフェミニズム嫌いとも関わってくるという意味で現代性も結構ある問題でありそうなので、書く構想がまとまってきたら慎重に書いてみたいと思っている。

https://x.com/mochiunagi/status/2018284107332047198

https://x.com/culturepot/status/2018297292676120885

アートなどでも欧米に従来ある文脈でのみ捉えられがちだから、性というテーマをきちんと取り上げていくのは難しいなといつも思う。私の性に関する感覚というか感じ方というのは、基本的に第二期フェミニズムの時代の「性の解放」的な方向性とは割と親和性はあるので、逆にこの時期のフェミニズムを考えた方が人に届く文章になるのかもしれないなという気もしなくはない。ただそれだけではダメだということは確かだが。カーマスートラとかにしても「愛と性の相談室」的なものにしても、またあるいは真言立川流やフロイト的なものにしても扱いにくいから秘儀的な方向になりがちだったこともあるわけで、まあ結構本気でやっても大変な問題であることは確かである。

一方で、エプスタインファイルをトランプ政権がグリーンランド取得のためのカードとして使おうと考えていたのではないかという指摘もあり、そういう意味でも世界的なスキャンダルではあるのだなと思った。フランス政府がパリのツイッター、もといXの事業所の捜索に入ったという情報も出てきたが、世界規模の清掃の一環と見るべき部分もあるのだろうなとは思う。

一方でこんな話も読んだ。

https://x.com/PAGE4163929/status/2016818711987163368

これはつまり、11歳の少年が26歳の女性を愛してはいけないのか、という話でもある。年齢と慎重さは多少違うとは思うが、フランスのマクロン大統領と夫人の馴れ初めの話もそんなに違わない話ではある気がする。そういえば今思い出したが、橋本治の「愛の矢車草」はそういうところもある話だった。

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その一方で、これはなるほどと思ったのだが、エプスタインの島のセレブ達がやってるのは「性の行為」ではなく「自慰」だというのは当たってるような気がした。オーストラリアの11歳の少年がやったことの方が本当の「性(愛)の行為」だった気がする。

まあ、「真実の愛」が裁かれる対象になること自体は、ある意味古くからのことでもある気はするのだが。

ちょっとテーマが大きくなり過ぎてきたのでこの話はとりあえずこの辺で。


「高市内閣の若者受け」と「保守の思想が若者に理解されるためには」/「ふつうの軽音部」について考える:「過去」と「外」の展開で深められるキャラクターの内面描写

Posted at 26/02/03

2月3日(火)曇り

夜中に雪が降ったようで、外に出てみると車に少し雪が積もっていた。と言ってもほうきで払えばすぐに無くなる程度。5時半現在の今の気温はマイナス3.2度で、そんなに寒いというほどではない。今日は節分、暦の上では冬の最後の日。諏訪湖にも小さな御神渡りができたようで、久々に少し寒い冬だったということだろうか。

昨日は朝東京の自宅でブログ/noteを書いた後、図書館の近くの和菓子屋まで歩いてお弁当を買い、帰ってきてから支度して出かけた。東西線に乗って九段下で乗り換えて渋谷。地下鉄だと公園通りへの行き方にいつも迷うのだが、109に出る手前の通路をいくと地上に出たので西武の間を通って井の頭通りに出る。こんなに細くなったのかと驚いたが、そこを渡って公園通りに出てmodiの5階のHMVへ。「ふつうの軽音部」のポップアップショップに行った。いろいろあったがイラストカードセットを買う。写真を撮ったりしていたら女子高生らしいグループが来て見ていたので少し嬉しかった。すぐ帰ろうかと思ったが思い直して6階のHMVの書店に行って本を見たが、これがとても良かった。

日曜日に行った日本橋の誠品書店は昨日も書いたが「富裕層向け」という感じがして自分的にはちょっと違和感があったのだが、このHMVの書店は小説のラインアップの尖り具合とかがかなり刺さる感じで、あ、これだ、と思ったわけである。いや、読んだことのないものばかりではあったのだが、その背表紙たち自体が訴えかけてくるこれは面白いぞ、というメッセージがこちらにダイレクトに届いたと言えばいいだろうか。ああ、これが自分が理解したかった、イメージが追いつかなかった「若者像」なんだなあと思う。マンガも私が読んでいるものとはかなり違うが、こういうものを読む層、面白く感じる層というのはイメージできる、と思った。そしてこういうものを面白いと感じて読む層こそがこちらがメッセージを伝えるべき相手なんじゃないか、と思ったのだった。

大型書店だと全ての人に向けてのものだし、特に私が普段行く大手町や日本橋の丸善などは基本的にビジネスマンが対象という感じだし、神保町の書店、東京堂などだと大人の読書人が対象という感じがする。大学生協は最近行ってないがやはりその大学の学生層に特化されているし、青山や池袋や新宿や千駄木の書店に行ってもその書店なりの思想が感じられ、若者の最大公約数という感じがなかった。ヴィレヴァンやアニメイトなども嫌いではないが、やはり「その趣味」に偏りすぎている感じがする。それがこの渋谷のHMVの書店の本の並びや店の雰囲気を見ているとああ、これが自分のイメージする若者の最大公約数を対象にした書店だなと感じたわけである。

書店というのは、本当に見せ方ひとつで雰囲気が全く変わる。そういう意味で本当に面白い業態だと思う。

池袋のジュンク堂や横浜の有隣堂などもそれぞれ個性があって好きなのだが、やはり遠いので、あまり行かない。渋谷も出るのは億劫ではあるのだが、昨日行って見てそんなに大変じゃないなと思い直した。新書の並べ方も若者視線みたいなものが感じられ、その中でいつも見るようなタイトルの本を見ていても新鮮に感じられる。若者からはこれはこういうふうに見えるんだろうなあと想像しやすいと言えばいいだろうか。

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結局近藤絢子「就職氷河期世代」(中公新書、2024)を買ったのだが、私から見ると氷河期世代は年下なので「自分の知っていること」の範疇に入る(本当に知っているかはともかく)のだが、若者世代から見ればかなり年上の世代になるわけで、あまりピンとこない存在なんだろうと思う。でもその人たちのことを知りたい、と思う若者がここでこういう本を手に取るんだろうな、と思うと世代間交流みたいなものが起こっている現場に立ち会っている感じがして少しワクワクしたのだった。

で、そういうことを考えながら本を見、考えていると、自分が訴えている、行こうとしている「保守」というものも、若者から見るとなんだか貧乏くさい将来が感じられないものに見えるだろうなという気がしたわけである。高市首相の絶大な人気を見ればわかるように、彼らは保守思想自体に不満や反発を持っているわけではないのだが、「保守」という言葉の持つおじさんくさい響きというか頭の硬い面倒くさそうな感じが受け入れにくいだろうなと思ったわけである。

だからこれは表現の問題で、うまくいえば言葉は届く。例えば、「労働者の税や社会保障費の負担割合を下げる」と訴えても面倒くさそうな言葉の羅列で心に響かないけれども、「現役世代の手取りを増やす」といえば琴線に触れるわけである。言ってることは全く同じなのだが。この言葉を考え出した人は本当に知恵者だと思うが、そういう言葉の形容が政治を動かす力を持っているわけだから、民主主義社会において言葉の力は大事なのである。「中道改革連合」を作った人たちも石破政権を担った人たちもその辺のセンスが欠けている。大事なのは人の心に届く言葉であり行動なわけである。

高市さんや小泉進次郎さんや小野田紀美さんを見ていると、その辺りがわかっているなと思うし、片山さつきさんも財務大臣という立場に置いて見るとその真価が見えるようで大変期待できる。昨日と同じ風体の人が昨日と同じ言葉を使っていても刷新感がないのである。

だから保守という言葉を用いないで保守の思想を説明するような、人の心に届くような表現が必要なのだと思う。自分としては今日本に必要な考え方が大雑把にいえば保守の思想だと思うから、それをいかに届くような言葉で表現していくかが問題なのだと思う。

スローガン的にいえば「真っ当な幸福(しあわせ)、真っ当な平和」みたいな感じで、その内実として真っ当な秩序、真っ当な職場環境、真っ当な学校環境、公正な外国人・少数者政策、持続可能な真っ当な福祉、真っ当な安全保障政策、子供のための家庭政策、責任を引き受ける女性像の確立、足の引っ張り合いでない真っ当な政治論争、みたいなものがあるという感じだと思う。

親ガチャが全てを決めるわけではない、努力すれば社会経済的上昇が可能な社会システムの復活維持、人間関係が円滑に進みやすい法的なルールそのほか、若者にとって暮らしやすい力を発揮しやすい社会というのは、大人や高齢者にとっても働きやすい、暮らしやすい社会だろうと思う。そうした社会を実現したいという意思を表現したうまい言葉があると良いと思うのだが、まだ見つけられていない。

というようなことを考えながら渋谷の街を歩いて地下鉄の入り口に戻ってきたらそこにヴィレッジヴァンガードがあるのに気づいた。ここは以前確か旭屋書店があったところである気がする。少しヴィレヴァンの中を見たが、最近行ってなかったのでノリが懐かしいなと思った。HMVやタワーレコード、それにこの辺を覗きに来るだけでも渋谷に来る意味があるかもしれないなと思ったり。半蔵門線に乗って九段下でおり、乗り換え前にトイレに行きたくなったので改札外のトイレに行ったがどうも経路が切られてしまったようだった。改札で一言言えば良かったかなと後で思ったが、まあいいかと。地元の駅で降りてまっすぐ家に帰り、お湯を沸かしてフリーズドライの卵スープと一緒に弁当を食べた。

いろいろ片付けをして3時過ぎに家を出る。普段は先にゴミを捨てに行ってから荷物を車に運ぶのだが、昨日はエレベーターの点検で2台のうち1台が止まっていたので面倒だなと思ってい一緒に持って先に駐車場まで荷物を運んでからゴミを出しに行った。車を出してから近くのローソン併設のスタンドへ行って給油。リットル147円で20リットルも入らなかったので2000円行かなかったが、やはり帰京するときは下りが主だから無理にスピードを出さなければ結構節約できるんじゃないかと思った。まあ渋滞するとかなり使うのだけど。

ローソンでコーヒーとソイジョイを買って出発し、地元のインターから首都高に乗ったが、昨日は4時前後という時間にしてはかなり空いていて、渋滞もほぼ山手トンネルからの合流のところだけだった。石川PAに4時半過ぎに着いてトイレ休憩。しかしどうもそのあとは前の晩にちょっと眠れなかったりしたことが響いたのか疲れが出てきてトイレも近くなり、休み休み行った。5時過ぎに初狩PAでトイレに行き、6時前に双葉SAに入って、コーヒーでも買おうかと思ったがもうお腹が空いた感じがして結局ラーメンを食べた。なるほど平日のこの時間なら食堂も空いているのだなと思ったり。それから地元のインターまで走ってインター近くの書店とスーパーにより、朝のパンと卵と牛乳などを買って帰った。家に着いたのは7時半をすぎていたが、冷蔵庫の入れようとして牛乳がバッティングしていることに気づいた。積極的に消費する必要が出てきてしまったのだった。

***

最近MacBookAir(かなり古い)の画面が見づらいと感じることが多くなり、視力の衰えもあるがやはり画面が暗いのではないかと思ってどうしたら明るくなるのか調べてみたら、F2を押したら明るくなりF1を押したら暗くなるとGoogleのAIが教えてくれたのでそんな簡単なことだったのかと思って少し画面を明るくしてみている。まあ読みやすいが少し目が疲れるなとは思ったり。

***

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913928832508

「ふつうの軽音部」97話のことを考えていたのだが、内田桃が二楷堂まわりに「技術は未熟でもももさんのドラムには花がある。そして魂がある。そういうドラマーはどこにでもいません」と言われて「私とバンド組んでもらえませんか」と誘われるのだが、桃は「私はーとぶれいくのドラムやし」と断る一方、「並行して私と一緒に外でバンドやってもらえたらと思っただけで」と言われて、「外かあ」とちょっと考えていて、それに鳩野が「じぇら・・・」と思うのだが、このジェラシーがどういうものかというのはいろいろ考えられるなと思った。

一つには「桃ちゃんを取らないで!」という嫉妬はもちろんあるのだが、もう一つは桃が認められて「外で」活動をすることを考えていることに対する嫉妬もあるなと思ったのだけど、もう一つは桃が自分たちのバンド以外に「浮気する」ことに対する嫉妬というのもあるかなと思ったわけである。

ただ、これは私が感じたことだが、桃は96話で鳩野は水尾との恋愛でうまく行っても行かなくてももっと「強くなる」だろう、と感じていて、桃は「恋愛がわからない」というコンプレックスがあり、みんなが恋愛を経験して強くなって「先に進んでいく」のを見守りながら、「みんなと違っていいから私だけの強さを手に入れたい」と考えていて、おそらくはその「強さ」を手に入れるには「外で」活動するのもアリかな、と考えているのではないかと思ったのである。つまりははーとぶれいくで成長していく鳩野と一緒にやり続けるためにそれが必要なのではないかと思っているのだろうな、ということである。

また94話では七道高校の強キャラっぽい行成という男子が彩目を気に入っている描写があり、97話では彼が彩目に絡もうとしたのを阻止する場面があって、彼との絡みから彩目も「外で」やる可能性も出てくるのではないかと思ったりした。厘に関してはハロウィンライブの後に田口に「もっとはっちゃけてもいいんじゃないか」と指摘されてその時にはそんなことできないと否定していたが、次回まわりのベースを聴いてどう思うか、という期待があり、そこからの展開も考えられるなと思う。

だいたい、「外でやる」ということで言えば、一番最初に「外で」、つまりバンドや軽音部を離れて永井公園で弾き語りをしたのは鳩野自身であり、そこでいろいろな人に出会って今の展開があるということもある。いつも聞きにくるおばあちゃんが水尾の祖母で彼女が水尾に「ちひろちゃんを見習え」と言っていたり、たまたま出会ったレイハとの再会が今回の合同ライブにつながっていたり、また彼女の傍若無人な歌い方に自分のボーカルのスタイルの可能性を見出したり、たまきとの関係の深まりや彩目を加入させたり、水尾の音楽への気持ちに喝を入れたり、もちろん彼女自身の意識としては「修行」なのだが、まあ厘がいうところの「神」の力を存分に発揮したのが「外」での活動だったわけで、そこで確かに鳩野自身も「自信」と「強さ」を手に入れたわけである。

だからこれからの展開としては、バンドとしての向上ももちろん図られていくにしても、彼女ら一人一人がバンド外の人たちとも活動していくことで、さらに新しい展開があるのかもしれないと期待してしまう。今まで各キャラクターの性格描写の掘り下げは彼らの「過去」に遡ることでなされてきたわけだが、それだけでなく「外」での活動によってそれが掘り下げられていくというのもワクワクする感じがある。

今後の展開に期待したい。

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