平成の「失われた30年」と日露戦争から二二六までの「30年の鬱屈」:鬱屈青年とテロリズムと「保守」:「知性の復権」/統一教会もピースボートも避けて通って演劇を選ぶ/寝過ぎた/3秒ルール
Posted at 26/01/10
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1月10日(土)晴れ
今朝も冷え込んでいる。昨日は午前中に母を耳鼻科に連れて行って耳垢を取ってもらって聞きにくいのを少し解消し、そのまま整形に回って痛み止めと膝の注射などをしてもらって、懸案が解決した感じがあり。その後ツタヤに回って「36」3巻を買い、スーパーでお昼の買い物をして帰った。夜はなんだか疲れが出て夕食後うたた寝をしてしまい、1時半ごろなんとか起き出して入浴して歯を磨いて就寝。最近は寝る前に風呂に入れるようになったが、要するにそのまま寝るには寒すぎるのである。最近は寝る前に入り、起きてからも一息ついてから入っている。
今朝は起きたら6時20分で、私にしてはもう寝坊と言っていい時間。カーテン越しの外がなんとなく明るくなっているのを感じて、これは結構遅いなと思って居間に降りて時計を見たら。寝ている間も何か考え事をしていた感じなのだが、懸案が解決したから肩の荷は降りたということなのだろう。支度ものろのろしてしまったが何とか7時前には家を出て、職場に行ってちょっと用事を片付け、そのまま隣町のスタンド併設のセブンまで走る。時間が遅くなってしまったので国道が混んでいたからルートを変えてサンリッツロードの方を走ったのだが、多分こちらの方が早かっただろうとは思う。
7円引きのチケットがあったのでそれを使おうとしたら違うスタンドのもので、とりあえず5円引きで入れた。30リットルくらい入れたので60円の違いだが、まあいいかと。151円だったから以前に比べるとかなり割安感はある。175円の頃と比べれば700円くらい違うわけだから。高市政権が支持される理由だなと思う。
それからいつものパン屋へ行って塩パンを買ったが、一つ床に落としてしまったがそのまま袋に入れて買って帰った。3秒ルールである。家に帰ってよくその面を焼いてから食べたが、その後も卵を強く割りすぎたりトースターにパンを入れようとしてテーブルの上に落としたり、手があまり思うように動かない。寒さで縮こんでいるせいだなと思ったり。
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先崎彰容「知性の復権」104/269ページ。最初に第三章「保守という言葉の混乱」を読んでから最初から読み直し、また三章に入ったのだが、最初に読んだ時とかなり印象が違う。まあ前提となるものがあるかないかで印象は変わってくるのは当然なのだが。ただ、テロリズムについて考察した後で保守の話を持ってくる構成はちょっとどうかなという気はしたのだけど、まあ自分とは違うものの見方をしている人が保守というものについても違う見方をしていることは当然なので、その辺りを踏まえながら読もうと思って読んでいる。この方は保守とは言われているけど、いわゆる「保守の論客」とはかなりスタンスが異なる感じがする。
読んでいて引っ掛かる、というかそういう意味で逆に印象に残ったのが、日露戦争後(1905)から二・二六事件(1936)までのかなり長い時期をひとまとめに「鬱屈した青年の時代」というような捉え方をしていることだった。日露戦争後の社会の閉塞感というと代表的な例は一高生・藤村操の華厳の滝での「人生不可解」という遺書を残した自殺だが、これは1903年なので日露戦争の前年ということになる。これはかなり当時の青年には大きな影響を与えていて、岩波書店の創業者である岩波茂雄の伝記を読んでいても、これはかなり巨大なショックだったのだなとわかるところがあった。
藤村は明治19年生まれだが、同じ頃の生まれというと例えば太平洋戦争の指揮官の一人として有名な今村均が同年である。戦後の指導者である吉田茂や鳩山一郎、石橋湛山より若い。憲法調査会の芦田均が明治20年なのでほぼ同年である。二・二六事件の首謀者の一人である野中四郎は明治36年だから彼らよりずっと若い。高度成長期の総理大臣である佐藤栄作が明治34年生まれなので野中は彼より若い。ちなみに昭和天皇も佐藤と同年の生まれ(佐藤は3月生まれで早生まれなので学年は一つ上。昭和天皇は4月生まれだから一月しか違わないのだが)である。
つまり藤村は第二次大戦の戦争指導者や戦後復興の指導者と同じ世代であり、二・二六事件の主体になった青年将校たちは昭和天皇や高度成長期の指導者である佐藤栄作らと同じ世代である、というあたりの捉え方をしておくのが良いと思う。30年の幅というのはそれだけの違いがある。
ただ、平成時代という「失われた30年」の現代を生きた我々からしたら、「この30年の閉塞」という感覚は私たちにもあるので、バブルからバブル崩壊後の大不況、金融機関の大リストラやアジア通貨危機、就職氷河期から年越し派遣村、リーマンショック、東日本大震災、原発騒動と続き、アベノミクスでようやく明るい兆しが見えてきたところにコロナ禍のパンデミックショックで再び混乱する、という「乱世」の感覚はあるよなとは思う。
現代でも初任給はかなり高騰してるがこれはいわば「少子化バブル」であって、全世代に恩恵があるわけではないだろう。また不動産も高騰しているが、これもまた「インバウンド・移民バブル」みたいなものであって、「東京に不動産を持てない」層が増えているということでもある。さらに女子枠などの問題もあり、平成の閉塞感というのはかなりの部分令和にも受け継がれていて、その時代その時代で様相や要素が違うとは思うけれども、「青年の鬱屈感」というのは現代でも十分理解できるものだろうと思う。
ただ現代においてもアベノミクスによって自民党支持層が増えたり、ポリコレDEIの攻勢に対して表現の自由を主張する人たちがそれなりに出てきたりもあり、またマンガアニメ表現などにおいては昭和や平成初期に比べてもかなりの隆盛を示していたりなど、プラスに捉えるべき現象もかなりあると思う。
同様なことは日露戦争から二・二六事件の時代にも言えて、白樺派の理想主義から共同体運動、赤い鳥運動などの児童文学、アール・ヌーヴォーからアールデコへの都市生活の彩りの華やかさ、エリート層での教養ブームや勤労層での修養ブームなど、自己鍛錬への渇望などもあって、「鬱屈した青年たち」の一言で片付けるには多様すぎる若者現象が多様にあったこともまた視野に入れておかないと片手落ちであるようには思う。
ただ逆に言えば、そういう多様性の中で橋川文三に依拠しつつ、「中間者=鬱屈した青年」というテーゼを掲げ、自己破壊衝動の例として安田善次郎暗殺犯である朝日平吾という人物について集中的に論じることで、そのキャラクター形成に安倍晋三元首相の暗殺犯である山上徹也の人物像が重なってくることに注目するという論じ方はある意味印象深い描き方ではあるなと思った。
鬱屈青年がテロリズムに走るというのはナロードニキ運動に挫折したロシアの青年たちがニヒリズムに走り、皇帝暗殺などのテロリズムに走るというような古典的な例を含め、現代のイスラム移民の青年たちが欧米での差別的取り扱いに対する鬱屈から「ホームグロウンテロリスト」になっていくという例まで、珍しい話ではないのだけど、そうした鬱屈青年の系譜のようなものを日本で考えれば、「戦国の乱世における出世のチャンスに乗り遅れた青年たち=傾き者」に始まり、部屋住の旗本の次男三男たちの鬱屈、井伊直弼の埋木舎の例などから、「日本人に生まれただけで素晴らしい」ということを唱える国学の隆盛、それが産んだ尊王攘夷運動からの明治維新、士族の反乱、自由民権後期のテロリズムなどいろいろあるが、初期議会の頃の自由民権の成れの果ての民党の人たちの猟官運動から山縣有朋が文官任用令を出して政治任用を締め出したあたりは、学生運動世代の「団塊の世代」が年をとっても反権力・反政府を騒いでいるのと似たものを感じる。
そういう意味で、「鬱屈青年の系譜」みたいなものをそれなりにまとめてみた方がこういう議論に付き合う際には分かりやすいような気はしたのだが、逆に言えば自分自身があまりそういうものに深い関心を持ってきたとは言えないなとも思った。
https://x.com/tsujimotokiyomi/status/2009482687787270511
自分自身の青年時代も相当迷走していることは事実だが、それは時代とか社会のせいだという感じもあまりしない、というかそういう意味では傍観者的なところが結構強い。ピースボート出身の辻元清美議員が長島昭久議員が統一教会の信仰を持っていたことについて擁護とも批判ともつかない言及をしていたが、読んだ後の感想としては、「私自身はピースボートも統一教会も避けて通っていたが、正解だったな」という印象だった。
ただ、そういう「自己解放の活動」をやりたい、と思っていたくらいには鬱屈はあって、それで「演劇」を選び参加していったんだなということに今書いていて気づいた。絵を描けたら「コミックマーケット」の運動に参加していったかもしれないし、小説が書けたら芥川賞を目標にする作家ワナビーになっていたかもしれないわけだけど、たまたまそういうものもなく、体一つである意味誰でもできる演劇というものが東大駒場という空間にあったからそれに走った、というふうに言えるとは思う。政治運動ではなく身体的な可能性の開発や芸術表現に橋をかける形での演劇への参加は、自分の人生を結果的にかなり豊かにしてくれたなとは思っているので、やってよかったなと改めて思っている。ただ現在の食い扶持にそんなに関係ないのは残念だと言えば残念ではあるが。しかし、「人前で舞台に立つ」ことができるんだという経験が「人前で教壇に立つ」教職の可能性を開いたという面は自分にとってはあるので、そういう意味で役に立ったと言えなくはないわけではあるが。
元に戻すと、自分にとっての「保守」というのは左翼運動に対する幻滅から始まっているので、鬱屈青年の不満からネトウヨになった、みたいな左翼のいいがちなナラティブは頭からバカにしているのだけど、「保守派の知識人」であると思われている先崎氏がそれに乗っかったような構成の本を書いたことにはやはりちょっと不満を感じているわけである。まだ読みかけなのでその不満の根源を一応確認した上で、さらに先を読んでいきたいと思う。
「人と人とのつながり」は「目的」か「手段」か:保守主義とリベラリズムの違い/「葬送のフリーレン」アニメ二期/山火事とかトランプ政権のグローバルな動きとか/少しずつ進んではいる
Posted at 26/01/09
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1月9日(金)晴れ
冷え込んでいる。
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昨日先崎彰容「知性の復権」を読みながら考えていたのだが、保守というのはつまり、「繋がりを重視する思想」と言えばいいのではないかと思った。まずは「人と人とのつながり」。これはバークもそうだがオークショットが「友との対話」が重要だ、と言っていることともつながる。
特にわかりやすいのは、バークのいう保守主義の4つの指標、「暖炉、墓標、教会、国家」とのつながりということで、つまりは人と人とのつながりはまず家族のつながり(暖炉)、今を生きている人だけでなく先祖たち、過去この地で生きてきた人とのつながり(墓標=歴史)、信仰を大事にすることとその共同体を大事にすること(教会)、そして自らを守ってくれ自らが守っていくべき共同体の最大のものとしての国家を大事にしていく、ということではないかと思ったのだった。
では左派やリベラルというのはどうかというと、もちろん目的を達成するための「連帯」については非常に重要視しているということは確かだ。しかし普段の人の繋がりがどこまで意識されているか。「共同体」を重視するコミュニタリアニズムもあるが、これにしても、まず「自由な自己」が先にあり、その自由な意思や自由な理想の実現が先にあって、そのために連帯する、という感じがある。つまり人と人とのつながりはその目的の達成のためのいわば手段である、ということなのではないかと思った。逆に保守にとってはそのつながりこそが目的であり、生きる意味である、生きることの豊かさであるということではないか、と思った。
この辺りは薬害エイズ問題の運動に関わり索漠とした想いで運動を離れた小林よしのりの「脱正義論」にあるいくつかの議論(特に「個の連帯は幻想だった」という結構衝撃的な結論)、それから「保守とは横丁の蕎麦屋を守ること」と言った福田和也の言葉、この先崎の本でも「ベテランのパートのおばさんを一人やめさせることにより失われるつながり」について書かれていて(「知性の復権」55ページ、「山田さんを解雇することは、こうした光景すべてを抹殺することです」)、その他にもいろいろな本から当てはまる記述を拾い上げることができると思う。
つまり、保守にとっては人と人とのつながりは手段ではなく目的であり、それを守ることが政治の目的であるわけだが、リベラルにとっては自由な自己の存在が第一で、人と人とのつながりはいわば便宜的な手段である、ということになるのではないか、と考えたのだった。
もちろん保守にとっても「自由な自己の確立」は重要なことで、それがなければ守るものも守れない、ということはあるし、リベラルにとっても人と人との繋がりがなくていいものだとは考えてはいないだろう。ただ左翼運動の動きを見ていると、運動の仲間で「下手をうった」人に対する切り方の酷薄さは見ていても気の毒になることは多い。保守の方でも意見の相違から激しく対立することもままあるけれども、お互いに敬意は失わないことが多いようには思う。おそらくはそうした「大事にしたいものの違い」がこういうところにも現れているのだろうと思う。
しかしフェミニズムが破壊しようとしている家族のつながりであるとか、リベラルが嫌いがちな地域との繋がりであるとか、左翼が嘲笑しがちな宗教やその共同体、あるいはこの手の人たちが否定したがる国家というものの繋がりについては、もっと考えなければいけないことがあると考えるべきではないか、というのが保守の思想であり、また現代を生きる人々に対する警鐘だということになるのだろうと思ったわけである。
この辺りのことはいずれもっと展開したいと思う。
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今朝の気温は6時40分までの最低気温がマイナス8.7度。予想はマイナス10度だったのでもっと下がるかもしれない。朝起きて居間に行って時計を見たら時計が狂っていて電波を受信し直せる場所に移し、スマホを見たら4時20分だった。トイレに行ってから居間の暖房を二つつけて寝室に戻ってもう少し寝て、起きたら5時15分くらいだった。それから気になっていた書類を少し見たり16日から始まる「葬送のフリーレン」アニメ二期の録画予約をしたり。フリーレンは私はアニメから見始めているということもあり、大変楽しみである。
6時前になったので慌ててゴミをまとめ、車のエンジンをかけて暖房を入れる。それからこのブログを書き始めたので思ったより時間がかかり、20分ほど回すことになった。ガソリンが結構減っているのだが、明日入れにいく予定なので持つとは思う。とりあえず書いてから車で出かけ、セブンで週刊漫画タイムズとボスのカフェオレを買い、職場に出てゴミをまとめて出し、お城の近くのファミマまで出かけて水とスペリオールを買って帰ってきた。
昨日は午前中ブログを書いた後、クリーニングを出しに行ったら閉まっていた。そういえば木曜日が休みになったのを忘れていた。その後銀行に出かけて記帳したり書類を受け取ったり預金を引き出して支払いをしたり支払いの用意をしたり。それから西友へ行ってシナモンとカルダモンを買い(自分でチャイを入れてみようという試み。クローブはなかった)シルバーの事務所に出かけて支払いをし、帰ってきて昼食。午後は少し疲れが出たが、少しずつ用事を片付ける。昨日は久しぶりに午前中に決まった用事がなかった日だからゆっくりいろいろできると思っていたのだが、なかなか片付かない。それでも少しずつ進んではいるのだが。
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https://www.nagoyatv.com/news/syakai.html?id=000477567
山梨県の上野原市で山火事とのこと。中央自動車道の談合坂サービスエリアの近くだということで、普段通る道でそんな大変なことが起こるとは、というのが感想。今朝はだいぶ冷え込んでいるが、それが延焼状況にどう影響があるのか。日本海側は雪だが、山梨県は中部地方でもかなり南なので雪は降っていないだろうとは思う。降って沈静化されればいいが、逆に消火活動が困難になるだけという可能性もあり、どちらがいいのかはよくわからないのだが。火事といえば最近も岩手大船渡の山火事や大分佐賀関の大火があり、いろいろ心配なことではあるなと思う。
トランプがベネズエラで行動に出たと思ったらコロンビアとも何か取引をしたようだし、グリーンランドをめぐってヨーロッパに圧力をかけるなど、自分の政権のあるうちにやれることをやってしまえという感じに動いていて、イラン情勢もかなり不安定だし、中国やロシアを相対的に追い詰めているのだとは思うが、なかなかグローバルな感じで情勢を追いきれていない感じではある。
現在の動きも追い切れていないのでこの先どうなるかは尚更わからないのだが、いろいろ動いているのは確かだなと思う。中国は相変わらず日本に圧力をかけてきているが、すでに主な関心はトランプ政権の動向の方だろう。こちらの動きもまだ追い切れていない感じはある。
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チャイを作るには牛乳に紅茶と香料、砂糖を入れて煮る、というのは知っているのだが、鍋を洗うのが面倒なのがネックになっていたので、紅茶を淹れて牛乳を少しレンジで温め、両者を混ぜてシナモンとカルダモンと三温糖を入れて混ぜてから、レンジで「牛乳」の温めのボタンを押して簡易的なチャイづくりをしてみたが、やはりそれぞれの要素があまり溶け合っていなくて鍋で煮たものには敵わないなと思った。まあチャイらしきものはできたのだが。
今朝は母を病院二軒に連れていく予定があり、あまりゆっくり書けないのでこの辺りで。
高速・七草粥・ベネズエラ/文化の真髄はローカリティにある/「恥の感覚」の迷走的変化:密会市長・宗教と議員・ガラス張り知事室/余裕があるときに余裕を無くさないためには
Posted at 26/01/08
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1月8日(木)曇り
昨日は午前中松本の整体に出かける。行きは思い立って湖畔にできたスマートインターチェンジから高速に乗ってみたのだが、市内が思ったより混んでいた、というか前の車が遅くて思ったよりも時間がかかったのだけど、時間には間に合った。料金を見るのを忘れたが、今確かめてみたら普段のコースより240円高い。まあ240円か、ということもできるが、いつものコースより多少早くて余裕があったとは言えるので、なかなか難しいところだなと思う。身体の方は、お正月がいい休息になったのではないかと言われたのでよかったなと思う。多少食べ過ぎではあるようだが。
帰りに近くのスーパーに寄ってお昼のものと七草粥の材料を買って帰る。帰りはいつものコースで少し混む道を通ったせいもあり、実家に着いたのは1時ごろになっていた。それから残りのご飯を使って七草粥を作ったのだが、思ったより美味しくできて、毎日食べてもいいなという気がした。少しは身体も清浄になっただろうか。
午後は銀行に二つ出かけて記帳したりお金を下ろしたり両替したり、ファミマに寄って電気料金を払ったりカフェラテを買ったり。図書館に行ってエリアスタディーズのベネズエラを借りようと思ったのだが、なかった。調べてみると出ていないようである。日本人にとっては行きにくい場所だということなのだろうか。仕方ないのでとりあえず増田義郎編「ラテン・アメリカ史II南アメリカ」(山川出版社、2000)を借りてみた。知りたいのは歴史よりも現在の状況や地理的なもの、国内での地域的なものなどなのだけど、この本を少し読んだりネットで調べたりしながらイメージを掴もうとしているのだがラテンアメリカ特有の複雑な歴史があって難しいなと思ったり。
マドゥーロ政権になってからの数百万の難民の発生にしても、「富裕層を中心として」と書いている部分もあるし、難民として本当に最貧の生活を送っている多数の例も書いてあったりして、何が本当なのか難しいが、おそらく両方本当なのだろう。ラテンアメリカは基本的にクリオーリョ(現地白人)支配の構造が続いてはいるので、富裕層というのは要はスペイン系の白人ということだろうけど、チャベス政権以降の社会主義政権は支持基盤はクリオーリョではないだろうなと思うし、貧困層も難民化していることも事実のようなので、いろいろ読んでいるとラテンアメリカという地域における国家運営の難しさみたいなものが改めて浮き彫りにされている感じはある。アフリカの方がまだ希望が感じられるような気がするのだけど、ラテンアメリカはなんというかいろいろ掴みにくい。
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https://www.sankei.com/article/20260107-YLPEO3RF3NKJ7HCJOGL56WR2YQ/
映画「国宝」で東京の歌舞伎座では新規の観客が2万人増えたというのは歌舞伎座の混雑を考えると頷けるのだが、大阪では反応は鈍いのだという。これは戦後の時期にはすでに関西の歌舞伎は衰退しているというのは言われていて、大阪財界のそれなりの存在感を考えると不思議だったのだけど、最近「大大阪という神話」を少し読み、もともと大阪の地の人が支えてきた文化が、大正末昭和初期に大大阪が成立することで大都会になってロー借りティを失ったという話を考えて、「大阪の文化」への愛着が少ない人が今の大阪人の主流だということなのかなと思ったりした。
よく言われる言い方で言えば、文明というものは普遍性があるから都会はどこも世界中一緒だ、ということに対して、文化というのは根本的にローカリティが重要だ、ということも言えるわけである。
歌舞伎も江戸時代以来、江戸・京・大阪それぞれの色合いがあることに意味があって、また地方に伝わった地域の歌舞伎などの文化もそのローカリティが味わいになっているのだろうと思う。「大大阪」の誕生後にそれまでの大阪人とは違う人たちが流れ込んできてそういうものが変化したということはあるだろうと思う。
これはもちろん東京もそうで、明治期の山手文化や下町文化みたいなのが高度成長以後に地方から多くの人が流入して「東京言葉」や「東京らしい文化」も変わっていったということはあると思う。日本の中心になる、ということはある意味ローカリティを犠牲にするという部分はあるから、日本全体を席巻するようなエンタメの拠点になる一方で、東京らしい粋な文化、みたいなものも生き残れなくなっているのだろうという気はする。
「ふつうの軽音部」を読んでいるといろいろな地域を拠点に活動していたバンドが出てきて、博多や大阪、名古屋などそれぞれのライブハウスや音楽ラジオ放送の独自性のある文化がある上に乗っかってそうしたバンドの活動が行われているから、ロックミュージックもある意味本当に地域性のある文化なのだなと思う。もちろんメジャーデビューには東京に出る必要はあるのだろうけど。
出版でももちろん東京は圧倒的に強いが、京都もそれなりに独自のものを出しているし、有隣堂が神奈川の歴史や文化に関するものを独自に出版したりしている。地方ん出版社もそれなりに頑張っているなと思うことはよくある。イギリスなどでもオックスフォード出版会とか必ずしもロンドンでない出版社がある。論文で英語の引用文献を書くときに著者名、署名に続いて発行都市名を書くわけだけど、日本だったらほぼ東京に決まっているので、出版文化の多様性のある国はいいなと思ったことがあった。
アメリカも都市によって音楽文化があって、メンフィスでやっててメジャーな存在になることもできる。演劇やミュージカルはニューヨークが強いが映画はカリフォルニアのハリウッドが強かったり。だったりする。地方の多様性は文化のために重要なことだと思う。
アニメの聖地巡礼などがあるのは、その土地とその作品との関わりが想いもかけない形で発生するのが面白いということもあるし、またその土地の魅力がその作品に反映されているという面もある。ローカリティが文化に色濃く反映される現象の一つではないかと思う。
まあ日本の場合はなんだかんだ言って文化も東京に集中しすぎなので、東京にしか文化がないと思っている人が多くなってしまうわけだし、それがまた文化の東京集中に輪をかけてしまう、というところがあるのだろうなと思う。伝統文化だけでなく、新しいローカリティのようなものを担った地方文化がもっと出てくると良いなと思う。
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https://www.dailyshincho.jp/article/2026/01051531/
ラブホ不倫疑惑で辞職した前前橋市長の小川晶氏が再選される可能性が高いのだという。これは対抗馬が弱いということでもあるだろうけど、こうした性的なスキャンダルによって政治家が支持を失わないというのは、何かある種の底が抜けたのではないかという気もする。保守王国の群馬でこういうことが起こるというのもよくわからないのだが、こうしたスキャンダルの人が市長の座にいること自体が恥ずかしいと思う人もいるだろうとは思うのだが、そう思わない人の方が多いということなのだろうかとは思う。
逆に、旧安倍派の政治資金問題などはあんなの問題にするほどのことではないと私などは思っていたから、あんなに徹底的にいじめられているということ自体がよくわからないという感覚がある。何がよくて何がいけないと思われているのか、というのがかなり変わってきてしまっているような気はして、いろいろとまずい感じがある。
この変化は、ガラス張りの知事室を作った田中康夫元長野県知事の頃からの流れみたいな気はするのだが、こういう「恥の感覚」の変化のようなものが政治にまで波及するのはいろいろと残念な感じがある。これも大きく言えば文化の問題だという気もするのだが。
https://x.com/nagashima21/status/2008851669774422258
逆に、長島昭久議員が元統一教会の信者であったことが週刊誌に取り上げられているというが、これは基本的に信教の自由であり、それでとやかく言われるのは本来はおかしいだろうと思う。統一教会の問題がこれだけ大きくなったのは安倍元首相の暗殺事件がきっかけだったわけで、テロリストの目論見がさまざまに波及してしまっていることはちょっと目を覆うような惨状だと思う。
統一教会が問題のある宗教であることは確かだと思うけれども、他の宗教や日本共産党を含め他の思想団体・政治団体に全く問題がないわけではない。これが問題視されたのは「統一教会が叩かれている」から「その信者だった長島氏は叩いていい」というだけの流れしかないわけで、「あいつオタクでキモイからいじめてやろうぜ」というのと同じ、いじめの構図と同じである。
政治においても、倫理においても、何を筋として通すべきなのかが混乱しているとしか思えないのは、まあ末法の世ということなのだろうとは思うが、この辺りも保守的な立場から立て直しは図られなければいけないのだろうなとは思う。実際のところは脛に傷を持たない人はなかなかいないからスキャンダル合戦に発展しかねないというところはあるのだが。
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今日は午前中にまとまった用事がなかったので腰を落ち着けてかけるかと思っていたがなかなかそうもいかなかった。朝は4時半に起きたのだが、今日は資源ゴミの日なので年末の大掃除で出た段ボール類とか正月に大量に出たプラごみやペットボトルなどが大量にあり、雪が心配だったので紙類は結局業者の資源物ステーションに捨てにいって、その帰りにヤンジャンと午後ティーのチャイを買って帰ってきた。チャイを飲みながらこれは自分でも作れるなと思い、買い物の時にシナモンを買おうかなと思ったり。書きながら休み休みハードディスクの空きを作るためにBDにダビングしたり、資源ゴミの時間になったら出しに行ったり、正月飾りなどをどんど焼きのところに持っていったり、時間になったら朝食を食べたりしていたらなかなか書くものがまとまらないまま雑多な内容になってしまった。
時間的な余裕があると思うと書くことの幅を広げたいと思ってしまうのでいろいろなものに手を出して読んだりしてしまうから時間がなくなったりもする。ないと思うと書くことを決めて書くしかないので割としっかり書けるという感じもある。その辺りのバランスをどう取るかということも時間のある時に考えたい。年末の30日以来、実家の方で午前中の時間がフルに使えるのは今日が初めてで、いつ考える時間が作れるかが1番の問題ではあるのだが。
トランプは何を考えているのか:「西半球新秩序」と治安問題の国家安全保障問題化/「戦後政治の総決算」とWWIIの特権化と相対化:「歴史が国民に共有されること」をめぐって/カーナビの件の顛末
Posted at 26/01/07
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1月7日(水)晴れ
朝はうとうとしながら目を覚ましたらストーブが消えていて寒い。時間はわからないがとりあえず起きてみることにして、居間に行って時計を見たら4時20分だったので起きることにした。あとで気温を見たらマイナス7度。かなり本格的な冬になってきた。
昨日は朝、母を歯科医に連れて行った。年末に歯が抜けたと言っていて、そんなに不自由はなさそうだから大丈夫かなと思って行ったのだが、結局差し歯だったらしく抜けた歯をもう一度入れることができて、あと数年は大丈夫だろうと言われたので、簡単に済んでとてもありがたかった。西友で買い物して母を施設に送り届け、その足で図書館に行って平安時代の本を返却した。
そのあとディーラーに行ってカーナビを見てもらったのだが、2007年製の車なので当然カーナビも部品は残っていなくて、ダイハツの車のカーナビなら流用できそうだが十数万かかるとのこと。DVDを拭いてもらったらとりあえず地図は表示されたのでまあいいかということにしたのだが、結局また表示は動かず、書店で車を止めて再始動したらまたDVDが入っていません表示になり、元の木阿弥となった。まあ状況はわかったのでしばらく現場で対応しようかと今のところは思っている。昼食の買い物をして実家に戻る。
昼食後、少し腹の調子が悪く、横になったりしていたのだが、銀行の開店時間中に行く用事があったので2時半過ぎに頑張って出かけて、滑り込みで書類を受け取り、通帳にいくつか記帳した。
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アメリカのベネズエラ侵攻をめぐる問題は考えるべきテーマがいろいろあるのでまだ私の考え方自身も模索中である部分が多いのだが、今のところは断片的に読んだものなど列挙しつつ、考えておこうと思う。
https://diamond.jp/articles/-/380935
問題の全体としては、基本的に上記の論考がよくまとまっていると思った。問題は「トランプ及び政権幹部が何を考えているか」ということであり、それが従来の国際秩序の考え方とかなり異なっているから理解されにくい、ということがあるわけで、上の論考によれば、昨年発表された「国家安全保障戦略(NSS)」に述べられていることが重要だ、ということになるようだ。
https://www.jetro.go.jp/biznews/2025/12/90f6e92663418116.html
https://www.whitehouse.gov/wp-content/uploads/2025/12/2025-National-Security-Strategy.pdf
著者の白川氏はこの中で重要だと思われる点をピックアップして
最大の特徴は、世界全体の安全保障への関与を縮小し、アメリカ本土と「西半球=南北アメリカ」の安全を最優先すると明記した点にあるという。
これは今回のベネズエラ攻撃もそうだが、グリーンランド領有の要求もまたその延長線上にあるということだろう。
そしてその安全を図るために、中国・ロシア・イランなどの外部勢力の西半球への関与を排除しようということが大きく、それはおそらくはヨーロッパなどの同盟国も例外ではないから、正面からグリーンランドをデンマークに要求しているということなのだろう。
西半球=アメリカの治安に死活的な影響を与える地域において「アメリカにとっても重要なエネルギー資源が、無能な統治、犯罪ネットワーク、敵対勢力との結節点の下に置かれていること自体が脅威」だ、という観点から今回の攻撃が行われたという筋道になる。
そして、「今回のベネズエラ武力介入の論理は、国家中枢が犯罪組織と一体化していると判断されたことにある。国家が組織的に麻薬を生産・流通させ、他国の国民を害しているのであれば、それはもはや主権国家ではなく「犯罪組織に占拠された統治体」と認識されうる」というわけである。国際犯罪組織が主権国家を宣言しても国家として認めない、という判断だが、その認定は「国際社会」ではなくアメリカが行えば十分だ、ということなのだろう。
当然ながらこの辺りが国連や国際法組織、国際法秩序を主張する人たちには受け入れられないところなわけだが、トランプは独裁自体は否定していない、というのがおそらくは結構ミソで、マドゥーロを排除したのにマドゥーロ政権の副大統領のロドリゲスを暫定政権の長として認めているわけである。これは昨日見た報道ステーションの情報によると「経済政策の手腕が評価された」ということのようだが、それがどの程度のものなのかは私自身はちょっと掴み切れてはいない。
独裁者を排除してその右腕にあとを継がせるというのは「ヒトラーを排除してヘスを後継として承認する」ようなものなんじゃないかという気がするのだが、「トランプの狙いは民主化ではない」ということがある意味明らかになったということなのかもしれない。民主的な親米政権ができればもちろんベストだろうが、今まで反政府勢力だった民主化勢力が政権を握って反米に転ずることは十分考えられるし、そこに労力を注ぎ込む必要を感じてないというところは「民主化神話」に対して非常にドライだというのが今までのアメリカの政権と比べると新しいところだとは思う。
またもう一つ指摘としてなるほどと思ったのは、「トランプ政権の国家安全保障戦略のもう一つの特徴は、軍事・司法・制裁・法執行を一体の道具として扱う点にある。マドゥロ大統領らへの起訴は、マドゥロ政権がベネズエラにおける正統な統治主体ではないというメッセージを国際社会に発信するためである。」というところである。つまり国外に対する外交の手段でもある軍事や制裁を国内の統治手段である司法・法執行と同じ次元で捉えて行なっているわけで、これは冷戦終結後の「アメリカ一強体制」の頃からそういう考え方が見え隠れしてきてはいたのだけど、つまりは「アメリカは国際法の上にある存在だ」という意識なのだと思う。
さらに、日本にも関わることで言えば、
「アメリカが他国を評価する基準が大きく変わったことだ。従来のような「民主主義か独裁か」あるいは「人権を守っているかどうか」ではなく、「国家機能が犯罪に利用されているか」や「他国、特にアメリカ社会に直接的被害を与えているか」が評価基準になったのである。国家と非国家主体、合法と違法、戦争と犯罪の境界が曖昧な地域には、この論理が適用される余地がある。
これは、日本周辺の安全保障環境を考える上でも重要だ。たとえば、日本国内でフェンタニル製造に関わったことが明らかになったが、そのようなことが続けば、日本も同盟国どころか制裁対象になりうる」
というあたりの指摘も、そのまんま受け入れるのはどうかと思う点もあるが、一理はあると思う。
そして、「トランプ政権の戦略の特徴は、治安問題を国家安全保障に格上げした点にある。アメリカはそれらを国家安全保障の中核に組み込み、司法・制裁・軍事を横断的に用いるようになっている。麻薬、密輸、サイバー犯罪、偽情報、マネーロンダリングなどは日本では長らく「警察の仕事」として扱われてきたが、対米関係を考えると、今後は安全保障問題として国ぐるみで取り組む必要がある。」というあたりは、確かに日本としても考えるべきことだと思う。
日本では当然ながら、「防衛は自衛隊、治安維持は警察」という役割分担が行われてきたけれども、外国人犯罪問題や麻薬の蔓延、アサヒビールやアスクルなどへのサイバー犯罪など、「国内治安維持機関である警察」だけでは扱い切れない問題が増えていることは事実で、それらを制圧するためにはより大きな権限を持ち国際的な連携も可能な機関を設置してその問題に当たる必要はあるのではないかという気は私もする。
もちろん高市政権になってから、外国人問題への対応はかなり進んでいるし、それは従来の警察や入管などの組織が今まで十分に機能していなかったということでもあるのだけど、それらの再強化はもちろん必要であるにしてもそれだけで十分なのか、という感じはあるということである。
台湾有事への対応をアメリカが、というかトランプがどう考えているかについてはよくわからないところが多いけれども、「関与しない」というポーズはするにしても「後は野となれ山となれ」とは思っていないだろうと思う。つまり、潜在的敵対国家である中国やロシアやイランは弱体であったほうがいいことは確かなわけで、最優先課題ではないにしても準優先課題ではあり続けるだろうとは思う、というようなことである。
またここでは言及されていなかったが、気になるのがキューバの存在である。マドゥーロを警護していたのはキューバ人で、かなりのキューバの人材が今でもベネズエラには導入されている。また亡命キューバ人の出身であるルビオ国務長官にとってもキューバ解放は悲願だと思われるので、キューバの名前が出てこないこと自体が不気味な沈黙だという気もしなくはない。
日本としては、トランプの新ドクトリン、ドナルド+モンローで「ドンロー・ドクトリン」と言われているそうだが、いわばアメリカ版「東亜新秩序」というか「大東亜(西半球)共栄圏」みたいなものとどう付き合っていくかということではあるわけで、従来の国際法秩序とスタンスの置き方を考えながら対処していく必要はあるだろうと思う。その辺のコントロールが絶妙だったのがやはり安倍元首相だったわけだが、まだまだ未熟な点が高市さんにはあるにしても、「アメリカは孤独ではない」演説をして共感を得た岸田元首相の見解なども参照しつつ、より日本にとってプラスになる提案と選択と行動をしていってもらいたいと思う。
***
https://x.com/OSAPCO1/status/2008513377044504682
ベネズエラについては上のツイートにもあるような地勢的な特徴なども含めて興味が出てきたので、また少し調べてみたい。明石書店の「エリアスタディーズ」でも読んでみようかとは思っている。このシリーズは石破さんも国会図書館で借りて読んでいたようだが。市立図書館にもあると思うので。
***
與那覇潤さんの朝日新聞でのインタビュー記事。與那覇さんの最近の言説でわかりにくいなと思ってい他店を、割とうまく朝日の記者が聞き出している感じはした。
https://digital.asahi.com/articles/ASTDS24D6TDSUPQJ008M.html
かつては当たり前だった「歴史の共有」が希薄化してきていて、それが現代の諸問題に、「歴史を参照しない政策」として現れている、という見解なのだが、それ自体は結構面白いと思うところはあった。
ただ、ここで與那覇さんがいう「共有すべき歴史」ということにおいて、「第二次世界大戦の記憶と戦後の歩み」が特権化されすぎなのではないかと思う。このインタビューでの與那覇さんの主張を読んでいると、「第二次世界大戦の反省に未来永劫縛られるべきである」という感じに聞こえるのだが、元々たとえば2015年の安倍談話をはじめとして、「戦後政治の総決算」を右派や保守派が主張してきたのは、「第二次世界大戦」や「戦後体制」を「相対化する」ことであって、まさにそうした「第二次世界大戦に関する特権化されたナラティブ」を「カッコに入れる」ことでより自由な思考とより深い歴史の教訓を読み取れるようにする、ということにあったはずだと思う。
それが結果として歴史の「相対化」ではなく「無効化」になってしまっているという点は確かにないわけではない、「重荷としての歴史」が肩から降りたという意識が強すぎるということはなくはないのだけど、それは日本とはどういう国か、日本の歴史はどういうものだったのかということを語り切れていない右派の側の責任でもあるし、すでに事実上相対化されてしまった第二次世界大戦のナラティブに今なお縋ろうとする左派の側の責任でもあるとは思う。
ただ、充分一般にまで浸透しているとは言えないが、明治国家の成立やその展開、あるいはその前段階での江戸時代の思想展開などの研究はかなり進んできていると思うし、日本が日本になった理由みたいなものはだんだん語り得るものになってきていると私自身としては思っているので、それがなるべく国民的なものになるような方向で頑張らないといけないとは思う。
左派が歴史の重荷から解放されて社会を支える労働者に背を向け、ブルジョア的な支持者に受けるマイノリティ擁護に狂奔したり、右派が歴史の重荷から解放されて縄文ナショナリズム的なもの、参政党や保守党などの十分に日本や世界の歴史を踏まえて展開されているとは思えないような政治勢力が台頭してきているのも、やはり残念なところはあるわけである。柱になるべき自民党も、根本が世界標準リベラルな安倍元首相や、努力家ではあるが人文的教養の冴えのようなものはまだ見えてこない高市首相などをみていても、隔靴掻痒の感はある。
ただ、まあ人に求めるよりはまず自分からなわけで、なんとか深い歴史に根ざした日本のあるべき保守の思想のようなものを作り上げ、広く国民に共有されるような歴史を再建していくことを、自分としてもやっていかなければならない、とは思う。その鍵になるものを一つ一つ掴み取っていかなければならないのだろうと、今のところは考えているわけである。
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