「生理痛疑似体験電気ショック」問題を考える/中国海軍の東京近海進出と国民への警告/日本の「おわび外交」の転換点でもある「反日」江沢民の1998年の訪日:「日中外交秘録」/日本史研究の飛躍的進展
Posted at 25/12/25
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12月25日(木)小雨
今日はクリスマスだが、雨の朝。昨日の夜からも降ったり止んだり。予報を見ると、午前中は晴れていて午後は雨、明日は雪が降りそうだということで、母を少し遠い病院に連れていく予定なのでちょっと困ったなと思ったり。ただまあ、今考えても仕方がないのでとにかく安全に行って帰ってこられればいいなと思う。
昨日はブログ/noteを書いた後雨の中車で出かけて銀行に行ってから、渡そうと思っていたお歳暮の品を忘れたことに気づき、家に戻ったがもう12時になるのでお昼ご飯を食べてから出かけることにした。家で少し必要な連絡をしてご飯を食べて一休みしていたら2時前になり、慌てて出かけてお歳暮を届け、書店に行って「ガクサン」13巻を探したがなく、逆に見落としていた「整う音」を見つけてそれだけ買ってから、スーパーに行って牛乳と本だしとバターと和菓子を買って、図書館に行って「たとえば自由はリバティか」を返却した。この本はとてもよかったので結局自分で買ったのだが、図書館で借りてしっかり読めるというのは本当にありがたいなと思う。
せっかく来たので何か平安時代に関するものを借りたいと思って探したがいいのがなく、とりあえず玉井力「平安時代の貴族と天皇」(岩波書店、2000)を借りた。それからツタヤに回って「ガクサン」を探したが無く、結局Amazonでポチることにした。結構時間が忙しくなってしまったが、雨は降り続いていて、強くなったり弱くなったり。暮れに天気が荒れるのは珍しいことではないにしても、クリスマスのあたりは降るなら雪だったのだが、やはりなんだかちょっと地球が変わりつつあるのかもしれないなとも思ったり。
借りてきた本を少し読んだが、わずか25年前の本であるにも関わらず、やはり最新の研究動向と比べると少し前の時代のものだなという印象を免れない。それだけ研究が飛躍的に進展しているのだなと思うのだが、内容ももちろん読むべきところはあると思うが研究史的な読み方もしたほうがいいのだろうなという気はした。
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https://x.com/wildriverpeace/status/1999352583270580534
私は小学6年生の頃、ずっと頭痛に悩まされていて、いろいろ病院も回って脳波の検査をしたりしたが原因がわからず、小さい頃に中耳炎をやっていたと母が言うので耳鼻科に行ってみてもらったら、実は副鼻腔炎(当時は蓄膿と言った)であることがわかり、しばらくその治療をしたのだが、そうやって鼻が通ってみると嘘のように頭痛が消え、「他の人たちはこんなスッキリした頭で生きていたのか」と感動するとともに、羨ましいと言うか妬ましい気持ちも起こったことがあった。
もちろん、自分が苦しいからと言って他の人も苦しければいい、と思うのは間違っているのだけど、人間にはそう言う気持ちもあるだろうなとは思う。友人と話していて、メンタルがあまり調子の良くないことが多い人に、共通の友人が鬱になったらしいと言う話をしたら、「自分だけじゃないと思ってすごく気が楽になった」と言われたことがあった。自分は大変なんだ、と言う気持ちが強いと、どうしてもそう言う気持ちが起こると言う部分もまた、人間にはあるのだろうと思う。
東京都が男性幹部職員に電気ショックを与えて生理痛体験をさせると言う話について考えていて、自分や友人のそう言う経験のことについて思い出していたのだけど、やはりそれは何かおかしい。ネットを読んでいると、男子生徒に生理痛体験をさせると言う試みも広がっているそうで、これはちょっと早めに中止すべきだと思った。基本的に痛みのない人に痛みを与えると言うのは傷害である。それは一時的なものかもしれないが、痛みというのは後遺症的に残ることがあり、実際のところペインクリニックなどでも痛みの原因というのは千差万別だからさまざまな治療を試みていくしかなく、また消えるとは限らない、厄介な症状であるらしい。
というのは、私の母がおそらくは脊柱管狭窄症や変形性膝関節症などが原因で痛みを抱えていて、もう10年以上痛み治療に通っているのだが、緩和はすることはあってもなくなることは無い。整体に通って話を聞いたり読んだりしていても、痛みがなくなるということは必ずしも良いことではなく、生きている以上は痛みは感じると思っていた方がいい、という部分もあるという話も聞いた。痛み治療については母を連れて病院にいくつも通った経験上、いろいろなことを勉強したが、私の副鼻腔炎によるものなど原因がはっきりしていれば治療すれば治るけれども、その原因が除去されてもそれが脳に記憶として残っていて、原因がないのに痛みを感じることも多いのだそうだ。それを考えると、不必要な痛みを与えるということがいかに合理的でないか、非科学的であるかがわかるかと思う。
「ひとは他人の痛みを感じることはできない」とよくいうが、これは精神的なことだけでなく、生理的・物理的にフィジカルな面でもそうである。痛みを科学的に客観的に測定することはできない。ただその人の訴えを聞いて対処するだけである。痛みにしても、他のことに集中しているときは感じなくなったりすることもよくあることである。痛みで動けないと言っていたおばあさんが地震が来たら真っ先に走って逃げ出した、などという話もあるが、それだけ痛みは個人的なもので、他人にはわからない領域なのである。
だから、人工的に痛みを与えて「同じ痛みを経験させる」などということは、全く非科学的なことであるわけである。「同じ痛み」など無いからだ。これは単なる加害行為に過ぎず、人権上の問題は多すぎる。それが体罰や暴力が強く禁止されている学校現場で行われるというのは全く見当違いも甚だしい。
こうした発想が起こってくるのは、おそらくは障害者の不便を知るために車椅子での生活を体験してみる、というようなことからの類推だろう。もちろん、車椅子の体験をしてどこや何が不便であるとかを把握し、それをバリアフリー化に活かすということはあってもいいだろう。特にその事業の担当者が実際にやってみるということに意味はあるだろうと思う。
しかし、車椅子で生活をすることで障害者の生活に理解が深めるということをしても、何か傷として残るということはまず無いだろう。外傷も痛みも与えられるわけではない。女性の苦しみを感じさせるために人工的に擬似的な生理痛を体験させる、というのとは根本的に違う。人権上も刑法上も科学的にも医学的にも第一に倫理的にも問題がありすぎる。
生理痛は生理がある時期の女性しか経験しないことだが、それなら男性が圧倒的に多い工事現場での事故などを女性に擬似体験させるべきかと言ったら、そんなことを肯定する人はいないだろう。運転免許更新の教習で交通事故の恐ろしさをこれでもかと映像を見せるのがあるが、まあ逆に言えばあれで耐えられないようなメンタルの人は免許を持つべきではないという割り切り方もできる。
この辺りのところは、実際には家庭教育や学校教育でも互いに対する思いやりという範疇の話として行われるべきことであり、それが人間としての最低限の倫理だろうと思う。こうしたことは間違っている、という認識が広く広がり、こうした試みがなるべく早く中止されるようにしてもらいたいと思う。
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権利の平等という点で今現在最も問題があるのは女子枠問題だが、苦痛と不利益の平等、ないし分担という点で将来問題になり得るのは兵役つまり徴兵制の問題だろう。イスラエルのように男女とも兵役が課されている国ならその点で問題はないが、韓国は日本以上にフェミニズムが猖獗を極めている(日本フェミニズムも韓国の影響下にある部分もあるようである)のだが、韓国では男子のみに兵役が課されているわけで、男女間の対立は日本よりはるかに強くなっていて、その結果かどうかは一概には言えないが少子化は日本以上に進んでいる。というか東アジアでは日本が最も少子化の進行の抑制に成功している国だという話もある。
それはともかく、兵役が問題になるのは、現在のところ中国の脅威の問題が一番大きい。垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいても習近平政権になってからの中国の社会的な締め付けや経済的帝国主義的傾向、軍事的拡張政策の進展はかなり深刻なレベルになってきているようだ。
https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003648786376327517
今年の6月7日に空母遼寧と新型空母が南鳥島付近で発着訓練を行ったというのだが、これはもちろん日本の経済水域の中で、しかも東京から1900キロしか離れていない。東京に空襲にやってきた米軍の飛行機はサイパン島からきたわけだが、2400キロである。B29の航続距離を考えてサイパンを奪取し空襲が行われるようになったわけだが、現在の兵器の性能から言って1900キロというのは目と鼻の先だろう。
アメリカは在韓米軍の烏山基地を自由に使えるように韓国側と交渉していてそれは北京から940キロという距離になるので中国は猛反発しているわけである。南鳥島は日本の最東端であるから中国のいう第二列島線よりもさらに東になるが、この海域で中国はレアアースの採掘を狙っているとのことで、この中国の動きは首都防衛の観点からも資源確保の意味からも非常に敵対的な行動であることは確かである。
空母遼寧の艦載機が自衛隊のスクランブル機にレーダー照射したというのもこういう状況の延長線上で把握すれば彼らがいかに侵略的であり威嚇に出ているかも理解できる。
https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003775074554576898
その後米海軍の空母ジョージワシントンがオーストラリアから北上し、遼寧も新型空母も海域から撤退したが、こうした軍事情勢の緊迫はもっと報道されるべきだと思うし、防衛省自衛隊側ももっと広報しても良いことだろうと思う。小泉進次郎氏が防衛相がになって明らかに政治家として覚醒し、頼もしい感じになっているのも、こうした危機の状況が役職に対するブリーフィングによってより明確に認識したということが大きいのだろうと思う。
東シナ海の油田開発で日中中間線より日本寄りのところを掠めていくくらいならまだ小狡いで済む(済まない)が、明らかに日本のみの経済水域にある資源を狙ってくるというのは侵略的と言っても過言ではないだろう。
問題はこうした行為が石破政権下では全く問題視されなかったということにあるわけで、この辺りは石破政権への流れを作った岸田氏も後悔したのではないかと思われる。今回の高市氏の選出に反対はしたが選出後は牽制するような発言にとどまっているのも、石破政権のやらかしに対する見方も含まれているのではないかと思う。
結局のところ、高市氏の台湾有事への言及に関しても、こうした中国の台湾だけでなく東アジア全体、特に日本の領域に関する進出(侵略)を図っているという前提があってのことであり、そうしたことはもっと起きらかにしてもらえると良いなと思った。
https://x.com/JAMSTEC_PR/status/2003616616765079919
https://x.com/Cait_Sith_co/status/2003781956228763840
高市首相は代表質問に答える形で南鳥島近海のレアアースの開発をアメリカと協力して進めることを表明したが、これはトランプと利益を共有するということであるだけでなく、歴史的文脈もあることを踏まえておけば良いと思うのだが、日本が日露戦争に勝利して南満洲鉄道を手に入れたとき、アメリカの鉄道王ハリマンが共同経営を持ちかけてきたことがあった。元老には同意する動きもあったが、元老たちのような帝国主義国の怖さを身に染みて知っている世代ではない、新世代の小村寿太郎が断固拒否して流れたという経緯があった。彼らの外交観は日本を世界の大国の一員とすることを目指すということで、それ自体は悪くはないが、大国と利益をシェアすることで利益だけでなく防衛や責任もシェアできるということを軽視してしまったということだと思う。
もし南満洲鉄道がアメリカ側との共同経営になっていたら、満洲事変は起こらなかっただろうし、また満洲の経営についても実際の歴史とは全く違ったものになっていただろう。日本が血を流して勝利したのだから利益を独占するべきだという形の国粋主義が必ずしも良い結果をもたらさない。日露戦争の「勝利」もセオドア・ルーズベルトの調停あってこそというのは小村も理解していたはずなのだが、その辺りは後知恵なのでなんとも言い難い。
https://diamond.jp/articles/-/376014?page=4
同じようなことは戦後もあり、GHQに接収された富士製鐵の広畑製鉄所をめぐり、イギリスのジャーディン・マセソンとの合弁を主張した白洲次郎と富士製鐵の永野重雄が対立し、殴り合いになるという事件があった。これは経済的ナショナリズムの立場の永野と利益共有によるイギリスの後ろ盾を得ることを構想した白洲との対立で結局は永野の側が勝ったのだが、同じようなことだと言えるだろう。
もちろん、ハリマンやジャーディン・マセソンと共同経営をした方が本当に成功したかということについてはわからない。アメリカにしろイギリスにしろ、今のトランプ外交を見ていればわかるように日本と中国とは常に天秤にかけているし、またアメリカ人には伝統的になぜか「中国の巨大市場」という幻想があって(これも何か古典的な書物に書いてあるのではないかという気がする)、日本の頭越しに直接交渉して日本が蚊帳の外に置かれ、後で対応に苦慮することがあるからである。典型的なのはキッシンジャー外交で、日本の頭越しに、特に佐藤栄作内閣の時に福田赳夫外務大臣が入院中に米中会談が行われて国交回復に向かい、日本が対応に苦慮したということがあった。その後創価学会の池田大作氏やいわゆる右翼の大物の笹川良一氏らの中国への働きかけもあり(「日中外交秘録」で読んだ)田中内閣で日中共同声明を出して国交は回復することになるが、日本が後手に回ったことは否めない。
だから南鳥島沖のレアアースの日米共同開発もどうなるかはわからないが、ここにアメリカを一枚噛ませることで中国の進出を抑止できることは確かであり、そうした状況全体の中におけるピースとしての高市首相の台湾有事発言であり、尾上定正総理大臣補佐官の核所有発言であったことは押さえておく必要はあるだろう。
こうした発言は中国の虚偽の「日本の軍国主義の復活」というナラティブに有利に働くことは事実なのだが、国民に中国の危険性への警鐘を鳴らすという意味では大きな意味はあるだろう。オフレコ問題も実際にはちゃんと明確なルールを設けるべきだとは思うが、日本の左翼リベラルや報道機関が中国のナラティブに易々と乗せられている現状は変えていかなければならないだろうと思う。
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垂秀夫「日中外交秘録」、今156/538ページ。第三章「情報と人脈」の第四節、「前例にとらわれない知恵と戦略」の民主党政権時の尖閣沖漁船衝突事件のあたりのところを読んでいるが、印象に残ったところを少し書いておきたい。
それは第三節の「中国共産党の大物たち」に出てくる曾慶紅と野中広務の関係を説明する中でのことで、1998年の江沢民来日の際に小渕首相との間で「日中共同宣言」を出すことを中国側が求め、それを1972年の「日中共同声明」と1978年の「日中平和友好条約」に続く「第3の政治文書」にしようという意図があったのだという。
この直前に結ばれた金大中韓国大統領との間での日韓共同宣言では歴史問題として「心からのおわび」の文言があったのだという。これは、今考えると「なんだそれは」と思うが、1993年の宮澤内閣河野官房長官による河野談話や細川首相の「侵略戦争」発言、1995年の村山談話という流れを思い出すと、日本との因縁も深い金大中との間に「金大中拉致事件」をめぐる日本側への感謝表明と引き換えにそうした文言を入れた、ということはまあ当時は許容範囲だったのだろうなと思う。調べてみるとまだ当選2回の新人議員だった安倍晋三元首相が強く反対していたのだが、そんな力は持ち得なかったのだろうなと思う。
で、結局中国側は結ばれるべき新たな「日中共同宣言」に「心からのおわび」の文言を入れるように強く求めてきたが、政府内では日中間の歴史問題は決着済みという立場であり、最後までこの文言を入れることを拒否したため、江沢民は国賓として招かれながら日本で歴史問題を強調してばかりいて、天皇陛下の御前の宮中晩餐会ですら「日本軍国主義は大概侵略拡張の誤った道を歩み中国人民とアジアの他の国々の人民に大きな災難をもたらし、日本人民も深くその害を受けました」とスピーチしたため、日本国内で一気に反中感情が高まり、江沢民は反日であると強く印象づけることになったわけである。日中共同宣言は形の上では出されたが両首脳の署名もない失敗した文書になったわけである。
これは逆に言えば日本が、というか小渕首相がよく踏みとどまった、ということになるが、韓国との関係もその後日韓W杯で嫌韓感情が高まったり、本質的な対立はやはり「植民地支配」のナラティブが無くならない限り解消し得ないものだなと思うし、中国も共産党の正当性を騙る「対日戦争の勝利」という蒋介石の業績の簒奪によるナラティブ(というか日本は実際にはアメリカに負けたのであって中国に負けたわけではない)をやめない限り、本質的にフラットな関係に立つことは難しいだろうと思う。
しかし江沢民時代というのは日中対立が激しくなった印象があるが、今の習近平時代に比べればまだ遥かに牧歌的で、それは中国がまだ経済建設の最中だったからということはあるだろう。2000年ごろに中国のロボット技術について「先行者」が話題になったことがあるが、当時は日本はすでに「アイボ」が販売されていて、技術の差は明らかだったのである。
「日中外交秘録」はとても面白いしスリリングな記述が多いのだが、90年台の江沢民時代の次が2009年以降の民主党政権の話に富んでいる印象があり、小泉政権や安倍・福田・麻生政権の時代が今のところパスされている印象がある。垂さんもWikipediaを読むと2003年から2011年の間は本省勤務のようなので中国との直接的な交渉については書きにくかったり機密に触れることが多いのかもしれないとは思うが、まだ先を読んだら出てくるのかもしれない。
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歴史というものは本を読まないとわからないわけだが、自分が生きている現代のことについても、報道などを見ているだけでは全然わからないことが本当に多いのだなとこういう本を読んでいると改めて思う。報道というのは客観的にやるべきものだし、また政治的に色がついていないことが重要なわけだが、ある意味皆外野な訳で、当事者の話というのは全然迫力が違うわけである。当然ながら当事者には立場があるからそこを客観的に見ていかなければならないが、読者の側にも立場はあるわけで、日本国を愛するという立場が共通しているということもあって垂さんの本は読んでいて血湧き肉躍る的な部分があるのだろうと思う。生きた現代史を理解し、この先のことを考えていくためにも、もっと本を読んでいかなければならないなと改めて思っている。
「謎の平安前期」を読みながら、「謎の10世紀」についていろいろ考える : 日本史の地殻変動の時代なのではないか
Posted at 25/12/24
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12月24日(水)雨
今日はいわゆるクリスマスイブだが、雨が降っている。この時期に長野県で雨が降るということは全体的にかなり気温が高いということだろう。山下達郎の「クリスマス・イブ」では「雨は夜更け過ぎに雪へと変わるだろう」と歌われているが、予報では明日も雨である。しかしクリスマスが本来イエスの誕生日であることを考えると、イエスが生まれたベツレヘム(パレスチナ)で雪が降るということもあまりないだろうから、ホワイト・クリスマスという良い慣わしも雪が降るヨーロッパ北部で始まったものだということなのだろう。
今朝は起きたら5時半ごろで比較的よく寝たという感じ。少し懸案になっていたことがなんとかなりそうなのと、昨日は母を病院に連れていったのだが、それが比較的順調に済んだ(結構時間はかかったが)ことでホッとしたということも大きかったと思う。年の瀬になって忙しいだけでなくいろいろな対応もあるのでなかなか気が抜けない感じではある。今日明日外でやる用事を考えているので、なんとか雨が止んでもらえるといいなと思うのだが。
平安前期のことを色々考えながら「謎の平安前期」を読んでいるのだが、宇多天皇・醍醐天皇の初期の藤原時平が太政官を主導していた時代には律令制の再興が図られた最後の時期だとされていて、延喜格式や六国史の最後の「三代実録」の編纂などにそれが現れているとされているわけだけど、それは時期としては時平が死ぬ909年まで、ということになる。「謎の10世紀」の最初期である。学者官僚のトップであった菅原道真が失脚するのが901年だから、この辺りで「漢学(儒学だけでなく律令制など中国の政治思想体系全般も含めて)の時代」の取り敢えずの終わり、と考えていいかとも思う。もちろん貴族の基本教養が漢学であることはその後もしばらくは変わらないわけであるけれども。
時平の弟の忠平は賢明で温厚であったとされ、菅原道真の祟りも忠平にも及ばなかったとされる。彼は949年、村上天皇の初期まで生きて「貞信公記」という日記も残している。この間には935年から941年にかけての承平天慶の乱や出羽俘囚の反乱など全国的に騒乱が起こっているわけだが、周知の通り関東等に土着した軍事貴族の軍事力が主に用いられて反乱が鎮められていくということになる。これがいわゆる武士の起こりとされているわけだが、つまりはそういう変化もまた10世紀だということになる。
藤原利仁、藤原秀郷、源経基・満仲・頼光、平高望と四人の息子たち、そして孫の貞盛・将門なども皆10世紀の人で、やはりこの時代は日本史の地殻変動の時代であったことは間違いないようには思う。謎の4世紀に大和朝廷の胎動期があったのと同じである。
いろいろ読んでいて思ったのは、「漢意(からごころ)」の時代が時平まで、忠平以降が急進的な変化を求める中国思想の導入を抑えた「大和心(やまとごころ、やまとだましい)」の時代になった、と捉えるのが良いかなと思った。この辺りは何度も書いているが「源氏物語」の「少女」の巻で貴公子であるのに大学に入学させられる光源氏の長男・夕霧について源氏が教育論を展開しているのが知られている。一方で学者たちはどうでも良さそうなことで喧喧諤々の議論を繰り広げる様を戯画的に描かれていて、これは道真をはじめとした学者たちが超自然的な力を持つに至ったように描かれたことと同じく、実際面での力を失いつつあることの表れだと考えて良いのだろうと思う。
「平安前期」は158ページまで読み、第六章の斎王、今は賀茂の斎院についてのところを読んでいるが、第三章・第五章・第六章が宮中や皇族・貴族の女性たちについての記述になっていて、これだけ大きくページが割かれているのは「女性」についての研究が進展したからで、そういう意味では意味があったとは思う。面白いと思ったのは藤原師輔についての話である。
師輔は947年に村上天皇が即位し、父・忠平が病になった年に右大臣となり、960年に53歳で右大臣を辞し死去しているが、娘の安子が村上天皇の中宮となり冷泉・円融両天皇を生んでいるので、現在の皇室の祖先の一人でもある。摂政・関白にはならず、970年まで生きた兄の実頼(関白太政大臣)に官位では劣るが、兄に負けない影響力を内廷的には持っていたわけである。
彼もまたまさに10世紀の人なのだが、彼が特筆すべきことは、正妻の藤原盛子(父は藤原南家の経邦、従五位武蔵守という受領階級だが、裕福であったと考えられ、兄に対抗する財力を持つ必要があったためと指摘されている)に加え、三人の内親王(醍醐天皇の娘)を妻に迎えていることである。
師輔の後継者である伊尹や兼家、また両天皇を産んだ安子は盛子の子なのだが、康子内親王は閑院流の祖である藤原公季を産んでいる。彼は幼くして母を亡くすが姉の中宮安子に引き取られ、宮中で皇子たちと共に育てられたといい、997年には内大臣に上り、1017年には右大臣、1021年には太政大臣になっている。摂関家の嫡流でないのにこの地位に登ったのは母が内親王であったというのが大きい、とこの本では指摘されていて、後に三条・西園寺・徳大寺の清華三家の祖になり明治維新にも影響を与えているが西園寺家は特に院政時代に大きな権力を振るったわけで、ある意味摂関家を没落させる原因にもなった、と指摘している。
師輔が内親王を三人妻にできたのは実質的な権力者だったから、ということしか書いてないのだけど、それが10世紀という時代にのみ可能なことであったということではないか、という気もして、その辺りのところもちょっと考えていければなと思った。
実頼の死後は師輔の長男・伊尹が太政官を主導するが972年に亡くなり、そのあとは兼通・兼家の争いが977年まで、小野宮家との争いが986年まで続き、そのあとは兼家とその子道隆の政権が995年まで続くが、公卿八人が亡くなり一条天皇も罹患した天然痘の流行で道隆が死ぬと、その子伊周との争いに勝った道長がより安定した政権を築いていく、という展開になる。謎の10世紀は疫病と「源氏物語の時代」の開幕で終わるわけである。
逆に言えば、源氏物語が舞台にしている宮中の様子は10世紀のことであると考えられる部分が大きいわけで、そこからも10世紀について考察することは可能なのだろうと思ったりもする。
そんなことを調べながら考えていたらあっという間に時間が経ってしまった。こういう時間をもっととっていくようにしたい。
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こういうことをやっていると時事的なことを見る余裕がなくなるわけだが、まあそういうことを「浮世離れ」と呼ぶのだろうなとか。まあ普段いろいろ大変だからそんなわけでもないのではあるが。
「冬至の高速道路」と「荷物を取りに行く」など/古代の出自のわからない「王」たち/
Posted at 25/12/23
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12月23日(火)晴れ
今日は上皇陛下の誕生日。平成の天皇誕生日である。92歳。譲位されてもう6年半。お元気、とは言えないまでも日常生活を送られ、軽井沢に静養に行かれたり御所で賓客にお会いになったりはしているようで、お年よりはお元気でお過ごしのように見受けられる。天皇陛下も来年2月には66歳になられるし、譲位されたのは賢明なご選択であったなと思う。穏やかに日々を過ごしていただければと思う。
昨日は冬至。2時半に家を出て車で帰郷したのだが、5時過ぎにはもう真っ暗になっていて、流石に冬至だなと思った。中央道の途中で西日が真正面からさし、左手でしばらく遮ったりしていた。日の沈む方角は季節によって変わるから、最も南寄りに出る冬至の日にあのあたりが見にくくなるのだなと確認。一年でこの時期にしか使えない知識だが。
昨日は午前中、9時過ぎにバスで郵便局に出かけ、不在票の入っていた荷物を受け取る。1枚は更新されたETCカードで、もう1枚はドコモの携帯の手続き関係の書類だった。もう機種変更は済んでいるのだが部署間の連絡がうまくいっていないということか。大企業というのはそういうことがよくある。仕事による割り振りではなく顧客ごとに担当がつけばいいと思うのだが、もうそういう余裕もないということだろうか。まあ大企業だからそれでもやっていけるということでもあるようには思うけれども。
大きい荷物だと思って用心して出かけたのだが思いのほか小さかったので帰りは歩いて帰った。途中でモールの横を通ったので除いていこうかと思ったら入り口に人がたむろしている。時計を見ると9時55分で、開店待ちだということがわかった。他のスーパーは8時か9時には開店しているから、ある意味殿様商売だなと思ったのだが、専門店の開店に合わせているということなのだろうなと思ったり。
家に帰ってから一休みして、また歩いて図書館に行く。郵便局まではバス停にして5個分、図書館まではバス停2個分。普段歩く駅はバス停3個だからまだ近いとは言えるが、東京だとやはり結構歩くなと思う。車で出てもいいのだが東京の駐車場は時間貸しに止めているので出入りしたら最大料金が2度発生するのであまり使えない。シューベルトのCDを返却して帰りに和菓子屋さんで塩サバ弁当を買って帰宅。昨日は出歩いたのは地元だけで、「謎の平安前期」と「日中外交秘録」を読んでいた。
ゴミをまとめて出したり洗濯したりして2時半過ぎに家を出、駐車場から車を出したのは2時台だったのだが、昨日はずいぶん道が混んでいて、近くのローソン併設のスタンドへ行って給油して出るときに時計を見たら3時15分だった。ローソンでコーヒーを買ったり、出ようと思っていた時に電話がかかってきて対応したりしたということもあるのだが。ガソリンはリットル148円で、ついに140円台で給油でき、郷里から自宅への片道で13.5リットルで2000円を切った。こういうことがあると少し嬉しい。
ローソンを出てから高速に乗るまでの下道も結構混んでいてインターに乗る交差点で2度信号待ち。首都高はメチャ込みというほどでもないが渋滞はしていて、竹橋ジャンクションで今までにないくらい時間がかかった気がする。それでも高井戸を過ぎたあたりで流れは良くなった。都心環状線を走っている時に日本橋道路元標という表示があり、ああいま日本橋の上を通過したのか、と思った。石川PAについたのが4時半近くになっていたので、やはり混んでいたなと思う。
そのあとは境川PAでトイレに行き、地元のインターで降りて書店で少し本を見てスーパーに行って夕食を買い、荷物を取りにヤマトの営業所に行って帰着したら7時前だったのだが不在票が入っていて、いろいろあったが結局8時半ごろ届けてもらった。年末は何かと忙しい。
今回は読む時間があったら読もうと思って岩波文庫の「原文対照 古典のことばー岩波文庫からー」(1995)という本を持っていった。史記列伝の引用として「非知之難也、処知則難矣」という言葉があり、いいなと思って調べたらこれは「韓非子」からの引用だった。岩波文庫では1994年に「韓非子」が出ているのでこれから引用すればいいのにと思ったが、編集段階で混乱があったのかもしれない。パラパラと見た感じ。
逆に自宅から実家の方へ3冊ほど持ってきた。遠藤慶太「六国史」(中公新書)、中村修也「平安京の暮らしと行政」(山川出版社日本史リブレット)、モーリス・デュヴェルジェ「フランス憲法史」(みすず書房)。2冊は平安前期関係、1冊は「たとえば自由はリバティか」の関連で少し考えてみたいと思ったので。読む時間がどれだけあるかはわからないが、今読んでいるのを読み終わったら読もうと思う。
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榎村寛之「謎の平安前期」第五章139ページあたりまで。面白いと思ったことは、現在は氏姓がないのは皇室=天皇家だけになっているが、大伴氏や物部氏などの氏名(うじな)を豪族集団が持つようになったのは6世紀らしいとのこと。その例証として稲荷山古墳出土の鉄剣の銘文が挙げられているのだが、そうなると雄略天皇の時代には氏名がなかったことになり、日本書紀の葛城襲津彦などの氏はどういうことになるのかなどと思ったのだが、この辺はもう少し調べてみないとわからないかなと思った。
また天皇の子孫の「王」というのも上古は明確な決まりはなかったようだが、数代を経て賜姓され貴族になるというのが多治比真人の例などを挙げられていて、8世紀には橘宿禰→橘朝臣の例、9世紀になると天皇の子女が朝臣の賜姓をされるケースが出てくる。これはもともと天皇の与党としての貴族を太政官に増やすという意図があったと分析されていたが、醍醐源氏の源高明のあたりから、摂関家の一員としての要素が強まる、と分析されている。9世紀の後半には太政官から藤原氏と源氏以外の貴族がほとんど姿を消し、「古代貴族の終焉」と言われるようになる、という経緯を辿るのだと。
平将門の乱を読んでいても「興世王」という人物が出てくるが、この人の出自は不明で、仮にも「王」を名乗る人の出自がわからないというのはちょっと驚くのだが、天智天皇や天武天皇の恋人だったとされる額田王もやはり系図がわからない人で、案外そういう「王」は多かったのかなという気もする。ただ、飛鳥時代にはともかく平安時代になってもそういう人がいたというのはちょっと驚くのだが、興世王自身が「謎の10世紀」の人なので、記録の散逸ということなのかなとは思う。歴史というのはちょっと掘り下げるとえっと思うことが多い、というかこちらの常識とか類推とかでは捉えきれないことはやはり多いなと思う。
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「日中外交秘録」は138ページ。第三章「情報と人脈ー裏チャンネルに真髄がある」の第三節「中国共産党の大物たち」のところ。表題の通り、中国政府の「裏チャンネル」を張り巡らし、正式ルートを飛び越えて李鵬首相と佐藤大使の面会を実現した話などは面白いなと思った。もちろん外交官だから「書けない話」は山のようにあるだろうけど、書ける話だけでもかなりたくさんあるというのはやはり活躍されていたのだなと思う。
その他なるほどと思ったのは、現在の習近平体制の状況は毛沢東時代の末期に似ているということ。つまり後継者がいない、という状態だということだ。毛沢東の後は華国鋒が継承したが、毛沢東が主要な人材をほとんど粛清していたのでかなり小粒な人しかおらず中国の不安定化が懸念されたが、失脚していた鄧小平が復活し、主導権を握ったことで安定した、というわけである。鄧小平は「凡人でも安定した政権を維持できる」集団指導体制を作り、胡耀邦の死で混乱した天安門事件の後に江沢民、その後に胡錦濤という「普通の指導者」が後を継いだわけだが、習近平は集団指導体制を廃して独裁を強めていて、そのために後継になり得る人がいなくなってしまったというわけである。
毛沢東の死後はたまたま鄧小平が野に降る形で残っていたからまだなんとかなったが、今回はそういう存在もいないということで、習近平没後の中国の混乱に備えなければならないという提言はなるほどと思った。
***
読み返してみるとなんだか文章がごちゃごちゃしているのだが、頭の中もちょっとごちゃごちゃしているのだけど、今日は母を病院に連れていったり他にもやることがあるのでこの辺りで。
垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる:「毛沢東、レーニン、キッシンジャーを読め」という極めて実践的なアドバイスに唸る/おたくの熱気に当てられる/東京は守りに入ると生きにくい
Posted at 25/12/22
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12月22日(月)小雨
昨日は出るのが少し遅くなり、10時20分ごろに実家を出て、セブンでミルクティーを買う。少しジグザグな経路をたどって国道経由で地元のインターで高速に乗り、八ヶ岳PAまで走ってトイレ休憩。そのあと釈迦堂PAまで走ってお昼を買う。いつもは焼き肉弁当などを買うのだが昨日は腹具合が少し心配で少し高めの甲州弁当を買った。そのあと石川まで走るつもりだったがトイレに行きたくなり、藤野PAで休憩。そのあとは家まで走るつもりだったが、調布あたりでやはりトイレに行きたくなって、永福PAによってトイレに行った。結構駐車場が混んでいてもし入れなかったら代々木まで行くかと思っていたが、一番はしっこに一つだけあいていたのでやれやれとそこに入れる。そのあとは首都高も順調に流れて自宅横の駐車場も一つだけ空いていたのでちょうどよくそこに入れた。全体にこのくらいがトイレ休憩としてのペースとしていい感じかもと思った。
自宅に帰着して昼食。お弁当は美味しかった。しばらくいろいろやって、郵便局の荷物の不在票が2枚入っていたのでどうしようかと考えたが、外出して7時までに戻るという制限をつけない方がいいなと思い、翌朝取りに行くことにして出かけた。東西線に乗って茅場町で乗り換え、秋葉原へ。ラジオ会館へ行こうと思ったのだが、行ってみたら日比谷線からはかなり遠く、これは銀座線神田駅の方がよかったなと後で思う。というか秋葉原に行き慣れていた頃なら当然そういう選択をしたのだがなあと後で思った。
ラジオ会館というのは初めて、かまたは数十年ぶりなので、いまはあんなおたくの殿堂みたいになっているということは知らなくて、ちょっと当てられた感じがした。4階のあみあみのふつうの軽音部のショップが出ているので行ったのだけど、小さいスペースだった。運転している最中からなんだか右足が痛くて歩くのが面倒になっていたのだけど、結局はとっちのアクキーだけ買って外に出た。さてどうしようかと考えたのだが、脚は痛かったが神保町まで歩いた。
「たとえば自由はリバティか」を買おうと思って小川町の三省堂仮店舗に入ったのだが無くて、結局神保町まで行った。画材屋の喫茶室に入ろうかと思ったが混んでいてやめて、東京堂によったり書泉グランデによったりして結局何も買わずに半蔵門線で大手町に出て、丸善で本を買って東西線で地元の駅まで帰り、西友で夕食の買い物をして家に戻ったら6時過ぎだった。
買ってきたもので夕食を済ませ、うたた寝をしてしまったので11時ごろ布団に入った。2時半ごろ目が覚めてしまい、寝付けなくなって起きたり寝たり。4時過ぎに起きだして入浴したり。どうもいろいろペースが悪いのだが、ちょっといろいろ疲れがたまってきてはいるのだろうと思う。
今近くのローソンにジャンプとヤンマガ、スピリッツと朝食を買いに行ってつらつら考えていたのだが、つまりはこの世というのは、特に東京というのは守りに入ると生きにくいのだよなと思う。やりたいことをやる、というのは攻めの姿勢だからその方が生きやすい。やりたくないこと、経験したくないことを避ける、という姿勢はどうもどんどんそういうものを呼び込むなと思った。
昨日どうも必ずしも充実しなかった大きな原因は、ラジオ会館で若いおたくのエネルギーに圧倒されてしまったことにあるのだなと思った。もちろん、そういうところだと思って行ったわけではないので不意打ち的なものがあったのだけど、すげえなと感心してすぐ切り替えてじゃあ自分はどうするか、という方向に行けばよかったのだなと思う。まあ前向きに考えよう。
***
垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる。いま102ページまで。垂さんは1961年生まれで私より1学年上なのだが、釜ヶ崎の小中学校を出て府立の名門・天王寺高校に進み、一浪して京大法学部という経歴。私は高校2年生まで関西にいたので、近くにいたのだなと思う。私は1年間実家の方の高校に通って現役で東大に合格したが、垂さんは共通一次試験で満点近くを取ったので京大に志望を変えたのだそうだ。私は8割強で東大でも足切りを心配するくらいだったし、合格したのは幸運だったが、垂さんはさすが順当な進路だ、とは思うが、兄弟ではラクビーと麻雀に打ち込み高坂正尭ゼミにもほとんど出席しなかったそうで、豪傑タイプの大学生である。私も芝居と美術館通いばかりである意味似たようなものだったが、垂さんはラグビーをしながらも外交官試験の勉強をしてストレートで合格しているところが違う。あの当時そんな明確な志を持っていたらまた違う人生だっただろうなとも思うが、ラグビーと芝居では人生に身につくものが違うからさてどんなものかなとは思うが。
興味深いことはいろいろあるが、外交官試験の面接で何でもラグビーに結び付けて応えていたら「ラグビー以外に何かないのかね」と聞かれて答えに窮したとか、二次試験後に外務省の職員が自宅訪問して父君が「外交官は名家出身でないとなれないから西成釜ヶ崎では無理だ」と反対したが合格したとか、当時でもなおそんな習慣があったのかというのはちょっと驚いた。
昨日今日読んだところで一番印象に残ったのは入省後に世話になったという浅井基文氏の話だった。土曜の半ドン後によく神保町に連れて行かれ、「中国を理解するには、中国共産党を知らなければならない。その論理を知るためには毛沢東を読み込むことだ。外交の要諦はまず相手の内在論理を把握することから始まる」というのは、今ならよくわかるが、自分が新人だったらどんなふうに思ったかなと思う。そこで「毛沢東選集」全5巻を買ったが代金は浅井氏が払ってくれたとか、次に大事なのは共産党という組織の本質を理解することで、そのためにはレーニンを読み込まなければいけない、といわれて「レーニン十巻選集」を探したがそれも浅井氏が払ってくれたのだという。
日本の官僚や会社などでの先輩後輩関係はいろいろ言われているが、何というか活躍する人にはいい先輩がいてちゃんと面倒を見てくれるというのは美風だなと思った。今でもそんなことがあるのかは知らないが。
そして三つ目に大事なのはキッシンジャーで、対中戦略や対中外交を学ぶためにはキッシンジャーから戦略的思考を徹底的に学んだ方がいい、と言われ、古本屋にはなかったので外務省の図書館でコピーして読んだのだという。浅井氏は英語の原書の「キッシンジャー秘録」を自分が読んだ後にくれたのだそうだ。
そして何でも勉強すればいいというものではなく、「マルクスは読む必要がありますか?」と聞いたら「マルクスまでは読む必要はないです」と答え、また孫文については「余裕があれば読んだ方がいいけど、大変だろうからそこまではいいです」と答えたのだそうで、そのへんが何でも読まないと気が済まない学者タイプとは違う、理にかなった効率的な中国理解の手段だったということで、まさに実務家の外交官の勉強というものだなと思ったのだった。
浅井氏は共産党の不破議長と共著を出すような思想の人だそうだが、その関係を堂々と公開されるというのもやはり垂さんも豪傑だなという感じがした。
それにしても、「毛沢東、レーニン、キッシンジャーは徹底的に読め。マルクスや孫文はまあ読まなくてもいい」というアドバイスは本当に実践的だなと改めて思う。中国共産党は革命政党であり、その実践をした毛沢東と共産党政権をつくった元祖であるレーニン、そして彼らと渡り合って成果を上げたキッシンジャーという3人の選択は本当に理に適っているなと思う。人にアドバイスをするならこういうアドバイスをしたいものである。もちろん、それにこたえられるだけの力量が垂さんにあったということも大きいわけだが。
最後に一つ付け加えると、初めて北京で鄧小平を見たときの、圧倒的なオーラの描写が凄いと思った。そして「鄧小平以外の人物にオーラを感じたことがない」ということも忘れずに付け加えている。つまり、習近平も「鄧小平以外の人物」であるということである。この辺のレトリックはさすが外交官だと思うが、そこに日本の勝ち筋も見出せればとは思うのだった。
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