保守主義とは、何を守るのか:衣食住の「生活」と「マナー」でなく「礼」、立居振る舞い/タワレコ渋谷で「ふつうの軽音部」アクリルチャームを買った

Posted at 25/01/14

1月14日(火)晴れ

今朝はそれなりに雲は出ているけれども、基本的には晴れ。最低気温は今の所マイナス5度なのでそれほど厳寒でもない。

昨日は午前中いろいろやったいたが、早めに昼食を食べて、出かけることにした。渋谷か新宿、どちらかのタワレコに行こうと思ったのだが、調べてみたら渋谷区役所前に大きな公共駐車場がある(渋谷区役所前公共地下駐車場、30分350円)ことがわかったので、実家に帰る前にそこに車を止めて渋谷のタワレコに行ってこようと思ったのである。

普段と同じ経路で地元のインターで首都高に乗り、三宅坂で4号新宿線に入って代々木インターで降りた。まっすぐ渋谷の方に出て、ナビ通りで行ったから細かいことはよくわからないけれども全然渋滞せずに駐車場もすぐわかって入ることができた。ただ中が結構いっぱいになっていて、空きスペースを見つけるのに時間がかかり、停めた場所は渋谷駅から一番遠いところだった。

13番出口から出てみると広い歩道に枯葉が舞っていて、今地図で見てみるとNHKと代々木第二体育館の間の道のようだ。渋谷駅の方に歩いていくとけん玉をしている集団がいた。駅の方から行くのと違って人混みの中を歩かないで済むのはかなりいいなと思った。休日で空いているということもあったのかもしれないが。パルコの角を曲がって線路の方に行ったらすぐにタワレコがあった。

渋谷のタワレコは行ったことがあるかどうかよく覚えてないのだが、「ふつうの軽音部」のポップアップショップがどこにあるかすぐにはわからなくて7階まで登ってしまった。時間があれば一階ごとにじっくり見ても良かったが、駐車時間があるのでとりあえず四階の目的地へ。ポップアップショップは人だかりが・・・ということはなかったが、それでももう売り切れているグッズもあった。私はアクリルチャームを三つ、と決めてレジに行ったら1980円になり、「2000円以上になるとカードがつきますよ」と言われたのでもう一つ買った。ブラインドなので中身は見えないのだが。カードもブラインドだった。

少しはCDを見てみようと思って探したのだがどうも自分の欲しいもののところにうまく行き着けず、またの機会にちゃんとみることにした。普段行ってる神保町のディスクユニオンとかならすぐわかるのだけど、まあある意味別の世界ではある。

さっさと車に戻ってナビでルートを確認したら初台で乗ることになっていて、代々木の方が近いのではないかとiPhoneで地図を見たら同じくらいの距離だったから、まあ確かにこれはよりゴールに近い方から乗った方がいいなと思ってその通りにした。出口が分からず、結局原宿側から出たのだが、岸記念体育館とか見えて、代々木公園の中の道、つまり表参道の延長上の道を走って山手通りに出た。代々木公園のこのあたりは昔路上パフォーマンスをしたこともあったから、ちょっと懐かしい感じ。富ヶ谷の交差点で山手通りに出ると、これも駒場に住んでいた頃によく代々木八幡駅や代々木公園駅まで歩いたので懐かしかった。

初台で左折し、高速に乗ったが、このルートは割といいと思った。あとで地図で見てみると井の頭通り側から出たほうが多少近かったようだが、距離的にはまあそんなに変わらないし、道としては良い方を通れて良かったと思う。

先週の月曜に夜車で帰った際には暗いし寒いし大雨で見通しが悪く、水蒸気が立ち上ってみにくいという中での運転でかなり疲れたが、今回はまた渋滞もなく、よく晴れていて明るく、太陽高度が低いから少し眩しい時はあったが、順調に実家に戻ることができた。石川PAについた時は流石にラーメンには早かったのでドトールでコーヒーとレタスドッグを買い、半分食べて、次の休憩の釈迦堂PAで残りを食べた。最後に八ヶ岳PAでトイレ休憩し、少しでも高速代を下げようと一つ手前のインターで降りた。

いつも行く隣町の給油所でガソリンを入れ、バイパスを通って書店とスーパーのあるところまで行き、少し本を見てスーパーで夕食とパンを買い、帰ったら5時を少し過ぎていた。

タワレコで買ってきたものを開けてみると、アクリルチャームははとっち、桃、鷹見、自意識アニマルの4つで、カードは水尾だった。彩目も欲しかったがまあ上出来だろう。満足した。

https://note.com/kous37/n/n432506ae7f02

すぐに炊飯器を仕掛けて、いろいろ周りを整え、7時に夕食を食べたらすぐうとうとしたのだが、寝床には9時過ぎに入った。

***

今朝は4時過ぎに起き、トイレに立ってから一度寝床に戻ってうとうとしたが、5時前に起きて書くことを考えながらネットを見ていた。まあ最初はこういうふうに昨日の日記にはなったが、書いてみると割と楽しかったなと思う。渋谷や新宿に行くというのもどうも乗り気になれないのは電車や駅が混雑するからで、車で行くなら悪くないと思った。もちろん電車に比べてお金はかかるのでそうそうはできないが、選択肢の一つとしてはあるなと。

今調べてみたら東急ハンズとかだと2000円以上買うと1時間無料になるというのがあって、タワレコはやってないようだったけど、ハンズや西武にも行けばより安く上げられるということはわかった。タワレコはどうなのかと改めて調べてみたら、「駐車場 なし」とさわやかに書いてあった。

それにしても次週はまた別のクレジットカードを取りにいかなければならないし、その次の週には建物の検査に立ち会う必要が出てきそうで、毎週帰京することになるが、さてさてという感じではある。

***

昨日は「自分の下部構造を考えてみる」ということで書いてみたのだが、なぜそのことについて考えようと思ったのかが分からなかったのだけど、つまりは「保守主義」というのは何を守るのか、ということについて、日本人の場合は特に日本文化、それもハイカルチャーとかではなく、また必ずしもサブカルチャーでもなく、もっと身近な生活文化、つまりは衣食住に関することが「守りたい」ことなのではないか、という問題意識がどうもあったようだ、ということに気がついた。

我々が伝統的な衣食住の生活文化をどれだけ守ってきているか、というと割とどうかなというところはあるのだけど、自分のことを考えてみると実家は自分が小学生の頃に伝統工法の家が祖父母によって建て直され、在来工法の住宅になっているのだが、洋間の応接間と台所以外は全て畳敷きだし、大正時代に建てられたお蔵も残っている。部屋と部屋の間仕切りは襖で、外の広いサッシのガラス戸と部屋の間には縁側に当たる部分があり、そこと部屋の間は障子で仕切られている。トイレも和式だったが母が足が悪くなってから洋式に改造され、段差を埋めたり玄関を登りやすくした階段など福祉用具も使えるようにはしてある。

普段はソファとテーブル、ベッドの生活だが、ちゃぶ台に座布団で生活することもできるし、掘り炬燵もできるようにはなっている。上座敷には床の間も違棚もあるので、掛け軸などもかけてある。住空間的には和の癒しと洋の実用の折衷という感じだなと思う。

衣服については、和服を着る機会はほとんどないし、自分でも持っていない。憧れはなくはないが、芯から冷える実家の地方の冬に、足元が暖かいとは言えない和服を着ようとは今のところなかなか思えない。切るとしたらむしろ東京にいる時だろうか。

食べるものも当然ながら和洋折衷だが、昨日も書いたように醤油と味噌の味付け、納豆や豆腐などの伝統食材が自分の食卓から消えることはないだろうなと思う。意識して守っているわけではないが、日本の、というか和の伝統もまた自分の生活の重要な一部なんだろうとは思う。

生活の保守主義というのは要はそういう身近なものから始まることで、そんなに大声で声高に守ろうと呼びかけるものでもなく、粛々と普通の日本人が「いただきます」と食前に手を合わせるような、そんなところから始まるのだろうとは思う。

生活と、「礼」。「礼」と言っても「いわゆるマナー講師」が捏造するような「お酌をする時はラベルを相手に見えるように」とかの馬鹿げたものではなくて、相手を尊重していますよ、感謝していますよという意思をそれとなく示すような、抑え目の表現が日本らしい奥ゆかしさだろうとは思う。

まあ「礼」の例を挙げてみるとよくわかるが、さまざまな日本らしさがいろいろな形で、特に商業的に侵食されているのはポリコレ以前の問題としてあるなとは思う。より簡素な、より奥ゆかしい「マナー」でない「礼」の精神こそが、まずは日本の保守にとって重要なのではないかとは思った。

「作法」などの問題もあるが、まずは「立ち居振る舞いの美しさ」を身につけたいものではあるなと思う。


衣・食・住・血統など自分の下部構造的なことについて考える

Posted at 25/01/13

1月13日(月)晴れ 成人の日

昨日は昼前に実家を出て車で帰京。境川PAでソースカツ弁当を買って食べて、石川PAでトイレ休憩し、2時半ごろ帰着。昨日はほとんど渋滞なく出て来られてよく晴れていたし割合楽だった。

帰ると八十二銀行のカードの不在通知が入っていたので、しばらくしてから出かける。バスで西大島まで行き、歩いて郵便局へ。城東郵便局の駐車場は無料なようなので車で行ったらいいなと思っていたのだが、グーグルマップに入り口が難しいようなことを書いてあったので少し躊躇したのだが、実際に言っていたら実家周辺の道に比べたら全然楽そうな感じだった。まあ実際に入ってみたら何か問題に気付くのかもしれないが。

カードを受け取り、通帳を記帳して、西大島の周辺を少し歩く。思ったより街並みがいい感じのところがあり、地元もちゃんと歩くといいところがないわけではないんだよなと思ったり。帰りにアリオ北砂で夕食の買い物をするが、どうも実家周辺に比べて全体的に物価が高い。米も買おうかと思ったがやめた。次に来る時に実家の方で買ってから車に乗せてきた方がいいかもしれないと思った。

昨日は「ふつうの軽音部」の新宿・渋谷のタワレコのポップアップショップに行こうかと思っていたのだけど、結局やめた。またの機会に行けたらいいと思う。

夜は疲れが出ていたので8時に寝たので「べらぼう」は見ていない。平賀源内がいい感じだったらしいので実家に戻ってから録画を少し見てみようと思う。

***

朝起きたら4時前。7時間半ほど寝たことになる。最近にしたらかなりよく寝た。

自分自身を支えるもの、とりわけその下部構造について考えてみたいと思った。以下いろいろ書いてみた。

たとえば食べる、という部分を支えるもの。自分にとっての味の基本は、やはりしょうゆとみそだと思った。しょうゆとみそは変換すればすぐ醤油と味噌と出てくるが、感じにしてしまうと少し遠い、しかつめらしいものに感じる。毎日のように口に出しているしょうゆとかみそとかいう言葉は、そんな遠いものではなくて、やはりひらがなで発音されているものだなと思う。

ソースやマヨネーズもまた、毎日使うものではあるし子どものころから親しんだ調味料ではあるけれども、死活的に重要かと言われると、いやないと困るのだが、少し違う感じがする。それは、スーパーの棚を見てみても醤油や味噌はたくさんの種類が並んでいるが、ソースやマヨネーズはそんなにたくさんの種類のものがあるわけではない、ということからもわかる。

大豆発酵食品というものが、私の、あるいは多くの日本人の味の基本にある、ということだろう。

大豆発酵食品は調味料だけではなく、豆腐や納豆など食材としてもあるし、豆自体としても節分で撒くような煎り豆や酒のつまみである枝豆としても食べられ、なじみの深いものでもある。これらはみな、日本の主食であるコメと相性がいい、ということが我々の舌になじんできた大きな理由だろうと思う。

食べ物、着るもの、住むところ、というのがいちばん基本的なわれわれの下部構造だろうか。こういうことはすでにいろいろな本で読んできているからある種常識的なことではあるが、近年また新しい研究も出てきているからそういうものも見ておいた方がいいところはあるだろう。

着るものについてはもう伝統的な和服はどんな形でも自分にとってなじみの深いものではないなあと思う。子どもの頃は実家(祖父母の家)に行くと茜系の子どもの着物があってそれを寝巻にしていたが、ちゃんと着られるようになったことはない。旅館に行くと寝間着は浴衣であるのが普通だが、やはりどんな寝相をしても寝たらでたらめな着くずれ方をしてしまうのでだいたい朝は寒くなる。普段から家では和装、みたいな生活をしないとそういう作法みたいなものは身につかない気がするが、現代生活で和装は結構大変だと思う。というか田舎の生活でも江戸時代のお百姓のような恰好はしていないわけで、やはり和服というものは有閑階級的なものが本当の有閑階級に残っただけなんじゃないかという気がする。

住むところというのはまだ日本の伝統的なものがかなり残っていると思う。多くの家に畳はあると思うし、畳の部屋の扉は大体襖ではないだろうか。障子のある家は少なくなったかもしれないが、それなりに日本的な部分は残っている気がする。まあ、25年くらい前に都内で高校教員をやっていた時に生徒に障子や襖の話をしても全然知らなくて驚いたことはあったのだが。

日本人はどこから来たか、というつまり血統の問題で言えば、精子のハプログループの研究とミトコンドリアなどのDNA型(つまり母系)の研究による祖先の系統研究が最近では割と盛んに行われているが、両方が示す結果がかなり違うこともあって、そのへんいろいろ新たな問題提起があるようには思う。

もう少し深いところまで考えるつもりだったのだが、掘り起こす契機が自分の中に今一つないことが気付いたのでちょっとこうした書き散らしの感じではあるが、とりあえずメモ的に更新だけしておく。

衣・食・住・血統など自分の下部構造的なことについて考える

Posted at 25/01/13

1月13日(月)晴れ 成人の日

昨日は昼前に実家を出て車で帰京。境川PAでソースカツ弁当を買って食べて、石川PAでトイレ休憩し、2時半ごろ帰着。昨日はほとんど渋滞なく出て来られてよく晴れていたし割合楽だった。

帰ると八十二銀行のカードの不在通知が入っていたので、しばらくしてから出かける。バスで西大島まで行き、歩いて郵便局へ。城東郵便局の駐車場は無料なようなので車で行ったらいいなと思っていたのだが、グーグルマップに入り口が難しいようなことを書いてあったので少し躊躇したのだが、実際に言っていたら実家周辺の道に比べたら全然楽そうな感じだった。まあ実際に入ってみたら何か問題に気付くのかもしれないが。

カードを受け取り、通帳を記帳して、西大島の周辺を少し歩く。思ったより街並みがいい感じのところがあり、地元もちゃんと歩くといいところがないわけではないんだよなと思ったり。帰りにアリオ北砂で夕食の買い物をするが、どうも実家周辺に比べて全体的に物価が高い。米も買おうかと思ったがやめた。次に来る時に実家の方で買ってから車に乗せてきた方がいいかもしれないと思った。

昨日は「ふつうの軽音部」の新宿・渋谷のタワレコのポップアップショップに行こうかと思っていたのだけど、結局やめた。またの機会に行けたらいいと思う。

夜は疲れが出ていたので8時に寝たので「べらぼう」は見ていない。平賀源内がいい感じだったらしいので実家に戻ってから録画を少し見てみようと思う。

***

朝起きたら4時前。7時間半ほど寝たことになる。最近にしたらかなりよく寝た。

自分自身を支えるもの、とりわけその下部構造について考えてみたいと思った。以下いろいろ書いてみた。

たとえば食べる、という部分を支えるもの。自分にとっての味の基本は、やはりしょうゆとみそだと思った。しょうゆとみそは変換すればすぐ醤油と味噌と出てくるが、感じにしてしまうと少し遠い、しかつめらしいものに感じる。毎日のように口に出しているしょうゆとかみそとかいう言葉は、そんな遠いものではなくて、やはりひらがなで発音されているものだなと思う。

ソースやマヨネーズもまた、毎日使うものではあるし子どものころから親しんだ調味料ではあるけれども、死活的に重要かと言われると、いやないと困るのだが、少し違う感じがする。それは、スーパーの棚を見てみても醤油や味噌はたくさんの種類が並んでいるが、ソースやマヨネーズはそんなにたくさんの種類のものがあるわけではない、ということからもわかる。

大豆発酵食品というものが、私の、あるいは多くの日本人の味の基本にある、ということだろう。

大豆発酵食品は調味料だけではなく、豆腐や納豆など食材としてもあるし、豆自体としても節分で撒くような煎り豆や酒のつまみである枝豆としても食べられ、なじみの深いものでもある。これらはみな、日本の主食であるコメと相性がいい、ということが我々の舌になじんできた大きな理由だろうと思う。

食べ物、着るもの、住むところ、というのがいちばん基本的なわれわれの下部構造だろうか。こういうことはすでにいろいろな本で読んできているからある種常識的なことではあるが、近年また新しい研究も出てきているからそういうものも見ておいた方がいいところはあるだろう。

着るものについてはもう伝統的な和服はどんな形でも自分にとってなじみの深いものではないなあと思う。子どもの頃は実家(祖父母の家)に行くと茜系の子どもの着物があってそれを寝巻にしていたが、ちゃんと着られるようになったことはない。旅館に行くと寝間着は浴衣であるのが普通だが、やはりどんな寝相をしても寝たらでたらめな着くずれ方をしてしまうのでだいたい朝は寒くなる。普段から家では和装、みたいな生活をしないとそういう作法みたいなものは身につかない気がするが、現代生活で和装は結構大変だと思う。というか田舎の生活でも江戸時代のお百姓のような恰好はしていないわけで、やはり和服というものは有閑階級的なものが本当の有閑階級に残っただけなんじゃないかという気がする。

住むところというのはまだ日本の伝統的なものがかなり残っていると思う。多くの家に畳はあると思うし、畳の部屋の扉は大体襖ではないだろうか。障子のある家は少なくなったかもしれないが、それなりに日本的な部分は残っている気がする。まあ、25年くらい前に都内で高校教員をやっていた時に生徒に障子や襖の話をしても全然知らなくて驚いたことはあったのだが。

日本人はどこから来たか、というつまり血統の問題で言えば、精子のハプログループの研究とミトコンドリアなどのDNA型(つまり母系)の研究による祖先の系統研究が最近では割と盛んに行われているが、両方が示す結果がかなり違うこともあって、そのへんいろいろ新たな問題提起があるようには思う。

もう少し深いところまで考えるつもりだったのだが、掘り起こす契機が自分の中に今一つないことが気付いたのでちょっとこうした書き散らしの感じではあるが、とりあえずメモ的に更新だけしておく。

「書こうと思えばいくらでも書ける」というのはものを書く上で大きな才能/「ふつうの軽音部」キャラ人気投票/アメリカ黒人のアイデンティティ:「「移民」とアイデンティティ」という古くて新しい問題

Posted at 25/01/12

1月12日(日)薄曇り

昨日は午前中作業場の整理を少ししたり。午後はいろいろやって帰ってきたのは7時半くらいだったか。夕食を食べて少しネットを見て10時半には寝た。起きたら4時半で、まあ大体疲れは取れた感じ。左足の指先が痛いのでどうしたかと思ったらひび割れていた。かかとは今までもひび割れがよく起こっていたが、つま先がひび割れたのは初めてな気がする。いずれにしても乾燥していて、水分が足りないんだなと思う。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567262008975476

今朝は起きてからまず風呂に入って、その後「ふつうの軽音部」53話「力になる」を読んだ。

以下この段落ネタバレ。内容的には夜の公演で一人弾き語り練習をする鷹見の意外な姿におっと思ったり、鷹見と3年生の喜田がとても親しい感じで鷹見の兄の件が少し明らかにされ、喜田がそれを心配しているのを見てまじイケメンだなこの男、と思ったりしたのだが、鶴の思惑通りにパート練習が崩壊して困っている亀谷兄妹に厘が接近するのはその仕方が「こう来たか!」という感じではあった。

昨日は「ふつうの軽音部」の分析について書いたがあまり反応がなくて、まだやはりこの作品も十分にメジャーにはなってないんだなあと思う。今日は東京に帰るので、渋谷と新宿のタワレコのポップアップショップにも行ってみたい。連休で混んでなければいいのだが・・・とは思うのだが。まあこういう作品は世に広まってほしいという思いとほどほどがいいな・・・という思いと両方あるのだが。

https://www.shonenjump.com/p/sp/2501/vote_futsunokeon/

また、新しい話の更新とともに「ふつうの軽音部」の「キャラクター人気投票」もスタートした。私のフォローしている人たちのポストを見ていると皆まちまちのキャラクターに投票していて面白いのだが、私はまずは主人公の鳩野ちひろに入れた。これは誰でも毎日一回投票できるというシステムなので、いろいろなキャラクターに投票できるのだが、こういう投票の初日はだいたい主人公に入れる。もちろんはとっちの主人公力というものも大きいけれども、この物語は他のキャラそれぞれの魅力も大きいので、結果が楽しみである。

この人気投票の対象になっているキャラクターは58人いるのだが、そのそれぞれに「50字に統一して」キャラクター紹介が書かれていて、ほとんどが作中で語られていない新情報であるところがすごい。来週は通常更新がお休みだそうだが、「軽音部ロス」になる人たちのために多めに情報を供給しておいた、ということなのかもしれない。

私としても発見が多かったが、作中「ドギャル」として出てくる派手なギャル二人が三年生であるというのが個人的にはツボだった感じである。また、ちひろの母親が「若い頃は椎名林檎に憧れて難しい漢字を多用したりハイライトの煙草を吸ったりしていた」というのも「あーあー」という感じなのだが、友人の娘が椎名林檎を推していたことを思い出し、ちひろ母が彼女と同世代なら私が世代的に一番近いのは水尾祖母だなと思ったりした。ここまで枯れてはいないが。

しかし50字のいわばコラムを58個考えて書くというのはやはりすごいなと思ったが、こういうふうに「書こうと思えばいくらでも書ける」というのはやはり才能だなと思う。ある意味、ものを書くという上で一番重要なのはこの才能かもしれない。最近はAIに頼ることで適当であればいくらでも文章が出てくるようになったが、これはあまりいいことではないというか、湯水のように文章を生み出す才能というものが返って阻害されるのではないかということを危惧する。

こういう能力というものは作家というかものを書く人にとっては根本的に重要なもので、いくら機械が発達しても人間そのものにそれを備えていることは必要であり、それは例えばコンピュータにいくらでもデータが保管できても、無尽蔵な専門的記憶が湧き出してくる人の価値は変わらないということとも重なってくる。というか、無尽蔵な記憶によって検索能力も発達してくるから、外部記憶装置があったら鬼に金棒だろう。この辺りは作文能力においても同じだと思う。

クワハリさんの物語作成能力の凄さ、その個性を支えているのはやはりこの無尽蔵な作文能力にあるなと改めて思ったエピソードではあった。

私も毎日ブログ(note)を書くことでこの作文能力を維持・強化しようと思っているのだが、もちろんそれを必要な形にまとめる編集能力も必要だしそれはある意味書くこととは別の能力なので、その辺りも鍛えていかないといけないなとは思っている。

***

シリア解放の余波として、シリアを通るパイプラインの建設が構想されているのだという。ヨーロッパも今まではロシア依存が酷かったから、これが実現したらより強い態度に出ることができるようになるということだろう。

https://x.com/onigari_ijousya/status/1876963864161431893

国内のパイプラインの使用料でシリアも潤うし、一石二鳥だろうと思う。

***

アサシンクリードや弥助の問題でいろいろとすったもんだしたけれども、その背景にはアメリカ黒人の「民族主義なき人種主義」があるという指摘があり、それはつまり自分たちのルーツに関わる情報がないから民族主義を構築できないという悲しさがある、という指摘を見て、なるほどなあと思った。

ただ、アレックス・ヘイリーの「ルーツ」のように、自分の祖先の出身地を訪ねていくことのできる人というのはまず居ないのだから、それはもう仕方のないことなので「アメリカ黒人」という新しい民族を意識して新しくエスニシティを構築していくしかないのではないかと思った。彼らはアフリカに居続けた黒人とは全然違う文化背景を持っているわけで、それはブラジルに渡った日系人と同じだから、日本文化そのものもルーツとは考えられても自分たちの文化であるという意識は持ちにくいだろう。

まあこれは他の民族についてどういうこうことでもないということではあるのだが、それによって日本人の民族性や歴史を損壊しようとしてくるなら防衛せざるを得ないわけで、まあ自分たちの文化は自分たちのわかる範囲の歴史で作ってもらうしかない、というしかないかなとは思う。

まあこういうのはジャマイカのラスタファリ運動、エチオピアの皇帝・ハイレ・セラシエを崇拝した運動と同じで、崇拝された方が動揺する、みたいなことになったりするなと思う。ブラジルなどではどうなっているのか、こういう古い民族文化と切り離された人々がどうやって自分たちのアイデンティティを形成するのかというのは全く古くて新しい問題として残っているなと思う。

移民政策を賛美し推進する人たちがいるけれども、人間というものはそんな簡単に自分たちのルーツやアイデンティティを捨てられるものではないという根本的なところを見落としているのではないかという気はする。

欧米ユダヤ人の祖先がパレスチナ由来なのか、それともハザール人由来なのかという古くて新しい問題も、結局はアイデンティティ問題である、ということとも重なることではある。


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