日本の神さまについてのあれこれ

Posted at 23/03/26

3月26日(日)小雨

毎日忙しい。やることが多くて、一つが終わったらすぐ次、とか一つのことをやりながら次のことにも目を向ける、みたいなことをやっているとボーンヘッドが出てくる。一つ一つのことをきっちりやり終えてから次のことへ進めばいいのだが、それをヤらないのは気が焦っているということもあるけど私の本来の性質みたいなものがあるかなと思う。Twitterで拝見するようなADHD気質の人の行動を読んでいるとこれほどでは無いなと思いつつもこれについてはこう考えるよなというのは割と近いものがあり、あまりそういう方向に行かないように気をつけないといけないなとは思ったりする。動けない時は全然動けないので、動けるようになったら全部いっぺんに片付けようとする、みたいなところもあってそれは躁鬱的な考え方だよなと思うのだけど、まあ診断し始めたらいろいろ出てくるかもしれないが面倒なのであまり考えないようにはしている。

村上重良「国家神道」読んでいる。まだ第1章「神道の成り立ち」の第2節「古代の神祇制度 皇室神道の成立」のところなのだが、ここまでのところは面白い。というか、自分の知っていることがよく整理されているという感じで、少なくとも現代の常識的な神道理解についての基本的な本であるということは言えるんじゃ無いかと思った。最新の研究まではよくわからないけど、自分の知っていることともほぼ一致しているのでこの辺りを足場にして新しい研究を読んでいけばいいのだろうなと思った。

新しい分野というのは自分の理解の基本になる足場を構築するのが最初の関門になるわけで、そこができないままだといつまで経ってもその分野がわかったような気持ちが出てこない。昔の学者は日共を批判して除名されたようなコワモテの学者でもその辺のところはちゃんと中立的な書き方ができていて、良いなと思う。最近の学者は平気で中立的な記述の中にイデオロギー的なことをぶち込んでくるので本当に気持ちが悪くなることが多い。特に一般書でその傾向が強いので、逆に言えば論文などでは中立的な記述は読めなくは無いから、そういう方に偏っていってしまって全体的な理解をしにくくなったりする。言語論的転回以降、そういうのが増えているので、早く学問も正常に戻って欲しいと思っている。

万物を生み出すムスビ神(高皇産霊神・神産霊神)の重要性とか、自然神であるとともに皇室の祖先神でもある天照大神の位置とか、これは最近読んだ「アマテラスの誕生」自体がこの理解の発展系なのだなということを読みながら理解したり、やはり左翼系だからと言ってこの時代の学者の書いていることを侮ってはいけないなと改めて思う。伊勢神宮の成立過程などはもう少し追いかけてみるときっと面白いのだろうなと思いながらも、そこに突っ込んでいると自分のやろうとしていることをやる前に人生が終わるなという感じもあり、一つの課題として残しておこうかなと思う。

ツミとかケガレ(死とか病とか血とか)というものが、神の力を弱めてしまう、あるいは荒々しい神の作用を呼び込んでしまうものだからそれを祓ったり禊をしたりすることによりそれを離れさせることができる、というあたりの記述はこれもある種常識的なことなのだけど、そういう意味では諏訪明神は狩の神であり、鹿の頭などを神に捧げるという慣わしが続いていたところはそういう理論から離れた存在であったわけで、鎌倉時代に源氏の祖先神である八幡神(鶴岡八幡宮に勧請された)とともに諏訪明神が武家の守り神とされ、諏訪氏が諏訪神社の大祝(現人神)を務めるとともに鎌倉に出仕して執権北条氏得宗の御内人となって幕政にも重きをなしたというのは、京都の公家の信仰とは別の東国の神祇信仰として重要だったということなのでは無いかと思う。

この辺の、「鎌倉時代の諏訪信仰」については地元ということもあり、もっと調べてみたいとは思うのだが、これもまた機会があるときに先送りしておこうと思う。ただ、「逃げ上手の若君」に描かれている鎌倉北条氏の滅亡後に諏訪頼重が北条時行を匿い、中先代の乱を起こしたことは、諏訪氏にとってもかなりの必然性があったのではないか、ということは思った。

現実には時行没落後、京都で諏訪氏の一族が「諏訪明神絵詞」を書いて諏訪明神の霊験について宣伝し、鎌倉時代ほどではないけれども諏訪神の権威と勢威を再確立したことによって現代まで続いているわけではあるが。この「諏訪明神絵詞」は諸星大二郎「暗黒神話」に取り上げられているのを読んだのが私は最初だったのだけど、古代の禍々しい謎への扉、みたいに思っていた本が実は中世の反乱に失敗した一族の必死の生き残り作戦として書かれたということを知ったときはまあ人間そんなものかという気持ちにもなり、大人の事情を知った感じはした。

「国家神道」を読んでいると、時々あれっと思う記述にぶつかるのだけど、例えば天照大神は元々が天皇家(皇室)の「氏神」という性格が強かったが、天皇家(大和朝廷)の支配が全国に広まるにつれ最高神としての地位を確立していき、国家的性格を持つに至った、という記述があって、まあそれはなるほどと思うわけだけど、「氏神」という言葉に少し引っかかったので調べてみると元々はその氏族の「祖先神」という意味だったが中世以降はその土地の神様、つまり産土神(うぶすながみ)と同一視されるようになり、その神の祭祀に参加するその土地に住む人たちを氏子と呼ぶようになった、という記述がWikipediaにあって、これはなるほどと思った。

血縁から地縁へ、と神の存在の意味が変化していったということであり、それが「荘園」というある種血縁的な繋がりで受け継がれ、その構成民もテンポラリな存在であった時期から村落共同体が形成され地縁的な要素が強くなった惣村の時代になってからの変化だ、と考えると納得できるなと思った。

そう考えると、天皇家という氏族(血縁共同体)による政治支配の象徴であった天照大神が日本という地縁共同体の象徴に変化したと考えることもでき、ある種の社会の成熟の象徴としてその地位の変化を考えることもできるなと思った。

まあこの辺りはまだ思いつきの段階の話だが、いろいろと考えられることはあるなと思ったりしている。

文系アカデミズムの魔力/古神道研究と様々な方向性

Posted at 23/03/25

3月25日(土)雨

2月から3月にかけて、これまではあまり雪も雨も降らなかったのだが、このところよく雨が降る。天気は人間にはどうにもならないことだけど、気持ちも上がったり下がったり、スッキリしたりどんよりしたりはする。ただ、今なんとなくスッキリしているのは、雨だからではなくて心の持ちようなんだろうなとは思う。心も、意思でなんとか維持しようとしてできる部分と、どうにもならない部分はあるが、まあその辺もまた人間をやってるある種の醍醐味でもあるんだろうなと思う。

国家神道 (岩波新書)
村上 重良
岩波書店
2019-10-24

 

村上重良「国家神道」読み始めた。最初は左翼バリバリの「国家神道」「近代天皇制国家」みたいな言葉遣いで読む価値あるのかなと思いながら読んでいたのだが、宗教の類型分析などアカデミックな部分になると、最初はこれも古い分類わけなんじゃないかなと思いながら読んでいたのだが、だんだん面白くなってきて、なるほどこれがある種の文系アカデミズムの魔力なんだなと思い始める。

恐らくは、何も知らないまっさらな状態で読み始めたら、一生懸命理解しようとして読んで、それでアカデミックな分析の魅力に捉えられたら、なるほどと感動して、著者の言っていることが全部正しいと思うようになる刷り込みが起こるんだろうなと思った。そういうのがあるから、古色蒼然とした左翼的文系学者が再生産されてしまうのだろうなと思う。

しかしまあ、例えば小室直樹や渡部昇一にしても、アカデミックな部分があるから説得力があるわけで、その説得力によって信奉者が再生産されるということにおいては同じなんだろうと思う。そういう意味では積み上げられてきた文系諸学、人文学アカデミズムというものは侮れない。ジェンダーだのカルチャーだのスタディーズ系にはそういう積み上げがないから、最初からどっぷりイデオロギーに浸かってしまい、他の分野の人たちと言葉が通じなくなってしまうけれども、ちゃんとしたアカデミズムの積み上げの成果は、ある意味その学者がどんな思想を持っていても誰にでも利用可能になるわけで、その辺のところをこの本を読んでいて改めて感じた。

私は歴史専攻なので、どちらかというと事実の積み上げというか史料批判的なところに注目して読みがちなのだけど、宗教学などにしても理論構築の面白さがあって、その辺は歴史はやりすぎると唯物史観とかある種のトンデモになる恐れがあるから怖いけれども、ただ認識の枠組みを作るという点では理論構築は欠かせないわけで、時系列的な捉え方が必要な学問とある種空間配置的な理解の方が重要な学問とではその理論構築も方向性が異なってくるなと思った。

私も保守について考えていると、自分が歴史専攻なのでどうしても時系列的な方向で考えてしまうのだけど、実際の保守の構成要素みたいなものを考えて平面的に捉えてみると今まで見えてないものが見えてくるところもあって、自分の中の世界を広げながら描く楽しみがあるが、読み物としても面白く、またアカデミックにもある程度の水準があり、それでいて思想の本であるというレベルに持っていくように考えているので、日々勉強だなとは思う。



この本(p.17)で示された系統図を見てみると、仏教伝来以前の神道は原始宗教から原始神道へという流れ、そこから「神社の起源」というところからの合流があり、サイドにアニミズム・自然崇拝・祖霊崇拝・シャマニズム・農耕儀礼と書かれている。いずれにしても、仏教伝来以前には我が国(ないし日本列島)に独自の宗教(信仰)があったという考え方は例えば国学者の発想と同じであって、国学者はそれを現在の信仰から儒仏道三教の要素を取り除くことで引き算で「元々の日本らしさ」を再構成し、「清き明きこころ」とか「日本に本来あった信仰」を掴もうとする方向性であるが、宗教学者は考古学的な祭祀の遺物や遺跡、また世界の原始宗教からの類推等で仏教伝来前の信仰を再構成しようとする方向性になっているのだろうなと思う。

これはどちらもある種のバイアスがかかっていることは間違い無いので、文字のない状態からこころの中身を再構成するという離れ業に挑んでいるという共通性があるわけで、それぞれの説得力のある部分を参考にしていくということなんだろうなと思う。

保守系の歴史を確立しようとしている西尾幹二「国民の歴史」や読んで無いのだけど百田尚樹「日本国紀」などでは記紀の内容だけでなく、考古学的な成果も取り入れようとしているのだけど、その辺りはどうしても立ち位置の違う科学を一つにして描かなければならないという限界があり、無理をするくらいなら両論併記でもいいと思うのだが、いずれにしても「一度失われたものを再構成する」という難しさはよくわかる。この辺りの信仰についての研究で最近面白かったのは溝口睦子「アマテラスの誕生」(岩波新書、2009)なんだが、神話研究の成果なども取り入れながら書いていければいいなと思う。

国民の歴史
西尾 幹二
産経新聞ニュースサービス
1999-10-01

 







やはり本を読むことで自分の中の様々なものが掘り起こされてくることはあるなと思う。面白い本を読んでいきたいものである。









動きが激しくなってきた/「国家神道」/「人間の集団について」

Posted at 23/03/24

3月24日(金)雨上がり

昨日は気温も上がったが結構強く雨が降って、朝になってようやく上がったようだ。空が明るくなっってきて、春だなと感じる。東京ではもう桜が満開だということだけど、こちらもそろそろ咲き始めるかなという感じ。なんというかコロナ明けのせいか、世の中が性急にどんどん動こうとしている感じがある。

WBCの優勝も、自分はそんなに大きな関心はなかったのだが、弟が熱心に準決勝を見ていてその影響も受け、決勝はほとんど見た。なんというか、いま日本にこんなにすごい選手たちがたくさんいるんだなということがよくわかったのはよかった。昔に比べて、競技レベルとしては相当上がっているのだろう。エンターテイメントとしての野球は少し欠けたところがあるくらいの方が面白かったりはするのだが、(阪神の遠井のところにファーストファウルフライが上がったら多分取らないだろうな、みたいな)今の野球の楽しみ方はそういう感じではないなと思った。160キロを平気出せる日本人投手が何人もいるとか、スピードガンが出てきた当時は想像もつかなかった。

自分の身の回りでも動きが激しくなってきた感じがあり、自分もこの流れに乗って動いて行けたらいいかもしれないと思う。新しい企画はいろいろあるので、それも実行に移していくといいのかもしれないな。

昨日は2週間ほど続いていた諏訪圏の公立図書館の蔵書整理・システム更新が終わったので借りていた本を返しに行って、代わりに村上重良「国家神道」(岩波新書、1970)を借りてきた。これは現在の国家神道観のスタンダードを作った本であるようにWikipediaには書いてあるので、腰を落ち着けて読んだ方がいいかもしれないと思う。

丸山眞男もそうなのだが、左派系・戦後民主主義系のこうした「保守の事象」の理解というのは元々が相当偏りがあるように感じている。ただ、今の論調のように全くアサッテの方からの攻撃ということもなく、理解がおかしいところはおかしいと多分読み取れるとは思うので、その辺のところはしっかり読んでいければいいかなと思う。

それから注文してあった司馬遼太郎「人間の集団について ベトナムから考える」(中公文庫、1974)が届いたのでこれも読んでみたいと思う。

今朝はまた母を病院に連れていく日なので、今はこのくらいで。

WBC優勝という栗山監督の偉業:日本の指導者像の新たなスタンダード

Posted at 23/03/23

3月23日(木)晴れ

昨日はずいぶん気温が上昇して、暖かい1日になった。今朝も気温が10度を下回ってなくて、久しぶりに暖房なしで寝たけれども全然平気だった。

昨日の午前中は他にやることもあったのだけど、結局野球を見てしまい、久々に野球を面白いと思ったしいろいろなことを考えさせられた。

今回は大谷やダルビッシュ、吉田や邑上、近藤といった才能が今までになく集結した大会になったと思うけれども、それを実現し、また優勝にまで持ってきた栗山監督の手腕というものがやはり注目に値すると思った。

プロ選手のみが日本代表を構成するようになって、そんなに時間が経っているわけではない。最初にプロ出身の監督が日本代表監督になったのは、2003年の長嶋さんが最初だった。これは2004年のアテネ五輪に向けての就任だったわけだが、長嶋さんが急病で倒れ、結局中畑さんが引き継いでオリンピックを戦ったものの、銅メダルに終わった。なかなか最初から前途多難だった。

以下、国際試合における日本代表監督を時系列的に並べてみると、

 長嶋茂雄→中畑清 2004アテネ五輪 銅
 王貞治  2006WBC   優勝
 星野仙一 2008北京五輪 4位
 原辰徳  2009WBC   優勝
 山本浩二 2013WBC   3位
 小久保浩紀2015プレミア12 3位
      2017WBC   3位
 稲葉篤紀 2021東京五輪 金
 栗山英樹 2023WBC   優勝

ということになる。野球というものは、日本において戦前からの歴史を持つ長い球技で、その中でもプロアマ異なる団体だったり、さまざまな対立があって一番一筋縄でいかない競技なのだが、ようやくプロのトップ選手中心のチーム構成になってからまだ20年しか経ってないわけだ。

それを引き継いで代表監督を務めてきたのは、上記のような現役時代に錚々たる成績を残したメンバー。また山本浩二監督まではプロ球団の監督としても実績を残している人たちだった。

日本球界から大リーグに参加するようになったのは歴史は古いけれども、流れができたのは1990年代の野茂英雄投手からだろう。大リーグ、プロ野球、それぞれの参加条件もなかなか難しく、大リーグ機構自体が主催するWBCが始まってようやくどこに所属する選手も参加しやすくはなったが、開催時期が開幕前になったことでシーズンを重視する選手たちは参加を躊躇う例も多くあった。

また王・長嶋のような完全なカリスマならともかく、星野・山本の世代では「無理偏に拳骨」的な指導があったりスタッフだけでなく選手も子飼いで固めたりしてあまり運営がうまくいかなかったチームもなかったとは言えない。優勝が原監督の2009年WBCを最後に途絶え、日本開催の東京五輪での2021年まで復活しなかったのはいろいろな理由があっただろう。

そう考えてみると、野球日本代表=「侍ジャパン」の監督というのは、相当困難な仕事であることは十分に理解できる。

現代の日本代表監督に求められるのは、カリスマだけではダメだし、強権的な指導もうまくいかない。稲葉・栗山両氏のような「兄貴分的なリーダー」がチームの雰囲気を良くするのだろう。今回はダルビッシュがその部分を分担した感じもあり、また投打の中心になった大谷という存在があったことも大きかったが、ここにその両者と関係がつけられる元日ハム監督の栗山英樹氏の起用がバッチリとはまったということはあったと思う。

今回の優勝後、日ハム関係者の写った集合写真がツイートされていたが、びっくりするくらいの人数である。選手でダルビッシュ、大谷、近藤、伊藤の4人。スタッフで栗山監督以下、白井さん・吉井さんはすぐ分かるが城石さん、清水さん、厚澤さんも。そしてブルペンキャッチャーを務めたのがダルビッシュ・大谷・伊藤の球を受けていた鶴岡さんだったというのも知って驚いた。

https://twitter.com/TR_MZDAO/status/1638381825029705728

https://twitter.com/TV_no_Jun/status/1638393900519026689

https://twitter.com/Shinya_Tsuruoka/status/1638499619331031040

信頼できるメンバーをこれだけ固められたというのも栗山監督の人徳という部分が大きいだろう。実際の采配が際立っていたことは言うまでもないが、栗山監督自らがもともと大リーグ志望の大谷を口説き落として日本ハムに入団させると言う前史がなければ、今日のこの優勝はなかったと思われるわけで、この辺りの神がかりぶりもすごいなと改めて思う。

栗山監督は選手としては持病もあって非常に成功した選手とは言えない。規定打席に到達したのは一年だけだし、タイトルもその年に取ったゴールデングラブ賞だけである。本塁打は実働7年で7本。国立大学からドラフト外という経歴でヤクルトに入団し、野村監督の就任によってレギュラーを外されて引退するという、不運もあった。

しかしどういうわけか印象に残る存在であり、その後も解説者等で活躍し、報道ステーションで野球コーナーのキャスターを務めた後、日本ハムの監督になった。明晰な野球理解で期待はしていたが、ダルビッシュの大リーグ移籍の後で大谷を入団させ、そして日本一も獲得するなど、監督としての実績は十分に積んでいた。

だから同じ日本ハムで活躍した稲葉監督の後を受けて日本代表監督になったときはそれなりにやってくれるとは思っていたけれども、ここまで神がかったチーム運営でこうした形での優勝にまで導いてくれるとは思っていなかった。

栗山監督はこの大会で退任するとのことなのだが、稲葉・栗山という路線はこれからも継承して行った方が現代の日本代表というチームカラーにはあっているように思う。

私は保守について研究していて、保守というと雷オヤジみたいなのが想像される人も多いと思うのだが、強権的な独裁者というものが日本史においてうまく行った例はそう多くない。これはロシアや中国、イラクなどの国々が「独裁者でないと安定しない」というのとは大きな違いである。だからと言って親しみやすい政治家が成果を上げるかというと必ずしもそうでもない。

近頃でいえばうまく行った政治家というのは安倍さんのような戦闘的かつフレンドリーで敵は多いが人を惹きつけるタイプ、岸田さんのようなリベラルな風貌でなんとなく人を丸め込みながら周りを出し抜いてキエフを訪問するようなある意味で非常に実行力を持ったタイプ、という感じになっている。小泉さんのようなぶっ壊し屋が持て囃されるときはあったが、彼も人事においては安倍さんを幹事長や官房長官に抜擢するなど、石原慎太郎氏を唸らせるような手腕を見せていた。

フレンドリーだが、実力はかけねなし、というのがやはり栗山監督であったわけで、こうしたタイプがある種日本の指導者の新たなスタンダードになっていく感じがした。

日本代表ファンとしても、北海道日本ハムファイターズファンとしても、大変幸せな1日だった。ありがとうございました。そしておめでとうございました。


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