自民党の危機意識の薄さ:保守・積極財政でないと危機は乗り越えられない/中国発の偽情報/語られないイタリア人ディアスポラと南部イタリアの困難/環境整備

Posted at 25/07/02

7月2日(水)曇りのち雨

昨日は午前中いろいろなものを片付けたり本を整理したり。実家にいるときは自分が使う本などを自分の周りに置いているのだが、自分の部屋ではないので本棚とかにうまく収めることができず、散らかってしまう。小さな本立てを椅子の上に置いてそこに「ふつうの軽音部」の1−7巻をおいておいたりはしているが、文章を書くために集めてきたいろいろな本とかは結局積んでおいておくことになる。実家の方では自分のそういう作業のためには少し離れたところにある作業場をずっと20年以上前から使っているのだが、最近は実家の居間の方がものを書いたりするには集中しやすくなっているのでこちらで書いている。基本的には作業場の方が自分の必要なものや好きなものに囲まれているのでいやすいことはいやすいのだが、特にものを書くときには外の音などが気になることが多い。難しいところだ。

そういうわけで自分の部屋でないところで作業をしているので本などを整理して置きにくいということになる。基本的には座敷なので、床の間や違棚に本を置くのも何だし、本棚とかもあまり本格的なものは起きにくい。父がやたらと蔵書のある人だったので今でも家中に本は溢れているのだが、その本の整理にも手をつけかねている。自分の本でも整理しきれてないのが現状ということもあるし。下座敷はそれでも生活空間になるようにはしているのだけど、上座敷は洋服やら新聞やら雑誌やら書類やらの置き場になっていて、兄弟や甥姪たち、母が帰ってくるときには全部片付けなければいけない。高校生の時は2階の部屋を使っていたが、今は寝室にしている部屋以外は父や母のものが溢れていて使いにくい。だから東京に帰ると本当に自分の部屋という感じで落ち着く(上の階や隣の部屋が時々物音が気になることはあるが)のだが、あまり帰れていないのが現状だなと思う。

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昨日は午前中は借りていた「近代イタリアの歴史」を市立図書館に返しに行ったくらいなのだが、イタリア統一の経緯やその後の南部問題など、またイタリア社会党(ミラノ・リミニ・ジェノバが起源)と社会党の中心の1人だったムソリーニが直接行動派を中心に作ったファシスタ党、など、調べたいことはたくさんあるなと思った。

もともと両シチリア王国の併合はカヴールは考えていなかったのが、ガリバルディが征服してしまったためにイタリア王国の一部にせざるを得なくなったという話は以前読んだことがあったが、そのボタンの掛け違いから、封建的諸制度が廃止された南部では貴族や教会の大土地所有は形式上は終わったが農民への土地所有の移行は十分には行われず、分益小作制(share-cropping)が続き、土地を得ることができず、農民たちのイタリア王国政府への不満が犯行に結びつき、それを王国政府が「山賊狩り」と称して弾圧したために王国政府と南部農民たちの間に決定的な断絶が生まれてしまったこと、また土地を得られなかった多くの農民たちが移民として大挙して新大陸に渡ったということである。

https://en.wikipedia.org/wiki/Italian_diaspora

これは「Italian diaspora」と呼ばれるが、第一次世界大戦前までに1600万人が移住し、1985年までに2900万人が移住したのだという。そのうち1000万人はイタリアに戻ったが、1900万人は海外で永住しているのだという。イタリアの人口は今でも6000万人弱だから、これはかなりの数だというべきだろう。ここまでの規模だというのはあまり認識していなかったし、日本では世界史などでもあまり教えられていないのではないかと思う。当然ながら、イタリア南部の発展や経済成長にかなりのダメージを与えたであろうことは想像に難くない。

南部で政府を信用しない気風が高まったことは、当然ながらマフィアやカモッラなどの犯罪組織の伸長にもプラスになっただろう。ファシスタ政権時代のチェーザレ・モーリは徹底的にシチリアのマフィアを弾圧したことで知られるが、連合軍は南イタリア上陸後むしろ彼らを利用したらしく、戦後のイタリア政界の宿痾の一つともなり、モーロ首相が暗殺されたり、アンドレオッティ首相との関係が取り沙汰されたりということにもつながる。

イタリア人の南米への移民というと有名なのは1880年代に書かれた「クオレ」に出てきてカルピスでアニメ化もされている「母を訪ねて三千里」のエピソードだが、マルコは北西部のジェノバの子供で母親がアルゼンチンに働きに行くわけだが、これもこうした移民群のエピソードの一つではあるけれども、典型的な南部の農民たちとは少し事情が違うので参考にならない部分もあるだろう。

イタリアでは戦後になっても「南部問題」は残ったわけだが、北部のトスカナ語を母体にした標準イタリア語と、南部のシチリア語とでは実はかなり言語系統が違うのだけど、通じないわけではないから一般にはシチリア語はイタリア語の「方言」とみなされていて、標準語を話せない人たちという差別もあったというのはうーんと思った。以前読んだ「ナポリのマラドーナ」なども読み返してみないとなと思ったりした。ファシズムの例だけでなく、イタリアというのは興味深くはあるが難しいところも多いなと改めて思った。

また今回も英語版のWikipediaがかなり参考になったが、日本語での研究本も出てくると良いなとは思う。

***

https://x.com/SugioNIDS/status/1940046060963209720

高橋杉雄さんのツイートで紹介されていた「中国初の偽情報」という文書の内容が興味深かった。

https://www.mod.go.jp/j/approach/defense/infowarfare/pdf/infowarfare.pdf

こういうものは主に動画で配信されているようだが、中国語の情報だとそれは中国人・中国系に拡散されるので、そういう場面で日本が不当に不利になる場合もあるから、対抗的に正しい情報を出していくことは重要だと思った。これは「認知戦」と呼ばれるようだが、ウクライナ関係の偽情報をロシアが盛んに出しているように、中国も日本に対して敵視していることはこういうことでも明確に伺われるなと思う。中国やロシアに接近の動きを見せている政治家にはそういう点においても要注意であるなと思う。それが自民党であるのも困った話なのだが。

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国会も終わり参議院議員通常選挙も近づき、各党の政治的主張が活発になっているが、首相周辺がズレた認識を示しているということがTwitterで話題になっていた。

https://www.yomiuri.co.jp/election/sangiin/20250630-OYT1T50163/

https://x.com/SatoMasahisa/status/1939666000640975184

これは佐藤さんのいう通りだと思う。自民党の支持が減り、国民民主党や参政党に支持が流れれているのは、彼らの主張が共感を得ているという以前に、自民党自身に問題があるからだということがきちんと認識されていないのは困ったことだと思った。

一番大事なことは、「自民党がリベラル政策をやってもリベラル票は来ない、保守票は逃げる」ということである。自民党はもともと左右のウイングが広い政党ではあったが、その中で「左右のバランスを取る」というようなことをいまだに岸田ー石破ラインはやっているということなのだろう。安倍で右に振れたから左に振るのがいい、というような考えで。しかしこうした考えは現状にあっていない、新自由主義時代が終わり、世界がトランプ時代に突入する中で左や親中親露派、緊縮財政派に振れることの深刻な意味が認識されていないのだと思う。端的に言えばアナクロニズムの発想である。

はっきり言えば、安倍長期政権によって、自民党は「振れ幅の広い政党」から「保守政党」に、「財務省べったりの緊縮政党」から「財政積極派政党」に「「なった」」のである。だから、リベラル寄りだったり緊縮よりだったりしたら「「絶対に」」選挙には勝てない。石破さんが左翼にいい顔をする政策を打ち出したらと言って、「安倍氏ね」とか言っていた人たちが自民党に入れるようになるかと言えば、あり得ないだろう。そのことを自民党所属の議員たち自身が理解しないといけないと思う。「君たちはもうリベラルでは生き残れないのだ」と。

前回の岸田政権下の参院選で自民が勝ったのは安倍さんの弔い合戦の側面もあったし、昨年の石破政権下の総選挙では惨敗した。その前の岸田政権下の総選挙では必要議席数は維持はしているが、議席を減らしていることも注目されるべきだろう。安倍政権終了以降、自民党は選挙に負け続けてるのだ、本当は。その辺を直視しないといけないと思う。左派リベラル政党はいくらでもあるのだから、いくら自民党が左派に色目を使ってもそういうものを好む人は自民党に入れるようにはならない。寂れたスーパーでワインを扱ってても、そういうものが欲しい人は専門店か酒屋に行くだろう。

だから、自民党が日和って左にウケがいいことをやり始めたら、当然ながら「保守だから自民党を支持していた人たち」は離れる。その人たちが参政党支持に回ったことを「これだけの支持があるのは脅威だ」などというのはあまりに他人事すぎるだろう。この辺りは岸田ー石破ラインの「目が曇っている」としか言いようがない。

このままいけば参院選で自民党は負けるだろうし、そのときにどのように連立を組むのかはかなり重要な話になってくる。負けた場合は石破さんは交代すべきだろう。国政選挙で二連敗して政権に居座るのはあまりに常軌を逸しているが、まずは流れてしまった保守票が返ってくるような布陣を敷かなければ、未来は危ういだろうと思う。

45年使ってきたアンプが故障/夏越しの祓い/「近代イタリアの歴史」:ヴィーコのデカルト批判とファシズムの起源

Posted at 25/07/01

7月1日(火)晴れ

昨日は早く目が覚めたので散歩がてら家の北側の方を歩いてみる。ぐるっと回って大通りに戻り、ローソン併設のスタンドのガソリンが165円であることを確認して家の裏のローソンでジャンプとヤンマガとスピリッツとオレンジジュースを買って帰った。朝ブログ/noteを書いて朝食を済ませてマンガを少し読み、10時過ぎに家を出て歩いて駅に行って東西線に乗ったが、かなり混んでいた。ピーク時間は外したつもりだったけど、何か運行障害があったようだ。大手町で降りて丸善へ行き、今日出るマンガ探したが、全部平台の上に隣り合って3冊あった。「ありす、宇宙までも」4巻、「Blue Giant Momentum」5巻、「らーめん再遊記」13巻。考えてみたらスピリッツ、ビッグコミック、スペリオールと連載誌の違う3作品だが、それぞれの雑誌のカラーが出た作品だと言えるなと思ったり。

少し時間があるし地元の図書館に返す本を読み切ってなかったので久しぶりに3階の丸善カフェに入り、電車を見ながらバニラシフォンケーキとコーヒー。近代の図書館の歴史をざっと追った感じになったが、国会図書館や東大図書館など大きな図書館についての記述がなかったのが残念。明治から昭和にかけての地方の通俗図書館の運動について読んだことがあったが、そのことは書かれていた。いろいろと見ていくと面白そうだと思った。

一通り読み終えて丸善を出て東西線に戻り、いつも降りる駅より一駅先まで乗る。快速が止まらない駅なので途中で降りて普通電車を待つが、どちらも空いていた。外は日差しが強く、日陰を選んで歩く。図書館で本を返却し、そのまま帰途へ。途中で焼きサバ弁当を買い、帰宅。弁当は数が限られているので残っていればいいなと思って行ったら最後の一つだった。帰っていろいろやって、お昼になったので昼食。やはり同じような値段の弁当に比べると和菓子屋の弁当は格段に美味い。

実家の方に戻る準備をしながらバルトークを聞いていたら、いきなりボン!という音がして鳴らなくなった。見てみると、アンプの電源が入らない。これは45年前、私が高3の時に買ってもらったコンポーネントのアンプなのだが、今まで音が変な時はあったけれどもずっと使い続けてきたので、故障したのは痛い。いろいろ調べてみるとアンプの寿命は10年から長くても30年とあり、45年使えたのだから文句は言えないという気もするが、ある種のオーディオの全盛期のものなので、できれば修理したいなと思ったりはしたが、時間も気合もないのでとりあえず今回の帰宅ではいじらないことにして、次回にしっかりそのつもりで臨むことにした。

2時に家を出るつもりだったがそんなゴタゴタもあり、前回エアコンを切り忘れるということもあったのでいろいろ確認してから家を出たら、駐車場を出たのが2時20分を過ぎていて、朝行ったローソン併設のスタンドに行ってみたら、169円になっていた。まあそれでも地元でいれているところより安いからいいかと思っていれたのだが、まあそんなこともあるのかなと。水を買ったりコーヒーを買ったり準備を整えて出発。

高速の入り口が少し混んでいたが、入ったあとは比較的順調。新宿の合流もそれほどではなかったし、完全に動かなくなるような渋滞はなかった。石川PAでトイレ休憩、ただ、昨日は工事が多かった印象。それに途中で止まっている車も2台くらいあった。暑いからだろうか。笹子トンネルの4717メートルの区間がずっと一車線に規制されていたのでゆっくり走行になった。境川PAで休憩したあとはそのまま地元のICまで走り、書店まで走って本を見たり、スーパーで夕食を買って、そのままヤマトの営業所まで走って届け物を取りに行った。混雑していたのはむしろ下道に降りてからだったな、と思う。そのまま帰宅、ご飯を炊いて、その間にネットを見るなどし、録画機のHDが残量不足になってきていたのでBDに2枚分ダビングしてその分を消去するなどしていた。

BDも50GB録画できるとほぼまるまる12回分録画できるので便利なのだが、25GBに比べるとかなり高いので最近は25GBを使っている。こちらも国内生産中止の声が聴かれるようになってきたので、いつまでそれで続けられるか。他国よりCDが今でも飼われているように、日本人はモノとして所有することへのこだわりがあるから、なくならないとは思うのだが。今でもカセットテープは現役だし。

夜10時過ぎてからそう言えば今日は夏越しの祓の日だというのを思い出し、近くの神社に歩いて行って茅の輪くぐりをしてきた。今年の上半期もいろいろあってなんだか邪気が溜まっている感じもしたので、これで少しは祓われて英気を呼び込んで、運気が向上するといいのだがなと思った。

東京では除湿をかけて寝ても寝苦しい感じで眠りは浅かったが、こちらでも夜は2階はムッと空気がこもっている感じがし、ただもう夜だから窓を開けるわけにもいかずにそのままにしておいて、11時ごろには就寝。やはりちょっと蒸し暑かった。

四時ごろ起きてゴミをまとめたり庭の草を少し刈ったり。5時半頃出かけてゴミを出して、少し離れたセブンまで車を走らせてコーヒーを買い、そのまま走っている間にそう言えば6月分の〆をするつもりだったことを思い出し、職場に行って領収書や請求書などをまとめ、帰ってきてからレシート類などをまとめた。最近早朝にこういう仕事をすることが多い。

***

「近代イタリアの歴史」も返却期限が今日なので今少し読んでいるが、まだ250ページほど残っているのでざっと読む、という感じにもいかなそうだ。

イタリアで新興勢力であるサヴォイア公国がサルデーニャ王の王号を獲得したのが1720年、これはスペイン継承戦争の後始末の一環で、一旦シチリアの領有を認められたサヴォイア家がスペインに奪還されたあと、代わりにサルデーニャを獲得してシチリアがオーストリア領になるという経緯があった。ピエモンテでは統計の整備が進められ、財政基盤と常備軍制度を整えたが、これは小規模な絶対主義体制を目指すもので啓蒙専制主義というヨーロッパの新動向とは関わりはなかったという。プロイセンがポーランドから独立してプロイセン王国を称するのが1701年だから、後の独伊の統一国家を達成する二つの領邦国家はいずれも18世紀初めに王を称したのだなと理解。

18世紀のナポリは王なき宮廷の繁栄により文化が栄え、その中には「ナポリ王国文明史」のジャンノーネや「新しい学」のヴィーコがいた。ヴィーコはデカルト批判で知られるが、「真理は作られたものである」というテーゼでも知られる。つまり、「地球が太陽の周りを回っている」という「真理」は人間がそれを認識できるようになって初めて真理になった、ということで、まだ発見されていない真理は真理(として人間が用い得るもの)ではない。デカルト的設計主義というのは自分たちが認識した「真理」に基づいて科学や社会を設計しようとするもので、問題が多い。人間が無から行動を起こした歴史にこそ、人間の社会について考えるべき内容がある、と自分としては解釈している。これはあらゆる進歩主義と保守主義の対立の場面に出てくる考え方の対立の原点だと言えるだろう。

そのほか18世紀イタリアの啓蒙主義の時代は面白いが読みきれないのでまた改めて借りて読んでみたい。元々はファシズムの起源について調べるつもりだったのだが、産業革命以降を考えればいいということかもしれないとは思った。この本では1814-61、つまりウィーン会議からイタリア王国の成立までを「リソルジメント時代」としてまとめて政治史的に書いていて、統一以後を「自由主義の時代」として書いているのだが、かなり多くの部分を「南部問題」に費やしている。この時代からの工業化、資本家・労働者の階層分化その他について書かれたものを読まないといけないかなとは思った。


エアコン/ことわざ:言葉の持つ呪力と文化的古層に届く力、保守の再構築への可能性/CDを買う

Posted at 25/06/30

6月30日(月)晴れ

昨日は3時に起きたので、早めにいろいろやってブログ/noteも6時には書けたので早めに東京に帰ろうと準備していたのだが、結局出たのは9時ごろになり、すでに道が混み始めていてトイレに職場によったりしたのでインターに入ったのが9時半くらいになった。思ったより車が多く、もう少し早く出ればよかったなと思ったが、八ヶ岳PAでトイレ休憩、境川PAでソースカツ弁当を買って石川PAまで走る。都内に入って高井戸の手前あたりから少し混んでいたが新宿を過ぎたら空いて、あとは割合順調に帰着したが、思ったよりは遅くなり、ご飯を食べて一休みしていたらもう1時を過ぎていた。

帰って室内が結構涼しかったので気が付いたのだが、2週間前に家を出たときにエアコンを切り忘れていて、13日間26度で運転しっぱなしだった。慌てて東京電力のサイトを調べたが、次回の電気代はいつもと同じくらい。検針日は切り忘れて三日後くらいだから、10日分が8月最初の電気代に計上されることになる。あまり高くないとよいのだが。注意しないといけない。

日比谷図書館と地元の図書館に返す本があったので本を2冊持って出かける。暑いので最寄りのバス停でバスに乗り、門前仲町で降りて東西線に乗って大手町で乗り換え、霞が関で降りて日比谷公園側の出口で出た。公園の入り口に警察官が10人くらいいて物々しいなと思ったのだが、野音の前を通って図書館に行って、全部は読めてなかったのでざっと目を通す。

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「ことわざの力 救済と解放」。カイヨワの「聖俗遊」の概念に基づくことわざについての考え方がへえっと思った。柳田國男や折口信夫、白川静が引用されて、ことわざというものがある種の呪力を持つものである、ということが言われているのだが、柳田が「苦労する人の心を慰め、沈んでいる者に元気をつけ、怒ろうとしている者にきげんを直させ、また退屈する者を笑わせる方法としてかつてわれわれのことわざがしていただけの為事(しごと)を、代ってするものはほかにないのであります。」というのは、まるで紀貫之の「古今集仮名序」で「ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり」というくだりを思い起こさせる。もちろん、「言葉の力」というものが大きいということは同じなのだけど、「ことわざの力の評価」というものに関しては、現代ではかなり低下しているよなと思った。このあたりは変えていくべきところがあるのかもしれない。

https://x.com/africakotowaza/status/1492333800369848322

ことわざに関しては、アフリカは非常に多くのことわざがあって使われている地域だ、というのは聞いたことがあったのだが(ツイッターにもアフリカのことわざというアカウントがある)そういわれて見ればそうだ、とクスッとしてしまうようなことわざが多い。「呪文」というものは人間に聞かせるものではなく神や呪力を持つものに呼びかけるものだけど、「ことわざ」は人間に呼びかける呪文のようなものと考えるべきだなと思った。

アフリカではことわざをよく知っていてそれを会話の中で駆使できるものが「よく話すもの(だったかな)」みたいな言い方があるそうなのだが、それが連綿と民族に受け継がれてきた知恵のようなもので、おばあちゃんの知恵袋的な部分ともっと古くの祖先からの警告みたいなものの意味もあるのだろう。白川静は「ことわざのわざは災禍を意味する言葉だから、成句にされたのはその呪能を高めるためで、もともとは神の、あるいは神に対するためのものであったのがその古代的性格が失われて箴言のたぐいになった」と言っていて、われわれの世間、私たちの国の文化的古層に達するためには「ことわざの力」というのはある種の大きな手段になる可能性はあるなと思った。

そういうものが現代教育でだんだん軽視されてきているのは、新しい世界に対応するために古いものを捨てていくという考えがあるからなのだろうけど、「自己がなければ他者と出会えない」と加藤典洋さんがいうように、日本人としての自己を確立するための言語的基礎として国語教育においてことわざはもう少し重視した方がいいのではないかと思った。

ちゃんと読んだらもっと面白かったなと今書いてみて思っているが、日本における保守という思想の再構築においてもことわざや和歌、俳句のような「短い言葉」が手掛かり足がかりになる面はあるのではないかと思った。

***

ざっと読み終えてからカウンターで返却し、図書館を出てまた丸ノ内線側の出口に来たら、今度は機動隊の服装をした警察官が20人くらい並んでいて、余計物々しくなっていたのだが、何があったのかはよくわからない。そのまま地下鉄で大手町に出て半蔵門線に乗り換え、神保町に出る。書泉ブックマートでマンガフロアを一巡し、東京堂書店で少し本を見て、文房堂の喫茶室へ行ったが何となく混んでいるのでやめて、ディスクユニオンで何かレコードを買おうと思って行ってみたらフロアが閉鎖されていて、え、閉店?となった。御茶ノ水の方に行けばほかの店があるのは知っているが、結構安く掘り出し物を買えたからこの店舗は好きだったのだが。

さてどうしようと思ってアットワンダーをのぞいたら店頭でCDのワゴンセールをやっていて、2枚で550円だったのでモーツァルトピアノ協奏曲26番(演奏カザドシュ・指揮セル)と23番(バレンボイム指揮と演奏)と、シフ演奏フィッシャー指揮のバルトークのピアノ協奏曲1~3番の2枚を買った。モーツァルトの方だけすでに聞いてみた(というか寝るときにかけていたら寝落ちした)のだがよかった。そのまま新御茶ノ水まで歩いて千代田線で大手町に出、東西線で地元に戻って銀行で記帳し、スーパーで夕食の買い物をして帰った。夜はイェーガーマイスターを飲んだり地元の図書館で借りた本を少し読んだりして就寝。

「江藤淳と加藤典洋」:私が感じた違和感と戦後民主主義に対する期待の無さ/日本人としての自己の確立と戦争と全共闘闘争/イスラエルのガザ虐殺と「良いジャップは死んだジャップだけ」

Posted at 25/06/29

6月29日(日)晴れ

昨日は日中は30度には届かなかったようだが、かなり暑くなっていた。私は午後は屋内にいたのでそれほど暑くは感じなかったが、午前中に車で移動している時に車の中の室温がかなり高くなっていて、これは暑いなとは思った。この時期は基本的に窓を開けて走るけれども、逆に言えばだからこその爽快さもある。オープンカーで走る人を見ていると雨の時のことをどれくらい考えているのかとは思うが、あの爽快さが欲しいという気持ちはわかるなとは思う。

午前中は家の中でいろいろやった後車で出かけて銀行で何冊か記帳して、西友へ行ってお昼を買い、郵便局でやはり記帳して、クリーニングを取りに行って家に帰った。

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與那覇潤「江藤淳と加藤典洋」に対する違和感というのは結局、私が「戦後民主主義」というものに期待を持ったことがほとんどない、というところにあるんだろうなと思う。まだ共産主義や社会主義の方に期待があったんだろう。

これは何度か書いているが、私は小学校の頃に学級委員とか児童会役員とかやらされたせいで民主主義というものに関心を持っていたのだが、「民主主義がなぜ正しいのか」は小学生の頃は理解できなかった。大人になればわかるのかな、みたいな感じだった。

中学の公民で民主主義について学ぶわけだが、社会契約論=ホッブズ・ロック・ルソーとか三権分立=モンテスキューなど名前は学ぶけれども「民主主義はなぜ正しいのか」という疑問は解決せず。結局中高時代は「よくわからないが皆が正しいと言ってるから合わせとけ」みたいな感じでやり過ごした。

高校時代に倫理社会で代表民主制理論だけでなくベンサムの功利主義やマルクス主義なども学ぶわけで、特にカント・ヘーゲル・マルクスにつながる弁証法的な社会改革のダイナミズムみたいなものにはある程度は幻惑された気がする。しかしそれは民主主義の延長線上にあるとは感じられなかった。

自分にとってはマルクスの理論もナチスの理論もそんなに変わったものには見えなかったがナチスはすでに滅びていたからくそみそに言われていたけどソ連はまだあったから幻想的な「今日のソ連邦」みたいなグラフ誌を読んで楽しそうに見えるけど嘘っぽいな、とは思っていた。

民主主義について、というか特に社会契約説について正しいのかの結論が出たのは国家論として契約国家論以外に国家有機体説や法人国家説というものがあることを知ったことが大きく、これはもう年を食ってからのことだが、契約国家説がワンノブゼムであることを知ったことによってようやく腑に落ちた。

「人権」というのが近代に生まれた思想であって歴史的に見れば普遍的なものではない、ということが理解できたのは呉智英さんの著作の力が大きく、大学生の頃にはすでに理解していたが、国家論についてはもう少し後だったと思う。このあたりが相対化出来てようやく小学生以来の「戦後民主主義の呪縛」から逃れることができた、という感じだった。

で、それでは自分はどの思想を選ぶか、みたいなことがようやくできるようになって、それでも民主主義がいいのかな・・みたいになってはいたのだが、社会党政権のときに阪神大震災とオウム真理教事件が起こり、左派の大臣や議員が全く無能であったことで左派に対する信頼感が一気に失われ、関心が消失した。

そのころ勢いがあった思想と言えば小林よしのりさんだったわけだが、彼と彼と論争していた西部邁さんなどに関心を持ち、更に保守系の論者の本をいろいろ読み、戦前以来の右翼思想なども読んでいくうちに戦後民主主義よりこちらの方がアリなんじゃないかという気がしてきた、というところかなと思う。

私にとっては戦後民主主義はもともと相対化したいものだったので信奉していた時代はほぼないからそれへの郷愁というもの自体はほぼない。戦前を悪魔化し戦後のみが清廉潔白なんだ、という風潮には同意できないものは感じていた。

ただ学生のときとかは、「こんなこと言ったらまずいだろうな」というのは強く感じていたので、今考えるとそこまで考えていたなら日本近代史で伊藤隆先生についたり政治思想史とか学べばよかったと思わないでもないのだが、そういうことを言ったらヤバいと思っていた。そういう意味で自己検閲を行っていたなと思う。

若いころはいくらでも時間があるから自分でよく考えて自分の考えがはっきりしてきてからより深く勉強し研究していけばいいと思ってほかに興味のあることにいろいろ手を出したりしていたわけだけど、この年になってみると今からできることには限りがあるわけで、本当に風呂敷を広げすぎたなとは思うけれども、まあ思ってみるとそんなに後悔はしてないな、とも思う。狭い守備範囲で狭い範囲をつついていても多分そのうち限界に達していただろうとは思うし、今でいうキャリア意識が低すぎたとは思うが、まあ今からでも仕上げればいいかという気もしなくはない。

まあ與那覇さんの本を読んで久しぶりに「自分の感じていることを正直に言えない左派言論空間の苦しさ」みたいなものを感じさせられたのがこの本に対する感想になる、というか吉本みたいな人はともかく加藤典洋氏とかが本当に自分の言ってることが正しいとどこまで確信を持って言えているのだろうかという風に感じられたところもあって、その辺にまた息苦しさを感じてはいるんだろうなと思う。

私は何度も繰り返しになるが小林秀雄の「ぼくはバカだから反省なぞしない。悧巧な奴らはたんと反省するがいいさ」という意思を受け継ぎたいという感じなので、このスコンと抜けた戦前肯定のさわやかな発言が左派にできるまではあまり関心は持てない感じはやはりあるんだよなと改めて思った。

***

ただ、加藤さんの言っていることが少しはわかる、と感じたところが與那覇さんの本の中にも一箇所あって、それは248ページの後半、「日本人は責任を取れ」と言っている他者がいるのに「まずは日本人の戦死者とつながる自己を確立してから」というのは不道徳だという高橋哲哉(「靖国問題」などの著書がある)氏の批判に対し、加藤氏が「高橋は自己を作るのは他者との出会いだ、と言っており、私は自己がなければ他者に会えない、と言っている」と応じたというところで、このことに関して言えば加藤さんの方がはるかにまともだと思う。

日本人は戦前や戦争というものに戦後まともに付き合ってきてないのだから、他者の糾弾に対しても正面から受け止められるはずはなく、日本人の戦死者たちと向き合うこと、つまり自分ごととしての戦争を知らなければ、ということはあるだろう。

そして、287ページの全共闘の闘争の時の仲間達との議論の中で、なぜ自分たちが闘うかについて、「面白いから」という意見に賛同していたということが書かれていた。つまり、闘争は「面白く、美しく、正しく、気持ちよく、社会の変革や理不尽なことを是正したいという公共的な意欲と、面白く素敵なことをしていると気持ちがいいという私的な喜びが一つになったもの」だというようなことを言っている。

戦争に従事した日本人の多くは、もちろん戦闘の困難さの中で疲弊した兵士たちも多く、そういうことばかりが最近は語られるが、昔の戦争ネタの映画などはもっと勇敢だったりナンセンスだったりしたわけで、「全共闘の闘争が楽しかったように、日本の戦争も楽しかった」という一面はあっただろうと思う。全共闘の闘士の多くは生き残って、湾岸戦争反対や反原発運動や「アベシネ」運動で盛り上がって現代人からは迷惑だと思われているけれども、基本的に「闘争の楽しさを忘れられなかった」人たちなわけで、そういう意味では戦争が終わってからも部隊で集まって軍歌を大声で歌っていた戦中派の人々と基本的には変わらない。というか、そういう光景が戦中派の老人たちがほとんど亡くなってしまったために、その戦争に参加した人々の姿というもの自体を見られなくなったということも、現代における戦争の理解しにくさにもつながっているのだろうと思う。

そこのところは、小林よしのり「戦争論」にははっきりと書かれていて、「戦争は楽しい面もあった!」というところが描かれている。これは不謹慎だと当時相当攻撃されたように思ったが、スポーツで戦うのは楽しいわけだしマンガでもバトルものがいまだにジャンプの柱であるように、戦争に楽しいという側面があるのは否定できないと思う。私はそういうものを楽しむタイプかというとどうかなとは思うが、しかしそれを無視するのはおかしいだろうとは思う。

少なくともそういうことを踏まえた上で、「うちの爺さん達やその上の世代の人たちがいろいろご迷惑をおかけしましたけど、もう賠償は終わってますんでまあこれで」みたいに済ませるのが健全だろうし、迷惑ということでいえば戦勝国が日本に与えた損害も相当迷惑だったわけだから、本来それはそれで支払って欲しいところだがまあ原爆を落としたことくらいはやりすぎだったと思って欲しいね、という感じのことなんだろうと思う。

しかしイスラエル(やアメリカ)の論調を見ていると、ハマスにやられたことでほとんど発狂しているとしか思えない状態になっているわけで、まあ戦争というのは、特にイスラエルのような特殊な成り立ちの国家にとっては1人を守るために一億人を殺しても構わないといいうものなのだなと思うし、まあその延長線上にあるのが「良いジャップは死んだジャップだけだ」というような人を人とも思わない発言につながるんだろうなと思う。ちなみにこの言葉は「良いインディアンは死んだインディアンだけだ」という西部開拓時代の発言のもじりである。

ということを書いていて思ったが、ウクライナ戦争が始まった時にロシアのやっていることについて、戦前に日本軍が中国でやっていたことに似ている側面が結構あるなと思って割と憂鬱なものを感じていたのだけど、今のガザ戦争や中東の戦争のイスラエルのやっていることに関しては、第二次世界大戦の時のアメリカのやっていたことに似ている面が多いなと思った。911の後のアフガン戦争・イラク戦争なども同じようなパターンではあるけれども、やはりアメリカも学んだというかなるべく限定的なやり方を選択しているようには見える。イスラエルのガザにおける殲滅戦のやり方はそれよりかなり感情的であるように見える。

加藤さんが「敗戦後論」を書いた時よりも例えに出せる戦争がはるかに増えてしまったのは世界にとって不幸なことだとは思うが、逆に言えば日本の戦争を相対化するための材料はより多く出てきたということでもある。戦争について、より冷静に考えていけるようになると良いとは思っている。


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by Luke Peterson

2025年07月

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