状況把握以前に問題と感じている意識が重要/ウクライナ平和監視と中国/「ふつうの軽音部」における修行(4):弾き語りとバイトと旧約版
Posted at 25/03/23
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3月23日(日)晴れ
今朝の最低気温は7.7度、だいぶ暖かいはずなのだが、やはり家の中にいると薄寒い。昨日は早めに寝て4時ごろ目が覚めて、それからいろいろ考えたり「ふつうの軽音部」の番外編更新と「人気キャラクター投票結果発表」を読んだりして、5時半ごろ出かけて少しドライブした。
どこに行くという当てもなかったのだけど占いが火地晋の初爻だったので南西か南の方角がいいかなと思い、Googleマップで南の方角に見当をつけて行ってみたのだが、うちの近くでは北北西から南南東に向かって国道が走っていて、それを自分の頭の中では東西に捉えてしまっているところがあるので方角の感覚があまりよくわからなくて、だいぶ南西の方まで行ってから新道を通って古い道との交差点にあるファミマまで行ってそこで缶カフェオレを買って帰ってきた。
運転しながらいろいろなことを考えたが、まあ特に取り止めのないことが多かった。だいぶ東寄りに行きすぎたかなと思ったのだけど今地図で確認したら真南より結構西にずれていてまさに南西と南の間、南南西に位置していたのでまあよかったかなと思う。少しは運気が上昇したらいいのだが。
自分の現状を書き出そうと思って何かうまく出てこないので、まずは自分が今問題に感じていることから書こうと思って書き出したら結構出てきた。KJ法的にいうと第1ラウンドが問題提起ラウンド、第2ラウンドが状況把握ラウンドということになるので状況把握より前に問題意識をはっきりさせる必要があるのだけど、自分自身が「状況・現状」と感じていることが実は自分から見た主観的な問題意識なんだなと感じて、なるほどそういう意味ではまず問題意識、自分としては客観情勢だと思っていることまで含めて問題意識として出してみて、そこから改めて客観情勢の把握に入る方がやり方としては正しいなと思った。客観情勢だと思っているけど実は自分の意識の問題、ということは実際には結構ある気がした。
***
ウクライナの停戦に向けて中国が平和維持部隊に参加することを打診しているというのを読んだが、中国担当部分が穴になる可能性はあるにしても、西側諸国だけが停戦監視にあたるのではロシアは受け入れないだろうから、まあ必要悪としてはしょうがないかなという気もする。中国としてもロシアにも西側にもいい顔をするにはチャンスだとは言えるので、win-winというか痛み分けという感じもしなくはない。日本も舞台を派遣する手はあるとは思うが、中国は嫌がるだろうなという気もする。まあロシアが認めない可能性も強いが。
***
「ふつうの軽音部」:初ライブでの挫折を経ての修行パート入り、というところまで昨日書いた。今日は(4)。
夏休み初日の初ライブでの挫折の後、ちひろは一日休んで3日目から永井公園(長居公園だろう)にギター(テレキャス)を背負って弾き語りに出かける。2巻16話「ボーカルになる」の83ページから87ページにかけての独白でシンプルに心情が語られる。
実は、ちひろは子供の頃からロックバンドのギターボーカルに憧れていた。そのコマではナンバーガールの向井秀徳が描かれている。ちひろが最初にテレキャスターを選んで買ったのも、向井が使っているからという理由だった。しかし中学の時にカラオケで声を悪く言われて傷つき、考えないようにしていた。
だから、誰もいない視聴覚室での熱唱を厘に聞かれ、厘がちひろをボーカルにした新しいバンドを作ろうと言った時も、やりたくないのに無理矢理やらされることになった、みたいな顔をしていたけれども、本当は「死ぬほど嬉しかった」のだという。
だから、結局「本当は嬉しいのにやらされていると演じる衒い」みたいなものが残っていたからなのか、中途半端な姿勢で初ライブに臨むことになり、「みんなの期待を裏切ってしまいました」という。
昨日も書いたけれども、初心者のギターとしてなんとなくバンドに加わるというのと、ギターボーカル、つまりバンドの中心としての責任を持って、「みんなに期待されて」歌い演奏するためには、自分には「自信が足りなすぎる」と思ったわけである。
そして「弾き語り修行」をすることで、「この夏休みで自分はボーカルなんだと胸を張って言えるだけの自信をつけたいのです」と自分に宣言したわけである。
そして「夏休みが終わるまでこの永井公園で毎日弾き語り修行だ!」と気合を入れ、「やってやる・・・!!今日から私はボーカルだ!!」という決意で弾き語りを始めるわけである。
ボーカルというのは、いうまでもなくバンドの顔だし、そのボーカルがどういう性質でどういう力を持っているかでバンドの方向性も実力も測られるところがある。ちひろはギターも下手だが何よりボーカルとしてのちひろの声に動かされた厘が策略をめぐらし、歌を聴いた桃が感動してバンドとして生まれようとしているわけだから、ちひろが自分自身がまずボーカルとしての自信を持てるようにならないとダメだ、と決意したのは正しい判断だろうと思う。
そしてその練習がボイストレーニングを受けるとかボーカル教室に通うとかではなく、まあ母子家庭のちひろにそんな余裕はないわけだが、公園で弾き語りをして度胸づけをする、「知り合いに見られたら恥ずかしい?そんなの知るか!!」というノリで恥ずかしがらずに歌えるようになる特訓をする、修行をするという判断は正しかっただろう。
そしてこのボーカル・弾き語り修行は25話「バンドを結成する」まで一続きの話として続くわけだが、その中でも新しい人間関係も生まれ、また同じ中学の出身者とも新たな関係が生まれたりもする。私は漫画の展開の中でも比較的修行パートというものは好きであることが多いのだが、特に「ふつうの軽音部」の修行パートは好きだ。というのは、この「修行」は「新しいワザを獲得する」とかではなく「経験を積んでいく」ことなので、弾き語りの場面を描かれる中で「固定ファン」が生まれたり自分の演奏上の弱点に気づいて家でギターの練習を積み重ねたり、歌うこと自体が楽しくなってきたり、矢賀に陣中見舞いに来てもらったりし、18話で修行の中でも一つの転機になる巽玲羽(タツミ・レイハ)との再会につながるわけである。
つまりこの修行というのは経験を積む、特に繰り返し歌い繰り返しギターを練習することで技術を高めるということでもあるが、コンプレックスになっていた「歌うこと」が「楽しい」と感じられるように自分の心境が変化するという重要な転機ともなり、また一方で日本ロックの名作を歌う鳩野が描かれることで読者にも楽曲情報が提供され、「ふつうの軽音部」と「鳩野ちひろの世界」により近づくことが可能になるというおまけもある。私自身、ここを読んでいて初めて聴いて好きなった曲は多く、自分の音楽ライフに新たな世界を開いてくれたこともまた、この作品を大好きになった理由の一つであることは間違いない。
そして修行はそれだけではない。修行その1が弾き語りだとすれば、その2は「町中華でのアルバイト」である。もともとちひろがギターを購入する際に母から借金をしていて、それはバイトで返すという約束になっていた。子供にバイトをさせるというのも一つの教育方針なんだなあと思うが、親から見ても陰キャの鳩野に早めに社会経験を積ませたい、という意識もあったのかもしれない。また自分でやりたいことは自分で稼いだお金でやる、という教育方針も当然あるだろうから、なるほどとは思う。その辺は割とビシバシである。多分別れた鳩野父に対してもビシバシだったのだろうなとも思ってしまうが。
ちひろは例によって安直にバイト先を選び、近所だしどうせ面接で落ちるだろうからと面接に行ったらその日から働くことになってしまって慌てるが、そこで同じ中学でこれから軽音部に入ることになる水尾春一と出会う。
https://rookie.shonenjump.com/series/pGBIkZlifOI
これは周知のことだが、「ふつうの軽音部」はもともと原作者のクワハリさんが「ジャンプルーキー」で書いていた作品で、これは根強い人気を持っていたのだが、作画に出内テツオさんを迎えてジャンププラスで連載することになり、2巻のあたりはまだルーキーで読める内容であったわけである。ファンの間では「旧約」と呼ばれるこのルーキー版では水尾は見るからに端役だったのだが、ちひろとバイト先で同僚という設定を得て、新たなキャラとして登場してきた。
バイトでは「死ぬほど要領の悪い鳩野」は3時間で息も絶え絶えになるが必死で働く。これもまた間違いなく修行なのだが、飄々と働く水尾は鳩野のことを、「中学の時あんな明るい人やったっけ」とか「いつもバイトにギター背負ってくるな」と思ったりしていて、密かに見守っている感を醸し出したりしていて、めざといカップル厨の読者からはかなり注目されるようになる。
本当に間然とするところのない修行パートで、この辺りでも先の展開への期待は高まるばかりであったし、またこの時期は次週が待ちきれなくなってルーキー版もよく読んでいたので、ジャンプラ版ではどのように表現されるのだろうかという種類の期待もあって、この時期で本当にこの作品にハマったのだよなと思う。時期で言えば昨年の3月の終わりから4月にかけてで、あれから1年も経ったのかと思うと感慨が深い。
アサクリ弥助問題が日本では重罪である歴史的理由/「ふつうの軽音部」:ファーストステージの挫折の深い意味と内的必然性(3)/ホメオスタシスとしての「忘却」と「二度手間」
Posted at 25/03/22
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3月22日(土)晴れ
9時10分現在の気温が10度を超えているというのをアプリで見て驚いたのだが、家の中にいると全然そんな感じがしない。毎日忙しくて俺に暇な時間をくれよという感じなのだが、サッシを開けてみると確かに外は明るいし少し風はあるけど寒くはなさそう。暇があれば外作業も少しはしたいなと思うのだが、全然できないうちに毎年のように出遅れていくのだろうなと思う。困ったことである。
朝、職場に行ってこれとこれをやり、ガソリンを入れてパンを買って帰ってこようと思って出かけて、信号待ちのところでふとカバンを探ったらスマホが入っていないのに気づき、何をやっているのかと思う。アプリで7円引きでガソリンを入れるという算段をしていたから、とりあえず職場に出て一つ仕事をやって家に戻ろうと思い、家に帰りかけたところでもう一つの仕事を忘れていることに気づいた。仕方ないのでスマホを撮りに家に戻り、もう一度出直して職場に行ってもう一つの仕事をして、ようやくガソリンを入れに隣町に向かうことになる。
複数の仕事があるとどちらか忘れてしまうことが最近多いのだが、まあ多分記憶容量とかそれを意識する負荷を体が自動的に解除して、負担がある程度以上重くならないようにホメオスタシスが働いているんじゃないかという気がする。時間も体力の二度手間になるのは大変なのだが、頭の機能的には一つのことを終わらせてから次のことをやったほうが楽だという感じはある。母も歳をとってからは銀行に行っても一つの仕事をやったら一度家に帰ってもう一度同じ銀行に出かけて別の仕事をする、みたいなことを言っていたけど、マルチタスクが頭にかける負担というのは若い頃は考えなかったけれども想像以上に重いのではないかと最近思っている。
とりあえずガソリンを入れに隣町のスタンドまで行って、アプリで7円引きのQRコードを出そうとしたら10円引きのコードもあることに気づき、それを使ってリットル177円で入れた。当地で170円台というのは久しぶり(長野県は全国で一番ガソリンが高い)なのだが、本当に暫定税率を廃止してほしいと給油のたびに思う。その声を反映してくれるのは国民民主党だと思っていたのだが、玉木代表がエロ規制をツイートして、みたいなことは昨日も書いたので今日はやめておこう。
今朝は比較的時間があるかと思っていたのだが木曜日が休みだったので今日が資源ごみの日になり、それをやってたりしたら時間が変に潰れてブログに取り掛かるのが遅くなった。
***
「ふつうの軽音部」鳩野ちひろのオリジンとライジング、という話。今日は(3)。一昨日は最初にちひろに声をかけてきた厘と、二つのバンドの解散後にドラムとして桃が加わることになったことを書いた。
作品として読んでいるときにはあまり意識していなかったが、実ははとっちのバンドが組み上がっていく過程で厘が実に大きな働きをしていることに改めて気付かされた。最初は厘は鳩野が「何か違うものを持っている」という印象のみで一緒にバンドを組もうとしていたのが、視聴覚室のandymoriの熱唱を聞いて改めてエンジンがかかり、二つのバンドを解散を促して桃をメンバーに加える。もちろん厘の策略的な動きは嫌われるのだが、そこは鳩野のボーカルの力で桃をその気にさせるわけで、この二つの力のどちらが欠けてもこのストーリーは成り立たないわけである。
そして桃が加わることによってバンド自体に社会性が生まれるというか、陽キャで人付き合いがいい彼女はふつうの意味でグループを引っ張る力がある。まず鳩野のボーカルを皆の前で聴かせたいと思う二人は、ちひろの憧れの玉木先輩をサポートギターに迎え、夏休み前の一年生お披露目ライブに出ることになる。
しかし、これは大きな挫折の体験になるわけである。元々の実力(特にギター)がないのに加え、たまきが忙しいこともあり練習不足で、たまきが加わるということで気分的に盛り上がって主観的には幸せな時間を過ごすのだが、練習の時にすでにたまきも厘も桃もどうもあまり良くないなという感じではあったのがそのまま、鳩野自身としては中途半端な気持ちのままライブに突入してしまうことになる。
ライブが今日という実感、今からという実感もないままステージに立ってしまい、それでも根拠のない楽観で自分を支えていたのが、いざステージに立つということになって極度の緊張のあまりギターを弾くのも忘れていたり、はっと気づいたらもうライブが始まっているという状態で、もう歌だと思って歌い始めるが全然声も出ない。頭の中も真っ白で、ライブが終わっても同情的な拍手がちらほらあるだけという、「最初のステージ」を失敗した、という経験がある人にとってはあまりに刺さりすぎる失敗がそのまま描かれている。
このあたり、私もあまり読みたくないので、「ふつうの軽音部」の単行本自体は5巻とも何度も読み返しているが、この辺りは飛ばすことが多かった。今読み直してみて、実に「ステージの失敗あるある」が手厳しく書かれていて、ステージに立つということがどういうことなのかわかってない状態でステージに立つこと、特にボーカルとして、つまり「主役として」ステージに立つことの悲惨さみたいなことがこれでもかと表現されている感じだった。
「ラ・チッタ・デッラ」の失敗は初心者のギターとしての失敗だからまだあまり意識されていなかったけれども、今回はいわば皆に期待されてのギターボーカルとしてのステージだから、それを担うということがどういうことなのか、どういう気持ちでステージに臨むべきなのかが全然わかってなかった、ということなわけで、責任の重さが段違いなわけである。
こうして書いてみることで鳩野の挫折の意味が自分でもより明らかになったのだが、この挫折体験が鳩野に「夏休み期間中ずっと公園で弾き語りの練習をする」という修行に走らせる。最初読んだ時はこれぞ少年漫画の主人公、という感じだと思ったけれども、まあ唐突にこれだけのことをやるというのがちょっとすごいなと思ってしまったが、「ギターボーカルとしての失敗」という「挫折の意味」を考えてみると、鳩野にしてみたらこれくらいのことはやらないと申しわけが立たないという切羽詰まった、必死の思いであったことが改めて理解できた。
この作品は本当に理解すればするほどその意味の深さにうーんと思わされることが多いのだけど、この「挫折→弾き語り修行」の展開については実はちょっと唐突だなと思っていたところがあった。それが改めて考察してみると圧倒的な内的必然性が感じられて、改めてすごいなと思ってしまった。
鳩野の人生を「幸福な幼年時代」→「両親の離婚という自分に責任のないことをきっかけにした辛い中学生時代という挫折」→「軽音部に入るという決意」という筋で捉えると、幸福な幼年時代に例えるべきラチッタデッラの時代からたまき先輩と一緒にバンドをやるという幸福な時期からギターボーカルとしての最初のステージの大失敗というもう自分にしか責任がない挫折を経て、「ボーカルになるための修行」を始めるというのが並列関係に感じられるけれども、これはより高次な展開をしているある種の螺旋階段として似たようなシーンが繰り返されている、ということなのかもしれないとも思った。
***
アサクリの弥助問題について、納得できる指摘があったので少し書いておくと、日本人はもともと日本の歴史を改変するトンデモフィクションみたいなのは結構好きで、それが歴史理解に変に影響して歴史学者が怒っている、みたいなことはよくあるのだけど、それ自体には基本的に寛容なのだが、しかしそれを「史実だ」とか「史実を理解するのに役にたつ」と言われると絶許になる、ということなのだ、というふうに主張されていて、本当にその通りだなと思った。
司馬遼太郎の描く幕末とかの人物たちを史実だと思ってしまうおじさんたちの「司馬史観」みたいなことが問題になったりはしたが、しかし「これはフィクションなんだ」という前提があるから許せる、みたいなことになっていた。逆に塩野七生「ローマ人の物語」は半分は歴史の人物に対する人物批評みたいなものなので、最新の研究では少し違う解釈になっていても塩野さんの見方が強く現れているから、「史実だと勘違いする」割合がやや上がってそれで非難する人たちが出てきた、という感じがあった。あれは私は「塩野さんの言ってることは言ってること、ローマ史をちゃんと学びたいなら歴史学者の書いたものを読むべき」と思っていたけど「ローマ史を学ぶために塩野さんを読む」という横着が高齢世代を中心にかなり強かったために塩野さんが非難されるというとばっちりを受けたのだと思う。
UBIソフトがアサクリについて「歴史を学べる」みたいな感じで売ろうとした(しかもDEIの主張も強力に抉じ入れて)ことがそういう意味では日本人にとっては最悪なのであって、「聖徳太子を知るために「日出処の天子」を読む」みたいなフィクションと歴史をごっちゃにする「重罪」を公式がやろうとしていることに日本人は強く反発したということなので、日本における「歴史をネタにしたフィクション」と「歴史学」の相当な緊張関係がフランス人や他の国の人たちには理解できていない、ということもまた双方の隔たりの原因にはあるのかなとは思った。
***
ウクライナやガザのことについても書きたいことはあるが時間がないので今日はここまでで。
アサクリ弥助問題が日本では重罪である歴史的理由/「ふつうの軽音部」:ファーストステージの挫折の深い意味と内的必然性(3)/ホメオスタシスとしての「忘却」と「二度手間」
Posted at 25/03/22
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3月22日(土)晴れ
9時10分現在の気温が10度を超えているというのをアプリで見て驚いたのだが、家の中にいると全然そんな感じがしない。毎日忙しくて俺に暇な時間をくれよという感じなのだが、サッシを開けてみると確かに外は明るいし少し風はあるけど寒くはなさそう。暇があれば外作業も少しはしたいなと思うのだが、全然できないうちに毎年のように出遅れていくのだろうなと思う。困ったことである。
朝、職場に行ってこれとこれをやり、ガソリンを入れてパンを買って帰ってこようと思って出かけて、信号待ちのところでふとカバンを探ったらスマホが入っていないのに気づき、何をやっているのかと思う。アプリで7円引きでガソリンを入れるという算段をしていたから、とりあえず職場に出て一つ仕事をやって家に戻ろうと思い、家に帰りかけたところでもう一つの仕事を忘れていることに気づいた。仕方ないのでスマホを撮りに家に戻り、もう一度出直して職場に行ってもう一つの仕事をして、ようやくガソリンを入れに隣町に向かうことになる。
複数の仕事があるとどちらか忘れてしまうことが最近多いのだが、まあ多分記憶容量とかそれを意識する負荷を体が自動的に解除して、負担がある程度以上重くならないようにホメオスタシスが働いているんじゃないかという気がする。時間も体力の二度手間になるのは大変なのだが、頭の機能的には一つのことを終わらせてから次のことをやったほうが楽だという感じはある。母も歳をとってからは銀行に行っても一つの仕事をやったら一度家に帰ってもう一度同じ銀行に出かけて別の仕事をする、みたいなことを言っていたけど、マルチタスクが頭にかける負担というのは若い頃は考えなかったけれども想像以上に重いのではないかと最近思っている。
とりあえずガソリンを入れに隣町のスタンドまで行って、アプリで7円引きのQRコードを出そうとしたら10円引きのコードもあることに気づき、それを使ってリットル177円で入れた。当地で170円台というのは久しぶり(長野県は全国で一番ガソリンが高い)なのだが、本当に暫定税率を廃止してほしいと給油のたびに思う。その声を反映してくれるのは国民民主党だと思っていたのだが、玉木代表がエロ規制をツイートして、みたいなことは昨日も書いたので今日はやめておこう。
今朝は比較的時間があるかと思っていたのだが木曜日が休みだったので今日が資源ごみの日になり、それをやってたりしたら時間が変に潰れてブログに取り掛かるのが遅くなった。
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「ふつうの軽音部」鳩野ちひろのオリジンとライジング、という話。今日は(3)。一昨日は最初にちひろに声をかけてきた厘と、二つのバンドの解散後にドラムとして桃が加わることになったことを書いた。
作品として読んでいるときにはあまり意識していなかったが、実ははとっちのバンドが組み上がっていく過程で厘が実に大きな働きをしていることに改めて気付かされた。最初は厘は鳩野が「何か違うものを持っている」という印象のみで一緒にバンドを組もうとしていたのが、視聴覚室のandymoriの熱唱を聞いて改めてエンジンがかかり、二つのバンドを解散を促して桃をメンバーに加える。もちろん厘の策略的な動きは嫌われるのだが、そこは鳩野のボーカルの力で桃をその気にさせるわけで、この二つの力のどちらが欠けてもこのストーリーは成り立たないわけである。
そして桃が加わることによってバンド自体に社会性が生まれるというか、陽キャで人付き合いがいい彼女はふつうの意味でグループを引っ張る力がある。まず鳩野のボーカルを皆の前で聴かせたいと思う二人は、ちひろの憧れのたまき先輩をサポートギターに迎え、夏休み前の一年生お披露目ライブに出ることになる。
しかし、これは大きな挫折の体験になるわけである。元々の実力(特にギター)がないのに加え、たまきが忙しいこともあり練習不足で、たまきが加わるということで気分的に盛り上がって主観的には幸せな時間を過ごすのだが、練習の時にすでにたまきも厘も桃もどうもあまり良くないなという感じではあったのがそのまま、鳩野自身としては中途半端な気持ちのままライブに突入してしまうことになる。
ライブが今日という実感、今からという実感もないままステージに立ってしまい、それでも根拠のない楽観で自分を支えていたのが、いざステージに立つということになって極度の緊張のあまりギターを弾くのも忘れていたり、はっと気づいたらもうライブが始まっているという状態で、もう歌だと思って歌い始めるが全然声も出ない。頭の中も真っ白で、ライブが終わっても同情的な拍手がちらほらあるだけという、「最初のステージ」を失敗した、という経験がある人にとってはあまりに刺さりすぎる失敗がそのまま描かれている。
このあたり、私もあまり読みたくないので、「ふつうの軽音部」の単行本自体は5巻とも何度も読み返しているが、この辺りは飛ばすことが多かった。今読み直してみて、実に「ステージの失敗あるある」が手厳しく書かれていて、ステージに立つということがどういうことなのかわかってない状態でステージに立つこと、特にボーカルとして、つまり「主役として」ステージに立つことの悲惨さみたいなことがこれでもかと表現されている感じだった。
「ラ・チッタ・デッラ」の失敗は初心者のギターとしての失敗だからまだあまり意識されていなかったけれども、今回はいわば皆に期待されてのギターボーカルとしてのステージだから、それを担うということがどういうことなのか、どういう気持ちでステージに臨むべきなのかが全然わかってなかった、ということなわけで、責任の重さが段違いなわけである。
こうして書いてみることで鳩野の挫折の意味が自分でもより明らかになったのだが、この挫折体験が鳩野に「夏休み期間中ずっと公園で弾き語りの練習をする」という修行に走らせる。最初読んだ時はこれぞ少年漫画の主人公、という感じだと思ったけれども、まあ唐突にこれだけのことをやるというのがちょっとすごいなと思ってしまったが、「ギターボーカルとしての失敗」という「挫折の意味」を考えてみると、鳩野にしてみたらこれくらいのことはやらないと申しわけが立たないという切羽詰まった、必死の思いであったことが改めて理解できた。
この作品は本当に理解すればするほどその意味の深さにうーんと思わされることが多いのだけど、この「挫折→弾き語り修行」の展開については実はちょっと唐突だなと思っていたところがあった。それが改めて考察してみると圧倒的な内的必然性が感じられて、改めてすごいなと思ってしまった。
鳩野の人生を「幸福な幼年時代」→「両親の離婚という自分に責任のないことをきっかけにした辛い中学生時代という挫折」→「軽音部に入るという決意」という筋で捉えると、幸福な幼年時代に例えるべきラチッタデッラの時代からたまき先輩と一緒にバンドをやるという幸福な時期からギターボーカルとしての最初のステージの大失敗というもう自分にしか責任がない挫折を経て、「ボーカルになるための修行」を始めるというのが並列関係に感じられるけれども、これはより高次な展開をしているある種の螺旋階段として似たようなシーンが繰り返されている、ということなのかもしれないとも思った。
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アサクリの弥助問題について、納得できる指摘があったので少し書いておくと、日本人はもともと日本の歴史を改変するトンデモフィクションみたいなのは結構好きで、それが歴史理解に変に影響して歴史学者が怒っている、みたいなことはよくあるのだけど、それ自体には基本的に寛容なのだが、しかしそれを「史実だ」とか「史実を理解するのに役にたつ」と言われると絶許になる、ということなのだ、というふうに主張されていて、本当にその通りだなと思った。
司馬遼太郎の描く幕末とかの人物たちを史実だと思ってしまうおじさんたちの「司馬史観」みたいなことが問題になったりはしたが、しかし「これはフィクションなんだ」という前提があるから許せる、みたいなことになっていた。逆に塩野七生「ローマ人の物語」は半分は歴史の人物に対する人物批評みたいなものなので、最新の研究では少し違う解釈になっていても塩野さんの見方が強く現れているから、「史実だと勘違いする」割合がやや上がってそれで非難する人たちが出てきた、という感じがあった。あれは私は「塩野さんの言ってることは言ってること、ローマ史をちゃんと学びたいなら歴史学者の書いたものを読むべき」と思っていたけど「ローマ史を学ぶために塩野さんを読む」という横着が高齢世代を中心にかなり強かったために塩野さんが非難されるというとばっちりを受けたのだと思う。
UBIソフトがアサクリについて「歴史を学べる」みたいな感じで売ろうとした(しかもDEIの主張も強力に抉じ入れて)ことがそういう意味では日本人にとっては最悪なのであって、「聖徳太子を知るために「日出処の天子」を読む」みたいなフィクションと歴史をごっちゃにする「重罪」を公式がやろうとしていることに日本人は強く反発したということなので、日本における「歴史をネタにしたフィクション」と「歴史学」の相当な緊張関係がフランス人や他の国の人たちには理解できていない、ということもまた双方の隔たりの原因にはあるのかなとは思った。
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ウクライナやガザのことについても書きたいことはあるが時間がないので今日はここまでで。
国民民主党のエロ規制ツイートで失った票は多いのでは/台湾の過去の核武装計画
Posted at 25/03/21
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3月21日(金)晴れ
昨日はお彼岸の中日、すっかりお彼岸であることを失念していたのだが、親戚の火葬の日でもありそちらの方に先に出かけて、喪服のままスーパーでいろいろ買い物をし、お彼岸用の花なども買って帰ってきて昼食を済ませてからお墓参りに行った。前日に雪が降ってどうなるかと思ったがそんなに泥濘んでもいなくて滞りなくお参りは済ませられた。年末の父の命日にお墓参りに行った時の花が枯れてそのままになっていて、ああ、今はもう自分しか墓参りに来る人も居ないんだなあと改めて思ったが、実家の近くの親戚も歳をとってきて墓参も難しくなっているのだなと思う。いろいろと思うことはある。
夜は電話で吉報あり、よかった。
***
国民民主党の玉木党首がツイートでエロ規制とか言い出したが、これは国民民主党の支持層にとっては悪手だろう。基本的に国民民主党の支持層は現役層の男性なので、表現規制で利益を得る(と錯覚している)層ではない。何を勘違いしたのか知らないが、女性支持を広げようとでも考えたのだろうか。現役層の男性は基本的にロジカルな思考が強いのでこういうお気持ち的な政策には嫌悪感を示す人が多いのではないか。
自分の感触としては、この発言で1万票くらい増やしたかもしれないが、2000万票くらい失ったのではないかという気がする。もう一度党の方針を立て直した方がいいと思う。
***
世の中がトランプ時代に入り、結局国際的な交渉力=核保有であることがよりあからさまに示されるようになってきている感じである。日本も核保有は考えた方がいいと思うが、蒋介石時代に台湾でも核保有の噂があったように記憶しているけれども、あれはどうなったのかなと思ったり。調べてみると過去にはあったが今はないということになっているようだ。中国共産党は核武装の動きを見せたら即座に攻撃を実施すると言っていて、まあこれは今の状況を考えるとブラフではないだろう。
***
今日は母を病院に連れていく日なので、これくらいで。毎日ちょっと忙しすぎるのだが、収入に結びつく忙しさでないところが困ったところである。
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