「歴史学はこう考える」:歴史学者の思考と棋士の思考/「レコンキスタ」:反攻の三つの起源/歴史学研究者とその研究対象への「愛」/アニメ「株式会社マジルミエ」
Posted at 24/10/07 PermaLink» Tweet
10月7日(月)曇り
昨夜は9時前に寝たのだが、起きたら3時過ぎだったので一応6時間は寝たという感じ。早めにジャンプとスピリッツを買いに行くなど、早くから動いていたのだが、いろいろなことを考えてしまってやることがどうも散らかってしまい、ブログを書き始めるのが遅くなってしまった。
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昨日は夕方岡谷に買い物に行ってタイムラインで話題になっていた松沢裕作「歴史学はこう考える」(ちくま新書、2024)を買ったのだが、少ししかまだ読んでいない。その感じでは、「歴史学者はこういうことをやっている」という自己紹介のようなものだなと思ったし、例えば写真家の歴史について書いたエッセイを読んで松沢氏がどう思うか、どう心の中でツッコミを入れるか、みたいな話は自分もよくやるし、こういう方向の考えなんだろうなとその写真家の知識のもとを想像しながら読むことは多い。
それでこういう傾向の見方をするならこれはこう考えるだろうな、と考えながら読んだりして、まあ大体それは当たるわけだけど、読む価値があるかどうかはどこまで新しいことを言っているか、あるいは独自のことを言っているか、つまり自分が考えたことのない史実の切り口を持っているか、みたいなことがあるかどうかで考えることが多い。
歴史学者の新しい説に感心することも多いけれども、歴史学の専門家でない人が自分が知らないことを言っていた場合は、元ネタがあることも多いので、それに興味を持ったらヒントを探してその元になった人の言説を読んでみたりすることもある。それが、例えば今ではあまり省みられなくなった考え方であったりすることもあり、それが今日的に見れば実は興味深い見方であったりすることもないわけではないので、「歴史学者だけでなく、多くの人たちが何をどうみるか」ということにはとても関心がある。
歴史学者の新しい見方といってもそれもまた「最新の仮説」に過ぎないわけで、つまりは将棋の新しい手順のようなものである。棋士たちがAIなどを駆使して最新の新しい戦型を生み出したりするのと同じなのだけど、それが今までの見方と比べて本当に有利、あるいは正しいのかはやってみなければわからない。将棋は盤上の変化に限られるけれども、歴史は森羅万象に関わるものだから無限に調べるべきことがあり、人間は有限だから調べること、考えることも限界がある。研究し尽くされたと思われたところに新しい見方が生まれることもままあるし、全く新しい分野を開拓することでその分野の先駆者になることもまだまだ可能である。(アフリカ史など)
「史料」を「同時代のもの」と断言している部分はちょっと引っかかったしそれはTwitterでどなたかも書いていたが、後を読むと「年代記」的なものも「史料なのか先行研究なのか微妙」という書き方もしてあり、まあ「より同時代のもの」、くらいのニュアンスで取ればいいかなと思う。近現代史ならともかく古代や中世の史料には何十年とか何百年のスパンで後に書かれたものもそう取り扱わざるをえなかったりすることもあるからだ。
というわけで29ページまで読んだところ。この本が面白いかどうかはまだよくわからないが、少なくともこの人がこう考えているということはわかるし、それは自分が知っている、あるいは学んできたことと全く同じではないことは明らかだから、「歴史を書くということ」について自分の中を検証してみるのに役に立つことは間違いないとは思う。
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黒田祐我「レコンキスタ」。キリスト教世界がスペインムスリム世界を放逐し、キリスト教スペイン王国を打ち立てる過程をレコンキスタと称するとするなら、その中心となった勢力としてアストゥリアス王国→レオン→カスティーリャ王国という流れが一つあるわけで、その中でキリスト教世界によるイスラム世界との戦いという図式を考えると、ローマ教会と結びついたフランク王国というのは有力なライバルであり、実際のところ「西ローマ皇帝」さえ称しているわけだから、それに対抗できる権威が必要だ、という中で「聖ヤコブの遺体の発見」という出来事が起こり、それをサンチアゴ・デ・コンポステーラに祭り巡礼の地とする、ということが行われたのではないか、という指摘はなるほどと頷くところがあった。ローマ教会は「聖ペテロの後継」な訳だから同じく十二使徒でなければ対抗の釣り合いが取れず、イベリア半島に来たという伝承があるヤコブの存在は格好のものだった、というのはなるほどと思わされた。
レコンキスタの中心になったのはアストゥリアス王国だけではなく、ピレネー山脈西側のパンプローナ王国(ナバラ)もまたその一つだということは書いたが、もう一つカタルーニャのバルセロナ伯領もあった。こちらは元々はフランク王国のシャルルマーニュが進出した後、ルイ1世によって任命されたカタルーニャの諸伯領のうち、有力都市バルセロナの伯が最有力になったということで、こちらは南仏との繋がりや地中海への進出の志向が強く、南方イスラム世界への関心はそんなに高いわけではないのだが、アラゴン王国と連合することによりレコンキスタの片翼を担うようにはなるわけである。
アストゥリアス王国はレオンに進出しレオン王国と称するようになるが領域の拡大によりかえって危機を招き、今日のカスティーリャ・ラ・ビエハでカスティーリャ伯の台頭を招く。一方でナバラ王国のサンチョ3世の婚姻政策が功を奏し、カスティーリャと辺境伯領の一部アラゴンをその子たちが継承することになる。サンチョ3世はのちのカスティーリャとアラゴンの王たちの系図の一つの出発点になる。バルセロナはフランク帝国の下、ローマ教皇と協力しつつアンダルスとの境界への入植を漸進的に進め、フランスでもありスペインでもあるという曖昧な状態が続いた。
著者が強調しているのはこの間もキリスト教勢力もイスラム教勢力も一枚岩ではなく、キリスト教勢力がキリスト教勢力と戦うためにイスラム勢力と結んだり、またその逆も頻繁に行われたということと、またそれでありながら南北間には婚姻関係を含む人の流れやものの流れが途絶えなかったということである。もちろんこれは既成の「レコンキスタ」像を相対化するための記述であるわけだが、ここまで読んでくるとそれはそうだろうなということは思うようになってくる。86ページ第3章終わりまで読了。
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実際のところ、歴史学の方法論とか読んでいるよりもこういう歴史叙述を読んでいる方が私にとってはずっと面白いのだが、歴史に携わる人の中にもそういう史料批判から叙述までの精密性に意義を見出す人と歴史的対象そのものの魅力や面白さで読む人、また現代におけるそれらの意味について考えることが主な関心である人など、さまざまなタイプがいるだろうと思う。
私は主に後二者にあたるわけで、特に最後者そのまま、こういう歴史事象の個別性のようなものを非常に好むところがある。これはまさに「歴史が好きだから歴史を勉強する」ということであって、「好きなことをやっている」面が強いのだが、しかしその研究や啓蒙そのものが何らかの形で使われるものにもなることには自覚的であった方がいいだろうと思う。これは「利用される」というマイナスのニュアンスを警戒する歴史学者の方が多いのだが、むしろ「活用する」というプラスのニュアンスで考えるべきだと私は思う。というのは、自らの国、あるいは我が人類の歴史を知ることは我々日本人、あるいは人類を知ることでもあるからである。我々が守るべきものは何なのか、ということについて、歴史を学ぶことを通じて見えてくることは多いと思う。
一方で、その極地は一つは「研究対象の現代における意味」を考えるということであるけれども、例えば第二次世界大戦であるとか日本国家の近代化などを研究する人にとってはそれは大きな意味があることだろうと思う。私も大学院でフランス革命を研究したのは、フランス革命の現代における意味、特に民主主義というものを考えるための一つの手段として研究した、という動機があった。
しかし、やっているうちにどうも自分のやりたいこととは違う、ということがわかってきたのだけど、つまりはフランス革命はフランスの歴史である、ということなわけである。歴史対象の興味という点では私は「ジロンド派」というものが「好き」なのだが、彼らから学べることがどれほどあるかというとそれは少し難しい。また特に関心があったのは1973年のジロンド派の追放の後、各地のジロンド派が起こした反乱事件、いわゆる「連邦主義者の反乱」であったのだけど、それらの各地域での研究内容などを読んでいると、なんというか郷土愛みたいなものを強く感じたのである。彼らは彼ら自身の歴史として、フランス革命をいうものをちゃんと知りたい、調べたいと思っているわけで、それは我々の持つ関心とはどうしても違うものになる。そして彼らの研究は時により牽強付会的なものがあることは、日本の郷土史家に地元の贔屓の引き倒しみたいな論文や研究内容がままあることと共通していて、なんというかそういうものを否定する気にならないわけである。
そういうものを読んでいると、我々がフランスの歴史を研究するということの意味が見えなくなるというか、我々の研究に愛はあるのか、みたいな感じになってくる。正直、フランス人の考えることは日本人が考えることとかなり違うし、もちろん文化的にもかけ離れている部分はあるわけで、歴史に関しても読めば読むほど共感できなくなる、というような部分があって、どうもこれは違うなと思わざるをえなくなってきたわけである。最後まで批判的な研究を貫ければそれはそれで良いのだが、他の院生や先生などと話していても、やはり「研究対象の国や事象を愛するようになる人は多い」というわけで、要はある意味「出羽守」化する人は少なくないわけである。これは、「愛さなければ研究を続けるのが辛い」という側面もあるような気はする。
というわけで修士課程を出た後はフランスについての研究はあまり続かなくなり、どちらかというと日本近代史に関心は移っているのだが、本格的な研究機関で研究しているわけではないのでまあ素人の域は出ない。一応は西洋史学的なものの考え方、見方みたいなものは身についているにしても、日本史は日本史で独特の見方のようなものはあるので、とりあえずは「専門外なのでよく知らないのですが」をやっているわけである。
これはまあつまり自分の思想形成にも結構影響を与えているというか、つまりは祖国愛と歴史愛というものを結構不可分のものと見ている部分が自分にはあるから、逆に言えば最初から日本史をやればよかったのだが、まあ今そういうことを言っても仕方がないし、逆に世界史を知っているからこその見方、みたいなものもあるだろうと思って今なお色々読み、考えているという感じである。
まあ歳も歳なので早めに自分の考えをまとめた本は出したいと思っている。
***
秋アニメが始まり、今季はかなり豊作なのだが、見ている時間があまりなく、とりあえずOPだけ見る、みたいな見方をしているのだけど、どれもそれなりに力が入っていて面白い。先程は「株式会社マジルミエ」の1話のアヴァンとOPを見ていたのだが、「魔法少女まどか☆マギカ」を思わせるOPで、これはおそらくはわざと寄せたのだろうと思うけれども、それ自体に不穏さを感じさせるのが上手い演出だなとは思った。Twitterを軽く見たけれどもそのことについて触れているものは見当たらなかったのだけど、「魔法少女」のようにバリエーションがたくさん作られた分野では、やはり先行作品をどのように踏まえるかというのがオマージュだったり確信だったりがあるわけで、そうした文脈を読んでいくのも醍醐味なんだろうと思う。
この作品は「ジャンププラス」水曜日の連載作品なのだが、少女と言いつつ魔法少女は全て成人女性で、企業活動として行われているという設定で、その意味で斬新である。魔法を使うことを仕事にする、という点で「魔女の宅急便」を思わせるところもあり、また就職活動がうまくいかなくて、結果的に才能を見出されて魔法少女になるとか、それもその才能は「マニュアルを読む才能」だったりするところが企業社会的でもあるわけである。
https://shonenjumpplus.com/episode/3269754496555043141
アニメやマンガについても書きたいとは思うのだが、本を読み始めるとそちらの方に脳内リソースを取られるのでなかなか描けないなあとは思う。まあぼちぼち行きたいと思います。
私の保守哲学/「レコンキスタ」:王女詩人の恋・スペイン複合君主制とレコンキスタ/左翼思想としてのナショナリズム
Posted at 24/10/06 PermaLink» Tweet
10月6日(日)曇り
一昨日の夜に甥が来て、「民主主義はなぜ正しいのか」みたいな話になって結構久しぶりにその系統の議論というか「自分はこう考える」というようなことをネット以外でやって面白かったのだが、話したことを思い返していくうちに自分の考えの全般がまとまってきたというか、こういうことつまり「私の保守哲学(仮)」みたいなものをまとめておくといいかも、と思えてきたのでしばらくそれに取り組み、なるべくなら紙の書籍にしたいと思うようになった。その時の対話を思い出しながら書くことで目次というか概要の形は大体見えてきたのだが、参考文献的にも膨大になりそうだし手元にない本も多そうなので本格的に書くには準備が必要な感じはする。ただ、自分の年齢もあるしその先の展開を考えたいという意味からも、1年以内に書籍の形にしたいと考えた。
最近考えていることのメモやノート、ブログ記述やツイートなどからもまとめる必要はありそうで、その編纂手順(過程)みたいなものも作っていかないといけない、とも思う。
書きたいことを全部書いたらかなりの大著になる気もするし、それぞれの部分をどうしていくのかということもあるが、新しい本をどう作るかと考えるのは考えること自体が楽しいなとは思う。
***
まあそれに関連してくる部分も少しあるのだが、昨日読んでいた黒田祐我「レコンキスタ」(中公新書、2024)を読んでのメモ、考えたこと、思ったこと。
「第2章 アンダルスの成立と後ウマイヤ朝の栄華」に関連して。
スペイン南部を支配した後ウマイヤ朝は11世紀前半にはカリフが乱立してめちゃくちゃになるのだが、そのカリフの一人ムハンマド3世の王女ワッラーダ(994-1091)はアンダルス文化を代表する女流詩人のひとり、というのはへえっと思った。中宮彰子(988-1074)以上の長命、つまり紫式部の同時代。これはこの本の記述にあったわけでなく、ヒシャーム2世時代以降の混乱について、乱立したカリフについて調べていた中で知ったこと。
ワッラーダの現存する詩は9編ありそのうち8編は若き日の恋人・イブン・ザイドゥーン(1003-1071)との恋愛の詩だという。ワッラーダはその関係を解消した後ザイドゥーンの政敵と関係を持ち、ザイドゥーンはセビリアの王のもとに亡命し、セビリア王がコルドバを征服した期間を除いてコルドバに帰ることはできなかったが、若き日のことを詩にし続けたという。
「第3章 レコンキスタの始まり」に関連して。
「複合君主制」という言葉が最近中世から近世にかけてのヨーロッパの国政を論じるときに出てくるようになったが、この概念自体は1975年にはすでに提出されていたようだ。ハプスブルク帝国に使われているのは立ち読みしたが、この本ではスペインについてそう述べているのを読んでへえっと思った。
「複合君主制」に似た概念に「同君連合」があるが、例えばウィリアム3世治下のイングランドとオランダだけど、同一の国家としてふるまってなかったので同君連合ではあるが複合君主制ではなく、彼の死後イングランド王位は義妹のアンに、オラニエ公位は一族のヨハン・ウィレム・フリーゾに相続された。
つまり同君連合はたまたま君主が同じになったが基本的には別の国、複合君主制は王の下に緩やかに連合が組まれているイメージかなと思う。イングランドとスコットランドも同君連合から複合君主制に進んだということだろう。
アジアにおいても帝国的な成り立ちの国家、例えば清帝国などについて「複合君主制」という概念が当てはまるのでは、という指摘をもらい少し考えたのだが、同君連合もそうなのだが複合君主制は各王朝間の婚姻政策の結果相続関係からそうなることが多いので、東アジアではちょっと例が思いつかない。
従って基本が「一夫一婦制」のキリスト教世界の概念であり、あわよくば他国の王位を得ることを潜在的に求めて結ばれた婚姻関係の結果だと考えた方がいいように思った。最新の研究を読んではいないので推測なのだが、やはりヨーロッパ、キリスト教世界においての用語だと限定的に考えた方が良いように思う。
現在では典型的な中央集権国家であるフランスも、アンシャンレジームの時代にはフランス王国領以外にブルターニュ公国などの君主をフランス王が兼ねていて、そのうえでヴェルサイユの宮廷が全土を支配していたのでより分権的な複合君主制だったと考えられる。革命により一律かつ合理的な支配が徹底され、「唯一にして不可分のフランス」になったと考えられる。モンターニュ派の支配確立に反対して各地で反乱を起こしたジロンド派は「連邦主義者=分権主義者」として革命の理念に反するものとして攻撃されることになったわけである。この思想は帝国主義時代に植民地を「海外県」としたものの不可欠の領土と考えられたアルジェリアは「本土」とするなど矛盾も生み出し、第二次大戦後のトラブルにもつながっている。
スペインでも中世アラゴン王国自体がそうした連合王国であり、カスティーリャと同君連合を組んで複合君主制が進展した後でも分権的な国制は残っていた。
「レコンキスタ」という概念はそれが進行していた当時にはなかった言葉だという指摘はへえっと思ったが、フランス革命以降各国で求められるようになった国民主義=ナショナリズムのスペインでの必要性の要請から、「憎きイスラム教徒から領土を取り戻したキリスト教との運動」としてこの言葉が作られ、強調されるようになったというのはなるほどと思った。
現在67ページ、第2章第1節まで。レコンキスタの起源とされるアストゥリアス王国と、その伝説の初代王ペラヨの話は以前から関心があったのだが、いずれにしても同時代の記録がないところが難しい。またキリスト教側の勇ましい「コバドンガの戦い」の話と、アラブ側の「面倒になったから滅ぼさずに引き上げた」という話の落差が面白いなと思ったが、アラブ権力に抵抗するキリスト教徒の魂みたいな話が結局は大逆転でのキリスト教スペインの成立につながるのだから「反抗の原初形態」というものは侮れないと思った。
またペラヨは一度はイスラム側に下った西ゴート貴族の一人という話になっているが、アストゥリアス王国と並ぶもう一つのレコンキスタの起源・パンプローナ(ナバラ)王国についてもこの本とは別に調べていて、イスラム勢力とフランク王国勢力のどちらも支配の及びにくい西ピレネー地方の独立心の強いバスク人、というものが一つの起源であるというのも面白いなと思ったのだが、目次を見るとナバラ王国についても詳述してあるようなので、先にそちらを読むことにした。
***
国家という概念、ナショナリズムという概念は今日においては右派のものと考えられがちで、左派進歩主義はそれを否定する方向性を持っていると考えられているが、上に述べたようにもともと「ナショナリズム」はフランス革命起源のものであり、その意味で左派的な概念であると考えられる。これは絶対主義諸国に囲まれた革命国家フランスが自らを防衛するための愛国心が起源であるためで、一般の国民自らが国家防衛のために立ち上がったというところに画期的な意味があったわけである。この路線は共産主義国家・ロシアにも受け継がれたわけで、第二次世界大戦、特に独ソ戦を「大祖国戦争」と呼ぶ考え方にも受け継がれている。
また保守主義の考え方から言えば、エドマンド・バークが守るべき四つの存在としてあげているのが国家・教会・墓標・暖炉なのだけど、つまりは伝統王政の国家、信仰の中心たるキリスト教会、自らの父祖たちを含む歴史、暖炉の前の家族、こそが守るべき価値のあるものだというわけである。ここでいう国家は革命国家ではないけれども、保守主義の立場からも進歩主義の立場からも国家は必要なものだとみなされてきた。
ナショナリズムが否定的に扱われるのはそれが戦争の原因になることと、国家による個人の抑圧が問題になるからであって、それが本来的に克服不可能なものであるかについては意見の分かれるところだと思う。国家が最終的に必要かどうかはとりあえずは置いておいて、現状その庇護を前提に我々は生きているというところは確認すべきであり、戦争や抑圧をなくすことと国家の存在とをどう両立させていくかの方を我々は考えた方が良いように思う。
***
とりあえず今日のところはこの辺で。
イスラエルについての二つの見方:国連や国際社会に対する不信感と侮り/10月7日の恐怖と屈辱への強い囚われ
Posted at 24/10/05 PermaLink» Tweet
10月5日(土)雨
今朝も朝から雨が降っている。昨日は遅くに甥が来た。荷物を置かせてくれと頼まれていたのでそれで来たのだが、もう遅いから朝になってからにしようということになり、夕食を食べてから話をしていたら学問とか人生の周りのことで話が弾んで12時半ごろまで話してしまい、結局4時には目が覚めてしまったので寝不足である。
***
昨日読んだイスラエルについての考え方の二つの意見。それなりに見るべきところがあるなと思い、自分のイスラエル観の形成・修正に役立つなと思った。
一つ目は田中宇さん。
「イスラエルは国連や国際世論が大嫌いで馬鹿にしている。国連の仲裁など受ける気もない。だからグテレスを「懲罰」できる。イスラエルは、米欧覇権が続く限り、米欧を傀儡化しつづける。」
https://tanakanews.com/241004israel.htm
私はイスラエルの傍若無人ぶり、暴走ぶりを今の世界で誰もセーブできないのが現代世界の最大の問題だと思う。その分イスラエルの夜郎自大ぶりが極まってきている。イスラム勢力はどうしても反米という傾向を持ってしまうので、なかなかアメリカを抱き込めない。結局世界がネタニヤフの意図通りに進み、アメリカを対イラン戦争に巻き込む可能性は消えていないように思う。イスラエルがイランに対する報復として石油施設を攻撃することでもし原油の値段が高騰したら米民主党政権には打撃になり、ネタニヤフが望むトランプ政権の実現への追い風になる、という懸念はかなりある。
ネタニヤフがグテーレスを出入り禁止にしたことに端的に表れてるが、イスラエルは国連とか国際社会とかを信頼してない、というかむしろ嫌っている。つまりは自分の生存を第一に考え、自分の理屈とか自分の見えてるものしか信頼できない姿勢で、国際協調についての優先度は非常に低い。それもまた罪悪感にとらわれてる欧米をこき使って我が世の春を謳歌できているからこそではあるのだけど。欧米政界におけるユダヤロビーがいかに強いかということではある。
もう一つは立山良司さん。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241002/k10014598921000.html
「イスラエルは攻撃や暗殺を繰り返すことで10月7日の恐怖や屈辱を少しでも癒そうとしている」
これについてもなるほどと思った。イスラエルという国を成り立たせているのはシオニズムという思想であるわけだけど、それにはユダヤ教に由来する選民意識と、迫害の歴史に由来する被害者意識と、植民という行為からくる必然的な帝国主義という側面があって、2023年10月7日の事件はその三つの側面に非常に強いショックを与えた、ということは言えるのだろうと思う。
外部から見れば過剰なまでに相手を叩き潰すのも、そうしないと安心できないというメンタリティがあるからだ、と言われたらそうなんだろうなという感じはする。そこにはつまりは立山さんのいうように合理性はないわけで、周りの国々の制止も効きにくい状況なのだろうなと思う。
いろいろ考えてみても今のイスラエルを止めるには合理主義に立ち返る契機がなければならないと思うのだが、なかなかそれは見えてこない。イスラエルの非合理的な行動はハマスやヒズボラを一時的に弱体化させ、イランもアメリカと本格的にことを構える準備はないから徹底的には対抗できない状況ではあるのだけど、それは当然ながらイスラム勢力側の静かな怒りを買っているわけで、暴力と報復の連鎖を断ち切ることは今の所可能性は見えにくいなと思う。
人文学者と裁判官という「日本の祭祀階級」の社会からの遊離/秋アニメ:「アオのハコ」「ダンダダン」のOPが素晴らしかった
Posted at 24/10/04 PermaLink» Tweet
10月4日(金)雨
昨日は背中を痛めてしまって午前中は結構難儀をしていたが、午後からは結構楽になってなんとかなった。今でも痛み自体が完全にないわけではないが何もなければ忘れているのでとりあえずは大丈夫か。しかし今日はいろいろ予定が入っているので無理しないように行動しようと思う。
https://x.com/ganrim_/status/1841744298846650543
人文学者が近代における司祭階級のようなもの、という指摘はなるほどと思ったのだが、日本においてはどの程度のものと考えるべきか。江戸時代の国学者や漢学者が町人や武士階級にも人の道や社会のあり方を説いていたのと同じように、英文学やギリシャローマの古典文学なども説く人はそういうところがあったけれども、マルクス主義・社会主義系の人たちというのは「20歳までにハマるのはいいが20歳過ぎてもハマったままなのはダメだ」という扱いだったわけで、それが強い勢力を持ってしまったのは社会主義に対する期待が高まり過ぎたということはあるだろう。現代の人文系と総称される学者はいまだにその尻尾を引きずっているので、祭祀階級というよりは革命運動家の流れであって、批判だけしてればいい子供みたいな人たちになってしまっているとは思う。
日本近代においてはむしろ裁判官、司法官がそういう神に近い判断を下す役割みたいなのがあり、大津事件とか戦後の闇米食べずに餓死した裁判官とか、司法官の公正・清廉なイメージで強い信頼が持たれていた。しかし最近どうも疑問のある党派的な判断が多くなってきている。
特に雁琳裁判などを見ているとどう見ても社会的に不利な状況にある方よりも有利な状況にある方に有利な判断が下っていて、憲法という聖典の教理、「法の下の平等」すら守る気があるのか危うい。公正な司法への信頼は日本の財産だと思われてきただけに懸念は強い。
裁判官たちの実態は、いわゆる「意識高い系」の思想、すなわちマルクス主義系の思想に毒されているのはそれこそが社会正義だという「学校で教えられる真理」から一歩も抜け出せておらず、人間や社会に対する洞察が不十分であるように思う。
そういう意味で司法改革は必要だと思うのだが、どうすればいいのかの具体策はよくわからない。
***
秋アニメが始まった。時間がないのでそれぞれ少しだけ見たのだが、「アオのハコ」も「ダンダダン」も素晴らしい。
「アオのハコ」はアヴァンとOPだけ見たが、OPがすごくよかった。2024年の技術でスポーツ青春恋愛ものをやるとこうなるのかという感じ。めちゃくちゃいい。配役の声は、多少私のイメージとは違うのだが、まあアニメだからこういうものかとは思うのだけど、スポーツをしている子たちの声はこういう感じじゃないんじゃないかという気はした。まあ見ていくうちに慣れるとは思うのだが。
「ダンダダン」はスタッフをフィーチャーしているし、場面的にもウルトラQなど典拠を探りたい場面が多くあって、アニメ・特撮史へのリスペクトを強く感じた。
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