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      <title>Feel in my bones</title>
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      <description>読書、日々の生活、現在過去未来。</description>
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         <title>コクゾウムシがわいた／野口体操／アンリ３世のポーランド脱出行</title>
         <description><![CDATA[文章を書くために思考するのではなく、思考したことを文章に書くということは、実はあまりやらないことだ。普段、書き付けるまでもなく思考しているその思考を丹念に書き付けてみると、実は案外味があって面白い。

昨日、実家の台所に虚空蔵虫（コクゾウムシ）が大発生した。天井の照明に無数の黒い小さい虫がたかっていて驚いたが、母が奮闘して今日はきれいにされていた。母によると、台所に置いていた小豆の袋の中に発生したらしい。小豆は捨てて、照明についていた虫は処理したのであとは残兵という感じだが、今朝の食卓ではひとしきりコクゾウムシ論議になった。父によると、コクゾウムシというのは農家にとっては珍しくもない虫で、そうたくさん出るのでなければあまり気にすることもないものなのだという。

それにしても虫というのは大発生すると強い印象を与えるものだ。雨の多かった夏の初めに、職場の外のゴミ箱にたまった雨水にぼうふらが大量に湧いていて驚いたことがある。真夏のあいだは虫に悩まされることはほとんどなかった。一般に、夏は虫が多く湧くと思われているけれども、実際に発生するのは真夏ではなく、蒸し暑くなる梅雨の終わりごろと、暑さは去りつつあるけれどもまた雨が降って湿気が増える秋の初めではないかと思う。

今日自分の部屋で窓を開け放って寝そべって本を読んでいたら、顔のまわりで蚊の羽音がして起き上がらざるを得なかった。窓を閉めて机に向かいなおして本を読んだが、こんな季節に虫が気になるのだなあと思った。気温が上がることだけでなく、湿気が多いこともまた虫の発生にはかかわりがあるのかもしれない。あるいは、人間と同じように、しのぎやすくなる今の季節の方が、虫の発生にも適しているのかもしれないと思った。

***

NHK-FMで金曜の午後二時から『気ままにクラシック』を言う番組をやっている。これは笑福亭笑瓶とソプラノ歌手幸田浩子がパーソナリティーをつとめる番組で、幸田の気取らないトークに笑瓶がツッコミを入れるというクラシック番組だ。幸田の専門のイタリアの歌曲がかかることが多く、他の平日の午後の番組『クラシック・カフェ』と一味違うくだけた雰囲気だ。この時間は本を読んだり物を書いたりしながら聞いているので、おしゃべりが邪魔になることも多いのだけど、今日は休みながら聞いていたので内容も楽しんだ。

リスナーからのお頼りを紹介するコーナーで、幸田の母校、東京芸大の体育の授業に「こんにゃく体操」というのがある、という話が紹介された。笑瓶に突っ込まれた幸田がこれは力を入れるためには力を抜かなければならないので、その力を抜く体操で、元芸大の体育の先生だった野口三千三がはじめたのだと説明した。私は懐かしいと思った。多分幸田は野口本人にあったことはないと思うが、私は野口に二度会ったことがある。とは言っても一度は学会のシンポジウムで発言するのを聞いただけなのだが、二度目は野口の開いていた一般向けのレッスンのようなものに参加したのだ。いわゆる「野口体操」について具体的にいろいろな説明があったり実践があったりしてなかなか面白く楽しかった。直径20センチくらいある水晶の玉を見せてくれたことをよく憶えている。助手にきていた芸大の弟子の人のことを、「みんなが見ていなければ舐めてしまいたいくらい可愛い」といっていたのを思い出す。といっても別に愛人という意味ではないのだ。すごくおおらかで純粋で大きな人だった。彼の著書は二冊持っているが、なかなか意味がよく分らないところが多い。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E4%BD%93%E6%93%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A0%E3%81%AB%E8%B2%9E-%E3%81%8D-%E3%81%8F-%E9%87%8E%E5%8F%A3-%E4%B8%89%E5%8D%83%E4%B8%89/dp/4393312694%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4393312694"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51EGATDPD2L._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>野口体操からだに貞(き)く</b></br>野口 三千三</br>春秋社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%87%8E%E5%8F%A3%E4%BD%93%E6%93%8D%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%A0%E3%81%AB%E8%B2%9E-%E3%81%8D-%E3%81%8F-%E9%87%8E%E5%8F%A3-%E4%B8%89%E5%8D%83%E4%B8%89/dp/4393312694%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4393312694">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

彼が亡くなった後、野口体操はどうなってしまったのだろうと思ったが、芸大で野口の考案した体操が残っているというのを知って大変嬉しく思った。多分こんにゃく体操というのは私たちが聞いたところでは「寝にょろ」と呼ばれていたもののバリエーションだと思う。よく間違われるが、野口体操と野口整体は全く別のもので、野口整体は野口晴哉が創始したものである。私が現在会員なのは野口整体（社団法人整体協会）の方だ。

***

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51KW276N9GL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>


堀田善衛『ミシェル　城館の人』第二部（集英社文庫、2004）、現在354/494ページ。ポーランド王となったアンジュー公アンリが兄シャルル9世の死とともにフランス王となって、ポーランドを脱出し（当時の首都はクラカフだろうか）、ウィーンとヴェネツィアを経てフランスに帰国する、その間のエピソードがとても面白かった。彼は即位してアンリ3世となるのだけど、ヴェネツィアで金を湯水のように使う歓迎を受けたのに対し、アンリはそれ以上に金を使って、10日あまりで44億円ほど使ったらしい。（笑）ムラーノ島のガラス職人の中には今でもアンリ3世から貴族に叙せられたという叙任状を誇らしげに飾った店があるのだそうだ。
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         <pubDate>Fri, 05 Sep 2008 20:23:30 +0900</pubDate>
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         <title>ブログと文章</title>
         <description>物を書くことを生活のリズムの中に組み込むことは自分できちんとペースをコントロールすることであり、物を書くモードをうまく作り出してそれに自分を乗せることが必要だ。ブログを書くと言うことはブログを何のために書くかということが問題であって、今まではとにかくそのものを書くペースを作るために書いていたのだけど、そういう無目的的なものになるととかく惰性になりやすい。人間には習慣力というものがあって、何かをはじめるとそれを習慣にすることはそんなに大変なことではなく（ものによるが）、それをやめること変えることの方が往々にして難しいものだ。何かをはじめるときにとりあえず何かをはじめなければならないという危機感ではじめてしまった場合、とりあえずはじめることに成功したその次の目標を見失うことが往々にしてある。毎日とにかく何かを書く中で何かを見つけていくためには、とりあえず何かを書くというだけではどうにもならないものがある。

そんなとき、とりあえず何かをはじめなくては、という焦りはとりあえず何かを変えなくては、という焦りに変わるだけで前に向かって動いていかない。ブログを書き始める前、私はウェブ日記を書いていて、その前は詩を書いていた。ウェブ日記からブログへの移行はいちいちhtmlを打たなくても更新できるブログの簡便さにひかれたからだが、今となってはウェブ日記の時代の定型のなさが失われたということにかなりの喪失感も感じている。何を書いても一つの定型の中におさまってしまうブログという形式は、自由度があるようでかなり低い。その自由をどういうふうにして取り戻すか、ということがよけいな仕事として出来てしまった感じがする。簡便さの罠というものは確実にある。

ウェブ日記を書き始めたのは、ウェブ上で詩を書いていてなかなかアクセスが伸びず、それなのに膨大なアクセスを稼いでいる一部のサイトがあって、それが「日記猿人」に参加しているところが多かった、ということがあった。最初は、詩のサイトへのアクセスを伸ばすために日記を書き始めたのだが、日記のアクセスを伸ばすこと自体の方が面白くなってしまい、その頃には詩の発想が枯渇するようになっていた。そうした日記の書き方をしていたことと詩的な発想の枯渇が関係あるのかどうかはよく分らないのだが、多分ないことはないのだろう。

ウェブ日記でアクセスがあがるようなことを書いていると、今度は自分が書きたいことを書いていないという不満がだんだん募ってくる。メールのやり取りをしたりしているうちに「ウェブ上での自分の人格」、のようなものが知らず知らずのうちに出来上がってくる。そうすると書いている自分にとってはそれが重くなってくる。ある意味当り障りのないことを書いていると、それがまるで自分の人格のような仮面（ペルソナ）になってきてしまうからだ。本当に自分が書きたいこと、自分の志の求めるものを書けばいいのだが、（志とは、つまりは自分のやりたいこと、なのだ。あるいは自分のやりたいこと、とは何かを問われれば、それは自分の志とは何か、と問われていると考えればいいのだ）それがはっきりしていないとあるペルソナと別のペルソナのあいだを右往左往することになる。ウェブ上の多重人格者がそこに出現する。

私も一時はいくつもサイトを作って、それぞれ別の人格で対処する、ということを試みたこともある。しかし実際のところそれは続かない。そういうことが続く器用な人もいるようだけど、私にとって本当の問題は浮遊するペルソナにあわせて展開を試みることではなく、自分の志を明確化することのほうにあったからだ。

志を明確化すること、は自分の求めるものは何か、ということと強い関係がある。しかしその頃、私は自分の求めるものを見失っていた。自分の中で解決のつかない問題がいくつかあったことと、自分の本音を言うこととそのときの自分の人間関係を維持することが両立できないということがあったからだ。

その本音は、自分の本当の志と関係はあるけれどもそれそのものではない。しかしその本音を吐けない、あるいは吐きにくい、また吐いたら明らかに多くの知己が離れていく、というときに、それでも本音を言うか知己を維持するかということは難しい問題だったが、結局自分にとって大事な方を取った。つまり本音を吐く、首相の靖国参拝を主張し、日本的な価値観を大事にすることを主張する方を取ったのだ。案の定多くの知己は、リアルもネットも含めて去って行ったしあるいは疎遠になった。私は多くのものを失ったという実感を持ったけれども、せいせいしたという快感もあった。しかし実際孤独になったし、そうした方面で本当に理解しあえる知己にはなかなか出会えなかった。そういうこと以外のことで話が合うという人はごくわずかしかいなかったからだ。

しかし言いたいことは言う、失うものはもはやない、というのはある種スタンスとしては解放的だ。しかし逆に、今まで敵を作らない生きかたをしてきただけに、世界が敵に満ちているという被害妄想的な感覚に囚われることもあるようになった。これは9年前に教育の現場に絶望して仕事をやめたときに最も強くなっていたのだけど、もうそれが自分の心に悪い影響を及ぼすことが分っていても、本音を言える自由を確保しておかなければ生きて行けないと思いつめた。で、おそらくは精神的に相当危機的な状況にあった期間も長くあったのだが、つまりは何年間かそれに耐えてきたわけだ。

その期間は耐えに耐えていたのでそうしたこと、日本的価値観を書き出すと我ながら教条的だと思うようなことでもとにかく書かないと自分の心が死ぬと思いつめた面も強く、しかし書くことで敵を作らない息苦しさからは逃れることも出来てほっと息がつけるという側面もあった。しかしやはりそれだけでは自分の中で何かが死滅していくということも事実で、ほんとうには何をやりたいのかということがますます見失われていくもどかしさから逃れることはできなかった。

一つのきっかけは、友人に紹介されたジュリア・キャメロン『ずっとやりたかったことを、やりなさい』のエクササイズを実行したことにある。このエクササイズは、今でもモーニングページという形では継続させている。一時はこのエクササイズにかなり「かぶれた」感じになり、紹介してくれた友人本人からもおかしいといわれてしばらく交友関係を絶つことになるくらいまで入れ込んだ。別のリアルの友人ともこのことをめぐってかなり強く対立した。

今となってはキャメロンのレッスンの眼目というのはつまりは自分にはやりたいことがある、それは一見子どもっぽいことに見え、それを持つことが自分にとって不名誉なことであるかのように思われがちだが、それこそがほんとうに自分に大切なことなのだ、ということに気づかなければならないということに尽きる。私はその線に沿って自分の中のさまざまなことを掘り返してその残照、その余熱のようなものを感じてきたのだけど、今一度それをやらなければならないと思う単一のことに出会うことはなかった。そういう意味ではキャメロンのレッスンは、ストレートには成功しなかったということになる。

しかし、キャメロンのレッスンが終わっても私は自分の人生のさまざまな局面を振り返ることそのものをやめはしなかった。苦しい模索は続いたけれども、仕事の局面が変わったこともあり、自分自身の探求もそれなりに楽になってきた。

一番苦しかった時期は仕事をやりながら修士論文を書き、離婚問題も抱えていた10年前で、仕事からへとへとで帰ってきて1時間しか寝ないでよくわからないフランス語の文献を読み、論文を書く、といった日々が数か月続いた頃だ。あの頃はもう自分が自分でないような感覚になっていたのだが、とにかくこの段階を過ぎれば先は見える、と自分に言い聞かせてやっていた。しかしどうにもならないのではないかという気分もなんとなくあって、結局離婚し仕事もやめて研究も途絶するということになり、退職の数日前に入院する破目に陥った。

まあそんな目にあったのでこのころのことは思い出すのも嫌で、しばらく研究の継続をできる機会を探してもいたのだがそれをあきらめてからは自分の研究分野自体を調べることもなくなっていた。それが最近になってモンテーニュの伝記（堀田善衛『ミシェル　城館の人』）を読み始めたことでまた自分の研究分野のことを思い出し、久しぶりに論文を引っ張り出して読んでみたら思った以上に充実していて面白いということにはじめて気づいた。そのとき初めて自分のやってきたことは間違いではなかったと思ったし、自分のやってきたことに自信をもてたように思う。一番苦しい時期は、苦しんだだけのことはあったのだと思えたら、自分の中の淀みのかなりの部分が浄化された。

そこで自信が持てると、後はそれなりに頑張ったことどもはそれなりの自信を持てることになる。絶対的な自信の基準みたいなものができたことで、その他のことに対する自信も相対的に位置付けが可能になったのだ。

ここでようやく、キャメロンのレッスンの神髄が理解できたということになるのだと思う。自分の苦しんだ時代を解剖することはかなり辛いことだ。しかし、そこに自分の秘密があることは本当は多いのではないかと思う。特に大人になってから苦しんだ時代は貴重な自分の財産だ。もちろん自分が自ら苦しみを引き受けて主体的に取り組んだ経験でなければならないが。

今になってようやく、自分の人生のさまざまな局面を客観的に、パノラマ的に見ることが出来るようになった。そうなるとひとの取り組みもまた興味深く見ることが出来、そこから刺激を受けたり触発されたりすることも可能になってきた。本当の意味での志が自然に生じてきた。

友人のさまざまな活動を見ながら、言葉を駆使する作家というものは、何も持たずに言葉の力だけですべてを実現していくものであり、志が彼のすべてなのだということに思い当たり、かなり感動している。そうした刺激を受けて私も言葉を生み出していきたいと思うようになって、ブログに割いていた時間をそうした言葉を生み出す時間にあてることにしたのだ。

これからこのブログでは何を表現するかというと、基本的には日常のことになるだろう。こんなふうに、考えたことを書くこともあるかもしれない。ただ、自分の表現において、サブ的なものときちんと位置付けることだけは自分に対してはっきりさせておく。時間が許せば書くが許さなければ書かないものとして。その位置を変えてはならない。

堀田善衛『ミシェル　城館の人』第二部、320/494ページ。アンリ3世のポーランド脱出のエピソードが読んでいて面白い。このあたりのところはさすが小説家だ。伝記として読んでいると著者が小説家であることを忘れてしまうのだが。

塩野七生『ローマ人の物語』34巻[迷走する帝国・下]読了。過渡期としての3世紀、軍人皇帝時代の重要性がよくわかってとても面白く読めた。セヴェルス朝と軍人皇帝時代に共和制以来ローマが築いてきたものの多くが崩れ、ディオクレティアヌス以降のドミナートゥス制時代のかなりの部分が準備されているということが理解できた。帝政ローマの前半期、1～2世紀と後半の4世紀でどうしてこんなに違うのか本当にはよく分っていなかったのだけど、3世紀の変化を理解することでだいぶ把握できるということが了解された。

キリスト教の勝利の原因は、ただローマの衰亡による、という塩野の見解はなるほどと思う。多神教の神は生きる道を自分で見つける人間をかたわらにあって助ける存在だが、一神教の神は生きる道そのものを指し示す神だ、という説明も大変分り易い。今日のように混迷深い時代には、そうした神の方が求められるのかもしれない。

今日は物を書いて一段落して、10時過ぎに散歩がてら郊外型の大規模安売り店に行ってみた。なんでもある。という感じ。みな自動車で移動する時代になると、駅周辺の小規模な小売店では対抗できないなあと実感する。アイスクリームを一つだけ買って、川べりで景色を見ながら舐めた。</description>
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑記</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 04 Sep 2008 20:49:26 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>批評的であることと政治的であること</title>
         <description>午前中の頭が冴えている貴重な時間をブログの更新に使うのはどうももったいないと考えるようになったので、夜の空いている時間に更新することにした。今日は朝更新しているので書くことはあまりないけれども、思いついたことをつらつらと。

堀田善衛『ミシェル　城館の人』第二部は現在272/494ページ。モンテーニュの『エセー』が「批評」である、ということは今まであまり認識しなかったけど、いわれて見たらそのとおりだと思った。「批評というものが他を通しての自己発見、自己表現であること」というのはそのとおりで、目から鱗が落ちる思い。一つの問題について主義主張に囚われず、ほんとうには自分はどう思うのか、どう考えているのかということを掘り下げていくことが批評の本義なのだと思った。ということは、批評と政治とはかなり異なる。自分が書いているブログは時に政治的なときはあるが、十分に批評的ではないなあと反省させられる。

塩野七生『ローマ人の物語』34巻、[迷走する帝国・下]、現在154/216ページ。34巻は一気に読んでいる感じだ。260年の皇帝ヴァレリアヌスがササン朝ペルシャのシャープール1世に捕えられた事件が、ものすごく大きな波紋を読んだ様子が印象的。何度もくりかえすが､この時代については知らないことが多くて、いちいちへええ、と思う。いわゆる軍人皇帝時代はとにかく混乱していた、ということしか知らなかったが、細部を見ていくとそれぞれの皇帝の努力もあり、面白い面も多々ある。それにしても、ヴァレリアヌスの捕囚後、ガリアにはガリア帝国が自立し、オリエントでは女王ゼノビアの支配下にパルミラ王国が自立してローマは三分状態になっていたということは知らなかった。

またこの期間、元老院と軍人が明確に分離されたこと、また重装歩兵主体だったローマ軍がゲルマン民族の侵入に対抗するために軽装騎兵主体に変わったことなど、ローマ帝国自体の性質に重大な変化が起こったことなど、大変興味深いと思った。

仕事は比較的暇。これは外的条件からやむをえないのでまあこんな日もあるということ。
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 03 Sep 2008 21:19:44 +0900</pubDate>
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         <title>本と自分との距離</title>
         <description><![CDATA[昨日帰郷。銀行で用事があったのでいつもより1本早い特急に乗る。東京は予期していたよりもずっと蒸し暑く、ジャケットを着て出たら特急に乗るまでに大汗をかいてしまった。汗はしっかり拭いたつもりだったが、やはり冷えてしまったようで、今はどうにも調子がよくない。こちらは空気が乾いているし気温もあまり高くないので楽は楽なのだけど、落差が堪えているようだ。自分の感じとして、低潮期であるようにも思う。

職場で銀行関係の仕事を少しして、書類が足りないことがわかって実家まで往復し、銀行で用事を済ませてまた実家に戻って一休みして、ほぼとんぼ返りで職場にきて夜まで仕事をする、ということになった。仕事はまずまずの忙しさだったが少し難しい仕事があってそれにやや時間をとられた。

夜は北島を育てた平井コーチを取り上げた『プロフェッショナル』を見ながら夕食。本当に素直に指導についてくる選手たちと、それにすべてをぶつけるコーチ。人間の信頼関係というものはすごいものだと思う。入浴、就寝。

疲れていたのだと思うが、今朝は起きるのが遅れて朝のうちは何も出来ず。モーニングページを書いただけで精いっぱい。父に愉気、朝食。出かける準備をして歯医者へ行く。戻ってきて職場でブログ更新。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-12-%E8%BF%B7%E8%B5%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4103096217%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4103096217"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/510MWQNR5SL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国</b></br>塩野 七生</br>新潮社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-12-%E8%BF%B7%E8%B5%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4103096217%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4103096217">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

塩野七生『ローマ人の物語』33巻[迷走する帝国・中]。現在142/166ページ。3世紀のローマで問題になっていたさまざまなこと、ササン朝ペルシャとの抗争、ドナウ河畔からのゴート人の侵入、キリスト教徒の問題、ローマ人の公共性の減退などさまざまなことについて具体的に書かれていて今までの知識が腑に落ちていく感じがしてなかなかいい。十把一絡げにされる軍人皇帝たちも一人一人見ていくとトラキア人あり、アラブ人あり、シリア人あり、北アフリカ人あり、伝統的な元老院議員ありとバラエティに富んでいて面白い。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51KW276N9GL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

堀田善衛『ミシェル　城館の人』第二巻、254/494ページ。モンテーニュの読書に対するスタンスが面白い。読書は何かを知るためにするのではなく、自分が思考し、判断するための材料に過ぎないので、特に熱心には読まない、自分が考えるのに必要なものは基本的には自分自身のみだ、というスタンスなのだ。教養人であり博識であり蔵書家でもあるけれども本は手段に過ぎないということをはっきりと宣言していて、そのあたりは考えさせられる。

確かに私も、本を読んでいるときというのは寄り道をしていると感じることはあるので、彼の言うように一日の活動の中心は思考と判断と執筆に当てるべきなのかなあと思う。このブログも主に記録的な意味あいで書いているのだけど、それにあまり時間をとられるのも本末転倒かもしれないと思ったり。このブログは書くのにちょちょいのちょい、というわけには行かないのだ、実際の話。そうたいしたことを書いているわけではないのだけど、結局1時間ではすまないことが多い。それでこの内容かよ、と思うと時間の使い方としてあまり賢いとはいえないのではないかという気がしてくるわけだ。

しかしだからといって書かないことにすると一日の生活の姿がはっきりしなくなってしまう。酔生夢死という感じになってしまって、ぼんやりと過ぎていってしまうのだ。一日に形を与えるという意味では意味がなくはない。毎日他の文章を一定量書いていればそういうこともないと思うのだけど。

知ることよりも考えること、形を与えることに重点をおいているという点で、モンテーニュは間違いなく作家であって学者ではない。
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
        
         <pubDate>Wed, 03 Sep 2008 10:37:56 +0900</pubDate>
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         <title>一日本を読む／「政権投げ出し」に思う</title>
         <description><![CDATA[昨日。朝からおおむね本を読んでいた。塩野七生『ローマ人の物語』32巻読了、現在33巻の40/166ページ。ついに軍人皇帝時代に突入。このあたりの話、あまり知らないので興味はあるのだが、読んでいてあまりパッとする話でもない。日本の戦国時代の話と同じで、足利将軍家や関東管領の話を読もうと思っても、あまり面白くないので地方の戦国大名の方に話がシフトしてしまうのと本質はよく似ている。戦国大名に当たる勢力があるわけではないから話を持たせること自体が大変だと思う。

堀田善衛『ミシェル　城館の人』は第二部、210/494ページ。1572年8月24日に起こった聖バルテルミーの大虐殺についての記述が延々と続く。この記述によれば主犯はカトリーヌ・ド・メディシスとアンジュー公アンリ、実行犯がギュイーズ公アンリをはじめパリの市政体、パリの民衆その他ということになるが、そう言い切っていいのかどうかはよく分からない、というのは、堀田がどの本を底本にしてこの記述をしているのかがよく分からないからだ。しかし最大公約数的にいってこの記述どおりに世間で考えられただろうなあとは思う。私の読んだこの時代の記述ではここまでカトリーヌ主犯説をはっきり言い切ったものはなかった気がする。

しかし、その陰謀を企んだのが彼女であったとしても、これだけ規模が拡大し、虐殺と言われるほどにプロテスタント殺戮が行われたのはパリの市政体や民衆の反プロテスタント感情がそれだけ強かったからというしかないだろう。またそうしたストレスが高まったとはいえこういう行動が起こってしまうということに、パリという都市のある種の特殊性があるのか、フランスという国のせいか、あるいは人類の業というべきか、などということも考えさせられる。虐殺は地方にも飛び火し、オルレアンで500人、ボルドーでも344人が犠牲になっているという。これが全土に及び、また期間的にも1572年いっぱい続いた出来事であるということは正直認識していなかった。堀田の引用するミシュレーの記述によってそのあたりははじめて認識した。

この大きな事件について、実はモンテーニュは全く言及していないのだという。しかし、寛容や信仰の危険性についてはかなり強いことばで述べているということで、あまり生々しいことは書くのを避けたということなのだろう。そうした時代に生きた思考の人がどのような考えでこれから記述に臨んでいくのか、そのあたりも興味はある。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%80%881%E3%80%89-Michel-Montaigne/dp/4560025746%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4560025746"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/417QZP20AXL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>エセー〈1〉</b></br></br>白水社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%80%881%E3%80%89-Michel-Montaigne/dp/4560025746%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4560025746">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

午後神田に出かけ、何軒か本屋をはしごした後、書泉グランデでモンテーニュ『エセー』第1巻を買った。7巻物で、今3巻まで出ているようだ。こうしたスローペースの著作を買うのも楽しいものだと思う。帰りにかげろう文庫に出ていた有元利夫を特集した芸術新潮を買う。ガイアプロジェクトであんぱんを買って帰る。

本を読み疲れて早く寝た。朝起きていろいろやってからミクシイにアクセスしたらいきなり福田首相辞意表明の記事が出て驚いた。ちょうど6時だったのでテレビをつける。本当だということはわかった。

いろいろ見たり聞いたりしていると、みな任期途中での「政権投げ出し」ということに腹を立てているらしい。私は去年の安倍首相の辞任には衝撃を受けたが、それは途中辞任ということではなく、安倍首相に期待していたからショックを受けたので、今回の辞任に関しては特に何も感想はない。というか、だいたい首相というものは決まった任期はないんだから、ある意味みんな中途辞任なのではないか。少なくとも党総裁任期切れとか、総選挙に敗北するとか、あるいは死去するとか以外はみな途中辞任だ。今回みな憤っているのは簡単に言えば辞めると思っていなかったからだろう。日本の総理大臣は権限の割には中途辞任が多く、それが政策遂行上の難点であるのは確かで、高度成長期の池田・佐藤などは長期政権だった。現在のような困難の多い時期に長期政権は難しく、また小泉のような長期政権になるとその政策によってある種の傾向が固定化してしまうという逆の難点もある。

福田首相の辞任理由はよく分からない。あまりに親中的で、またロシアに対してもほとんど無反応であることがアメリカの忌避を買ったという説はないことはないだろう。これで麻生政権に反対するのは野中広務くらいのものになるだろうが、野中にしても去年の総裁選では表に出て来なかったし、今になって何を騒いでいるのかということになると、背後に中国の影を感じなくもない。米中露のパワーゲームの影が日本の政局を左右しているのだろうということになると、まじめに考えるだけ馬鹿馬鹿しいのだが、こうしたぐちゃぐちゃの状況の中で何がどうなるかは見えてこない。

現代の日本人はまじめで責任感が強い人が多いので、とにかくとちゅうで「投げ出す」ということに拒否感があるんだなということは今回わりとへえええと思ったことの一つ。国政の舵取りというのは雇われて働くというのとは違うし、何かの筋書きもなくはないと思うのだけど、でもそういうところで総すかんを食うんだなということは勉強になった。というか、鈴木善幸も政権を投げ出した覚えがあるんだが、あの頃もこんなに叩かれたかなあと思う。その頃はそんなに関心がなかっただけだろうか。でも細川護煕が政権を投げ出したときはこりゃあだめだなとは思ったな。それを考えると、人によって私が持つイメージが違って来ているということになる。それはどういうところなのだろう。
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">時事・国内</category>
        
          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑記</category>
        
        
         <pubDate>Tue, 02 Sep 2008 09:13:46 +0900</pubDate>
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         <title>モンテーニュを探す／塩野七生『ローマ人の物語　迷走する帝国』／ゴルゴ13を朗読するという企画</title>
         <description><![CDATA[このところ、日曜日は疲れが出てこのブログも更新できないときが多い。8月に更新できなかった4日を振り返って見るといつも上京した日か前夜上京の日ばかりだ。疲れが出るということでは、体力的な問題もあるのだけど、田舎にいるときと東京にいるときでは自分を取り巻く状況が全然違うのですぐには対応できないということが大きいと思う。東京にいるときは自分で時間が自由になるのだけど、自由に時間を過ごしているうちに雑用が降りかかってきてそれを考えているうちに動けなくなるという感じ。ギアチェンジが難しい。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51KW276N9GL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第2部〉自然・理性・運命 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC2%E9%83%A8%E3%80%89%E8%87%AA%E7%84%B6%E3%83%BB%E7%90%86%E6%80%A7%E3%83%BB%E9%81%8B%E5%91%BD-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477592%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477592">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

土曜日は仕事はかなり暇だったが、いつもと同じ時間に上京。東京についたらかなり強い雨とむしむしする妙な陽気に見舞われた。田舎にいるときは雨が降れば涼しいのだが、東京ではまだそうは行かないようだ。早めに寝たつもりだったが寝たのは実際には2時を過ぎていた。日曜日の朝は一番で丸善に行って堀田善衛『ミシェル　城館の人』の第二部、第三部を買うつもりだったのだが実際にはかなり出遅れた。9時に開店するからそれに間に合うように出かけようと思っていたのに、目が覚めたら9時前だったからだ。もたもた何もできないうちに時間が過ぎ、11時前にようやく出かけて、文庫のコーナーで二冊を手に取る。さて買おうと思ったら壁面一杯に塩野七生『ローマ人の物語』32～34巻『迷走する帝国』が並んでいる。『ローマ人の物語』は文庫で買っているのでこれも3巻買うことにする。『エセー』も買おうと思っていたのだが、訳本も何種類か出ているし、またどれも高い。時に読むものはずいぶん出来たし、よく考えてからにしようと思ってまだどれも買っていない。堀田善衛『広場の孤独』も買おうと思って出かけたのだが文庫の在庫はなくて、amazonかなにかで注文するしかないか、と思う。あるいは神田に行って探してみるか。

結局文庫5冊を買って、4階のMCカフェで一休みをすることに。窓際の席が空いていたのでそこに座って電車を見ながら何冊かぱらぱら読む。隣に座っていた親子連れの子供が電車が好きらしく、上越新幹線は新潟行きとガーラ湯沢行き、なんてことを母親に講義していた。最初はお茶だけにしようと思ったが、結局カレーセットにして昼食を済ませた。

午後は帰宅して本を読み続ける。『ミシェル』第二部は現在102/494ページ。モンテーニュの城館にこもったミシェルの日常生活、また書き始めた『エセー』の主な主題が自分自身について、自分自身の「判断力」を古今の事柄、また身の回りの事柄について試す、いろいろな事柄を自分で判断して見る、ということになっているということ、また隠棲してすぐ王から栄爵と廷臣の地位を授けられたことなどについて書かれている。モンテーニュがヴァロア朝末期の王権にとってそれほど必要とされていたことは知らなかったので意外だったし面白いと思った。隠棲の作家というと私たち日本人は鴨長明や吉田兼好のようにあまり身分が高くなく、また宮廷とのかかわりもほとんどない人を想像してしまうが、モンテーニュという作家はそうではないのだ、と思った。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-12-%E8%BF%B7%E8%B5%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4103096217%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4103096217"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/510MWQNR5SL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ローマ人の物語 (12) -迷走する帝国</b></br>塩野 七生</br>新潮社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%89%A9%E8%AA%9E-12-%E8%BF%B7%E8%B5%B0%E3%81%99%E3%82%8B%E5%B8%9D%E5%9B%BD-%E5%A1%A9%E9%87%8E-%E4%B8%83%E7%94%9F/dp/4103096217%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4103096217">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

塩野七生『ローマ人の物語』（新潮文庫、2008）32巻[迷走する帝国・上]、現在136/212ページ。セプティミウス・セヴェルスの死（紀元211年）後の四人の皇帝について。カラカラ、マクリヌス、ヘラガバルス、アレクサンデル・セヴェルス。読む前から知っていたのはカラカラとヘラガバルスの二人。カラカラは大浴場の建設と帝国内のすべての住民にローマ市民権を与えたということで知られている。ヘラガバルスは私はエラガバルスとして知っていたが、最初にこの奇妙な皇帝について知ったのは、澁澤龍彦『犬狼都市』に収録されている「陽物神譚」に描かれた少年皇帝である。それからこの太陽神侵攻の新刊でもあった奇妙な少年ローマ皇帝のことは関心を持っていたが、塩野はごくあっさりと外面的な事情を追いかけて描写を打ち切っている。つまりはローマ人たちの立場から、このオリエントからやってきた新皇帝の評価を下しているわけで、まあこの本のスタンスとしてはそれが妥当なのだろう。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%BE%81%E6%BE%A4%E9%BE%8D%E5%BD%A6%E5%88%9D%E6%9C%9F%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E9%9B%86-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%BE%81%E6%BE%A4-%E9%BE%8D%E5%BD%A6/dp/4309407439%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4309407439"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51CYDH6TX3L._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>澁澤龍彦初期小説集 (河出文庫)</b></br>澁澤 龍彦</br>河出書房新社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%BE%81%E6%BE%A4%E9%BE%8D%E5%BD%A6%E5%88%9D%E6%9C%9F%E5%B0%8F%E8%AA%AC%E9%9B%86-%E6%B2%B3%E5%87%BA%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%BE%81%E6%BE%A4-%E9%BE%8D%E5%BD%A6/dp/4309407439%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4309407439">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

セプティミウス・セヴェルスは五賢帝の最後マルクス・アウレリウスの死後、不肖の子として知られるコモドゥスが暗殺された後の乱立期を勝ち抜いて皇帝の座についた人物で、北アフリカ、カルタゴの故地の属州出身であった。その妻はシリアの太陽神神官の家系の娘で、ユリア・ドムナという。彼の死後皇帝になったのはカラカラであったが、万事に積極策をとったものの中途半端なアレクサンドロス大王信仰のためにパルティアとの和議に失敗して暗殺された際、ユリア・ドムナも自死した。簒奪者マクリヌスはパルティアとの和議を急ぎすぎたためにユリア・ドムナの妹ユリア・メサの策略にはまって殺され、ユリア・メサの孫のヘラガバルスが皇帝となる。しかしその奇矯な統治の末に彼が殺されると、ユリア・メサの別の孫であるアレクサンデル・セヴェルスが帝位を襲い、ユリア・メサは地位を保つことができた。このあたり、やや神話じみた皇帝の話が続くところが衰退期の巨大帝国の様相をよくあらわしていて興味深い。『ミシェル』に描かれたヴァロア朝末期の奇妙な王たちの様相も変といえば変だが、人間性の奇怪さがより現れてくるのはキリスト教イデオロギーが支配しているルネサンス期よりは、古代的奇怪さがそのまま現れたこの巨大な古代帝国の方だ。

友人が深川に新しくオープンする朗読とアートのスペース<a href="http://www.geocities.jp/sora_an_111/" target="_blank">「そら庵」</a>でゴルゴ13の朗読（群読？）をするというので聞きに出かける。そらとは河合曽良のことらしい。場所的にも深川の芭蕉庵のすぐ近く、小名木川が隅田川に接続するところだ。地元なので自転車で20分くらいかけて出かける。時間を少し勘違いしていたのでどうなるかと思ったが、間に合った。ついたときには日本ゴルギアン協会（この企画のために作ったらしい）の高野君が自分がザイールにいったときのスライドなどを出してモブツ政権やザイールについて説明していた。なるほどアフリカというのはこういう感じかと思ったが、ある意味奇妙な懐かしさを感じる。少年時代の自分の周囲というのはある意味ああいうアナーキーなわけのわからない世界だった。モブツ暗殺とゴルゴの連絡網の破壊というのが朗読した回のゴルゴのストーリーの中心だったが（128巻収録の「300万通の絵葉書」という作品）、なかなか面白かった。下町の元工場という空間もアナーキーな想像力を生む場としてはなかなか面白い物だし、「アフリカ」を舞台にした日本の「マンガ」をそこで「朗読する」という「企画の面白さ」はなかなかのものだと思う。音楽の演奏・歌も素晴らしく、オープニング企画としてはそれなりの物であったと思う。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413-148-SP%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%92/dp/4845830094%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4845830094"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51x0wkEkM+L._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ゴルゴ13 148 (148) (SPコミックス)</b></br>さいとう たかを</br>リイド社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%82%B413-148-SP%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%A8%E3%81%86-%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%82%92/dp/4845830094%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4845830094">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

特に、朗読をプロデュースするという考えは面白い。朗読という分野は日本においては正直言って未発達だ。朗読のテープやCDなどを探してみて私も思うことだが、高野君の言を借りて言えば「左翼的な」ものばかりで広がりがない。芝居を見に行く、踊りを見に行くという発想はあっても、「朗読を聴きに行く」ということが「楽しみ」として日本では成立しているとはいえないだろう。朗読するくらいなら芝居にする、という発想の方が強いと思う。また、私は聞きそびれたが昨日も中心はポエトリー・リーディングであったらしく、日本で朗読といえばまだそういうものに限定されるのが実情だろう。

しかし『朗読者』という小説一つ考えてもそうだが、欧米では朗読はひとつのジャンルとして成立している。私もイシグロの『わたしを離さないで』などを読んでいて、恋人たちがお互いに本を読みあう朗読というのがいかに切ない、愛の営為であるかというものに心を打たれたことがあるし、芝居の本読みを越えた、あるいは役者としての朗読の表現を超えた朗読そのものの魅力を見つけるという試みがもっとなされてもいいと思う。高野君は「新聞の読み売り」などを例に上げていたが、蝦蟇の油売りの口上など、市井の人々を「悪場所」に引きずり込むための「声の力」、「語りの魔力」というものを探求していくという方向性はあると思う。そういえば浅野温子が古事記を演じるという試みをやっているが、ああいう一人芝居的な方向とか、語りの可能性を見つけていくという試みはもっと幅広く行われていいと私も思う。

朗読というテーマに限らず、高野君のやろうとしていることはものすごくラジカルなことなのだと思う。あまりのラジカルさゆえに、わたしなどが見ると、どうやったらこれがうまく行くか、というようなものが全然分からない。大体普通の意味でうまくやろうとしているのかどうかさえよく分からない。チャーは『気絶するほど悩ましい』のなかで「うまく行く恋なんて恋じゃない」、といっているが、高野君は基本的に「上手く行く芝居なんて芝居じゃない」、と思っているとしか思えない。その中で孤軍奮闘する姿はすごいとは思うが、周りでなかなか手出しの仕様がないという面もまたあるのだろうとも思う。どこへ向かって走っているのか私などには見当がつかない面も多いが、旺盛な活動には私自身が刺激される。

7時前にはねて高野君と酒井君とひとしきり話をした後夜の深川を自転車で走る。美術館通りなど、同じ江東区でも深川の方は面白そうな店がたくさん並んでいる。100円ローソンというのがあったのでそこで夕食の買い物をし、帰宅。夜は東京湾海底峡谷に住むゴブリンシャークという奇妙な鮫の話をNHKで見ているうちに寝てしまった。二日続けて中途半端な寝方になった。夜中に目が覚めてひとしきり本の続きを読み、また寝て6時前に起床。今日は防災の日。もう9月か。
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         <link>http://www.honsagashi.net/bones/2008/09/13_1.html</link>
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 01 Sep 2008 09:35:22 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>堀田善衛『ミシェル　城館の人』を読みつづける</title>
         <description><![CDATA[<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51XMMN0MDML._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>


堀田善衛『ミシェル　城館の人』（集英社文庫、2004）上巻読了。すぐに続きを読みたいところだが、中巻は買ってなかったので明日一番で丸善に行って買おうと思う。この本は読めば読むほど乗ってくる。フランス16世紀史の中での伝記ということが一つ。もう一つは、モンテーニュという思考型の人間の考えたことが、私というおそらくは思考型の人間の感覚にかなり直接的に同意できる部分が多いこと。そしておそらくは思考型の人間である堀田善衛の文章の作り方が自分の思考のペースに非常によくあっているということ、があると思う。いろいろな面で、この本は読むべき本だったのだなと思う。モンテーニュの『エセー』の原著も読みたい気持ちが強くなってきているし、堀田善衛のほかの著作もまた読みたいという気になっている。（以前も、『スペイン断章』などいくつか読んだ本はあったが）16世紀から18世紀のフランス史、特に南西フランス史についてまた勉強したいという気持ちも強くなったし、モンテーニュ以外の思考型の人間――具体的には読んで見なければ分らないがパスカルとかトマス・モア、あるいはヒュームなどだろうか――の著作も読んでみたいと思った。

とりあえず一番感じたのは、モンテーニュが感じた世の中への「違和感」というものに自分が凄く「分る」という気持ちを持つ、ということだ。世の中にはいろいろな人間がいて、その人間が綾なす社会に対し、違和感を全く持たないということは考えられないが、しかし思考型の人間というのはその違和感を本能的に考察してしまうところがあると思う。そしてそれがやがてそれについての自分なりの意見に醸成されていく。しかしろくに意見として育たない部分があったり、かなり深く突っ込んで考えてしまう部分があったり、それ以上は考えるのをやめて判断を避ける、ということがあったり、その思考の用い方のようなものが生理的なレベルで理解できるなあと思ったのだ。

生理的なレベルで共感できるということは大事なことだ。私はフランス史をやっていて一番辛さを感じたのがそういうところだった。フランス人は何を考えているのか分らない、自分たちと縁がない存在なのではないか、その歴史を研究することに一体どんな意味があるんだろう、というような出口のない問いに私は取り付かれていた部分があったのだが、モンテーニュのような人間もいたのか、ということを知ることによって、彼の観察や考察を窓口にしてフランス史を見直すことでより感覚に根ざした理解をできるのではないかという希望が生まれるからだ。もちろんこの著作が堀田善衛のものであり、つまりは今現在のモンテーニュ理解も堀田の手に助けられてのものであるわけで、ひとりで読み始めたらどのように感じるかはまた分らない部分もある。しかし、歴史の中に自分と似たタイプの人間を見つけるというのは心楽しいことだ。私はあまりそういう感覚を持ったことがないので、モンテーニュなどは貴重な存在だと思う。

上巻は彼がボルドー高等法院の法官を辞め、父の死によって相続したモンテーニュの城館に篭って思索をはじめるところで終わりになる。ユグノー戦争といわれるフランス国内の宗教戦争がますます激しくなり、寛容への希望がますます失われていく中にあってのことである。]]></description>
         <link>http://www.honsagashi.net/bones/2008/08/post_1261.html</link>
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 30 Aug 2008 13:00:23 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>勇敢な作家と安定感のある作家／地雷ワード</title>
         <description><![CDATA[昨日。午後から夜にかけて仕事。昨日はかなり雨が降っていた生か、あまり忙しくなく。しかしそれでも終わったのは10時を過ぎていた。帰宅後夕食、少し母と話をしていたら遅くなってしまった。入浴後、部屋に戻るともう1時だった。

そのせいか、今朝は起床が遅れた。目が覚めると6時半過ぎ。モーニングページを書くとすぐ父に愉気し、朝食。父と母と少し話をする。そのあと急いで職場に来てゴミを処理。そのあとPCを起動してネットを見ていたら気がついたら1時間半も経過していた。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51XMMN0MDML._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>


堀田善衛『ミシェル　城館の人』（集英社文庫、2004）上巻、現在316/466ページ。現在1559年、アンリ2世が死に、その長男フランソワ2世が王位についたところ。カトリーヌ・ド・メディシスが権力を掌握するのはその弟シャルル9世が即位したときに摂政になった時なので、まだそれよりは前。しかし時代背景の説明はモンテーニュ個人の描写と前後しつつ進んでいるので、少し後まで見通しながら話が進んでいる。ユグノー戦争は前半と後半に分かれ、前半は私が漠然とユグノー戦争の主役だと思っていた3人のアンリの父親の世代が主役なのだということがよく分った。ユグノー戦争について正確な経過をきちんと把握していなかったので、そういう意味では勉強になった。モンテーニュはボルドー高等法院に法官の地位を得、当時ボルドー市長であった彼の父ピエールとの協力の必要もあってパリの宮廷へ何度も出かけている、というあたりの記述になっている。当時の高等法院は王権の出先機関であり、という理由で特権都市でもあるボルドーの市政府とは対立する局面も多かった。モンテーニュ父子はその中で宥和の流れを生むことに意を用いていたようだが、周囲にプロテスタント勢力の強い地域が多く、また高等法院の法官にも王権の代理人であるにもかかわらずプロテスタントの者があったり、状況は複雑であったらしい。この騒擾の時代に静謐の思想家であるモンテーニュがいたということが歴史の綾で興味深い。

私はこの地域の革命史を専攻したのでアンシャン・レジームの成立しつつあるルネサンス期に、もっと縮めて言えば絶対王政の成立過程の中で、ということは当然思想的にも権力の統制が進んでいく時期、また白か黒か、敵か見方かを明言することを強要される宗教戦争の時期に、モンテーニュという自由な思考をする思想家がいたということは興味深い。ラブレーやエラスムスに比べて少し時代が下ることでそうした制約はさらに強くなったはずだから、そういうところにモンテーニュという思想家がいた意味があるのだなと思った。

実はこの文章を書いている途中で秀丸エディタがエラーを起こし、書いている文章が一度パーになってしまったので内容を思い起こしながらかいているのだが、書いているうちに先ほどかいていたことと違う内容になったりして結構困る。正確には思い出せないしおそらくは思い出しても仕方がないのだが、もう一度書くということは実際疲れることだ。

それはともかく、この作品を読んでいると、同じ西洋史の範疇の歴史記述ということもあって、塩野七生の文章と無意識に比較する。堀田の文章を読んでいて思うのは、塩野に比べて遥かに日本国内の西洋史学に目配りをしているということだ。用語的にも西洋史学で一般に使われる定訳をきちんと使っているし、そういう意味でわたしなどには読みやすい。塩野はイタリアの学者の記述はかなり目配りをしていても日本のローマ史家の記述にはほとんど目配りしていない、少なくともそう見えるということで、日本の歴史研究者からはかなり叩かれているのだと思う。塩野はイタリアに住んでいるから、ということも言えなくはないが、堀田も基本的にはスペインに住んでいたわけで、もちろんそれだけではない。『ルネサンスとはなんだったか』であったか、塩野は自分でも書いているけれども、いわゆる歴史学とは違う「歴史」を書きたいという強い志を持っていて、それを実現してきたという経緯があるのだ。しかしそれは当然強い軋轢を生み、塩野自身がイタリアに移住したこともそれとは無縁でないようだ。

堀田の場合はそういうことはないようで、また塩野が歴史そのものを自分の見方で書きたいという強い動機を持っているのに対し、堀田はモンテーニュを描くのが目的で、歴史背景の叙述自体は歴史学から借りてきて対処している、という感じを受ける。そういう意味で、塩野の歴史叙述は良くも悪くも塩野ワールドを作っていて、それが読者に胸のすくような快さを感じさせるのだけれども、堀田のほうは叙述の部分がやや解説書的に感じられる側面もある。このあたり微妙なバランスの問題でどちらが良いと一概には言えないが、女性作家の勇敢さと男性作家の安定感という対比だと考えられなくもない。塩野は用語一つ一つにもかなり踏み込んだ独自の判断をしている部分があるように思うし、それが説得力を持つ部分もある。堀田の記述はもう少し踏み込んだ記述があってもいいのになあとやや不足を感じるのだけれど、それは私が塩野の読者であるからかも知れず、まあそれぞれの判断と描き方の問題だということなのだと思う。

二度目を書き直している途中でもまた秀丸のエラーが出て、今回は慎重に保存しながら書いていたのでたいしたダメージではなかったが、どうやらある『地雷ワード』があって、それを変換するとエラーになってしまうということが分った。以前別の言葉でそういうことがあったのだけど、また新たにそういう言葉が出てきたということで参ったなと思う。
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         <link>http://www.honsagashi.net/bones/2008/08/post_1260.html</link>
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
        
         <pubDate>Fri, 29 Aug 2008 11:28:06 +0900</pubDate>
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      <item>
         <title>「六度までは営み得た」／「文学の業の意義深きを感じ」</title>
         <description><![CDATA[このところ朝はかなり涼しい。今朝は結構晴れていたのだけど、9時過ぎになって雨が降ってきた。ちょうど歯医者から帰るところで、傘を持っていなかったのでかなり濡れてしまった。

昨日は午後から夜にかけて仕事。少し暇だったか。昨日は操法に行ったのでかなり疲れが出て早く寝た。今朝も少し起き難かった。体が緩んで、体の歪みが少し取れたからだろう。朝のうちに職場に行って不燃物の処理。家に戻って父に愉気、朝食。別の仕事をして家に戻る。あれこれやっているうちにすぐ歯医者の時間。歯を磨き顔を洗って出かける。郵便局によって預かった郵便物を出し、歯医者へ。今日は奥歯の虫歯の治療で、かなり奥まで掘ったのだが、つい口が塞ぎがちになって何度も口を開けてと言われた。昨日操法を受けて感受性が敏感になっているのでちょっと参った。順番を考えておいた方がいいかもしれない。

10年前の修論をいろいろな個所を読み直す。フランス革命のボルドーにおける進展と、フランス革命期の教育の変遷について書いたのだが、前者は一つの典型的なパターンで今までもある程度研究があるところなのでやはりあまり目新しい感じはしないのだが、教育に関してはあまり研究も進んでいないこともあって、といっても10年前は、ということでその後の進展についてはあまり把握していないのだけど、結構目新しく感じる。研究を進めるとしたらこちらの方だったなと思う。当時は精も根も尽き果てて研究を継続するパワーはなかったのだが、今読み直してみると余熱のようなものが自分の中にあるのが分る。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51XMMN0MDML._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>


堀田善衛『ミシェル　城館の人』（集英社文庫、2004）上巻を読んでいる。現在216/466ページ。モンテーニュが幼少からラテン語のみで育てられるという奇矯な教育法を受けた人だという人物造形はかなり面白い。また少年時代の描写で、かなり性的な経験を積んだことが『エセー』の文章からも伺えるという指摘はとても興味深かった。『エセー』というのは単なる哲学書ではなく、思ったことを何でも書いているという印象を受ける。「6度までは営みえた」、とかいう文章があのモンテーニュの『エセー』の中にあるとは、読んだことがない人はとても思わないだろう。そういうところを拾い上げる視点が小説家的で面白いし、やはり小説家の書く伝記なのだなと思う。

この伝記はモンテーニュという文学上の巨人を描くことだけでなく、フランス16世紀という時代の中でどう生きたかということを描こうとしているので、ある意味ポロソポグラフィー的な感じで面白い。ある種の事例研究のような感じだ。もちろん巨大な文学者という点で特異な例ではあるが、16世紀南西フランスの典型的なブルジョアからなりあがった貴族の2代目、という意味では普遍性もあるので、そのあたりの加減を堀田はうまく書いているなあと思う。

思想家としてのモンテーニュに共感できると思うくだりも出てきた。

<blockquote>
われわれは自然の無限の力を、もっと多くの畏敬の念をもって、またわれわれの無知と無能を、もっと多くの認識を持って判断しなければならない。いかに多くの、ほとんど本当と思えないことが、信頼に値する人びとによって立証されていることであろう。だがそういうものいついて、納得できない場合には、少なくともそれを未決のままにしておかなければならない。なぜなら、それらをあり得ないことときめつけてしまうのは、可能性の限界を知っていると自惚れる、大それた思い上がりだからである。
</blockquote>

この言葉はかなり胸がすっとする。ほとんど私が思っていることと同じことだけど、モンテーニュ様がいうとやはり説得力があるというものだ。

時系列的に見てきて、現在1557年、モンテーニュ24歳のところまできた。この年ペリグーの租税法院に法官の職を得ているらしい。それまでパリに遊学していたのだが、数年の空白がここでもあるようだ。しかしこの間、フランソワ1世の設けた王立教授団の講義を受け、特にアドリアヌス・トゥルネブスに私淑し、その縁でジャン・ド・モレルのサロンに出入りし、またそこの関係で宮廷にも出入りしたという。時代はアンリ2世の治下で、アンリ2世の寵姫ディアヌ・ド・ポアティエを交えたカトリーヌ・ド・メディシスとの奇妙な結婚生活にも話が及び、またカトリーヌが幼少時ローマに滞在していたときにカール5世の軍勢による「ローマの掠奪」が行われたことなど、カトリーヌという歴史上の異形の存在に対する幼少時の描写も行われていて――これはもちろん、あとの伏線になることだろう――興味深いと思った。なかなか違う国の昔の話を書くときに広がりのある描写をするのは難しいと思うのだが、健闘はしていると思う。

武田泰淳『滅亡について』は面白そうなところを拾い読みしているが、13ページほどの吉川英治論はなかなか面白かった。中核になるエピソードは吉川栄治の年譜を読んでいて見つけた関東大震災に際して吉川が書いていることだろう。吉川英治は関東大震災で職を失う。「焦土の生計として上野の山によしずを持ち牛飯を売る。やや、焦土流離の人びとと樹下に眠り、あらゆる境遇と人間の心に会う。――このことより卒然と文学の業の意義深きを感じ、身辺すべてのものを売って、十月中、北信濃の角間温泉へ篭る。」

武田は、「この同じ大震災で菊池寛氏は文学の無力を感得している。芥川龍之介氏も、はなはだしい動揺をこうむっている。吉川氏の如く、この災害によって「文学の業の意義深きを感じ」た例は、ほかに知らない。」と述べている。

これはもちろん、吉川英治の「文学」と、菊池や芥川の「文学」とでは中身が違うということだろう。しかし元来、人が物語を必要とするのはそうした天変地異のときではないかというふうにも思うわけで、そうなると吉川の文学の方が「真の文学」かもしれないということになる。というか、武田の筆致のニュアンスにはそういうものがあって、その辺は面白いなと思う。私もある意味、いわゆる純文学よりも吉川的な意味での大衆文学を評価する気持ちがあるから、武田の言いたいことはよく分るし胸がすっとする感じがある。
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         <pubDate>Thu, 28 Aug 2008 10:40:23 +0900</pubDate>
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         <title>モンテーニュと南西フランス／1998年の自分と世界</title>
         <description><![CDATA[昨日。10時過ぎに家を出て帰郷の途に。途路丸の内丸善に立ち寄る。モンテーニュ関係の読みやすいものを読みたいと思い、堀田善衛『ミシェル　城館の人』を探しに行ったのだ。文庫で3巻物で出ていることを確認し、とりあえず上巻だけ購入。集英社文庫で2004年に出ていた。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/51XMMN0MDML._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>ミシェル城館の人〈第1部〉争乱の時代 (集英社文庫)</b></br>堀田 善衛</br>集英社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%AB%E5%9F%8E%E9%A4%A8%E3%81%AE%E4%BA%BA%E3%80%88%E7%AC%AC1%E9%83%A8%E3%80%89%E4%BA%89%E4%B9%B1%E3%81%AE%E6%99%82%E4%BB%A3-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%A0%80%E7%94%B0-%E5%96%84%E8%A1%9B/dp/4087477495%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4087477495">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

東京駅に入ると、中央線が人身事故で運転見合わせとのこと。困ったと思いつついつも行く弁当屋で夏野菜弁当を買う。最初いつもの売り子のお姉さんがいないから残念だと思っていたら、途中で出てきた。久しぶりとご挨拶。中央線が止まっているので仕方なく京浜東北で秋葉原に出る。いつも乗らない線なのでタッチの差で黄色い電車を乗り逃がしてしまった。次の電車は5分後。じりじりして待つ。御茶ノ水につくと、もう中央線は動いていた。しかしいつ次の電車が来るかは分らない。このまま総武線で行こうかと思っていたら、発車ぎりぎりになって中央線がホームに滑り込んできた。ダッシュで乗り換える。新宿まで快調に行って、特急の発車時刻に間に合った。もし黄色い電車のままだったら間に合わなかっただろう。冷や冷やさせられる。

『ミシェル　城館の人』を読む。読み始めてみると、これは小説ではなく伝記だった。しかし、小説家の書く伝記だ。時代背景の説明が微妙に一時代前の感じだ。しかし私の知らないこともときおり挟まれていて、よく研究はされていることは察せられる。読んでいる間に、大学院時代に勉強した近代初頭の南西フランスのことがさまざまに思い起こせられて来て、なんとも言えない感じになってくる。

私が勉強したのは主にフランス革命期のボルドーだが、当然アンシャンレジーム期についても勉強しなくてはならず、またそうなるとアンシャンレジーム期（ほぼブルボン王朝時代と重なると考えていい）の前のルネサンス・ユグノー戦争期のことも関係してくる。ボルドー及びアキテーヌは1453年まではイングランド領だし、南西フランスでスペインに近く、また新教徒の勢力も侮れないものがあるなどこの地域はフランスの中でも独特なものがある。ボルドーの生んだ二人の偉人といえばモンテーニュとモンテスキューなのだが、革命期にはジロンド派の革命家たちを何人も（ジロンドとはガロンヌ川の下流の名であり、ボルドーの属する（革命後の）県の名でもある）輩出してもいる。

モンテーニュの祖先は曽祖父くらいまでしかわかってないらしく、塩魚を扱うような商人からのしあがってブルジョアに、さらには領地貴族へとなりあがっていった一族なのだという。そしてそのモンテーニュ村の城館で、ミシェルは2歳からラテン語のみで教育を受けた（アキテーヌ語やフランス語は召使さえ使うことを禁じられた）のだという。それは教会の支配していた当時のコレージュでの教授に限界を感じた人々が作った新しいコレージュ、コレージュ・ド・ギュイエンヌの教授たちと親交の厚かった父ピエールの教育方針で、当時の最先端知識人エラスムスらの教育論に基づくものだったのだという。

私は16世紀のことはそんなに詳しくないので、1533年に生まれて1592年に死んだ、つまり純粋の16世紀人であるモンテーニュのこともほとんど知らなかったが、歴史背景のことを読んでいると大学院時代の三年間に勉強した分厚い内容が重量感を持って自分に迫ってくるのを感じた。精神的にも肉体的にも限界を超えたために研究を続けることは出来なかったが、さりとてこれだけ勉強したものを放置していて、自分自身が救われるわけもないのだ、ということもまざまざと思い知らされた。やはりあの三年間の勉強は、独学での日々に比べて密度があまりにも濃い。物になるならないはともかく、私はこの分厚いものを放棄してはならないし、放置していてはならないのだと言うことが地鳴りのような運命の宣言として体の底から響いてくる感じがする。

特急は荻窪駅の事故の影響で15分ほど遅れて到着。普段の段取りで行動できなかったので予定を変更してずっと職場に。仕事は忙しく。帰宅後、10年前に書いた修士論文など引っ張り出して読み直してみる。どう言うことをやっていたのかということが甦ってくるのと、1998年という時代もまた甦ってくる。つまり、冷戦構造は崩壊し、阪神大震災やオウム事件は経験して一つの山は越えているのだけど、2001年の911よりは前だし、2002年の917（平壌会談）もまだだ。世界はおおむね平和になりつつあるが、地域紛争やカルトの問題、自然災害の問題などは徐々に提起されつつあって、しかし全体的に世界はよい方向に向かっているのではないかという感覚があった時代だ。修論の中で私は口角泡を飛ばしてマルクス主義的なものの見方を否定しているのだけど、今やそんなこと自体に意味がない。もはや歴史的な振り返りの対象として再評価されるような存在だ。10年というのは短いようで長い。自分も周りも大きく変わっている。

今朝は朝食後松本に出かける。車中では『ミシェル』と朝コンビニで買ったスーパージャンプを読む。用事は思ったよりずっと早く終わり、予定より早く松本に戻る。松本の書店で原稿用紙とコミック乱を買い、あんパンとオレンジジュースを買って特急の中でマンガを読んだ。このあんパン、久しぶりにうまいと思った。松本市内で製造されているようだ。ちょっとマークしておこう。

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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
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         <pubDate>Wed, 27 Aug 2008 15:46:13 +0900</pubDate>
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         <title>滅亡について／横浜ベイクウォーター</title>
         <description><![CDATA[昨日。午前中に買い物をして日用品の足りない物を買いに行く。自転車で西友に出かけた。行きはほとんど雨が降っていなかったのに、帰りは本降りに近い雨になっていて、かなり濡れた。この時期、こんなに雨が降っていたことはあまり記憶にない。涼しいのはいいけれども、日が照るときとのアンバランスで体調を崩しやすそうだ。地下鉄はあまり冷房が効いてなくてジャケットを着ていると暑かったのだけど、JRに乗ると冷房ががんがん効いていてジャケットでも寒いくらい。これは対応が難しい。

昼食後、友人との約束で蒲田に出かける。大手町で降りて東京駅から京浜東北線に乗り換えたとき、京浜東北線のホームは屋根が木造であることに今更ながら気がついた。

<img src="http://pict.from.tv/yane_tokyoeki.jpg">

田舎の駅でも木造の屋根が廃されて金属の構築物になりつつあるのに、東京駅がいまだにそういう上屋を持っているということは何だか嬉しい。レンガ造りの丸の内口の駅舎もいいけれども、こういうちょっとしたところに昔の味わいが残っているのは魅力的だ。

蒲田で友人と落ち合い、打ち合わせをして用事を済ませる。湯沢屋へ行ったのだがなかなか面白い場所だ。自分が洋裁をするわけではないからそう行くところではないけれども、シャツのオーダーとかも出来るようだし、安いから一度頼んでみてもいいかなと思った。用事を済ませた後横浜に出る。東京－蒲田間が210円、蒲田－横浜間も210円だった。東京－横浜間は450円だから、蒲田で一度降りた方が安い。急いでいるときはともかく、暇なときは蒲田で湯沢屋を覗いてから横浜に出るのも一興かもしれないと思った。

ルミネの中の南インド料理のカレー屋さんに。開放的なつくりで、味もなかなか美味。横浜は開放的で落ち着くなあ。東京はやはり最前線の緊張感がある。横浜は、田舎でもなくお洒落で開放的で生きるにはいい場所だなあと思う。石川町あたりに住めたらいいな、という話をしていたら、今の下町よりは似合うんじゃないの、といわれた。先立つ物さえあれば、元町とか山手あたりに住みたいもの。

場所を変えて、そごうの先に新しくできたベイクウォーターというところに行く。ここはなかなかお洒落。雑貨屋で携帯を持ち運んだりするのに便利そうなウェストポーチ？をためしに買ってみる。こういうものは慣れないからよく分からない。ハワイ風のバー？で軽く飲む。港がよく見える。リーズナブルな値段なのに結構ゴージャスに感じさせるつくりで、なかなかよかった。結構いろいろ話し込んだ。最近、「世界の滅亡」というテーマというかイメージというものが自分の中から出て来ているという話などする。これはこのブログでもあまり書かなかったけど、最近世界の滅亡と誕生、みたいなテーマの話に自分がすごく関心があることに気がついた、ということ。ナルニアが好きなのもナルニアの誕生と滅亡がこの話に書かれていることだし、チャーンの都の滅亡など、違った種類の滅亡譚もある。ダンテの「地獄篇」などが好きなのも同じ系統なんだろうと思う、というような話をした。あまりその話は続かなかったけど、ついでにここに書いておく。

共通の友人のホームページ、というかブログの話になり、絶対見ろというので帰ってから見たのだが、しみじみした。武田泰淳『滅亡について』を読みながら東海道線で東京へ。もうたくさん書いてしまったからあれだが、この評論集はなかなかいいし、終戦直後の南京路の――ということは上海か――、戦勝国民たちと敗戦国民たちの明暗の別れ方など、その描写はとてもリアルで、引き込まれるものを感じた。この方面の作家は今までほとんど読んでないのだけど、読んでみてもいいかもしれないとおもった。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%84-C-S-%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9/dp/4001163764%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4001163764"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/61DWEF3DQ1L._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>魔術師のおい</b></br>C.S. ルイス,C.S. Lewis</br>岩波書店</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E9%AD%94%E8%A1%93%E5%B8%AB%E3%81%AE%E3%81%8A%E3%81%84-C-S-%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B9/dp/4001163764%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4001163764">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

帰って詩のメルマガとブログの作業をし、友人のブログを見、寝る前にナルニアの『魔術師のおい』のチャーンの都のくだりを読み直した。今読むとルイスがそこにこめた寓意がかなりあざといくらいに見えてしまうところもあってそういうところはあれなのだが、滅亡と新生の流転する世界、「われわれの世界」へのいましめ、といったところは読んでいてよくできているなあと思う。少年向けでなければこれだけストレートには書けないだろうけど。おかげで寝るのが3時になったのに、今朝は6時に目が覚めてしまった。またどこかでまとめて睡眠をとる必要が出てきそうだ。
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         <link>http://www.honsagashi.net/bones/2008/08/post_1258.html</link>
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         <pubDate>Tue, 26 Aug 2008 09:06:56 +0900</pubDate>
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         <title>日本のマラソン</title>
         <description><![CDATA[土曜夜帰京。金曜の夜に友人と飲んで、あまり寝ないで仕事をしてから帰京したのだが、土曜はそんなに忙しくなかった。逆に仕事があったら気合が入ってよかったんだがいまいちバランスが悪く。帰京の特急の中ではほとんど夢現だった。爆睡だったらまだいいのだが、中途半端。

土曜は帰宅後そんなに何もせずすぐ寝たのだが、だいぶ疲れが残っていたらしい。8時前に友人からの電話で起こされたが、もう十分寝たと思っていたのにずいぶん疲れが残っていて、昨日はほとんど何もしないで過ぎてしまった。友人の電話を切ってから日常に戻る流れに乗れず、テレビをつけたらマラソンをやっていたのでつい見てしまう。日本人選手はだめだったがケニアのワンジルという選手が仙台育英出身で、それが2時間6分台で優勝した。日本選手は尾方が13位だったが、かなり差があった。佐藤は76位で完走選手中最下位。うーん、日本のマラソンはいつこんなレベルにまでなってしまったのだろう。

<table><tr><td></td><td><b>評論集 滅亡について 他三十篇 (岩波文庫)</b></br>武田 泰淳</br>岩波書店</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E8%AB%96%E9%9B%86-%E6%BB%85%E4%BA%A1%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E4%BB%96%E4%B8%89%E5%8D%81%E7%AF%87-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%AD%A6%E7%94%B0/dp/4003113411%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4003113411">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

中途半端な時間に起きて中途半端な時間に朝食をとったので万事中途半端になり、午後とにかく何かアクションを起こそうと日本橋に出かけるが雨であまり意欲がさまざまに湧かず。「えん」でお茶漬けを食べて昼食にし、プレッセで目に付いたパンを買って丸善に行き、ウォーターマンのブルーブラックの瓶インクを買って、本を物色。何を読むという方針が全然なくて、あてもなく探した結果、武田泰淳『滅亡について』（岩波文庫、1992）というのを買ったのだが、果たしてちゃんと読むかどうか、いまいちよく分からない。

帰ってきてパンを食べ、だらだらテレビを見ているうちにまた眠くなって寝てしまった。夕食も取らなかったから、少しは腹の中が清掃されたかとは思う。
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         <link>http://www.honsagashi.net/bones/2008/08/post_1257.html</link>
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">時事・海外</category>
        
          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑記</category>
        
        
         <pubDate>Mon, 25 Aug 2008 10:43:08 +0900</pubDate>
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         <title>400mリレーで銅／次の野球日本代表監督は誰か</title>
         <description><![CDATA[昨日。仕事は結構忙しかった。最中に友達から飲みの誘いのメールが入り、特に支障がないので久しぶりに飲みに行くことにした。9時半に職場に来てもらい、彼の知っている焼き鳥屋でいろいろ話す。別に何を話したということもないのだが、今までで一番落ち着いて話せた気がする。こういうときに友達っていいなあと思うようになったのは、年のせいか何のせいか。

飲み屋のテレビで陸上の400メートルリレーが銅メダルを取ったことを知る。チャンスはあるとは思っていたが、しかしまさか実際にメダルを取るとは。男子のトラック競技でメダルを取ったのは史上初、女子でも80年前の人見絹枝以来だからまさに歴史的快挙だ。4人のランナーのうち、一走の塚原が実は地元出身なので、焼き鳥屋の中でもずいぶん盛り上っていた。星野ジャパンの体たらくにはみな盛り下がっていたが。

12時ごろからカラオケに行き、1時間半ほど歌う。『ワインレッドの心』で初めて90点獲得。ラストに何の気なしに入れた『Train Train』が以上に気合が入って盛り上った。この曲やはり名曲だなあ。

土曜日は仕事があるので昨日はほどほどにして帰って寝たが、目が覚めたのは6時前。それからとにかく支障なく動いているので、何だかスッキリしたのだと思う。声を出すのは健康にいい。

それにしても野球日本代表の体たらく。ちょっと酷いネこれは。韓国、キューバ、アメリカには全然勝ってない。アメリカ戦もちょっとどうなんだろう。誰が投げるんだ？ダルビッシュか？もったいない。

やはり星野は国内ではいいけれども、国際試合向きの監督ではない。今までの監督は長島であり王であり、プロ野球を象徴するような人が監督をやってきた。星野は国内レベルではそれなりのカリスマはあるが、国際試合で輝くようなタイプのカリスマではないのだなと思った。

それでは次に日本代表監督になるべき人材は誰か。今更長島王に戻ることも出来ない。続く世代で野球を象徴する人間といえば…そう、もう次はイチローしかいないと思う。イチローはもちろんまだまだ現役で行くだろうから、監督をするにしてもプレイングマネジャーでやるしかない。しかしイチローの上の世代で誰ができるか。……桑田清原？ないだろう。星野と同世代の田淵山本もちょっとない。中畑なんか論外だったな。落合？…まだあるかもしれない。しかし中日の監督をしているあいだは出来ないし。案外原なんかいいのではないかと思うが、難しいかな。世界のスター、といえば王の次はイチローまで飛んでしまうのは淋しいが、それが実態だろう。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E9%A4%8A-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AB%B9%E7%94%B0-%E7%AF%A4%E5%8F%B8/dp/4166602934%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4166602934"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/41GMAZDQ5PL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>明治人の教養 (文春新書)</b></br>竹田 篤司</br>文藝春秋</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%98%8E%E6%B2%BB%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%95%99%E9%A4%8A-%E6%96%87%E6%98%A5%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E7%AB%B9%E7%94%B0-%E7%AF%A4%E5%8F%B8/dp/4166602934%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4166602934">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

読む本がないので竹田篤司『明治人の教養』（文春新書、2002）を引っ張り出してきた。ぱらぱらと見たがこれは案外面白いかもしれない。ずいぶん前に一度読んではいるのだが。
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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">時事・海外</category>
        
        
         <pubDate>Sat, 23 Aug 2008 13:10:53 +0900</pubDate>
      </item>
      
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         <title>ソフトと野球／老荘的統一</title>
         <description><![CDATA[昨日。午後から夜にかけて仕事。かなり忙しかった。帰宅後、ソフトボールが優勝したことを知る。しかも上野が完投。すごいことだ。今朝、BSで再放送をやっているのをつい最初から最後まで見てしまった。一方野球は韓国に敗戦。これで優勝はなくなった。いろいろ理由はあろうが、勝てなかったという事実は残念。

<table><tr><td><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B7%AE%E5%8D%97%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E2%80%95%E8%80%81%E8%8D%98%E7%9A%84%E4%B8%96%E7%95%8C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91%E8%B0%B7-%E6%B2%BB/dp/4061590146%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4061590146"><img src="http://ecx.images-amazon.com/images/I/21TNFDFPPCL._SL160_.jpg" border="0"></a></td><td><b>淮南子の思想―老荘的世界 (講談社学術文庫)</b></br>金谷 治</br>講談社</br></br><a href="http://www.amazon.co.jp/%E6%B7%AE%E5%8D%97%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%80%9D%E6%83%B3%E2%80%95%E8%80%81%E8%8D%98%E7%9A%84%E4%B8%96%E7%95%8C-%E8%AC%9B%E8%AB%87%E7%A4%BE%E5%AD%A6%E8%A1%93%E6%96%87%E5%BA%AB-%E9%87%91%E8%B0%B7-%E6%B2%BB/dp/4061590146%3FSubscriptionId%3D1CR2KCSDNRVJY76AMX82%26tag%3Dbloggoone0ab2-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4061590146">このアイテムの詳細を見る</a></br></td></tr></table>

『淮南子の思想』読了。「老荘思想」を老子の思想と荘子の思想に分け、荘子を「対立に満ちた世俗の束縛を離れて自由な観念の世界に憩い遊ぼうとする精神主義の立場」と見、老子を「激しい現実的な欲求、世俗的な成功主義のひびきを聞く」ことができる、無為をとくのは万能を求めるためであり、無私になるのはよく私を成し遂げるためだとする。そして荘子の理想を「真人」、老子の理想を「聖人」であるとし、その立場を統一的に表現したのが淮南子の思想である、としている。

これはほぼ、現行の老荘思想の理解に等しいように思う。老子の立場というものは基本的に私にはよく分らないのだが、無為自然を自己実現の手段とするのが老子、それ自身に遊ぶ目標とするのが荘子、ということになろうか。いずれにしてもこうした立場は武帝の時代に董仲舒によって確立された官学としての儒学の立場に対抗するもので、淮南王の没落とともに衰えたという指摘はなるほどと思う。魏晋期の本格的な清風、老荘・道教思想の発展の基盤を作ったのが淮南子であったという解釈である。

しかし一方で古来の神仙思想から登仙の思想、つまり自ら修行によって仙人になることを目指す思想が現れたのは武帝の時代だという。それは淮南王の宮廷に集まり、その後四散した方士たちの活動の結果であり、荘子の「真人」の思想に神仙思想が結びついて発展したという解釈であり、これはなるほどと思った。その後こうした道教的な思想は仏教と結びついて漢末から大衆的な道教に発展していくが、そうした動きとも大きく関わるということなのだと思う。

また今回読んでみて感銘を受けたのは、それぞれ独立性が高いと思っていた諸子百家の各思想が、じつはかなり影響しあい、また漢代になってからその大統一を図ろうという傾向が現れたという指摘で、淮南子はその老荘の立場からの統一の試みで、儒学の立場からの画一化に対抗するものだったという指摘である。諸子百家の時代は諸子百家という一つの思想的宇宙を全体的に構成していたのだということを改めて考えた。

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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">読書ノート</category>
        
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         <pubDate>Fri, 22 Aug 2008 16:05:39 +0900</pubDate>
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         <title>北京五輪の星野とWBCの王はどこが違うのか</title>
         <description>昨日。読もうと思って持ってきたものをほとんど読んでしまい、やや手持ちぶさたに。だからと言って読みたいと思っていないものを読むほど暇でもなく。

『淮南子の思想』はまだ読了していないのだが、どうも終わりの方がかったるい感じがするのはなぜだろう。ちょっと観念的というか、言っていることに興味がもてない感じがある。仕事場にあった『十八史略』の古い漢文の本を持ち出して少し読んだりした。

午後から夜にかけて仕事。少し忙しいくらい。帰るとちょうど野球をやっていて、日本・アメリカ戦だった。8回以降見たのだが、タイブレークで岩瀬が打ち込まれ、その裏の攻撃では阿部がまたブレーキになっていて、残念な試合だった。

タイブレークというのははじめてみたが、日本はこの形式での練習をほとんどしてなかったのではないか。やはりいろいろな事態を想定した練習をきちんとしていかないと、いかな岩瀬とはいえこういう結果になってしまうのだろう。これをよい教訓にして準決勝以降を戦って欲しい。

それにしても、まだ結果が出ていないからこれを言うのは早いけれども、WBCで優勝した王監督と星野監督はどこが違うのか、と考えてみる。王はやはりインターナショナルな存在なんだが、星野は国内では人気はあってもやはりドメスティックな存在なのだ。キューバ戦での退場騒動も、日本国内のペースでは国際試合では通用しないということの現れだったのだと思う。まあもちろん、この五輪の結果次第では星野の評価がずっと高まることもありえるのだが、日本にいては見えにくいことだけど、星野と王・長島とでは世界における存在感が異なるということははっきりとしてくるなあと思う。それは、国外では小泉・安倍の評価が高いけれども、国内ではもっとドメスティックな政治家の方が評価されやすいことと共通した何かがあるのかもしれない。

ソフトボールでは上野が一日で二試合ほぼ完投したらしく、朝新聞を読んで感動した。今日決勝だそうだが、今日も投げるのだろうか。さすがに無理か。でも、ちょっと期待してしまう。


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          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">野球</category>
        
          <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">雑記</category>
        
        
         <pubDate>Thu, 21 Aug 2008 10:09:14 +0900</pubDate>
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