広陵高校暴行問題に関する高野連会長(大学野球出身の京大名誉教授)の会見/ウクライナが求める「領土の一体性」とフランス革命と満洲事変

Posted at 25/08/11

8月11日(月)雨

昨日は鳩の日、今日は山の日。昨日は「野獣の日」でもあったことを昨日知ったが、いろいろなごろ合わせがあるものだ。

広陵高校暴行問題、結局出場辞退ということになり、校長が会見に応じていたが、高野連の会長と朝日新聞社社長、つまり大会副委員長と委員長が会見したという。

https://news.yahoo.co.jp/articles/965292b64245b3a8a422c381d6de796095bda20b

「SNSをきっかけに辞退となったことに、宝会長は「そういう情報が出てくるところが学校としての対応の不十分なところがあったのかなと。反省も含めて辞退を選ばれた」とした。」

というあたりは、高野連側としてはSNS社会になった現代の社会状況をある程度理解している感じがした。各学校から上がってくる事例は年間1000件を超えるというのは現状をちゃんと認識している学校も相当数あるということは分かる。しかし報告がないと事実として認定できないというのが現状のようで、上部団体である学生野球協会全体で審査のやり方も考えていくとのこと。

高野連側からSNSのプラスの意味として高野連側から「従来ですと泣き寝入りしないといけなかったことがなくなって行くということでしょうから」というのが出てきたのはよかったのではないかと思う。なかなか表に出ないまま泣き寝入りしがちになる旧弊を改めるきっかけになったことは少なくとも表向きは評価している。

朝日新聞社長のコメントが掲載されてないのが物足りなかったのはあるが、彼らは彼らなりに現状を認識して注意喚起もしているが、現場が必ずしも同じような認識にないのかな、という気はした。

しかしこのトップの人たちの写真を見ていると、昔のようないかにも「高校野球のドン」みたいな人ではなく、あまり貫禄がない気がしてしまうが、この人の経歴を見ると高校野球から京大野球部に入り、審判やリーグの実行委員や役職も務めて主に大学野球でキャリアを積む一方京大防災研究所教授にもなり、二足のわらじで大活躍の人ながら、高校球界では令和3年からいきなり高野連会長になった経歴しかないというのが少し懸念されるところがあるようには思った。

こういう不祥事対応において記者会見に臨む立場としては洗練されていて記者としてもあまり突っ込めるところがなかったのではないかと思うが、やはり学生野球の独立という原則は堅持したい感じで、そのあたりの質問はなかったのかも気になるなとは思った。

高野連にはもちろんずっと高校野球畑で仕事してきた人もいるだろうとは思うが、高校野球界での仕事歴が5年目という会長が、数十年もずっと監督を務めてきている山の怪みたいな現場の監督たちに格負けしてしまうところはないのか、そのあたりは少し気になる感じはした。

***

ロシア・ウクライナ戦争において米トランプ大統領の仲介が動いているが、ウクライナのゼレンスキー大統領がカザフスタンのとかエフ大統領から「領土の一体性」を支持する言質を取ったとのこと。

https://x.com/katsu0575jp2_2/status/1954515110040654173

これはつまり、トランプがディールの材料にしようとしているクリミアやウクライナ東南部などの領土をウクライナが手放さないということをカザフスタンに支持させたということなわけで、当然ながら大きな外交上の得点だろう。

気になったのはこの「領土の一体性」という概念がいつ当然のものとなったか、ということだ。国連憲章の原則になっているということなので、それまたはそれ以前からあるということにはなるが、起源としてはフランス革命のときに生まれた「唯一にして不可分のフランス」という概念ではないかと思う。

アンシャンレジームのフランスは世界史の教科書では「フランス王国」として一色に塗られているが、法制度上は諸領邦の集合体で、その主が全部フランス国王だっただけなのである。革命戦争やナポレオン戦争によって拡大した領土はウィーン条約でほぼルイ16世時代の範囲に戻ったが、大陸ではその後ニースとサヴォイアも得たし、アルザス・ロレーヌも一時失ったが回復した。だから理念としては「唯一にして不可分」ではあったが、実際には出入りがあった。

しかし、普仏戦争で失ったドイツ語圏であったアルザスがフランス復帰を望み、第一次世界大戦でフランス領に復した背景には、この「唯一にして不可分のフランス」という概念が大きく作用していただろうとは思う。

イギリスでもマン島とかチャネル諸島は現在でも「王領」ではあるけど「連合王国」ではない。イギリスと見える国はいまでもある意味封建領土の集合体であることを考えると、フランスの「唯一にして不可分」は非常に近代的な原理だということが分かる。「領土の一体性」という概念はそこが起源だと思うが、明確に国際法になったのはいつからと考えればいいのだろうか。

満洲事変が欧米で避難されたのは主に「不戦条約違反」ということがあったわけだが、そこに「一帯にして不可分の中国の領土としての満洲」という批判がどの程度あったのか。その辺は少し調べてみたいなと思った。

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