マクドナルドの「ハッピーセット」が生み出す大量のフードロスと向田邦子「字のないはがき」/日の丸にバツをつけて振り回す日本人と中国の反日運動/鳩の日に更新された「ふつうの軽音部」に感じた「音楽が愛でできている」ことと「マンガが日本を救う」こと

Posted at 25/08/10

8月10日(日)雨/曇り

8月6日は広島原爆の日、8月9日はソ連の侵攻開始と長崎原爆の日、では8月10日は何の日だろうか。そう、鳩の日である。この日は「鳩サブレ」で有名な鎌倉の豊島屋さんが鳩の日としてアピールしていて、限定販売などもしているようである。

https://toshimaya-hatonohi.jp

特に何のアフィリエイトもあるわけではないが、ネタにさせていただいたのでリンクを貼っておきたいと思う。

今日更新の「ふつうの軽音部」第76話「その感情を知る」はまさに「鳩の日」に相応しい、主人公鳩野の飛び入りボーカル熱唱回だった。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267987414565

いきなりステージに呼び出された鳩野。ここまでは前回のラストで予想できたことだが、一体どうやってステージに呼ばれ、どういうきっかけで歌うことになるのかと思っていたのだけど、かなり予想を超えた展開になっていた。

鳩野の「はーとぶれいく」と鷹見の「protocol.」はハロウィンライブで「勝負」をしたのだが、その時の条件が「勝った方は負けた方になんでも質問を一つしてもいい」というものだったのだけど、勝った鷹見は本当は聞きたいことがあったのだが、いろいろ考えているうちにどうでもいいやと思うようになって、以前聞いた鳩野の言葉として気になっていた「無弦の境地」という言葉がどういう意味か、と漫画の展開としては「どうでも良さげに」質問したわけである。その回答はその場面では書かれていなかったのだが、今回の展開で客席で見ている鷹見の回想としてその時の受け答えが明らかにされる。

「無弦の境地とはまあ言うなればギターがなくても心の弦をつまびき魂のコードを打ち鳴らす的なアレで ナメてるやつらのドタマを見えないギターでカチ割ったるぞという心意気のことで・・・」

出典があるのかどうかは知らないが、新陰流の祖・上泉伊勢守信綱の「無刀の境地」のようなもので、刀がなくても相手を制する、みたいな「ギターがなくても相手をボコす」という心意気、のようなものだということだろうか。

そして最初はステージ上でオタオタしていた鳩野だが鶴に指定されたきっかけの前に「フッ」とその世界に入り、「zeroを手にしたお前は強く because I love you 素顔の自分を曝け出してwow wow wow」とどマジで歌い出し、声が枯れて出なくなっていた指川先生も気合を入れ直して歌い出す、という展開になり、鷹見は「無弦の境地発動してるやん」と思って嬉しくなるわけである。

この辺りの盛り上がりは素直に面白く、読んでいてゲラゲラ笑ってしまったし、客席の一番前?でヨンスがすごい顔をして絶叫しているのもめちゃくちゃ面白かった。

そしてそれがカキフライエフェクトの野呂あたるのパンクの魂に火をつけるのはいいのだが、厘は出し抜かれたわけである。

厘は鳩野の歌を聞いて「神が顕現している」と思う。つまり厘のいう「神の顕現」は鳩野のいう「無弦の境地」だということが明らかになる。これは読者にとっても物語理解の大きな一歩になると思った。

出し抜かれた厘は心の中で口を極めて鶴を罵倒する。しかし冷静になって考えてみると、全てが自分の上をいかれて完敗したことに気づく。これは感想で指摘があったが、厘は全てを周到に準備して仕掛けるのだが、鶴はそれをした上でさらに賭けに出て、それに勝つ強さを持っている、ということなわけで、確かに完敗なわけである。それに気づいた厘が「初めての感情=嫉妬」に向かい合うコマが今までで一番綺麗な瞳で描かれていて、これは小説的な話の展開のうまさに絵というものの持つ力が存分に発揮されたすごいコマだと思った。

その下のコマでは鶴に代わって厘自身がゾンビエロナースのコスをしているイメージとして描かれていて、これはまあ聴診器を含めたサービスカットでもあるのだろうけど、「鶴を超える」という明確な意思の表れとしてもいいコマだなと思った。

歌い切った鳩野は「無弦の境地」そのままの抜き身の表情をし、指川の「お前らは目を外しすぎるなよ!」というおまゆうのコマで「ハロウィンライブ閉幕」が告げられる。めちゃくちゃ面白かった。この展開を鳩の日にぶつけてきた作者さんたちや編集さんたちは天才だと思う。

***

そんなこんなですっかり盛り上がってしまったのだが、昨日はどうにも言い難い問題としか思えないことが二つあった。

一つは、マクドナルドのハッピーセットがポケモンのおもちゃをおまけにつけたらしいのだが、このオマケを狙って転売ヤーが多数マクドナルドに押しかけ、多数を買い占めた挙句一般のお客さんたちは何時間待っても買えないような状態になっただけでなく、転売ヤーたちは肝心のハンバーガーをそのまま店内に放置しておまけだけ取って帰っているために、店員が食べらるハンバーガーを処分せざるを得なくなっているという光景である。

https://x.com/092ne/status/1954093769994731885

この転売ヤーは日本人もいるのだろうが主には中国人や場合によってはベトナム人がやっているとのことで、Twitterでも非難の的になっていた。

これは一般の日本人にとって、まず「転売」という行為が許せない上に、子供の楽しみを奪うとか、何よりも食べ物を粗末にするという点で非常に許せない行為であり、外国人に対する嫌悪感をより強める行為でしかないだろう。こういう行為が外国人へのヘイトをより強めている。

現実問題として、マクドナルドのこの「ハッピーセット商法」は今までも同じような問題を繰り返してきた。特に今回はポケモンという日本人にも外国人にも人気のある「おまけ」であるから、こういう問題が起こることは最初から予想されていたのに、それに対処しなかった日本マクドナルドは食品を扱う資格がないと言われても仕方がないように思う。

またフードロスの削減を唱えている農林水産省や農林水産大臣の小泉進次郎氏がこの件について何も言わないのも納得できないし、経済産業省も不当な買い占め行為について何もコメントを出さないのもどうかとおもう。

特に、この8月という月が日本では「戦争の記憶」を思い出す月になっていて、それは「飢え」やひもじさの記憶と結びついている。現在、中学校の国語の教材になっている向田邦子の「字のないはがき」という作品があるが、これは疎開した小さな妹が飢えに苦しむ話である。字の書けない娘にたくさんの家宛の住所を書いた葉書をたくさん持たせ、元気だったら○だけ描いて送れ、というのだが、最初の頃は元気一杯の大きな丸を書いた葉書が届いたのだが、だんだん小さく弱々しくなり、最後には×を書いた葉書が届いて、妹は疎開から帰ってきたのだが、帰ってきた妹は痩せ衰えて、厳格な父親は号泣して娘を抱きしめる、という話である。

この飽食の時代にあってもそういう教育を受けている日本人にとって、こうした外国人転売ヤーのやっていることがどう見えるか、説明するまでもないだろう。そしてそういう行為が繰り返されても有効な対策を打たない日本マクドナルドに対する感情も、フードロス削減を唱えながら米不足で国民を困らせた上でこの行為に対して何の動きも見せない農林水産省に対する感情も同様だと思う。

***

もう一つは、新宿で行われた参政党の演説会に対する、ひどい妨害行為である。

https://x.com/netsensor1/status/1953959220107522164

https://x.com/Schwalbe_Kikka/status/1953832070851203552

参政党の主張をどう考えるかは人それぞれだろうと思うが、彼らは国政政党としての体裁を急速に整えつつあり、外国人問題を追い風に急速に党勢を伸ばしていることは確かである。彼らはすでに参議院では法案を提出できる力を持っていて、こうした妨害行為に対する規制を訴えれば、同じような妨害行為に苦しんだ議員や政党は多いのだから、多くの賛同を集めて可決される可能性も強い。そうすればより参政党の力は強まるわけで、やっていることは全くの逆効果である。

発煙筒を焚くなどの物理的な妨害行為は表現の自由の限界を超えているし、こうした動画が拡散されることで反対派の左翼の人たちがより「危険な人たち」と一般に認識されるようになるのは当然だろう。

これらの動画からわかることでいろいろ懸念されることはあるのだが、一つはこうした妨害行為をする人の中に、国政政党である日本共産党の党員である人が含まれているらしいということ、また共産党の議員の中には、こうした妨害行為を正当化する人がいる、ということである。

もともと、共産主義運動というのはプロレタリアによる社会主義革命で暴力的に政権を奪う、というテーゼを持っているわけで、それが実現化したのがロシア革命であり中国革命であったわけである。日本共産党も戦後しばらくは暴力革命路線を推進していたのだが、1955年の六全協と言われる会議で武装闘争路線を放棄し、議会主義の立場から政権奪取を目指すことになった。従って武装闘争路線を続けたいわゆる新左翼過激派に対して一定の暴力の自粛を行い、彼らを左翼小児病であるとか極左暴力集団と忌避してきたわけである。

しかし最近は意見の違う人たちに対してこうした暴力的な妨害行為を行う例が増えてきていて、それに共産党が関わっているということは囁かれながらもはっきりはしていなかったけれども、今回党員らしい人が確認されたということのようである。もちろんこれは警察などが断定したわけではないのではっきりとは言えないが、共産党の議員たちがこうした暴力的な抗議行動に肯定的なスタンスをとっている以上、六全協の精神はもう死んだという可能性はある。

実際のところ、暴力革命路線の放棄を宣言して以降も公安調査庁は日本共産党を監視対象としてきたわけだが、彼らはそのことに強い抗議を続けてきたけれども、このような状況を見ると少し説得力に欠けるのではないかという気はした。

もうひと月になる点は、彼らが「日の丸」、つまり「日本の国旗」に黒々とバツをつけたものを振り回すというパフォーマンスをしていることである。これは日本という国家を否定し、日本人を否定し、日本の存在を抹消したいという意図を感じさせ、多くの国民に嫌悪感をもよさせる振る舞いで、こうした抗議行動に反発を募らせるだけに思われる。

こうした風景をどこかで見たと思ったが、これは考えてみたら中国における反日運動が高まった時によくみられた光景だったわけである。

https://www.nikkei.com/article/DGXNASGM1900D_Z10C12A8000000/

https://4travel.jp/travelogue/10729705

このブログ(問題の写真はだいぶ下の方)によると、日の丸にバツをつけたTシャツを着た男は警察官だったらしいのだが、国家として反日を煽っている意志が明確にあったわけだろう。

日本の左翼運動家がこういう風景を見てかっこいいと思って真似をしたのか、あるいは意識的に中国の影響下にある人々がこういう行為をしたのか、あるいは中国当局のある種の指令を受けてこうした行為をしているのか、そこまではわからないが、「同じ行為」をやっているということは確かだし、そこに強い懸念はあるわけで、これもまた明らかに参政党や右派の主張する「中国脅威論」を補強する材料になってしまうわけである。

***

まあそんなこんなでこういうことは続けてほしくないなと思うわけだが、このままでいけば参政党はより勢力を増していくことは間違いないだろう。自民党で総裁選前倒しの可能性がかなり強くなり、石破政権が続けば続くほど参政党勢力伸張に協力することになるとは思っていたので、そうした点では自民党の勢力回復の方に振り子が振れて欲しいとは思うのだが、今後も自民党がこれらの問題に強い態度を示さない限りは、問題は深まっていくばかりだろうと思う。

まあそういう中で「鳩の日」にはトッチの全力ボーカルの「ふつうの軽音部」が読めたのはまさに一服の清涼剤になり、大変良かったと思う。マンガは偉大である。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267987414565

また、バンドにおいて、ベースの音がボーカルを支えているということを「雲上に歌いて君を待つ」で読んだのだが、今回の「ふつうの軽音部」でも厘の感情としてそれが書かれていた。ジャンプ+の感想コメントの中でもベーシストの人が、「鳩野のボーカルとしての才能を開花させたのが自分でなくて鶴だった」ということについて強い嫉妬を感じた「厘の気持ちがわかる」というコメントをしていたのだけど、つまりは「音楽って愛で出来てるんだな」と思ったのだった。

https://amzn.to/40W6e9E

創作の自由、表現の自由を、日本はこれからも守っていかなければならないなと改めて思ったのだった。

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