石破首相の原爆追悼演説で見えてくる首相として足りないもの/左翼はなぜ転落したのか:労働者=現役世代への関心の薄さとマイノリティ支援の「正義の毒酒」

Posted at 25/08/07

8月7日(木)雨

今日は立秋。昨日はまた関東で40度超えのところがいくつもあったが、東北や北陸では大雨とのこと。天気図を見たらすでに秋雨前線が発生していて、そうか、もう秋だったのかと思う。今朝は当地でもかなり強い雨、普段の夏なら雨と言っても夕立がほとんどなのだが、と思いつつ、温暖化しても秋が来るのが早くなる、というのはどういうメカニズムなのか難しいな、などと思ったり。

今朝は2週に1度の資源ごみの回収の日なのだが雨が降っているので雑誌や新聞は断念し、プラごみ・ビンカンペットボトル・発泡トレイだけ持って出しに行ったのだが、外に出てから思いのほか大雨であることに気づき、傘はさしていったが結構濡れた。

***

https://www.jiji.com/jc/article?k=2025080600227&g=pol

昨日は石破首相の原爆の日の演説が話題になっていた。特にツイートされていたのは、演説の最後で取り上げられた短歌

太き骨は先生ならむ そのそばに 小さきあたまの骨 あつまれり

という原爆歌人・正田篠枝の一首だろう。この歌が収められた歌集「さんげ」はGHQの統制が厳しかった昭和22年ごろに極秘に出版され、関係者や知人に配布されたという。まあ言えば、平和運動の教祖の一人のような人だろう。

彼女自身は原爆症に苦しみ、20年後に原水爆禁止運動の社会党系と共産党系の分裂に憤りながら亡くなったわけで、左翼運動の難しさを象徴するような人生でもあった。

この人の歌を自民党極左の石破さんが取り上げるということ自体がどうなのかという部分はあるのだが、概ね世間的には好評だったようで、このうたは人口に膾炙している。この歌を読むと私はどちらかというと東日本大震災の時の大川小学校の悲劇を思い出してしまうのだが、先生も生徒たちも一瞬に命を奪った原爆の恐ろしさを思うとともに、きっと深い信頼関係にあっただろう師弟を思うと涙ぐみそうになるところもあり、救えた命を救えなかった現代の悲劇とどちらがより悲しむべきなのか、考えざるを得ないなと思う。

石破さんはこういう文学的に過去のノスタルジーを言葉にし、演説にして聴衆の気を引くのはうまい。選挙中にトランプ関税に対して「舐められてたまるか」演説でスペった人と同じとは思えない。思い出してみると、自民党総裁選で2位で決選投票に臨んだ石破さんが逆転勝利を収めたのも、もちろん岸田さんの自派への投票支持もあっただろうが、「夏祭りの夜」への郷愁を含んだ、「あの日本を取り戻したい」という演説が自民党の議員たちの心を動かしたことも事実だっただろう。

しかし、総理大臣としての演説が、それでいいのだろうか。

文学者なら、一介の市民なら、彼の二つの演説は多いに評価されるべきだろう。しかし、政治家は過去を懐かしみ、過去を語るだけではダメで、現在を直視した理解を示すとともに、未来へのビジョンを示さなければならない。もちろん語られたビジョンが全て実現するわけではないにしても、故・安倍首相も岸田前首相も必ず未来を語っていた。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240809/k10014543751000.html

「この点、世界が核兵器数の減少傾向が逆転しかねない瀬戸際に立つ中、これを防ぐためにも、核兵器用の核分裂性物質の生産禁止条約=FMCTの推進は重要です。」

岸田氏の昨年の長崎の演説では、こうした核兵器の削減に対しての具体的な政策を語っていた。また安倍首相は戦後70年談話で

「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら 関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命 を背負わせてはなりません。」

と未来の日本人たちへの自分たちの世代の責任を果たす発言をしている。

http://nenkinsha-u.org/04-youkyuundou/pdf/abe_70nen_danwa150815.pdf

それに比べると、石破首相は未来を語っていない。語れていない。厳しい言い方をしたら、口が上手いだけである。二つの国政選挙と都議会選挙に三連敗し、なおも居直りをつづける権力欲だけは旺盛だが、この瞬間も自民党は支持を失い、次の選挙をより不利にしているだろう。

明日の両院議員総会で石破退陣への道筋がつけられなければ、石破政権は自民党最後の政権になる可能性さえあるのではないかと思う。関係者は危機感を持つべきだろう。

***

https://x.com/daizu_mahoroba/status/1953063508846711084

左翼はなぜ支持を失い転落したのか、ということはいろいろと議論はされてきているが、このツイートはその通りだと思った。

歴史を見ればわかるように、左翼というのは本来、「弱いもの(特にマイノリティ)の味方」ではなく「働くものの味方」だった。19世紀の産業革命の時代に、少数の工場経営者のブルジョアたちに比べて相対的に立場の弱い多数の労働者たちが労働組合を作って対抗したことから世界的に左翼の大きな勢力ができたわけで、労働者は相対的に弱くてもマイノリティではなかった。

本来は「弱者」を支援するのは「金持ちの慈善」や国家の福祉の役割だったのだが、「働く人たちの味方」は本来気の遠くなるような調整作業であり、またボス交などが権力に塗れた綺麗事では済まない世界だから、そんな面倒なことをするよりも企業に慈善を強要したり国家から福祉を恐喝したりするのがサヨクの役割、みたいになってきているのが現状なのだろうと思う。

日本でも、一億総中流が実現し、労働者層が保守化し始めた頃に、もう労働者を応援しても票田にならないと見て、左翼のサイドが労働者支援からマイノリティ援護に乗り換えた。

しかしそのあと不況やデフレの危機が来ても一度舵を切ったら戻せなくなった。それは、非正規化など労働の多様化で従来の組合中心の手法も有効でなくなったのも大きいだろう。一度マイノリティサイドに立つ甘美な「正義の毒酒」を飲んでしまうと、マイノリティ支援に積極的な人たち(特に女性運動の人たち)にとって、多数派男性労働者の支援などやってられないと思うのだと思う。

労働運動も再編されて、最大の組織である「連合」は民主党を支援するようになったわけだが、民主党が現在は立憲民主党と国民民主党に分裂していて、連合は両者を支援する形になっている。

だから連合としては両者が協調してくれないと困るわけだが、しかし今回の物価高対策にしても立憲が「消費税減税=高齢者など弱者の支援」を主張しているに対して国民民主は「現役世代の手取りを増やすための所得控除の引き上げ」を求めているわけで、立憲が相変わらずの弱者支援の立場であるのに対して国民民主は「現役世代=労働者支援」をはっきりと打ち出しているわけである。どちらが本来の左翼・労働運動の立場であるかははっきりしているだろう。

左翼の復活があるとしたら、国民民主のような労働者=現役世代重視の政策であることは明らかだし、保守化した労働者たちがマイノリティ支援や夫婦別姓・女性の皇位継承のような左寄りの政策に賛同することはないわけで、そのあたりを見誤ってはいけないと思うし、連合も支持を国民民主に全振りしたほうが良いと思う。

「原爆の日」も、今までは反省一色(原爆を落とされたことを反省するという割と理不尽な反省)であったが、現在では核武装論を唱える政党が一定勢力を持ってきていることもあり、今後は「お気持ち」だけではなくより現実的な戦略論が国会の論議でも必要になってくるだろう。

いろいろと先行きが不安なこともあることはあるのだが、議会制民主主義が着実に進歩しているという面もやはりあるなという安心感もなくはないなと思ってはいる。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday