広陵高校・高野連問題と野球界における「戦後体制の総決算」

Posted at 25/08/09

8月9日(土)晴れ

今日は長崎原爆忌であり、ソ連の対日参戦の日でもある。例年日本の夏は追い詰められていた昭和20年を追体験できるようにこうした日が続くようになっているわけだが、戦後に生まれて物心ついてからでも50年以上もこういう夏が続くと、流石にそろそろいいだろうという気はしてくる。こうした行事を続けるのは平和主義を唱える勢力であり、それが金科玉条になって、そういうものに飽き飽きした国民感情を「大所高所から(のふりをして)叱る」のが彼らの政治的資源になっている面は否定できない。

「建国記念の日」では紀元節に賛成反対の両派の集会が開かれたり、「憲法記念日」でも改憲派・護憲派双方が集会を開いたりはするが、原爆忌に核武装論を唱える集会が開かれたり、ソ連対日参戦の日にソ連やロシアを批判し北方領土奪還を叫ぶ集会が行われたりは行われて来ず、「平和の祈り」的な方向に行っていたわけだが、こういうのは「戦後の雰囲気」がかなり強い強制力を持って日本国民を縛り付けてきたからだろう。

こうした敗戦後にGHQが関わって作られた制度やシステムが日本人を拘束してきた一番大きな仕組みはもちろん日本国憲法だが、日本国憲法体制そのものはかなりの安定感を持って運営されてきたことも事実で、それは大日本帝国憲法に比べても事実上権力が内閣に集中して戦前のように軍部や枢密院などの他の機関が内閣を掣肘して国家戦略や外交戦略を強引に曲げるようなことがやりにくくなったことが比較的大きいだろう。制度的に問題がある面はもちろんあるのだが、改憲を唱えた安倍元首相が改憲を伴わずに日本の安全保障をより厚くする方向に動いたように、それなりに日本国憲法には「使える」面があるのも事実だと思う。

戦前のあり方を批判してGHQ主導に近い形で作られた仕組みも、どんどん現実的なものに変えられていった。警察制度もそうだし、学校制度や教育基本法、解体された財閥の再興その他、国家・内閣・与党自民党主導で形式的な「民主的」制度をより運営しやすい形に変化させていった。もちろん近年の裁判員制度そのほか、アメリカの政治的な形をあるべき目標と考えた人たちによって制度の形を崩すような改革も行われてはいるわけで、改革には民主化的な方向も統制化的な方向も双方あって、特に外国人に関する制度がより開放的な方向に改めつつある中で「日本人ファースト」を唱える参政党が大きな勢力を持ちつつあるなど、それに対する批判も起こってきている。

こうした、「戦前の体制に対する批判」から生まれた「戦後体制」の中には、野球界、特にアマチュア野球界、中でも学生野球、つまり「大学野球」と「高校野球」をめぐる制度がある。これは関係者にはよく知られていて野球に疎い人にはもちろん知られていない話だが、高校野球(硬式)を仕切る組織、つまり「日本高等学校野球連盟」は高体連、「全国高等学校体育連盟」に加盟していない。高体連は基本的に文部科学省の統制下にあり、全国大会は文部科学省が支援し、国庫支援金も支出されて運営されている。

一方で学生野球の組織は高野連も全日本大学野球連盟が日本学生野球協会という組織を作り、これが社会人の日本野球連盟との「代表組織」(上部組織ではない)として全日本アマチュア野球連盟を作り、それが日本オリンピック委員会に加盟するという複雑なしくみになっている。これは文部科学省をはじめ、外部の介入を防ぐために学生野球の仕組みが作られたからなのだが、文部科学省やスポーツ庁が管轄する「オリンピック」などの国際大会には参加したいということで、こうした複雑な仕組みになっているわけである。

こうなったのは、話は戦前に遡るわけだが、戦前から学生を中心に盛んだった野球というスポーツが、さまざまな問題を抱えていた(特に商業化・興行化、会計の不明朗(特に六大学))ために1932年に文部省が「野球統制令」を制定し、「野球統制臨時委員」のもとで小学校・中学校(つまり現在の高校野球)から大学・専門学校に至る野球組織が統制下に置かれるようになったわけである。これはもちろん野球競技の健全な発展を目標として設置されたものであるわけだが、全て文部省の訓令で定められるようになった。

これが戦時中の「戦時下学徒体育訓練実施要綱」につながり、中学校のスポーツの全国大会(甲子園大会)と大学のスポーツのリーグ戦の開催(神宮球場における六大学野球など)が禁止されることにつながった。そして戦後はこうした統制は全て廃止され、「学生野球の自主管理」が行われることになったわけである。野球というスポーツの特殊性はまず第一にその高い人気にあったわけで、特にプロ野球の発足前から人気が高かった六大学は、戦時中の学徒動員の悲劇や、文部省の介入による大会中止、野球用語の日本語化(「ワン・ストライク」を「よし一本」とするなど)など、戦時体制の強い統制化に置かれたことが、「自主管理」へのこだわりと独立性の維持につながったわけで、そして彼らには経済的にもそれを実現するだけの力があったわけである。

そしてこうしたことが、ここ数日大きく騒がれている広陵高校野球部の問題にもつながるわけである。

部活動におけるいじめというのは最終的には学校の責任であり、教育委員会や文部科学省にまで直結する問題になり得るわけだが、野球部においては上に述べてきたような歴史的特殊性から、高校側から高野連の件組織に報告され、そこで処分が行われることが普通である。

そして従来は、おそらくはその「学生野球組織の独立性」を保つためにも、世間的に見ても厳しすぎるほどの処分が行われるのが通例だった。我々が学生の頃も、野球部を引退した3年生が喫煙や万引きなどの問題行動を起こしたということで、1・2年生の新チームが出場停止になるなど、理不尽とも思われる厳しさによって「自主運営・自主管理の正当性」を主張し続けてきたわけである。

そういう意味では、今回の広陵高校の問題を受けて阿部俊子文部科学大臣が「大変遺憾である」と述べた上に、広陵高校の甲子園出場の是非については「日本高校野球連盟で適切に判断されるものと承知している」と半ば突き放したような対応をしているのも、この流れの上にあるわけである。

https://news.yahoo.co.jp/articles/0e81d9bfc9b1788a262966ced84cda33211102a7

現在の多くの国民はこうした野球界の事情などは知らないから、SNS上に上がっているようなひどい性的暴行やいじめなどに対して野球部や学校側だけでなく、それを監督すべき立場の高野連や「その上」に対しても管理体制を追及するわけだが、この責任追及はどんなに上に行っても「日本学生野球協会」止まりであって、それより上にはいかない。もしこのほかに高野連の対応に影響力のある形で批判できる組織があるとすれば、高野連とともに全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)を主催している朝日新聞だけだろう。しかし朝日新聞にとってもドル箱であり社会的影響力を持つための重要なツールである高校野球と甲子園大会に対しては、腰の引ける対応しか取っていないのが現状であろう。

こうしたことから考えられるのは、戦後のさまざまな体制が戦前の体制への批判から作られてきた「戦後体制」がさまざまな改革を繰り返して現代化してきた中で、野球界というものが最も深く戦後体制の宿痾を背負った存在になってしまっているのではないかということである。

「自主管理」というのは美名だが、それが利権や野球の持つ広い人脈などが駆使されて恣意的な運用になっていることはあるのではないか。こうしたことは大学スポーツにおける麻薬の蔓延などにも関係してくる部分はあるだろう。特に野球のような「国民的」スポーツは「人気」と「収益」という魔力を持っていて、多くの人々が群がり、利権化する部分は必ずある。それが「自主管理」の美名のもとに外部の批判を跳ね除け恣意的に運営され、特定の対象に対しては甘く、それに属さないものに対しては酷薄である、というような状況は、極めて「教育的でない」ことは確かだろう。

歴代の高野連の運営が、問題を起こした部員たちに厳しすぎるほど厳しい対応をして、批判は招きながらも組織の正当性自体は疑われてこなかったわけだが、今回のケースはかなり疑問が持たれる部分が出てきたのに、「大会が始まったから」という理由でその「自浄作用」が行われていないのは大変問題だし、対戦校の中には一回戦の旭川志峰高校の選手たちのように、「広陵の選手たちとの握手を拒否する」という意思表示をするなど、高野連全体への批判も現場から起こってきているわけである。

スポーツとスキャンダルはつきもので、ダルビッシュ投手の喫煙騒動や江夏・清原両選手の覚醒剤問題、永久追放まで起こった野球賭博の問題そのほか、問題を起こしながらも一定の期間を経てそれなりの復権が行われているケースもありながら、野球そのものはスポーツとして繁栄してきた。しかしサッカーをはじめとして野球に対抗できるようなスポーツはそれなりに育ってきていて、野球の地位もそんなに安泰とは言えないは現状だろう。特に高校野球は少子化の影響を受けて参加チームも減り、合同の編成で凌いでいるが、それもいつまで続くかというのも現状である。

野球が戦前のように国家の完全な統制化に置かれることが最も良い解決策であるかどうかはわからない、特に人気スポーツの場合は採算が取れるから国家に依存する必要がないので独自に発展することそのものは悪いことではないと思うが、それだけに内部からも外部からも批判を受け入れ、態勢を粛正し、国民からも納得されるような運営ができる仕組みは作っていかなければならないのではないかとは思う。


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