お盆=誕生日/神道における「死後の救い」と「生者を守るという役割」/靖国問題の最終的解決としてのA級戦犯の名誉回復

Posted at 25/08/14

8月14日(木)

昨日はお盆の初日で、朝のうちにお墓を掃除に行って、まあまあお参りに来てもらえるくらいにはなったかと思う。帰ってきて部屋の片付けと掃除、玄関も農具などをとりあえず片付けて棚経を上げにくるお坊さんを迎えられるくらいまで掃除をした。お坊さんが来たのは10時くらいでその時は私しかいなかったので後ろで1人でお経を聞いて手を合わせる。最近ちゃんと正座ができなくなっていて大丈夫かなと思ったが、昨日は割とすんなり座れたしずっと座っていられた。先祖の加護があったのだろうか。

朝東京の方を出てくるまで家に向かっている妹からかなり渋滞がひどいというLINEが入り、昼ごはんも1人で食べることになるなと思ったり。Twitterを見ていたらJ・S・ミルの「功利主義」が光文社古典新訳文庫で出ているらしいことを知り、調べてみたら出てこない。あれ、と思って文章をよく読むと、これは学生が書いてきたレポートの参考文献の話で、「実際に存在しない本」の名前が書いてあったという最近よく聞くネタの例として上がっていたのだということがわかった。で、そういえばミルの「功利主義」は読んでないなと思い、お昼ご飯を買いに行くついでに楓樹文庫まで車を走らせて「功利主義」(岩波文庫)を借りてきた。お昼は何を食べるか迷ったが、最近食べ過ぎな気もしていたので餃子の小さいサイズのを買ってメインにすることにした。

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午後は少しゆっくりとした後、5時前から少し草刈りをし、入浴して作業場に行って何かしようと思ったが、作業場にはまともなミニコンポがあるので「ふつうの軽音部」に出てきた曲をずっと、特にGLAYの「誘惑」を何度も繰り返して聞いていた。Blutoothで外部スピーカで聞くために実家や車の中では携帯用のスピーカで聞いているのだが、作業場だとちゃんとステレオで聴けるのでつい没入してしまった。今は東京でもステレオのアンプが壊れていてまともに音楽が聞けないということもあり、なんというかちゃんとした音に飢えていたんだなと思った。

夜は妹が誕生祝いをしてくれて、よかった。もう漬けてから1ヶ月経つから大丈夫かなと思って梅酒を出してみたが、まだ味が尖っていてもう少し時間がかかりそうだなと思った。

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前田勉「近世日本の支配思想 兵学と朱子学・蘭学・国学」(平凡社ライブラリ-、2025)、だいぶかかったのだが「付論」6編を除いてようやく読了した。かなり面白かったし勉強になった。それぞれの思想=学問の「かたち」を腑に落とすために付論は飛ばして読んだのだが、先崎彰容氏の「解説」によれば付論の最後の「大嘗祭のゆくえ」が重要だそうだから、付論も少しずつまた読んでみようと思う。

それにしても戦後の日本思想史、特に近世・近代史は丸山眞男の存在が大きいのだなと改めて思った。私は丸山という人はあまり好きでないのであまり読んでいない、まともに読んだのは「日本の思想」(岩波新書)だけなのだが、やはり戦後思想の支柱というか彼を乗り越えなければ戦後を超える思想は確立できないなとは思うので、彼の思想に対抗・批判できるものを得てから出ないともう読めないなという感じがある。

昨日は「近世日本の支配思想」の中でもラストの「国学」のところを読んでいたのだが、垂加神道のところから本居宣長・平田篤胤の復古神道・明治国家への受け継ぎというあたりを読んでいたのだが、特に今まであまりちゃんと理解できていなかった垂加神道について自分なりに理解できたのはよかった。

読んでいて思ったのは、日本において「人は死んだら神になる」という割と素朴な感覚がこの辺りの教説に由来しているのではないかと感じた。もちろんこれは「死んだら仏になる」でもいいし「死んだら霊になる」でも根本的にはあまり変わらない気がする。

キリスト教では死者たちは「最後の審判」ののちに天国行きと地獄行きが再選別され、永劫の楽しみと苦しみが約束される。また仏教では「極楽往生」とか「解脱」とかをするのでなければ「輪廻転生」して再び六道(天・人間・修羅・畜生・餓鬼・地獄)のどこかの世界に生まれ変わる。

垂加神道が面白いと思ったのは、死者は「天皇を守護する八百万の神々」の「末座」に加わり「天皇と国を守る神」になるということなので、これはなるほどと思った。つまり、靖国神社の「英霊=戦死した兵士たち」が「護国の鬼」となって「天皇と日本を守る」という考えのルーツは基本的にこの線から出てきたのだろうと理解したわけだ。

で、我々は誰かが死んだあと、その人の気配を感じたり、あるいは「お父さんが見守っていてくれるよ」と言ったりすることがある。唯物論的に世界を理解している人はそうでもないだろうが、私などにはそういう考えというか感覚はあるし、その感じ方とか自体に豊かなものを感じる。つまり「死者」は「神=仏=霊」になって生きている我々を守ってくれる、守護してくれる存在なのである。

これを一家族で考えれば「先祖の霊」が「家」を守ってくれるということであり、そのための「礼」が先祖祭祀であり、墓参りであり、仏壇や神棚への崇敬であり、地域社会で言えば氏神や産土神への、神社仏閣への参拝であり、国単位で言えば靖国神社や伊勢神宮への参拝であるわけである。

これはエドマンド・バークのいう「保守主義とは暖炉・墓標・教会・国家を大事にすること」ということとも重なる。バークの主張は保守的伝統を守るための生者の義務としての尊重、という部分が強いように思うが、日本の場合はむしろ「死者=先祖たち」が「生きている我々」を守ってくれる、という意味での「感謝」として、死者たちを祀り慰める、ということなのだと思う。

こうした考え方は基本的に日本人である我々には馴染んだ考え方であるわけだけど、今までそういう考え方がどういうものに由来するのかよくわからないでいた。しかし垂加神道とそれを受け継いだ本居宣長の国学、また平田篤胤の復古神道が唱える青人草の思想などから近代国家神道に至る系譜の中に死んだあとはそういう形で神になって個人にしろ国にしろ天皇にしろ「守る立場」になるというのは、「人間の救済」において大きな意味があると思った。

これはこの本でも指摘されていたが、先に書いたようにキリスト教でも仏教でも死者たちは天国なり極楽なりあるいは輪廻転生して「世界」の一部であり続けることは確かだけれども、キリスト教の神なり仏教の法なりの力は圧倒的に強くて、我々自身がその世界の構造に関与することはできないわけである。

しかし垂加神道以来の日本の神道の考え方ならば、生きている間に世界に貢献することは勿論、死んだ後も家族をはじめとする日本および日本人を守るという役割が与えられ、世界に貢献する誇りが与えられるわけである。これは読んでいてすごいことだと思った。

これが垂加神道以降の考え方なのか、吉田神道などの中世神道から受け継いでいるのかはわからない。しかしそういう通俗的な神とか霊とかの理解について、ちゃんと由来があるという理解ができて非常に腑に落ちた感じがあった。

これはダンテの「神曲 天国篇」を読んでいて感じたことに近い。「神曲」といえば地獄篇の描写が近代文学の先駆けとなったということが評価されていて、そういう線で考えると煉獄篇とか天国篇とかは付け足しみたいに取られてしまうけれども、私は地獄篇も面白いとは思ったが、修行することで罪を償い、天国に行けるという設定の煉獄篇=浄罪篇もかなり面白いと思っていて、特にダンテが煉獄を旅するのに額にPの文字(PenaltyのPである)を7つ刻まれて、煉獄を回る間に罪が一つ一つ解消されていくが、そうなると自分の存在がだんだん頼りないものに感じる、というあたりが好きだった。

私は「神曲」は好きなのでいくつかバリエーションを持っているのだけど、最初に読んだのは社会思想社の「ダンテ神曲物語」であったと思う。その後はギュスターブ・ドレの作画の銅版画をふんだんに使った宝島社の大型本、その絵を元にさらに永井豪が漫画化した講談社コミックスの上下版を持っていて、今は読み返すときはドレか永井豪を読むことが多いので、彼らによる脚色の部分が頭に入ってしまっているところもあるから、原著とはかなり違う理解をしている可能性もある。

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いずれにしても「神曲」では地獄は現世で重い罪を犯した人々が永遠に救われることなく、その罪に応じた罰を受け続ける場所であり、永井豪版では明示はされていないがそのことに対する疑問、「罪とは何なのか」みたいなことも描かれていた。そして煉獄は現世の罪を償って天国に入るための修行をする、しかしそれは本人の努力だけでなく、地上の人々が彼のために祈ってくれれば浄罪にかかる時間が少なくなる、という話で、こちらは死者のために生者ができることがある、という発想があって、ある意味合理的だと思った。

地獄・煉獄と案内人を務めるのはローマの詩人・ヴェルギリウスであったのだが、彼はキリスト教徒ではなかったので天国に入ることはできない。そして天国を案内してくれるのは、ダンテ自身の理想の恋人であったベアトリーチェということになる。彼女の案内で天国を回るが、当時の天動説的な世界観に従い、低い天から高い天へ、月天・水星天・金星天・太陽天・火星天・木星天・土星天と登っていき、さらにその上の原動天、神のいる至高天へと上っていくわけだが、そこでダンテは神学上の疑問が次々に解決していくのを心の中で自動的に感じ、至高天ではついに「三位一体の玄義」まで完全に理解することになる、という展開になっているわけである。

ここで面白いと思ったのは、永井豪編の月天での記述に「天のさらに高いところへ上りたい、ということはなく、私たちはここで光るのです」とあり、天国の末席こそが自分たちのいるべき場所として、ここで光り、神の栄光に貢献する」という思想が感じられたことである。つまり、死してのち、天皇を中心とする八百万の神々の世界の末席に数ならぬこの身「も」加わり、天皇と日本を守る、というイメージと近いものを感じた、ということである。

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この辺りは、再びかまびすしくなっている靖国神社の問題にも関わることだなと思う。

https://note.com/yonahajun/n/neb118f8f6044

靖国神社は日本を守るために戦って戦場で散った兵士たちが祀られている神社で、まさに彼らは死してのちも日本を守る護国の鬼となって我々生きているものを守ってくれているわけだけど、現在ではそれ自体にはあまり問題がなくて(もちろん問題にする人たちはするが)、現在の問題として取り上げられるのはそこにA級戦犯が合祀されている、ということになっているわけである。

この合祀は1978年に行われ、それ以降は昭和天皇、上皇陛下、今上天皇陛下の御親拝はない。そういう意味では毎年例大祭には勅使が派遣され、戦場で散った兵士たちの霊への顕彰は行われ続けているわけだが、御親拝がないということはもちろん大きなファクターであろう。

與那覇潤さんの議論は、このことを極東軍事裁判と関連づけて論じているわけだが、つまりは日本がサンフランシスコ講和条約で「極東軍事裁判の判決を受け入れる」という条文の解釈にも関わってくる。日本語原文は以下の通りである。

https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19510908.T1J.html

「第十一条 日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し、且つ、日本国で拘禁されている日本国民にこれらの法廷が課した刑を執行するものとする。これらの拘禁されている者を赦免し、減刑し、及び仮出獄させる権限は、各事件について刑を課した一又は二以上の政府の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。極東国際軍事裁判所が刑を宣告した者については、この権限は、裁判所に代表者を出した政府の過半数の決定及び日本国の勧告に基く場合の外、行使することができない。」

この条文を読むと、A級戦犯として処刑された人々に対しても、「裁判所に代表を出した政府の過半数」すなわちアメリカ・イギリス・ソ連・オーストラリア・カナダ・中華民国・フランス・オランダ・インド・フィリピン(ソ連の後継国がロシアであることはあまり異論はない気はするが、中華民国が台湾なのか中国なのかは微妙、また途中でボイコットしたニュージーランドの扱いがどうなるかもわからない)の10または11の国、すなわち6カ国が賛成すれば名誉回復は可能だということになるだろう。

それはともかく、「裁判を受諾」するとはどういうことか、ということで、この辺りも「判決を受け入れる」といういわば当たり前のことから、裁判の主導原理を承認するというちょっと大きい話まで現実には判断が分かれているようである。

與那覇さんの論旨としては、「A級戦犯は「戦争の惨禍」の原因を作った「罪を背負った存在」であり、その名誉回復は許されない」という前提に立って述べられているように思う。ただ、上の思考実験のように、サンフランシスコ平和条約も国家間で結ばれた条約に過ぎないのだから、A級戦犯の地位の回復は原理上は可能である。むしろそうしたスタンスから考え直すべきではないかということは一つある。

そして問題を先鋭化させているのは、本来極東軍事裁判に参加していない中国共産党政府が殊更にA級戦犯についての非難を繰り返している点であり、そこは奇異といえば奇異である。逆にいえば中共政権は自らが参加していない戦犯法廷の結果を受け入れることで日本と平和条約を結んでいるわけだから、その前提を崩すな、というのが中国の主張だと與那覇潤さんは言っているわけである。

日中平和友好条約の全文を見た限りではそのようなことは書かれていないのだが、政府間協定のどこかに書かれているかもしれないのでそこは保留しておこうと思う。

https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/china/nc_heiwa.html

要はこの条約が結ばれた年にA級戦犯合祀が行われているわけで、おそらく中国はそういうこともあってこの問題に神経質になっているということはある気がする。つまりメンツの問題である。

ただ日本の法制上は靖国神社は民間の宗教法人であり、與那覇さんがいうように、数度にわたる国家護持の法案は全て廃案になっている。だから国がこの問題に干渉することは原理的に(少なくとも今のところは)できない。だから中国としては靖国神社に文句を言うしかないが原理的にそれもナンセンスなのでやっていないと思うが、中国人が靖国神社を穢す行為が今まで何度も繰り返されているのはそうした背景もあるのだろうと思う。

靖国神社にA級戦犯が合祀された理由はまあ割とシンプルだと思うのだが、彼らは戦勝国によって処断された人たちで、それはつまり国に殉じたと言うことであり、日本のために戦って死んだ兵士たちと同列に扱うべきだ、と言うのが靖国神社側の考え方だろう。

しかし、裏のテーマとしては、極東軍事裁判でも水面下で問題になっていた、「天皇の戦争責任」と言う問題があるのだと思う。結局、日本の統治を穏便なものにしていくためには昭和天皇に戦争責任を負わせるべきではない、と言うのが最終的なマッカーサーとGHQの判断だったわけで(当然トルーマン大統領も関与しているだろうが)、ただ誰も処罰しないわけにはいかない、と言うことがあったのだろう。

しかしながら、本来「勝利した国が敗戦した国を裁く」と言う裁判が正当かといえば、強い疑義はそこにあるだろう。だからインドのパール判事の「全員無罪」と言う判決が日本国民の心に強く響いたわけで、特に原爆投下や日ソ中立条約の一方的破棄によるソ連の侵攻、シベリアや中国への抑留、捕虜収容所での日本人兵士たちに対する虐待などは不問に付されたことに不満を持つ日本人たちにとって大きな感銘を与えたわけである。

こうした軍事裁判の構想はおそらくはルーズベルトが当初から持っていたもので、強硬に日独に「無条件降伏」を求めるなど戦争を長引かせた責任も彼によるものが大きいわけだが、ルーズベルトの死によって対日条件はかなり緩和されたものの、ルーズベルトの定めた戦争指導の前提が引き継がれた部分はなくなりはしなかっただろうし、正直いえば連合国側の復讐感情や処罰感情は良くも悪くも相当強かっただろうとは思う。

だから連合国側としては、天皇に戦争責任を問わず、A級戦犯7人の処刑で済ませたことは「大きな妥協」であると解釈している面は大きいだろうし、與那覇潤さんの指摘の通り、中国もまたそれに乗っているわけである。(中国は彼ら以外に岡村寧次大将ら中国戦線の将官への非難はしているし対日非難を続ける路線自体に変更はないが、中国もまた妥協している、と言う指摘はまあそうだろうなとは思う。)

しかし「A級戦犯は昭和天皇の身代わりに処刑された」と言う認識があるからこそ、靖国神社としては彼らを評価し、殉難者として兵士たちと同様に崇敬すべきだ、と考えるのは賛否はともかくおかしいことではないだろう。

これはまさに先に述べた垂加神道以来の日本の考え方、天皇と国を守るために死に、死んだのちも国を守る存在として靖国神社で多くの兵の英霊たちとともに神となって日本を守っている、と考えられるからである。

日本は現場主義の強い国であるから、エリートが勝手に建てた戦略で国民大衆を振り回して失敗を重ねているが、現場の声を聞けばうまくいく、と言う観念が強い。そうしたエリート批判の立場からA級戦犯たちを批判する人たちは当然いておかしくないと思うし、そう言う彼らと兵士たちを同列に並べるな、と言う主張もあり得るだろうとは思う。

ただ垂加神道自体がもともとは公家たち(つまり地位上のエリート)のものであったのが、平田神道によってより一般化され大衆化された面があることから考えると、この主張も弱い面があるようには思う。

昭和天皇がA級戦犯合祀以降、靖国神社に親拝されていないのは、松岡洋右や白鳥敏夫も合祀されてしまったからだ、と言う主張もあるようで、そう言う天皇ご自身の感情の問題もないとはいえないとは思うが、原則的にはA級戦犯処刑を天皇制=国体護持の見返りにすると言うことを連合国との約束とみなし、それを守られていると考えるのが妥当ではないかと思う。

要は靖国問題というのはそういう国際関係上の問題と国内感情の問題が深いところで亀裂が生じている問題だと考えるべきで、したがって我が国の国民感情に即した形での解決策としてあり得るのは、上に述べたように「旧連合国に働きかけてA級戦犯の名誉回復を図る」ということではないかと思う。

これはもちろんそう簡単なことではないし、不可能だと思われるだろうと思うけれども、「A級戦犯指定」そのものが歴史の産物であり、そうである以上は変更は原理的に不可能ではない。第二次世界大戦で日本軍の稚拙な作戦指導によって大被害を受けたフィリピンで日本の「安全保障上の責任を果たせ」という声が高まっていたり、靖国神社そのものに関しても、「中華民国大総統」であった李登輝氏がすでに参拝していることを考えれば、周辺諸国の考え方が変化していく可能性はないわけではないと思う。

また、A級戦犯として処刑された人たちに対しても、唯一の文官であった広田弘毅に関しては「落日燃ゆ」など検証する小説が書かれヒットしたりしているわけだし、極悪人扱いが続いていた東條英機に関しても再評価しようという動きもなくはない。大東亜戦争は「異常な戦争」ではなくある意味「普通の戦争」であった、と思う。倫理や善悪を超えたところでより客観的に評価していくことが、未来のためにプラスになることなのだと思う。

(ただ、逆にいえば中国もおそらくその可能性には気づいていて、我々にとってはうんざりするくらい南京事件を擦り続けるのは、A級戦犯の名誉回復などによって第二次世界大戦の位置付けが相対化されてしまうことによって中華人民共和国建設の意義そのものが相対化されてしまうことを恐れているという面はあるとは思う。)

いずれにしても、日本の死や救済についての考え方にある種の特殊性があるとしたら、「死者が私たち生者を守ってくれる存在であり、死んでも無になるのではなく生きている人や国を守る誇りがある」というところではないかと思った、ということを書いておきたい。外国にこの考え方がないかまでは調べ尽くせたわけではないのだが、少なくともこの考えはとても魅力的なものだと思ったのだった。

***

朝日新聞に掲載された安藤馨氏の寄稿が色々と物議を醸しているようだが、今日はもうだいぶ長くなってしまったのでこの辺りにしたいと思う。

https://digital.asahi.com/articles/AST881J1DT88UPQJ00WM.html

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