「右翼雑誌の舞台裏」を読んでいる:保守言論界のスターの不足/「あの戦争への反省」:「社会主義≒全体主義への高評価」と「軍隊は本当に解散すべきだったのか」

Posted at 25/08/16

8月16日(土)晴れ

今日はお盆の最終日。昨日は終戦の日で、お昼のご飯を食べるときに防災無線で黙祷の呼びかけがあったのでテレビをつけて、黙祷の後天皇陛下のお言葉を拝聴した。夜は諏訪湖花火大会で、下の妹と姪は湖畔まで見に行ったが、私と上の妹は近くの中学校のグランド横の道から少しだけ見たのだが、地元の人たちが数十人きている感じで、子供の頃花火を見たのはここだったので、50数年たっても変わらないものは変わらないよね、と思ったりした。

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昨日から「ふつうの軽音部」を読み返したりもしながら、積読になっていた梶原麻衣子「右翼雑誌の舞台裏」を読んでいて、今158/202なのだが、ここでも感想として取り上げたいことはいくつかあるのだけど、やはり自分も保守の立場でずっと雑誌を読んだりブログを書いたり、あるいはネットバトルを読んだりしてきたけれども、見ている風景がかなり違うなと思った。もちろん保守系雑誌編集者という立場はかなりあるし、もともとWillの読者だったそうだから、「Willが出てきた頃に保守系雑誌を読むのをやめた」世代との違いというのはあるなと思った。正論や諸君はまだ左派にも紙面をさいて議論をしていた感じが自分の中にはあったのだが、WillやHanadaは「決めつけ」系のタイトルが多いし逆にいえばタイトルだけでお腹いっぱいになる感じがあって、中身はほとんど読んでなかったので、とても真摯にこうした雑誌が作られていたのは逆に驚いた感じがあった。

まあおそらくはそういうタイトル重視の編集姿勢というのが自分の感覚と合わなかったということで、まあ私は敏腕編集者とか出版経営者の「売れる手法」みたいなものの現れがどうも合わないところがあるので仕方ないかなとは思うのだけど、自分の感覚としてはひと世代前の石原慎太郎や渡部昇一、西部邁ら「保守界言論人のスター」がいた時代はまだ読む気がしたのだけど、今はどうも人材不足というか、90年代にはあれだけ読んでいた小林よしのりさんも反ワクチンと女性天皇論に行ってしまって「大局と関係なくね?」みたいな感じになってしまった。私自身は野口整体の考え方で自分の体調に向き合ってるし、ワクチンは4回接種したがこれは「国家の政策への協力」だと思ってやったことなので、政府がとった危機対応としてのコロナ政策については批判すべきところはおそらくあるとは思うのだけど、まあ打つべき手が全然わからない中でなんとか対応していた政府を攻撃するのも非人情だよなという感じである。

女性天皇に関しては私は絶対排除するものではないけれども、やはり男系継承が基本で女系は男系でも皇族の系統を引く形でならいいのでは、という感じではある。現在の内廷や宮家以外の男子が皇室に入るならば旧宮家が一番抵抗はないだろうと思うけれども、男系で(南北朝時代の崇光天皇の子孫の旧宮家)より近い系統も実際には江戸時代の東山天皇の子孫に存在する(養子として摂家を相続した皇子の子孫)ので、イギリスの王位継承法などではそちらの方が優先されるのではないかという気はするが、つまりは日本の皇室は男系でも純粋に系統が近ければいいというわけではなさそうなので、難しいなとは思う。

まあそういうものが確保できる形ならいいとは思うのだけど、小林さんは敬宮殿下の皇位継承とそこから女系でも継承されればいいという考え方のようだから、あまり賛成できないなとは思う。

いずれにしても、昔は煌めいて見えた保守論壇人が次々と退場し、いわば「保守本流」と言える人がいなくなっていることが、保守系雑誌に魅力を感じられない最大の理由なのだとは思う。

いずれにしても中国やアメリカの歴史と違って一つの思想が完全に滅ぼされるということがあまりないのが日本の特徴だから、細かい対立まで含めて分かれてしまった左右それぞれの思想がときに先鋭に、ときに適当に離合集散するのは避けられないし、SNS状況というのもそんなに本質的に議論を(悪い方向に)変化させるものなのかというのもどうかなとは思う。まあ本当に頭の悪い極左的なツイートなどを読むと困ったな、と思うことは多々あるわけだけれども。

最後まで読んでから、この本に対する全体的な感想を書こうと思う。

***

https://www.asahi.com/articles/AST8H3CCTT8HUTFK016M.html

石破首相が戦争への反省を戦没者追悼式典で口にしていたが、大東亜戦争においてよくなかった点、反省すべき点はどこなのか、というのを少しだけ考えてみた。

もちろん最大の反省点は「負けた」ことであって、「戦後問題」と言われるものはもちろんほとんど全てがそこに由来している。ただ、これは相手にしたアメリカのルーズベルトの極端な排日思想など、日本の側だけではどうしようもない部分もあったし、この点について反省すべきなのはルーズベルトの日本観を日本側が十分に把握していなかったことだと言えるだろう。

その他について、細かいことでいくつか考えられるのは、海軍において艦隊決戦思想という時代遅れの戦術が海軍を死にいたらしめたことは間違いないだろうということがある。「技術」に「利権」が生じることで古い技術者とその後援者たちが新しい技術を潰そうとする、というのは軍事においては決定的にまずいことであるのは間違いない。先の戦争で本当に反省すべき点の一つはそこだと思う。軍事組織の中での風通しの良さ、みたいなものだろうか。

https://x.com/cheetaro3/status/1956285547485315282

もう一つ大きいと思われるのが、上のツイートを読んで思ったのだが、「社会主義≒全体主義への不当な高評価」ということはあるだろうと思う。ただ、1930-40年代のような日本政府(と革新官僚・無産政党・軍部など関係者)によるこの高評価というのは、日本だけでなく世界的な傾向(アメリカでもニューディーラー左派が席巻していたから日本国憲法がああなった)なので日本だけ批判するのは難しいのだけど、社会的不正義を解決する手段が他に発想として出てきていなかったというのは大きいとは思う。

もともと永田鉄山ら軍部改革派が主導した満洲事変・北支事変以降の展開の底流にあるのは「軍備の近代化」に対する指向であって、そのために「国家総動員体制」が必要であり、資源の確保が必要だ、というのがある。1850年代にアメリカの西部開拓・開発や工業力の爆発的な発展を80年後にやろうとしたわけだけど、インディアンは抑えられたが中国はそうはいかなかった、という感じではある。その辺の認識が甘い、つまり調査不足は否めない。

特に国家総動員という考え方はやはり統制経済を前提とすることになるからそこで強く社会主義的要素が入ってきたことが失敗だったということは渡部昇一さんなんかもよく書いていた。

第二次大戦に至った理由の一つは財閥の横暴に対する批判というのがあったわけだけど、財閥を抑える独禁法体制とかに行かずにいきなり国家総動員に行ってしまったのは財界を抑えられる勢力が軍部しかなかったということなのだろうなと思う。歴史のイフとして、政府が財閥を抑え込んで独占禁止法体制を作ったり利益を吐き出させて社会政策を打ち出せたりしていたら軍部は動く大義名分は削減されていただろうと思う。ただ当時の日本の統治機構として、帝国憲法において内閣の持つ権限が日本国憲法よりはるかに小さいため、そうした改革を行うのは困難だっただろうとは思う。

つまり、日本の戦前の大きな失敗の一つは、財閥が利益を漁ることに専念するようなむき出しの資本主義を抑えて修正資本主義的な改革ができなかったということではないかということ、そしてそれが可能になるような内閣への権力集中が行えなかったことがあるわけで、やはり大日本帝国憲法自体が改正が必要だったのだろうとは思う。

戦争にどうしたら負けずに済んだのか、どうしたら戦争自体をしないで済んだのか、ということを考えていくと、「外交力の不足」「新技術への対応についての反発」「政府の権限集中に対する反発」「無軌道な資本主義」などがあり、全てを軍部の責任にして軍を葬って終わりにしたことが戦後問題を封印してしまった大きな原因であったようには思う。そういう意味では戦後の軍部の解体の是非はもう一度考え直してもいいテーマではないかと思った。


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