「2.5次元の誘惑(リリサ)」自分の気持ちをxと置いてみるということ/自分がどんなものからどう影響されてきたか/2.26事件の際どい綱渡り/若者はなぜフェミニズムが嫌いか

Posted at 24/04/27

4月27日(土)曇り

朝から天気がはっきりしない。昨日は少し仕事が忙しく、ちょっと疲れた感じはある。夜帰ってきて食事をし、電話をかけると言っていた友達にかけたらもう眠くて無理という状態になっていたので、電話にとっておいた元気が余ってしまってちょっとスマホゲームをやって寝たらどうも眠りが浅くなった。なかなか調整が難しい。

昨日は午前中母を病院に連れて行き、帰りにツタヤに回ってコミックゼロサムを買って帰る。読んでいる「Landreaall」も「神作家紫式部のありえない日々」も面白かった。仕事は決算書類を受け取ったりあれこれあって、夜も少し遅めになった。

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若者はなぜフェミニズムが嫌いか、という記事を読んでいて、その記事中に「男性特権」だの「男性の加害性」だのの単語が出てきて、まさにそういうところが嫌われているのに理解してないな、と思った。「男性特権」などという言葉は「在日特権」のような「ネトウヨ」の用語と変わらないし、「男性の加害性」も一方的すぎて人間なら加害性のある女性もいるし加害性のある男性もいるという当然のところをなぜか飛び越してしまっているのは「〇〇人は怖い」というヘイト的なレイシズムと何も変わるところがないわけで、そのようなところを乗り越えてこない限りフェミニズムが若者に受け入れられることはないと思う。この辺りの差別性はもっと明らかにされていくべきではないかと思う。

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とあるきっかけがあり、二・二六事件の概要をじっくりWikipediaで読みこんでしまったのだが、昭和天皇が憤激してはっきり反乱軍の討伐を命じたことはともかく岡田首相が生きていたという幸運な偶然が場面転換の大きな要因になったというのはいろいろ考えさせられた。もし岡田首相が死んでいたら必然的に内閣総辞職だからそこで激しい駆け引きが行われた可能性があったわけで、本当に鎮圧の方向に迎えたのかということを考えてぞっとした。

天皇の意思だけでは反乱軍の討伐にすぐには動けず、陸軍省を反乱軍に占拠された責任も誰も取らなかったというのはかなり酷い状態で、明治憲法体制がいかに機能不全に陥っていたかということだなと思う。

陸軍の粛軍が不十分に終わったこと、特に統制派がこの機を最大限に生かして陸軍を牛耳ったことが最悪の結果を招いたが、要は常識的な軍人が絶対的に不足していたことが大きかったのだろうなという気がする。エリート意識と世間からの蔑視の両方で当時の軍人の精神状態はやはりあまりよくなかったのではないかという感じはある。

二・二六事件当時の陸相は中立派の川島義之で反乱軍に同情的な皇道派に引っ張られそうになったが、昭和天皇に直接討伐の意思表示をされて受け入れざるを得なくなったことと参謀次長(参謀総長は閑院宮)が統制派の杉山元で天皇の意思を奉戴することが統制派が皇道派を追い落とすチャンスと認識して強硬姿勢に出たことが大きかったといえるのだろうな。それでも岡田首相が死んでいたら事態の流動化はまだ続いた可能性があるようには思う。

宮中グループなども討伐に向かうというところまでは良かったが陸軍全体を抑え込むことに失敗したのはすでに満洲事変の「成功」で軍の発言力が相当上がっていたということが大きいのだろうと思う。やはり満洲事変が最大のポイント・オブ・ノーリターンであったということなのだろうと思う。

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「自分が訓練されている規律権力(フーコー)」に自覚的であること、という言葉を読んでいろいろと思うところがあった。自分が受けている規律権力、というほどのものがどの程度あるのかはわからないが、今まで生きてきた場面の中で無意識のうちに影響を受けているものはいくつかあって、そういうものは言わば深層心理とか行動様式、生活様式などにまで及んでいることはあるので、自分の好き嫌いに関わらず影響を受けてきたものに対しては一度振り返ってみたほうがいいのではないかと思ったのだった。

言葉を変えて言えば、「自分がどんな倫理を持っているか」ということは「自分がどんな「神」を信仰しているか」ということなので、自覚しておいた方がいいのではないかと思ったということである。

多分このフーコーの言葉はそういうことを言っているのではないかもしれなくて、この言葉を書いた人もむしろ現代のリベラリズムのキメラ性というかそういう部分の批判として言及していたと思うのだけど、それを自分に当てはめて考えてみると結構考えさせられるものがあるな、ということである。私は基本的に保守論者なのだがそれでも昔ながらのしがらみみたいなものはやはり苦手な部分が大きいし、新しいものもかなり好きなので、伝統こそが正しいとか伝統のみがあれば良い、のように思うわけではない。保守になっているのはむしろ左翼やリベラルの方がどう考えてもおかしいという非・常識性を感じるからで、積極的な保守反動というわけでもないのが面倒なところである。

自分は影響を受けてきたものから逃れようと思って今を選択しているという面では、ある意味一般のリベラルや左翼の人たちと似ているところはあるのだけど、影響を受けてきたものが自分にどんな影響を与えているのかを検証するということはしておきたいなと思ったのだった。その方法についてはまだ思い付いてはいないのだけど。

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今日更新のジャンププラス「2.5次元の誘惑(リリサ)」161話「愛のゆくえ」の感想を少し。(まあこの副題がある種内容を暗示しているわけだけど。)

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177784939

簡単にいうと「最高」だったのだが、まずまゆりが高校生の時初めてエリの手を握った、その気持ちがわからなくて「とりあえずxと置いた」という書き出しが小説のようで最高だった。その後、そのxが何だったのか、の答えを探して彷徨することになるのだけど、その答えが今回出た、ということなわけである。

その展開は読めばすぐわかるので書かないのだけど、まゆりとエリの関係性というのはまゆりの生徒である奥村やリリサにも大きく関係してくる。最近のリリサは前のように奥村に気軽に抱きつく、みたいなムーブがなくなってちょっとさびしいのだが、あの春合宿以来,ある意味大人になったということなんだろうかと思ったりはする。

あの春合宿は「全力の私小説」という感じだったからあの時できた作品を一般に頒布したくない、というのはその点から見たらわからなくはないということは、最近少しずつ思うようになってきた。全力で作ったが故に商業を目指して作ったものでは無くなったので、というか。

あの辺から私にとってはこの作品は手放しで面白がれる作品ではなくなっていて、考えてから同意したりやはりそうは思わないなと思ったりするような作品になってきている。アニメ化直前ということで本当はもっと無邪気に盛り上がれた方が楽しいとは思うのだが、まあ作品との付き合い方がそうなってきているので仕方ないなとは思う。

「忘却バッテリー」もそうだが、アニメ化によって新たな客層が流れ込んでいる感じがして、ジャンププラスのコメント欄も昔からのノリみたいなものだけでなくある種の戸惑いみたいなものがあったりする。この女性同士の愛というのも以前からの読者なら「まゆエリいいよね♡」で済んでしまうのだが、「今女性同士の同性愛を描くことの意味は・・・?」みたいな問いを立ててしまいがちな層もまた流れ込んでいるような気はするし、シンプルにそういうものの重さみたいなものを感じてしまう人もいるんだなと思った。

そういう意味では作品を純粋に楽しんでもらった方がいいと思うのだけど、それに止まらない深さとか熱さとか重さとかがあるからこそのこの作品でもあるので、多様な受け止め方があるのもまあ仕方ないのかなとは思った。

というようなところで。


暖かくなった/工事渋滞の前の交通事故/社会を分断する思想と左翼から弾き出されたオタク/米大統領の出身地と政党

Posted at 24/04/26

4月26日(金)晴れ

新年度になって最初の4月ももう残すところわずか。平日は今日と30日のみ。月末に休日があると月末の支払いやお金の動きが複雑になるので4月と12月はいつもややこしい。学生の頃などは休日のことしか考えていなかったが、自分がお金を動かす立場になるとそういうことの方が気になってくる。

昨日は午前中は松本に整体にいき、大丈夫ですと言われたので一安心。帰りに渚のツタヤとツルヤによる。ツタヤにはビッグガンガンがなかったので何も買わず、ツルヤでお昼の買い物をする。このツタヤは間も無く閉店するとのことなので、恐らくは昨日が最後になったと思うのだが、その後に何が入るのだろうか。書店が入ってくれればいいのだけどとは思っているのだけど。

高速に乗って走っているとみどり湖PAと岡谷インターの間で工事渋滞という表示が出ていて、車線規制されてもこの時間だと普通は渋滞にはならないのだけどなあと思いながらノロノロ走っていると、2台の車が衝突してガラスや金属片が散乱している事故現場があり、まだその片付けも済んでない状況だった。衝突していたのは左車線だったが右車線まで散乱物が散らばっていて、それを避けて通る必要があった。現場を過ぎてトンネルの近くにいくとここには工事現場があり、よくわからないが車線規制に気づかず直前に来て車線変更しようとした車が隣を走っていた車にぶつかったのかなという気がする。気をつけないとなと思う。

岡谷で降りて書店へ行って雑誌を探すがなかったので、一度自宅に帰って昼食を摂ってから再度出かけて別の書店に出かけ、ビッグガンガンを買った。この書店では売っているということは知っているのだが、他で買えればその方が今日は楽だと思ったのだけど、まあそうもいかなかった。

なんだか急に暖かくなったのだが、体の方はまだ寒いことを警戒していて、実際にじっとしているとまだ寒いことがある。昨晩ニュースを見ていたらその話題ばかりだったが、28度とか30度という気温を聞くとすごいとは思う。ただ、今のこちらの気温は9.4度(最低気温は6.8度)なのでストーブをつけている。日本は多様だなと思う。

***

思想や宗教が社会を分断する、ということはよくあることなわけだが、新しい理想と称するものを唱える思想がそれまで不利な立場に置かれていた人たちには福音になる、ということはよくある。しかし例えば従来は少数者として左翼の側にいた(今でも古い人たちはそういう人もいる)オタクの人たちなどが、新たに左翼陣営の主力になったフェミニズムから表現規制攻撃を受け、続々と保守派の側に鞍替えして行ったことなどは記憶に新しい。運動の中のパワーバランスの変化によって、弾き出される人たちというのは常にいるわけである。

そういう意味で言えば、アメリカ南部の白人たちは長い間「リンカーンの政党」ということで共和党に敵対し、どんな保守的な人たちでも民主党に投票してきたため、南部出身の大統領というのは概ね民主党である。80年台レーガン改革のあたりから南部にも共和党が浸透するようになり、テキサスを地盤とするブッシュ親子(出身は東部)など共和党の大統領も出るようになった。

その辺りのことを考えていて、そう言えば西部出身の大統領っているのだろうかと考えてみたら、当のレーガンがカリフォルニア州知事を務めていたことに気がついた。しかし彼の出身はイリノイ州、中西部なのでカリフォルニアは地盤ではあったと思うが出身とは言い難い。しかし逆に出身地外で知事を務めることで広域的な支持を可能にしたということもあったのかなと思う。もちろん彼は元俳優なので、ハリウッドに地盤を持っていたということだとは思うけれども。

時間がないからまだ調べてないが、大統領の出身地や地盤と政党の関係というのは少し考察してみると面白い気がした。これはもちろん研究もあるかもしれないのだが、自分で調べてもできることだからちょっと気が向いたらやってみようかと思う。

現職から遡ると、

46代 バイデン ペンシルバニア(東部)民主党
45代 トランプ ニューヨーク(東部)共和党
44代 オバマ  ハワイ(島嶼) イリノイ州(中西部)選出上院議員 民主党
43代 ブッシュJr. コネティカット(東部) テキサス(南部)州知事 共和党
42代 クリントン アーカンソー(南部) 民主党
41代 ブッシュSr. マサチューセッツ(東部) テキサス州(南部)選出下院議員 共和党
40代 レーガン イリノイ(中西部) カリフォルニア(西部)州知事 共和党
39代 カーター ジョージア(南部) 民主党

時間がないので後はまた。


「言語哲学がはじまる」を読んで自分の性急さに気づくなど/「忘却バッテリー」:モブ顔の佐藤さんの活躍というクライマックス

Posted at 24/04/25

4月25日(木)曇り

昨日はずっと雨がちで、夜も少し雨が降っていた。夜は少し報道ステーションを見ていたが結局チャンネルを変えて歴史探偵を見て、徳川御三家の話をやっていたので最初からこちらを見ればよかったと思った。「忘却バッテリー」の第3回を見ていないことに気づいたので録画を見たのだが、それもあって少し寝るのが遅くなったせいか、どうも眠りが浅かった感じがする。4時過ぎに目が覚めてもう少し寝たい感じがあり、お茶を飲んでお風呂に浸かって、少し体が冷えていたなと気がついた。寝る前に入浴した方がよかったかなと思ったり。布団に戻って少し体をほぐして眠ろうとしたが、こわばりは取れたが入眠するというところまではいかず、少しリラックスしてから起き出した。

車で出かけて職場の資源ごみを出し、駅で少し用事をしてお城の近くのファミマへ行ってアフタヌーンとヤンジャンを買って帰った。最低気温は11.7度だったが今はもう13.6度になっているのだが、薄寒い。

https://amzn.to/3QhWBwo

昨日は野矢茂樹「言語哲学が始まる」(岩波新書、2023)を市立図書館で借りてきて少し読んでいたのだが、「言葉の意味とは何か」という議論で個別の猫と一般化された猫の概念をめぐるアポリアのあたりを読んでいて、一定のところで考えるのを打ち切って次に進みたくなる自分の感覚みたいなものからするとあまりに有縁で受け入れ難い議論だなと思ったのだが、今少し読んでみて、むしろ「大体わかったら前に進みたい」と考える自分の感覚の方が「気が急いている」ということなのかもしれないとも思った。いずれにしても自分のそういう部分を相対化するには実は役に立つことかもしれないという気が今はしてきている。時間がある時に続きを読んでみよう。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371853177784604

今朝は木曜日で25日、買ってきたアフタヌーンとヤンジャンだけでなく、Dモーニングとジャンププラスの更新があるし、まだ買ってないがビッグガンガンも発売日だ。そういえばアニメ「怪獣8号」の第2話もまだ見ていない。読むマンガは多いのだが今朝は松本に出かけるので、全部を読む時間はないのだが、事務総局は今軽く読んで「忘却バッテリー」に感動した。有望な1年生の加入で補欠に回された3年生のモブ顔の佐藤の活躍は、この試合のクライマックスの一つになるだろうと思う。

ヤンジャンの【推しの子】も今読んだのだが、ちょっと今言葉にできない感じなので、とりあえず今日のところはここまでで。

「近代の超克」の失敗と「現代の超克」の見通し:ジェンダーやコロナをめぐる混乱などにも関連して

Posted at 24/04/24

4月24日(水)雨時々曇り

昨日はいろいろ忙しかったのだが、少しずつ前に進んでいるところはあるのでそういうところをさらに確かなものにしていければいいなと思っている。

現代のさまざまな問題の根底に「言語論的転回」の問題があると思っていて、要は既存の社会秩序を疑い、再構築していこうという方向の根底にこの考え方があると思うのだが、ある種の社会の常識的な枠組みがあちこちで破壊されていて、それに対する反発や再反論、決めつけや憎悪などがさまざまに現象してきているような印象がある。

近代社会を成り立たせてきた、推進してきた原理は啓蒙主義から発展・成長した科学主義・実証主義であり、キリスト教に依拠した階級社会や絶対王政の論理を超克して絶対主義の主権国家の枠組みを守りながらブルジョア民主主義制度を一般化していく方向になったわけだが、近代とは明確に西欧ブルジョア社会優位の時代であったから、それに対する異議申し立ては各所に起こった。帝国主義的国家間競争の破綻によって第一次世界大戦がおこり西欧諸国、特にイギリスが没落し、ロシアが崩壊して共産主義政権になるなどの大変動は起こったが、共産主義もまた近代主義のバリエーションではあっただろう。また敗戦国ドイツでは暴力的なナチス運動が国家を支配するに至り、近代は危機に晒される。

その中で日本は、明治維新によって封建国家体制を超克して近代国家、また当時のスタンダードの近代帝国主義国家に脱皮することに成功したわけだが、基本的に西欧近代のスタンダードを追いかけ、その規範の中で成長することを選んだわけである。第一次世界大戦もまたその成長のきっかけの一つになったが、西欧近代の受けたダメージは大きく、不戦条約など暴力的な手段によらない近代世界の安定を目指す方向性が生まれた。

ロシアの共産主義政権の成立により、発展しようと志した国が近代化の方向性として日本やトルコが選んだような西欧モデルだけでなく、ロシア=ソ連の共産主義モデルを選ぶ手段が生まれたことは「近代」の相対化と多様化において大きな契機になっただろう。明確な共産主義化を選ぶ国は1920-30年代にはモンゴルを除いてなかったが、中国は国民党が政権を握ることでソ連と欧米を天秤にかけ、「革命外交」を行うことで日本のような条約改正の苦労をすることなしに自らの主張をイギリスに認めさせて行く。

日本ではそれまで西欧スタンダードの大国になることを目指していたが、共産主義国家の成立はむしろ外交的にはある種の思考停止をもたらしたように思う。西欧の人権理念の真の実現を求めた人種差別禁止条約は成立せず、また満洲における権益の共有を拒絶したアメリカからは排日移民法を食らうなど、「西欧の理想」を疑問視する傾向が強くなってきて、また中国のようにソ連の存在を示唆してより有利な交渉を英米側に求めるというような外交術もなかった。これはうっかり日本が先進国、五大国としての矜持を持ってしまったために中国の瀬戸際外交的な外交を行う泥を這いずり回るようなセンスが失われたこともあるし、「共産主義の脅威意識」を英米と共有することにも失敗したということがあるのだろうと思う。

日本国内では外交面では欧米協調路線が強く、軍事面では中国における権益確保への指向が強かったために中国情勢に翻弄され、アカデミズムや学生運動の中では共産主義への憧れが勢力を持ちつつあり、いずれにしても幾つもの要素がある当時の日本をめぐる情勢を現実的に捉えて日本が有利になるような外交を行う手練手管に富んだ外交者たちや強力な政府を持てなかったことは当時の日本にとって残念なことだったと思う。これは戦間期の大政治家になる可能性があった原敬の暗殺という突発自体が招いた不幸という面はあり、現代の安倍首相の暗殺もその轍を踏まないかと懸念する部分がある。

中国での権益確保の欲求という理念なき軍事方針の爆発が満洲事変の形で起こったときにそれに政府は有効に対処することができなかったのはいろいろと問題の指摘の仕方はあるけれども、「近代」国家としてやはりまだ未熟だったから、という面は大きかったような気がする。この意図せざる暴発をきっかけにして国際世界で孤立していったことが日本の大きな失敗の始まりだったことは確かだろうと思う。

ただ一度自体が動き出すと起こってしまったことは仕方ないとしてそれはそれとしてその方向性での国家建設を考えようという方向になるところがある意味日本らしいとはいえ、その中で構築されてきた哲学的な議論が「近代の超克」というものだったようには思う。

こうした議論の中でそれまで国家建設の一つの推進力になってきた「近代」の力、科学主義・実証主義に対して前近代的な暴力主義みたいなものがブレーキをかけるようになり、同じような志向を持っていたナチスなどの全体主義勢力と手を結ぶという愚挙に出ることで共産主義の牽制も成し遂げようとした。英米や西欧近代勢力と日本の現実との調整がもう少し時間をかけてゆっくりできればそういう方向にはいかなかったと思うが、政治家の人材不足や経済的な苦境、社会的な貧困圧の高まりなどはそういう日常性を日本社会に許さなかったという不幸もあっただろう。

結局独ソ不可侵条約の締結によって「共産主義の牽制」すら画餅に帰したことがわかり日本政治はますます混迷を深めて、とはいえ欧米協調路線に戻ることは中国での戦争をやめない限り不可能だったので、ますます間違った方向へ行ってしまったのだろう。

その時の日本の思想というのは例えば石原莞爾の「最終戦争論」にあるように、資本主義・近代主義のチャンピオンであるアメリカと最終決戦を行なって勝利することで日本が世界の盟主になる、というような発想だったのだけど、日本が近代世界で力を持ちえたのは西欧的な方向での近代化が成功してきたからだという前提がやはりあまり強く持たれていずに、自らの力や精神文明を過大評価していたことが失敗の原因だっただろうと思う。日本の良さが近代性とは別のところにあるという議論はもちろんあり得るのだが、それが強さの根源になるという考えがやはり難しいところはあったというべきだろう。「大和魂は腑抜けた欧米人に勝利しうる」という客観性に欠けた主張が社会を風靡してしまったことは大きな問題があっただろうと思う。

結局日本は「近代の超克」には失敗し、戦後世界を「敗戦国」として生きることになるわけだが、英米派外交官であった吉田茂は軽武装・日米同盟路線を選択し、また武装よりも工業化・産業化を選択したその後の路線によって日本は高度成長を実現し、繁栄することになった。これは吉田が巧みに共産主義・軍国主義の脅威をGHQに吹き込み、自分の政敵や共産主義の運動を封じ込めていったからというところもあり、戦前は利用することができなかった蒋介石流の共産主義の脅威を、蒋介石が覇権を失った後の戦後においてうまく受け継ぐことができたということもできる。アメリカにとっては日本に対抗するために蒋介石を援助する方向で多量の犠牲を出した後に今度は共産中国に対抗するために再びアジアに関わらざるを得なくなったわけだからある意味外交の失敗と言えなくはないとは思うが、状況は戦後の日本には味方したという面はあるだろう。

こうして再び日本は欧米近代主義の枠内での発展という明治以降の基本路線に戻ったわけだが、戦前に比べると冷戦という状況は複雑化はしていたが基本的には日本の発展には有利な状況が続いたというべきだろう。現代とはいつ始まったのか、という考え方はいろいろあるが、社会主義国家の存在を重視する立場からは第一次世界大戦後から、という考え方が強かったように思うけれども、その社会主義権が崩壊し、残骸としての中国やロシア・北朝鮮のような権威主義国家が残っているだけという現状を見れば、国連憲章によって進むべき世界の方向性が明確に示された1945年以降が現代と考えるのが妥当なのではないかと今は私は思っている。

現代社会の進展の中で共産圏が崩壊し、「共産主義の脅威」が神通力を失ったことによって、アメリカの対日姿勢も変化し、特に90年台のクリントン政権はジャパンパッシング的な日本軽(い敵)視政策をとったこともあって日本経済は長期低迷に落ち込んでいったわけだが、ロシアや中国も含めて世界はグローバルに一体化するという幻想がロシアにおけるプーチン政権の、中国における習近平政権の独裁的な執政の長期化によって壊されていく中で、アメリカは昔日の世界平和に対する義務感を失いつつあり、オバマ政権もトランプ政権も紛争には関わらない姿勢を示すようになっていったが、そうしたアメリカの空気を変えたのが今回の岸田首相の米議会における演説であったと思う。

アメリカは世界平和を維持する暗黙の責任のみが負わされ、それでいて感謝も同意もされないという不公平感、虚無感があったのが、ちゃんと熱い期待を持ち応援してくれる国があるということに感激して、あれだけ大きな反応が起こったのだと思う。どんなにアメリカが大国でもそのモチベーションが下がっているときに世界平和を維持するなどという巨大な責務を背負い続けることは難しいわけで、岸田首相の演説はうまくアメリカのツボをついたと思う。

そういう意味で、日本は共産主義とか国家社会主義のような全く新しい枠組みを提案し推進していくことよりは、既存の枠組みをフル活用し、その中で地位を高めていくことで次の世界の主導権を握る、というスタイルの方が得意なのではないかとは思ったのだった。まあこれは日本に関しての話だが。

こうした現代社会・現代世界というのは、西欧近代というスタイル・意匠・方向性をより一般化した形で世界に適応させていく形でスタートしたわけで、アジアアフリカ諸国の独立や国際連合への加盟など、基本的にはいわば「修正近代主義」の形で進んできたのだと思う。

ただそれを極限まで推し進める方向性が強くなってきたのはいわゆる1968年革命以降で、特に20世紀末から現時点にかけてジェンダー思想(フェミニズムやLGBT思想)やエコロジー思想、学問的にはジェンダースタディーズやカルチュラルスタディーズなど、いわゆる「言語論的転回」によって近代思想そのもの、またそれ以前に人類が積み上げてきた文明的蓄積全てについて疑問を投げかける方向性が生まれたことは「修正近代たる現代」にかなりの影響をもたらしている。

これにはいろいろと議論があると思うけれども、私は個人的には弊害の方が多い、もっと言えばかなり根本的な文明的危機をもたらす可能性があると思っている。

ただこれは、ローマ帝国・ローマ帝国を滅ぼしたのがある一面においてはキリスト教やストア主義的コスモポリタニズムであった、というのと同様、ある種の「歴史の必然」と考えるべきなのではないかという気もしなくはない。

ただもし「文明」や「近代」を守りたいのであれば、この破壊の方向性を食い止めるための思想や行動が今必要とされているのだろうと思う。言語論的転回も初期にはおそらく「創造的破壊」「自由のための革新」みたいな意義がつけられていたと思うが、現在では「創造なき破壊」「自由を殺す革新」の方向に進んでいるのではないかという危惧があちこちで見られる。

また新型コロナ感染症のもたらしたパンデミックが与えた甚大な社会への影響というのも、これらの問題と重なる部分はある。特に「医学・疫学=科学」に関する信頼性というものが大きく揺らいだということにおいて、近代・現代への疑惑というものが生まれたことは大きいのではないかと思う。東京15区の選挙をめぐる混乱なども同じ根を持つ部分もあると思うが、今回は詳述しない。

まあこうした問題は、もとよりこんな小論では扱い切れる話ではないのだが、今私が思っている問題意識について素描してみたので、またここから発展させられればいいなとは思っている。

ただ、こうした混乱自体も含めて「現代」だという認識は私にはあり、そういう意味で「現代の超克」というものをどう考えていくかというのは課題だなと思っている。

***

書いている途中で吉田茂がGHQを利用して政敵(「軍国主義者」や「共産主義者」)を排除していった過程について考えていて、まあ決して褒められるやり方ではないなとは思ったが、戦前の政治家が天皇の権威を利用し、樺山資紀が「なんのかんの言っても日本の近代化は薩長のおかげ」と言ったら「天皇陛下の御威光のおかげだ!」と批判されたり、尾崎行雄の桂内閣弾劾演説でも「天皇の影に隠れて弾を打ってくる卑劣なやり方」みたいな非難をしたりした話を思い出したり、また昭和天皇自身が天皇の権威を利用した、ないし使ってしまった出来事が三つあったなとか(田中首相叱責、二二六事件収束、終戦の聖断)そういうことについても書こうと思ったが、この辺はまた別の機会に書きたい。


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