新サイバー条約の危険性と文章表現における表現規制/「参政党」と江戸時代のナショナルアイデンティティを育てた「国学」

Posted at 25/07/05

7月5日(土)曇り

昨日は午前中母を病院に連れていき、施設に送り届けてから銀行へ行って源泉税を払って、ツタヤに車を走らせてジャンプコミックス12冊(朝コンビニで買ったワンピースと合わせて13冊)と仕事で使うヘッドフォンを買い、西友へ行って母への差し入れと自分のお昼を買って、施設に届けてから帰宅した。昼食を取ってから少しうたた寝をしたり、本を読んだり。だいぶ疲れが溜まっている。

職場のある商店街が昨日は七夕祭りで仕事中も結構賑やかだったのだが、年に一度、今日と明日のことなので、まあそういうものだと思うしかない。人々が幸せそうであるのは良いことだ。

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私も気がつかなかったが、新サイバー条約の危険性がかなり広範囲に認識されてきた。かなりきつい表現規制がないようにあり、そこに関しての保留事項をちゃんと抑えないと国内の表現活動が大変なことになりそうだ。野党側の表現規制反対派は維新の音喜多前議員くらいしかいないらしく、とりあえず自民党の山田太郎議員と赤松健議員に頑張ってもらわないといけないという感じになっている。

https://x.com/yamadataro43/status/1940410326924796149

https://x.com/ShinHori1/status/1941110528845439173

詳しくはリンク先を見ていただけると良いのだが、より多くの人がこの条約に対して反対の意思表示をすることが、世界をより「自分の言葉で語れる場所」であらせ続けるためには必要なのではないかと思う。

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石破政権についての苦言を書こうと思ったのだが、昨日も書いたがキリがないので今日は自粛しておこうと思う。

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https://amzn.to/4kl6iq8

前田勉「近世日本の支配思想 兵学と朱子学・蘭学・国学」(平凡社ライブラリー、2025。原著は2006年、平凡社選書)読んでるが、面白い。現在序章の総説的なところまで読んだところ。56/349。

江戸時代の日本が征夷大将軍・徳川家を頂点とした兵営(臨戦態勢)国家であり、それゆえに幕府の物理的な実力=御威光が支配する国であった、というのはよく言われているのだが、大名配置や石高に応じた平時の格式や軍役準備義務などが国家体制化した国家であった、という整理はわかりやすい。武家諸法度(元和)で

「法はこれ礼節の本なり。法を持って理を破り、理を持って法を破らざれば、法に背くの類、その科(とが)軽からず」

とあるように、幕府の命令たる「法」は、儒教・朱子学の最も重んずる「理」よりも優先されなければならないとし、「理をもって法を批判する」ことはその罪は軽くない、と言っているわけである。

だから(これは以前も書いた覚えがあるが)江戸時代の日本の官学が朱子学であったと言っても、それは幕府の「法」の範囲内のことであり、朱子学の理をもって幕府の法を批判することは「御政道批判」であり、許されなかったわけである。だから幕府の朱子学者たちは屈折した感情を持たざるを得なかった、というのはわかりやすかった。

この兵営国家にあっては上から下まで全ての人間には「役割」があり、武士は武士の、百姓には百姓の役割があるわけで、先祖代々のその「役」を果たせない存在は「役立たず」であり、強く非難される存在だった、というのは現代においても日本の気風を説明するために大変わかりやすい話だというわけである。

また江戸時代も社会が安定してくると都市に出て商業に従事し、成功を収める人たちが出てくるわけで、彼らの自由な気風が元禄文化や化政文化などの町人文化を作っていくわけだけど、一方で成功者と没落者の階層文化も進み、「人間万事金の世の中」になってくるとそれに対する批判も現れてくる、というわけである。

成功者に連なる人の中にはそういう自由な精神の中から新しい学問、すなわち蘭学に取り組むものも出てきて、田沼時代以降それは大きな流れになる。彼らはその自由さで周囲から浮いた存在になり、自由であると共に孤独な存在であったが、そうした中で功業を目指す人々は蘭学を生かして日本の国益を増強する、という方向に考える人々が出てきて、それらは寛政異学の禁や蛮社の獄などの弾圧も経ながら、特に海防分野では先進的な主張として公認されていくようになり、ペリー来航と共に一気に西欧文物を取り入れる動きが広まっていくわけである。これはいわば閉塞した状況の中で西欧から新しい文物を取り入れて新しい時代を切り開こうとしている人たちだということになる。

一方で閉塞した状況の中で成功もおぼつかず没落した人々の中には、そうした成功者にもなれず兵営国家における役割を果たすので精一杯だったり、それすらもおぼつかない人々も増えていくわけである。そうした人々に広がったのが国学だった、という指摘は初めて読んだので意外だったのだが、本当にそうかはともかくその主張は聞くには値する話であるように思った。

本居宣長は伊勢松坂の商人の家に生まれたが、もともと松坂から江戸に進出して成功した三井本家と同じように、彼の家も日本橋に店を持っていたそうだが、宣長本人は全く商才なく、成功はおぼつかない状況であり、彼は医学を志して医者・薬種屋になったことはよく知られている。そしてその2階の鈴屋と名付けた書斎において古事記・源氏物語をはじめとする日本の古典研究に取り組んで、日本人とはどういう存在か、もっと言えば中国の影響を受ける前の日本人というものはどんな素晴らしい存在だったか、を明らかにしていこうとした、というわけである。

「日本に生まれたる者第一に知るべき事は三千世界の中に日本ほど尊き国はなし、人の中に日本人程うるはしきはなし、日本人程かしこき人はなし、日本程ゆたかなる所なしと知るべし」

これは増穂残口の「有像無像小社探」に出てくる言葉だが、彼は宣長よりひと世代前の人で、多分に山っ気のある人だったように思われるが、江戸時代中期の日本はそうした言説が必要とされるような階層文化の進んだ社会であって、その不条理に苦しむ人たちを本来なら救う存在であった宗教も弾圧されていた。増穂残口は日蓮宗不受不施派の僧侶だったが、幕府による禁令によって還俗した人でもあったようである。

だから「世俗のみ」の階層社会において自分を支えるアイデンティティとして、日本人というアイデンティティは強く求められるものになった、というのが著者の主張であるわけである。

私は本居宣長にしろ賀茂真淵にしろ平田篤胤にしろ自分のやりたい学問を好きにやれる恵まれた人たち、という見方で見ていたから、この本の指摘はちょっと驚いた。ただ、理屈としてはそれは通りやすいしわかりやすい話なので、もう少し調べないとなんとも言えないが、構造として理屈は通っているなとは思う。

まあ、そう考えてみると、蘭学者たちは国益を重視するエリートであって、例えば今の政治家で言えば小林鷹之さんのような自民党エリートの保守派のホープであり、国学者たちは日本人のナショナルアイデンティティを強く主張するより右派の、安倍首相亡き後は日本保守党や参政党のような存在だ、ということになるのだろうなと思った。

著者は明治政府が蘭学の自由な気風を否定し国学のナショナルアイデンティティのみを強調し、一方で朱子学本来の独立自尊の精神がようやく実現した途端に枯れていった時期とみなしていて、その辺は私と捉え方は違うけれども、少なくとも自分にとって作業仮説としてはなかなか説得力があるようには感じられた。

今日のところはとりあえずここまでで。


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