「子供の性表現」規制と「子供が自分の性に向き合うこと」/望ましい日本の政治構造/「株式会社マジルミエ」最終回/創作系専門学校の価値/梅の実を採る

Posted at 25/07/09

7月9日(水)曇り

昨夜は2階は夜になっても暑いので、一階の座敷に布団を敷いて寝たのだが、パジャマに着替えるのが億劫で下着のまま寝たのでどうも足が冷えた感じがする。ただ、思ったよりよく寝られて11時半ごろ寝たのに起きたら4時半を過ぎていて、外が明るくなりかけていた。最近は外の明るさで目が覚めるということはなかったので、なんだか新鮮な感じがする。

朝のうちにいろいろやって、新聞を見てたら広告に「梅の実が取れたので欲しい人は取りに来て」という告知があり、もらいに行ってもいいのだがうちの梅の木にも実がなってるのだよな、と思って裏庭の梅の木を見に行ったら思ったより生っている。数年前に夏目の実を漬けた時のホワイトリカーや氷砂糖はまだ残っているので、そんなに量はないが漬けてみるのもいいかなと思った。

ただ梅の木の周りが草がぼうぼうなのでまず草を刈ってから脚立を立てて取らないと、と思う。昨日Twitterを見てたら、「人類の敵・脚立・・・」という脳外科医のコメントがあったので、まあ中高年で脚立に乗って転落する、特にその仕事の人でなく趣味でそういうことをやってる人が転びがち、ということだったのでまあ慎重にやろうと思った。今朝は明日だと思っていた午前中の用事が今日だったことがわかったので時間がないからやらないが、一つだけ実をとってみた。柿のように枝ごと折らないといけないかと思ったら割とすぐ取れたのでこれならいいかなと思う。今朝は時間がないので明日の朝やろうと思う。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267180999419

漫画の感想を少し。ジャンププラスで「株式会社マジルミエ」が最終回。起業して土刃さんを相棒にマッチングを仕事にするというのはなるほどと思ったが、最初の就活の場面をラストにも繰り返すのが綺麗な終わりかただなと思った。もう少し展開して欲しかったエピソードもなくはないが、就活や起業、一度閉鎖された会社の復活逆転劇といった「企業もの」を、「魔法少女」という題材を使って展開するというのは秀逸なアイデアだったし、「過去悪」がちょっとありそうな話である気はしたがそれも含めてオーソドックスな展開でやり切ったところが良かったなと思う。まあ恋愛要素は使い出したらキリがないからこの程度にしておいて、ラストをバディものにしたのも今風ではあったなとは思った。

水曜日はチェンソーマンをはじめ強力なラインアップが多いのでほとんどトップは取れなかったと思うが、それでも4年間続きアニメ化もし単行本が18巻まで出るのは根強いファンがいたからだなと思う。私も全巻持っているので、また読みたくなった時に読み返してみたいと思う。お疲れ様でした。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267180999376

同じくジャンププラス。「エクソシストを堕とせない」が95話、オーラスに近づいてきている予感が強いが、教会側の切り札だった「神父くん」が人の心を取り戻すきっかけになったリリン(悪魔)であるイムリを救うために地獄(ゲヘナ)でルシファーと戦っている最中、七つの大罪の魔王たちが神父くんの味方をして戦うという「熱い」展開なのだが、そういう力を持つ「神父くん」こそが「魔王の素質がある」とルシファーが宣告するという思いがけない展開。この物語は題材もアレなのだが思いがけず深いところをどんどん突いてくる作品なので、先がさらに楽しみになった。神にでも悪魔にでもなれる存在、それが人間だ、ということだろうか。

サンデーは「葬送のフリーレン」「シテの花」がお休み。「龍と苺」は未来編になってから、AIのシンギュラリティをめぐる話になってきていて、本当に相変わらず思いがけない展開をするよなと思う。

https://www.sunday-webry.com/episode/2550912965923322294

「かくかまた」は専門学校での生徒同士のネームの読み合わせというなるほどこういうことがあるから創作系の専門学校に行く意味があるんだなと思わせるような展開だった。演劇や映画など、集団で作る作品ならこういう学校で学ぶだけでなく人脈を作るとか意味があるよなと思っていたが、マンガの専門学校というのはいまいち価値がよくわからなかったのだが、切磋琢磨するという意味はあるよなと。これは高校や大学の漫研でもできるといえばできるがやはりプロを目指す人たちの切磋琢磨というのはレベルが違うだろう。先の展開が楽しみになってきた。

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政治に関しては、やはり参政党現象についてのさまざまな意見がTwitterに飛び交っているのが面白いのだけど、一つにはこのツイートが納得感があった。

https://x.com/loira294/status/1942615232016421334

これは全くその通りだと思ったのだが、戦後民主主義という人工環境の構築が冷戦が終わった頃から完成の域に達し、それを再構築するんだ!と唱える安倍政権が安全弁になっていた、と言う状況だったのだと思う。しかし安倍さんが暗殺され、安倍派が力を奪われることにより、それを壊したことで百鬼夜行が始まったわけで、そのことに今多くの人が気が付きつつある、と言う感じではないかと思う。

このような変化の激しい時代に安倍元首相が長期政権を実現したことの意味を考えるべきで、基本的に自民党が文化的(政治的)右派で経済的左派であった安倍さんの路線が現代において最も安定する、ということなのだと思う。なるべく早くその形に復帰することが、現代の困難を乗り越えていく上でも最も良い処方箋なのだろうと思う。

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https://x.com/koshian/status/1942555013714485323

「思春期の子供たちにとって自分を投影できる同世代の性表現ってすごく大事なんですよ。そういうところから自分の生まれ持った性的指向なんかも発見していくんだから」

と言うツイートを読んで、自分のことを考えてみる。中高生時代、やはり自分の性欲の行き場については人並みには悩んでいるし、また同性を好きになる可能性はあるのかとかさまざまなことで悩みもしたし、結局は敢えて「ノーマルな」性志向を「意志的に選択した」と言う感があるのだけど、まあ結果的にはそう間違ってはいなかったなとは思っている。

だから「性志向は生まれつきのもの」と言う主張については「本当かなあ」と思うところが大きいのだけど、これはまあ才能に関して遺伝要因と環境要因のどちらが強いか、みたいな話だと思うところがあって、今のジェンダー論は環境要因を軽視しすぎだと言う感想を持っている。この辺の議論は執念深い人が多いので参入したくない感じはあるのだが、私のように考えている人も実は結構多いのではないかとは思う。

現実問題として、「思春期同世代の性表現に触れることは重要だ」と言われるとこれはもちろんそうだろうなと反射的に思ったのだけど、しかしそういうものが乏しかった自分たちの中学生時代とかを考えると、「どちらが良いのか」と言うこと自体はよくわからないと思うところもある。子供の頃題名だけ見た本で「私は13歳 なぜママになってはいけないの?」というのがあり、ローティーンでの性行為と出産についてがテーマの本だったと思うのだが、何が正しいのかと言うことについてぐるぐる考えたりしていた。(そういえばチャンピオンに「ローティーンブルース」と言うそう言うテーマの作品があったことを思い出した)

だから、自分たちの中高生の頃とか子供向けの性行為表現とかほぼ皆無だと思っていたけれども、必ずしもそうでもなかったなとも思い始めた。もちろん、永井豪作品など「エッチ」な作品はいくらでもあったのだけど。

現在は世の中に性行為に関連した情報は溢れているけれども、それならそうではなかった50年前は健全だったのかといえば、アイドルの水着写真だの山の中に捨ててあったエロ本を回し読みするだのどんな乏しい情報でも拾ってきて欲情すると言うのが男子中学生の性志向であることに変わりはないのではないかとは思う。

まあそう言うものが溢れすぎているのもどうかと思うところはもちろんあるのだが、こう言うものは規制し出すとあっという間にピューリタン化することは前例にいとまがないから、表現の自由自体はなるべく守っていくことが重要だとは思う。そしてどんなにエロが制限されてもやはり男子中学生は草の根を分けてでもエロを探し出し欲情することに違いはないだろうとは思う。そう言うものから隔離されて「自分の性」に向き合えなくなる弊害の方が大きいような気はする。

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