「江藤淳と加藤典洋」:私が感じた違和感と戦後民主主義に対する期待の無さ/日本人としての自己の確立と戦争と全共闘闘争/イスラエルのガザ虐殺と「良いジャップは死んだジャップだけ」

Posted at 25/06/29

6月29日(日)晴れ

昨日は日中は30度には届かなかったようだが、かなり暑くなっていた。私は午後は屋内にいたのでそれほど暑くは感じなかったが、午前中に車で移動している時に車の中の室温がかなり高くなっていて、これは暑いなとは思った。この時期は基本的に窓を開けて走るけれども、逆に言えばだからこその爽快さもある。オープンカーで走る人を見ていると雨の時のことをどれくらい考えているのかとは思うが、あの爽快さが欲しいという気持ちはわかるなとは思う。

午前中は家の中でいろいろやった後車で出かけて銀行で何冊か記帳して、西友へ行ってお昼を買い、郵便局でやはり記帳して、クリーニングを取りに行って家に帰った。

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與那覇潤「江藤淳と加藤典洋」に対する違和感というのは結局、私が「戦後民主主義」というものに期待を持ったことがほとんどない、というところにあるんだろうなと思う。まだ共産主義や社会主義の方に期待があったんだろう。

これは何度か書いているが、私は小学校の頃に学級委員とか児童会役員とかやらされたせいで民主主義というものに関心を持っていたのだが、「民主主義がなぜ正しいのか」は小学生の頃は理解できなかった。大人になればわかるのかな、みたいな感じだった。

中学の公民で民主主義について学ぶわけだが、社会契約論=ホッブズ・ロック・ルソーとか三権分立=モンテスキューなど名前は学ぶけれども「民主主義はなぜ正しいのか」という疑問は解決せず。結局中高時代は「よくわからないが皆が正しいと言ってるから合わせとけ」みたいな感じでやり過ごした。

高校時代に倫理社会で代表民主制理論だけでなくベンサムの功利主義やマルクス主義なども学ぶわけで、特にカント・ヘーゲル・マルクスにつながる弁証法的な社会改革のダイナミズムみたいなものにはある程度は幻惑された気がする。しかしそれは民主主義の延長線上にあるとは感じられなかった。

自分にとってはマルクスの理論もナチスの理論もそんなに変わったものには見えなかったがナチスはすでに滅びていたからくそみそに言われていたけどソ連はまだあったから幻想的な「今日のソ連邦」みたいなグラフ誌を読んで楽しそうに見えるけど嘘っぽいな、とは思っていた。

民主主義について、というか特に社会契約説について正しいのかの結論が出たのは国家論として契約国家論以外に国家有機体説や法人国家説というものがあることを知ったことが大きく、これはもう年を食ってからのことだが、契約国家説がワンノブゼムであることを知ったことによってようやく腑に落ちた。

「人権」というのが近代に生まれた思想であって歴史的に見れば普遍的なものではない、ということが理解できたのは呉智英さんの著作の力が大きく、大学生の頃にはすでに理解していたが、国家論についてはもう少し後だったと思う。このあたりが相対化出来てようやく小学生以来の「戦後民主主義の呪縛」から逃れることができた、という感じだった。

で、それでは自分はどの思想を選ぶか、みたいなことがようやくできるようになって、それでも民主主義がいいのかな・・みたいになってはいたのだが、社会党政権のときに阪神大震災とオウム真理教事件が起こり、左派の大臣や議員が全く無能であったことで左派に対する信頼感が一気に失われ、関心が消失した。

そのころ勢いがあった思想と言えば小林よしのりさんだったわけだが、彼と彼と論争していた西部邁さんなどに関心を持ち、更に保守系の論者の本をいろいろ読み、戦前以来の右翼思想なども読んでいくうちに戦後民主主義よりこちらの方がアリなんじゃないかという気がしてきた、というところかなと思う。

私にとっては戦後民主主義はもともと相対化したいものだったので信奉していた時代はほぼないからそれへの郷愁というもの自体はほぼない。戦前を悪魔化し戦後のみが清廉潔白なんだ、という風潮には同意できないものは感じていた。

ただ学生のときとかは、「こんなこと言ったらまずいだろうな」というのは強く感じていたので、今考えるとそこまで考えていたなら日本近代史で伊藤隆先生についたり政治思想史とか学べばよかったと思わないでもないのだが、そういうことを言ったらヤバいと思っていた。そういう意味で自己検閲を行っていたなと思う。

若いころはいくらでも時間があるから自分でよく考えて自分の考えがはっきりしてきてからより深く勉強し研究していけばいいと思ってほかに興味のあることにいろいろ手を出したりしていたわけだけど、この年になってみると今からできることには限りがあるわけで、本当に風呂敷を広げすぎたなとは思うけれども、まあ思ってみるとそんなに後悔はしてないな、とも思う。狭い守備範囲で狭い範囲をつついていても多分そのうち限界に達していただろうとは思うし、今でいうキャリア意識が低すぎたとは思うが、まあ今からでも仕上げればいいかという気もしなくはない。

まあ與那覇さんの本を読んで久しぶりに「自分の感じていることを正直に言えない左派言論空間の苦しさ」みたいなものを感じさせられたのがこの本に対する感想になる、というか吉本みたいな人はともかく加藤典洋氏とかが本当に自分の言ってることが正しいとどこまで確信を持って言えているのだろうかという風に感じられたところもあって、その辺にまた息苦しさを感じてはいるんだろうなと思う。

私は何度も繰り返しになるが小林秀雄の「ぼくはバカだから反省なぞしない。悧巧な奴らはたんと反省するがいいさ」という意思を受け継ぎたいという感じなので、このスコンと抜けた戦前肯定のさわやかな発言が左派にできるまではあまり関心は持てない感じはやはりあるんだよなと改めて思った。

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ただ、加藤さんの言っていることが少しはわかる、と感じたところが與那覇さんの本の中にも一箇所あって、それは248ページの後半、「日本人は責任を取れ」と言っている他者がいるのに「まずは日本人の戦死者とつながる自己を確立してから」というのは不道徳だという高橋哲哉(「靖国問題」などの著書がある)氏の批判に対し、加藤氏が「高橋は自己を作るのは他者との出会いだ、と言っており、私は自己がなければ他者に会えない、と言っている」と応じたというところで、このことに関して言えば加藤さんの方がはるかにまともだと思う。

日本人は戦前や戦争というものに戦後まともに付き合ってきてないのだから、他者の糾弾に対しても正面から受け止められるはずはなく、日本人の戦死者たちと向き合うこと、つまり自分ごととしての戦争を知らなければ、ということはあるだろう。

そして、287ページの全共闘の闘争の時の仲間達との議論の中で、なぜ自分たちが闘うかについて、「面白いから」という意見に賛同していたということが書かれていた。つまり、闘争は「面白く、美しく、正しく、気持ちよく、社会の変革や理不尽なことを是正したいという公共的な意欲と、面白く素敵なことをしていると気持ちがいいという私的な喜びが一つになったもの」だというようなことを言っている。

戦争に従事した日本人の多くは、もちろん戦闘の困難さの中で疲弊した兵士たちも多く、そういうことばかりが最近は語られるが、昔の戦争ネタの映画などはもっと勇敢だったりナンセンスだったりしたわけで、「全共闘の闘争が楽しかったように、日本の戦争も楽しかった」という一面はあっただろうと思う。全共闘の闘士の多くは生き残って、湾岸戦争反対や反原発運動や「アベシネ」運動で盛り上がって現代人からは迷惑だと思われているけれども、基本的に「闘争の楽しさを忘れられなかった」人たちなわけで、そういう意味では戦争が終わってからも部隊で集まって軍歌を大声で歌っていた戦中派の人々と基本的には変わらない。というか、そういう光景が戦中派の老人たちがほとんど亡くなってしまったために、その戦争に参加した人々の姿というもの自体を見られなくなったということも、現代における戦争の理解しにくさにもつながっているのだろうと思う。

そこのところは、小林よしのり「戦争論」にははっきりと書かれていて、「戦争は楽しい面もあった!」というところが描かれている。これは不謹慎だと当時相当攻撃されたように思ったが、スポーツで戦うのは楽しいわけだしマンガでもバトルものがいまだにジャンプの柱であるように、戦争に楽しいという側面があるのは否定できないと思う。私はそういうものを楽しむタイプかというとどうかなとは思うが、しかしそれを無視するのはおかしいだろうとは思う。

少なくともそういうことを踏まえた上で、「うちの爺さん達やその上の世代の人たちがいろいろご迷惑をおかけしましたけど、もう賠償は終わってますんでまあこれで」みたいに済ませるのが健全だろうし、迷惑ということでいえば戦勝国が日本に与えた損害も相当迷惑だったわけだから、本来それはそれで支払って欲しいところだがまあ原爆を落としたことくらいはやりすぎだったと思って欲しいね、という感じのことなんだろうと思う。

しかしイスラエル(やアメリカ)の論調を見ていると、ハマスにやられたことでほとんど発狂しているとしか思えない状態になっているわけで、まあ戦争というのは、特にイスラエルのような特殊な成り立ちの国家にとっては1人を守るために一億人を殺しても構わないといいうものなのだなと思うし、まあその延長線上にあるのが「良いジャップは死んだジャップだけだ」というような人を人とも思わない発言につながるんだろうなと思う。ちなみにこの言葉は「良いインディアンは死んだインディアンだけだ」という西部開拓時代の発言のもじりである。

ということを書いていて思ったが、ウクライナ戦争が始まった時にロシアのやっていることについて、戦前に日本軍が中国でやっていたことに似ている側面が結構あるなと思って割と憂鬱なものを感じていたのだけど、今のガザ戦争や中東の戦争のイスラエルのやっていることに関しては、第二次世界大戦の時のアメリカのやっていたことに似ている面が多いなと思った。911の後のアフガン戦争・イラク戦争なども同じようなパターンではあるけれども、やはりアメリカも学んだというかなるべく限定的なやり方を選択しているようには見える。イスラエルのガザにおける殲滅戦のやり方はそれよりかなり感情的であるように見える。

加藤さんが「敗戦後論」を書いた時よりも例えに出せる戦争がはるかに増えてしまったのは世界にとって不幸なことだとは思うが、逆に言えば日本の戦争を相対化するための材料はより多く出てきたということでもある。戦争について、より冷静に考えていけるようになると良いとは思っている。


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