エアコン/ことわざ:言葉の持つ呪力と文化的古層に届く力、保守の再構築への可能性/CDを買う

Posted at 25/06/30

6月30日(月)晴れ

昨日は3時に起きたので、早めにいろいろやってブログ/noteも6時には書けたので早めに東京に帰ろうと準備していたのだが、結局出たのは9時ごろになり、すでに道が混み始めていてトイレに職場によったりしたのでインターに入ったのが9時半くらいになった。思ったより車が多く、もう少し早く出ればよかったなと思ったが、八ヶ岳PAでトイレ休憩、境川PAでソースカツ弁当を買って石川PAまで走る。都内に入って高井戸の手前あたりから少し混んでいたが新宿を過ぎたら空いて、あとは割合順調に帰着したが、思ったよりは遅くなり、ご飯を食べて一休みしていたらもう1時を過ぎていた。

帰って室内が結構涼しかったので気が付いたのだが、2週間前に家を出たときにエアコンを切り忘れていて、13日間26度で運転しっぱなしだった。慌てて東京電力のサイトを調べたが、次回の電気代はいつもと同じくらい。検針日は切り忘れて三日後くらいだから、10日分が8月最初の電気代に計上されることになる。あまり高くないとよいのだが。注意しないといけない。

日比谷図書館と地元の図書館に返す本があったので本を2冊持って出かける。暑いので最寄りのバス停でバスに乗り、門前仲町で降りて東西線に乗って大手町で乗り換え、霞が関で降りて日比谷公園側の出口で出た。公園の入り口に警察官が10人くらいいて物々しいなと思ったのだが、野音の前を通って図書館に行って、全部は読めてなかったのでざっと目を通す。

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「ことわざの力 救済と解放」。カイヨワの「聖俗遊」の概念に基づくことわざについての考え方がへえっと思った。柳田國男や折口信夫、白川静が引用されて、ことわざというものがある種の呪力を持つものである、ということが言われているのだが、柳田が「苦労する人の心を慰め、沈んでいる者に元気をつけ、怒ろうとしている者にきげんを直させ、また退屈する者を笑わせる方法としてかつてわれわれのことわざがしていただけの為事(しごと)を、代ってするものはほかにないのであります。」というのは、まるで紀貫之の「古今集仮名序」で「ちからをもいれずしてあめつちをうごかし、めに見えぬおにかみをもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきものゝふのこゝろをもなぐさむるはうたなり」というくだりを思い起こさせる。もちろん、「言葉の力」というものが大きいということは同じなのだけど、「ことわざの力の評価」というものに関しては、現代ではかなり低下しているよなと思った。このあたりは変えていくべきところがあるのかもしれない。

https://x.com/africakotowaza/status/1492333800369848322

ことわざに関しては、アフリカは非常に多くのことわざがあって使われている地域だ、というのは聞いたことがあったのだが(ツイッターにもアフリカのことわざというアカウントがある)そういわれて見ればそうだ、とクスッとしてしまうようなことわざが多い。「呪文」というものは人間に聞かせるものではなく神や呪力を持つものに呼びかけるものだけど、「ことわざ」は人間に呼びかける呪文のようなものと考えるべきだなと思った。

アフリカではことわざをよく知っていてそれを会話の中で駆使できるものが「よく話すもの(だったかな)」みたいな言い方があるそうなのだが、それが連綿と民族に受け継がれてきた知恵のようなもので、おばあちゃんの知恵袋的な部分ともっと古くの祖先からの警告みたいなものの意味もあるのだろう。白川静は「ことわざのわざは災禍を意味する言葉だから、成句にされたのはその呪能を高めるためで、もともとは神の、あるいは神に対するためのものであったのがその古代的性格が失われて箴言のたぐいになった」と言っていて、われわれの世間、私たちの国の文化的古層に達するためには「ことわざの力」というのはある種の大きな手段になる可能性はあるなと思った。

そういうものが現代教育でだんだん軽視されてきているのは、新しい世界に対応するために古いものを捨てていくという考えがあるからなのだろうけど、「自己がなければ他者と出会えない」と加藤典洋さんがいうように、日本人としての自己を確立するための言語的基礎として国語教育においてことわざはもう少し重視した方がいいのではないかと思った。

ちゃんと読んだらもっと面白かったなと今書いてみて思っているが、日本における保守という思想の再構築においてもことわざや和歌、俳句のような「短い言葉」が手掛かり足がかりになる面はあるのではないかと思った。

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ざっと読み終えてからカウンターで返却し、図書館を出てまた丸ノ内線側の出口に来たら、今度は機動隊の服装をした警察官が20人くらい並んでいて、余計物々しくなっていたのだが、何があったのかはよくわからない。そのまま地下鉄で大手町に出て半蔵門線に乗り換え、神保町に出る。書泉ブックマートでマンガフロアを一巡し、東京堂書店で少し本を見て、文房堂の喫茶室へ行ったが何となく混んでいるのでやめて、ディスクユニオンで何かレコードを買おうと思って行ってみたらフロアが閉鎖されていて、え、閉店?となった。御茶ノ水の方に行けばほかの店があるのは知っているが、結構安く掘り出し物を買えたからこの店舗は好きだったのだが。

さてどうしようと思ってアットワンダーをのぞいたら店頭でCDのワゴンセールをやっていて、2枚で550円だったのでモーツァルトピアノ協奏曲26番(演奏カザドシュ・指揮セル)と23番(バレンボイム指揮と演奏)と、シフ演奏フィッシャー指揮のバルトークのピアノ協奏曲1~3番の2枚を買った。モーツァルトの方だけすでに聞いてみた(というか寝るときにかけていたら寝落ちした)のだがよかった。そのまま新御茶ノ水まで歩いて千代田線で大手町に出、東西線で地元に戻って銀行で記帳し、スーパーで夕食の買い物をして帰った。夜はイェーガーマイスターを飲んだり地元の図書館で借りた本を少し読んだりして就寝。

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