藤堂高虎の築城術とか松尾芭蕉の魅力とか/札幌と広島の衰退/他社が自己を作るのか、自己が他者と出会うのか

Posted at 25/06/26

6月26日(木)曇り

ぐずついたはっきりしない天気が続く。やることが多くてやりきれなかったり、やるつもりだったことをころっと忘れていて思いがけない時間に仕事をしたり。考えることが多い中で日常業務も忙しい。月末の仕事もある上に、特に今は、7月10日締め切りの仕事が結構多くて年一回の仕事も振り当ててこられている。仕事の規模が小さいので自分でやることが多くて、気持ちが忙しくなりすぎないようにしたいと思っている。

昨日は午前中に作業場に物を運び、セブンでお金をおろして駐車場代を払いに行き、その後で職場に出て銀行書類を書いて銀行に行って引き出し、入金、書類提出などしてからクリーニングを出しに行き、その足で離れた少し離れた書店に行って「ビッグガンガン」と「ハイスコアガールDASH」7巻を買って帰ってきた。昼食後はマンガを読んでたりしていたらすぐ出る時間になった感じ。

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夜帰ってきてから報道ステーションを見ようとしたら嫌なニュースをやっていたのでNHKに変えたら「歴史探偵」で「藤堂高虎の築城術」を取り上げていたので夕食を食べながら見ていた。するとある城の解説者として高校時代の恩師の先生が出てきて、そういう活動をなさっているというのは知ってはいたのだが、本当に出てきたので驚いた。

この城は高校の裏手にあり、石垣が非常に高いので有名で、ちょうど高二の時に黒澤明の「影武者」の撮影に使われていて、昼休みにサボってお城に行くと雑兵の格好をした人たちが水を汲んでたりして面白かった。遥か大坂城を睨む西側の景色が映されていたが、そこには懐かしい高校のグランドも映っていて、あそこで走り幅跳びを跳んだなあなどと思い出したりした。

たまたま松尾芭蕉のことなど考えていたのだが、私は中学と高校時代に松尾芭蕉については勉強させられたのだが、実家の方は河合曾良の出身地であり、東京の家のある江東区は深川の芭蕉庵(記念館)があり、何だか縁が深い。

松尾芭蕉と言えば一番知られている句は「古池や蛙飛びこむ水の音」だけれども、この句は枯淡の境地と小さな水音が聞こえる静けさが強調されすぎてカエルのひょうきんさがちょっとかすれがちになってるのがもったいないなという気がする。

その点、「一つ家に遊女も寝たり萩と月」なんかはエロスとあわれさと暗い中に咲く地味な萩の美しさと月の光を感じてかなり盛り込んでいる感じがある。この辺の句は芭蕉でもかなりサービス精神があるのだが、「枯れてるのが芭蕉の本領!うおおおお」みたいな感じになってるのはなんかもったいない気がする。

「荒海や佐渡に横たふ天の川」なんかは風が強く海が荒れている初秋の夜に海の向こうのポツンぽつんと光が見える佐渡島の上に横たわっているように見える煌煌とした天の川の光のまたたきという何層もの暗闇と光と風音潮騒が感じられる、光と音のファンタジーという感じ。芭蕉はだから、私の中ではイメージ複合の達人という感じである。

でもまあ、ひょうきんさとかイメージの鮮やかさみたいな一般受けするものではなくて利休の侘茶の世界を体現するような句を詠むようになって高尚な芸術と捉えられるようになった、みたいなこともあるんだろうなと。中世の隠者や風狂の系譜の継承者みたいな面でも。

日本人は和歌は西行の「年長けてまた越ゆべしと思いしや命なりけりさやの中山」みたいな豊かなイメージの歌を好むのに俳句はシンプルなのを良しとするのはなぜなんだろうなとは思う。「大根引き大根で道を教えけり」とか、まあ私も好きではあるのだが。

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https://digital.asahi.com/articles/AST5Q2G5KT5QUPQJ009M.html

札仙広福という言葉は初めて聞いたが、その中で福岡の一人勝ちだというのはちょっと衝撃。札幌と広島はもっといいかと思っていた。札幌は人口が増えているというイメージがあったから拠点性が減少しているというのは意外だった。仙台はまあ震災とかもあったし厳しいかなとは思ったけど。広島は何が原因なんだろうか。北海道の方にお話を伺うと、やはり細々とあった製造業が札幌周辺で廃業している例が多いなど、製造業の衰退が原因だとのことだった。人口は190万を超えているから人もいるし、土地もあるし、農産物なども多いので、地元の産業界や政治が本気で取り組めば回復はあり得ると思うのだが、左派系が強いことがネックになっているのだろうか。

広島(県)の方は人口の社会減(転出超過)で全国ワースト1位だということで、これもよく分からない。何が原因なんだろうか。製造業はマツダなど大企業もあると思うのだが。やはり愛知や静岡西部のようにはうまく回ってないということなのだろうとは思うけれども。

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「江藤淳と加藤典洋」、249/317ページ。江藤淳論の部分を読み終わり、加藤典洋論に入っている。江藤さんが抱えていた屈託が必ずしも自分ごととして感じられないところがあるのと違い、加藤さんの言っている(それを與那覇さんが解説している)感覚は自分ごととして捉えられる部分があるので少し怖い感じはある。「これ以上悪くなることはないだろう」という言わば「底板」を踏み抜いてしまった感じというのが與那覇さん自身を苦しめた「鬱」の経験とともに語られる時、その具体性はかなり強力だなと思う。また「従軍慰安婦」をめぐる他者論と自己論の間で高橋哲也氏とのやりとりの中で「高橋は自己を作るのは他者との出会いだと言っており、わたしは自己がなければ他者とは出会えないと言っている」というのは自己論としてはかなり面白いと思った。私は以前は高橋さん的な考え方をしていたが、今では加藤さん的な考え方に近いと思う。まあいくらでも論じられるところはあるが、左翼と保守の対立の一番根本はそういうところかもしれないとは思う。


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