スターバックスとか100円ショップとか/「江藤淳と加藤典洋」:三島由紀夫は作家の美学に殉じたのか/戦後の欺瞞をどう感じるか
Posted at 25/06/24
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6月24日(火)雨時々曇り
先日岡谷に行った時にふと思いついてスタバでカフェラテを買って飲んだら美味しかったのだが、次の日にセブンでカフェラテを買ったらちょっと味に差があることに気づいてしまい、なんだかセブンでカフェラテを買う気がなくなって、今朝もゴミ捨てのついでに少し車を走らせたのだけど、何も買わないで帰ってきた。今考えると買って来てもよかったなと思ったが、やはり高いものは美味しいよなあと当たり前のことを思ったり。家でコーヒーを淹れて飲んでいるが、セブンの味にもなかなか到達できない。安い豆を使っているせいもあるが。
昨日は昼前にツタヤにコミックスを買いに行ったのだが、「おおきく振りかぶって」38巻と「整う音 もう一つのピアノの森」1巻はあったのだが「ガクサン」11巻がなく、もう一軒の書店に回って探したらあったので購入。その隣のスーパーでお昼の買い物をして帰った。「おおきく振りかぶって」はアフタヌーンでの連載が止まっているが、久しぶりに読んで早く続きを読みたいと思った。
午後は大体の時間は「江藤淳と加藤典洋」を読んでいて、やはり夕方遅くなってから車で行き先を決めずに出たのだがなんとなく岡谷のレイクウォークへいき、5階の屋上駐車場に車を止めた。昨日は結構雨が強い時間が長かったから屋上駐車場もびしょ濡れというか水溜りになっていて、暮れ時の夕焼けや黒い雲や濃い紺の空の色が濡れたコンクリートに反射して綺麗だった。
夕飯の材料はすでにあったので特に買い物をせずに3階から2階へぶらぶらとウィンドウショッピングをして、いろいろな店を見て歩いたがこういうのも実は結構久しぶりだなと思う。紙細工の店とか漆器の店とか、まあ専門店というよりは今時の小洒落た店なのだが、そういうのも見て回るのは楽しい、ということを思い出した。塗り箸も新しいのを買ってもいいなとか。
100円ショップも滅多に入らないので何があるのかもよく把握してなかったのだが、A4サイズのプラスチックのファイルボックス(幅125ミリ)を見つけて、ああこういうのがあるのかと思った。紙のファイルボックスでも文房具屋やホムセンで買っても結構高い。試しに使ってみようとそれを二つ、あとラップがあったので無名のブランドのものはちょっと怖いからサランラップの22cm×15mのもの、それにポテトチップを買って4品で438円。これはみんな100円ショップ使うよなと今更ながら思った。
***
「江藤淳と加藤典洋」、現在231/317。主に江藤淳を論じた部分を読み終え、残っているのは加藤典洋の部分、という感じになっている。
昨日も書いたが「戦後における保守論壇人」の屈折と苦しみ、というようなことを読んでいると強く感じるのだが、江藤淳という人が保守のスタンスで戦後の言論空間の中で生きることは「自己欺瞞の不条理に耐えながら生きること」であり、それ自体を肯定的に評価していた、という感じなのだけど、そういうふうに考えるのが妥当だ、という彼の帰着点だったと思うのだけど、後から来た世代であり、また政府との関わりとかも特にない我々にとってはやはりその屈折の仕方があまり健康的には思えず、少し不思議な感じもする。
第二次大戦に対する戦後の日本人の態度は、小林秀雄のいう「僕は馬鹿だから反省なぞしない。利口なやつはたんと反省するがいいさ」が正しい、と思うのだけど、江藤淳の世代にとってはそう言い続けることが知的に誠実だとは思えなかったということはあるのだろうし、おそらくは最初は割と左っぽいリベラルな思想を持っていたところからスタートしている、ということもあるのだろうと思う。
私は1962年生まれなので戦後17年、祖父母は明治生まれ、両親は昭和10年前後の生まれだから江藤より少し下という感じの教科書墨塗り世代で父は新制中学一期生なのだが、父は60年の安保闘争の時に国会に乱入したがあまりの暴力の応酬にこの方向性はダメだと考えた人なので、社会変革の夢みたいなものはずっと持っていたけれども、「やはり天皇は特別な存在だと思う」と言っていて、つまりは左右の思想対立を乗り越えることに希望を持っていたという人だった。
私もそういう影響は受けているので思想みたいなものをあまり深刻に考えていないところはあるのだけど、父も生前は渡部昇一や江藤淳の本はかなり読んでいたようで、やはり「戦後の正義」に対して欺瞞を感じていたとところはあったのだと思う。この辺りはあまり突っ込んで話をしたことがないのでよくはわからないのだが。
結局のところ、小林秀雄のいう「反省を口にする利口な人たち」の小理屈が、米軍側の「日本国民は軍部に騙されて戦争に動員された」というある種のフィクションを「戦後を生きるために正当化」していじましい戦後の国家観・防衛観を作って来て、まだそれが抜けてないというところはあるのだと思う。それはその理屈を優等生の人たちが受け継いでより強固な信念になっているように思う。理論的に強固であるわけではないのだけど、それが信念のレベルの強固さだからよりタチが悪いということなんだろうなと思う。
これは左派・戦後民主主義万歳派の人たちだけでなく、右派・保守派の人たちもちょっと「うーん」だな、と思ったのは、彼らが三島事件にかなり動揺したということをあまり認識していなかったのだがちょっとびっくりした。小林秀雄などはストレートに三島の思いを受け取っているし、それはそうだと思ったのだが、江藤淳との対談で江藤は三島のクーデタの呼びかけと割腹自殺について「病気だ」と言っているのを知り、ちょっと目を剥いた。小林は流石に「それでは吉田松陰は病気か」と返しているのだが、江藤が「松陰と三島は違う」と即答しているのは、三島がもし松陰と同じならそれは正しい行為であったはずであり、その行動を受け入れられない自分がおかしいということになる、ということになるのだろう。
司馬遼太郎も三島の行動を「松陰のような政治思想ではなく作家としての美である」と言っていて、江藤もそれに同意するものを感じたということなのではないかという指摘があったが、これは流石に違うだろう、というかそれで片付けられたら流石に三島由紀夫が気の毒なのではないかと思った。
三島のやったことはアナクロニズムだ、というならまだわかるというか、それは政治行動ではあったが時宜は得なかったということだし失敗しても少なくとも意味のあるものだったと思うのだけど、この三島の死を「作家の美学としての死」として捉える捉え方は実は結構広範囲にあるのではないかとこれを書きながら思い当たって少し暗澹たる思いがした。
というのは、私の友人に父君が出版社で三島の担当をしていた人がいたのだが、彼が三島を取り上げた映画を見に行った時の話で、「三島に会いに行く」と言っていた、という話を聞いたのを思い出したからだ。聞いている限りの話では彼や彼の父君が三島に政治的に共鳴していたとは思えないので、つまりはその美学的なところを懐かしんでのことだった、ということなんだなと思ったわけである。
もちろん二・二六の青年将校たちに強い共感を示していたという点において、自分もそこは三島とは違うしむしろ皇道派が暗殺した永田鉄山が生きていたら戦争の顛末は違うものになったのではないかと思う方なのだが、彼が死を賭してでも訴えたかったものを「作家の美学」で片付けてしまうのは流石に違うだろうと思う。與那覇さんの分析によれば当時の左派伸長の空気の中で共産党政権が出来てしまうのではないかという危機感を強く持っていたということが原因ではないかということだが、そこまで具体的に思っていたかどうかはともかく、彼が信じる日本の姿を取り戻す、ということに命を賭けたことは吉田松陰と何ら違わないと考えるべきではないかと思うし、その意味でやり方はまずかったとは思うけれども、保守派には少なくとも心の痛みを感じてほしかったなと思った。
考えてみると江藤さんは勝海舟を高く評価しているし、それは幕臣でありながら幕府を無血で葬って平和裡に東京を明け渡したことが当然頭にあるのだろう。福沢諭吉の「痩せ我慢の説」の批判に対しても「行蔵は我に存す」と取り合わなかったところも、評価はしてるのかなと思う。私はこれは福澤のいうことも勝の言うことも両方理解はできると思うが、勝ばかりを持ち上げるのもちょっと不健康な気はした。
あと印象に残ったのは、1978年の日中平和友好条約締結後、福田赳夫内閣から江藤淳が北京に派遣され、鄧小平と会談していたということで、これは近年明らかにされたことらしい。そこで鄧小平は自衛権の重要性について言及し、「そのような「条約」に縛られることはない」と言ったために、江藤は「(条約とは)日本国憲法のことですね?」と確認し、鄧小平は「憲法など大した問題じゃないでしょう」と言った、というのはちょっと驚いた、というか中国はそういうふうに見ていたのかと思った。つまり、鄧小平は「日本国憲法はアメリカに押し付けられた不平等条約だ」と見ていたということなんだろう。その面は否定はできないなとは思う。
鄧小平は日本のことを舐めすぎだとは思うが、頭いいなとは思った。アメリカに頭がアガらない日本に対する軽い蔑視というのはプーチンにも共通するものではある。アメリカからの押し付けなんて、「適当にうっちゃっとけよ」と挑発しているのだろう。
確かに、占領政策では日本人の側から「転んだ」こともまた事実なのだとは思う。そしてそれが米側によけい侮りを生んだということもあるだろう。敗戦の詔勅では「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び」と言っているけれども、国民はもう占領の屈辱に耐えるのをやめて自ら「軍部に騙されてたんで、今日から民主主義で行きまーす♡」という自己欺瞞でいくことに決定したというのはあまり愉快なことではない。少なくともそれは自己欺瞞なんだ、ということは理解しておくべきだろうとは思う。
だからこそ、吉田茂が「戦争で負けて外交で勝った歴史がある」とか白洲次郎が「我々は戦争に負けただけであって奴隷になったわけではない」と言ったというような言葉が英雄的に取り上げられているわけだし、少なくともその精神は必要だと思うのだが、自己欺瞞で始めた戦後民主主義をピュアに受け取ってしまった人たちが歴史を正面から見られなくなってしまっている現状(というか数十年続いているけれども)はこれまたあまり健康的ではないと思う。
読んでいると、やはりしんどいなこの本、と思う。戦後の保守派言論人の屈折というのもそうだけれども、特に時代が下るに従って学者も小説家も誠実でなくなっていく様が描かれているのはなんとも言い難い。昔はトンデモは言っても態度はまともだった左の人たちが態度もまともでなくなっていくという変化。そして右もまた劣化して行ったと。
***
結局、「保守である」ためには、江藤以降ではなくて小林秀雄に帰らなくてはならないのではないかと改めて思った。彼が「本居宣長」を書いたのもそういうことだろうとは思うのだけど、とはいえあの本も読んだら保守になるとかそういう本でもなく、吉本隆明に「思想的な発展が見られない」と批判されていたが、「述べて作らず」という姿勢で描かれていることはわかるけれども、彼の言っていることだけで保守の思想を構築することはまた難しいだろうなとは思う。
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