「若者の自民党離れ」と参政・国民民主の支持拡大と「最大多数の最大幸福」を肯定する考え方の必要性/「江藤淳と加藤典洋」にみる戦後思想への違和感と保守思想の逼塞

Posted at 25/06/28

6月28日(土)曇り

西の方は梅雨明けしたようだが、こちらはまだどんよりとした空。ただ予報を見ると、これから晴れて暑くなるようなので、1日を冷房なしで過ごせる日々もそろそろ終わりということかなという気はする。

昨日は午前中母を病院に連れていき、施設に送った後ツタヤに行ってゼロサム8月号を買い、スーパーで買い物して帰宅して昼食。なんだか疲れが出てしまってソファで横になったら結構長く寝てしまった。仕事はあったけれどもそんなに忙しくはないという感じ。まあもう少し忙しくないと営業的には問題があるのだが。=

與那覇潤「江藤淳と加藤典洋」読了。なんというかずっしりと重い、というか濁ってどんよりとしたものを感じたのは、今の日本において保守派の言論というのは本当に片隅に追いやられているのだということと、主戦場である戦後民主主義論みたいなあたりはなんだか本当に気持ちの悪い議論が続いているのだなということだった。保守派の思想というのは海外のものは紹介されるし、古い時代のものは紹介されるけれども、現代の保守思想のようなものは本当になかなか検討すらされない。番外地的な印象が強い。

戦前の日本や、明治以前の日本との連続性など当たり前のことだと思うけれども、その連続性をいかに断絶させたところに自分たちが立っているのか、ということを競い合っている感じがして気持ちが悪いなと思った。「戦前日本」という「妖怪」がいかに自分たちとは関係ないか、みたいなことを言うために糾弾ばかりしている感じで、その不健全さ、不健康さが時代が降るに連れてどんどん極まっている。自分たちの歴史的過去を誇れなければ自分たちの現在も健全に誇れないのは当たり前で、そこは不手際があったとか改めた方が良かった点だったというようなプラグマティックに処理すべきところを倫理的な絶対悪とか宗教的なまでの罪意識を持たなければならないというような意識に支配されているところがあって、それを否定するものはサタンだ、みたいな感じになっているのは本当に不健康というよりもやはり病気だと言わざるを得ない感じはする。

結局参政党が養分にしているのは、そういうドロドロに対する健全な日本人、健全な若者たちの不満や呆れなのだろうと思う。彼らの主張については反科学的な部分はそんなに賛成はしないけれども、科学との整合性を取りながら進めればなんとかなるところもあるのかなと思わなくはないし、排外主義と言われる部分はそれほどでもないというか、ふつうのことを言ってるだけという感じもする。

ただ、あまり表には出てこないみたいだけど内輪揉めが激しいところと内実がよく分からないところは問題はあるだろうなというのと、スポンサーというか会の運営資金をどのように捻出しているのかというあたりは気になるところではある。労働組合や宗教団体、市民運動など組織の基礎になる母体のようなものがある感じがしない、というのは現時点でこのくらいの活動ができているということは国民政党に成長する可能性もあるということかなとは思うので、もう少しマスコミなり政策や政治信条についての議論なりが大きく取り上げられて検討できるようになるといいのだが、とは思う。

ただ、維新の会などもこういう団体か、というのがある程度理解できてきた頃にはもう退潮が始まっていて、都議選でも議席を取れないまま終わったというところはあるからこの党も理解できた頃には違う展開をするようになってるんだろうなあとは思う。

「悪夢のような民主党政権」というが、民主党政権が成立する前の自民党政権も、方向がよく分からなくてバラバラな感じになっていた。これは小泉政権が「自民党をぶっ壊す」と言って本当にかなりぶっ壊したことが大きかったと思うが、保守派の大物の議員たちが自民党を追放されて無為な時間を過ごさせられたのは党内で保守派を育てるべき時期にそういう人たちの影響力が弱まったという結果を招いたように思う。

安倍政権で自民党が政権に復帰してからは危なげない政権運営で長期政権を成し遂げたけれども、あとはの1番の失敗は後継者を育てられなかったことだろう。コロナ禍という未曾有の事態についてもよく対応したとは思うが、その間には党内左派の不満が高まっていたということもあったのか、菅政権・岸田政権となんとなく下り坂であったときに安倍元首相が暗殺され、一気に党内保守派の排除(藩統一教会キャンペーン、政治資金問題)が始まった。安倍首相の死後に派をまとめる存在が育ってなかったことは、ズルズルと岸田氏にやられっぱなしになったことに結果し、昨年の総裁選で石破政権が成立したことでとどめを刺された感じである。

戦後長い間、党内闘争で負けても党内保守派の雌伏の時期、ということである程度は済んでいたのだが、石破選出後の衆院選の敗北や少数与党内閣での体たらくは、ペリー来航後に一時は井伊直弼の強権政治で幕府が一見立て直しが行われているように見えたのに桜田門外の変で大老が暗殺されると幕府がガタガタになってしまったのに似て、それでも数年はのらりくらりと持ち堪えてはいた、その期間の幕府政治という感じである。

安倍政権の長期執政で自民党は磐石であるように見えていたのに、その内実はかなりボロボロだったということなのだろうなと思う。それがそれなりにリーダーシップが取れた菅・岸田時代にもボロをあまり出さずに済んだことにつながったわけだが、保守派からの支持の弱い、というかそっぽを向かれる石破政権の成立によって、一気にボロが出てきたというのが実態だろう。安倍さんが倒れた後、屋台骨を支えられる存在は本当にはもういなかった、ということだったのだろうなと思う。

本当に今の自民党はこの党の中心が左にぶれるといかにヤバい方に進むかということを満天に示したわけで、安倍政権で日本の将来に希望を見出し、自民党の強固な支持基盤になった保守的な若い層が一気に離反している。その先の「オルタナティブ自民党」として最初は国民民主党に人気が集まったが須藤・山尾問題で一気に幻滅が進み、「よく分からないが保守で希望が持てそうな日本の未来を提案してくれている」ということで参政党に人気が集まるのは、まあ理の当然と言えば当然なんだろうと思う。

参政党の主張に不気味なものを感じる人たちは多いようだけど、この党はエコロジーやスピリチュアリズムを取り込みつつ自民党を含めたマイノリティ優遇過剰の左派的な日本の政策に不満を持ち、現役世代の若者、つまり「ふつうの日本人」がきちんと優遇される、ちゃんと生活していけるような政策を打ってくれる政党を期待しているわけで、代表制民主主義であるべき議会政治において、現状を変更していこうという改革的民主主義政党ばかりになっている現状に強い不満があるのは当然なのだと思う。「最大多数の最大幸福」こそが、今いちばん国民に届く主張であることは間違い無いだろう。

「戦後の民主化」というものに期待が持たれたのは、財閥や軍部や不在地主や官僚その他、天皇の名の下に権力を私し、経済をほしいままにする人たちに掣肘を加え、一般大衆のための政治が行われるようになることが期待されたからで、戦後改革や所得倍増政策、高度成長や福祉政策の充実などによってそれらはある程度達成されていったことは確かである。そういう意味で、「現実面での戦後政治」というものは評価されるべきところは多々あるのは確かだと思う。

それは現実政党、国民政党である、代表制民主主義政党である自民党と改革主義政党である社会党その他が政治的には争いながら是々非々で政策を進めてきた結果で、結果としてはこの1.5大政党制もそれなりには機能してきたということだとは思う。

ただ冷戦終結と冷戦構造崩壊によって日本が得をしてきたターンが終わり、日本を犠牲にして米中が利益を上げる平成時代になると日本国内で政治的な脆弱さが露呈してきて、最終的には小泉政権でアメリカ的な新自由主義イデオロギーが採用され、新自由主義政策を追いかけることになったが、それは氷河期世代などにより大きな困難を押し付けることになった。一方で改革主義的政党は労働者から軸足を移してマイノリティ支援に力を入れるようになり、労働者はどちらからも見捨てられるようになったわけである。そこにあるのは「新自由主義イデオロギー」と「ポリティカルコレクトイデオロギー」だけであり、国民の求める最大多数の最大幸福は霞んだものになってしまっていたわけだ。

新自由主義イデオロギーで利益を上げたのはアメリカと中国だったが、それはアメリカ国内では一部の人々の利益にとどまっていたわけで、トランプ政権の成立は新自由主義政策の終焉を告げて、対中国敵視・国内製造業復活・ラストベルトへの雇用促進という歴史の歯車を逆に回すように見える政策が始まって、ようやく新自由主義にある程度対応できてきた日本政府や日本企業はうまく対応できていないが、「世界秩序が変わるとき」で書かれていたように、これは日本にとってのチャンスと捉えるべきだろう。マイノリティ重視のポリコレ政策にも歯車の逆転が起こっているが、日本ではいまだに時代遅れのアファーマティブアクションを行おうとしていたり、強度のアナクロニズムを感じる。

しかし有権者は先に述べたように「最大多数の最大幸福」を求めるようになっているわけだから、その実現を進める党がこれからの選挙では必ず勝つだろう。維新が大阪であれだけ強い党になったのも、大阪においてそれを実現したからだと思うし、小池都政がなんだかんだ言って強く小池与党である都民ファーストが強力なのも結局同じことだろうと思う。

天皇や皇室という存在の国民の支持は揺るぎないものだけど、これは「教育勅語」に象徴される「国民を指導する天皇」像が敗戦によって失敗に終わった後、昭和天皇の全国巡幸や上皇陛下の国民目線に立った被災地慰問などの積み重ねによるところが大きく、「国民の幸せを願う象徴的存在」としての皇室御一家という存在のありがたさが国民に広く浸透したからということが大きいだろう。

まあ言えば、今の日本の弱さはこの「最大多数の最大幸福」への希求が正当なものだと理論づける思想が弱いということであって、国民を解体することなくそれを堂々と主張できる理論の構築こそが本当は必要なんだろうと思う。世代対立や男女対立を煽る思想はそれだけで国民的利益を損なうものになると思う。

そして、「江藤淳と加藤典洋」で述べられてきた戦後思想の傾向についていちばん感じる気持ち悪さとか違和感というものは、そういうものがほとんど語られてきていないところにあるのでは無いかと改めて思ったのだった。

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