「人の痛みの分らない左翼」に存在価値はあるのか:高市首相日曜討論欠席をめぐって/「若者の左翼離れ」の一方で右派の支柱となる思想家不在の深刻さ/WWIIを今語ることの意味

Posted at 26/02/02

2月2日(月)晴れ

私が教員をやっていたとき、熱心に組合活動をやっている年配の女性の先生がいて、私とは考え方や思想が違うけれどもいい人だなと思って尊敬していた。その人は東北地方の地主の娘で、何不自由なく育ったけれども、農民の子弟の苦しい生活を目の当たりにして、自分の生活は許されないのではないかと思い苦しんでいたそうだ。だから大学では共産党に入り、教員になってからも生徒や教員のためにと考えて理不尽な権力の横暴と戦う道を選んだようだ。彼女は若い教員が離島へ赴任せざるを得ない実情を見て、もう定年も近いのに離島への赴任を志願して異動したのだが、私は当時から右とか保守とかいわれる考え方を持つようになっていたが、彼女の生き方は潔いと思い、友人の先生を誘って離島に旅行してその先生に会いに行ったことがあった。

高市総理が持病の関節リューマチが悪化して政党代表同士討論が行われる予定だったのNHKの日曜討論を欠席し、野党の批判を読んだが、総理がその理由を明らかにしたのちも「仮病だ」とか「大したことない」「仕事に支障をきたすなら総理をやめたらいいのに」というような心無い言葉がぶつけられ、医療畑の人をはじめ強い批判を招いている。

https://x.com/VrlDeRUWZIg7v82/status/2012011884632031612

https://x.com/akakored/status/2017815071616078216

https://x.com/pedro0507/status/2017904421774958883

左翼とは、人の痛みを分かる人の思想であり行動であり運動であったはずだと思う。昔なら労働者の、今ならマイノリティの、人に言えない痛みや苦しみを何とかするためにその運動に加わり、そういう政党に加わったのではなかったか。そうした持病を抱えながらも頑張っている政治家に対し、心ない言葉をぶつけるのは本来の左翼的な信条とは全く相いれないものではないかと思う。

自民党の優勢・野党の劣勢が伝えられる中、テレビでの党首討論に起死回生の期待を込めた野党側としては空振りの思いがし、「逃げたのでは」と言いたくなる心情は分からなくはないけれども、それをぐっとこらえて相手にエールを送るのが正しい対処であっただろう。

https://x.com/izmkenta/status/2017821649152970786

この元立憲民主党代表の泉さんのツイートなどは、正しい応答をしていると思う。決して高市総理に甘い対応をしているのでないことは、その直前の厳しい指摘を見てもわかる。

https://x.com/izmkenta/status/2017771162391248963

この指摘ももちろんそれが正しいかどうかは別の解釈があり得ると思うし、高市さんとしては「大阪のおばちゃん」のノリが出てありていな形容が出てしまったと思うのだが、野党として政策についての発言を強く批判するのはおかしくはない。

これは生前の安倍総理が抱えていた難病・潰瘍性大腸炎のためにしばしば国会審議を中断して手洗いに駆け込まざるを得なかったことを嘲笑した野党議員が強く批判されていたのと根は同じで、以前ならそうしたところには配慮を見せていたはずの野党首脳が「健常者の傲慢」を見せるようになったのは21世紀になってからである気がする。もともと政治家というのは「健康が命」みたいなところがあり、85歳になっても矍鑠と権力闘争を牽引する麻生元総理のような身体の頑健さが財産であるわけだが、逆に言って医療が進んだからこそ難病を抱えている人や障害を持った人も政治に参加できるようになったわけであって、政策論争に手心を加える必要はないが、そうした相手の身体状況を慮ることも重要になっているわけである。国会は健常者のみの我慢大会ではないのである。

こうしたことが、選挙前に話題になっていた「立憲の若者の支持率0%」というようなことと関係はあるだろうと思う。明らかに、「若者の左翼離れ」が進んでいるわけである。

https://x.com/zdqz4t/status/2016791299182252275

https://note.com/kakio_ja/n/n3703cca45fc6

こちらのnoteでは「若者からは自民党も左翼だと思われている」という指摘があり、私はそこまでは思っていなかったが、少なくとも世界的に見れば自民党の、たとえば日本では極右とすら見られがちな安倍政権のやっている政策はリベラル左翼であることは知っている人は良く理解している。このことは安倍さんも生前に語っていた。

ただこの「若者から見て自民党は左翼」というのはそういうこととはまた違い、長期政権を実現した安倍首相の進めてきたような政策が「ふつうの政府の政治」であった若者にとって、岸田さんがやろうとすること、まして石破さんの発言などは左翼的・極左的に見えるという部分が強いのだろうと思う。

このあたりは特に対中姿勢においてそうであって、高市さんの台湾有事発言などは「当然のことにすぎない」から強く支持される一方で、アメリカに「なめられてたまるか」などと発言した石破さんなどは「中国に阿り過ぎ」と考えられるわけで、中国寄りの公明党が自ら政権を離れたことはほぼ自滅だった可能性が強いわけである。

ただ、これらの事実は政治の世界でもメディアにおいても大学においても全く理解されていない、受け入れられていないところが深刻であるように思う。

https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000953.000012754.html

昨日の午後は日本橋に出てお金をおろす必要があったので室町の八十二長野銀行まで行き、帰りにコレド室町テラスの誠品書店に立ち寄った。これは台湾資本の書店らしく、以前も行ったことがあるがどうも「富裕層向け」みたいな雰囲気があって落ち着かないのだが、まあそういう世界の空気も理解しておかないとな、見たいな感じで行ったのだけど、本を見ていたら『西部邁 保守のロゴスとパトス』という本があり、中島岳志責任編集という文字があってうーんと思ったのだが、中身を読んでみたらやはり「西部邁」という「保守の巨人」を左翼側が自分たちの文脈で囲い込もうとしている本だとしか思えない雰囲気があった。

立ち読みした範囲で彼は小林よしのり氏との極東軍事裁判における「パール判決」についての論争についても触れているけれども、彼自身の言として保守や右翼の論客による激しい左翼攻撃に違和感や反発を持ったという話が出てきていて、「それに比べて西部さんは懐が深い」というような論理展開になっていた。

私自身としては、保守派による左翼非難、左翼攻撃はそれを含めて右派や保守派の大きな存在意義だと思っているところはあるので、そのへんを汲み取らない姿勢はちょっと違うなと感じている。

中島さんや小林さん、西部さんらによる「パール判決論争」についてはWikipediaのまとめが簡にして要を得ているように思うが、極東軍事裁判自体が「「戦犯」個人を裁く」だけでなくかなり意図的に「戦前日本国家を裁く」ことと混同されていることは事実だと思うし、パール判決自体の意図も「戦争指導者個人の無罪」を主張したものか、「戦前日本国家の無罪」を主張したものかはそういう点からもなかなか評価が難しいところがあると思うが、すくなくとも戦前の法秩序において戦争を行ったことが日本だけの問題でないことはパールは十分認識していたわけだし、日本だけを一方的に裁くこと自体を否定する意図はあったと判断するのが妥当だろうと思う。ただそれはつまりは極東軍事裁判という「勝者の裁判」の構造自体を否定するものだったわけだから、戦争をしたこと自体の適否とはまた違うのは当然だろう。

この西部さんの判断はそういう意味では間違っていたと思うが、中島さんらの視点のみから『西部邁』という存在をとらえることはある種の矮小化だと思うし、逆に言えば右派保守派の側に彼に対抗して西部邁という人の真価について論じられる大物がいないことも残念なことだと思う。

***

何を言いたいかというと、日本人の若い層は急激に「左翼離れ」をしているのに、その思想的支柱になる存在がオーソドックスの世界にいないということが問題だということなわけである。

左翼メディアが若者の左翼離れを「高市人気」などと一時的な現象だという幻想に逃げようとしている一方で、右派保守派の側に幅広い支持を集める思想指導者がいない。パール判決では筋を通した小林よしのり氏も女性天皇論に走って保守層の多くから反発を買っている。

安倍長期政権の中で安倍政治が基準として成長した若い層にとって、いたずらに「安倍氏ね」とか言ってる左翼、しばき隊的な左翼、れいわ的な左翼はやはり違和感が強く、拒否反応を示すのは当然だと思うが、その心情を理解する言説は大学にもメディアにもない。正しいと思える言説はネットにしかないわけである。そうするとつまりは参政党の主張が最もぴったりするものになる、というような現象が起こっている。

こうした右側の新しい思想家が育っていない背景には何があるかと言えば、もちろんアカデミアやメディアの徹底的な左傾化が大きいだろうと思う。西部さん自身がそれに抗って個人メディアを続けてきた人なわけだけど、彼自身が右派の中ではある種特殊な立ち位置にあった人であることも確かで、渡部昇一氏のように日本文明論にはあまり踏み込まなかった。

しかし保守とか右派と言われている人たちの渇望のひとつは西部さんの言うような「保守の姿勢」の問題ではなく、「日本とは何か」という問いに対して「日本とはこういう国であり、肯定するに足る国なんだ」ということを示す思想であり、また若い人たちが潜在的に求めているのもそういう思想なのだろうと思う。

そしておそらく、そういう思想を構築することはそう簡単ではない。日本は歴史研究も古くからの文書研究も宗教史の研究もずっと進んできている国であり、歴史や思想、宗教のとらえ方に対する理論もかなりしっかりと存在する国であって、それらと戦いながら思想を構築し文章として書いていくことはかなり大変なことだと思う。もちろんこれは日本だけでなく先進資本主義国すべてに当てはまることではあるのだが。その点で言えばロシアや中国のような権威主義国は彼ら自身の文明の歴史中から組み立てた思想を指導者自身が認定することによって権威化し、異端を排除し周辺諸国に思想戦を仕掛けることもいとわないからである。

日本の場合は、西欧諸国と違って明治で国家の方向性を変えるという大きな方向転換があったために寄りそこが複雑になっているというところも困難さを増していると思う。江戸期と明治期の連続性を強調する言説が強くなっているのもそこに可能性を見出そうとしているからだろうと思うが、明らかに方向転換しているところは大きいし、また敗戦による方向転換もあるのでさらにその辺の一貫性を主張するところが難しくなっているわけである。

しかし逆に言えば西欧の歴史の進展自体が生んだwoke化とそれに反発する大衆の右傾化という問題が逃げ道がない彼らに比べて、日本の歴史の複雑さが返って言説の多様性を生む可能性をもたらしているという考え方もできるわけで、より豊饒な思想を生む可能性もあるのだろうと思う。戦後民主主義とその挫折みたいなものばかりにこだわる日本の左翼思想の限界も逆に言えばそこにあるわけだけれども。

アメリカの思想の多様な展開はやはりもっとも国家や国民のダイナミズムを感じさせる。いわゆる右翼思想だけでも多様であるのに対し、サンダースのような左派もまたそれぞれ独特な思想を展開していて、ただそれは「貴族や国王が歴史上にもいない」という意味での国家の構成のシンプルさとか、そういう点において日本やヨーロッパとはまた違うから参考にしにくい点も多い。

こうした点からも、新しい国民的な思想的支柱になるような思想あるいは思想家が生まれてきてもらいたいと思っているし、少しでもそれに貢献できるような仕事は、自分もしていければよいなと思ってはいるわけである。

***

昨日は朝ブログ/noteを書いてから出かけようと思っていたのだが、例によって思ったより遅くなり、実家を出発したのは11時を過ぎていた。この時間になると地元の道も混んでいて、インターで高速に乗ったのもかなり遅くなり、八ヶ岳PAでトイレ休憩した時にはお昼になっていて、釈迦堂PAでお昼の弁当を買い、頑張って石川PAまで行ってトイレ休憩をした後、家についたのは2時過ぎになっていた。

少し休憩してから3時ごろ出かけて区役所へ行って期日前投票。投票券が届いていなかったので免許を見せて手続きをして投票した。そのあと地下鉄で日本橋で乗り換え、三越前で降りて銀行に行ってお金をおろし、はす向かいのセブンでSuicaにチャージした。室町テラスの誠品書店に行ったことは上にも書いたが、結局何も買わないで中央通に戻り、三越の向かいの地下のタロー書房で本をいくつか物色したが結局買わず、日本橋を渡って丸善まで行って再度物色して手島泰伸「統帥権の独立」(中公選書、2024)を買った。

https://amzn.to/3Zcde0I

これはタロー書房でも物色した本の一冊なのだが、ぱらぱらと読んだ限りでは、盧溝橋事件以降の日中戦争(北支事変)初期において政府が「不拡大方針」と「暴支膺懲」の間で揺れ動いたことに対し、一般には陸軍現地の独断専行に政府が引きずられた、という政府被害者ないし指導力不足説が一般だと思うのだが、この本では陸軍の統帥権と政府の外交権の間の主導権争いとして近衛の側が軍部の先手を取る形で強硬姿勢を示したりした、という解釈が描かれていて、その方が事態の進展をうまく説明していると思い、今私として読んでおいてもいいと判断して購入したわけである。

「牧野伸顕」(吉川弘文館人物叢書)を読んでいても満洲事変の拡大と北支事変の拡大については読んでいてどうも納得がいないところがあり、その問題の根本には統帥権をめぐる陸軍と政府の対立と争いがあったと考えるともっと読みやすいのではないかと思ったわけである。また牧野が軍部にあまりかかわらなかったためにそこに明治憲法上の大きな問題があるということに認識不足だったのだろうなとは思う。

保守を論ずる上で、「大東亜戦争」をどう考えるかというのはやはり避けて通れないところがあるなと「パール判決論争」を読んで改めて思ったので、その辺のところをもう少し深めたいと思ったわけだ。

それから高島屋の地下に行って弁当を買い、そのまま地下鉄に乗って地元の駅で降りて帰宅した。その間はずっと「ふつうの軽音部」の鳩野ちひろが歌った曲のリストを聞いていた。

夜はニュースを見た後「ダーウィンが来た!」を見たのだが、知床半島のヒグマたちの食糧難という話題がちょっと深刻だなとは思った。途中で入浴したのでぜんぶは見ていないのだが。そのあと「豊臣兄弟!」を見たが、大沢次郎左衛門のくだりで、秀吉が腹を見せる展開であったのだが、へえっと思うような展開になっていて、これをどう解決するのだろうかと思った。

令によってまたうたた寝をしてしまい、起きたら1時で歯を磨いて布団に入ったのだが寝つけず、3時くらいまでマンガを読んだり活元運動をしたりして眠くなるのを待ち、少し眠くなってきたので床に入ったら、ちょっと変な夢を見たりしたが逆に夢を見たということはちゃんと寝たということなので5時半過ぎに起きだした。近くのローソンにマンガを買いに行ったときには6時になっていて、帰ってからブログを書き始めたのだが、途中で朝食を食べたこともあり、もう9時近くになっている。

東京の朝の最低気温は2.7度。東京にしては寒い。実家の方はマイナス6.5度なので10度近く違うのだなと思う。

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