「高市内閣の若者受け」と「保守の思想が若者に理解されるためには」/「ふつうの軽音部」について考える:「過去」と「外」の展開で深められるキャラクターの内面描写

Posted at 26/02/03

2月3日(火)曇り

夜中に雪が降ったようで、外に出てみると車に少し雪が積もっていた。と言ってもほうきで払えばすぐに無くなる程度。5時半現在の今の気温はマイナス3.2度で、そんなに寒いというほどではない。今日は節分、暦の上では冬の最後の日。諏訪湖にも小さな御神渡りができたようで、久々に少し寒い冬だったということだろうか。

昨日は朝東京の自宅でブログ/noteを書いた後、図書館の近くの和菓子屋まで歩いてお弁当を買い、帰ってきてから支度して出かけた。東西線に乗って九段下で乗り換えて渋谷。地下鉄だと公園通りへの行き方にいつも迷うのだが、109に出る手前の通路をいくと地上に出たので西武の間を通って井の頭通りに出る。こんなに細くなったのかと驚いたが、そこを渡って公園通りに出てmodiの5階のHMVへ。「ふつうの軽音部」のポップアップショップに行った。いろいろあったがイラストカードセットを買う。写真を撮ったりしていたら女子高生らしいグループが来て見ていたので少し嬉しかった。すぐ帰ろうかと思ったが思い直して6階のHMVの書店に行って本を見たが、これがとても良かった。

日曜日に行った日本橋の誠品書店は昨日も書いたが「富裕層向け」という感じがして自分的にはちょっと違和感があったのだが、このHMVの書店は小説のラインアップの尖り具合とかがかなり刺さる感じで、あ、これだ、と思ったわけである。いや、読んだことのないものばかりではあったのだが、その背表紙たち自体が訴えかけてくるこれは面白いぞ、というメッセージがこちらにダイレクトに届いたと言えばいいだろうか。ああ、これが自分が理解したかった、イメージが追いつかなかった「若者像」なんだなあと思う。マンガも私が読んでいるものとはかなり違うが、こういうものを読む層、面白く感じる層というのはイメージできる、と思った。そしてこういうものを面白いと感じて読む層こそがこちらがメッセージを伝えるべき相手なんじゃないか、と思ったのだった。

大型書店だと全ての人に向けてのものだし、特に私が普段行く大手町や日本橋の丸善などは基本的にビジネスマンが対象という感じだし、神保町の書店、東京堂などだと大人の読書人が対象という感じがする。大学生協は最近行ってないがやはりその大学の学生層に特化されているし、青山や池袋や新宿や千駄木の書店に行ってもその書店なりの思想が感じられ、若者の最大公約数という感じがなかった。ヴィレヴァンやアニメイトなども嫌いではないが、やはり「その趣味」に偏りすぎている感じがする。それがこの渋谷のHMVの書店の本の並びや店の雰囲気を見ているとああ、これが自分のイメージする若者の最大公約数を対象にした書店だなと感じたわけである。

書店というのは、本当に見せ方ひとつで雰囲気が全く変わる。そういう意味で本当に面白い業態だと思う。

池袋のジュンク堂や横浜の有隣堂などもそれぞれ個性があって好きなのだが、やはり遠いので、あまり行かない。渋谷も出るのは億劫ではあるのだが、昨日行って見てそんなに大変じゃないなと思い直した。新書の並べ方も若者視線みたいなものが感じられ、その中でいつも見るようなタイトルの本を見ていても新鮮に感じられる。若者からはこれはこういうふうに見えるんだろうなあと想像しやすいと言えばいいだろうか。

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結局近藤絢子「就職氷河期世代」(中公新書、2024)を買ったのだが、私から見ると氷河期世代は年下なので「自分の知っていること」の範疇に入る(本当に知っているかはともかく)のだが、若者世代から見ればかなり年上の世代になるわけで、あまりピンとこない存在なんだろうと思う。でもその人たちのことを知りたい、と思う若者がここでこういう本を手に取るんだろうな、と思うと世代間交流みたいなものが起こっている現場に立ち会っている感じがして少しワクワクしたのだった。

で、そういうことを考えながら本を見、考えていると、自分が訴えている、行こうとしている「保守」というものも、若者から見るとなんだか貧乏くさい将来が感じられないものに見えるだろうなという気がしたわけである。高市首相の絶大な人気を見ればわかるように、彼らは保守思想自体に不満や反発を持っているわけではないのだが、「保守」という言葉の持つおじさんくさい響きというか頭の硬い面倒くさそうな感じが受け入れにくいだろうなと思ったわけである。

だからこれは表現の問題で、うまくいえば言葉は届く。例えば、「労働者の税や社会保障費の負担割合を下げる」と訴えても面倒くさそうな言葉の羅列で心に響かないけれども、「現役世代の手取りを増やす」といえば琴線に触れるわけである。言ってることは全く同じなのだが。この言葉を考え出した人は本当に知恵者だと思うが、そういう言葉の形容が政治を動かす力を持っているわけだから、民主主義社会において言葉の力は大事なのである。「中道改革連合」を作った人たちも石破政権を担った人たちもその辺のセンスが欠けている。大事なのは人の心に届く言葉であり行動なわけである。

高市さんや小泉進次郎さんや小野田紀美さんを見ていると、その辺りがわかっているなと思うし、片山さつきさんも財務大臣という立場に置いて見るとその真価が見えるようで大変期待できる。昨日と同じ風体の人が昨日と同じ言葉を使っていても刷新感がないのである。

だから保守という言葉を用いないで保守の思想を説明するような、人の心に届くような表現が必要なのだと思う。自分としては今日本に必要な考え方が大雑把にいえば保守の思想だと思うから、それをいかに届くような言葉で表現していくかが問題なのだと思う。

スローガン的にいえば「真っ当な幸福(しあわせ)、真っ当な平和」みたいな感じで、その内実として真っ当な秩序、真っ当な職場環境、真っ当な学校環境、公正な外国人・少数者政策、持続可能な真っ当な福祉、真っ当な安全保障政策、子供のための家庭政策、責任を引き受ける女性像の確立、足の引っ張り合いでない真っ当な政治論争、みたいなものがあるという感じだと思う。

親ガチャが全てを決めるわけではない、努力すれば社会経済的上昇が可能な社会システムの復活維持、人間関係が円滑に進みやすい法的なルールそのほか、若者にとって暮らしやすい力を発揮しやすい社会というのは、大人や高齢者にとっても働きやすい、暮らしやすい社会だろうと思う。そうした社会を実現したいという意思を表現したうまい言葉があると良いと思うのだが、まだ見つけられていない。

というようなことを考えながら渋谷の街を歩いて地下鉄の入り口に戻ってきたらそこにヴィレッジヴァンガードがあるのに気づいた。ここは以前確か旭屋書店があったところである気がする。少しヴィレヴァンの中を見たが、最近行ってなかったのでノリが懐かしいなと思った。HMVやタワーレコード、それにこの辺を覗きに来るだけでも渋谷に来る意味があるかもしれないなと思ったり。半蔵門線に乗って九段下でおり、乗り換え前にトイレに行きたくなったので改札外のトイレに行ったがどうも経路が切られてしまったようだった。改札で一言言えば良かったかなと後で思ったが、まあいいかと。地元の駅で降りてまっすぐ家に帰り、お湯を沸かしてフリーズドライの卵スープと一緒に弁当を食べた。

いろいろ片付けをして3時過ぎに家を出る。普段は先にゴミを捨てに行ってから荷物を車に運ぶのだが、昨日はエレベーターの点検で2台のうち1台が止まっていたので面倒だなと思ってい一緒に持って先に駐車場まで荷物を運んでからゴミを出しに行った。車を出してから近くのローソン併設のスタンドへ行って給油。リットル147円で20リットルも入らなかったので2000円行かなかったが、やはり帰京するときは下りが主だから無理にスピードを出さなければ結構節約できるんじゃないかと思った。まあ渋滞するとかなり使うのだけど。

ローソンでコーヒーとソイジョイを買って出発し、地元のインターから首都高に乗ったが、昨日は4時前後という時間にしてはかなり空いていて、渋滞もほぼ山手トンネルからの合流のところだけだった。石川PAに4時半過ぎに着いてトイレ休憩。しかしどうもそのあとは前の晩にちょっと眠れなかったりしたことが響いたのか疲れが出てきてトイレも近くなり、休み休み行った。5時過ぎに初狩PAでトイレに行き、6時前に双葉SAに入って、コーヒーでも買おうかと思ったがもうお腹が空いた感じがして結局ラーメンを食べた。なるほど平日のこの時間なら食堂も空いているのだなと思ったり。それから地元のインターまで走ってインター近くの書店とスーパーにより、朝のパンと卵と牛乳などを買って帰った。家に着いたのは7時半をすぎていたが、冷蔵庫の入れようとして牛乳がバッティングしていることに気づいた。積極的に消費する必要が出てきてしまったのだった。

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最近MacBookAir(かなり古い)の画面が見づらいと感じることが多くなり、視力の衰えもあるがやはり画面が暗いのではないかと思ってどうしたら明るくなるのか調べてみたら、F2を押したら明るくなりF1を押したら暗くなるとGoogleのAIが教えてくれたのでそんな簡単なことだったのかと思って少し画面を明るくしてみている。まあ読みやすいが少し目が疲れるなとは思ったり。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913928832508

「ふつうの軽音部」97話のことを考えていたのだが、内田桃が二楷堂まわりに「技術は未熟でもももさんのドラムには花がある。そして魂がある。そういうドラマーはどこにでもいません」と言われて「私とバンド組んでもらえませんか」と誘われるのだが、桃は「私はーとぶれいくのドラムやし」と断る一方、「並行して私と一緒に外でバンドやってもらえたらと思っただけで」と言われて、「外かあ」とちょっと考えていて、それに鳩野が「じぇら・・・」と思うのだが、このジェラシーがどういうものかというのはいろいろ考えられるなと思った。

一つには「桃ちゃんを取らないで!」という嫉妬はもちろんあるのだが、もう一つは桃が認められて「外で」活動をすることを考えていることに対する嫉妬もあるなと思ったのだけど、もう一つは桃が自分たちのバンド以外に「浮気する」ことに対する嫉妬というのもあるかなと思ったわけである。

ただ、これは私が感じたことだが、桃は96話で鳩野は水尾との恋愛でうまく行っても行かなくてももっと「強くなる」だろう、と感じていて、桃は「恋愛がわからない」というコンプレックスがあり、みんなが恋愛を経験して強くなって「先に進んでいく」のを見守りながら、「みんなと違っていいから私だけの強さを手に入れたい」と考えていて、おそらくはその「強さ」を手に入れるには「外で」活動するのもアリかな、と考えているのではないかと思ったのである。つまりははーとぶれいくで成長していく鳩野と一緒にやり続けるためにそれが必要なのではないかと思っているのだろうな、ということである。

また94話では七道高校の強キャラっぽい行成という男子が彩目を気に入っている描写があり、97話では彼が彩目に絡もうとしたのを阻止する場面があって、彼との絡みから彩目も「外で」やる可能性も出てくるのではないかと思ったりした。厘に関してはハロウィンライブの後に田口に「もっとはっちゃけてもいいんじゃないか」と指摘されてその時にはそんなことできないと否定していたが、次回まわりのベースを聴いてどう思うか、という期待があり、そこからの展開も考えられるなと思う。

だいたい、「外でやる」ということで言えば、一番最初に「外で」、つまりバンドや軽音部を離れて永井公園で弾き語りをしたのは鳩野自身であり、そこでいろいろな人に出会って今の展開があるということもある。いつも聞きにくるおばあちゃんが水尾の祖母で彼女が水尾に「ちひろちゃんを見習え」と言っていたり、たまたま出会ったレイハとの再会が今回の合同ライブにつながっていたり、また彼女の傍若無人な歌い方に自分のボーカルのスタイルの可能性を見出したり、たまきとの関係の深まりや彩目を加入させたり、水尾の音楽への気持ちに喝を入れたり、もちろん彼女自身の意識としては「修行」なのだが、まあ厘がいうところの「神」の力を存分に発揮したのが「外」での活動だったわけで、そこで確かに鳩野自身も「自信」と「強さ」を手に入れたわけである。

だからこれからの展開としては、バンドとしての向上ももちろん図られていくにしても、彼女ら一人一人がバンド外の人たちとも活動していくことで、さらに新しい展開があるのかもしれないと期待してしまう。今まで各キャラクターの性格描写の掘り下げは彼らの「過去」に遡ることでなされてきたわけだが、それだけでなく「外」での活動によってそれが掘り下げられていくというのもワクワクする感じがある。

今後の展開に期待したい。

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