高速・七草粥・ベネズエラ/文化の真髄はローカリティにある/「恥の感覚」の迷走的変化:密会市長・宗教と議員・ガラス張り知事室/余裕があるときに余裕を無くさないためには

Posted at 26/01/08

1月8日(木)曇り

昨日は午前中松本の整体に出かける。行きは思い立って湖畔にできたスマートインターチェンジから高速に乗ってみたのだが、市内が思ったより混んでいた、というか前の車が遅くて思ったよりも時間がかかったのだけど、時間には間に合った。料金を見るのを忘れたが、今確かめてみたら普段のコースより240円高い。まあ240円か、ということもできるが、いつものコースより多少早くて余裕があったとは言えるので、なかなか難しいところだなと思う。身体の方は、お正月がいい休息になったのではないかと言われたのでよかったなと思う。多少食べ過ぎではあるようだが。

帰りに近くのスーパーに寄ってお昼のものと七草粥の材料を買って帰る。帰りはいつものコースで少し混む道を通ったせいもあり、実家に着いたのは1時ごろになっていた。それから残りのご飯を使って七草粥を作ったのだが、思ったより美味しくできて、毎日食べてもいいなという気がした。少しは身体も清浄になっただろうか。

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午後は銀行に二つ出かけて記帳したりお金を下ろしたり両替したり、ファミマに寄って電気料金を払ったりカフェラテを買ったり。図書館に行ってエリアスタディーズのベネズエラを借りようと思ったのだが、なかった。調べてみると出ていないようである。日本人にとっては行きにくい場所だということなのだろうか。仕方ないのでとりあえず増田義郎編「ラテン・アメリカ史II南アメリカ」(山川出版社、2000)を借りてみた。知りたいのは歴史よりも現在の状況や地理的なもの、国内での地域的なものなどなのだけど、この本を少し読んだりネットで調べたりしながらイメージを掴もうとしているのだがラテンアメリカ特有の複雑な歴史があって難しいなと思ったり。

マドゥーロ政権になってからの数百万の難民の発生にしても、「富裕層を中心として」と書いている部分もあるし、難民として本当に最貧の生活を送っている多数の例も書いてあったりして、何が本当なのか難しいが、おそらく両方本当なのだろう。ラテンアメリカは基本的にクリオーリョ(現地白人)支配の構造が続いてはいるので、富裕層というのは要はスペイン系の白人ということだろうけど、チャベス政権以降の社会主義政権は支持基盤はクリオーリョではないだろうなと思うし、貧困層も難民化していることも事実のようなので、いろいろ読んでいるとラテンアメリカという地域における国家運営の難しさみたいなものが改めて浮き彫りにされている感じはある。アフリカの方がまだ希望が感じられるような気がするのだけど、ラテンアメリカはなんというかいろいろ掴みにくい。

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https://www.sankei.com/article/20260107-YLPEO3RF3NKJ7HCJOGL56WR2YQ/

映画「国宝」で東京の歌舞伎座では新規の観客が2万人増えたというのは歌舞伎座の混雑を考えると頷けるのだが、大阪では反応は鈍いのだという。これは戦後の時期にはすでに関西の歌舞伎は衰退しているというのは言われていて、大阪財界のそれなりの存在感を考えると不思議だったのだけど、最近「大大阪という神話」を少し読み、もともと大阪の地の人が支えてきた文化が、大正末昭和初期に大大阪が成立することで大都会になってロー借りティを失ったという話を考えて、「大阪の文化」への愛着が少ない人が今の大阪人の主流だということなのかなと思ったりした。

よく言われる言い方で言えば、文明というものは普遍性があるから都会はどこも世界中一緒だ、ということに対して、文化というのは根本的にローカリティが重要だ、ということも言えるわけである。

歌舞伎も江戸時代以来、江戸・京・大阪それぞれの色合いがあることに意味があって、また地方に伝わった地域の歌舞伎などの文化もそのローカリティが味わいになっているのだろうと思う。「大大阪」の誕生後にそれまでの大阪人とは違う人たちが流れ込んできてそういうものが変化したということはあるだろうと思う。

これはもちろん東京もそうで、明治期の山手文化や下町文化みたいなのが高度成長以後に地方から多くの人が流入して「東京言葉」や「東京らしい文化」も変わっていったということはあると思う。日本の中心になる、ということはある意味ローカリティを犠牲にするという部分はあるから、日本全体を席巻するようなエンタメの拠点になる一方で、東京らしい粋な文化、みたいなものも生き残れなくなっているのだろうという気はする。

「ふつうの軽音部」を読んでいるといろいろな地域を拠点に活動していたバンドが出てきて、博多や大阪、名古屋などそれぞれのライブハウスや音楽ラジオ放送の独自性のある文化がある上に乗っかってそうしたバンドの活動が行われているから、ロックミュージックもある意味本当に地域性のある文化なのだなと思う。もちろんメジャーデビューには東京に出る必要はあるのだろうけど。

出版でももちろん東京は圧倒的に強いが、京都もそれなりに独自のものを出しているし、有隣堂が神奈川の歴史や文化に関するものを独自に出版したりしている。地方ん出版社もそれなりに頑張っているなと思うことはよくある。イギリスなどでもオックスフォード出版会とか必ずしもロンドンでない出版社がある。論文で英語の引用文献を書くときに著者名、署名に続いて発行都市名を書くわけだけど、日本だったらほぼ東京に決まっているので、出版文化の多様性のある国はいいなと思ったことがあった。

アメリカも都市によって音楽文化があって、メンフィスでやっててメジャーな存在になることもできる。演劇やミュージカルはニューヨークが強いが映画はカリフォルニアのハリウッドが強かったり。だったりする。地方の多様性は文化のために重要なことだと思う。

アニメの聖地巡礼などがあるのは、その土地とその作品との関わりが想いもかけない形で発生するのが面白いということもあるし、またその土地の魅力がその作品に反映されているという面もある。ローカリティが文化に色濃く反映される現象の一つではないかと思う。

まあ日本の場合はなんだかんだ言って文化も東京に集中しすぎなので、東京にしか文化がないと思っている人が多くなってしまうわけだし、それがまた文化の東京集中に輪をかけてしまう、というところがあるのだろうなと思う。伝統文化だけでなく、新しいローカリティのようなものを担った地方文化がもっと出てくると良いなと思う。

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https://www.dailyshincho.jp/article/2026/01051531/

ラブホ不倫疑惑で辞職した前前橋市長の小川晶氏が再選される可能性が高いのだという。これは対抗馬が弱いということでもあるだろうけど、こうした性的なスキャンダルによって政治家が支持を失わないというのは、何かある種の底が抜けたのではないかという気もする。保守王国の群馬でこういうことが起こるというのもよくわからないのだが、こうしたスキャンダルの人が市長の座にいること自体が恥ずかしいと思う人もいるだろうとは思うのだが、そう思わない人の方が多いということなのだろうかとは思う。

逆に、旧安倍派の政治資金問題などはあんなの問題にするほどのことではないと私などは思っていたから、あんなに徹底的にいじめられているということ自体がよくわからないという感覚がある。何がよくて何がいけないと思われているのか、というのがかなり変わってきてしまっているような気はして、いろいろとまずい感じがある。

この変化は、ガラス張りの知事室を作った田中康夫元長野県知事の頃からの流れみたいな気はするのだが、こういう「恥の感覚」の変化のようなものが政治にまで波及するのはいろいろと残念な感じがある。これも大きく言えば文化の問題だという気もするのだが。

https://x.com/nagashima21/status/2008851669774422258

逆に、長島昭久議員が元統一教会の信者であったことが週刊誌に取り上げられているというが、これは基本的に信教の自由であり、それでとやかく言われるのは本来はおかしいだろうと思う。統一教会の問題がこれだけ大きくなったのは安倍元首相の暗殺事件がきっかけだったわけで、テロリストの目論見がさまざまに波及してしまっていることはちょっと目を覆うような惨状だと思う。

統一教会が問題のある宗教であることは確かだと思うけれども、他の宗教や日本共産党を含め他の思想団体・政治団体に全く問題がないわけではない。これが問題視されたのは「統一教会が叩かれている」から「その信者だった長島氏は叩いていい」というだけの流れしかないわけで、「あいつオタクでキモイからいじめてやろうぜ」というのと同じ、いじめの構図と同じである。

政治においても、倫理においても、何を筋として通すべきなのかが混乱しているとしか思えないのは、まあ末法の世ということなのだろうとは思うが、この辺りも保守的な立場から立て直しは図られなければいけないのだろうなとは思う。実際のところは脛に傷を持たない人はなかなかいないからスキャンダル合戦に発展しかねないというところはあるのだが。

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今日は午前中にまとまった用事がなかったので腰を落ち着けてかけるかと思っていたがなかなかそうもいかなかった。朝は4時半に起きたのだが、今日は資源ゴミの日なので年末の大掃除で出た段ボール類とか正月に大量に出たプラごみやペットボトルなどが大量にあり、雪が心配だったので紙類は結局業者の資源物ステーションに捨てにいって、その帰りにヤンジャンと午後ティーのチャイを買って帰ってきた。チャイを飲みながらこれは自分でも作れるなと思い、買い物の時にシナモンを買おうかなと思ったり。書きながら休み休みハードディスクの空きを作るためにBDにダビングしたり、資源ゴミの時間になったら出しに行ったり、正月飾りなどをどんど焼きのところに持っていったり、時間になったら朝食を食べたりしていたらなかなか書くものがまとまらないまま雑多な内容になってしまった。

時間的な余裕があると思うと書くことの幅を広げたいと思ってしまうのでいろいろなものに手を出して読んだりしてしまうから時間がなくなったりもする。ないと思うと書くことを決めて書くしかないので割としっかり書けるという感じもある。その辺りのバランスをどう取るかということも時間のある時に考えたい。年末の30日以来、実家の方で午前中の時間がフルに使えるのは今日が初めてで、いつ考える時間が作れるかが1番の問題ではあるのだが。


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