アメリカのベネズエラ侵攻:トランプの頭の中は80年代の冷戦期/「ふつうの軽音部」93話:過去を回想させる鳩野と未来を幻視させる鷹見/連載マンガの「矛盾」/Uターンとカーナビ故障

Posted at 26/01/04

1月4日(日)晴れ

昨日は朝食後、実家の方は妹たちに任せて帰京した。その時に下の妹を駅まで送り、少し走って市役所の隣のファミマでコーヒーや水を買い、そのまま川を渡ってインターから中央道に乗ったのだが、その時点ではあまり道は混んでいなかった。

走っていると、カーナビがいつまでたっても同じ地点を示しているのでおかしいなと思って最初のPAに入ってトイレに行って再起動したのだが、今度は「地図データが入っていない→地図データが読み込めない」になってしまう。何度か繰り返したがよくわからないので再度走り出し、八ヶ岳PAでもう一度トライしてみたがダメなので、助手席のダッシュボードに入れてあるマニュアルを取り出して読んでみたが、トラブルシューティングの項目がない。これは販売店に持っていくしかないかと諦めてそのあとはカーナビなしで走ることになった。

普段はカーナビを使って次のPAまであと何キロ、というような情報を見ながら走るのだが、同じコースを走っている限りは道はもう覚えているので心配はないのだが、癖で毎回カーナビを見てしまうのでそのたびに「地図データが読み込めません」という表示が出て気分が盛り下がる、というのは何とかできないかと思ってしまった。

だんだん道が混んできて、さすがにそろそろUターンラッシュだよなあと思う、というか八ヶ岳の次に釈迦堂に入って弁当を買い、藤野でトイレ休憩し、とPAに入るたびに車がどんどん増えていく感じで、これはあまり休まずに走った方がいいなという感じになってきた。

深大寺バス停あたりで渋滞になり、それでも相対的に進む車線を選べた感じで進んでいったのだが、永福まで来てトイレに行きたいなと思ってPAに入ったが満車だったのでそのまま本線に戻り、渋滞の車線に入れてもらえた感じ。西新宿のジャンクションまでは混んでいたがその先は順調にはなったが車はいつもよりは多く感じた。そのあとは三宅坂の合流からも割と流れて地元の出口まで進み、下道に降りてからも駐車場まで問題なく進んで駐車場もちゃんと空いていたので問題なく止められた。3時間半くらいで着いたのでこういう日としては順調だっただろう。夜のニュースを見ていたら中央道が渋滞していたので、やはり午前中早めに出たのは正解だった。問題はカーナビなのだが。

おせち料理の残りを発泡スチロールの保温ボックスに保冷剤を詰め込んで東京の自宅に持ってきたので、釈迦堂で買った焼き肉弁当を食べながらおせちもつまむ。東京新聞の社説について書いていなかったなと思い、ブログ/noteを書く。

https://note.com/kous37/n/n0627befb4a11

4時半過ぎに出かけて東京駅隣の丸善へ。読んでいる本は何冊もあるのだが、新しい本も読みたくなるのが本読みの性だなと思う。先崎彰容「知性の復権」(新潮新書、2025)を立ち読みしたが、第3章の「保守という言葉の混乱」が面白そうだったので買うことにした。

それから長崎励朗「大大阪という神話」(中公新書、2025)。こちらは、大阪が現在イメージされている大阪になったのは大正の終わりから昭和の初めくらいに一時的に東京に代って日本一の大都市になっていた「大大阪の時代」からだ、という話で、それだけなら大阪ローカルな話だなと思いながら読んでいたが、現在の全国的な大衆文化、ラジオや野球や宝塚や吉本などの始まりがこの時代であり、その間に大阪が変貌した、という趣旨のようなので、面白いかなと思って読んでみることにしたのだった。

他のところに出かけるのはやめて、そのまま地元に戻ってきて西友で夕食などの買い物をした。セルフが行列だったので外国人の女の子がやってる有人レジに並んでやってもらったが、以前はかなりもたついていたが今回はほぼ日本人並みの手際でこなしていて、成長というのはこういうことだなと思ったり。帰宅して、うどんをゆでてめんつゆとチューブのしょうがと梅干で食べ、おせちの残りを完全に片付けつつ晴れ風を飲んだ。まあこのくらいのシンプルな夕食が楽だし美味しいなと思いつつ。夜は9時ごろ寝た。

目が覚めたら2時過ぎで、さてどうするかと思いながらお茶を飲み、結局「ふつうの軽音部」の更新を読み始めた。

https://shonenjumpplus.com/episode/17107094913049139991

第93話。今回は前回ラストに次回予告のサブタイが示されていなかったので神回になるだろうという予測はあったのだが、予測とは全く違う展開でとても感動した。(以下ネタバレが含まれます)

最初の4ページは彩目がサポートに入った戸惑いや観客側の戸惑いが描かれていたわけだが、5ページ目からふつうに演奏が始まり、04 Limited Sazabys(フォーリミ)の「Swim」の演奏が始まった。この曲も知らないのだが、「メロコア王国名古屋」を代表するグループのメジャーデビューシングルに収録された曲だとあとで読んだ。

https://amzn.to/3NtZNq4

この曲は水尾に向けて歌われるものだ、ということは前回から分っていたわけだけど、鷹見が歌う歌詞は水尾に向けてのメッセージであるだけでなく、自分が心無い言葉を兄にかけてしまったことへの後悔が、水尾から話を聞いた、純に言葉をかけられなかった後悔と重なる内容で、自分も同じ暗闇の中にいる、と水底にいる水尾に呼びかける内容だった。

そして自分の後悔を目指すべき未来につなげるために、一緒にやっていこうという意思の感じられる明るさが光に溢れていて、鳩野がそれを聞いて「今日はまた一段とニヤけ顔がむかつくな」と思うほどのキラキラぶりだったわけである。

水尾は水尾できちんとは覚えていない彩目の自由なアドリブ交じりの演奏に感動し、自分にはできないと思いつつ、プロトコルを抜けて自分が入った時への彩目の思いに思いを馳せ、「自分の「鷹見とバンドをやりたい」という気持ちを優先させてしまった後悔がレイハや純の痛みを感じられなかった後悔」に結びつく。

しかし四人の演奏を見ているうちに、自分が加わったプロトコルがプロになって、そのライブに純とレイハが来て盛り上がっている場面を想像してしまう。そこに「第93話 その未来を映す」というサブタイが重なって、「昔には戻れない純」「卒業したら音楽をやめる鷹見」の二つの困難が重なっていることは分かっているのに、その未来を夢見てしまう水尾、という場面で終わっていて、本当に感動した。

鳩野の歌う場面では登場人物たちが自分の過去を回想することが多いのだが、鷹見の歌で水尾が自分たちの未来を幻視するというのは今までにない展開で、コメント欄や感想タイムラインもざわついていたのである。

プロトコルのあとは七道高校の「ICOCA残高80円」の演奏に続いて鳩野たちの「はーとぶれいく」の演奏になるわけだが、次回のサブタイが「94話 会いに行く」になっているのも意味深である。どういう展開になるのか予想ができない。

***

ところで、これは無粋なことは分かっているのだが、タイムラインでも指摘されていたので少し書いておこうと思う。今回は水尾のプロトコルに入った経緯が描かれ、鷹見の水尾への思いと水尾の鷹見への思いが「Swim」の歌詞に乗って描かれたのがよかったわけだが、過去にはそれに反するのではないかという描写もあった、ということである。

水尾の初登場は16話、そして鳩野と同じ店でバイトを始めるのが17話で、そのときに水尾がこれから軽音部に入るという話になるのだが、「軽音部は結構ゆるくてガチでやっているのは鷹見くらい。おれも適当にやるつもり」という発言があり、28話で鳩野が弾き語りを水尾に聞かせる場面でも「だれと組んでも自分のパートを弾くだけ」と言ったり「軽音はみんなゆるい感じでやってるっぽいけど多分その方が正しいから 俺もそうやってみんなと同じようにいろんなことを適当にやって適度に楽しんで過ごすべきなんだ」と屈折した感情を回想していて、そのあたりと今回披瀝された鷹見への激重感情とは矛盾するのではないか、ということである。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106371883872014976

ひょんなことから鳩野が公園で弾き語りをしていることを知り、それを聞かせてもらった水尾が「自分も鳩野のように頑張ろう」と決意する回なわけだけど、もともと「鷹見と一緒にバンドをやりたい」と思っていた割と強めに感じられる気持ちと上に述べたような屈折を読者側がどう折り合いをつけるか、ということでもある。

この作品の中でも軽音部の生徒たちの自己紹介などが単行本1巻に出ていてその中でヨンスが1年8組になっているのだが、あとで語られるはーとぶれいくのメンツの成績の順位を見たら学年が280人になっているのでおそらくは40人×7クラスという設定なのだと思うのだけど、1990年代に私が教員をやっていた時は高校で8クラスあるのは珍しくなかったから、そういう感覚が最初はあったのだろうと思う。途中で現代の高校で8クラスは多いから7クラスに変更したのではないかと思うが、そういところに矛盾が生じたりするわけである。まあこれは物語の展開自体にそんなに関わることではないのだけど。

ただまあこのあたりは、私もそうだが熱心な読者だからこそ気づく矛盾、ではあると思う。連載マンガや連載小説というものにはこういう矛盾はまま生じることであり、大きな話で言えば大正2年に連載が始まった中里介山の「大菩薩峠」などでも新聞連載と単行本では全然内容を変えているとか、そういうことは珍しくない。

https://shonenjumpplus.com/episode/10833519556325021794

たとえば尾田栄一郎「ONE PIECE」などでもよく語られる大きな矛盾というのがある。それは、第1話で海賊でルフィの憧れのシャンクスがルフィを助けるときに海の恐竜と思われるものに片腕を食いちぎられるのだが、このシャンクスは実は世界で最も強い海賊たち「四皇」の一人とされたり、また実は天竜人の息子でいま現在麦わらの一味と巨人たちの国エルバフを襲っている「神の騎士団」の一員であったこともある、つまり圧倒的に強いはずだから、1話の後半でルフィにぶっ飛ばされているこの海の主に片腕を奪われるはずはない、というものである。

これもしかし、ワンピースが非常に緻密に作られた物語であり、何年も経ってから伏線が改宗されることなど珍しくない作品だから、初期の大きな矛盾が今でも取り上げられるわけで、大したことではないと言えば大したことではないのである。ジャンプの作品でもキン肉マンなど古い作品ではあちこちに矛盾があることは珍しくなかったから、マンガとはそういうものだと昔の子どもは思っていたわけである。逆にワンピースなどがそういう意味では緻密なストーリーにこだわった新しい傾向な作品であったわけで、それがマンガのすべてではない、ということは尾田さん自身もどこかで(たしかスタジオジブリの広報誌「熱風」で)書いていた。

まあこんなことを改めて論じるのもどうかとは思うし、以前もネットで細かい指摘があって連載に影響が出てしまった作家さんもいたので、そういうこともあったか、という程度に読んでもらえるとありがたいとは思う。

***

トランプがついにベネズエラを攻撃し、マドゥロ大統領夫妻を拘束して国外に連れ出したとの報道があった。

アメリカによる中南米諸国への侵攻としては、1961年の亡命キューバ人部隊によるヒッグス湾事件の失敗がまずあるが、これがのちにキューバ危機に発展したことでアメリカはかなり懲りたものと思われる。その後は1983年のグレナダ侵攻、1989年のパナマ侵攻といずれも東西冷戦期の対立を背景にした「ソ連のアメリカの裏庭=中米カリブ海への介入」を排除するという意味合いがあった。特にパナマを降伏させノリエガ将軍を逮捕したことは当時のレーガン政権に対する批判を招いている。

https://news.yahoo.co.jp/articles/84f50944cbc60387a1b05d1ec48006b60470757c

今回のベネズエラに関しても、その数時間前に中国の使節団がマドゥーロと会談しているそうで、そういう意味では中国のメンツをつぶし、中国に対する警告を行ったという側面も強いということだろう。

今回の侵攻に関して言えば、日本の国際政治学者は「中国やロシアが同じ行動をしても非難できない」と批判し、またヨーロッパは懸念を伝え、中国やロシアは避難しているという反応であるわけだが、一番秀逸なのはウクライナのゼレンスキー大統領が「もし独裁者をこのように扱えるなら、アメリカは次に何をなすべきかわかっているはずだ」とプーチン逮捕への期待を示唆したことで、このあたりは流石にヤキの入った防衛戦争指導者だと改めて思った。

https://news.tv-asahi.co.jp/news_international/articles/000476485.html

結局この侵攻に関しては、アメリカの国内法を国際法に優先させて適用したという側面が強いようで、国内ルールとしては矛盾はない、という立場をホワイトハウスは取っているようだ。マドゥーロ自身の選挙での選出には不正があったとしてG7でも認めていないし、国際法違反の麻薬の輸出に指導者自身が関与しているというときにこれを抑止できる国際法はないから実力行使に出た、という評価はあり得るだろうとは思うが、これによって冷戦後の国連機軸・国際法擁護態勢もかなり危うくなり、国際政治学者の人たちのウクライナにおける主張も現実にはアメリカの軍事力と経済力を背景にしたロシア非難にすぎなかった、という感じになってきてはいることも事実だろう。

この侵攻を受けて現在の国際秩序をどう見ればいいのかというのはいろいろ難しい点が多くなったが、「アメリカによる中南米支配の巻き返し」という側面と中国やソ連・ロシアの排除という側面から見れば、「冷戦期的な行動形態」と言える側面はあると思う。中国やロシアに対してある意味融和的な態度を取るのは、中国やロシアの「勢力圏」に対してはあまり干渉しないという冷戦期アメリカの態度ににているぶぶんはある。ただ、台湾に対しては「中国の勢力圏である」とはトランプは認めていないようで、このあたりトランプの頭の中は基本的に1980年代なのだと思う。

冷戦期にはある意味国際法秩序は有名無実的な側面はあったし、冷戦終結後も国際法態勢がアメリカに有利なうちはそれの擁護者でもあったけれども、これは第二次世界大戦後常にそうなのだが、アメリカがヨーロッパや自由主義世界を守っても、そうした国々はアメリカに対する感謝が足りない、というのは割と一貫してあるように思う。こうした国々が理屈でアメリカを批判しても、その理屈に反発を覚えるのがヴァンス副大統領以下の世代であるわけだが、このあたりの不満も基本的にトランプ自身も共有しているように思われる。

ウクライナに関してはトランプの頭の中ではソ連の勢力圏なので、無理にアメリカがむしりとる必要はないという見解はあるので、いろいろとぶれるのだろう。パレスチナに関しても冷戦思考でイスラエル側がアメリカの同盟者でありパレスチナ自治政府やハマスの側はソ連の手先だという認識はあるのだろうと思う。

こういうふうに、アメリカ一国主義という面ももちろん強いけれども、冷戦期的な勢力分布図を元にトランプの思考は進んでいると考えると割と納得がいくようには思う。まだ今後の展開はよくわからないところは多いのだけれど。

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