垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる:「毛沢東、レーニン、キッシンジャーを読め」という極めて実践的なアドバイスに唸る/おたくの熱気に当てられる/東京は守りに入ると生きにくい

Posted at 25/12/22

12月22日(月)小雨

昨日は出るのが少し遅くなり、10時20分ごろに実家を出て、セブンでミルクティーを買う。少しジグザグな経路をたどって国道経由で地元のインターで高速に乗り、八ヶ岳PAまで走ってトイレ休憩。そのあと釈迦堂PAまで走ってお昼を買う。いつもは焼き肉弁当などを買うのだが昨日は腹具合が少し心配で少し高めの甲州弁当を買った。そのあと石川まで走るつもりだったがトイレに行きたくなり、藤野PAで休憩。そのあとは家まで走るつもりだったが、調布あたりでやはりトイレに行きたくなって、永福PAによってトイレに行った。結構駐車場が混んでいてもし入れなかったら代々木まで行くかと思っていたが、一番はしっこに一つだけあいていたのでやれやれとそこに入れる。そのあとは首都高も順調に流れて自宅横の駐車場も一つだけ空いていたのでちょうどよくそこに入れた。全体にこのくらいがトイレ休憩としてのペースとしていい感じかもと思った。

自宅に帰着して昼食。お弁当は美味しかった。しばらくいろいろやって、郵便局の荷物の不在票が2枚入っていたのでどうしようかと考えたが、外出して7時までに戻るという制限をつけない方がいいなと思い、翌朝取りに行くことにして出かけた。東西線に乗って茅場町で乗り換え、秋葉原へ。ラジオ会館へ行こうと思ったのだが、行ってみたら日比谷線からはかなり遠く、これは銀座線神田駅の方がよかったなと後で思う。というか秋葉原に行き慣れていた頃なら当然そういう選択をしたのだがなあと後で思った。

ラジオ会館というのは初めて、かまたは数十年ぶりなので、いまはあんなおたくの殿堂みたいになっているということは知らなくて、ちょっと当てられた感じがした。4階のあみあみのふつうの軽音部のショップが出ているので行ったのだけど、小さいスペースだった。運転している最中からなんだか右足が痛くて歩くのが面倒になっていたのだけど、結局はとっちのアクキーだけ買って外に出た。さてどうしようかと考えたのだが、脚は痛かったが神保町まで歩いた。

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「たとえば自由はリバティか」を買おうと思って小川町の三省堂仮店舗に入ったのだが無くて、結局神保町まで行った。画材屋の喫茶室に入ろうかと思ったが混んでいてやめて、東京堂によったり書泉グランデによったりして結局何も買わずに半蔵門線で大手町に出て、丸善で本を買って東西線で地元の駅まで帰り、西友で夕食の買い物をして家に戻ったら6時過ぎだった。

買ってきたもので夕食を済ませ、うたた寝をしてしまったので11時ごろ布団に入った。2時半ごろ目が覚めてしまい、寝付けなくなって起きたり寝たり。4時過ぎに起きだして入浴したり。どうもいろいろペースが悪いのだが、ちょっといろいろ疲れがたまってきてはいるのだろうと思う。

今近くのローソンにジャンプとヤンマガ、スピリッツと朝食を買いに行ってつらつら考えていたのだが、つまりはこの世というのは、特に東京というのは守りに入ると生きにくいのだよなと思う。やりたいことをやる、というのは攻めの姿勢だからその方が生きやすい。やりたくないこと、経験したくないことを避ける、という姿勢はどうもどんどんそういうものを呼び込むなと思った。

昨日どうも必ずしも充実しなかった大きな原因は、ラジオ会館で若いおたくのエネルギーに圧倒されてしまったことにあるのだなと思った。もちろん、そういうところだと思って行ったわけではないので不意打ち的なものがあったのだけど、すげえなと感心してすぐ切り替えてじゃあ自分はどうするか、という方向に行けばよかったのだなと思う。まあ前向きに考えよう。

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垂秀夫「日中外交秘録」を読んでいる。いま102ページまで。垂さんは1961年生まれで私より1学年上なのだが、釜ヶ崎の小中学校を出て府立の名門・天王寺高校に進み、一浪して京大法学部という経歴。私は高校2年生まで関西にいたので、近くにいたのだなと思う。私は1年間実家の方の高校に通って現役で東大に合格したが、垂さんは共通一次試験で満点近くを取ったので京大に志望を変えたのだそうだ。私は8割強で東大でも足切りを心配するくらいだったし、合格したのは幸運だったが、垂さんはさすが順当な進路だ、とは思うが、兄弟ではラクビーと麻雀に打ち込み高坂正尭ゼミにもほとんど出席しなかったそうで、豪傑タイプの大学生である。私も芝居と美術館通いばかりである意味似たようなものだったが、垂さんはラグビーをしながらも外交官試験の勉強をしてストレートで合格しているところが違う。あの当時そんな明確な志を持っていたらまた違う人生だっただろうなとも思うが、ラグビーと芝居では人生に身につくものが違うからさてどんなものかなとは思うが。

興味深いことはいろいろあるが、外交官試験の面接で何でもラグビーに結び付けて応えていたら「ラグビー以外に何かないのかね」と聞かれて答えに窮したとか、二次試験後に外務省の職員が自宅訪問して父君が「外交官は名家出身でないとなれないから西成釜ヶ崎では無理だ」と反対したが合格したとか、当時でもなおそんな習慣があったのかというのはちょっと驚いた。

昨日今日読んだところで一番印象に残ったのは入省後に世話になったという浅井基文氏の話だった。土曜の半ドン後によく神保町に連れて行かれ、「中国を理解するには、中国共産党を知らなければならない。その論理を知るためには毛沢東を読み込むことだ。外交の要諦はまず相手の内在論理を把握することから始まる」というのは、今ならよくわかるが、自分が新人だったらどんなふうに思ったかなと思う。そこで「毛沢東選集」全5巻を買ったが代金は浅井氏が払ってくれたとか、次に大事なのは共産党という組織の本質を理解することで、そのためにはレーニンを読み込まなければいけない、といわれて「レーニン十巻選集」を探したがそれも浅井氏が払ってくれたのだという。

日本の官僚や会社などでの先輩後輩関係はいろいろ言われているが、何というか活躍する人にはいい先輩がいてちゃんと面倒を見てくれるというのは美風だなと思った。今でもそんなことがあるのかは知らないが。

そして三つ目に大事なのはキッシンジャーで、対中戦略や対中外交を学ぶためにはキッシンジャーから戦略的思考を徹底的に学んだ方がいい、と言われ、古本屋にはなかったので外務省の図書館でコピーして読んだのだという。浅井氏は英語の原書の「キッシンジャー秘録」を自分が読んだ後にくれたのだそうだ。

そして何でも勉強すればいいというものではなく、「マルクスは読む必要がありますか?」と聞いたら「マルクスまでは読む必要はないです」と答え、また孫文については「余裕があれば読んだ方がいいけど、大変だろうからそこまではいいです」と答えたのだそうで、そのへんが何でも読まないと気が済まない学者タイプとは違う、理にかなった効率的な中国理解の手段だったということで、まさに実務家の外交官の勉強というものだなと思ったのだった。

浅井氏は共産党の不破議長と共著を出すような思想の人だそうだが、その関係を堂々と公開されるというのもやはり垂さんも豪傑だなという感じがした。

それにしても、「毛沢東、レーニン、キッシンジャーは徹底的に読め。マルクスや孫文はまあ読まなくてもいい」というアドバイスは本当に実践的だなと改めて思う。中国共産党は革命政党であり、その実践をした毛沢東と共産党政権をつくった元祖であるレーニン、そして彼らと渡り合って成果を上げたキッシンジャーという3人の選択は本当に理に適っているなと思う。人にアドバイスをするならこういうアドバイスをしたいものである。もちろん、それにこたえられるだけの力量が垂さんにあったということも大きいわけだが。

最後に一つ付け加えると、初めて北京で鄧小平を見たときの、圧倒的なオーラの描写が凄いと思った。そして「鄧小平以外の人物にオーラを感じたことがない」ということも忘れずに付け加えている。つまり、習近平も「鄧小平以外の人物」であるということである。この辺のレトリックはさすが外交官だと思うが、そこに日本の勝ち筋も見出せればとは思うのだった。

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