「オフレコ破り」は倫理的にも問題だが何よりマスコミ自身の首を絞める/やっていくこと/「謎の平安前期」:女官の権力を奪って発展した藤原氏のことなど

Posted at 25/12/21

12月21日(日)曇り

ぐずついた天気。昨日から雨が降ったり止んだり。最低気温が3.7度なのでかなり暖かい。気象衛星画像を見ると、日本の北西側と東南側に前線の雲が見える。南から暖かい空気が入ってきているということだろうか。12月の最初はかなり寒かったのに季節が逆戻りした感じ。北日本でも豪雪の後に雨が降ったり、結構始末に困るだろうなと思う。熊もまだ出るようだし、「12月はこうだからこう」みたいなことがあまり通用しない感じになってきた。

とは言え年中行事が変わるわけでもないし、母を病院に連れていく用事なども変わるわけでもない。年賀状はとりあえず母に書いてもらう分以外は昨日投函したので、とりあえずは終わり。あと年末の仕事で残っているのは大掃除関係とお歳暮配り。ただ今日明日は帰京していろいろやりたいこともある。

「たとえば自由はリバティか」を読んで、自分の中でやるべきことというか、こういうことをやっていこうということがだいぶ見通しが良くなってきた感じはする。ただ、まだはっきりと、とか見えてきた、というところまでは行ってないので、この暮れの間にその辺をもう少しはっきりさせていきたいと思う。政治とか経済とか法とか結構避けてきたものが実は自分にとって大事なものだったとわかってくるのは面白いと言えば面白いが、人生があまりに自分の思い通りにならなくてこんちくしょう、という感じでもある。ただ今生のうちに何かを掴んでそれを形にしないととは思うので、それが実現できたら良いなと思っている。実現はさせたい。というか実現させる、と断言しておいた方がいいかなとは思う。という感じ。

昨日からなんとなく腹具合が変な感じはするのだが、決定的に変というわけでもなく、まあ日常行動の中で少し気をつけるかなという感じ。適度にコントロールしながらなんとかしよう。徹底的に寒くないのはありがたいと言えばありがたいのだが、そのせいで気持ち悪いということもなくはない。まあ痛し痒しの似たり寄ったりである。

***

https://amzn.to/494H3F5

「謎の平安前期」は読めば読むほど面白くて、第二章は9世紀が地方出身者でも学者として出世が可能な時期だったのが、だんだんそれも家系的に独占されていく、中世的な「家の業」みたいなものが成立していく感じがあり、元々は藤原氏以外がそれをきっかけに伸びてきていたのが、10世紀の終わりになると藤原氏の傍流の中にも学者の家系が出てきて、それがたとえば紫式部の父の藤原為時だったりするというのも面白いと思った。

菅原道真の父の菅原是善が大学で学ぶために設けた「菅家廊下」や、菅原氏や大江氏が教育機関として関わっていた文章院に対して藤原氏が勧学院を設けるなども藤原氏の傍流の救済策の側面があったらしいというのもなるほどと思う。しかし藤原為時は菅原道真の孫の菅原文時に学んだとあるので、もっと融通のきく話だったのかも知れない。

第三章は女官の話なのだが、奈良時代は女帝の時代だという認識はあったが、平安初期まで女官の時代でもあった、というのはきちんと認識できていなかった。というか、この時代の女官研究は今飛躍的に進んでいるのだそうで、おそらくはフェミニズム的なものと関係はあるのだろうけれども、そんなことを考えなくても非常に面白いなと思った。

奈良時代は橘氏の祖である県犬養三千代をはじめ多くの女性が出てくるなという認識はあったが、彼女らは律令制の中でちゃんとした役職を持った女官であり、天皇の秘書的な役割や物品管理、文書や天皇の意思の伝達の役割を果たしていたというのは認識はしていなかったわけではないが、改めて考えるとなるほどと思った。そういう形で女性が行政に深く関わり、職場恋愛で皇族や藤原氏の妻になることもあり、また逆に妻の職能的な力が優れていたために夫が出世したりなどもあった。宮中の女官というと平安後期以降の天皇のお手つき的なイメージが強いけれども、平安初期まではむしろ実務的な力が買われていたというのは面白かった。

そしてその状況が変化したのが薬子の変であったと。藤原薬子も尚侍(ないしのかみ)であり、女官としての権力と平城天皇の寵愛という男女関係もあり一族で権力を壟断したとみなされたというわけである。そしてそうした女官たちに代わって天皇近侍として権力を掌握していったのが令外官である蔵人であったと。つまりは藤原冬嗣が嵯峨天皇の蔵人頭になることによって女官の持っていた権力を蔵人が奪った、という指摘は非常に面白かった。

また聖武天皇の娘であり光仁天皇の后であった井上内親王が横死せざるを得なかったのも、権力争いもあるが井上内親王自身が女帝になる可能性もあったから、というのはちょっと目から鱗だった。考えてみれば彼女の姉は孝謙・称徳天皇であり、彼女自身が天皇になっても何らおかしくなかったという指摘は頭が平安朝になっていると見落としがちなことだなと思った。

第四章では天皇をめぐる「護送船団」の話になるが、奈良時代には天皇に権力が集中していたかというとそんなことはなく、太政天皇(上皇)も同じように権力を行使することができた、という指摘はなるほどと思った。文武天皇の時は祖母の持統上皇が、聖武天皇の時には叔母の元正上皇が、孝謙天皇の時には父の聖武天皇がいて、また「皇親政治」と言われるように多くの皇族がさまざまな形で天皇をサポートしていた、という指摘も割と目新しかった。だから桓武天皇がライバルになる皇族を排除していって独裁的な力を奮ったのはかなり例外的な状況だったというわけである。

この天皇の「護送船団」は嵯峨天皇の時に再び組織されていき、太政官において他氏族と対立しがちな天皇を近臣としてサポートする臣籍降下した皇族たち、つまり嵯峨源氏の源信や源融などが高官に登って天皇をサポートし、太政天皇の地位は薬子の変ののちは天皇に及ばないものにされたが、「天皇の父」としての家父長的権力は行使できる仕組みを作り、また藤原良房を娘(源潔姫)婿にして取り込み、嵯峨天皇の系統に皇位を独占させることに成功したが、次代の仁明天皇は病弱、文徳天皇は幼帝ということで嵯峨天皇没後は良房が後釜として皇親的権力の中心になることに成功した、という図解もわかりやすかった。摂政や関白という地位も少なくとも当初はそうした皇室との濃い血縁関係があってこそのものだというのは大変わかりやすかった。

たとえば藤原時平・忠平兄弟の父は藤原基経だが母は仁明天皇皇子の人康親王の娘であり、彼らは仁明天皇の曾孫ということになる。忠平の妻は宇多天皇の娘、文徳天皇の孫など皇族や賜姓源氏であり、摂関家は皇族の子孫としてもその家系の尊貴性を高めていったのだというのはあまり認識していなかったがそうなのだなと思った。のちの荘園の本家となれるのは院や女院、それに摂関家や鎌倉殿に限られるわけだが、一応皇親であり実質的な最高権力者である鎌倉殿だけでなく院政ののちは実質的には最高権力者で亡くなった摂関家がなぜ特別扱いなのかという疑問もあったのだが、そうした形で尊貴性が十分に高かったのだなと納得したりした。

いろいろと読んでいてつながってくることが多く、大変面白い。

***

時事的なことで一つだけ書いておくと、高市政権の高官が言ったとされるオフレコでの「核保有」発言についてだけど、これはまさにそうだなと思った指摘があったので引用しておきたい。

https://x.com/azabu_food/status/2002372027345412349

「大谷選手がマスコミを信用できないからSNSで家族の写真を発信したこと、各政党がマスコミを信用できないからSNSで自ら説明するようになったこと、任天堂がマスコミが飛ばし記事を連発するからニンテンドーダイレクトという仕組みをつくったこと、全部マスコミがゴミだから起こったことなんだよね。」

これは全くその通りの指摘だと思う。大谷選手にしろ、自民党をはじめとした各政党にしろ、トヨタイムズにしろ、ニンテンドーにしろ、結局は「マスコミは信用できない」と思われるようになったから彼らは直接発信を始めたわけである。特に、SNSの時代になったために、個人の発信能力は格段に伸長した。

そんな中で、「オフレコ」という約束で語られたことが「公益性があるから」という彼らの独善的な判断で報道されるというようなことは、「マスコミは信用できない」ということをさらに強めるだけではないだろうか。自分で自分の首を絞め、マスコミの居場所をどんどん無くしているのではないかという気がする。

また別の観点から言えば、オフレコ発言を取り上げて騒ぐというのは、鍵アカのツイートをバラして新進気鋭の歴史学者を地獄に陥れ、その研究を何年にもわたって妨害した「オープンレター」事件と同じ構造だということになる。この事件では左翼的な学者たちやフェミニスト学者などが署名してデジタルタトゥーになっているわけだが、今マスコミのやってることは全く同じだろう。簡単に言えば同じ日本人として、或いは人間として恥ずかしいと思ってもらう必要があるように思う。

https://x.com/KomoriYoshihisa/status/2001937348125437984

上のツイートでも指摘されているように、オフレコに関しては英語圏ではより厳密な規定があるようなのだが、どこで見たのか見つからなかった。日本でも、よりその辺をはっきり明文化させて、「複数社よんどいてオフレコのつもりになってるのはモグリww」みたいな事態が起こらないようにしたほうが良いのではないかと思った。

***

「ふつうの軽音部」91話や「日中外交秘録」などに関しても書きたいことはあるのだが、今日はこの辺りで。


月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday