「権利=正義」という概念の手強さと中国が非難される理由:「たとえば「自由」はリバティか」を読んでいる/年末の忙しさ
Posted at 25/12/07
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12月7日(日)薄曇り
水曜日にタイヤ交換をしガソリンを入れに行って、木曜日に整体で松本へ、金曜日にも病院で母を松本に連れて行って、昨日はクリーニングを出しに行ってタイヤの増し締めをしてもらったり、とりあえずやろうと思ったことはやっているが、年末の仕事はあと年賀状を書くこととお歳暮を配ることがあり、あとは人に依頼している仕事と、今日は東京の自宅に新しい携帯が届いているはずなのでそれを取りにいくこと、などがある。
新しい携帯というのは、私が使っているガラケーが3Gなので期限が切れると使えなくなるから、新しい機種に交換したのが届くということである。最近はしばらくの間電話をかけるたびに2回に1回の割合でNTTドコモからのメッセージが流れるという異様に使いにくい状態になっていたし、かなり前からモバイルSuica機能も使えなくなっていたりと交換する理由は結構あったのだがいろいろと面倒だったので交換しないでいた。交換したと言ってもxi機種なのでまたしばらくしたら使えなくなる可能性もあるが、まあ折り畳みガラケーという伝統機種をもうしばらく使おうとは思っている。嵩張らないのがいい。
「たとえば自由はリバティか」はやはり考えさせられることが多い。なんというか、原語(西ヨーロッパ語)と翻訳語のズレという割とニッチな話題だと思って読み始めたのだけど、かなり本質的な問題が多いということが読みながらわかってきた。私は西洋史を専攻していたのだが、最終的に、文献や研究書を読んでいても彼らの価値観が結局あまりよくわからないという感じになり、これは無理かなあと思ったのが大学での研究を修士課程までで続けなかった理由の一つなのだけど、この本を読んでいて彼我の考え方の違いのようなものがだいぶはっきりわかってきた感じがある。
自由という概念は「奴隷でないこと」が中心的なもので最も重要だ、という話からこの本は始まるわけだけど、日本語にもともとある「自由気まま」とか「囚われなく自由自在」「思い通りになる」「カラスの勝手でしょ」という意味とは大きく離れるわけで、つまり西欧的な意味で「自由であること」というのは「高貴であること」、という意味が伴い、つまりは「奴隷的状態にある人に対する蔑視」が含まれている貴族主義的、もっと言えば差別主義的なニュアンスさえあるわけである。「高貴な貴族主義」も「偏見なく人と接することができる」みたいな平等的視点が入っていたら多少鼻持ちならなくてもまだいいが、「奴隷や元奴隷なんかと一緒にされない」みたいな方が強くなると自由の概念も結構扱いが難しくなる感じはあるわけである。
要するに、彼らにとって人間にとって一番大事なことが「自由であること=高貴であること」なのだということは押さえておかなければいけないということで、それはそういうふうな意味の方向に、西欧思想全体がバイアスがかかっている、ということなわけである。仏教、特に日本仏教では「草木国土悉皆成仏」であって、人間だけでなく全ての存在が仏になりうる、みたいな平等観が強く、また「諸行無常」的な意味で人間存在というのも儚いものである、というのが基本にあるから、その辺から見るとこうした「人間の高貴さ」みたいな考え方はある種の観念複合体に過ぎない、ということになるわけである。
しかし「自由という観念」に出会った時の日本人たちがそうは受け止めなかったのは、その「高貴さ」というものを理解できる人たち、つまり「武士たち」が政権や教養の中心にいた、ということが大きいだろう。彼らは「自由」という観念の重要さを正当に評価することができた、ということになる。また観念体型として公式的に認められていた朱子学の力は限定的で、より実践能力を重視し、人間一人一人の役割を重視するような「御威光=武力による支配」が貫徹していたために、その拠って立つ根拠を「将軍の軍事指揮権による与えられた役割」から「天賦人権」、「天から一人一人に与えられた自由であること」に置き換えることが可能だったということがあるのではないかと思う。
この辺はもう少し詳細に検討すべきことだとは思うけれども、自由という観念を日本人が受け入れることができたのは本書に書かれている「自由自在・自由気ままという観念の魅力」だけではないだろうと思う。歴史的経緯の中で発達した日本社会における人間というものに対する考え方に、こうした西欧思想に対する親和性がもともとビルトインされていた部分があったのだろうと思う。それが偶然なのか、ある種の並行進化なのかはまだ結論は出せないが、よく言われるように近代化の段階で全く異種の文明体系の諸国諸民族のうち、日本だけがその初期に大きな成功を収めたことの理由はその辺りにあると思う。資本主義化の成功については前近代にかなりの発達があったからということは以前からよく言われているけれども、政治の西欧近代化の成功についても、そういう部分はあったのだろうと思う。
で、自由のところを読み終えて二つ目の「権利」のところを読んでいるわけだが、これもまたかなり手強い。私は権利とは「やっていいこと(やらなくてもいい)」であり義務とは「やらなければいけないこと」である、というくらいの理解だったから「権利」について掘り下げてしっかりと考えたことがあまりなかったことに読んでいて気が付いた。
もともと英語における権利=right、フランス語におけるdroitに「正しい」「正義」という意味があることは理解はしていたが、それが「権利」という概念とどう関係があるのかはなんというか考えるのが面倒くさいと思っていた部分があるなと思った。この本では、日本語で「権利」と訳されているrightの本来の意味は、「法的あるいは道徳的に正当な要求」ということだと解説されている。つまり「権利の要求」には本来「正当な正義の実現の主張」という部分が含まれているということになる。
しかしまあ、ここで「正義」が絡んでくると、ややこしくなる部分がある。つまり、「何が正義かは人それぞれ」という部分が出てくるからである。この本でその議論を回避しようとしているのは、その正義というのは人それぞれの「信念としての正義」ではなく、「公平としての正義」、つまり日本で言えば「道理」としての正義、「筋としての正義」みたいな感じだと説明されている。その辺りを考えると、権利rightを筋(すじ)と訳すと「権利を主張すること=筋を通すこと」となり、日本語としてわりと分かりやすい感じがするなと思った。
ただ、ここでは議論は回避されているが、「人権外交」などに現れるように、「信念としての正義」と「権利」という概念は割と親和性が高いことも事実だろうと思う。「女性も人間なのだから男性と公平に扱われるべき」という主張は「公平としての正義」に属するから正当性は強く広範囲に認められると思うが、「女性は「弱い(そのほかネガティブな状況)」から権利をより多く与えられるべき」になると公平性原則から外れるので「信念としての正義」の領域に入るだろう。この辺りが混同されているからフェミニズムその他マイノリティと称する人たちの運動が批判されているのだろうと思う。
また、「権利」特に「人権」は正義であるから、それが不当に奪われたり弾圧されたりすることはあってはならないことであり、そうされたらそれを回復しようとしないことは正義ではない、ということも指摘されている。この辺りもこれが「公平としての正義」に限定されていればともかく「信念としての正義」に適用されるとかなり大変なことになるのは自明だなと思う。
私も駒場寮に住んでいた学生時代に革マル派の人と議論したことがあるが、三里塚で闘争に加わることは義務だ、みたいに主張されて行きたくないから行かない、とめちゃくちゃ反論したことがあった。彼らの主張は主張として理解はできるとは言ったが賛同できるとは言っていないのだけど理解したなら行動すべきだみたいな議論であったような気がする。まあ昔のことであるが。
現代に近い時代のことで言えば、天安門事件によって西側諸国から排除されていた中国との交渉を最初に回復したのは日本だったわけだけど、これもまた西欧諸国からは日本は「信念のない国」だと思われたのではないかという危惧はいまだに感じている。あれは明らかに国家による明確な国民に対する弾圧であって、近代国家であってはならないことだが、そうした国が国際連合で常任理事国という地位にあることは、当然ながら公平としての正義にも信念としての正義にも反することだろう。それをとりあえずは政治的協調と経済的互恵という屁理屈をつけて容認してきたのが今までの時代であったわけだが、今回の台湾有事をめぐる中国側の狂乱というのは今までのそうした国際的な対中国政策が正しかったのかどうかを疑問視させる部分はあるだろうなと思った。
まあそういう意味で、「権利」という概念は相当怖い概念だなと改めて思ったわけである。まだこの章は読んでいる途中だが、自分の中でいろいろ整理しながら読む必要があるなと思った。
***
そのほかマンガの感想についてもいろいろあるが、また改めて。今日の更新の「ふつうの軽音部」89話「春浅き日々に泣く」、かなり良かった。泣くだろこんなの。
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