「たとえば「自由」はリバティか」:「権利 right」は「ワガママ」ではなく「女の一分」/青森県東方沖地震と後発地震注意情報/マンガ「アルスラーン戦記」のオリジナル展開/散髪と邪念
Posted at 25/12/10
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12月10日(水)晴れ
午前5時の気温はマイナス3.6度。よく晴れて冷え込んでいる。とは言え12月だから不自然というほどでもない。青森の被災地は寒いことだろうと思う。できるだけ暖かくご安全にと祈るばかり。「後発地震注意情報」というのが運用開始後初めて出されているとのことだが、東日本大震災の時もそうだし熊本地震の時もそうだったが、大きな地震の後に余震が起こることは以前から知られていたけれども、巨大地震の前にやや大きめの地震が起こることもあり、そういうことからこういう形の注意情報が創設されたということのようだ。実際に巨大地震が起こる確率はそう高くはないが、1週間程度は注意しておきましょうということで、まあ理にかなっているようには思われる。急いで復旧してもまた地震がきてまた壊れてしまった、みたいな話は能登地震の時もあったので、しばらくは様子を見つつ復旧する、という姿勢がおそらくはリーズナブルだということなのだろうと思う。
とは言えライフラインの復旧は急務なのでそこは難しいところだが、いわば二次被害というものもある程度は考えておかないといけないということでもあるのだろう。経験を重ねて防災対策も深まっていくのだなと思う。
昨日はいろいろやることを考えていたらかなりたくさんあったのだが、もう髪の毛が限界まで伸びていたということもあり、易を立てたら散髪に行く方が行かないよりはマシな卦だったので、電話して9時ちょうどにいくことにした。床屋さんの駐車場まで車で行き、散髪してもらって終わったら10時20分くらい。いつもコーヒーを出してくれるのだが時間がないからとお断りしてお金を払って車に戻り、市役所の隣の銀行へ。必要なお金をおろしてから駅前の銀行まで行き、資金補充。それから不動産屋さんへ行って駐車場代を払う。本当は月末に払うべきものを払い忘れていたことに朝、会計を整理していて気づいたのだった。謝ったらまあまあという感じだったのではあるが、忘れないようにしないとと思った。
それから西友へ行ってお昼の買い物とお客をした時の菓子を買い、蔦屋へ行って雑誌を見たが、ない。時間がある時にもう一つの書店に行こうと思ってとりあえず諦めて、戻ってきてクリーニングを受け取って、セブンイレブンでSuicaのカードにチャージして、カフェオレを買って帰る。12時から2時に指定で荷物の受け取りがあったので12時の10分くらい前に戻ったのだが、すぐピンポンが鳴って12時前に配達の人が来て荷物を置いて行った。帰ってくるのを待ち構えていたという感じだろうか。いずれにしても用事が早めに済んだのはよかった。昼食をとって疲れが出てきたので横になる。
横になっていると邪念がいろいろ頭の中を駆け巡っていたのだが、まあ疲れが出た時にはありがちなことではある。今朝起きた時もだいぶそういうのがあったのだが、なるべく心を空っぽにし、また体の中の局所的な緊張みたいなものも気を通して無くすようにはした。ゼロにはならなくても少しはマシになる。2時半ごろ出かけてもう一つの書店まで走り、雑誌を見たがやはりなかった。仕方ないのでアプリで探したら、マガポケで最低限の課金で読みたいものは読むことができたのでまあよかったのだが、「進撃の巨人」の好長期にはコンビニでも買うことができた別冊マガジンが今や書店を二軒回っても置いてないという状態なのは隔世の感があるなと思う。
https://pocket.shonenmagazine.com/title/00102/episode/428962
「アルスラーン戦記」は原作で言えば前半のアルスラーンによるパルス統一という大団円の部分なのだが、すでにオリジナル展開に入っていて、つまりは後半の統一その後は描かず、ここで終わらせるということなのだろう。原作者の田中芳樹さんは昨年脳梗塞で倒れられ、今はリハビリ中であることが先日Twitterで明らかにされたが、この辺りはだから作画の荒川弘さんがオリジナルで展開されているということなのだろうと思う。またそのあたりも情報が出てくることはあるだろうから、お待ちしたいと思う。原作はやや寂しいエンドだったので、ハッピーエンドになってくれると良いなと思っているのだが。
***
渡辺浩「たとえば「自由」はリバティか」(岩波書店、2025)読んでいる。一つ目は「自由とliberty」の問題だったが、二つ目の「権利とright」のところまで読み終えた。残りは法とlaw、自然とnature、公私とpublic/private、社会とsocietyということになる。どれも社会科学における基本概念中の基本概念であって、この概念をいかに正確に捕まえるか、また日本語のイメージだとどういうことになるのか、というあたりは思考レベルでも法を運用する(つまり立法や司法、あるいは行政の)実務レベルでもかなり重要なことだろうと思った。
権利というのも日本語だと「ワガママ」とルビを振られたこともあるようなイメージで使われているわけだけれども、本来rightというのは「正しい」という意味があるわけで、人間にとってのrightがそんな気ままなものというのもちょっとずれているわけだけど、これは「権」「利」という言葉のイメージに引っ張られているところが大きいと著者は言うわけで、これはその通りだろうと思った。
rightというの本来「法的あるいは道徳的に正当な要求」であり、要求し実現することが正義であるべきものだが、これは「信念としての正義」というよりは「公平としての正義」だと著者は説明している。
ある人にのみ与えられた権利はrightではなくprivilegeであり、日本語では普通「特権」と訳されている。自由もある意味自由民にのみ認められた特権だったわけだが、全ての人間に生まれながら人間としての権利があるという概念が出てきたことによって人間としての権利=human raightsの概念が生まれ、全ての人間の権利になったという過程もある。
西洋では「正義の女神」は目隠しをして天秤ばかりでことの敬重を測るわけで、これは「余計な斟酌をしない」ということなわけだけど、日本国憲法の第76条「(裁判官は)その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される」でいうところの「良心」とは「目隠しをして天秤ばかりではかる」ことを意味しているのだろうと思う。実際にはもっと個人的な信念によって判決が下されていることが多いようには思うが、それは本来の考え方からはずれているのではないか。
そのようなわけで、結局最終的にはrightの訳は「権利」になってしまったわけだが、いろいろな訳の案はさまざまにあった、というのは参考になるなと思う。例としては「正直(せいちょく)・通義・権理・権義」などの案があげられている。
ただ、rightにあたる概念が日本になかったとかと言えばそうではなく、たとえば江戸時代に使われていた「株」とか「分」という言葉がそれにあたるという説明はわかりやすかった。
江戸時代は著者の表現では「家業国家」であり、将軍から百姓まで人々は家業を持ち、それを実行することによって社会が維持されていくという考え方があったという。つまり、その家業を守ることが「分を守る」ということであり、武士の「一分」とか「男の一分」と言ったものがよく取り上げられるけれども、承認には商人をやるための「株」があり、農民には「百姓株」があって、それを受け継いでいくという考え方であった。江戸末期の「御家人株」というのはよく知られているが、勝海舟なども先祖が金貸だったのが御家人株を購入して武士に成り上がった家系なわけである。女性には女性の「一分」があり、それを否定された「女が立たない」「女が廃る」というわけである。この「株」とか「分」の概念がrightの概念に最も近い、というのはなるほどと思った。
これは先日読んでいた前田勉「近世日本の支配思想」(平凡社ライブラリー、2025)で説明されていた兵営国家としての近世社会における役割意識というものと同じことが説明されていると思うのだが、この二つの説明の重なりがどのように関係しているのか、平凡社ライブラリーの方では注が付いてなく、「たとえば自由は」の方では前田氏の研究は引用されていないのでどういう関係にあるのかはよくわからない。渡辺氏の方が10歳ほど年長だが論文自体の前後関係もどうなのかはちゃんと調べてみないとよくわからないのだけど、参照関係がないわけでもないだろうなとは思う。
前田氏の方ではこの「役割」から外れた人の生きづらさだとか居場所としての意味が強調されていた感があったが、こちらでは「権利」に通じる「人が簡単に奪うことができないもの」としての側面を強調しているのがなるほど法と倫理と道徳の境目あたりの研究だとそうなるんだなと思ったのだった。興味深かった。
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