「法は人生の初期設定」という認識と「男女関係」というものとのはかばかしくない出会いなど

Posted at 25/12/11

12月11日(木)薄曇り

昨日は午前中に会計の仕事をしてもらいながら自分は母を歯医者に連れて行ったり。いろいろ仕事が重なっていて頼んでいることもいろいろあるのだけど、やり忘れていることや急に気がついたことなど結構あってその都度片付けている感じ。心の中をその時大きく占めるものがあると他のことを忘れてしまいがちになり、懸案が片付いてホッとしていろいろその間に出てきたことなどを片付けているとあれこれ忘れていたことなど出てきてしまっていつでも忙しい感じになる。年末にかけて、一つ一つきちんと片付けていけると良いのだが。

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「たとえば「自由」はリバティか」第3章を読み始めたが、今度は「法」と「law」について。法とは何か、「法治主義」や「法の支配」について、そんなに集中的に考えたことがなかったなと読んでいて思う。なぜ法が人間の行動を縛ることができるのか、そういうものだと最初から思っていたからそれについてそんなにきちんと考えてこなかったなと思う。カントやベンサムについても哲学的な形而上学的な議論ではそんなに魅力を感じなかったが、法について考察しているのを読むとなるほどと思うところがあり、法についてちゃんと考えることは重要なことだなと認識しつつある。

子どもの頃、法というものは初期設定みたいなもので、人生というものはその初期設定を前提に展開していくゲームみたいなものと捉えていたところがある気がする。小6の頃になぜか大人向けの法律相談の雑誌みたいなのを読んでいて「肉体関係を許してしまったが捨てられた。損害賠償を請求できないか」みたいなものを読んで理解と感想の行き場に困ったり、その後なぜかモーパッサンの「女の一生」を読んでいたら初夜に無理やり夫に犯された主人公の話(記憶なので不確か)が出てきたりして、今考えると男女関係というものに出会うのにこういう方面から最初に認識したというのは自分の人生にとってはかばかしいことではなかったなと思ったのだが、まあ法律というものもそういう相談に対してああだこうだとアドバイスしてそれはできるとかそれはできないとか書いてあって、まあそういうゲームのルールみたいに捉えてしまったのはそういうこととかがあったのだろうなと思う。

しかし法というものももちろん制定した人たちがいるわけで、それがどんな意図で制定されたものなのかとかを掘り下げていくことで法というものはどういうものかということがもっと深くわかるのだなと今更ながらに思ったし、ゲームのルールは変えることができるわけだから法について考えていくことで社会のあり方とかももっと考える方向性を広げることができるなと思ったのだった。

今朝はとりあえずここまでで。

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