「市民社会における「批判」について」/「ふつうの軽音部」92話「ヘタクソが歌う」:友情に熱い漢・野呂あたるのパンク魂/お歳暮など
Posted at 25/12/29
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12月29日(月)晴れ
今(朝6時半)の気温はマイナス4.7度。このところコンスタントにこのくらいまで冷え込む感じになってきた。昨夜は居間でうたた寝してしまって1時半ごろ2階で寝床に入ったのだが、寒い。なかなか寝付けなくて3時半ごろ寝室のストーブをつけてから居間に降りてきてお茶を飲み、風呂に入って、寝室に戻って寝たのだが、どうもうまく寝付けなくて結局5時半ごろ起き出した。意識がない時間も多分結構あるので全然眠れていないわけではない(本当に眠れない時は寝床の中にいるのが苦痛になる)のだが、睡眠としては中途半端だなと思う。
昨日は午前中、10時ごろにnote/ブログを書き終えた後、「ふつうの軽音部」の92話を読んで感銘を受けたり、そのほかいろいろやっていたらすぐにお昼になってしまい、ご飯を食べてから少しのんびりして、さてお歳暮に何を買おうかといろいろ検討し、そんなに遠くないところにある寒天・ところてんのお洒落な商品化をしたショップ/カフェがあることに気づく。これは妹が来た時に妹の友達と行ったことがあるという話は聞いていたが、ネットで調べてみると割と手頃な感じで贈答品にもできそうだったので、2時ごろ出かけてみた。
ショップはカフェの入り口にあり、駐車場は川の側にあるのだが、なんだか驚くくらい景色が良かった。この辺りは新興の、と言ってもインターチェンジができてから開発が進んだわけだからもう40年は経っているのだが、その中でも商業地ではなかったところなので、数年前の開店だとは思うが、新しい感じが残っている。ショップではいくつかセット売りになっていたが、レジの人に相談したら中身をこちらで決められるとのことだったので寒天を使った水羊羹とか寒天雑炊、またところてんとそれを食べるためのドレッシングなどを詰め合わせてもらった。
そこからまっすぐ訪問するお宅へ向かったのだが、年末ということもあり日本海の魚を仕入れて売るチェーンの魚屋さんがめちゃくちゃ混んでいるらしく、駐車場に入る行列ができていて他の車も通れず行列になっていたので、用もないのに右折して、さらに左折・左折・右折で元の道に戻ったらガラガラだった。そのまま真っ直ぐ訪問するお宅に行き、お茶でもという話になったので上げさせていただいて少し世間話など。少し長っ尻になったなと思い出した頃に娘さん・お孫さん・ひ孫さんがやってきたので辞した。孫というものは可愛いというけれども、ひ孫はもっと可愛いんだなあとひいおじいさんの顔を見ていて思ったのだった。
家に帰ってきてとりあえず年末の仕事として考えていたものは終わったのでほっとする。そのほか畑の見回り・管理とか正月資金の準備とかあることはあるのだが、絶対年末までにやらないといけないことは終わったので、少し肩の荷は降りた感じがした。まあここからが本当の仕事だ、ということではあるのだが。
少し休んだり、また昨日書ききれなかった「市民社会における批判について」という文章(下に掲載)を書いたり。夕方になってきたので、当初の予定では岡谷のモールと書店に行って本を見たりぶらぶらする予定だったのでまた雑誌をバッグに詰めて作業場に行って降ろし、「ふつうの軽音部」に出てきたHi-Standardの「Dear My Friend」を聴いたりちょっと本を整理していたりしたら気がついたら7時を過ぎていて、これは岡谷まで行けないなと思い、ちょっと切り上げて駅前のスーパーで買い物を済ませた。最近は読むものがたくさんあるということもあり、新しい本をあえて探さなくてもいいという感じになっていて、いいことなのかどうなのか、という感じはある。夕食を食べて少しゆっくりしていたらうたた寝をしてしまった。
***
近代的な自由民主主義の市民社会において、国家権力は国民から主権を委任され、国民の人権を保障した上で統治を行なっているわけである。従って、国家権力は委任元の国民には自由に意見を言わせなければならない。それは政府批判であれ、さまざまな対立関係にある相手であれ、批判を通しての意見表明によって討論・議論が行われ、その中でより良いものを見つけ出していくことが市民社会の基本である、ということになっている。
「ペンは剣よりも強し」というが、これは書かれた言論が強大な力を持ちうるということでもある。元々はギリシャにおいて弁論術などが発達したこともあり、直の言葉による言論が主だったのが紙ベースのコミュニケーションが発達したことにより言論=ペンになっていたが、今やネットの動画が発達することによって、誰もがみな自分の意見を口頭で述べて批判し議論することが可能になっている。この辺りはギリシャにおけるアゴラの言論の復活のような性格もあるかと思う。
批判にはいくつか種類があるが、例えば政治的批判がある。これは要するに権力者による権力の濫用を批判することであり、民主主義の基本だろう。これは例えば強権的に苦役を課すことなどに対する批判があるだろう。例えば男性に生理痛を「わからせ」るために電気ショックを強要するような行為に対する批判であるが、こんな原初的な強権行使は珍しいことで、実際には政策実現の見返りに金銭を要求するなどの行為が問題になることの方が多い。これらはすでに犯罪にされているが、日本以外のアジアアフリカなどの多くの国では現実に行われていることは多いだろう。日本ではすでに数十万単位のみみっちい政治資金の記載漏れが極悪人のように批判されるようになっているわけで、これらの批判は行き過ぎと感じることの方が最近は多い。
批判がより鋭く行われるのは例えば科学的批判だろう。学説について批判や反批判を戦わせることは学説のブラッシュアップのためには必要欠くべからざるものであり、批判というものが最も建設的に行われているのがこの分野であると思われる。人文・社会系の学説や論文の批判も含めて、体系の形成のために必要な行為であるから、これらの批判は概ね建設的に行われていると言って良いと思う。
もちろん、STAP細胞の件であるとか考古学の神の手事件のように捏造が行われて批判というより徹底的な非難が行われることもなくはないが、これはまた批判されて当然という形で世間的にも受け入れられているだろう。
より微妙なのが社会的な批判、人道的な批判、宗教的な批判、思想的な批判である。これらの批判は、根本には論敵の思想に対する批判になりがちであり、ということは一部の人間が持つ考え方に基づいて、他の一部の人間の持つ考え方ややり方を批判するということになる。これらは非常に厄介であり、暴走しがちで、魔女狩り的になることも多い。「キャンセルカルチャー」と言われる現象が起こるのもこの種の批判である。本来市民社会においてどんな思想を持とうと自由なわけで、それが思想信条の自由であるわけだが、これらは原理主義的な批判になりがちなので批判というよりは非難や誹謗中傷など、とことん相手を追い詰めてしまうことになりがちなわけである。
そういう意味では政治的な主張であっても、日本の場合は日本国憲法の一部の条文、特に九条が一部の人たちにとってある種の宗教性を帯びた文書になってしまっているために、憲法違反と彼らがみなした主張に対する批判が宗教的情熱によって過大なものになるという傾向がある。
例えば首相官邸の高官の核所有に対する発言も、もちろん切取りによってより問題を大きくした報道側にも問題はあったが、核兵器というさまざまな兵器の中の一つに過ぎないものの所有について宗教的情熱を持って断罪するという異常なことが日本において平気で行われるという現状がある。日本は原爆を投下されて多くの死者を出した側であり、投下した責任が日本にあるわけではないのにこのようなことが行われているというのはある種の認識の歪みがあるからだろう。
こうしたことが起こること、つまり「市民社会における批判」の問題点は、一つには「批判の運動化」という問題がある。metoo運動などによって批判をさらに広範囲に広げていくことによって批判を運動化し、批判の正当化、問答無用化が行われ、暴走していくわけである。こうしたことはwokeと言われる左派的な運動において多発している。
これらの運動の問題点の一つは、例えば権威主義諸国によって政治的に利用され、あるいは彼らによって操られることがあるということである。核所有発言などについても実際に持ってもおらず可能性として低いという言説に対して批判するような人々が、現実に世界を何回も滅ぼせるような核兵器を所有している中国に対して全く批判しないなどの現象がまさにそれを証明していると言えるだろう。
批判は自由民主主義的な市民社会において不可欠なものであるが、権威主義諸国では批判自体が禁止され口を塞がれているために、こちら側が権威主義者国を批判してもそれはそれらの国民には伝わらないし、また伝わっても声を上げることができない。
ここはおそらくは中国などの国々にとっては「民主主義社会の弱点」と認識されているだろうから、いわゆる「認知戦」をしかける「スキ」であると認識されて攻撃をしてくるわけである。我々はそれを十分に認識しておかなければならないだろう。
もちろん、権威主義国の国民の中にはそうした現状を良しとしない人も一定数いる。特に中国の民主派は香港や台湾に、あるいは日本に逃れて政権に対抗するネットワークを築こうとしている。もちろん彼らの中にも北京政府の工作員はいるだろうから、全てオープンというわけにはいかないが、中国民主化の貴重な種という認識も持っていた方がいいとは思う。
もう一つの問題点としては、wokeの運動側がそれ自体、我々の「自由で民主主義的な市民社会」を変えたいという野望を持っていることである。これは共産主義のような自明の形ではないから、逆にキャンセルカルチャーのような攻撃性を持った運動になったり、フェミニズムやトランスジェンダー運動のような科学に基づかない主観的な主張が大手を振るようになるわけである。
これらのwoke運動には明確な到達目標がないのに、批判だけは永続させたいわけで、それらは市民社会に寄生的な運動になり、また「反出生主義」のような人類社会そのものに対する呪詛のような主張になっていく傾向が見られる。日本はアジア諸国の中では比較的常識側に踏みとどまっているので、出生率も低下はしているが他の諸国の方がより低下しているわけで、我々の社会を守るためにもこうした理不尽な主張には明確に反対していかなければならないと思う。
これらの運動は将来ビジョンがないからこそ既存の運動論に固執して彼らが敵とみなす「自由で民主主義的な市民社会」を攻撃し、僅かな利益を掠め取り、自分たちが利益を上げることよりも敵とみなす人々が損害を被ることに嬉々とするような歪みが見られるように思う。しかし思想信条の自由や批判の自由が根本にある我々の市民社会では彼らの言説を根本的に禁止することはできないわけで、そこを原理的に強く批判しより強い声で言論戦を戦っていく以外に彼らを駆逐することはできないのだろうな、とは思う。
日本国憲法第十二条にも「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」とあるように、彼らの主張が公共の福祉に反することを粘り強く主張し、賛同者を増やしていかなければならないということになるだろう。
批判の自由を守りつつ、民主主義社会・人類社会を壊しかねない批判についてはより強い理論を構築し、社会の防衛を図っていく必要があるわけで、そうしたことこそがおそらくは本来の意味での「憲法を守るための戦い」になるのだろうと思う。
***
https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912913097573
「ふつうの軽音部」92話「ヘタクソが歌う」を読んだ。詳細なネタバレを書いているのでご注意を。今回の構成は最初の5ページが鳩野とレイハのやりとり。帰ろうとするレイハを呼び止めて自分たちのライブを見ていくように頼む鳩野にレイハは最初はつれないが、「怖いの?」という言葉にドキッとして立ち止まり、つい鳩野のいうことを聞いてしまう。それに続く鳩野の言葉は「この鳩野ちひろの才能がそんなに怖いのか?ってこと」と真っ赤な顔をしていて、ネットの言葉の真似だということがこの後わかるのだが例によって挙動不審になり、毒気を抜かれたレイハはむしろ心を開いて自分から「川上純って覚えてる?」と核心に迫る話を始めるわけである。
次の10ページの主役はパンクバンド「カキフライエフェクト」の野呂あたる。これはジャンプラの感想コメントを読んでいてもTwitterでも激賞だった。川上純に絡まれて殴られた夜に鳩野と水尾と出会い、そこから水尾と友達になって、パンクについて語れる関係が築かれる。その水尾が落ち込んでいるのを見た野呂が声をかけ、「詳しくは話せんけど」と言いつつ、おそらくは純がらみで落ち込んでいることは伝えたのだろうと思う。それを聞いた野呂は、自分たちの演奏で水尾を励ますために歌う。その前のMCがカッコいいのだが、これは是非マンガで読んでもらいたいと思う。
カキフライエフェクトが演奏するのは、Hi-STANDARDの「Dear My Friend」。この曲は私は初めて知ったが、「ハイスタ」と略称されるこのバンドの代表曲の一つであるとのこと。1999年の曲で、この曲の入ったアルバムはインディーズからの発売ながらCD100万枚を売ったというからすごい。ジャンルとしてパンクに入れるべきなのかはコメント欄でも議論があったが、野呂たちが演奏しそうな曲だしもちろん野呂が水尾に歌う曲としては最高のものなので、これは納得感があった。
今回特に印象深かったのは、この曲が「ふつうの軽音部」の中で演奏されたことについて、すでに3本のnoteが書かれていることだった。更新時間順で以下の3本である。
https://note.com/toramomo/n/n749fc08058c3
https://note.com/survivelifedx777/n/n625578d5c8c2
https://note.com/manga10212/n/n7b32ced238f1
野呂あたるは初登場が5巻46話(現在92話なので、ちょうど半分ということになる)というある意味新しいキャラ(カキフライエフェクトというバンド名はすでに1巻6話で登場していて話題になっていた)なのだが、不器用でヘタレでヘタクソなパンクロッカーとして一部で人気を呼び、クローズアップされた58話から、また鳩野と絡み始めた80話から急激に話題に登るようになってきた。特にパンク好きの人から見るとまさにパンクを体現したキャラであり、作画の出口さんも「野呂あたる良いキャラすぎるから」と書いていて、愛されているなと思う。
https://x.com/675pixel/status/2004934512816652312
ファンにとってはおそらく野呂がまさに「my dear friend」のためにハイスタを熱唱するというところがたまらないのだろうと思う。曲を聞いて水尾が涙を流す場面はやはり最高だった。
先ほどあげた三つのnoteのうちの一番上のものを読んで知ったのだが、人類学者のデヴィッド・グレーバーは人間の自由の基本形態として「移動する自由」「命令に従わない自由」「友だちをつくる自由」があると言っているのだそうだ。調べてみるとこの人は2011年の「ウォール街を占拠せよ」という運動の中心になった活動家でもあるのだそうで、なるほどと思うところはあるが、「友達を作る自由」というのは面白い考え方だなと思った。
確かに、親がどんなに苦労して環境を整えても、「友達」というのは基本的に結構ガチャだから、親にしてみればとんでもない悪友ができたりすることも珍しくない訳である。逆に言えば、子供にとっては親に与えられるもの以外で得られる初めての自由であることも多いだろうから、これはなるほどと思った。
また、Freedomの語源はFriendから来ているという指摘もあり、調べてみると(AIだが)
「「freedom(自由)」と「friend(友達)」は、どちらもゲルマン祖語の「*frijaz(愛する、自由な)」にルーツを持ち、「愛すべき人=友達」、「自由に振る舞える状態=自由」という概念で繋がっています。」
とあり、そうなのか、と思った。逆に言えば、「友達を大事にする=自由」ということでもあるなと思ったし、野呂あたるはまさにそれを体現しているからカッコいい、ということになるということだなと思った。
余談だが、少年ジャンプの古の標語が「友情・努力・勝利」であり、その路線が大きな支持を得たのは、まさにその全てが「自由」につながるからなのだなと思ったし、初期のジャンプに連載されていた「ハレンチ学園」のキャラクター、アユの最後のセリフが「自由に!自由に生きようとしていただけなのに!」であることを思い出したりした。
話を戻すと、残りの4ページが次のステージのプロトコルの準備段階ということになるわけだが、ステージに上がってきたギターは藤井彩目かと思いきや猫頭の被り物を被って出てきた覆面ギタリストだった、という次回の波乱を予想させるオチで締められているわけである。これで2025年を占めるという展開がもうゲラゲラ笑わされた。
最初は田口の七道高校野球部ユニと彩目の猫頭、それに鷹見の「どうも〜!はじめまして!プロトコルで〜す!」という軽いノリのMCから、ハロウィンライブであれだけイキったカッコつけだったプロトコルがイロモノのコミックバンド化した!とおかしかったわけだが、コメント欄をよんでいて「MAN WITH A MISSION」というオオカミの被り物を被ったバンドがあることを知り、ある意味リスペクトでもあるのかなという気もした。この辺はどういうオチをつけるのか全然見当がつかないのだが、こうやって訳の分からない方向に話を広げるのがこの作品は本当に上手いなと思った訳である。
他にも書きたいことはあるのだが字数も増えたし時間も遅くなってきたので今日はこの辺りで。
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