恫喝を繰り返す中国とどう付き合っていくか/「ふつうの軽音部」90話「嘘を歌う」を読んだ/尾瀬あきら「呑んでゴメン」と尾瀬さんのラベルの日本酒/「たとえば自由はリバティか」:日本語の自然と自然権の自然

Posted at 25/12/14

12月14日(日)雨

日付を書いてから思ったが、今日は赤穂浪士討ち入りの日か。書こうと思うことがぐるぐる頭の中を渦巻いていて整理しようと思って書きはじめたのだが、返って情報が増えてしまった。最近では12月だからといって忠臣蔵、ということがなくなってきているので余計不意打ちの感がある。年末ももう半月過ぎた、というふうにも言える。今朝は雨。いろいろ外仕事をしようと思っていたこともあったのだが、あまりできなそうだ。

その代わり、と言ってはなんだが朝の気温が高い。最低気温がプラス3.4度。ただ天気が悪いから日中は気温は上がらないだろうし、居間にいると寒さはそんなに感じないが、廊下に出るとしんしんと冷える。冬は冬である。

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https://shonenjumpplus.com/episode/17107094912731880567

今朝は4時過ぎに起きたのだがいろいろやっていたらもう9時を回ってしまった。ジャンププラスも「普通の軽音部」第90話「嘘を歌う」が良かったので、そのことをいろいろ考えている。

「私は純ちゃんの弱さから目を背けた」

それに対するレイハの罪意識が今回の物語の柱なのだが、それについて書くにはまだ整理されていないところが多いので、またまとまったら感想を書こうと思う。鳩野だけがレイハの本当の気持ちに気付いている、という描写がすごく良かった。

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マンガとしてはもう一つ、「呑んでゴメン」という尾瀬あきらさんの短編が良かった。

https://comic-days.com/episode/2551460909889125903

酒に蘊蓄を傾ける彼氏の行動を待ちきれず、先に酒を飲んでしまうという失敗から始まる話なのだが、「夏子の酒」の尾瀬さんだから酒造りの話へと展開していく。

https://comic-days.com/episode/10834108156629765903

酒造りの文化についての描写もいいが、物語の展開も小気味良くてさっと読んでしまう。主人公たちの関係にやる気をなくした杜氏とその亡くなった妻の話が重なっていくのもいい。最後は酒の神様がもたらした福音、みたいな閉じ方も、酒が飲みたくなるものだった。

先日関西に行った際に友人にもらった「るみ子の酒」のラベルも尾瀬さんが描かれていたので、二重の意味で出会いだったなと思う。こちらも美味しかったです。

https://shop.morikishuzo.co.jp/?pid=158744856

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https://amzn.to/4rLeHs0

「たとえば「自由」はリバティか」を読んでいる。自由、権利、法に続いて「自然」が第4講。明らかに法文化の問題である前の三つに比べてなぜ「自然」が取り上げられているのか、と思いながら読んでいたのだが、つまりは「自然法」とか「自然権」という意味で使われるnatureと日本でいう「自然」の意味のずれ、というのがテーマだということに途中で気がついてなるほどと思った。

natureの訳語候補として「天」とか「性」が考えられてきた、というのは面白かった。その元は「中庸」の「天命謂性 率性謂道 脩道謂教」天の命じたものが性であり、性に従うことが道であり、道を修めることが教である、というあたりからきているのだという。余談だが、私は「中庸」は「礼記」の一部と考えていたのだが、むしろ「中庸」などを寄せ集めて編集したのが「礼記」という成り立ちだと再認識。

やや疑問に思ったのが次の内容。

「日本国憲法第十一条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。

Article 11.The people shall not be prevented from enjoying any of the fundamental human rights.These fundamental human rights guaranteed to the people by this Constitution shall be conferred upon the people of this and future generations as eternal and inviolate rights.」

とあるわけだが、基本的人権は憲法が「保障 guarantee」するものであり創出したのでも与えたのでもないものとこの本にあるのだけど、それでは「現在及び将来の国民」に基本的人権を「confer与へる」主体は誰なのだろうか、ということだった。

「生まれながらにして自然に持っている」という人権の基本的定義に従えば「現在及び将来の国民が有している」でいいと思うのだが、わざわざ「shall be conferred=与へられる」とした意味はどこにあるのか、と思ったわけである。天「賦」人権のニュアンスを残したということのように私は思ったが、これは逆に「国家が与えた」と解釈する余地を残したというふうにも解釈できるなとは思った。

第4講まで読み終わったが、返却期日が明後日に迫っていたので、ちょっと厳しいなと思って図書館に電話をして延長してもらった。28日の日曜日までなら読み終えられるし、この本は自分で買ってもいいなと思った。

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高市首相の台湾有事発言で中国の恫喝が続いているが、垂秀夫元中国大使のインタビューが参考になるものだった。

https://courrier.jp/news/archives/425254/

「一般の中国人と中国共産党を一緒くたにして中国全体を敵に回すのは日本の国益にかないません。中国が日本にしたのと同じように、一般の中国人と中国共産党を意識的に区別し、後者に対しては感情論やナラティブに騙されることなく「攻める」アプローチをとるべきです。これが、対中国共産党における最も効果的なアプローチです。」

これは全くその通りだと思った。

「日本の外交には、戦略も戦略的思考もありません。起きた問題に対し「モグラたたき」のように対処し続けているだけで、国家目標に準じた対応ができていません。そもそも、国家目標そのものがありません。欧米の外交には当然ながら戦略的思考があり、中国共産党にも西洋的なものとは異なるものの、独自の戦略的思考があります。

日本には戦略も戦略的思考もないから、日米・日中関係に「友好」や「相互理解」などというウェットな理屈を当てはめ、米中から切り捨てられるのです。」

「日本において戦略的思考が育たない理由は、学校教育で政治や国際問題について主体的に考えることを「タブー」としてきたためです」

確かにこれは重要な話で、中国とどう付き合っていくかという民間レベルの話ではなく国家レベルの話としてそういう議論が教育的場面で行われてこなかったということが大きいだろうと思う。

垂さんが言っているように、中国が戦略的に「旧軍部・日本の支配層(高市さんなど)」と日本民間を分けて民間とはやれる、みたいに言ってるように、日本も「中国共産党及び支配層」と中国人民(日本で犯罪とかマナー違反とかしない普通の人達)と分けて「良い人たちとは仲良くできる」というナラティブを構築することが戦略的ということかなとは思う。

https://x.com/YSD0118/status/1999886469490770400

中国共産党の統治実績を評価することはもちろんできるのだが、それに取り込まれる必要はなくて暗黒面は暗黒面として指摘したらいいし、もちろん共感したり同情したりする必要もない、ということだと思う。

日本や台湾ではほぼ当たり前にできていることが中国では困難だというのは中国の事情であってそれを強権的な手段で実現していることはうまくやっているということもできるし批判することもできる。日本としては日本の利益が出る部分では改革を手伝えばいいしだからと言って深入りすることはあまり良くないことは、今回の事態のようにあっという間に扉を閉ざすという側面も持っているということから自明だろうと思う。

中国のナラティブに乗ることはなく、日本政府として独自のナラティブをちゃんと構築し、またその前に日中関係や国際関係において何を目指していくのかをちゃんと考えておく必要があるということだと垂大使の文章を読みながら思ったのだった。

なので、この辺のところも読んでおかなければとは思っている。

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https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h11155?ref=innerLink

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