アグネス・チャンが大人気/保守とリベラルの対立軸を考える

Posted at 25/11/16

11月16日(日)晴れ

昨日は仕事の後市内のホテルで母の九十の賀。子や孫が十数人集まりいろいろ話をしたりしてよかった。「私は誰でしょうクイズ」というのをやり、いろいろ質問の答えを聞いて誰の答えかを当てるのだが、「最初に好きになったアイドル」という質問に「アグネス・チャン」と答えた人が私を含めて三人いて、世代だなと大笑い。YouTubeにアクセスしてテレビに当時の動画を映して見たのだが、今10代の子も「かわいいね」というので「可愛いよ」と言っておいた。まあアイドル、という呼称が出だした走りの時期だなとは思ったのだが。

今朝はチェックアウト後、父の命日が近いので墓参りに行く予定なので、宿を抜け出して準備してがてらブログを更新している。

***

https://note.com/isariki0203/n/n4f4c90fb5c62

昨日読んだ記事で印象に残ったもの。

“社会的な安定に対して、正義の分断が怒るという考察と予言は、すでに幾人もの思想家、哲学者が述べている。
例えば、ルネ・ジラール『暴力と聖なるもの』では、安定した社会は模倣的欲望を生み内部で敵を作るとしている。
ハンナ・アーレント『全体主義の起源』では、安定社会で人々が「個の意味」を失うと、道徳的熱狂に救いを求めるとしている。
これらは、いずれも現在の保守とリベラルの分断と、その後の社会不安を予言するものである。”

現代では保守とリベラルの「正義の分断」が起きているという指摘で、保守は「安全や安定」を求め、リベラルは「善人であること」を求める、という指摘であり、これはなるほどと思うところはあるのだが、不安定な社会であれば安定を求めること自体が正義になるので保守とリベラルの分断は起こりにくいが、安定しているからこそ「より安全を求める」人たちが「保守」になり、「善人でありたい」という人たちがリベラルになる、という分断が起こる、という指摘である。

私は保守よりだから日本の現在の安定や繁栄などは「砂上の楼閣」であるという感じは持っているし、それを維持するための努力は必要だと思うけれども、とりあえずは安全であるからこそ、より理想を実現していくべきだ、という考えがあることもわからなくはない。

もちろん保守とリベラルの分裂の全てがこのことによって説明されるわけではないけれども、日本においては特に安全保障問題や治安問題が両者の分かれ目になっているので、そうした印象が強いということだろうアメリカなら「リベラルホーク」と呼ばれるリベラルなタカ派というものも存在するのだが。

日本の保守派は「文化の維持」というものにあまり拘らない傾向があるとか、リベラルは安全保障に対する考え方がお花畑すぎるとか、本来の、というか少なくとも諸外国の保守やリベラルのあり方とは違う面が結構あるのであまりこの「保守ーリベラル対立」の議論軸に囚われすぎな方がいいとは思うけれども、こうした考察はもっとされていいだろうなとは思った。

今日は時間がないのでこの辺で。

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