高市総理を推す「サナ活」ブームは十分理由のある現象である/「カッコウの許嫁」のキスシーンにみるこの物語の複雑性と「歴史」性/「地経学とは何か」と「教育安全保障」の必要性/晩秋の夜明け前

Posted at 25/11/05

11月5日(水)薄曇り

昨日の朝は車に乗ろうとしたらフロントガラスが凍結していて少し出るのに時間がかかったが、今朝は凍っていなかった。昨日の最低気温は1.2度で今朝は今のところ3.9度。昨日は多分放射冷却があってかなり寒かった。昨夜も帰りには結構寒さを感じたが、今朝はそれほどではなかったという感じ。ただ、今朝は4時過ぎに目が覚めたのだけど、寝床の中で少し寒く感じた気がする。布団の掛け方とかを少し変えたほうがいいのかもしれない。

5時半頃はまだ暗かったが少し用事があって駅に行ったのだが、ロータリーででかい声で喋る人たちがいて、その横を通ったら誰かと間違えられたらしく声をかけられそうになって、「違うわ」とか言ってスルーされたのだが、まあ夜明け前はまだそういう人たちがいる時間なのだよなと思ったり。職場でちょっと確認をしてそのまま少し離れたセブンまで行き、マガジンをパラパラっと見てサンデーとカフェラテを買う。レジには南アジア系の店員が二人いて後ろを向いて話をしているのですみませんと声をかけたらでかくて日本語がやたら流暢な人がテキパキと相手をしてくれたのだが、初めてみた人だったので少しびっくりした。他の店からの応援だったのだろうか。

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マガジンで読んだ「カッコウの許嫁」に凪とエリカのキスシーンが回想で出てきたので少しえっと思って帰ってから検索してみると「キスシーンまとめ」ができるくらいにはキスシーンがあるらしく、108-109話が回想された場面だったようなのでマガポケで単話買いして読んでみたのだが、そういえばあったような気もする、という感じだった。エリカは基本的に何を考えているのかわからないキャラなのでキスシーンの発動も何かのゴールというよりはある種のハプニングとして起こっているように読めたから、そんなに印象に残らなかったのだろうと思った。

https://pocket.shonenmagazine.com/title/01061/episode/345645

この作品は主人公の海野凪に取り違え子で許嫁の天野エリカ、元カノの瀬川ひろ、幼馴染で売れっ子芸能人の望月あい、とり違われたので血が繋がっていない妹の海野幸の4人とそれぞれやりとりがあるある種のハーレムものではあるのだが、エリカには血が繋がっていない兄の宗助、ひろには元許嫁の寿乃、幸には言い寄る男子がいたりと、それぞれライバル的な男子もいたりして、「君のことが大大大大大好きな100人の彼女」のようなストレートなハーレム物ではなく、また女子同士が仲良くして凪をはぶったりということもよく起こる。また彼らは一人一人自分の将来と向き合っているので、それとの関わりもあって関係も揺れ動くし、凪も彼女たちも一人一人に対してそれぞれ誠実に振る舞っているので、ある意味全体的にわかりにくい話なのだが、だからこそ常にどんなことが起こってもおかしくないという話になり、そうやって起こったこと自体が凪と彼女たちの歴史として刻まれていく、みたいなあまり読んだことがない話なのだよなと思う。

この作品は実は第一話からマガジンで読んでいるのだが単行本は買ってなくて、今はマガジン自体も買ってないのだけど気になる作品として時々マガポケで単話買いする感じになっている。以前はなんとなく読む作品だったのだが最近は結構気になってきてはいるのだが、今月に30巻が出るというのはすでに購入に躊躇するボリュームではあるなと思う。

ただそういう距離感なので今回のように読んでいても印象に残っていない場面とかがある。アニメの方は全部録画してあるのでそちらで見ることも出来る、というのはあるのだけど。さてさて。

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https://news.livedoor.com/article/detail/29888352/

若い女性の間に高市早苗総理に推しを見出そうというか、あやかろうというのか、高市さんの持っているバッグや使っているボールペンなどが大人気という状態になっているらしく、ネットでは「サナ活」と言われているのだという。

https://x.com/C4Dbeginner/status/1984289237819351070

電通などの広告代理店が仕掛けているのではないかという説もネットでは見るのだが、実際に中高生女子のあいだではこの言葉はバズっている、という話もある。

https://x.com/TNK_KNCH/status/1985330182895657040

実際のところ、高市総理は鮮やかな青いスーツで普通にカッコいいし、ふるまいが若々しいから、中高生女子が自分たちの味方だ、と感じるのはわかるなと思うし、憧れると思う。

トランプ大統領と横須賀の空母に飛んで、大歓声の中ぴょんぴょん飛び跳ねて見せるというのはアメリカ人にもウケるだろうけど、女子高生とかにとっても「スゲー」「やってみたい」と思わせているのではないだろうか。

高市総理は昨年からあと一歩のところまで来ながら総裁選で石破前総理に逆転負けし、文字通り雌伏しながらこの秋の総裁選で前評判をくつがえして当選し、鈴木貴子さんなど若手女性を抜擢したかと思ったら公明党が離反して苦労しながらなんとか維新と連立を取り付けて総理大臣になるなど、若い子から見てもすごいと思われるのは当然だろうと思う。

そしてこれまたかっこいい女性閣僚を起用したり、外交の舞台で活躍したりして見事に「やれるじゃないか」という印象を持たせ、「女性は要求ばかり」という印象を覆して静かなリーダーシップを取っているところは男女ともから見て普通にかっこいいだろうと思う。

また出てくるエピソードも夫の介護をしているのはともかく若い頃にドラムを叩いたりバイクに乗っていたりスープラに乗っていたりなど、かっこいい写真がどんどん出てくる。これで憧れる女子が出なかったらおかしいと思う感じである。

麻生元首相や小泉防衛大臣など、男性でもファッション的に優れていると見える存在はいるけれども、やはり女性の首相ということでファッションリーダー的なカリスマ性は女性に対する影響力は非常に強いだろうと思う。まだそういう試みはなされていないとは思うが、彼女が首相になったことによるファッションや小物などの経済効果はそれなりにあるのではないかと思う。

やはり女性から見ても要求ばかりして責任を取らない「わきまえない女たち=フェミニスト」よりも、わきまえた上でトップに立ち、リーダーとしてテキパキと男女の区別など意識の外にある感じで指示を出していく地に足のついたトップリーダーの方がカッコよく見えるのは当然なのではないかと思った。

高市さんが総裁・総理に就任する頃から、あるいはその前からフェミニストや左翼の足の引っ張り方は酷かったし、それもかなりがセクシズム絡みの醜悪なものであったのは彼らの評判をどんどん落としているし、彼らこそが実はガラスの天井の強固な一部だったと認識され始めている。

高市さんの最近の国会答弁などを見ていても、だんだん自信に満ち溢れてきているように思えるし、どんどん「いい顔」になってきているように思われる。やはり政治家というのはトップに立ってナンボ、というところはあるのだなと思うし、彼女が目標にしていたサッチャー元英首相のようなカリスマ性も徐々に身についてきているように思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/6498c463188fa604145ccdbfeb41e43e0385458a

まあそういうことを考えれば「サナ活」という現象が起こるのもなんらおかしくはないように思うし、それは電通の仕掛けかどうかはわからないけど、「ラブブ」のような作られたブームだけで終わる現象ではないように思う。彼女を見習って若い女性たちがどんどん政治の世界に進出してくると良いと思うし、それが蓮舫さんや伊東市長のような「わきまえない女」路線ではなく、高市路線で出てくると良いなと思っている。

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昨日は鈴木一人「地経学とは何か」(新潮選書、2025)の「はじめに」を読んだのだけど、経済のグローバル化が新しい段階に入り、経済を武器に使う「エコミックステイトクラフト」という現象が起きてきていて、単なる「国境を越えた経済活動の活発化」を目指す段階から地政学的な安全保障の観念と合わせて経済を考えていく「地経学」とも言われる分野が起こってきた、という話だった。

それと一見無関係に見えるかもしれないが、こういう話も読んだ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/84f0d414f449d0ef71ca85e650b2bd242ad3ae3f

https://x.com/smasuda/status/1985303800274731243

国立大学が減らされる傾向にあり、予算も減少しているということがあるわけだけど、これは中国が教育に力を入れて国力を伸ばしていこうというのと正反対の方向で、やはり懸念を感じるところはある。

経済と安全保障に関して「経済安全保障」という新しい観念を導入する必要がある、というのが地経学の一つのポイントなわけだが、これは経済だけに限る話ではなくて、「食糧安全保障」という視点も必要だし、上に述べたような観点から言えば「教育安全保障」というものもまた考えるべきなのではないかと思った。

今は教育は個人が利益を受けるもの、という視点が強くなりすぎているのと、マイノリティ重視のような運動家の考える望ましい国民性みたいなものを育成しようという姿勢が悪魔合体している感じになっているのだけど、より国益の観点からどういう教育が必要なのかを考えていく立場が出てくるべきだと思っている。

これは「産業界が必要としている人材」みたいな短絡的な視点だけではなくて、より世界観や国家観を持った個人を育てることが将来の国家的に有為な人材を育成することにもつながるという視点を、ある意味明治国家の教育の原点に立ち戻って見直す必要があるのだと思う。

戦後レジームの総決算などということが語られてきたが、現実にはまだまだ教育は戦後レジームの中にあるわけで、その辺のところをしっかり立て直していくことはこれからの急務だと思う。高市政権に期待したい部分でもある。

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「福音派」も読んではいるが、まだまとめて批評したり感想を書いたりするほどではないのでまた後ほど。

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