Xのおすすめの暴力性/「探究する価値のあるもの」を探究すれば、それはその探究の過程を含めて面白い/全ての人の人生が1回目であることと「人文学の役に立ち方」

Posted at 25/10/30

10月30日(木)晴れ

今朝の最低気温は2.3度、昨日に比べると暖かいのだが、8時50分の気温が5度で結構寒い。最高気温は16度の予想で昨日よりは暖かくなりそうだ。いずれにしても10月の終わりというのはこんな感じである気がする。

昨日は昼前に車で駐車場を払いに不動産屋さんへ行ったら留守だったので銀行まで走り、そこで通帳を三つ記帳して必要なお金をおろし、セブンへ行ってSuicaをチャージしてもう一度不動産屋さんに回ったらやはり留守だったので帰りかけたのだがそこでスーパーに行き忘れていたことに気付いて西友まで行き、卵とパンを買って帰って来た。お昼ご飯は前日の残りで済ませる。夜帰って来てからは夕食後少しテレビやネットを見て少しうたた寝してから寝た。Twitterの「おすすめ」に高市disばかり出て来て気分が悪いのだが、なぜそういうものをおすすめしてくるのかよくわからない。RTして反論するからなのだろうなとは思うのだが。

今朝は起きたら5時半。もう朝が暗くなる季節になってしまったので思ったより遅い、ということがよくあるようになってきた。寝床の中で考えていたことを少し紙に書き、少し片付けなどしてたらすぐ6時を過ぎたのでヤンジャンを買いに行こうと作業場まで行って軽に乗り、少し離れたセブンまで行ったがなぜかヤンジャンがない。入荷が遅れているのか売り切れたのか。仕方ないのでその近くのファミマに行ったら3冊あった。ヤンジャンだけ買って帰宅。そう言えばファミマではもうカードのTカードは使えないのだよなと思いつつ、ファミマアプリでポイントをつけた。

うちに帰ってきてヤンジャンを読んだが「キングダム」の展開が衝撃的。ちょっと動揺したが朝書いていた「考えたこと」の続きを少し書いたり。

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いろいろ最近考えて新しいnoteアカウントを作り、そこにも創作的なものを少し書いたりしているのだが、「自分のやりたいこと」というのは「表現」そのものではなくて、「探究」なのだなと思う。「探究する価値のあるもの」を探究すれば、それはその探究の過程を含めて面白い。自分のやりたいことは表現そのものではなくて、探究であるというのは、「発見の面白さ」を追求したい、ということなのだと思う。

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だから表現物でも新しい探究が感じられるものはすごく面白く感じるし、それは普段感じている「あるある」みたいなものでもなるほどそういうことはあるな、という発見があったら十分面白いわけである。「ふつうの軽音部」が面白いと思うのも、「そういうのってあるな」、という面白さもあるし、なるほどこういうことでも「そういうのってあるな」、と感じる人がいるんだ、ということ自体が面白かったりする。だからこの作品がコメント欄が百花繚乱なジャンププラスで連載されていることは私にとってもとても意味があって、自分が作品を楽しむだけでなくコメント欄にコメントする読者がどんなことを感じているのかということもすごく重要な要素だと思うわけである。

つまり、この作品を読むことで自分は自分の感受性の幅を広げられると感じているわけだし、自分がまだ理解できていない感じ方みたいなものもあってそれについて考えているうちになるほどそういうことかと思ったりするわけである。これは本編の展開の中でも時々ある、特に桃と舞伽の決別の場面などはいろいろなことを考えさせられた。またなんとなく私が読み飛ばしている場面で読者には結構刺さる人が多かったりするところもあり、そういう感受性について考えたりして、その考えるということ自体が探究であり、その過程が面白いし、理解できたらもっと面白いし楽しいわけである。

この作品でいえば出てくる音楽についてもほとんどは自分が知らない曲なので、聴いてみて「こんな曲があったのか、いいじゃん」と思うことが多い。そうやって21世紀の日本のポップス・ロックシーンを追体験していくという楽しみもあり、何重もの意味でこの「ふつうの軽音部」は発見がある作品であるわけである。

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そういうわけで自分もそういう発見のあるような作品を書きたいと思うのだけど、発見の前に探究があるわけで、その探究自体をどうやるかという探究みたいなものから始めている段階なので、この辺りはまたお店できるようになったら告知しようと思うし、ただ新しいアカウントのnoteでも鍵をかけているわけではないので探せば見つかるだろうとは思う。ただ今のところは、何をやろうとしているのかみていただいても訳がわからない、という感じであろうとは思うのだが。

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人文学では古典が重視されるけれども、理系の学問ではいくら古典だと言っても今更「プリンキピア」とか読む人は科学史研究者しかいないわけで、その違いはどこにあるか、みたいなことを考えていた。つまり、人文学が理系の学問と同じように成果の積み重ねでできているなら、古典などというものは全て人間の知見の中に入っているべきもので、今更研究しなおされたりしないだろうと思うわけだけれども、今になってもアリストテレスはしょっちゅう引用されるし、カントは新しい哲学の発想の源泉みたいになっているわけで、その辺りのところは理系のような積み上げは効かないところがあるわけである。

で、これはなぜなんだろうと考えてみると、人文系は「真理」を発見する過程そのものが問題であるからで、全ての人間の人生は1回目だから、古典をはじめとして今まで生きてきた全ての人の「発見の過程」に意味があり、その価値は色褪せない、ということだろう。

理系の学問では過程よりも「発見された成果」の方が重要であって、それを元に積み上げられて行った「成果の集積」の巨大体系が重要になるから、「古典そのもの」の価値は重視されなくなる。そうした古典が書かれたことで積み上げられた成果は、すでに現在の研究・探究活動の「当然の前提」になっている。「葬送のフリーレン」の最強の攻撃魔法・「ゾルトラーク」が「一般攻撃魔法」としてコモディティ化したようなものである。

新しい探究は今までの積み上げて来た成果の上の「巨人の肩の上」で行われているわけで、これは「漫画表現の技術」などでも同様だから、大友克洋さんや江口寿史さんが始めた当時は斬新だった表現が、今では「何がすごいのかわからない」ということになってしまう。科学の方はニュートンが現代に生きているわけではないからそんなに問題はないが、マンガ家は歴史的な存在が今でも健在だったりするからそこに微妙な軋轢が生まれたりする。江口寿史さんが始めた正面から見た鼻の描写などは普通に使われてそれが江口さんの収入につながることはないが、江口さんが以前から使っていた写真をもとにしたイラスト作成などは今日では著作権や肖像権問題を引き起こしたりするわけで、少し気の毒だなと思うところはある。

人文学において、特に小説や戯曲などの文芸作品において、人間に関する「全てのことはすでに語られている」という面はある、という主張には一定の理解はできるわけだが、そのあたりについての議論が先日更新された「Change the World」に書かれている。

https://manga-one.com/manga/3008/chapter/319522

「私たちが生まれて初めて遭遇する何もかもは、人間が何度も繰り返し遭遇して来たことでしかなくて、じゃあ私たちがものを作る意味ってあるのかなって」
「でも時代は変わってる」
「そう時代は変わってます」
「過去の人たちが残した普遍を、僕らなりの表現で塗り替える」

それをこの作品では「過去を引き連れて未来を変える」と表現しているわけである。「それが演劇で世界をぶん殴ること」なのだと。

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研究者は、研究という土俵に登ってから研究すればいいが、全ての人間は何もわからない赤ん坊から社会の中に投げ出されて知らない事ばかりの中でいろいろなことを体験し、何もわからないうちから行動していくわけで、全てのことがすでに普遍として書かれていたとしても、全ての書物を必要な時に読むことはできないし、雑多な情報の中で育っていくわけだから、過去の知見を全て踏まえて生きるなんてことはできないし、もしそれができたとしても理想的に生きられるとは限らないだろう。

全ての人の立場や考え方は皆微妙に異なっているから、人文的な生産物の何がその人に刺さるか、何がその人に必要なのかはわからない。出会いが全てだとも言える。そうした中での「発見」は、人類初めての発見かもしれないし、多くの人がすでに見出したものを再発見しているだけということがほとんどであるにしても、その人にとってその発見の意味が色褪せるわけではない。

大量生産品が意味がある場合もあるし、一点ものでなければ意味がない場合もある。人文的なものというのはそんなふうに一人一人の人生に絡んでいくものであるから、全ての人にとって意味があるようなものとして営まれ続けてほしいと思う。

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