高市早苗内閣の成立:参謀としての「総理大臣補佐官」への期待と「閣僚無報酬」方針への懸念/ボーンヘッド2連発

Posted at 25/10/22

10月22日(水)曇り

今朝の最低気温は7.6度。だいぶ秋も長けてきた。昨夜は寒くて職場でもストーブをつけた。今季は初めてだろうか。少し前は冷房を入れていたのに、本当に空きがなくなってきた感じである。

昨日は朝起きて携帯(ガラケーの方)を見たら電源が切れていて、入れ直したら銀行から何件か留守電があり、SMSを見るとその後も何度か着信があったようで、さて銀行でどうしたのかと思って通帳をいろいろ調べてみると、仕事関係のものはあったのだが自分個人の給料の入る通帳がないことに気づき、前日にATM操作をした時にどうも起き忘れたのだなと気づく。9時の営業開始時間に電話を入れることにして、ただちょうど松本の整体に出かける時間でもあり、また一昨日から庭師さんが入っていることもあってお茶の準備などもあったからちょっとバタバタして、車に乗ってから銀行に電話したらやはり通帳の置き忘れだったことがわかり、身分証と届印を持って帰ってから銀行に行くことになった。

松本の整体へは割合時間に余裕を持って到着し、見てもらうと頭の休憩が足りないことと食べ過ぎであることを指摘される。楽しんで体を動かした方がいいと言われたのでまあそれもそうだよなあと思った。最近なんだかんだでPCの前に座っている時間が長い。

近くのスーパーでお茶の用意などの買い物をし、昨日は高速でなく下道で帰った。高速は長野自動車道の起点の岡谷ジャンクションと岡谷インターの間の橋梁部でずっと工事をしているので、塩嶺トンネルから岡谷インターの間まで渋滞が延びていることが最近多いのでそうしてみたのだが、やはり高速を使うよりは早く帰れた感じだった。そのまま銀行に行って手続きをして通帳を返してもらい、やれやれと思って家に帰って午前中に出したお茶を片付けていたら、急須の中にお茶っ葉が入っていない。用意した時にお茶筒を出し忘れたのである。なんてこった。昼食をとっていたら庭師さんたちが帰ってきたので手を合わせて平謝り。ボーンヘッド2連発である。

午後は1時から衆参両院の総理大臣指名選挙を見ていた。衆院はなんとか1回目の投票で高市早苗さんが過半数を取り、ほぼこれで決まりだなと思ったが、参院の方は過半数に1票足りないという結果で決選投票に。結果は高市さんが2票上積みしてこれで104代総理大臣、女性として初めて高市さんが内閣総理大臣に就任することに決まった。

https://x.com/Sankeiphoto_TYO/status/1980646839046267152

皇居での天皇陛下による親任式や記者会見、閣僚の発表、認証式、記念撮影、各党への挨拶回りなど定例の行事をこなし、記者会見などは、ほとんどはテレビのニュースで見た感じだが、やはり歴史が動いた感がある、大きな出来事だったと思う。

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高市内閣が成立して、調べたり考えたりしたことを少し。

https://x.com/matusimamidori/status/1980657296851235259

当初は入閣が噂されていた松島みどり議員が内閣総理大臣補佐官に任命された。また入閣はしなかった維新からも遠藤敬国対委員長も補佐官に。遠藤氏は維新との連絡役というようなことのようだが、内閣としての役職を維新として受けたのは画期的なことだろう。またそういうことから言っても、補佐官というのはほぼ大臣に相当するような役職と言えるのだろうなと思う。

こうした役職は私が子供の頃、つまり中学の公民で内閣制度について学んだ頃などにはなかった役職だから少し調べてみた。

ほぼWikipediaの情報だが、内閣総理大臣補佐官は基本的に総理大臣の「スタッフ」であり、官房長官以下の「ライン」とは独立しているとのこと。つまり軍隊に例えれば補佐官は指揮官である首相の「参謀」ということになり、官房長官以下が「下位の指揮官」ということになるのだろう。つまり総司令官の下の各軍の軍団長ということになる。

こうしたスタッフの役職は日本の内閣制度にはもともとなかったが、逆に言えば本来ラインである各省の官僚がスタッフ的な役割もしてきたということだろう。ただ官僚には各省庁の利害もあるし必ずしも政治的な視点があるわけではないから、独立したスタッフが必要となったのだろう。

非自民連立政権成立の際に細川護煕内閣で田中秀征氏が特別補佐になったのが先駆けだといういうことなので、長く続いた自民党政権が途切れて新たに官僚との関係性が十分構築されてなかったこともそうした制度が始まった一つの理由なのだろうと思う。

その後は制度の充実が進み、1996年橋本龍太郎内閣で法制化(3人以内)され、2001年森善朗内閣で5人体制に、小泉純一郎内閣で担当業務が官報に掲載されるようになった。小泉内閣も官僚や党内の反対を押し切って様々な改革を行なっているから、各種の諮問会議と同様、そうしたスタッフの充実も進んだということなのだろう。

https://x.com/nagashima21/status/1980769700012601553

そして2014年安倍晋三内閣で国家安全保障会議が設置された際、補佐官のうちから国家安全保障を担当するものが指定されるようになったとのことで、高市内閣の担当補佐官は退役自衛官・元空将の尾上定正氏だとのこと。この地位に議員経験のない元自衛官がつくのは初めて(多分この担当に国会議員以外がつくのも初めて)だと思われるので、どのような活動をしていくのか注目したいところだと思う。

ラインとスタッフの対立というのは軍隊では起こりがちなことだし、第二次世界大戦でも参謀の無責任な作戦や指揮官の謎の行動などさまざまなことがあった。これは一般の企業などでも企画室と現場の対立といった形で常に起こることだろう。1990年代以降の日本政治史においてこれがそんなに大きく問題になったことはないのは、概ねは総理大臣と現場の対立という形になることが多かったからだろう。いずれにしてもそういう関係のバランスなどもしっかり取りながら頑張っていただきたいと思う。

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https://x.com/shino7878shino/status/1980637724173562312

もう一つ、これは懸念ということなのだけど、高市総理が前回の総裁選の時にも言っていた、総理大臣・閣僚報酬を受け取らないようにするという方針なのだが、これは基本的には私はよくないと思う。

これはおそらくは「政治と金」の問題に関する高市さんなりの考え方だと思うのだが、政治活動には金がかかるし大臣ともなれば尚更だろう。また政治家も1人の人間として生活もあるわけだから、仕事内容に見合った収入があるのは当然だし、それは議員報酬と同じで済むという考え方には納得できない。

もともと議員や政治家の報酬というものはイギリスなどでは無報酬であったわけで、つまりは貴族や事業家など十分に資産も収入もある人たちがノブレス・オブリージュとしてやっていたからそうなっていたわけである。しかし労働党が議会に進出して以来、彼らは政治家になったらそれまでの仕事を辞めねばならず、収入がなくなるから議員報酬というものが支給されるようになったという経緯があるわけで、日本においては例えば貴族院議員のうちの後続議員や公爵議員は終身議員でありかつ無報酬であった。

実際東京大学、特に法学部のような元々国家に有為な人材を育てるための大学でさえ、官僚は待遇が良くないとして志望が減っているの現状であり、人材確保のためにもある程度の報酬は必要であるように思われる。それは政治家や閣僚も同様であり、少なくとも正当な政治活動において活動に困難をきたすような報酬では良くない。

高市さんは一般家庭に育ち父親の退職金を注ぎ込ませてもらって選挙に出たという経験もあるわけで、逆にそういう経験からストイックになっている面もあるのかもしれないが、そうした部分は精神論だけでは済まないので、再考してもらいたいと思っている。


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