佐藤亜紀「小説のストラテジー」:「記述の律動」と「西洋古典鑑賞入門」/太宰治のコラージュ作品/連立工作の行方
Posted at 25/10/18
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10月18日(土)
昨日は朝セブンに行った時に「キングダム」を買い、帰ってきてブログを書いて、少し草刈りをし、作業場で少し本を整理して昼前に駅前のスーパーに出かけてATMで記帳したりお昼の買い物をしたりした。
いろいろ考えていて、どうも自分はフィクションを書くことに思ったより執着があるということがわかったから、「自分を取り戻す」というテーマを考えてフィクションというか文芸的文章表現に取り組んだ方がいいのかなということを巡っていろいろ考えている。今書いている政治とか様々なことについての論評的な文章に比べて、雲を掴むような感じがしてしまうので迷ってはいる。
ただ、「記述の律動」のようなことを考えるとそうした文章を書くのも「空想の世界に心を遊ばせる」みたいなこととはまた違うことだなとも思い、ある意味地に足がついた形でできるのかもしれないとも思う。考え方を整理して行きたい。
***
佐藤亜紀「小説のストラテジー」は一度途中までは読んだことがあるようなのだけど、その時の読書記録が残っていないのでその時に読んで何をどう思ったのかよく分からない。第4章のあたりにしおりを挟んであったのでその辺りまでは読んだのではないかとも思うが、今読み直してみても内容をほとんど覚えていないのでよく分からない。なぜこの本を手に取ったのかも分からない。いろいろ迷っていた時期であることは確かなので、その時の試行錯誤の一環だろうと思うのだけど。
今38/249ページのところを読んでいて、章としては第2章の途中である。第1章はマニエリスム時代の画家・ヴェロネーゼの「カナの結婚」という大作について、作品というものを深く鑑賞するのはどういうことか、それは描かれている「表面」をしっかり味わっていくことなのだ、というようなことが書かれていて、これはつまり読書人さんのnoteで取り上げられていた「記述の律動」こそが小説の鑑賞すべきところだ、という佐藤さんの考えを、言語を用いないより抽象的なレベルでの鑑賞の仕方の例として挙げているのだと思う。
https://note.com/nenkandokusyojin/n/n5f1e857643c8
作品を鑑賞し、評価することとは書き手と読み手の闘争である、というのが佐藤さんのテーゼの一つなのだけど、つまり読む側も主体的に読もうとして読まなければ立ち上がらないものがある、ということで、受け手も安易に受け取れば済む、というあり方を批判している。「エンタメとしての読み」というのも私はあるとは思うが、マンガなどでもそうだけど読みながら自然に良くも悪くも批判・評価していることも確かなので、そこら辺は主体的に読んでいることは確かだろうなと思う。
また、「審美的判断の不一致を客観性の欠如と解釈して有効性を否定する人もいます。だから問題にすべきはその作品が審美的にみて是か非かではなく、その思想性、イデオロギー性なのだ、という方向で論じられることもあります。この硬直ぶりにはみていてちょっと愉快なものがあります。おそらくは教室でしか瀬シェイクスピアを読んだことがない、レクチャー付きのシアターでしか絵画作品と向かい合ったことのない、純粋な教授の快楽を感じたことなぞ一度もない鑑賞者が飛びつきそうな意見です。」というのは舌鋒がかなり鋭くて、フェミニズムやポストコロニアリズムの物差しを当てて批判し文章を書いているだけだ、というのは極端な話Twitterなどでもよくあげつらわれている話でもある。
「書きつつある作品の、表現としての可能性を汲みつくそうという本能に書き手が忠実であれば、受け手の解釈も価値判断も多様化するだろう」というのがオスカー・ワイルドの「批評家の意見が一致しない時、作者は自分自身と一致している」という言葉を佐藤さんが解釈したものだが、良い作品というのは解釈が必然的に多様になるという、まあ私が考えれば当たり前だと思うことが書いてあるのだけど、「この作品の解釈の定説」であるとか、それ以外は認めない、みたいな言説はかなり多い。
面白かったのは、マリオ・ブラーツ「ムネモシュネ」の引用で19世紀末にプロが見ても見抜けなかったボッティチェルリの贋作が今では素人目に見てもボッティチェルリに見えないという話で、これはその時代の人たちが見ていたボッティチェルリを再現したからで、作品を見る目が時代の変化によって変わったためにボッティチェルリに見えなくなった、のだという。本物はいつまでも本物だが、本物に似せて描いたものはその時は受け入れられても時代の視差に耐えきれるものではない、というわけである。
これは逆に言えばその時代にはもてはやされた真作でも、時代が変われば見向きもされなくなることもあるということで、真贋そのものが理由ではなくて我々が時代を越えて持っている「ある原始的条件」が確実に作用しているからだろう、ある作品を別の視点から見ても得られる快楽は揺るがない、というものがあると言っていて、「それは私の信仰告白である」というようなことも言っている。
これは例えば「観察や観測、公理や論理によって導かれる科学的なものの見方」も裏がえしてみればある種の「原始的条件」だとも言えるようには思う。「それが科学的に正しい」というのも現代において最もオーソライズされているだけではなく、原始の人々にも納得される部分はあるだろうからである。
第二章は言語を用いた表現の例として、アイスキュロスの「アガメムノーン」の鑑賞について書いている。
「アイスキュロスのアガメムノーンは論の向こう側に想定されるような「確定済みの実体」(カッコは引用者)ではなく、読み手が、提示された広がりの前に立ち、ひとつひとつの語、ひとつひとつの記述と向かい合う時に感知されるであろう運動のことです。」
など、佐藤さんの論旨に沿った例としてこの演劇、あるいは戯曲が鑑賞されていて、まだ読みかけだが面白いなと思う。
佐藤さんはルーブル美術館の最大の絵画であるヴェロネーゼ「カナの婚礼」(ナポレオンがヴェネツィアのカテドラルから略奪した際、あまりに巨大なためにキャンバスを水平に切断し、丸めてパリに運搬したという。またイタリアからの返還要求に対して「巨大すぎて無理」という理由で返還に応じていないというが、ナチスにパリを占領された際には奪われることを避けて南仏に何度も運んでいるらしいのであまりに見え透いていておかしいが、イタリア軍がパリを占領するようなことがない限り返還は難しいのかもしれない)であるとかアイスキュロスの「アガメムノーン」であるとか、ヨーロッパの正統教養の中でもかなり上級だと思われる例を出してきて議論していることで、ある種の古典鑑賞案内にもなっていて、その点でも読み応えがある、という感じはする。生き残ってきた古典には当然ながら「力」があるわけで、その「力」と対峙することが鑑賞という行為である、というところに佐藤さんの論の説得性が出ているということなのだろうと思う。
***
「記述の律動」ということでいうと、普通は文体ということになると思うけれども、例えば太宰治の最初の創作集であり、芥川賞の候補にもなったという「晩年」(昭和13年)に収められた「葉」という作品がある。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/2288_33104.html
一読してわかると思うが、これは一つの作品としての脈絡はなく、様々な文章や詩句の断片をコラージュ的に一つの作品にまとめたものである。これは1984年に自分が参加していた芝居の戯曲に一節が引用されていたので初めて読んだ作品なのだが、これにはかなり衝撃を受けた。最初の作品集が「晩年」であり、その冒頭の作品の書き出しが「死のうと思っていた。」である。太宰という人はもちろんずっと「死」というテーマの周りを回っていた人だという感じがするわけだけど、そのあざといまでの演出に20代の自分はものも食らった感じはあった。そして文章を追っていっても簡単に言えば意味がわからない。もちろん繋がりがないから当然なのだが、読む方が勝手に繋がりを見出してしまうところが人間なのだろう。
述べられている話も印象に残るものが多く、「石が動いている」という話などは当時の自分の落ち込み具合をまざまざと思い出すような話でむしろ今では苦笑してしまうのだが、当時は割と深刻に受け止めた記憶がある。最後に「生活」という作品中作品というか詩があって、これも絶望というか諦念というかの表現が絶妙で、本当にある種の文学青年はここで呪縛されたんじゃないかなという感じはする。
今読んでみると、というか「記述の律動」という話で思い出したのはこの作品で、つまりこれは文脈自体が解体されているわけで、一段落一段落が別のものを指向しているわけである。それなのに何故かまとまりがあるのは、いわばすべてが太宰の文体、太宰の記述するノリみたいなもので統一されているからだろう。
こういう「記述の律動」というのは例えば映画でもそうで、映画でもよく「映画の文法」というものがあると言われるが、その用い方が特徴的な作家もいる。私が思い出したのはフェデリコ・フェリーニだが、「甘い生活」という作品では冒頭で巨大な製造をヘリで空輸する場面から始まり、いきなり鬼面人を驚かす感じがあって、作家を志しながらも日々のパパラッチとしての生活に流され、漠然とした不安を感じているのをラストに巨大な怪魚が海辺に打ち上げられる描写で終わっていて、もちろん一つ一つの要素も面白いのだが、(大体巨大な聖像を空輸するというイメージ自体が面白い)その見せ方、フィルムのつなぎ合わせ方、あざとさのトッピングみたいなものがフェリーニらしいと思わせ、ついみる方が嬉しくなる、つまり快楽を感じるということになる。
いろいろな素晴らしいイメージが浮かばないからフィクションは書けないな、と思っている人間にとっては、一見大したことないような日常的なものでも記述に律動を生めたら作品として成立する、というテーゼは、ある意味書く方も読む方も解放する部分があるのではないかと思うし、読書人さんの書評を読んでいたときはそういうものとしてこの言葉を読んでいたのだけど、佐藤さんの原著に戻ると「カナの婚礼」だとか「アガメムノーン」だとかめちゃくちゃ敷居が高そうな例ばかり引用しているのがおかしいというか、ある意味意地悪だなと思ったのだけど、まあそういうのがある種の読書人さんのいうところの「シャーデンフロイデ」である気もするし、まあ読む方参考にする方はある意味勝手に読めばいいだけの話なので、参考にするべきところはして古典の鑑賞のガイドみたいにも読めるなと思っていればいいのではないかと思った。
まだ書いてないことはあるがなんとなくまとまりが出たのでとりあえず今日はここまで。
***
連立工作の方は自民と維新が軸になることになりそうだが、維新が国会議員定数の削減を言っていて、もう少し国民生活に関わりのあることからやってもらいたいと思うのだけど、交渉内容は本当にはわからないのでこちらとしてはまずはちゃんと総理大臣を指名し、ちゃんと内閣を組んでもらいたいということしか言えない。
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