「牧野伸顕」:政治に携わる者の軍事知識不足は致命的/「バブルと氷河期就職難が壊したものを取り返す」/自民と維新が接近/体調と安眠/豊かさの感覚

Posted at 25/10/16

10月16日(木)曇り

昨日は午前中母を歯医者に連れて行き、いろいろ話したり。トイレに行きたいというので早めに施設に連れ帰った。いろいろ考えていたせいか自分の方の腹が下って朝から何度も手洗いに行ったのだが、昼前にはまあ落ち着いたかなと思ったので残っていたものを片付けないとと思ってまたビーフンを作ってみる。前日よりはうまく行ったという感じだが、結局腹一杯食べたので午後はずっと腹がもたれた感じになってしまった。まあ美味しかったのだけど。仕事は結構忙しくて、結構時間に追われる感じになった。

ただ、夜の時点ですでにかなり体力を使って疲れていたせいか、かなりよく眠れて、今朝は4時過ぎに起きたが割とスッキリした感じになっていて、こういう体力の使い方や安眠というのもあるのだなと思った。あんまり健康的とは言えないが、それだけ身体というものは柔軟だということでもあるのだろう。

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「自分を取り戻す」というテーマの中の一つとして、「豊かさの感覚を取り戻す」というテーマで考えていて、「ずっとやりたかったことをやりなさい」の6章を読み返していたのだが、ここで言ってるのは一つは「豊かさ」というものと「お金の有る無し」をとりあえず切り離すということ。「お金があれば豊かだ、無いから貧しい」というのはある種の疎外ではある、とは思うしそこはわかる。お金以外にも豊かさを感じられるものは、愛着のある家だとか風景、それに友人関係や手仕事その他いろいろあるだろうと思う。もちろん資本主義社会においてはそれらを支えるものとして一定のお金が必要だということはあるわけで、ただそれのみにこだわると涸れてしまう部分がある、というのはそうだと思う。

そのほかはまだまだまとまっていないので改めて。

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「牧野伸顕」の方は満洲事変以降のところを読んでいるが、なかなか情勢が厳しくなってくる中で牧野らいわゆる「側近勢力」が対処として後手後手に回っている大きな原因は、牧野自身に軍事的な知識、統帥面での考えなどがもともと欠けていた、ということが大きいな、ということを少し読むごとに痛感させられる。満洲事変の最初の時に西園寺は軍を止めろと言っていたが牧野らの判断も昭和天皇の判断も優柔不断になってしまい、「今回は仕方ないが次はしないように」みたいになってしまったのが大きな誤りだったと言えるだろうなと思った。本当に政治の中枢に関わるものに軍事的な知識が欠けるというのは大きな問題で、ある意味天皇自身に対してそういうリアルな軍事の教育が行われてこなかったことが「戦争の時代の始まり」に禍根を残したのだなと思うし、牧野自身も「役割分担意識」が強すぎて、自分は西園寺のような「元老」では無い以上、国事全般について天皇を輔弼するものでは無い、という意識になってしまっていたところも問題だったのだろうなと思う。

軍人・軍部の政治化の問題というのは近代国家には付き物の問題であるわけで、軍事的勝利というのは国民国家にとって何よりも華々しい成果であるから、ナポレオンのように全権を握ってしまうこともあるが、日本の場合は軍事と政治を分けすぎてしまい、軍事は政治に口を出さないが政治も軍事に口を出さない、となってしまって「シビリアン・コントロール」どころか「統帥権の独立」というそれ自体が政治的な動きを止められなくなってしまったわけで、「元老をなくす」ということの弊害が現実化したということも言えるだろう。

こうした政軍関係は日本国憲法下の現体制では割と解決されているとは思うし、自衛隊の最高指揮官は総理大臣であり、自衛隊自体を防衛省・防衛大臣が所管するというのは戦前の三長官制の反省に立つものと言えると思う。

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とりあえず高市新総裁のもとに一応固まった自民党と昨日の時点で一番接近しているのは維新のようで、連立になるかはともかく首班指名は見通しが見えてきた感がある。それに伴い国民民主党が離れている感じがあるのが気がかりだが、自民党としても勢力が衰えつつある維新よりは今が旬の国民民主党と組んだほうが利点は多いと思うのだけど、やはり立憲よりの連合という紐付きであることが難しさの理由なのかなと思う。ポピュリズム的な要素の強い維新よりは政策的な主張が合理的な国民民主党の方が政策本位を志向する高市さんにはあってると思うのだけど、不自然なまでに立憲が玉木さん首班を主張したのも国民を絶対に自民側に追いやらないという作戦もあったのだろうと思うし、そうなるとそれが功を奏したような感じもあり、残念感はある。

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少しネットでやりとりをして思ったのだが、日本人は基本的には今でも真面目で秩序を重んじる民族性を持っていることに変わりはなく、それが一方では現在のマイノリティ優遇批判につながっていたりもするけれども基本的には安定した社会が維持されていることにもつながっているのだと思うけれども、一方では公の学校教育が成り立ちにくくなるようなユルさも出てきているわけで、それは戦後長い間の変化がもたらしたものだとは思う。

日本人の今のメンタリティというのは高度経済成長によって確実に今日より明日の方が生活がしやすくなる、給料も増えるという状況の中で、自由にも生きられるけれども普通に生きていても十分人生は充実する、という安心感のようなものが形成されたことが大きいのだろうと思う。親と同じように頑張れば親のように、あるいは親以上に豊かに生きられる、と思えば頑張れるというのは大きいだろう。

70年台初めにドルショック・石油ショックで成長が止まっても日本は比較的傷が浅く、短い時期ながら「Japa as No.1」の時代があった。もちろんそれはアメリカが日本に市場を開いてくれていたからこそということはあったわけで、そこで貿易摩擦が起こったことについては「日本の経済の生命線はアメリカが握っている」ということにもっと早く気づくべきだったということはあるだろう。

それでも80年台の終わりまではそんなうわついた感じでもなかったが、90年前後のバブルの時代になるとまさに成金時代になり、一つの日本人の「たしなみ」的な意味での品が損なわれることになったのはちょっと大きな出来事だったのでは無いかと思う。そういうことがあったからバブル崩壊後の不況の時代には「清貧の時代」みたいなものが持て囃されたが、あれは本来は「日本人の品を取り戻そう」ということは意味があったと思うけれども「分不相応に豊かになったのがいけなかった」という方向に解釈されてしまったために経済がシュリンクし、そこにアメリカによる日本敵視政策=新自由主義政策が行われたこともあって「みんな一緒に貧しくなろう」とか「リストラクチャリング」みたいな掛け声が豊かさを求める日本人のメンタリティを縛り付けてしまったところがあったと思う。

しかしそれでも日本企業は人員を過剰に確保したまま低成長・デフレ路線に突入してしまったために、極端に新規採用を絞るという「就職氷河期」になってしまった。この時代にはどんなに努力しても就職ができないということである意味教育の根幹が揺るがされる事態になったわけで、総合力を持った総合職志向で上手くいく人は一握りになり、苦労して入った会社もいつまで持つかわからないという状態になったために、医師のような必ず儲かる専門職への指向が急激に強まった。この時代は日本人の「努力信仰」「勤勉信仰」を損なった面は大きいと思う。

アベノミクス以降は経済的にも回復してきているし、コロナ禍などの困難はあったものの第二次トランプ政権の成立によって本格的に新自由主義時代は終わったので日本はこれからがチャンスなのだと思うが、その牽引役として最も相応しいと思われる高市新総裁がなかなか総理大臣になれないという「左がかったガラスの天井」というのが日本の進路に今のところはかなり影を落としている感じがする。

ちゃんと働けばちゃんと生活でき、また老後もある程度はなんとかなる、というささやかなレベルを、ちゃんと勉強してちゃんと努力して大学に入り、就職した人たちにちゃんと与えるということが日本を日本で荒らせ続けるためにとても大事なことだと思う。

「バブルで失われた日本人の品」と「氷河期で失われた「ちゃんとすることの価値」」みたいなものを取り戻していくことがまずは今の日本の政治に求められることなのだと思う。

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