月の気配/温暖化と長野県移住/高市支持の国民世論とエスタブ層の保守嫌い/音楽家の階級上昇ダイナミズム/「牧野伸顕」:国権派の積極経済策と国際協調派の緊縮策/「自分を取り戻す」とは

Posted at 25/10/08

10月8日(水)

5時前に目が覚めて階段を降り、手洗いに行くと勝手口のすりガラスドアが明るく、なんだろうと思いながら手洗いの窓を開けて外を見たら、月が煌々と光っていた。全然忘れていたが、一昨日が中秋の名月で、今日は立ち待ち月ということになるが、昨日の夜からの月と考えれば十六夜の月の名残ということになる。外が明るいと誰かいるのかと思うが、そこに月があると何かしんとしたものを感じるわけで、月というのは確かに何か心を映すものなのだなと思う。心を伝えるのに月に仮託するのは、そこに「誰か」を感じるからかもしれないなと。

古歌を思い出してみても、桜に親しみを感じたり松を友と感じたり、あるいは月を心強く思ったりするものは多いわけで、日本人にとっては花や木や月にも、人に似た気配を感じるということではないかなと思ったり。

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新聞が届いていたのでざっと目を通す。一面は「移住」の件、長野県茅野市が移住相談の件数が増えているという話で、大都市圏からの移住先として関心が増えているのだという。長野県は以前から移住先として人気があるという話は知っていたが、記事を読むと近年相談が増えている理由としては「温暖化」が増えているのだという。

大都市圏は夏が暑すぎて夏場の生活が辛すぎる、という理由が多いのだそうで、確かにそういう話はよく聞く。近隣の高原の村でも夏場は涼しい村に住み、冬場は暖かい東京で過ごすという人が増えていて、人口は増えているのだが実質的なものではない、という話も聞いたりする。19世紀のイギリスの貴族たちの話、夏場はカントリーハウスで過ごし、冬場はロンドンの邸から社交界に出かける、みたいな話を思い出した。ある程度の豊かな人たちや高齢の引退した人たちにはそういう生活スタイルができるようになっているということかもしれない。

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昨日のニュースをいろいろ見ていると、公明党が高市政権との連立に難色を示しているとか、立憲民主党をはじめとする野党が高市政権と連立交渉が取り沙汰されている国民民主党の玉木代表を担ぎ上げて首班指名で野党で統一候補を出そうとする動きがあるとかの記事を読んだ。

高市政権の右派イメージが自民党内でもかなり忌避されたためにどう考えても未熟な小泉進次郎氏が担ぎ出されたことを考えると、我が国のエスタブリッシュメント層のかなりの部分が「右翼・保守」的なものに強い忌避感を持っているのだなということを改めて感じた。これは自民党内だけでなくネットを見ている限りではアカデミア層にも多いし、メディアはもちろんだが、そうしたメディアの論調が相まって野党側にも「ワンチャン行けるかも」みたいな雰囲気が、虚構だと思うが、出てきているのかもしれないと思う。

特に公明党に関しては、国会内で中国大使と面会するなど、外交的にきな臭いことが起こっている感じもする。公明党の党としての意向だけでなく、支持母体の創価学会の親中的な部分が動いている感じもあり、て話にトランプ政権に歓迎されている高市政権に対して親中派の動きと日本のエスタブ層の利害とがどのような反応をするのかなどは気になるところではある。

しかし全体的に、国民世論としては高市政権は歓迎されているし、高市さんは党内で「女性だから」選ばれたわけではないけれども、国民全体としては「初の女性総理」という期待感が非常に強いこともまた事実であり、そうした国民の期待とエスタブ層の利害が乖離しているということが改めて感じられる。

メディアの動向は、むしろそうしたものを反映していると考えるべきなのではないかという気がしてきているのだが、そう考えるとよくわからない「3度続けて選挙に負けて国民に見放された石破首相」がなぜか謎の粘りを見せたり、居座りを支持する人たちが一定層いたということもそういうことかと考えられるな、とも思う。特に経団連などは夫婦別姓だとかフェミニズムの主張を取り入れようとしていたし、中国に近い人も多い。また外国人労働者の導入に積極的なわけで、そうした人たちの利害が国民の望むことと乖離した形でメディアの動向に反映していると考えるのはそんなに無理はないのではないかという気はする。

そういう意味で、高市政権をしっかり樹立し支持していくことは「政治を国民のものに取り戻す」ということになるわけで、現実的にはいろいろと妥協する面もあるとは思うが、しっかり支持していきたいと思う。

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職場に用事をしに行くついでにサンデーを買いに行き、帰りに24時間の西友で少し買い物をして、職場で少し用事をして作業場に戻り、マンガを少し整理して車を軽に乗り換えて来た。

https://www.nhk.or.jp/radio/player/ondemand.html?p=NWYPY4N3WW_01_4275425&cid=jp-NWYPY4N3WW

その間、「古楽の楽しみ」を聞いていたが、今日の特集はフランスの作曲家・モンドンヴィル。この人はよく知らなかったが、ルイ15世より少し後に生まれ、ルイ15世より少し前に亡くなった人で、ほぼルイ15世時代の人と言っていい。ルイ15世は曽祖父のルイ14世が亡くなったとき祖父も父も亡くなっていたため5歳で即位しているので、ルイ15世は一生のほとんどを王として過ごした人だ。曲を聴いているとヴァイオリンの技巧をいろいろ研究した人という感じで、フランス18世紀を代表する音楽家の1人ということになるのだろう。アンシャンレジームのフランスの音楽についてはあまり知らないし、リュリやラモーなどを時々この番組で聞くくらいのものなので、新鮮な感じはあるがラモーとモーツァルトの間、というイメージもちょっと掴みにくい感じではあった。

Wikipediaを読むとナルボンヌ出身の没落貴族の子の彼はポンパドゥール夫人のパトロネージュを求めて上京、というかパリに出て、いくつか職を得、王の寝室で演奏して出世の緒を掴んだ、というのがモーツァルトの父が息子を連れてヨーロッパを演奏旅行して売り込みをかけた、みたいな話を思い出し、アンシャンレジーム時代の音楽家たちはそのようにして階級上昇のきっかけを掴んでいたのだなと社会のダイナミズムを感じたりした。

この時代の音楽家というのはバッハ一族のように宮廷音楽家の一族として生まれ一生その家業を続ける、みたいなイメージの方が強かったから、絶対王政時代のフランスというのはある意味チャンスに溢れていたということはあるんだろうなと思う。まあその文芸の共和国みたいなものに失望した作家志望の若者たちが革命家の供給源になった、ということもあるのではあるが。

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昨日は牧野伸顕関係の本を少し読んでいたが、昭和初期の宮廷において、田中義一の「天皇を利用する」ノリに反発していた昭和天皇や内大臣の牧野たちが西園寺の反対を押し切って田中を叱責したこと、またそれに変わった民政党の濱口内閣を評価していたものの金解禁政策で失敗し不況に落ち込み、内廷費を減額するなどの対応をしたもののロンドン海軍軍縮条約問題で政府の方針を支持していたけれども海軍艦隊派が大反対し、それを海軍出身の鈴木貫太郎侍従長が先走って艦隊派の加藤軍令部長の帷幄上奏を足止めして濱口首相の上奏を先にし、それを天皇が裁可したのだが、実際には関与していなかった牧野が帷幄上奏阻止の黒幕だと噂されるようになり、艦隊派・陸軍・右翼などに「牧野こそが君側の奸である」という認識が広まったのだという。

そしてこの件を政治利用した政友会が政府による軍部の編成権への介入は「統帥権干犯」であるという理屈を持ち出し、大きな政治問題になってしまったわけである。牧野は憲法を調査させて伊藤博文の意図を確認させ、基本的には国務、すなわち首相の権限の範囲内である、と解釈したようだが、こうした明治憲法の瑕疵のようなところがどんどん拡大されていく過程というのはある種明治憲法体制の崩壊でもありある種の再編成でもあったわけで、結局大日本帝国憲法がGHQによって廃止させられ戦後は悪玉のように扱われるようになってしまったのはこの時期の「憲法の変質(再編成)」みたいなところが大きかったと言えるだろうなと思った。

大きな流れとしては国際協調派の流れがこの時期には民政党側にあり、国権重視派が軍部を味方に引き込んだ政友会側にあったということが一つあったわけだけど、そういう政治的対立とは別に経済運営において明らかに憲政会若槻内閣・民政党濱口内閣は失敗していて、前者は金融恐慌を、後者は昭和恐慌をもたらしてしまい、結局その後を継いだ政友会内閣の田中・犬養両内閣で大蔵大臣を務めた高橋是清の金融緩和・インフレ政策により苦境を脱することになったわけで、城山三郎「男子の本懐」で描かれているような英雄的な行動も政治的にはともかく経済的には良くない方向に道をつけたわけだし、それを牧野ら宮廷側が支援しなかった経済音痴的な部分が戦争に至る筋道をつけてしまったところもあるようには思った。まあこの時点で彼らにケインズ的マクロ経済政策を理解しろという方が無理があるだろうとは思うのだが。

それにしても、自民党の高市新総裁も政治的には右派的な主張が強いが経済運営ではアベノミクスを後継する経済左派であることは確かで、日本というのは伝統的に政治的右派が左派的経済運営をする国なのかなという気はする。戦後復興から高度経済成長時代ももちろんそうだった。(福田赳夫元首相は緊縮政策だったが)この辺の歴史のアヤも興味深い。

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朝いろいろ考えていて、結局自分の課題は「自分を取り戻す」ことだなと思う。若い頃は散々「自分探し」をしたものだが、本当の自分というものは本当はずっと一貫して自分の中にあり、「自分探し」の過程の中で「自分の幅」を広げて行ってはいたと思うけれども、そうして広がった自分自身もいつの間にか色々なところに張り付けられて自分自身の形を見にくくしていたわけで、今の自分の中にあるものをどう大事にしていくか、ということが「自分を取り戻す」ということなのだろうと思う。この辺、またまとめてしっかり描きたい感じもあるので、今回はメモ程度で。

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