「ぼっち・ざ・ろっく」脚本家発言に対する批判とフェミニズムそのものに対する批判/外部から見たフェミニズム/笙野頼子さんの現在/「危険を感知する感覚」の育て方/「知性の構造」:日本人の議論嫌いと言霊
Posted at 25/09/17
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9月17日(水)晴れ
昨日は午前中にブログを書いていたら大体潰れてしまって、昼前に銀行に行ったり西友でお昼の買い物をしたり。
長押にフックをかけてそれにちょっと着ただけのシャツなどをかけておいたりしているわけだけど、それがついいくつもになって重くなり、鋳物製のフックが壊れる、と言うことが最近何度もあって、住環境も変わってきたしこう言う商品はもうないんじゃないかと何故か思い込んでいたのだけど、昨日「いや、百円ショップとかにあるんじゃないか?」と言うことを思いついて西友に入っているseriaで聞いてみたら、「なげしフック」と言う商品名で2個110円で売ってたので二組買った。実はこれについてはずっと困っていて、壊れたら終わりだと何故か思い込んでいたので、なーんだと言う感じである。こう言う思い込みは自分には結構あるので、忘れないように書いておきたい。
どうも最近疲れ気味で、朝も起きれないし夜も早く寝落ちしてしまうのだが、これは本を読んで頭を使っていることが大きいのだろうと思う。マンガを読む時間も減っててどこに置いたかわからなくなってる本が多くて困る。マンガはまだそんなに混乱は来してはいないが、書籍の方は本当にどこに行ったか「あったはず」と思って探してもなかなか出てこないのが多くて困る。
午後は少し会計のことをやって、時間のある時にネットを見たり牧野伸顕「松濤閑談」を読んだり。
https://x.com/KAI_YOU_ed/status/1967145440530641311
ネットでは「ぼっち・ざ・ろっく」の脚本家の記事が大炎上していて、いろいろな意見が出ていたが、「虎に翼」の脚本も書いた人らしく、その思想の偏り方や原作の表現を「ノイズ」と呼ぶなど作品に対する姿勢の傲慢さ、読者に対して安易に「加害」と言う言葉を使うなどの意識高い系特有の攻撃性などが批判されていたように思う。これはつまり例によって「制作サークル内での会話」や「意識高い系内部内での会話」みたいなものを不用意に一般大衆に晒したことによる叩かれ、炎上であるとは思ったが、構造的には歴史学者の方の内部サークルでの会話が表に出されて炎上した件と類似はしていると思った。
今回はフェミニストの側が叩かれる側になったと言うのが歴史学者の方のケースとは違うが、叩く側は状況が変われば叩かれる側になる、という因果応報という感じはあり、アメリカでもキャンセルカルチャーを仕掛けてきた左派の側が今回のチャーリー・カーク暗殺事件によって大規模に右派の側からキャンセルされているのと状況は似ている。まあ規模的には全くケチくさい規模ではあるが。
で、今回はいつもの状況と違うのは「性的搾取」とか「加害性」といったフェミニズム用語自体が批判・攻撃の対象になっているということが割と新しいというか面白いなと思い、逆に今まで表現の自由について熱心だった人でもフェミニズムの主張を一定「理解・受容」している人からは「それほど問題だろうか」という声が上がっているのも面白いと思った。
つまり、今回のケースは脚本家の傲慢さというものだけでなく、フェミニズムそのものが批判の対象になっているということなのだろうと思う。
そういうことからも、フェミニズムというものを批判するとき、内部的な文脈ではなくフェミニズム外部からの視点で批判するという言説があまり十分に行われてこなかったように思うのだけど、今後はその視点は重要になってくると思う。
フェミニズムも何期にもわたっていて構造的にも複雑になり、また様々な分派や時期による主張の違いみたいなものも出てきて、今では参政党支持に回るフェミニストも出てきているくらいだから一概には言えない部分も大きいわけだが、原則論的な部分で少し考えてみる。視点として重要なのは、「人間とはどういう存在であるか」という人間観の部分ではないかと思う。
一つのテーゼとして「人間は社会的存在である」という考えがあり、社会性において男女の置かれている状況に不公平なものがあり、その不公平さを回復する、というのがいわゆる「第一期フェミニズム」であったと考えて良いのではないか。婦人参政権や女性労働の拡大、女性が社会的に高い地位につくことの奨励、労働における賃金格差の是正、そのほか社会的権利の場面での「女性が不公平な地位に置かれていること」の是正が第一期フェミニズムの主張であったといって良いと思う。
また、もう一つのテーゼとして「人間は性的存在である」という考えがあり、性的自己実現の面において男女の置かれている状況に不公平なものがあり、それを回復する、というのが「第二期フェミニズム」であった、と言えるのではないかと思う。これは1968年革命と言われる世界的な「若者の反乱」の一環として起こってきたことで、「性と文化の革命」という形で、「性の解放」こそが正しい、ということで、近年になって高まってきたLGBTなど「人間は多様な性=ジェンダーを持つ」という主張ももともとはこの時代に萌芽を持つものだろうと思う。
これらの考え方の中でこうした男女の不公平さがもたらされた仕組みと考えられたのが「家制度」であり、「家父長制」であった。日本国憲法や戦後改訂された民法によってすでに戦前の「戸長」を中心とする家制度は解体され、「家族は夫婦とこども」を基本とする形で戸籍制度も改定されているので、この時点ですでに第一期フェミニズムの影響は日本にも入ってきていたということになる。
戦後はさらに家制度は実質的に解体に向かうが、これは産業の発達と資本主義制度、日本で言えば会社制度の発達の中で、生産の仕組みが「農家」「商家」「職人」「商家」「武士」「公家」といった「家単位」のものであったのが「家」から「個人」を引き抜いて雇用する「会社」に吸収されていくことで実質的にその生産そのものが解体・弱体化されていき、「家」の中でしか生きられなかった長い時代とは違い、「個人」で生きられるようになったという意識が人々に広がったからで、「家」というのは「伝統を守る」とか「心の拠り所」だとか「家業を守る」とかの面が強くなり、「家庭」で行われる生産的行為は「子育て」しかなくなった、ということは大きいだろう。基本的に「家」は「子育て」を除いて消費の場になったわけで、消費は必ずしも家族でやらなければならないことではないから、「家」が解体していくのはある意味必然だったのだろうと思う。
そして、前近代社会においては個人の「老後」や「障害や病苦の状況」を支えるのは「家」しかなかったから、「家の維持」は「人が生きるために最低限必要なこと」と意識されていたから、そのためにも「後継者」、つまり「子供」は「なくてはならない存在」だったわけである。その中で前近代は事故や病気など、「成長途中で死んでしまう危険」が大きかったから、「経済状況その他の条件が許す限り多くの子供を産む」のは合理的な行動だったわけである。
現代ではそうした条件そのものが変化しているので「子供を産んで育てる」ことの合理性や有益性はある意味減少している。「伝統を守る」ことや「家業を守る」ことなどの意識によって子供を産み育てることが半ば義務と感じられるケースでない限り、子供は「どうしても必要」なものだと意識されなくなったから、少子化が進むのはある程度は仕方がない面はあるだろう。もちろん国家単位で考えれば若者の減少は社会を維持することの困難を増加させるわけだから、子供を産み育てることは必要なことなのだけど、全体の合理性は個人の行動を左右するには経済学的に考えても動機としては弱いので、合成の誤謬のようなことが起こっているということなのだろう。
第三期以降のフェミニズムについては私自身は合理性があるようには感じていない、まあ一期と二期でも十分人間的自然を破壊した部分があるとは思うのだが、そういう意味でもうそろそろ進歩的な姿勢から考えても必要性がないのではないかと思っていて、先に述べたように今回のケースのように「フェミニズムそのものに対する批判・非難」が出てきたことは力強いものを感じている、ということを書いておきたいと思う。
***
https://x.com/y_kurihara/status/1957885740890857819
そう言えば笙野頼子さん、今どういう本を出しているのだろうと思ったらこういう本を出していた。
この本を出している鳥影社というのは諏訪市の国道20号線沿いにある出版社でよく前を通るのだが、自費出版なども扱っている会社で当然ながら大手とは言えない。かなり追い詰められた状況なのだろうなということはよくわかる。ちょっと義憤に駆られたので読んでみようと思って紙の本の方をポチった。思想はともかく(先に書いたように私はフェミニズムに批判的なので)面白い作家さんだと思うのだが。
いや本ばかり読んだり買ったりしているな・・・
***
https://www.facebook.com/photo/?fbid=2435598500162599&set=pcb.1795936900878767
昔の写真で、昭和の子どもたちが遊んでいる遊具がどれだけ危険だったか、みたいなことをいっているチートがあったのでその写真を探してみたのだが、多分これだったと思う。
私自身はこういう高いところに上る遊具は大好きだったので、「危険だから」という理由でこういう遊具を無くしてしまったのはかなり残念だし、子どものためにもならないと思っている。
今のこういう遊具は事故が起こった時に管理者の責任にならないように撤去されてしまっているが、私の子供の頃は落ちたら自分の責任であって、管理者の責任を問うようなことはなかったと思う。それ以前に落ちたりする子供はまずいなかったわけだが。
子どもというものは高いところが好きで、それは子供が背が低いからだと思うのだが、大人より高いところから大人を見下ろすというのは爽快感があるものである。
木登りなどもそうだが、実際には無意識のうちに子どもは自分の安全を確かめながら登っていく。物語などで登ってしまったが降りられなくなった、とこ猫みたいな描写がよくあるが、ああいうのは子供の風上にも置けないのであって、これ以上は無理と判断したら変に意地になってしまった場合などを除いて無理にそれ以上登ることはない。
実際のところ、高いから危険なのではなく、足元が危ないとか、木が折れやすいとか、滑るとか、安全が確認できないところは危ないのである。そして高いところが好きな子どもは一度や二度はそこから落ちている。
私も何度も高いところから落ちたし、穴に落ちて腕を骨折したこともある。だからと言って高いところに二度と登らないかと言えばそんなことはなく、今度は「落ちないように」登るだけなのである。その中でどうやったら安全か、どういうつかまり方なら効率よく登れるか、どういう姿勢ならたっても大丈夫か、などを自然に学んでいくわけである。
制御安全と絶対安全という言葉があるが、例えば原発などでは絶対的に安全にしないといけないと考えるなら原発を止めるしかなくなる(動かさなければ絶対に安全である)が、「よほどのことが起こらない限り制御されているから大丈夫」と考えるのが制御安全である。つまり、詳しくない人から見たら危険に見えるけれども、当人は制御されているから大丈夫だ、と考えている状態が制御安全である。木に登っている子供が自分は大丈夫だと感じているのはそういう状態だろう。
もちろん震度7の地震が来たときに木の上の不安定な場所で動いている状態だったらこれは危ないわけだが、それなら地上にいても危ないわけだ。人間はいろいろな仕事をしていく上で、「ここは少し危険だが大丈夫だろう」とある程度の危険を勘案した上でその仕事に取り組む場合がある。特に起業家などは「絶対安全」を狙っていては起業自体が無理だろう。リスクを考えてそれを承知の上でどれだけ安全にそれを実行するかが問題なのであって、この「リスクを感情的でなく客観的に捉えて対処する」というようなセンスは、もともと「どうやって木の上で安全に動くか」みたいなリスクの管理を子供の頃から感覚的に理解しているかどうかでかなり違ってくるのではないかと思う。
木の上でもそうだが、危険なのは安全性の評価を間違った時と、恐怖に駆られた時、つまり客観的な自己認識が失われてまだ起こってもいない事態に感情的に囚われてしまうことな訳である。
子供の頃は何度も命の危険を感じたことがあったが、一番怖かったのは海に行ったときに少し深めのところから浮き輪をしたまま飛び込んだ時である。浮き輪でリスク管理をするつもりだったら、つるっと滑って浮き輪がどこかへ行ってしまった。そのあとは必死である。とにかく死に物狂いで浜の方に泳いでいたら、いつの間にか砂地に腹がついて、「助かった!」と思った。周りの人は誰も気がついていなかったのでほとんど一人相撲なのだが、まあそのように子供の知恵だと危ないことは多々あるが、危険に対する原初的な感覚というのは結局は危険に直面しないとつかないのだと思う。
いろいろ考えると令和の今では難しいことは多いだろうとは思うが、子どもの感覚を鍛えるということは割と重要なことだといろいろ見るにつけ思うことではある。守るという意識ばかりでは今後の世界がどう変わっていくかもわからない中では、子どものためにはならないのではないかと思う。
***
西部邁「知性の構造」第1章は「日本人はこと上げしない」、つまり言葉による議論を避ける傾向がある、ということから話を始め、「もっと議論をし、真理への仮説的探究に取り組んでいこう」という話になって、そのために「人はどのように真理から逃れようとするか」という話に持っていき、その方法が実は真理に迫る方法のヒントになっている、という論理展開は面白いと思った。
もう一つの日本人が議論を避ける傾向の理由は、真理は言葉によって表現され得ないから言葉にするのは無駄だ、という感覚があるからで、それは逆に言葉に真理が宿る、「言霊」があってそれには「真理に関する仮説」ではなく「真理自体を述べた真説」があるという感覚があり、それに対する没入を避けるために言葉を避けるという構造になっているということで、これも面白いなと思った。
この辺はなんというか「陰陽師」に出てきたような感覚で「諱」つまり「本当の名」を呼ばないという感覚と近いものがあるような感じがした。
その辺りのところをもう少し詳しく書こうと思ったが、今朝は時間がないのでまた改めて書きたい。
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