サントリーは「新自由主義的利益」より「ノレン」を守った/総理大臣に「自分らしさ(石破らしさ)」は必要なのか

Posted at 25/09/03

9月3日(水)晴れ

昨日もそうだったが、今朝も朝は割と涼しく感じるのだけど、気温はまだ高く今日の最低気温は22.1度。8月中はこの気温ならいられないくらいの暑さだったのだが、昨日も今朝も凌ぎやすいのは、おそらくは湿度が下がっているからなのだと思う。ということは逆に言えば気がつかないうちに乾燥しているということなので、水を飲むことに注意すべきなのはむしろこれからかもしれない。

今日は午前中出かけるので短めに。

昨日のニュース、印象に残ったものは二つあった。

https://www.sankei.com/article/20250902-ARFIK5HGUNPIRAULJGD267LVHY/


サントリーの新浪会長が大麻疑惑で事実上解任されたとのニュース。財界トップにあるまじき疑惑だというのは驚きだが、代表的な「新自由主義的経営者」であった新浪氏の疑惑としてはむしろなるほどな、という感じではある。つまりはアメリカ等に蔓延している薬物汚染はある意味新自由主義と親和性があったように思うので、その日本のトップの1人がそれに関わりがあったかもしれないというのは納得感はないわけではない。

そして「疑惑」の段階での経営の最高責任者の更迭というのは、BtoC、つまり消費者相手の企業であり、またより強い力を持つ創業家が存在する同族企業のサントリーならでは、ということではあるだろう。酒造メーカーの代表が薬物疑惑ではシャレにならない。彼らは結局、彼を経営者にしておくことの利益よりも、自らの「ノレン」を守ることを優先したわけである。

トランプ政権による経済の激震は続いているが、彼のやっていることは一言で言えば「新自由主義を終わらせる」ことであり、アメリカ以外の国々でもそうした動きはそれなりに強い。サントリーもまた、「新自由主義的利益拡大策」の魅力より「ノレンといういわば前近代的な価値」を守る方向にシフトしたのだと考えられる。そういう意味で、新自由主義の終焉を告げる出来事の一つだったのではないかと思う。

今後は、新自由主義に先導されてきた多文化主義や多様性重視思想などがさらに後退し、伝統的諸価値の復活がまた起こってくる(それだけではないだろうが)ことが考えられるから、より大きな変化の一環として今回の事態も受け止めた方がいいだろうと思う。

もう一つは石破首相の「参院選の総括」についての自民党両院議員総会での演説である。

https://www.sankei.com/article/20250902-G5KEYUOKABGTXNUXESHGA66HDQ/

この演説の中で、一番目を引いたように思われたのが下の一節である。

「ある意味で『石破らしさ』というものを失ってしまったということだと思っております。それは、法律案や予算案を成立させるために、それは本当に現場の方々に大変なご努力をいただいた。でもそれが、何をやりたいのかわからないと。そういうような厳しいご批判になり、多くの同志を失うことになりました。私自身、常に常に悩んでまいりました。」

「個性」重視の掛け声は教育界においていまだに強いけれども、さて総理大臣にとっての「石破らしさ」、「自分らしさ」とは一体なんだろうか。

政治というものは、一国の状況に鑑み、その抱える問題、なかんずく国民に広く影響を与える経済問題や安全保障問題、治安問題などの解決に尽力するのがその役割だろう。経済運営がうまく行った政権は支持・評価され、うまくいかなかった政権は独自色を発揮する前に沈没するのが普通である。

その経済問題において、石破内閣は失態を繰り返している。昨年の衆院選から今年の参院選にかけて、躍進した政党を考えてみればわかるのだが、最も支持を獲得した政党のひとつ、国民民主党の主張は「現役世代の手取りを増やす」ことであった。しかしそれを財務官僚べったりの党内人事を行なったために十分な成果をあげられず、自民党の経済運営に期待していた若い世代の多くが国民民主党支持に回った。

一方で、治安問題や文化問題、それが外国人問題と結び付けられているわけだけれども、それにおいても有効な施策を打ち出せず、みすみす参政党多くの議席を奪われた。特に30代以下の若い世代、つまり今後の日本を担う世代の自民党離れは目を覆うべきものがあり、自民党執行部は世論調査で内閣支持が高いことを続投の縁にしているけれども、若い世代を見たらそんな悠長なことは言っていられないことは明白だろう。

政治において「自分らしさ」というのは、十分な議席を確保し、また政治的に安定的な支持を取り付けるための経済運営をそれなりに軌道に乗せてから独自色を加えていくべきもので、少数与党に転落したのに「自分のやりたいことをやる」というようなものではない。

あるいはトランプのように立候補の段階から「こういうことをやる」ということを強く打ち出した上でその政策を実行していくなら説得力もあるが、石破首相はそういうことも十分に打ちたせていたとは言えないだろう。それは議院内閣制の日本と大統領制のアメリカの根本的な相違に基づくものでもあるのだが、「アベノミクス」を唱えて大勝利を収め、憲政史上最長の在任期間を実現した安倍首相を「ライバル視」している石破首相は、安倍さんと同程度のことをやらない限り評価は難しい。それができないのに安倍政権を批判してきたのだとしたら、文字通りの口だけ番長である。

いずれにしても今の石破政権に評価できる要素は乏しいため、経済運営の安定のためにも速やかに次の政権を成立させることが望まれる。選挙に負けて責任を取らない首相は周囲から責任を取らされる、という憲政のルールを遵守した形で前例を作ることは必要だということもあるが、新自由主義時代からの転換点にある世界の中で、日本をどうするかのビジョンが見えてくるリーダーが次の首相になるべきだろうとは思う。

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