夏の終わりのセミ/中国外交の劣化と危険化は大国化のもたらした弊害か/日本の祖先崇拝と参政党の「魅力」/欧米白人の差別意識の冷たさの意味
Posted at 25/08/30
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8月30日(土)晴れ
8月ももう終わろうとしている、というのは本当に早いなと思う。まだまだ暑い。今朝も5時半ごろから草刈機による草刈りの音が聞こえてきて、ちょっと参ったなと思ったが、隣町のアプリ10円引きのスタンドまで走ってガソリンを入れ、丘の上のデイリーで塩パンを買って、職場に戻って少し準備をし、実家に帰ってきたらまだ草刈りをやっていた。一度外の音が遮断できるように障子や襖を閉めて回ったが、基本的に開放的な作りの昭和40年代の建築なので、外の音を遮断するのは限界がある。
やがて音も止んだのでやれやれと思ってサッシを開けて網戸にし、下座敷の庭側からも上座敷の庭側からもステレオ放送で蝉の鳴き声が聞こえる中でこの文章を書いている。
昨日は午前中に母を連れて金融機関で手続き。母の名義のものをいじるのに、他のところだと委任状だとか電話確認で済ませてもらえてきたのだが、ここは連れてこないとダメだということだったのでなるべく短時間にしてくださいと事前に頼みに行っておいてやったのだが、思ったより簡単に済んでよかった。その後病院に連れて行き、病院が混んでいて帰りが遅くなったが、母もああいう場に出るのは久しぶりだし、「この人に全部任せてます」で押し切ろうとしていたが、窓口の人が言う言葉をそのまま母に伝えて(耳が悪いので)わかりました、とうなずくというパターンで乗り切った感じだった。いろいろ段取りを考えていたので一昨日の夜はあまり眠れなかったため、用事を済まして帰宅してからどっと疲れが出た。
***
https://x.com/mascarchinpone/status/1961287168372228301
元駐中国大使の垂秀夫さんの書いた記事をTwitterの引用で読んだ。基本的には「中国の対日工作の質が劣化している」という主張である。
その意図するところは、「日本人に中国に親しみを感じさせる」対日工作が良い工作であり、「失望させたり懸念を感じさせたりする」のは良くない工作だ、と言う趣旨なわけだが、1980年には80%近くの日本人が「親しみを感じる」としていたのに2024年には15%弱に低下しているわけだから、「対日工作の質が低下している」と言うのはもっともである。
これは何に起因しているかというと、以前から第二次世界大戦における日中戦争において、「日本軍は残虐な行為をした」と言うプロパガンダは行われていたのだが、それでも南京事件の記念館の最後には「日中友好」の展示があり、「あれは一部の軍国主義者がやったことで今の日本人は違う」と熱心に教師が日中友好を説くということをやっていたというわけである。
「一部の軍国主義者(悪)」と「今の日本人(善)」を区別して前者は攻撃するが後者とは仲良くする、みたいな考え方を「区分論」としているわけだが、特に戦争に贖罪意識を持っていた70−80年代の日本人たちに対し、いわば蒋介石的な「徳を持って怨みに報ず」みたいな主張と重なって、感激して中国を支持し親近感を持った日本人が多かったわけで、だからこその80%近い「親近感」だったわけである。
現在の中国では、「日本は全て悪い」式の教育が行われ、それが「日本人学校でスパイを養成している」というようなデマに繋がり、日本人学校の生徒や保護者が襲われるような事態が起こっているのだという。この辺りの転換は明確に江沢民政権だったと思うが、天安門事件などの政府批判に対して日本をスケープゴートにすることで不満を抑えるという戦術をとってきたことが起源だろう。今の習近平政権でも特に経済的な行き詰まりやトランプ政権との関税戦争のフラストレーションが、日本人を非難することでガス抜きにする、スケープゴート戦術になっているのだろうと思う。
垂大使のコラムは「中国駐在は単身に限り、家族は早く帰国するように呼びかけるべき」という言葉で結ばれており、元大使という人がここまでいうというのはかなり危機的な状況だと思った。
しかし問題はそれだけにとどまらないわけで、今日本に入ってきている「日本人を軽蔑し敵視する若い中国人」たちの入国や帰化申請もストップさせないと危ないだろう。
しかしこれも政策レベルのことで言えば、習近平政権が行き詰まって人民の不満の矛先を日本に向けさせるという江沢民レベルの拙劣なやり方に再帰したということだということになるわけで、垂大使のこの記事の指摘は正しいと思う。パンダなどいくらでも貸し出せばいいのにそれを回収するということは日本人のパンダ愛と中国人に対するアンビバレントな感情がよくわかっていないわけで、アメリカの自動車メーカーがいつまで経っても日本で受ける自動車を売れないのと同じような「大国病」に中国もかかっているのだろうなという気はする。日本が第二次世界大戦への道を歩み出したのも生き残るのに必死だった元老たちの時代の後に「大国」となった日本で育った人たちが引き起こした面が強いわけで、この辺りは警戒すべきところはあるだろうと思う。
***
日本と欧米との違い、祖霊信仰(祖先祭祀)と貴族的血統主義について、少し考えた。
https://x.com/YamaguchiH4/status/1961464687281029365
欧米はキリスト教の社会で、基本的には信仰や救済は個人の問題になっている。しかし日本人はそう考えてこなかった、という話について少し考えた。
https://x.com/mamiananeko/status/1961467093418983631
「祖霊信仰…の一つではあるが、日本の場合「ご先祖様」は幾通りにも変形するし…。盆と正月は祖霊信仰の祭りだしなあ。」
日本の仏教は葬式仏教という揶揄もあるけれども、つまりは先祖祭祀が仏教的に行われるのが一般ということになっているわけで、これはもちろん神道式にやる人たちもいる。先に述べたようにキリスト教などの一神教は基本的に祖先崇拝を否定するから、そこにおいて日本の風土とキリスト教の相性は悪いということは言えるだろう。
ただ、同じように儒教に基づく祖先崇拝の観念が非常に強い韓国でキリスト教があのように爆発的に広がった理由はそれでは説明できないし、台湾の李登輝元総統もクリスチャンであったように、東アジアにおいても戦後も困難が続いた韓国や台湾においては伝統的な祖先崇拝だけでは自分自身が救われないと感じた人たちが多かったのだろうと思う。
日本の場合は基本的に自分たちの意思でアメリカと戦ったわけであり、戦後の困難は「韓国や台湾ほどではなかった」というのはまた事実だろう。明治にキリスト教徒になった人たちは元賊軍藩に仕えた武士たちが多かったわけで、彼らもまたそうした実存的な必要性からキリスト教に帰依したのだろうと思う。
戦国時代にイエズス会が日本で布教を行なった際、「デウスを信仰したら天国に行けるというがご先祖さまはどうか」と尋ね、「先祖は地獄から出られません」と答えられて「それなら先祖と一緒に地獄に行ったほうがいい」と言う人が多く、キリスト教があまり広がらなかった、という話は以前から聞いたことがあった。
それを考えると戦国時代にはそういう祖先崇拝的な観念はそれなりにあったのだろうと思うが、その実態はまだ私自身ちゃんと調べてないので良くわからない。
ただ最近いろいろ読んでいて知ったのだが、垂加神道では「人は死後どうなるか」という問いに対し、天照大神をはじめとする神々の末席に加わって天皇陛下の弥栄を護持する」という栄誉が与えらえる、という考えが出てきて、それが「神道」的な救済論になっているということを知った。
つまりは、「人は死んだ後でも子供や孫たちを守る」という祖先に対する崇拝・逆に言えば死後の自分の魂のありかについての救済の概念があったからこそ、個人や家族レベルだけでなく天皇陛下を、それを通じて日本の国を護る、という思想に発展したということなのかなとも思った。
靖国神社や護国神社に祀られている英霊たちも、もちろん天皇陛下と日本を護持するために戦ったとも言えるけれども、それだけでなく自分の家族や子供達のために戦ったわけであり、だからこそ「英霊」として祀られている部分はあるわけである。「死んだ後も靖国に行けば会える」「お互い戦死したら靖国で会おう」というのは比喩ではないわけである。
垂加神道の話に戻ると、日本の場合は、先祖と言ってもいろいろな資料から自分の先祖が戦国時代以前にまで辿れる人はそう多くないと思う。武士の家系ならある程度は辿れると思うが、途中で平氏だったはずなのに藤原氏になってたりとか、実際にはいろいろある。私の家の場合も、お墓にある最も古い墓碑の年号は享保なので、遡れるのは18世紀までである。最も私の先祖は5代前に近くの散居武士の家から養子に入って相続しているようなので、そちらは辿る気になったらもっとたどれるかもしれない。
戦国時代に解体した荘園制にルーツを持つ郷村と、江戸時代の最初にそれらを村切りしてできた近世農村(現在では小字になっていることが多い)を考えると、近世農村の時代からは同じ場所に定住し続ける家系が多いと思うのだが、農村の生産力が人口を確実に養えるようになる以前は農民でも普通に移住は多かったはずである。この辺りは「荘園」という本を読んで知ったことである。
祖先崇拝というのもちゃんと勉強しなおさないといけないなとこれを書きながら思ったのだが、祖先崇拝の拠り所が確立されたのは江戸時代の氏神ー氏子の関係、これは地縁的な部分が多いはず。また菩提寺ー檀家の関係。特に江戸初期に宗門改が始まって以降は寺院に人別=事実上の戸籍が残っているから、この辺りまではまだ辿れる。現在は差別戒名の問題などあり、古い過去帳を見せなくなっているとは思うけれども。
だから戦国ー織豊時代以前の、武士や公家や社家のような特別の家でない農民や庶民はそれ以前にルーツを辿るのが難しいことが多いわけだけど、そういう意味で、氏神・檀家制が成立する以前の祖先祭祀については文献にあたるしかないのだろうとは思うが、まだ調べられていない。おそらく、墓碑を立てるような墓の形態が確立してくるのも江戸時代になってからだろう。埋めるための墓とお参りするための墓、という話や土葬から火葬への移行など、地域によって大きな差異がありそうだし、うちの場合は山の中腹に広がる集落の共同墓地(つまり管理者がその家自身)で、隣に明治最初までうちの菩提寺だった寺があるので、元々は埋める場所だったのかもしれないし、その寺の管理地だったのかもしれない。この辺りはよくわからない。江戸時代のこともよくわからないのだからその前のことは家単位で調べていくのは限界があり、文献等で研究していくしかないだろうと思う。
ところで、参政党が魅力的に感じられる部分というのは、こういう日本人の、いわば「民俗学的な考察の対象になるような意識」の部分を、そのまま「政治の根幹」にすると言っている部分なのだよなと思う。
特に、最近は「墓じまい」などという言葉が語られるようになり、葬儀は簡素化・形式化し、法事もろくに営まれないようになり、そうした形での祖先祭祀がなかなか続けられなくなっている現状があるし、また子供たちに「ご先祖さま」の意義が理解されなくなっている現在において、そのことを残念に思っている人たちにとっては、参政党の主張はかなり救いになると思う。
また、逆に参政党の主張からその意義を再発見する若い人も出てきているのではないかと思った。
参政党の歴史観はいろいろと批判されることが多いが、問題はそこではなくて「過去とつながり、未来とつながる」日本人の歴史意識の問題なのであり、「参政党やその支持者にとっての歴史」は「教科書や参考書で勉強する客観的なもの」というよりは、自分がいて、父母祖父母がいて、自分がいて、子供たち孫たちがいる、というようなより具体的な身体性のあるものなのだと思う。
代表の神谷さんは新右翼的な活動をしてきた経験もある人のようだから、「サムライ的な日本」という方向に少しバイアスはかかってはいるが、日本人はサムライだけではなく百姓もいたわけで、百姓の子孫にとってもその主張は十分魅力がある。
そういう意味でも、「自分が生まれる前からの日本を受け継ぎ」、「自分が死んだ後の日本をより豊かなものとして残す」という意識をはっきりイデオロギー的に主張している政党は参政党しかない。自民党の議員たちの個人的にはそういう人たちもいるけれども、そこを主義主張として取り上げたところに自分たちのアイデンティティが明瞭でなくなってきていると感じている多くの日本人に響くところがあったのだろうと思う。
参政党に賛成・支持するにしても、反対・攻撃するにしても、その辺りのところはおさえておいたほうが良いようには思った。
そうそう、最初に書いたヨーロッパの貴族的血統主義という問題は、日本の家意識・先祖意識というのが「祖先崇拝・祖霊信仰」という宗教的な要素によって成り立っているものであるのに対し、ヨーロッパの血統主義というものはキリスト教の宗教意識に基づかない純粋に思弁的なものであるということである。あるいは、ルターによって否定されたアウグスティヌスの「愛の秩序」的なものに基づく部分はあったのかもしれないが、「高貴なる人間は下賤な人間と結婚してはならない」という貴賤結婚の考え方などはかなり強くあったわけだし、つまりは純粋な理性的な差別である。
だから、彼らがいうところの「家父長制」というものもまた家父長を神に擬えてはいるかもしれないが、割と理性的な強固なものであるのに対し、日本で「家父長制」と言われているものはご先祖さまという宗教性を持った結びつきであったという違いはあるだろうということを思った。
だからフェミニストの家父長制解体も欧米なら人為的な再構築が可能になるが、日本の場合は天皇制や祖霊信仰などの宗教意識そのものを否定していくことにつながるわけで、人間関係そのものを全体的に解体して砂つぶの個人にしてしまい、再構成できないものにしてしまっているように思う。フェミニズムのもたらす害悪も、彼我ではかなり違うように思うという話でもあるし、欧米人が非欧米人に対する時の本質的な差別感情というものは、宗教的な背景を持たないから余計に救いのないものでもある、ということを思ったという話でもある。
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