参政党現象と日本人の伝統的死生観・自然観/日本中世の始まりは摂関期前夜か:この時期を「中古」と呼ぶ文学史的視点の妥当性

Posted at 25/08/22

8月22日(金)晴れ

昨日は午前中松本の整体に行く。久しぶりの方にあったのでご挨拶など。買い物をして帰るが、整体を受けて体がほぐれたせいかなんだか疲れが出てきて、仕事の後半が結構きつかった。

そんなこんなでなかなかいろいろなことができていないのだが、メールを見てたらKindle Direct Publishingのメールが出てきて、そういえば一番簡単に本を作れる方法はこれだよなあということを思い出し、ちょっと自分で企画を立てて本を作ってみようという気になった。今自分の考えていることを大体まとめる形で新書くらいのボリュームの本を一度作ってみようと思う。

最近思っているのは、やはり参政党現象というのは一時的なものではなくて、日本人にとっても世界的に見ても結構大きな現象の一環として現れているものだという感じがあり、それを日本人の死生観とか伝統的な自然との共生感、というか自然への依存みたいな視点も含めてまとめられると良いなという感じ。

参政党の一見トンデモに見る「環境問題」への取り組みというのは、「環境」という現代的な語感で捉えられる人間が左右できる問題としてではなく、「自然」という、あるいは「草木国土」という中世以来の概念で捉えられる人間がその一部として生きている大きなある種の宇宙の中での自然のとらえ方である感じがあり、そういう意味で反フェミ反リベラルみたいな狭いアンチではなくある種反近代的な方向性が見えるところが政党としては新しいと思う。

というようなことを書くことになるかなとちょっと思っている。

まあ私は以前からブログは面白いけど独立した文章はあまり面白くないとよく言われているので、まあその辺を振り返りつつ読んでもらえるようなものを書きたいと思う。

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Twitterで謎の10世紀という話が出て来て、確かに謎の多い時代で、このことについても考えたいのだが今朝はいろいろ忙しく時間がないので詳論は改めて。

メモだけ書いておくと、古代から中世への移行(古代とか中世とかいう語の妥当性も要検討な気はするが)期というのは昔は「武士が政権を取った」鎌倉時代、現代では普通院政時代から中世に入れるようになっているが、この謎の10世紀論は古代体制が崩壊し日本的な体制の再構築が始まった時期として10世紀が考えられる、ということにつながる気がする。だから、摂関時代が「古代の盛期」なのではなくて中世の最初の文化的繁栄、というふうにとらえ、そこからは戦国期まで綿々とその体制が執政者が交代しながら続く、と考えるのが妥当ということになりそうな感じがするなと思った。

そう考えてみると、摂関期を「古代」でなく「中古」と呼ぶ文学史的な考え方が実は歴史学的にも妥当性を持ってくる感じがして、それも面白いと思った。

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