「ふつうの軽音部」77話:「一人だけ違う描かれ方をしている二人」とくるり「ばらの花」に託された鳩野の想い/東京の神社の霊的な気配と奈良(大和)の飛び抜けた古代性

Posted at 25/08/17

8月17日(日)晴れ

昨日は朝からいろいろ忙しく動いた。9時半ごろお寺に行ってお布施と護持会費を渡し、帰ってきて施設に母を迎えに行き、自宅に戻る。妹達と姪と母と私で5人で昼食にラーメンを食べ、その後いろいろ話をしたり母の世話をしたりしながら、5時前に母を施設に連れて行き、そこで解散。帰ってきてすぐ送り火を焚くつもりだったのに忘れていて、「ふつうの軽音部」が気になっていたけど結局起きてから読むことにし、3時ごろに目が覚めたときに突然「送り火を焚いてない」ということに気づいて外に出て焚いた。先祖の霊も夜中まで足止めを喰らって申し訳なかったなと思う。

そんなこんなでもう一度寝床に入ったがやはり「ふつうの軽音部」の更新が気になったので起きてきて読んだ。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267988286498

第77話「わきまえる」。ハロウィンライブも終わり、日常に戻ったのだが、ライブの前とはそれぞれの関係も少しずつ変わったけれども日常、という感じの、いくつかの恋愛(未満)の話とかがあって、本当に等身大の、「ふつうの軽音部」という感じだった。

恋愛話は、鳩野の水尾への思い、遠野の桃への想い、ヨンスの厘への想いという三つの話に鷹見と鳩野の敵対的じゃれあい、遠野と彩目のなんとも言えない関係性など絡んできて、特に水尾の身辺に起こったことで鳩野との距離感が少し変わってしまいそうな感じが、くるりの「ばらの花」のやるせない曲想に乗って鳩野の心中を読者が思いやるようになる展開は、切なさがあった。

話の展開はエピソードの語りにいろいろと面白いなと思ったことがあって、一つはこういう幾つかの恋愛話が語られる中で、桃だけが登場しない。桃は作中でAセク(恋愛感情がない)であることが暗示されていて、そういう意味で桃だけがこうした甘酸っぱい世界から疎外されているということの描写なのかなと思った。

そうしてもう1人、他と違う存在がいた。今回はライブが終わったばかりという設定の日で、「ライブの後始末」的なエピソードが指川先生と鳩野、鷹見と鳩野、ぼうっと水尾の演奏を思い出してしまう鳩野、鶴に騙されてご機嫌ななめの吹奏楽部で副会長の千羽、同じ副部長の算とコミュニケーション?を取ろうとする鶴、といくつか散りばめられているのだが、実は彼らは音楽の話を全くしていない。音楽の話をしているのは、「私のベース流哉くんからみてどこが悪い?どこが足りない?」と尋ねる厘だけなのである。勝負に勝ったプロトコルの田口流哉に対して「質問できる権利」がないはずの厘が強引に尋ねるのが笑えてそこに引っ張られてしまうのだが、前回策略において負けを認めた厘は「強くなる必要がある。ベーシストとしてもひとりの人間としても」と決意していて、それを実行に移している。厘は明らかに「変わった」。

策略家である基本はおそらく変わらないだろうけれども、人間としてもミュージシャンとしても成長しなければならないと決意し、行動しているわけである。これは目立たないけれども、とても大きな変化が起こっているということだと思うし、読者としても「厘ならなんとなくなんとかしてくれるだろう」という期待と安心感があったのが、よりマジにこのキャラクターと向き合う必要が出てきたわけで、そういう意味でも読み味が変わっていくのだろうと思った

次回はグッズ作業だろうか、休載との事なので、続きを読めるのは31日ということになるが、また楽しみにしたいと思う。

***

伝統とか宗教とかいうことについて考えたりしたけど、「近世日本の支配思想 兵学と朱子学・蘭学・國學」を読んで、垂加神道について興味を持ち、少しずつ読んだりしている。

https://x.com/loira294/status/1956840945082581238

これはこういう感覚は私にもわかるのだけど、明治神宮は森としてはよく作られたと思うけれども、「新しい森」であることはやはり否定できない、というか森としては明るすぎる。靖国神社は場所として大きさに欠けるので難しいけれども、むしろ頑張っているとは思う。

東京の近代にできた神社が霊性の不足というか「霊的な気配の濃さ」においてもう一つなのは歴史の浅さによって致し方ない感じはする。逆に神田明神とか浅草寺とか大国魂神社とか池上本門寺とかそういうところはとぐろを巻いた地霊みたいなものは感じるところはあって、江戸という土地に土着した何かの気配のようなものはあるような気がする。

関東は開発の歴史が畿内に比べれば浅いので、特に近代の宗教施設はまだこれからという若さは感じる。これは京都でも平安神宮とか、近江神宮・橿原神宮・湊川神社みたいな神社は逆に歴史が浅くてホッとする感じもある。東京でも江戸時代のものも一定の霊力は感じるけど、それ以前からのものの方が相対的な強さは感じるので、首都としての江戸・東京というものと違う土地柄のようなものが感じられるのがいいということなのだと思う。

それに比べると奈良とか京都とかは全てが古すぎて、ある意味で人間が住むのは大変な感じがしなくはない。京都はまだ8世紀にできた新興地という感はあるが、奈良は本当に有史以来国の中心であったわけで、多くの銅鐸にしろ古墳にしろ巨石遺跡にしろ、あるいは石上神宮の七枝刀などもそうだが、すでに由来が忘れたれたものが古代の文明を語っていたりするわけで、伝統を守ってきた人たちだけでなく新たに土着した人たちや、継承されずに失われた伝統が急に現れたりするところはすごいなと思う。

私が特に感じたのは奈良市内で宿を探していたときに急に目の前に開化天皇陵が現れたことで、あれは本当にこれこそが奈良というものだなと思った。あれはなんだかびびってしまったのか、まだ近鉄で京都に出て接続する新幹線があったので奈良に泊まらずそのまま東京に帰ってきてしまうような衝撃だった。

日本のことを大和と呼ぶのは大和(奈良)以来の伝統ということがあるわけだけど、実際の大和は私たちが思っていたような日本とは結構違うのだろうなと纏向遺跡など弥生時代末期・大和(古墳)時代初期の話を読んでいると思うことが多い。開化天皇は第九代の天皇で欠史八代の最後、御肇国天皇と言われた崇神天皇の父にあたり、卑弥呼のモデルになったと言われる倭迹迹日百襲姫命(箸墓古墳に埋葬されたと伝えられる)の甥にあたる。

この辺りのところも神道説の発展などの観点からもまた読み直してみるのは得るものがあるかもしれないと思ったりした。

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