JICAの「アフリカ諸国のホームタウン」炎上と「国際標準のマンガ」発言批判の背景にあるもの/帰郷

Posted at 25/08/26

8月26日(火)晴れ

昨日は9時から10時の間にガス漏れ警報機の交換の人が来るのでその時間は待機となり、それまでにいろいろな仕事をなるべく終わらせるようにした。来たのは9時40分くらいで一瞬で終わったが、室内の作業なので在宅しなければならず、それに合わせて帰京の日程を考えるというのもなかなか大変。ちょうど元々自宅に戻る予定の週だったからまだよかったのだが。

それから10時に自宅で生命保険の契約確認の人が来て、いつもは玄関先で済む話なのだがなんかパソコンを広げだしたので自宅に入ってもらってちょっと話を聞く。いつもは若手のバリバリの人が来ることが多いのだが、今回はみた感じ同年代のおじさんでパソコンの操作もおぼつかなくなんだか親切にしたい気持ちにもなった。保険会社もそういうのを狙っているのだろうか。今まで確認できていなかったことも知ることができて取り敢えず来てもらった意味はあったなとは思った。

終わってから外に出るとかなり暑く、日曜日の祭り関係の片付け等をしている人たちもいて、少し1000円札を用意しようかと思って郵便局に入って2000円だけおろしたら残高が少なく、よくみたら2ヶ月に一度落ちる電話代を失念していたのが原因だとわかり、後で補給しなければと思う。結局2000円は再び預け入れた。和菓子屋まで歩いて鯖の塩焼き弁当を買い、家に戻る。ゴミをまとめたり細々したものを整理したり。アンプが壊れているのをそのままにしているのでレコードが聞けないのはやはりストレスだなと思う。1980年の製品なのでメーカーに修理も頼めないだろうし、修理できるところを真面目に探さないといけないが余裕がない。

弁当を食べてゴミなどをまとめ、先に車に大きな荷物を運び、一風呂浴びてから身支度をして出かける。ゴミを捨てて駐車代を払って乗車。いつものローソン併設のスタンドに出かけたが、車の行列。しかも左車線を塞いで工事をしているので、スタンド待ちの車列が右車線まで続いていて、自分もそこに続くことに。しばらくして入れたからよかったが、なぜあんなに混んでいたのだろうか。給油はできたのだがローソンに寄ろうとしてもそこでも駐車待ちの車がいたので、諦めて家の近くの駐車場のあるセブンまで走ってそこでコーヒーと水を買い、出かける準備を整えて走り出す。道路に出るときにちょっとごちゃごちゃしたが取り敢えず無事。普段と違うことをすると手間がかかる。

近くのランプから首都高深川線に入り、基本的に順調だったが、三宅坂の手前が妙に混んでいてそこで時間を食った。そのあとは割と流れて石川PAまで走る。今度は手前の駐車スペースがほとんど埋まっていたので出口の近くにようやく空きを見つけて入ったが、車の量は確かに多かった。夏休み最後の月曜ということもあるのだろうか。そのあとは境川PAで休憩してコーヒーを買い、あとは地元まで特に問題なく走った。

地元についてから書店へ行ってアフタヌーンとビッグガンガンに「ユーベルブラットII」の3巻を買ったが、一冊欲しいのがなかった。スーパーで買い物をしてからもう一軒の本屋へ行ってそこで「SHIORI EXPERIENCE」24巻を買う。銀行にもいくつもりだったが遅くなったし疲れてしまったのでやめにした。夜は夕食を取って10時ごろには休んだ。

夜中に何度か目が覚めたが、5時前には起き出した。いろいろと全体的なことを考えたのだが、普段目の前のことに追われているので認識しにくくなっている部分があり、それがフラストレーションになったり。忙しすぎるのは良くない。6時過ぎに出かけてゴミを捨て、セブンでコーヒーを買って帰ってきた。

***

JICAの「ホームタウン構想」の件が一気に炎上し、木更津など三市がアフリカの3ヶ国の「ホームタウン」になるという話がある種のパニックになったが、このホームタウンというネーミングに難があったということのようで、おそらくは「自分の国のように寛いでもらう」くらいの「おもてなし」的センスだったと思うのだが、「アフリカ人が大挙して我が街に押し寄せて占領される」的な印象を持った人が多かったようである。

私自身、日本とアフリカとの交流は今後重要だと思っているので、そこでボタンのかけ違いが起こるくらいなら白紙から仕切り直したほうがいいのでは、と思ったのだが、取り敢えずJICAも外務省も声明を出し落ち着きつつあるようではある。

https://www.jica.go.jp/information/notice/2025/1572980_66416.html

「現地の報道等の「JICAアフリカ・ホームタウン」のもとで山形県長井市がタンザニアの国の一部になると誤解を与えるような記載や、移民の受け入れ促進、日本と当該諸国との往来のための特別な査証の発給等の記載は、いずれも事実に反します。」

https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/pressit_000001_02637.html

「他方、移民の受け入れ促進や相手国に対する特別な査証の発給を行うといったことは想定されておらず、こうしたことが行われるという一連の報道・発信は事実ではありません。」

速やかに対処したのはよかったが、これらのことが騒ぎになった背景には、現在の一連の「外国人問題」があることは明らかだろう。川口のクルド人問題や外国人犯罪の問題、外国人の関わるケースに行政や警察が及び腰であること、各地にあふれるインバウンドの観光客の傍若無人な振る舞い、などによって、我が国の対外国人感情はかなり悪化していることは事実だし、「日本人のためには何もしない(自己責任を唱える)」のに「外国人には金をバラまく」という印象になっていて、そのために「日本人ファースト」を唱える参政党が力を伸ばしつつあるというセンシティブな状況の中で、「ホームタウン」という名称の招く不信やタイミングの悪さというものも大きくあったのだろうと思う。

今でも外務省やJICAのホームページはつながりにくくなっているし、まだその辺周知徹底されていないところは大きいのだろうなと思う。

つまり、今回の問題は「外国人問題」というよりは、「「外国人問題に誠実に対処しようとしない政府への不信」問題」であるわけである。

その背景には、石破首相の指導力のなさがある、という指摘があった。

https://x.com/raar_444/status/1959926011904270814

https://www.sankei.com/article/20250822-437OELTAF5NCZHCK7YDBZE6OTU/

日本は貧しくなってきて、国力も低下しつつある、という意識は多くの人が持っているが、その中で特に大きな声は「日本はオワコン。外国に移住したり海外に拠点を持つべき」のような日本否定論、これはどちらかというと社会的エリートというか上層階級で聞かれがちな意見だと思う。彼らは国外に移住することも比較的容易なのでそうした発想になるのだろう。しかし移住先で思うようにいかず「出羽守」と言われながら日本批判を繰り返し、でも最後には日本の高齢者福祉の世話になろう、という感じの人が多いように見受けられる。

もう一つの声は、実際に自分の生活水準の低下をひしひしと感じているいわば庶民層で、彼らは「余裕があれば日本が世界に貢献するのはやぶさかではないが、今は自分たちの生活が苦しくなってきたのだから自分たちの方を優先的に考えてほしい」と感じているわけで、それにぴったりの「日本人ファースト」の主張をする参政党の支持に回っている人たちだと言えるだろう。日本は右傾化したわけではなく、いわばサイレントマジョリティが普通に考えていたことをうまく拾い上げたのが参政党だという指摘があり、これは基本的にそうなのだろうと私も思っている。彼らは今の政府を信頼していない。その一つの理由が先の「石破首相の指導力の無さ」だと思われる。

私も参院選の時に石破首相の演説などをそれなりには視聴していたのだが、どうしてこの人の言葉は心に響かないのか、ということがわからないでいた。

しかし上のツイートの指摘を読んでなるほどと思ったのだが、つまりは「日本の利益だけ考えてはいけない」というような「上から目線の説教ワード」が石破首相の演説には多出するのである。

安倍首相や岸田首相は、今になって思えば党内基盤がめちゃくちゃ盤石ということはなかったが、国民の支持はかなりしっかりと取り付けていた。それは彼らが二言目には「日本の国益を守ります」と言っていたからだろうと思う。しっかり国益を守ってくれれば、自分たちのところにも回ってくるだろうという期待と信頼感がその言葉からは感じられたわけである。

今国民が求めているのは明らかに「お説教」ではない。たとえ果たされにくくても、「国民の生活を守る」「日本の国益を守る」「日本の安全保障を守る」という「政治家の約束」なのだと思う。石破首相は左翼的だと言われがちだが、彼の政策は必ずしも左翼的ではないかもしれないけれども、一番「左翼的」なのがその「お説教口調」なのだと思う。

彼は日本を守るためには自分が頑張らねばという謎の使命感で動いている感じがあるが、何が国民に必要とされているかについては無頓着だなと思う。「日本のことだけ考えてはいけない」などと言われたらまず「それよりまず日本のことをなんとかしてくれよ」と思うくらいには、今の日本には余裕がない、ということに政治家が無頓着なのは致命的だと思う。

これと同じようなことを感じたのが「ダンダダン」をめぐる騒動で、「国際標準に合わせた漫画アニメを作らなければいけない」という弁護士のツイートである。

もちろんこの見解自身がこの人はアートや漫画、アニメなどについてあまり分かってない人なのではないかという疑いを持たせるものなのはいうまでもないが、自分のやりたいことを今の日本のコンプラの許す限り最大限に表現するのがこれらの魅力であるのは間違いない。

一方でフェミニズムやキリスト教道徳保守の立場の人々は表現規制に熱心で、これは日本だけのことではなく、世界的な傾向になっている。リベラルの立場のポリティカルコレクトネスだけではなく、宗教保守の力も規制に関わってきていて、カード問題などの金融検閲の問題にもこれらの勢力が関わっているらしきことが明らかになってきている。

こうした規制派の人々は、企業広告がフェミニストらによって炎上するとすぐ「炎上しないようにアドバイスしますよ」という規制利権の確保に乗り出すわけだが、「国際標準に合わせたアニメ」という発想自体に、その裏に「表現規制」とそれに伴う「権力行使」と「利権」があることは間違い無いだろう。

それ以上にこの問題で感じさせられるのは、「日本のマンガやアニメは国際標準に合わせなければならない」という発言の背後に、「日本は遅れている」から「自分たちが導いてやる」という上から目線であるわけである。

マンスプレイニングというのはフェミニズム用語だが、つまりは「遅れた女性を導こうとする男の態度、ムカつく」という話であり、それはそのまま「遅れた日本の表現者や企業を導こうとするリベラル左翼の態度、ムカつく」となるわけである。

「ダンダダン」が影響を受けたのはバンドの曲調やビジュアルの類似などで元バンドメンバーの人がよくわからない難癖をつけ、それを弁護士が応援したのがきっかけだが、まあその背後には確かに世界的なDEI的な規制権力があるわけで、これらはトランプ政権の成立で一時おとなしくなっていたが、トランプがウクライナに一生懸命になっている隙にまたいろいろ仕掛けてきているのはあまりいい感じでは無いなと思う。

私がジャンプ+を初めて読んだのはジャンプ本誌に出張掲載されていた「早乙女姉妹は漫画のためなら!?」を読んでのことだった、というのを「ふつうの軽音部」が次週ジャンプ本誌に出張掲載されるという話を読んで思い出したのだが、今になってみるとこの作品がジャンプ+に普通に掲載されていたのがわずか7年前だということに驚かされた。

https://shonenjumpplus.com/episode/10834108156630995329

今ではここまでの表現は、特にこの設定においてはかなり難しくなってきているだろう。他社の漫画はこのくらいのものはまだ多いが、集英社は実は結構コンプラというか表現レヴェルには敏感な会社ではある。これはトップランナーだからこその風当たりの強さによって、今まで身につけてきた部分は大きいのだろうと思う。

日本は引き続き豊かであってほしいと思うし、日本の漫画表現はこれからも豊かであってほしい。そういう人たちの願いがもはや「極右」と言われてしまう政党によってしか反映されないのだとしたら、日本の政治自体に問題があると言わざるを得ないのではないか。

***

こういう発言の出てくる背景を考えたのだが、政治勢力の分布図としてx軸に左翼ー右翼、y軸にエリート主義ーポピュリズムという平面を考えると、自民党はエリートも大衆も含めて右翼側をほぼ独占していたのが、石破政権の動きと参政党の台頭によってポピュリズム領域がほぼ奪われてしまったのでは無いかという感じがする。「上から目線の説教発言」というのはエリート側の専売特許なので、これでは大衆が離れるのも無理はないという感じではないか、というようなこともメモしておきたい。

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