追い詰められた石破首相と性善説的な党規約/「保守」をどう考えるか/日本国憲法の右派にとっての価値/首都高の効率的な運転の仕方

Posted at 25/07/29

7月29日(火)晴れ

昨日の朝は東京の自宅。一昨日は横浜に出かけて帰宅したのが11時過ぎ、少し眠れなくて寝たのが1時ごろになったが、夜中に一度目が覚め、最終的に起きたのは6時ごろだった。最近こういうことが多いが、少しアルコールが入っているからだろうか。最近はワインや日本酒、ビールを一杯だけ飲む、みたいな飲み方なのだがそれでも飲んだ時と飲まない時とでは違う感じがする。昨夜も一番搾りのミニ缶だけ飲んだが、やはり変な眠りになったので今夜は飲まないで寝ようかな、とは思っている。

近所のローソンにジャンプが届くのは以前は日曜日の夜11時半頃だったのでそのくらいに行ってみると「最近は3時ごろになりました」というので、朝改めて出直した。早く読めるのが都会の特権みたいに思っていたが、まあ運輸業の働き方改革などもあったし、いろいろ変わっているのかもしれないなと思う。午前中はブログを書いたり朝食を食べたりした後10時ごろに歩いて出かけて郵便局で記帳し、図書館で本を返却し、イオンで三菱銀行の通帳を記帳しようとしたらATMがなかった。未来屋書店へ行って「コミックZero-sum」を買おうとしたら、定期購読者用の用意しかないという。実家の方の書店ではゼロサムは大体どこにでもあるので少し驚いた。逆に地元ではなかなか買うのに苦労するビッグガンガンやチャンピオンREDが置いてあって地域によって需要が違うのかなと思った。とりあえず諦めて帰りに和菓子屋でお弁当を買い、帰宅。汗みどろになった。

帰ってからもう一度近所のヤマダ電機のアウトレット館に行って先日壊れたアンプの代替になるものはないかと少し探したが、ミニコンポしか無かったのと中古とはいえかなり高い。違う方法で解決することにしたのだが、元々配線とか面倒だしラックの裏側も複雑怪奇なので、なんとなくてが伸びないのだが、よりゆっくり時間が取れる時になんとかしたいと思う。だいたい外に出て何か買ってきたりするには今の東京は暑すぎる。

しばらく休んだりお弁当を食べたり入浴したり洗濯したりしていたが、冷房をかけると冷えすぎるし止めると殺人的に暑い。ついつけっぱなしにして冷えてしまうなと思いつつ、いろいろやることを片付けて1時半ごろに自宅を出た。スタンド併設のローソンまで走ってガソリンを給油。166円だからめちゃくちゃ安いということもないがいつも入れているところよりは安い。15リットル強給油したが、これがほぼ実家→自宅の消費量ということだろう。自宅→実家は基本高所に登っていく行程なのでもっと消費すると思うのだが。

首都高に入ると9号深川線から6号向島線に合流する道が左車線が行列で右車線が空いているから右車線を走ったらすんなり合流した。なぜみんな左車線にいたのか。向島線から都心環状線、いくつか合流・分流するが特に竹橋ジャンクションの5号池袋線への分流・合流をどう動くかが結構所要時間に関わる感じがする。首都高の走り慣れている区間を動くときは最近はいつもどう動くのが一番効率的か考えているのだが、とりあえず「いつも右側を走る」のがこの区間についてはいい気がする。どうせ三宅坂ジャンクションで4号新宿線に右折するので、右車線が滞留する時間があっても最終的には早いし楽な気がする。

その後はそのまま走り、西新宿の合流もそれほど渋滞せず、その後はだいたい石川PAまで問題なく走れたが、渋滞中に右足がつる感じになってしまって結構大変だった。おそらくは右足がアクセルとブレーキを交互に何度も踏みかえなければいけないのが辛いようで、以前から渋滞の時には時々あるのだが、三鷹を過ぎて渋滞が解消されると結構足も楽になり、石川の休憩でコーヒーを買ったり少しゆっくりしたらそのあとは特に問題なく走れた。アクセルもブレーキもその車に適した「楽な踏み方」というのがあってアクセルを自然に浅めに踏んでいる間は特に足がどうこうということはない。楽ですらある。まあそういう意味でもなるべく渋滞は避けたいものだなと思う。まあ寝不足のせいもあったかなとは思うのだが。

そういうこともあり割とゆっくりめに走り、早めに休憩するようにして、境川の前の釈迦堂でトイレに行き、いつもは入らない八ヶ岳でもトイレに行って、ゆっくり走った。走ってる間にそういえば日曜日に湖よりにスマートインターチェンジが開通したことを思い出したのだが、昨日はいつものインターで降りて書店へ行ってゼロサムを買い、スーパーで夕食の買い物をして帰った。

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昨日は自民党の両院議員懇談会。だいぶながびいて石破首相は追い詰められた感があり、森山幹事長も参院選の総括が終わった時点での進退について言及するなどしているが、両院議員総会の開催についてもやる方向になっているから大きな流れとしては石破首相の辞任という方向だろうか。ただ主要選挙三連敗にもかかわらずここまで粘る人というのは見た覚えがなく、自民党の党規約もリコール規定としては「所属議員の半数以上、県連の半数以上」のリコールがあれば成立するとのみ書かれていて、普通はリコールを喰らう前に辞任するという不文律に反して粘るということになれば、ある意味性善説に立って書かれている党規約の裏をかく形になるわけで、そういう意味ではNHK党とかが選挙でやっていることに近くなる。党規約の整備も必要だとは思うが、まずは不文律に従った形での身の処し方を取ってもらったほうが自民党の動揺は少なくて済むようには思う。

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https://x.com/ganrim_/status/1949716800339316776

「日本にバーク的な保守主義は存在していない」ということを言った人が誰だったかと考えていたのだが、雁琳さんだった。現実問題として日本にバーク的に保守というものを捉える伝統がないというのは事実なのだけど、今後ともそれでいいのかということに関しては、そう単純ではないとは思う。

https://x.com/ganrim_/status/1949718546625474658

私は必ずしもそうは考えていなくて、日本の近世と近代の連続性、つまり江戸後期の思想と明治以降の思想の連続性をそれなりに重視すべきだと思っている。「明治維新から疑え」と言ってるのは呉智英さんで、彼は「封建主義」を主張しているわけだが、これはややトリッキーな気はする。しかし江戸時代からの延長線上にあるものとしての近代日本、という視点はもっとあって良いと思う。濱野靖一郎さんの指摘のように頼山陽の「天下の大勢」論などのちに影響を及ぼした江戸時代の思想というものはあるわけだし。

バークの保守主義はフランス革命の「合理主義的・啓蒙的計画主義的革命」というやり方を否定しているのであって、イギリスにおける「名誉革命と名誉革命体制(国教会主義・議会と国王の関係)」というものはイギリスの自然な歴史の伝統に則ったものと考え、肯定しているわけである。日本の明治維新は少なくとも当事者の主張においては「革命」、すなわち中国的な意味での易姓革命ではないし、また支配階級の交代を伴う西欧的な意味での市民革命でも無かった。

だから維新という言葉自体が漸進的な社会の変化を肯定するものであって、バーク的な意味での保守もまた復古や反動ではない(フランス革命が起こる前の時期のバーク自身が進歩主義者だと見做されていたので、革命に反対する姿勢はむしろ驚かれた。彼は反動ではなく、社会のあり方を位置から設計するようなフランス革命の啓蒙主義・デカルト的合理主義的な思想に反対したのであり、イギリス経験論的な社会の進化については肯定的だった)

明治維新が前近代の社会からの自然的な発展の必然によってもたらされた変化ではない、というのはより工業技術的・社会工学的に優れた西欧との邂逅によって自然科学と西欧的社会科学の導入の必要性を痛感した江戸時代人たちがより合理的に世界に対抗できる形としての明治国家の建設を目指したために必要な変化が起こったということであって、社会意識や政治意識の面でそれ自体が根本的に変わったわけではないのだけど、教育制度や官吏登用制度、大学のシステム、徴兵制その他近代国家体制の構築のために必要な施策を徹底して行っていく中で人々の意識が必然的に変化したということはあるのだけど、これはロシアなどと似ているけれども「欧化主義」と「日本主義」が明治時代には交互に現れているように、帝国主義国家の一員になることに成功する過程の中で近代化のみが追求されたわけではない。「外国からの文化とりいれ」は維新とともに中国モデルから西欧モデルに明確に取り替えられたが、たとえば漢文は既成の日本文化の一部として学び続けられた。中国が近代において明らかに帝国主義化に失敗したために中国がモデルにされることはその後はなかったが、中国から学ぼうとしいう姿勢は完全になくなったわけでもなかった。庶民においてはほぼなくなったとは思われるが。

私自身は「近世日本の支配思想 兵学・朱子学・蘭学・国学」を読んでいても近世からの思想やものの捉え方の継続性はもっと評価すべきものだと思っているので、バーク的な角度からの近代化観と保守観についてはもっと考えていきたいと思っている。

https://x.com/ganrim_/status/1949847538590425538

一方ではこの雁琳さんと谷口さんのやりとりにもあるように、今差し当たっては「日本国憲法」という存在がより重要になってくる感覚は私も持っている。お二人はそれぞれ力点の置く場所が違うけれども、むしろ左派の暴走を止めるためにも日本国憲法は重要だと最近は思っている。

つまり、左翼にとっての不磨の大典、金科玉条としてではなく、右派を含む幅広い一般層にとっても、左派による侵食を防ぐために防波堤的に日本国憲法が重要だということである。最近は運動家だけでなくアカデミズムや司法も極がつくほどの左に振れている傾向があり、石破政権のように自民党内部にまでそれは侵食しているわけで、正常化のための一つの拠り所として日本国憲法を差し当たり重視するという線はあるのではないかと思う。

日本国憲法はより普遍的合理主義的な、つまりは計画主義的な側面が強く、そこは上に述べたように私は否定的なのだけど、制定から80年近く経ち、風雪に耐えてより風格が出てきているというか、左派的な信仰の経典というよりも訓詁的にと言えばいいか、左史伝的にだけではなく公羊学的にも読めるというか、より古典的な文書として読解することで従来的解釈とは違う価値を生み出す源泉になりうる可能性もあるような気はしている。

これらの視点がお二方と共通するものかどうかはわからないが、日本国憲法については今後も考えていきたいとは思っている。


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