石破首相の居直りと旧安倍派という戦えないお公家集団/「世界は残酷だ。戦わなければ、勝てない」

Posted at 25/07/26

7月26日(土)晴れ

昨日の夕立で少しは気温が下がるかなと思ったが、今朝の最低気温は23度。当地としては熱帯夜並みなのだが、まあ都会と違って流石に窓を開け放して寝る必要は昨夜はなかった。

朝、隣町にガソリンを入れに車を走らせている中で石破の居座りや報道ステーションの微温的な石破支持姿勢を考えていたらだんだん腹に据かねてきて、ちょっと冷静にならないといけないな、と思ったのだが、もっと考えているうちに、岸田元首相や石破首相に良いようにやられているお貴族様(昔の宏池会)のような旧安部派や保守派の自民党議員たちがまともに決起できないことの方がより問題だと思えてきた。

「お公家集団」というと昔は官僚上がりの政局で戦えない宏池会(特に前尾繁三郎時代)のことを指していたわけだが(だから大平正芳がクーデタで派閥を乗っ取った)、今は旧清和会が同じような体たらくであるように思われる。萩生田・西村・松野・世耕の四者が昼食会で会談したニュースがあったが、未だ党外の世耕さんはともかく、他の3人は脂が抜けたような顔をして、会談後のコメントに「今度は主流派に入らなければ」みたいなことを言っていたのを読んで、正直白けた。

石破首相の政権運営の稚拙さによる都議選・参院選敗北まで旧安倍派のせいにされるのはどう考えてもおかしいのだから、そこははっきりと批判していくべきだ。しかしこの四人の写真を見ているとなんだか油が抜けてて、ふてぶてしさは一級品の石破首相に勝てそうもない感じがしてしまった。

彼らに比べると石破首相は危機に直面して開き直り、選挙結果の三連敗も無視して、もはや憲政史上最悪の総理大臣であることを隠さなくなってきた分、顔のテカリも一段と増して「自分を守るための戦い」に全力をあげている。総理総裁が本気で「選挙の敗戦の責任を取る」などの原理原則を無視して自分の地位を守ろうとしてきたらこれはかなり強い。それこそ政治的に差し違える覚悟を持たない者では勝負にならないだろう。

この分でいくと後世の歴史書には石破首相は混乱をもたらしたもの、禍を招いたものと記される可能性が高くなってきたが、そのふてぶてしいいわばま悪の魅力に惚れた左派の人々が自民党に投票もしていないのに石破支持デモを行うなど狂態を繰り広げている。逆に言えば、自民党保守派に欠けているのはああいうなりふりを構わない戦う姿勢なのだな、ということは改めて思う。

野党支持者による首相留任デモなどというみっともないデモは、「マッカーサー元帥ありがとう」に並ぶ情けなさであり、植民地根性、被治者根性の発露としか言えず、なぜ自分たちの代表を立てて戦わないのか、と感じるが、こういうのもまたある種戦わない自民党議員達と同じ牙を抜かれた国民性なのかもしれないという気もする。

こういう状態だから、石破首相は昔言ったこと、第一次安倍政権や麻生政権の時の後ろから鉄砲を撃つような政権批判などに全てほっかむりで行こうという開き直った姿勢を見せている。反対者には何もできないと舐めた姿勢で威嚇しているのだろう。それが一部に受けてるんだろうなとも思う。こういう姿勢は、参政党が神奈川新聞を排除したら、共産党が産経新聞を排除していることを棚にあげて強く批判する左派の姿勢と同じである。過去に何を言ったのかに自分は責任を持たない。一方で選挙の洗礼を何回も受けてるのにまだ政治資金問題で安部派批判を続けていて、やられてる方がよりみっともないということも確かなのである。「進撃の巨人」でミカサが言っていたように、「世界は残酷だ。戦わなければ勝てない」のである。そして勝てなければ生き残れないだろう。

「次の総理」は高市さんが本命であるべきだとは思うが、籤引き将軍(足利義教)の故事もあるのだから、安部派の5人がジャンケンで誰が表に立つか決めて戦うくらいの柔軟性を持てば良いと思う。このままでは応仁の乱や観応の擾乱並みの混乱に陥りそうだ。今後の混乱は良く見えてこないが、石破首相一派ももうすでに立憲社民共産などの方が支持者が多いようだから、新進党時代の初心に帰って立憲を後ろ盾にするとかも起こり得るのではないかとも思ってしまう。

それでも旧安部派の5人の中から総裁候補を出すなら、一番可能性があるのは世耕さんなのではないかと思う。政治資金問題で党を離れ、いまだに復党できていないから即時立候補は難しいかもしれないが、和歌山県でも二階派を潰して自派の候補を勝たせるなど、彼は戦える政治家だと思う。

政治は権力を握り政策を実行する営みだから、戦えなければ話にならない。今の旧安部派にはそこが欠けていることに気づいてもらいたいと思う。

いずれにしても、戦後政治史において安倍晋三という人がいかに傑出した人だったのかということを改めて感じざるを得ない。小泉内閣で官房副長官をやって「小泉内閣メールマガジン」の編集後記を書いていた頃が安倍さんに注目したはじめだったと思うが、日朝首脳会談での拉致謝罪発言を引き出すなど、その後の動きは素晴らしかった。第一次政権は持病もあり一敗地に塗れたが、雌伏期間に経済を学び直し、アベノミクスを引っ提げて再登板(戦後では吉田茂以来2人のみ)して、超長期政権を実現した。

戦後の首相経験者としては初めて(歴代首相でも伊藤博文・原敬・濱口雄幸のみ、銃撃から回復した例では鈴木勘太郎もいる)凶弾に倒れて暗殺され、旧安倍派はその後低迷が続いている。

安倍さんが出てきた時は本当にホープだと思ったので第1次政権を投げ出した時はかなりショックを受けて本気で動揺したのだが、第二次政権の安定ぶりはまあやはりそれだけの人だよな、とは思っていた。コロナ対応で国民の理解をなかなか得られずに最終的には辞任することになったが、その後も強力な影響力を残していたのに、その力も死とともに雲散霧消してしまった。

安倍さんが出てきた時に、これからはこういう世界に通用する政治家がどんどん出てくるのかな、と思っていたのだが、どうもそれは残念ながら幻想だったようだ。考えてみれば今の政治家を見ていても、昔の政治家も「この程度」だった気もしなくはない。ただ戦う姿勢はみな異様に持っていた。今はそれすらない。

参政党も問題の多い政党ではあるので右派・保守の再構築は自民党保守派が中心になるべきだと思っているのだけど、彼らが戦えないのであるなら、希望を別のところに移した方がいいのではないかと考える保守派ももっと出てくるだろう。そうなれば自民党は名実ともに終了である。まずは本気で戦ってほしいと思う。


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