「宙飛ぶバイオリン」:信頼できる作者さんの新しい物語/世界の残酷な多様さ/「気になる来見さん」が気になる/朝青龍の帽子と冠と烏帽子/日米関税交渉妥結と政局

Posted at 25/07/24

7月24日(木)晴れ

昨日は夕方以降、夕立があったためだろう、熱気が落ち着いて凌ぎやすい夜になった。朝の気温も22度台でそんなに涼しいわけでもないのだが、空気のむっとした要素がなくなってそれが良かったのかなと思う。

午前中に散髪をしに行き、済んだ後ブログ/noteを書いたのだが、更新するのを忘れていて、後になってからnoteだけ更新した。ブログで使っているムーバブルタイプのヴァージョンがごく初期のものなので、セキュリティ上新しいPCでは更新できなくなってしまっているので、今朝になってから家にあるMacBookAirで更新した。これも機種が古いからできるわけだが、新しいMacだとどうなるのかはわからない。

昨日は昼食後に蔦屋へ行って「宇宙兄弟」45巻、「宙飛ぶバイオリン」1巻、「だんドーン」8巻、「GIANT KILLING」67巻、「天国大魔境」12巻を買った。書い忘れていたと思った「ダイヤモンドの功罪」は9月に発売が延期になったようだった。

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「宙飛ぶバイオリン」は数学の天才少年が主人公の「はじめアルゴリズム」、能楽の始祖である世阿弥の少年時代を描いた「ワールドイズダンシング」の作者である三原和人さんの新作なのだが、表題の通りバイオリンを弾く少年なのだけど、今までの2作がある意味「最初から天才」「最初から後継者に位置づけられている」少年たちであったのに比べ、読者にもまだ実力がわからない、バイオリンに挫折しそうになっている少年が、宇宙人の少女(?)との出会いでバイオリンへの意欲を取り戻していく、という感じの物語であるように思われる。

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「生まれつきの天才を描く」というのは割と斬新なアイデアだと「はじめアルゴリズム」を読んだ時は思っていて、だからこそそれを育てる名伯楽のような老数学者の存在が大きい、という話だった。これは「ピアノの森」のパターンと同じである。「ワールドイズダンシング」はある種の御曹司が頂点の将軍義満からまさに野垂れ死しようとする老人や子供たちまで、「世界の残酷な多様さ」に触れることで「踊り」に目覚めていく、という話だった。これは世阿弥が後年経験していく室町エリート社会の中での残酷までは描かれていなかったのがちょっと残念ではあるのだが、やはり「少年を描く」というのも三原さんのテーマではあるのだろうと思う。

それに比べると「自信を失った才能のある少年が意欲を取り戻して素晴らしい演奏家になる」というのは割とよくある展開のようには思える。そこに宇宙人の少女が現れて、というのも絶対ないとは言い切れず、ただそこで向き合っていくのが結局は同世代のライバルの少女たちだ、というのが展開としては熱いのだろうと思う。まだどういう作品になるのかはわからないが、なんというかこの方は「作者として読者である私からの信頼感が厚い」存在であるので、芸術家の感じる様々な葛藤や喜び、という意味での残酷さを織り込みながら「音楽の世界」を描いていくのがテーマなのだと思う。

テセラは姿形が少女なだけで存在形態も人類とは違う割と抽象的な感じの存在なのだが、彼女が魅かれたのがまさに「音楽」というものそのもの、「音楽の内在する世界」を知るために「人間」という存在を知らなければ、と考えることで物語が展開していく、というのはやはり斬新だなと書きながら思えてきた。やはり感想を書くのは作品への理解を深めるためにも大事なことだ。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567267558209065

もう一つ今日読んで面白かったのはジャンプ+の「気になる来見さん」13話。来見さんと藤森くんが実は中学時代に出会っていて、その時から彼女にとって藤森くんは憧れの存在で、彼女が「ツメタン」の真似をしたり藤森くんの「祭壇」を作ったりするのも、全て藤森くんの真似だった、ということが明かされたのはすごいと思った。

高校で再会した時には藤森くんは彼女のことを「ツメタンにそっくりの美少女」としか認識しておらず、彼女に気に入られるために少しでも変わろうと努力をしたのだがそれは全て明後日の方向に行ってしまい、「そのままの藤森くん」に憧れ、その存在が心の支えだった来見さんは変わろうとする藤森くんに動揺してしまう、という展開になっている。

藤森くんの方は「好きな人に好かれるように変わりたい」というリビドーに基づく健全な向上心で頑張っているわけだけれども、来見さんの方はいわば「執着」なわけで、あまり健全ではない。この2人の関係をどのように持っていくのか、まだ先は読めないのだが、楽しみではある。インディーズ連載なのでよほどのことがないと単行本にはならないかもしれないが、ぜひ紙の本でも読みたいと思う作品だ。

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https://note.com/formosanhistory/n/n68ba7f2859d8

天皇皇后両陛下がモンゴルを訪問された際、大相撲で横綱を務めた朝青龍・白鵬・日馬富士の3人が招かれ、白鵬と日馬富士は紋付羽織、つまり日本の正装で臨んだが、朝青龍はモンゴルの伝統衣装で参加した写真で、朝青龍が帽子をかぶっている(つまり欧米式に脱帽しない)のが話題になっていたけれども、これは正装では帽子を被るというモンゴルの伝統に基づいたものだ、という説明である。

これはむしろ、日本人が自らの伝統を忘れているというべきだ、という話だと思った。モンゴルでもチンギスハーンをはじめとしてハーンの肖像画など帽子のようなものをかぶっている。モンゴル帝国の歴史を描いた「天幕のジャードゥーガル」でも男性も女性も基本的に全て帽子をかぶっている。これはアジアでは珍しいことではない。

日本でも魏志倭人伝では倭人は冠や帽子を被らない、と書かれているが、飛鳥時代以降は大人は冠を必ずしている。平安後期以降は正式の場では基本的には貴族(武家を含む)は冠を着用し、武士や庶民は烏帽子をかぶっているわけである。戦国期以降、有名な織田信長の肖像画にあるように普段は冠も烏帽子も被らないようにはなったが、幕府や朝廷でも正式の儀礼の場では必ず冠や烏帽子を官位に応じて着用しているわけで、それは今でも皇室儀礼などを見ればわかるわけである。

モンゴルで伝統的な形の帽子でなく、西欧伝来の帽子が用いられるようになったのがいつなのかはわからないが、おそらくは共産主義時代にソ連から入ってきた形式の影響ではないかと思う。服装文化というものは民族や国によって独自の変化を遂げるものだから、日本が外交儀礼ではヨーロッパ式の衣服を着用しヨーロッパ式の脱帽などの形式を採用しているからといって全ての国がそれを採用しているわけではない、というのは認識しておきたいところだと思った。

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政局だが、昨日テレビを見ていたら鈴木貴子代議士が石破首相の辞任に向けての両院議員総会の開催を求めていて、ちょっとへえっと思った。彼女は高市さん支持とは考えにくいから、旧安部派など保守系に主導権を握られる前に派閥に属していた茂木元外務大臣などを総裁にしたいという考えなのだろう。また彼女の父の鈴木宗男新参議院議員も「地方では政治と金の問題はまだ問題にされていた」と暗に旧安部派の復権を牽制していて、親子の連携プレーなんだろうなとは思った。以前は別の政党だからそんなに気にならなかったが、2人とも議員として自民党にいると影響力が大きくなり、2人とも明らかに親露派だから懸念材料ではあるなと思った。

一方で、死に体と見られた石破内閣が日米関税交渉を妥結に導いたことで主に自民党に投票したとは思えない左派から残留の声がかかっていて、どうかと思う。日米関税交渉自体は、アメリカの業界から不満の声が上がっているくらいだから、まあ成功したといっていいのだろうとは思う。

https://news.yahoo.co.jp/articles/58005b556f1fe3b39a5cdb121d842133bfe50621

高市氏も家庭の事情はあるようだが、国民民主党や参政党に奪われた保守票を取り戻すためには高市氏が待望されるところだが、自民党内左派リベラルも主導権を渡したくないから立憲などリベラル寄りの政党との連立など将来を棄損しそうな方向も考えているのだろうと思う。

先はまだ見えにくいが、より良い形で日本が守られていく政権の形が見出せたらいいのだが、とは思っている。


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