「岩盤保守」は「岩盤自民」ではなかった/外国人問題と埼玉県知事/「近世日本の支配思想」:「武国」思想・日本型保守の源流と東アジアにおける特異性

Posted at 25/07/16

7月16日(水)晴れ

今朝は4時半過ぎに起床。5時ごろiPhoneで気温を調べると、17.7度。最近は少し涼しく感じても20度を切ることはなかったので、かなり涼しいのだなと思う。夜はベッドで夏掛けをかけて寝たのだが、起きた時は少し肌寒いくらいの感じだった。なかなか温度調節が難しい。

昨日はあまり調子が良くなく、また午前中はずっと強めに雨が降っていたこともあって、外出は控えて主に家の中で過ごしたのだが、ブログを書いた後は疲れてしまい、横になったり漫画を読んだりしていた。お昼を済ませて午後になった頃に雨が上がったこともあり、銀行に用事をしに行ったのだが、街の中はかなりの車の数。やはりみな考えることは同じで、雨が上がったから動き出したという感じだったのだなと思う。余計なことはしないでそのまま家に戻った。

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https://mainichi.jp/articles/20250712/k00/00m/010/214000c

現在の状況についての印象をいくつか。九州各県をはじめ、複数人区で参政党が1位のところが出てきそうだとのこと。別の報道では東京や大阪でもトップ当選を取りそうだという見方もある。一人区を取れるかまでは分からないが、いずれにしても20議席近く取るのではないかという勢いだ。一方の自民党は選挙戦序盤よりも支持を下げていて、特に石破首相ら幹部が応援に入ると票数を減らしている感があるようだ。私が石破さんの演説を見ていてもこれじゃ入れたくないよなあと思うから、多くの有権者も同じ感想を持つのだろう。

自民党は保守的な土地柄の選挙区では圧倒的に、特に参院選の一人区(人口が少ない過疎傾向の県)などでは強いというのが昔からの定説で、「岩盤保守」などと言われていた。それが参政党の候補者に軒並み票を奪われている。

その原因は、この記事の中にもある「特に夫婦別姓問題で党の煮え切らない態度に支援者の不満の声が強かった。どこまで参政に流れるのか」という選対本部の声に代表されるような、左派リベラルが占めている現在の自民党の方針や演説に対する不満、ということが大きいだろうと思う。今までは安倍政権の時代に保守派に気遣いながら少しずつリベラル的な政策も導入し、一方で保守派が好むような国防を重視した政策、何よりも「憲法改正」「安保法制」「自由で開かれたインド太平洋」といった明確な方針があって、多少の不満はありながらも保守層は繋ぎ止められていたし、だからこそ「岩盤支持層」だと思われていたのだろう。

しかし岸田政権・石破政権のリベラル化によって保守層の不満は強まっていた。LGBT法などはかなり不満を持たれていたと思うが、特に立憲民主党などが主張する夫婦別姓問題について、党内の意見対立を反映して煮え切らない態度をとっていたことが保守派の不満を強めたということがある。そして今までなら「それでも自民党しかない」と嫌々入れていた人たちが、「参政党があるじゃないか」になった、というのが本当のところだと思うし、そのことを石破政権や岸田前首相も正確には把握できていなかったということなのだろうと思う。「岩盤保守」は「岩盤自民」ではなかったということだ。

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https://www.sankei.com/article/20250715-PH4TR5PUR5EGHKM26H5K4A5JBE/

外国人問題にはほとんど発言してこなかった埼玉県の大野知事がようやくクルド人問題に言及。最近の「日本人ファースト」の意見の強まりが選挙結果にも影響しそうだということになってきてようやく慌てて言及するようになった印象がある。

「県の所管ではないが、結果として川口市で不安がられるような状況や、自治体がさまざまなしわ寄せを受ける状況は、決してよい話ではない。国にしっかり責任を持ってもらえる政策が必要だ」

知事はそのようにいうが、この問題で実際に現場で対処する埼玉県警は県の機関であるわけで、その意味で知事も他人事のような顔をするのはどうかと思う。自民党の地元議員も含めて、見て見ぬふりをしてきたことが今回の参政党ブームにつながっている面もあるだろうと思う。

私自身、保守派が自分の本音を託せる政党が出てくるといいなとは思っていたのだが、こういう形で参政党のような政党がそういう存在になるとは正直予想外である。自民党もまた、こういう「岩盤保守」「右派的無党派」の層を奪い返すことができなければ、党としての存続も危うくなっていくだろう。政治学者やマスコミも含めて、途方に暮れている部分もあるのではないかと思うが、少なくとも自民党の立て直しは彼らの信頼を取り戻す所からやらなければ不可能だと思う。

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前田勉「近世日本の支配思想 兵学と朱子学・蘭学・国学」を少しずつ読んでいるが、昨日は第1章の「兵学」のところを読み終わった。山鹿素行の兵学が「国家天下のために」人々が自らの「役」を担ってそれを果たしていくことが大事で、特に武士は治めがたい民衆を治め国を成り立たせる社会的分業を行わせるために彼らに対する主導権を確保しなければならず、そのためには衣食住全般で「あるべき姿」から外れないように帰省することが重要だ、という思想だというのはあまりよく理解していなかったのでなるほどと思った。ただそれを実行させる力は最終的には幕府の「御威光」つまり武力しかなかったので、ペリー来航以降の幕府の動揺によってそうした統制のタガが外れていった、ということのようである。この辺の描写は、「日本的保守」のありようとして現代まで受け継がれている部分は感じられるから、説得力があったなと思う。

第2章の朱子学のところを読みはじめているが、東アジア世界の共通教養であった朱子学に対して、日本と朝鮮とではその対し方が違っていた、日本の朱子学者である山崎闇斎は「孔孟が日本に攻め込んだ時にどうするか」問いを立てて、「戦って撃退する」のが朱子学的にも正しい、と主張した。つまり、朱子学者である闇斎自身が「孔孟の道よりも国家を優先すべき」と主張したわけで、これは朝鮮や中国においては考えられないことだという。その背景には日本には独自の自国優越思想があり、「神国」や「皇国」と表現されていたが、その他にも「武国」という概念があり、朝鮮や中国のような「長袖(文人官僚)」の国ではない日本は「武威の国」であり儒教の徳治主義は成り立たない、神功皇后の三韓征伐や秀吉の朝鮮征伐のような「壮挙」こそがその証である、という考え方があったのだという。

そしてその表現が、中国を中心とする儒教的な華夷秩序の周辺部にあって江戸幕府の日本が独自の「日本型華夷秩序」を築き、中国とは冊封関係を結ばず私的な渡航を禁じ朝鮮・琉球・中国・オランダ・アイヌとの間に日本を中心とする位階的な華夷秩序を形成し、中国の華夷秩序から独立した存在として自立した外交システムを持ったことだというわけである。朝鮮通信使や琉球使節、オランダ商館長が江戸に参府したことが具体的なその表現であった。

「神国日本」は天照大神以来の天皇が支配する国として易姓革命で王朝が交代する中国よりも優れているし、「武国日本」の武威(御威光)による政治は中国の礼教による統治よりも優れている、と主張されたのだという。

江戸時代の統治思想について、大体のところは今までも知っていることが多かったが、兵学者の思想を加えてより理解できるようになった感じはある。新井白石が朝鮮通信使について中国的華夷秩序との折り合いをつけるために朝鮮「国王」と同格の日本国「大君」としての将軍という建前によって「対等」であると主張したことや、明治以降になって朝鮮に対する中国の干渉を排除するために「大清帝国」と「大日本帝国」に対し朝鮮もまた「帝国=独立国」として中国の華夷秩序から離れるべきだと主張して日清日露戦争を経て「大韓帝国」を成立させた、という経緯にも関係してくる。つまり朱子学の「華夷秩序」の中では特殊な主張であった「日本型華夷秩序」を元祖超えたスタンダードにして朝鮮にも「朝鮮型華夷秩序=外交システム」を構築させた、と考えることができるなと思った。

朝鮮通信使が日本の統治の仕方は「士農工商」ではなく「兵農工商」であり、「礼教」によってではなく孫武のような「軍法」によって支配されている、と看做したという話は興味深い。

またその「武国」の起源が記紀神話に求められ、伊邪那岐神・伊邪那美神が国生みの際に「天之瓊矛」によって国土が生み出されたことを「矛という武器によって生み出された国」であるから武国なのだ、と山鹿素行や平田篤胤によって説かれていることは知らなかった。というか読んだ覚えがあるような気もするが、流石に牽強付会だと思っていたのではないかという気がする。

またキリスト教にどう対するか、という東アジア共通の問題意識に対しても、日本の場合はよく知られているように秀吉が宣教師たちが国を奪おうとし日本人を奴隷として売り払っているということに対する、つまり侵略に対する警戒感から弾圧に転じたわけだけれども、中国や朝鮮において最も大きかったのは儒教の小本である祖先の祭祀をめぐる典礼問題だった、というのもその違いを際立たせている、という主張もなるほどその通りだなと思った。

その流れで、儒教もまたキリスト教がスペインやポルトガルの侵略に果たした役割と同じように、中国による侵略の時に問題になるという懸念があったことも指摘されていて、そういう意味では山崎闇斎が「孔孟にも弓を引け」と主張したことは、儒教が日本で存続するためには必要な主張だということなのだなと思った。元寇の故事を引いてもし日本で儒教が盛んになって仕舞えば中国に侵略されたときに皇帝に従うべきという主張を儒者たちがすることになる、という主張は垂加神道にもあり、本居宣長も同様な主張をしているというのも初めて知った。この辺りは非常に面白い。134/341ページ、1章付論は後で読むことにして飛ばした。


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