米がない/リベラル真理教:リベラルな価値観を絶対視する人たちがオタクとムスリムを敵視する/文学の可能性と保守思想の見直しの期待
Posted at 25/06/21
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5月21日(土)晴れ
今日は夏至。旧暦5月26日、五月雨の本番という感じの時期だが、昨夜は少し雨がぱらついた。でもそれは梅雨の雨ではなくて、あまり日中温度が上がったから夕立めいた雨が少しだけ降った、ということのようだ。帰る頃にはもう地面はすっかり乾いていて、車の中もむっとするくらい暖気がこもっていた。まだ本番の夏ではないとはいえ、夏のつもりで過ごす必要がある部分あるなと思った。
昨日は午前中に母を病院に連れていったのだが、朝はブログ/noteを書いていたらギリギリの時間になり、病院に行ったついでに片付けようと思っていた仕事を全然用意できてなかったので母を施設に送って一度家に帰ってから出直してドラッグストアとスーパーと銀行(二軒)に行った。帰って冷蔵庫を覗くと米が終わりかけているのに気づいた。昼食を食べてから少し休んでいたら時間がギリギリになり、スーパーにダッシュして米を買おうとしたのだが、5キロの袋は全くなくて、2キロのものが少しだけあったので買ったのだが、価格は5キロに換算したら5千円を超えるし、備蓄米だの安い米はおろか高い米すらないというのは農政の失敗なんじゃないかと思う。小泉農水大臣は素人判断でいろいろやろうとしているが、そろそろ誰か止めたほうがいい。まともな人材を農水大臣に当ててもらいたいと思うが、ウクライナ戦争でロシアを支持するような人を自民党候補に立てるような内閣では期待できないなと思ったり。
今朝いろいろTwitterを読んでて一番印象に残ったポストは以下のポストに続く一連のものだったかなと。
https://x.com/mustafaalyabani/status/1936163787419402753
要するに、自由であるとか平等であるとかのリベラルな価値観が広まり、それが人々の間で内面化すればするほど、それに反する思想を持つ人たちは「理解や共生が困難な異物として遠ざけられたり敵視されることも当然」と思われるようになってくる、排除されるべき存在と見做されるようになってきているのではないかという話である。
この一連のツイートの言わんとするところは、イスラム教とその信者であるムスリムの人々に対する反発について言っているのだけれども、これはつまり「リベラルの信念が強い人ほど不寛容である」という最近特に強く観察されるようになってきた事象にも当てはまることだと思う。
リベラルとは本来「寛容であること」をその「徳」とする人たちであったはずなのだが、それは周囲が保守的・反動的な場合に異質な思想である自由主義を受け入れさせるために「寛容の徳」を説いていた側面があり、現実にリベラルな原則に反する主張をする人たちに対してリベラルな人たちがどう接してきたかというのはまた違う側面があるだろう。
アメリカなどは明らかな格差社会であるし、ヨーロッパは階級社会であり、発展途上国や旧社会主義の権威主義諸国は社会の不公正が厳として存在しているからリベラルの価値がより評価される部分はあるのだが、日本の場合はかなり絶対的にリベラルな価値観が一般化しつつあり、宗教性も薄れ、先祖崇拝的な葬儀や墓や法事等に関する考え方もフラットに透明になりつつあって、そうした旧社会的な凹凸が見えにくく(もちろん完全にないわけではないが)なってきた結果、ちょっとしたことで大騒ぎになるという傾向が出てきているのだろうと思う。
森元首相が「女性は話が長い」と言ったと伝えられたことで「封建的だ」と批判されて五輪委員長を降板させられたり、フェミニスト大学教員の育ちの恵まれた階級性について鍵垢で批判的に言及したら大学教員の職をキャンセルされたり、女性を描いた表現に対する批判に「表現の自由だ」と主張したら「表自乙ww」のように罵倒されたりするようなことが今までも頻出しているが、要は「リベラルな価値観を内面化していない「古臭い」政治家・拗ねた男性教員・女性に居心地の悪さを感じさせるような表現に執着するキモいオタク」などは「排除すべきだ」と言って憚らない状況が現出しているのだ、ということだろう。
こうした「リベラルの価値観を内面化し、リベラルでないものを排除しよとする姿勢」というのは、もちろん古典的な意味での「寛容なリベラリスト」とは全く違う。むしろ「リベラルという価値観」を宗教のように絶対視して異端者や異教徒を排除するカルト、いわば「リベラル真理教」とでもいうべき存在になっていると言えるだろう。
フェミニズム方面の特に女性たちは同じ日本文明内での男性批判には熱心だが、たとえばヨーロッパで頻発しているムスリムの暴力などについてはほとんど口をつぐんでいる。体制内反体制にとどまっているとでもいえばいいか。
しかし、同じようなリベラルな価値観を持ったアップデートされた男性たちはツイッターを見ていてもイスラムについて攻撃的な人がかなりいるし、場合によっては強く親イスラエルであってイランは体制変革されるべきだ、というようなことを平気で言っているのだが、そういう言説がイスラム世界でどう聴こえるのかについては考えていないようだ。
エルドアン大統領はガザを攻撃するイスラエルを強く非難してきたし、今回のイラン攻撃についても強く批判しているが、それは今トルコでは「リビアがやられ、アフガンがやられ、イラクがやられ、シリアがやられ、イランがやられたら次はトルコだ」という危機感が強くなっているという話もあるようで、これはあまり声が聞こえてこない湾岸諸国やエジプトなどでも同様なことが意識はされているだろうと思う。
すでにアメリカやヨーロッパで起こっている文化衝突を日本でも起こす必要は全くないのであって、移民等の流入や観光客に関しても無制限な受け入れは考え直したほうが良いと思っているのだけど、それはリベラル真理教の人たちの耳には入らないようである。
https://note.com/yonahajun/n/n9566e766b19b
與那覇潤さんのこちらのnoteを読んで思ったのは、同じことが指摘されているとは思ったのだけど、與那覇さんの本は基本的に左翼リベラルな価値観から立ち上がっている内容の本なので、左翼リベラルの方に向いた話になっているのかなという気がする。内容的にそっち方面の話ばかりだったので今は読むのを中断しているのだが、右の方に重心を置いている人たちにも読みやすい内容になったらいいのになとは思った。
この文章において正しいなと思ったのは、アメリカが「ラストベルト=MAGA派」と「テクノリバタリアン派」と「ポリコレリベラル派」に分裂してしまっている中で、ラストベルト派だけが「文学」を持っているという指摘である。つまりJDヴァンスの「ヒルビリー・エレジー」だ、ということである。
>③のポリコレ派には人文学者も多いが、彼らは政治的な「正解」が社会にあると確信しているので、小説の読み方にも多様性がなく、つまり実は文学的でない。②のシリコンバレー派は、「文系なんてムダ」論者の巣窟みたいなもので、データ化されない個々のユーザーの人生に関心はない。
というのも全くその通りで、ポリコレ派はこのまま跋扈し続ければそのうち文学を滅ぼすことにつながると思う。
だからリベラル派の中でのポリコレ派の批判としては、與那覇さんの本はうまく行っているということなのかもしれない。まあ大体保守派に対してまともな本を提供しようなんて著者も出版社も今の日本にはないから、日本の分裂が文学で収まると考えるのは逆に「日本にはポリコレを推進するリベラルと批判するリベラルしかいない」ということを前提としている感じであり、まあその姿勢には疑問符をつけたいなと思う部分はある。
ただ、どちらにしても「ポリコレに反対するリベラル」も「ポリコレを推進するリベラル」も、もし日本国内でイスラム教徒の犯罪集団が跋扈したり、イスラム教徒の人たちによる暴動が起こったりした場合に(ヨーロッパでは起こっている)秩序を取り戻す思想になり得ないのではないかという気がする。
私は日本に必要なのは、ある程度リベラルな価値観を受け入れた保守思想だと思うし、急激な変化を好まない保守の体質だけが日本を守る、という部分はかなり大きくあると思う。というか今までもそうだったのだと思う。
だから右の人たちが排除とか言い出す必要がないようなレベルに新しい文化背景を持つ人々の流入は留めておくべきで、普遍的なリベラル理念では説明できない「日本の良さ」みたいなものを維持・復活させていく必要があるのだと思う。
その「良さ」というのを一つだけ書いておくと、日本は「ものづくり」、すなわち生産者の国だったということだと思う。また消費する側も吟味を重ねてそれを洗練させていくのに大きな役割を果たしてきたということを忘れてはいけないし、そういう意味で消費者の側も価値を生産していた面もあるのだと思う。
現在の消費者偏重の政治が問題であるのは、生産と生産者に対する無理解が広がっていることで、今までなぜそうしてきたのかということを十分調べないままに改革しようとする軽々しい愚かな農水大臣がその象徴だということなのだと思う。
そんなことを朝のうちに考えたのだが、無茶苦茶な機構改変をやっている割には米の確保もできない有様を見ながら人気が高いのを見ていたりすると、なかなか前途は厳しいなとは思ったりはした。
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