街の再開発について思うこと/つげ義春という沼/変時の文化変動の現れとしてのエル・グレコの存在

Posted at 25/06/01

6月1日(日)曇り

今日は東京に帰る予定なのだがブログ/noteに書く内容がまとまらないのと行きたいところがいろいろあるが体調があまりついていきそうに無いことなどからいろいろ考えているうちにグズグズと時間が過ぎてしまって立ち上がりが遅くなった。

昨日は早く動こうと思って早く寝たのでちゃんと9時過ぎには寝床に入り、4時前に起きたので6時間は寝ているのだが、どうも疲れが出てしまって動きがノロノロしてしまい、判断が遅い。

「ふつうの軽音部」の更新は読んだのだが、どうもなんというか感想がうまく出てこないので感想を書くのは後にしようと思う。見聞きしたものなどいろいろ。

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下北沢の再開発について書いた文章を読んで、自分が感じたことを少し書いておく。

やはり今の再開発というのはいい意味でも悪い意味でも「頭のいい人たち」がやってるのだなあという感じがした。

私は駒場に住んでたし劇団もやってたから30年くらい前までは下北は入り浸る街だったので肌感覚みたいなものがあの街に対してはある。渋谷もそうだけど、下北の方が規模が小さい分色が濃い。今はたまたま教員時代の集まりが年に一回下北沢のお店で開かれているので年に一度は行く感じなのだけど、下北沢も変わってしまってやはり私の求めているものとは肌合いが違うなという感じがする。

小田急の敷地にたくさんできた新しい店は一度行ってみたことはあるのだけど、「こういうの好きですよね?」と言われているみたいな感じがしてちょっと違うなあと思ってしまった。

こういう私の感覚は70年代のディープに憧れを持ってた80年代のカルチャーっ子みたいなメンタリティから出ている感覚なのは間違い無いから全然マーケティングの対象にはならないだろうなと思うのだが、なんというか人はどういうか知らんが俺はこれをやりたい、みたいな店が多くて敷居が高かったりもしたがそのワールドに入ったら心底寛げる、みたいな感じだった。今でもそういう感覚が残っている店はある、というか残っているんだけど、もうかなり希少な感じはする。

昔は「こういうのやってみたかったからやったんだけど、みたいな感じでこれはうまくいかないだろうなと思ってたら数ヶ月で閉店」みたいなパターンが結構あってある意味実験的で面白かったのだけど、今はちょっとみんな頭がいい感じになっててこれならそこそこ客は来るんだろうな、みたいな感想になってしまう。

まあそういう「刺さる人には無限に刺さる」みたいなものはある意味頭がいいとやりにくいだろうなとは思うのだが、下北の商文化も成熟していけばそういうのも戻ってくるのかな、という期待はしているのだが。爆音のジャズ喫茶の隣に地元のお婆さんが買いに来るスーパーがある、みたいなのが下北だというのは先入観強すぎなのかもしれないけれども。

新しい店は、なんていうか女性向けのこういうのが好きな人はいるだろうなあと感じさせる店が多い。今の世の中、お金を落とすのは主に女性だからということはあるのだろうけど。「尖りすぎない」ということも多分今の世の中では大事なことで、そういう安定しない店は当然ながら不動産屋には嫌われるのだろうなと思う。

まとめていうと、下北沢の新しい店の全体的な印象としては、回転率が高そうというか滞在時間が短そうな店が多いという感じだなと思う。下北ってジャズ喫茶とか小劇場とかめちゃくちゃ一つの場所あたりの滞在時間が長い店(だけではないが)が集まってる街という印象があったのだけど、まあそれじゃ商売にならないからサッと回っていろいろあってよかった、みたいな街にしたのかなという印象が今のところある。今後そういうのも変わる可能性もあるのだろうか。

年に一度しか行かない人にいろいろ言われたくないとは思うのだが、これは下北沢だけでなくいろいろな場所の再開発にも感じることなので、とりあえず書いてみた。

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雁屋哲さんのつげ義春さんについての思い出を書いた文章が面白かった。

https://kariyatetsu.com/blog/1678.php

このつげさんが池上遼一さんと一緒に水木しげるさんのアシスタントをしてたというのが何とも贅沢だよなあと思う。呉智英さんが水木の資料整理のバイトをしていたというのはさっきWikipediaを読んで初めて知った。いずれも1960年代か。

これはさっきの下北沢の話にもつながるが、60年代から80年代にかけて、一度ハマったらなかなか出てこられない沼のようなものがあって、その中の一つがつげ義春さんの作品なんだと思う。今の時代もオタクの皆様がハマる沼のようなものはもちろんあるのでそういうのの存在自体は変わらないのだけど、時代というものと並行した感覚が昔はもっと強かったように思う。今はもっと個人的な沼であるように見える。

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ルネサンス時代のイスラムを含む東方世界の西ヨーロッパへの影響ということを考えていて、東地中海から西欧に来たといえばエルグレコがそうだなと思ってちょっと調べた。

エル・グレコ(1541-1614)はビザンツ文化の濃い(もうビザンツ帝国は滅亡している)当時ヴェネツィア領のクレタ島の出身で、ビザンツの絵画技法をマスターしてからイタリアに渡り、ティツィアーノの弟子になってイタリアの技法もマスターして、ファルネーゼ枢機卿のサロンに加わって活動していたが突然出入りを禁止されてスペインに渡り、マニエリズム時代の巨匠として活動した、のだそうだ。

グレコとはギリシャ人という意味であり、ローマにいられなくなったのは当時神のように崇拝されていたミケランジェロを酷評したかららしいのだが、その破天荒なところもある意味カラヴァッジョ(1571-1610)に似ていてスペインバロックの先駆らしい感じはするなと思った。

https://santotome.org

エル・グレコは黄金世紀のスペインバロック絵画について調べていたときにその先駆者として出てくるのを知ったのだが、そんなに熱心にみて回ったわけではないけど、スペインに行ったときにトレドの礼拝堂で「オルガス伯の埋葬」は見た。世界三大絵画と言われているそうだがどこがすごいのか大学4年生当時はよくわからなかったなと思う。絵の迫力については実物を見ないとわからないので、またスペインに行く機会があったら見てみたいと思う。

エル・グレコで好きな絵はいくつかあるが、大原美術館にある「受胎告知」もいい。あとはトレドの大聖堂にある「奪略」と・・・といいだすと彼の絵はほとんど良いな。

エルグレコの特異性はやはりビザンツ美術の影響が表れているということだと思うので、ある意味での文化融合の成果と言えるわけだが、それもイスラムの隆盛とビザンツの没落という変事に連動したものでもあるので、時代が動くときに文化も動く、というのはそうだろうなと思った。

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by Luke Peterson

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