「ふつうの軽音部」69話「君に語りかける」:鷹見兄の「本当の表情」とリフレインする「何のために軽音やってるん?」という問い/與那覇潤「江藤淳と加藤典洋」を買った/「救済」について考えている

Posted at 25/06/09

6月9日(月)晴れ

今(午前7時)日差しが見えるので「晴れ」と書いたが、予報を見ると曇りだし夕方以降は雨の予報。外に出てみると空は明るくていい天気、かと思ったらよくみるとすごく薄い雲が上空に出ていて、これは曇りということなのだろうか。レーダーを見ると長野県に雲はかかっていなくて東海の南岸を雨雲が通過している。梅雨前線が停滞していて、本州付近は相対的な高気圧というか気圧の尾根みたいな感じになっている。その雲が高いところで薄くなってかかっているということなのだろうか。

昨日は朝起きて「ふつうの軽音部」の69話の更新を読んで感動してなかなか文章を書けなかったりしていたのだけど、もう一つは昨日も書いたけれども「救済」というテーマが頭を離れなくてどう考えればいいかわからなくなっていた、というようなことがあった。午後とりあえずなんとか書くだけ書いてnote/ブログをアップしたが、昨日は一日それについて考えたりネットを見てTwitterの議論に参加していたりしたら時間が経ってしまった。

暗くなってから出かけて少し離れたスーパーに行って夕食の品をいくつか買ったり。マヨネーズを買い忘れた。その後隣接する(と言っても間に駐車場が二つあるので結構離れているが)書店に行って特に当てもなく本を探していたのだが、與那覇潤さんと上野千鶴子さんの対談が雑誌に載っていたので少し立ち読みしてみた。與那覇さんはオープンレター批判者だし上野さんはオープンレター派と同じくフェミニストだからまあそこにはどうしても政治的な意図を読み取ってしまうけれども、確か誰かがこの対談を批判していたなとは思ったけれども私も読んでいて途中でちょっと「ケッ」という感じがしてきたので読むのも買うのもやめた。

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しかし與那覇さんの新著「江藤淳と加藤典洋」(文藝春秋)が歴史学者が文芸評論に挑んで昭和(戦後)史を「書き直す」という試みをしているものだというのを確認したので、まあどうせ(田舎の書店には)ないだろうと思って探したらあったのでさて買うかどうか、と思い、易を立ててみたら火天大有の四爻だったので仕方ない、買うかとなって買った。まあ上野さんは良くも悪くも「権威」だから、少なくとも保守派が帯の推薦文を貰いたい人ではないと思うが、要はやはり與那覇さんは基本的に左翼リベラルなんだよなと思った。

與那覇さんの著書では「平成史」と「中国化する日本」は読んでいるのだが、面白いと思いつつ微妙にズレているものを感じるのでまた今回もその「ズレ」が何なのかを読みながら考えたいと思っている。

ただ、多分数日前だったら買おうと思わなかったなと思う。買う気になったのは、金曜日から読んでいる呉智英「吉本隆明という共同幻想」のせいで、上にも書いたように「救済」というものについて考え始めてしまったのはこの本を読んだからだ。で、今朝4時過ぎに起きて車で少し離れたセブンにジャンプとスピリッツとヤンマガを買いに行った際に頭の中で「救済」について考えていたのだけど、その時に「やはり本を読まないと自分の思想は深まらないな」、と思った。昨日の時点ではそこまで明確ではなかったけど、要は與那覇さんの本も自分が思想を深める手助けになる本だと感じたということだろうと思う。

最近は本当に主にマンガしか読まなくなっていて、情報を得るためにナイジェリアの歴史やイタリアの歴史などを読んだりはしているけれども自分の根幹にあまり響いてこない感じがあって、どうもこれでいいのかなと思っていたところがあった。ベンヤミンとかそういうのも少しは読んだのだが、どうもやはりあまり響いてこない。オークショットは面白くはあるのだけど、どうも今すぐ読むべきものでもないという感じがあり、今何を読まなければならないか、というのを迷っていた。呉智英さんは以前から読んでいたし近著は読んでいなかったからということもあるけどマンガ評論をしているということもあるし基本的にそんなに肩が凝らずに読めるのではないかという気持ちもあって読み始めたのだけど、まあ何が幸いするか分からないがどうも今読むべきものだったという感じである。

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呉智英さんの本も昔のようにスルスル入ってくる感じはしなくて、まあそれはあまり読まなくなってから自分自身の思想のようなものが割と現れてきた、というか露わになってきたということでもあるのだと思うのだが、その分ぶつかりながら読むので得るものも大きい感じはする。まあ学生の頃は素直に読みすぎたな、と今にしては思う。

そういうわけで今は「救済」について考えているのだが、昨日書いた素描みたいなものは本当に断片的なので、今もう少し全体的に、というか体系的という意味で読みやすい感じに書きたいと思う。このブログ/noteとは別の形でまとめたい。またその文章を書いたらなんらかの形で公開したいと思うのだが。

***

ここで兎にも角にも、昨日読んだ「ふつうの軽音部」69話「君に語りかける」の感想を書いておこうと思う。「ハロウィンライブ」の「protocol.」の演奏の中で振り返られるギターボーカルであり主人公はとっちのライバル(というか敵?)である鷹見項希の過去編、そのクライマックスである。ちなみに私はこの作品を読む時にはジャンプラアプリやTwitterで書かれた感想をいつもかなり読むのだが、その中にprotocol.を「お約束」と訳している人がいて、これはなかなか名訳だなと思った。

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鷹見はボーカルもギターも「めちゃくちゃ上手い」くせに演奏に熱がなく、イケメン揃いのプロトコルの演奏にミーハーなファンは騒ぐがたまき先輩のバンド・「性的カスタマーズ」のギターの喜田大志やパンクバンド・カキフライエフェクトのボーカルの野呂あたる(いいのかこの名前)などは物足りないものを感じていた。鳩野も彼らが上手いことは認めつつも同じような批判は持っていた。そのバンドの名が「お約束」であるのには今回明らかにされた意味があるのだが、そのprotocol.はこのハロウィンライブでは別のバンドであるかのように熱のこもった演奏をし、鳩野も「こいつこんなに感情的に歌ってたっけ」と驚きを隠せないわけである。(7巻64話)

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以下は内容について詳しく触れているので、更新を未読の方はご注意いただければと思う。

69話冒頭では過去から現在にカットバックし、2曲目のEve「ドラマツルギー」が演奏されているが、これは鳩野たちの「はーとぶれいく」が2曲目に演奏したElleGarden「ジターバグ」のように、文化祭で演奏された曲で、それもあってか歌詞は書かれていない。そして鳩野たちは文化祭の時に自分たちの直前に演奏していたプロトコルを聴いていないので、この曲も初めて聴くわけだが、鳩野と桃は「うめ〜〜」と思っている。文化祭での演奏は上手いだけで熱がなかったが、今回はその熱も加わり表現力も加わっているのでさらにすごい、ということなのだろう。

そして3曲目に演奏するのが米津玄師「海と山椒魚」で、そのために鷹見はギターをアコギに持ち替える。これは6巻53話で鷹見が公園で弾き語りしているのに喜田が出くわした時に弾いていた曲であることが明らかにされる。喜田は鷹見兄のバンドの演奏を聴いたことがあり、それを気に入っていたこともあって鷹見に慕われている(見る目があると思われているということも含めて)のだが、鷹見兄が行方知れずになっていることを気にかけていて、そのことがこの鷹見の兄との過去編にも微妙な影響をもたらしている。

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この「海と山椒魚」という曲は知らなかったが、聴いてみるとやはりいい曲だなと思う。十分に想いを伝えられずに去ってしまった相手にそのことを伝えられなかったことを後悔している、という歌で、当然ながらこの歌は井伏鱒二の「山椒魚」を下敷きにしている。だからストーリーと共に米津玄師の歌が響いてくるだけでなく、井伏の「山椒魚」のなんとも言えない心象も浮かんでくるわけである。

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この曲に乗って語られる(描かれる)鷹見の過去は、無謀にも東京に一人きりで出てメジャーデビューを目指す兄に対し、心ならずも「兄貴には食っていけるほどの才能はないねんて!」と叫んでしまった鷹見は、兄に「お前はずっとそんなふうに思ってたんか」と言われ、「俺がっていうか・・・周りの人もそう言ってたから・・・」と間抜けなことを言ってしまう。というか、それがどんなに間抜けで、どんなに兄を傷つけるものだったのかということに口に出してから気づいてしまうわけである。

兄はその鷹見の気持ちを理解してかせずにか、「今まで気使わせてすまんかったな」「じゃあな、項希。お前は普通に生きてくれ」と言って去る。その顔は穏やかなのだが、鷹見はその顔を見ることできず、どんな顔をしていたのか思い出せない。7巻65話の同じ回想シーンで兄はそのセリフを暗い顔で言うのだが、69話との落差がすごい。これはコメント欄でもタイムラインでも衝撃を呼んでいて、自分が心ないことを言って傷つけてしまった兄の顔が直視できなかった鷹見の心象風景としての暗い顔であって、本当は「自分は普通に生きることができなかったけど、お前は大丈夫だから(いい意味で)普通に生きてくれ」という意味だったんじゃないか、と解釈されていたし、私もそう思う。

しかし、鷹見はそのことをずっと引きずっていて、「(悪い意味で)普通にしか生き「られない」自分」というものをすごくネガティブに捉えていて、告白されたら付き合っていた相手(その中には桃の前のバンドで桃と決裂した舞香もいる)とか、イケメンで優秀ゆえに自然に集まってくる取り巻きとかの言葉に冷めつつ、「だとしたら俺は兄貴と違ってなんてつまらない人間なんだろう」と思う。

一方救いになるのが同じ中学からの友達の田口であり、「高校に入ったら一緒に軽音部に入らん?」と誘う田口に対し、「いいけど遊びでしかやらんで」と答えるのだが、田口は「そりゃ遊びやろ音楽なんやから。高校生活楽しみ〜〜!」と明るい顔で答える。鷹見にとって「遊び」とはプロを目指さずに中途半端にやる、というネガティブな意味なのだが、田口にとっては「ワクワクするような一緒にバンドをやるという遊び」であることが返って胸が痛い。

また演奏シーンにカットバックし、「今なお浮かぶこの思い出はどこにも落とせはしないだろう」と歌う鷹見に、鳩野は「鷹見 何か言ってる?」と思う。この歌が兄の思い出に向かって歌っているのと同時に、「兄に似ているとどう否定しても感じてしまう鳩野」に対しても歌っているということに、鳩野は気づくわけである。

兄を傷つけた罪の意識を持って生きている鷹見は「本当は俺は遊びでもバンドなんかやる資格ない」と思うのだが、それでもなんでやっているのかというと、「楽しいんだよ、軽音部でバンドやるの。プロトコルの4人で音を出すのが」と思う。protocol.=お約束なんていう投げやりな気持ちでつけたネーミングが、まるでこの4人での楽しさを約束したもののようにも思われてくるところが、ただただ凄い。

そして、鷹見がこの「勝負」と、「勝った方は負けた方になんでも質問できる」という「賭け」を鳩野に持ちかけた理由が明らかにされる。どうしても「傷つけてしまった」兄に似ているように思われてしまう鳩野に対し、「お前は違う」と否定したいという衝動と、兄に聞けなかった「なんでバンドやろうと思ったん?」という質問(5巻48話)を「はとっちに聞きたい」という思い、「楽しいからバンドやってる」ということでいいと思うのになぜ「他人=はとっちが音楽をやる理由が気になるんだろう」と思う。

この「なぜ(なんのために)軽音=バンド=音楽をやるのか」という問いが最初に出てくるのは3巻25話で、鷹見に振られて軽音部をやめようとしていた彩目を自分のバンドに誘うために公園での弾き語りを鳩野が聞かせようとするとき、彩目が三つ目の質問としてした内容である。だからこれは、この作品全体のテーマに大きく関わる問いだと思うのだが、その時鳩野は「へ?」と思い、「なんのために軽音をやっているのか・・・!?何かかっこいいことを言いたい」とあらぬ方に思考がずれてしまって結局答えられない。彩目は「あたしなんでそんなこと鳩野に尋ねたんやろ。自分がまだ軽音を続ける理由を探してるんかな」と思う。

しかし鳩野のボーカルと演奏に圧倒され、それでも「まだたどたどしいしみんなにはウケへんやろ」と思うのだが、結局「みんなには好かれんかも知れんけど、かっこいいわこいつ」と思ってメンバーに加わるわけである。

この思いは彩目の中で何度もリフレインしていて、文化祭の演奏の時も「今でもそう思ってるし人気になるとか考えてないけど」「舐めてる奴らにはかましたらなあかんやろ!なあ鳩野!」と思う(4巻37話)し、今回のハロウィンライブでも「もし観客の数とか人気で勝負やったらプロトコルには勝てへんやろな」と思いつつ、「「今は」な・・・」と手応えを感じているわけである。(7巻60話)

彩目にはそれがおそらく「音楽をやっている理由」になっているわけだけど、鳩野がどう思っているかはまだ語られていない。しかし鳩野はプロトコルの演奏中に明確にそのメッセージを受け取っているように見える。また、6巻49話で鳩野は「勝負に勝った時何を質問すればいいんだろう」と考えているがだが、「一つ聞きたいこと思いついたかも」というのだけど、それが何かは全く明らかにされてないのだけど、私は読んでいて「なぜ音楽をやっているのか」あるいは「なぜこの勝負を持ちかけたのか」のどちらかではないかと思っていた。

だから、今回どんなふうに勝負が転んでも、そういうことがどちらかの口から語られるのではないかと予測しているのだけど、それはもちろんよくわからない。また、先ほど書いたようにテーマに関わる話だから原作者のクワハリさんがブルースカイで触れていたように「ハロウィンライブで読んでもらいたかった四つの回」のうち、7巻63話(鳩野が閃光少女でたまきの心を動かす)、65話(鳩野が芽生える)そして今回の69話に続いて、ライブのラストの回にそういう話になるのかなと思うのだけど、まあこれも予測でしかないし、こういうふうに作者さんたちはいろいろな場所で先々の展開についてヒントみたいなものを言ってくれるのでそういう楽しみもあるのだけど、大体予想を遥かに超えた展開になっているので、そういうところもこのマンガの人気が爆発しつつある理由なんだろうと思う。

鷹見の心象風景が「海と山椒魚」に乗って語られてきたわけだけど、鷹見がそんなふうに「普通にしか生きられないこと」を引きずりながら兄に対する罪の意識を抱えて生きていることに対し、鷹見兄は本当は「今でも別に、おまえのことを怒ってはいないんだ。」と思っているのではないかとも思うし、まあそういう思いも読者としての祈りのようなものなので、鷹見の歌を聴き(読み)ながら「心あるまま縷々語る」という感じになったなと思う。

まあそんなふうに「心あまりて言葉たらず」みたいに書いてしまうのも、要はこの作品もまた自分にとっての「救済」の一つだからだな、ということだと思うし、またこの作品の素晴らしさを多くの方々と共有したいということでもある。お読みいただけると嬉しいです。

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