帰郷/ジャンププラスで「続テルマエロマエ」11話を読んだ:災害時の自衛隊風呂をローマに/アレクサンドリアの図書館

Posted at 25/06/17

6月17日(火)晴れ

昨日は朝東京の自宅。朝はnote/ブログを書いて、一段落してから入浴してさっぱりしてから歩いて郵便局へ行ってお金をおろし、地元の図書館へ行って一つ返却、帰りにお弁当を買って帰る。途中、セブンイレブンのおにぎり100円セールはまだやっているかと思って覗いたがもう終わっていたのでATMでSuicaにチャージだけして帰った。また少しいろいろやって歩いて出かけて地下鉄で大手町に出て、丸善で志垣民郎「内閣調査室秘録 戦後思想を動かした男」(文春新書、2019)を買う。この本はかなり面白そうだ。時間はあまりないのでそのまま地下鉄に乗って家に帰り、帰ってから朝買ったお弁当を食べて昼食。少し休んだりしてから荷物をまとめ、車まで運んで帰ってゴミをまとめ、戸締り等して家を出たのが3時前になった。

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それから大通り沿いのローソンに併設のガソリンスタンドへ行って給油。165円なのでまあいいかと。ローソンでコーヒーと水とシリアルバーを買って出発。高速の入り口が少し混んで信号を2回待ったが、その後は代々木あたりまで順調。山手トンネルからの合流で渋滞したがこの辺りは全然流れないというほどでもなかったのだが、高井戸までの間で結構止まるところがあった。渋滞中はだんだん右足が攣ってきてこれはまいったな、少し歩きすぎたかなと思ったが、道路が順調に流れ始めると嘘のように攣りはなくなるので、まあこれは半分精神的なものなのかもしれない。

中央道は基本的に順調で石川PAでトイレ休憩、八王子を過ぎると工事区間が結構あった。あと、路側帯に停めている車が首都高でも中央道でも何台か見たのだが、トラブルが起きやすい日だったのだろうか。急に暑くなったからか。

笹子トンネルの中でも停まっている車があったり、気をつけて運転する必要があるなと思ったり。いつも通り境川PAでもう一度トイレに行き、あとはそのまま地元のインターまで走った。インター近くの書店によって本を見たがとりあえず欲しいものはなかったが、まだノートの5冊組セットが売っていたので買った。スーパーで夕食の買い物をして帰宅。ついたのは6時半過ぎでまだ明るく、まあまあ順調ということか。

最近は月曜を早めに自宅を出るようにしているので石川PAで八王子ラーメンを食べる機会がなくなっているのだけど、これは考えてみたら以前は渋滞する時間に出て疲れて石川で夕食を食べざるを得ない、という状況になっていたのだなと気がつき、まあ今くらいの時間に走るのが健康的だよなと思う。ガソリンの消費量もやはりその方が少ない感じがある。

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火曜日のジャンププラスの更新で久しぶりに「続テルマエロマエ」が掲載されていた。今回は意表をついて、災害時の自衛隊の移動風呂。確かに災害時の風呂といえばこれは欠かせない。ローマ、特にイタリア半島は災害の多い土地だから、実際こういうこともあったんだろうなと思う。ルシウスが現代日本の風呂を真似るのに罪悪感を感じてる描写があるが、まあこういうのはどんどん真似て貰えばいいよなと思う。

火曜日は「ダンダダン」「半人前の恋人」「恋人以上友人未満」「ラブイズオーバーキル」と私も読んでいる作品が多いので「続テルマエロマエ」もちょっと順位は低いが、掲載されていることを知ったら読みに来る人は多いのではないかと思う。

ローマの風呂文化も興味が湧くけれども、日本の風呂文化の素晴らしさを書いてくれるのも嬉しいし、共感する人は多いだろうなと思う。

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「図書・図書館史」読んでる。最古の図書館と言える存在はアッシリアのニネヴェにあった粘土板文書の図書館で、サルゴン2世(BC8世紀)が設置しアッシュルバニパル(BC7世紀)の時が最盛期だったという。図書館員がいて目録もあったのだという。すでに書誌学の萌芽があったそうで、図書館の歴史は長いなと思う。また、クレタの文書も粘土板に刻まれたが、こちらは天日干しなので破片で出土したものが多いのだと。

古代ギリシャの図書館は建物や形跡などは残っていないというが、BC5世紀には書籍商が現れていたと。記述に使われていたのは主にエジプト産のパピルスで、この時代はソクラテスの時代だが、学者たちが多くの蔵書を持つようになり、プラトンの弟子が師の蔵書を勝手にシチリアで売り払った記録などもあるのだという。

BC4世紀にはエジプト王プトレマイオスが古代史上名高いアレクサンドリアの図書館の建設を始めるとともに、アリストテレスが「オリジナルを大図書館に収集して写本の校正に用いる」という原本主義の考え方を確立したのだという。

アレクサンドリアの図書館はエジプトの経済的繁栄を背景に、もともと古代からの文書が多く残っていたこと、そしてパピルス紙の生産地という幾つもの優位性を持っていたために可能になったものだというのがなるほどと思った。プトレマイオスの書の収集方針は、「自分の好み」で集めていたアッシュルバニパルとは違い、当時の「全ての知」を集めるという収集方針で、この網羅主義が画期的だったわけだ。

図書館だけでなく王は多くの知識人を呼び寄せ、ユークリッド、ヒポクラテス、アルキメデスらも呼び寄せられたことがある。図書館と博物館を持ち多くの学者や詩人が呼び集められたことでシンクタンク的なものもでき、古代第一の学術都市になった。王は強権的に書を買い集め、拒否したものからは没収した。また借りた本は美麗な装飾の複本を作った上でそれを元の所有者に返還し、原本は図書館に留めたのだという。

もちろんこういう手法は現代ではどうかと思う部分が大きいが、大学の研究室などでも借り受けた文書が返還されなかったなどということはしょっちゅうあって、網野善彦氏がその返却の旅をした記録などもあったように思う。アレクサンドリアの図書館には49万巻あったそうで、現代の書籍に換算したらその1/6から1/10に当たるのだそうだが、それでも6-8万冊にはなるわけで、紀元前にすでにそれだけの書籍があったというのもすごいことだとは思う。

この本は知らないことが書かれているので勉強にはなるのだが、歴史的にあれっと思うような記述が時々あることもあるのだが、ブックレットという性質上もあるのだろう、出典が書かれてないので真偽の確認がしにくい。上に引用したことは自分では納得して引用してはいるのだが、確かめたほうがいいところもあるかもしれないとは思う。

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