図書館あれこれ:キリスト教による弾圧や日本最古の図書館/健康になる文章/「ふつうの軽音部」:勝敗についての自分の判断と周囲の判断

Posted at 25/06/16

6月16日(月)晴れ

昨日は午前中いろいろ考えている間に電話があり、ここのところちょっと気になっていた話が無しになったので気持ちは楽になった。ただ、それはこれからの自分の人生に何を選択するか、に関わる話でもあったので、自分がこれから何を選んでいくかについてかなり考えていたのだけど、やはりその方向ではないのだろうな、という話でもあった。

そんなこんなでごたごたしているうちに時間が経ってしまい、出かけるのが11時直前になってしまった。本当は10時ごろには出るつもりだったのだが、ブログが書けなくて時間がずれた感じである。かなり雨が強くて、どうなるかとは思ったがセブンでコーヒーと水を買って高速に乗る。比較的空いていたのは天候のせいだろうか。八ヶ岳PAでトイレ休憩、境川で豚丼弁当を買い、石川まで走ろうと思ったが途中でトイレに行きたくなり、藤野PAでトイレ休憩。そのあとは休まずに中央道から首都高4号、環状線、6号、9号と走ってほぼ渋滞することなく自宅に帰着することができた。前回は12時ごろ出たら渋滞に巻き込まれて到着がかなり遅くなったので、やはり遅くても11時までには出ないと、ということを再確認した。

https://amzn.to/4laOjn7

豚丼弁当を食べてから出かける。東西線から大手町で丸の内線に乗り換え、霞が関で下車。日比谷公園では野音の演奏の音が響いていた。蒸し暑い。気温を見ると実家の方と2度も違わないのだが、東京は地面自体が熱いのと湿度が高いのとがあって凌ぎにくく感じる。日比谷図書館へ行って本を探し、村上丘「ことわざの力 救済と解放」(大妻ブックレット、2024)を借りた。救済というものについて考えていて、検索していたら出て来た本なのだが、どんなものだろうか。

銀座まで歩こうかとも思ったがもう一か所図書館に行く予定があったので日比谷駅で千代田線に乗って地元まで帰ったのだが、忘れ物に気づいて一度家に帰ることに。駅前の銀行で通帳を記帳し、西友へ行って買い物をして帰った。食べ物を冷蔵庫に入れたりしてから再度歩いて図書館へ行く。最近はずっと車に乗ってばかりなので、東京にいると強制的に歩かざるを得ず、健康的と言えば健康的だがどうも歩くのが遅いなと思ったり。

図書館で借りると決めていたものを探してから何か救済に関するものを、と思って探して、図書館関連の雑誌が出て来たのでそのコーナーに行ってみて、その雑誌は読みたい内容とは違ったのだが、図書館というテーマが少し面白いなと思い、原田安啓「図書・図書館史 此処に無知終わり、「知」始まる」(学芸図書、2013)を借りた。

https://amzn.to/441RR4i

中世初期のキリスト教会が図書館を弾圧し、アレクサンドリアの図書館を破壊したのもテオフィルスという司教(391)だった、というのは初めて知った。少しネットで調べてみるとテオフィルスがテオドシウス帝の勅令を受けて破壊したのはプトレマイオス3世が建てた「アレクサンドリア図書館の娘」の異称のあるセラペウムと呼ばれたギリシャ・ローマの神々の神殿のことのようなのだが、非キリスト教的な知識を否定する原理主義が当時のキリスト教にあったことは確かだろうと思う。後の教会はそれを隠そうとする傾向があるようだが。

そのほか、古代の図書館などのことを考えると日本はどうだったのか、ということを考えたが、記紀で最初に書物が出てくるのはおそらく応神天皇の時に来朝した王仁が「論語」と「千字文」をもたらし、皇太子であった菟道稚郎子に教授した記述が出てくるが、もちろんこの時の11冊の本は現存しない。記紀もこのように典籍関係の記述だけ追いかけていくとまた面白いだろうなと思うが、それが図書館と言えるほどの規模になったのは聖徳太子の頃で法隆寺には仏教以外の典籍も多くあり、夢殿も太子の書斎と考えられる、という指摘はあまりそういうことを考えたことがなかったのでなるほどと思った。

日本最初の図書館とされるのは奈良時代末期に石上宅嗣によって建てられた芸亭(うんてい)だとされているが、これは私設でもありその後都が長岡京・平安京と移ったこともあり、衰退したとみられている。その後空海が京都に総合教育施設としての綜芸種智院を建てたが、空海死後10年余りで売却されていて、これも続かなかったようである。公開ではないが御物として書籍が残っているのは正倉院だろうか。このあたりの話も面白そうではある。あとは古くからの寺院などに限られるだろうか。

とりあえず本とCDを借り、歩いて家に帰って夕食を食べたりしていたら眠くなってきたので寝た。今日行った図書館は千代田区立と江東区立だったが、もとはと言えば昔は二つとも都立図書館だったな、と思った。一般の区立に比べて、やはり蔵書は充実している。

***

朝起きていろいろ考えながら散歩して少し離れたローソンまで行って併設されているガソリンスタンドの価格を見てきたのだが、ほぼ実家の方の最安店と同じなので時間があったら帰りに給油して行こうと思った。

家の近くのローソンでジャンプとスピリッツとヤンマガと牛乳を買って帰宅。

***

これから書く文章について考えていて、「読むと健康になる本を書く」というテーマがいいかなと思った。まあ身体的なことも書くとは思うが、精神的な健康、についてが大きいかなと。そうやって考えてみると結構大変な感じがして、考えてみると今まで書いていた政治的な話、歴史の話、マンガの感想そのほか、たいていのことは「そういう趣味のある一部の人たち」や「社会や政治に対する問題意識を持った人たち」に対して書いているものであって、自分の周りに直接いる人たちや、そのへんにいる人たちに対して伝えようという意識があまりなかった、ということに思い当たった。しかし身体的健康や精神的健康というものはほとんどすべての人に関係するものだから、そういう人たちにどのように伝えるか、どのように読んでもらうかというのはとても大きな話だし、逆に言えば対象が飛躍的に大きくなるからうまく行けば市場も大きくなる、というふうにも言えるわけで、ちょっとそんなことを考えながら書いていた。この文章がそういうものになってるかはともかく。

***

「ふつうの軽音部」のことをいつも何度も思い返しながら考えているのだけど、昨日更新の70話を読み返していて、「鳩野と鷹見の違い」についてもう一つ思い当たったことがあった。

https://shonenjumpplus.com/episode/17106567266456453373

鳩野はプロトコルの演奏を聴いている最中に既に、「この勝負は私たちの負けだ」と判断を下している。それについていろいろ考え、「私はお前(鷹見)がわたしよりギター上手いのが許せない。何年かかってもいつか必ず、お前を超えてやるからな」と決意するのだが、一方で3年生3人が審査員になっている「勝負」でどういう判定が下るのか、も気になっている。特に喜田とたまきが「投票先を変えたい」と言い出したこともあり、「めっちゃ気になってご飯も半分しか食べられません」と言っているのだが、半分は食べられるのである。

それは、鳩野自身がすでに「この勝負は私たちの負けだ」と判断しているということがあるからで、この判定はもちろん気にはなるけれども客観的にどう見られているかを知るための手段であるというある程度の割り切りがあるということだと思う。だから喜田の説明にも勝った負けたという喜びや悲しみではなく、「最初ははーとぶれいくと書いてくれた」事実に驚いているわけである。一方の鷹見は何とも言えない表情をしていて、彼がどう考えているかは明示はされていないが、今まで他人の評価に動かされて兄を傷つけた自覚がありながらも「自分は「普通」にしか生きられない」と諦めてしまっていることから、「自分の演奏がよかったかどうか」よりも「どう判断されるか」が気になっていて、尊敬する喜田が「最初に」はーとぶれいくと書いたことにはおそらくはショックがあるのだろうと思う。

鷹見は「どこまでもかっこつけるスタンス」なので動揺は見せないから、前回までのように過去回の中で述懐することによってしか明確には読者には伝わらない。鳩野の方は思っていることがほぼすべて表情に現れているし「何でもすぐ人に言う」人でもあり、また主人公でもあるから必要以上に判定に動揺しているように見えるが、本当の、つまり自分自身の判断はもう決まっているわけである。自分たちの演奏と鳩野たちの演奏に対して、鷹見にどういう判断があったのかは描かれてはいないが、鳩野たちの演奏は認めざるを得ないと思っていることは分かる。しかし自分たちの演奏についてどう判断しているかが伝わってきていない。

だからこの勝負の判定は、どちらが勝ちということもあるけれども、それを受けてはーとぶれいくとprotocol.の演奏や路線がどのように変わっていくか、ということが見どころだろう。しかしはーとぶれいくは結局は「鳩野のボーカル」を聞かせるために組まれたバンドだから、その路線が変わっていくことはない、という「芯のぶれない強さ」みたいなものがすでにある。プロトコルは「上手い連中が集まって流行っている曲を演奏しミーハーな生徒たちにウケる」以上のバンドになれるのか、が問題なのだろう。

ここで問題になってくるのが、審査員の3人のうち鳩野たちと親しいたまきと鷹見と親しい喜田ではなく、部長の山添の存在だろう。喜田やたまきが審査員をやり慣れてない感じは開票直前で投票を変えようとする行動にも表れているが、山添は今までも一年生バンドのライブへの出演を決めるオーディションで何回も審査員を務めていて、顧問が新採でかつ素人なので、山添の判断がかなり大きくなってきたはずだから、彼にはおそらく彼なりの、審査される側が納得できるような基準を持っているのではないかという気がする。おそらくはそれが71話のサブタイトルである「勝敗を分かつ」ポイントになるのではないかという気がし、楽しみにしたいと思っている。

月別アーカイブ

Powered by Movable Type

Template by MTテンプレートDB

Supported by Movable Type入門

Title background photography
by Luke Peterson

スポンサードリンク













ブログパーツ
total
since 13/04/2009
today
yesterday